まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

日米、もう一つの血の約束 15 2/24 再

2016-02-24 18:24:13 | Weblog



あくまで現場における無名の兵士の感慨である


戦いには表裏の事情が存在するが、政治や経済、宗教、民族、はたまた歴史的謀略に遠因を求めるが、一旦戦いを始めると現場は目の前の相手を、しかも生まれながらの恨みや肉親の因縁などなくとも、縁あって敵と称して殺し合う。平和時なら肩を寄せ合って酒を飲む相手だったかもしれない人間だ。同じ民族間なら数世代前には命を援けられた縁者かもしれない。

米国との戦いもそうだった。偏狭な部類は別として留学組は誰かしら友人や世話になった人や家族があった。それが戦争になることはまさに諸般の事情と総称されることだが、現場の凄惨な殺戮と消耗戦は内地の机で碁盤の陣取り作戦紛いのことをしている天保銭(陸大組)とは訳が違う。敢えて「訳」というのは、真剣に戦えば戦うほど同様な哀感を共有することだ。現場にはそれがある。
「訳」・・・・道理 理由

戦後、ダンスホールにもなった戦艦三笠だが、米国の海軍提督は自軍の艦艇を売却してその資金で三笠を当時の姿に復元している。マッカーサーも議会で「日本の戦いは防衛戦だった」と演説している。ともに太平洋の戦いで双方の将兵の戦いを体験し、敵ながら特攻隊の勇気も認めている。民族や国を護ると大義を唱えるが、面前の相手を殲滅しなければ自分もやられるという、瞬間の命は全能と時の戦いでもあった。目の前の敵と白兵戦もあった。友は倒れ、恐れ震える相手に容赦なく弾を打ち込んだ。双方死にたくはなかった。

時が変わって福島原発の現場作業員も本社の指示とは別に、我が身の命と仲間同士の闘いの共感があった。監督官吏や本店経営者の曖昧な指示では到底現場は動かなかった。
果たして東京側に連帯の情感はあったのだろうか。いや将来に語れる回想を共有できるのだろうか。それとも妙な巡りあわせを恨むのだろうか。
現場の体験は各々の共有する人生でもある。懐かしみ、到達感さえ味わえるだろう。










毛沢東は田中周恩来会談の後「喧嘩は終わりましたか、喧嘩すれば仲良くなる・・」の意を語った。佐藤総理は米国大統領に「勝者は敗者に憐みの情をもつことは武士道、騎士道の共通したことです」と述べ、真の勝者としての矜持を伝えている。
また、どんな戦闘でも人知を超えて「勝ち負けは時の運」ともいう。

ここで想う、なぜ理由の如何を問わず日米は友好を保っているのか。
民族や主義の争いは冷戦となった、陣営が一緒だ、とはいうが、戦勝70年記念とともに米国も参加している。それでも複雑怪奇な外交の根底には金融や軍事、エネルギーが大きな要因を成しているが、だからと言って唯々諾々と、あるいは阿諛迎合的に米国追従していると思うのは短絡的だ。

先に書いたのは、事情はともかく四年間も一国で米国相手に戦った歴史と、それに比類する国が未だ存在しない事実だ。しかも遠方とはいえ米国領ハワイ攻撃した。
たとえ追いつめられても、今はそんな度胸もなければ、企図もできない。だからポチ犬なのかは胸に手を当てて考えることだ。
そのような戦闘事実を恨むか、大したものだと賞賛するかは当時の米国人気質からすれば、進駐後の日本人の姿に拍子抜けしてもおかしくない。
ベトナム人も柔和でおとなしい。それが数年にわたるベトナム戦争で米国を追い払った。
そして軍服を脱いだ米国とは良好な関係を築いている。

某国の横柄で強がる兵士も形勢が悪くなると指揮官の制御も聞かずちり散りに遁走する。
政治家は笑顔を作るが、現場の戦闘兵士は侮り、嘲笑する。それが主義や思想を共有しても、その姿は心に沈潜する。

政治家や経済人は口舌の駆け引きに勤しむが、軍人はことほか自衛隊の隊員に信頼を寄せている。もちろん先の大戦の残影を隊員の実直さに映している。敵だったが味方にしたら・・・、当時の現場はそう思っていた。そして今は欠くことのできない存在となっている。

死者を冒涜し、末代まで怨みを遺す人たちでは無理な環境だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人間考学」 知識の偏能 (かたよった能力)   11 5/1 再

2016-02-21 10:20:27 | Weblog

 

偏(かたよる)とは不均衡や不公平、一方に片寄ることだが、このところの土壇場になると顕在化するようだ。普段は学び舎の奥まった部屋に閉じこもっているが、珍奇高邁な説を編み出すと、発表会、シンポジュームなどの表舞台に這い出してスポットライトを浴び、特異なロジックを恰も普遍なる正論の如く展開する類だ。

政府参与になった学者だか、持論が通らなくて辞任したという。
「命を絶つことと同じだ・・」と、記者会見で述べている。
大向うは納得するが、どうも腑に落ちない。
国立大学の雄は、内容はともかくステータスを持っている。任用なり雇用する側からすれば間違いが無いだろうという「無謬性」を当てにする。床の間の石にでも役立つようなものだ。

よく反体制物理学者という呼称がある。ソビエトにも日本にもいた。突き詰めて論にそぐわないから反対だということだ。よく「法に照らせば」と法を背景にするものがいる。あの革命の父レーニンは、我々は「革命意志を前提として・・」と、従前の成文法は一顧だにしなかった。

ところで件の学者は諮問委員なのか、決定機関の委員なのかは数多の委員会や本部の濫造では皆目見当も付かないが、諮問は公意に基づいて各論が飛び交うのが本意だ。行政公務の最終責任は政府であり為政者にある。三顧の礼であっても別立て雇用で別封に入れられた食い扶持が入る。昔は御用学者としてステータスがあった。いまは政治家や官吏の三百代言となって、曲学阿世の群れなっている。

学者は覚悟と面子があった。いつも倣いとしている仮説前提の証明作業のみではなかった。
人格者ゆえに群れにはなじまなかった。その世界を知らなかったが、国立大学の独法公務員であったために断れなかったのかもしれない。もともと見据えていたのだろう。
「オレには馴染まない」と。

時としてこのような知識人は異物となる。公務員という安全地帯では充分な発想と直感が働かないであろうと推察するが、自己の客観的考察の整理分別箱はない。明治以降の文部省官制学の限界であろうが、任用時の直感は無かったようだ。
情や意志は吾に有りで、利他の増進にはトンとオボロゲな知の集積回路だが、識にいう道理や、其れに添えられる不特定に敬愛の情が乏しいようだ。

残念なことに記者会見を開いて理由を広言している。自らの説明ではあろうが、今どきにいう説明の責任と証明とはいえ、出処進退での矜持を求められる公務の辞する場面ではなんとおぼつかない。いや、どのような場面でも論や文に整合性があり、裁判官宜しく無謬性あると言いくるめ集積論、つまり判例に逃避するのと同様に、関係性さえ収まれば人は納得してくれるという異質な世界の住人なのだろう。
あの科学者ハイゼンンベルグでさえ部分は全体を表わさないと、論ではなく万象の俯瞰を証明の軸におく人間性を信頼性の基においている。

人を得ない世の中だが、職分が「身分」となった昨今、ヒューマニティ溢れ異を許容できる人物が見当たらなくなった。





                    

             菊池九郎


異民族の孫文から「真の日本人がいなくなった」と歎かれ、「このような国にするつもりは無かった」と西郷は嘆じた。陸羯南、後藤新平から畏敬された東北の西郷と謳われた菊池九郎は困窮した民衆に向かって「人間がおるじゃないか」と激励した。

「人間学」、それは明治の官制学から忌避された人間を育む教育だった。
一過性の愚成した知を説明だの証明を専らとする現代日本人は、その人間学の残滓さえも一顧だにしない。

江戸っ子は「ホドの分からん奴ほど野暮だ」といっているが、何に執着するのか、人生を内観したらいいだろう。

説明も証明も出来ないことがわかるだろう。

そこに命が懸かっているからだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安岡正篤氏の至誠とその実像 7 12/28 再

2016-02-19 09:57:28 | 郷学

 

               序

 千歳恩讐両ながら存せず。風雲長く為に忠魂を弔ふと、幕末菅石山が楠公墓畔で詠じましたが、戦後、時が経つほど、折に触れ、縁に随って、見聞きする殉国の壮烈な人々の遺事に純浄な感激を覚えます。

 このたび全国戦争犠牲者援護会の方々並に芙蓉書房が、広く関係各団体と遺族の人々の協力を得て、五百六十八柱に上る自決烈士の中、百四十四柱の人々の尊い不朽の文献を集めてこの「世紀の自決」を刊行されたことは誠に肝銘すべきものであります。
 
 世の軽薄な人々の中には、戦争を憎むのあまり、自らの国家を否定し、殉国の士にも一向関心を持たず、無責任な利己的平和と享楽ばかりを求めてやまぬ者が多い。それは最も恥づべき堕落であります。
 
 祖国はその懐かしい山河と共に、民族の生命と伝統を顕現してをるものであり、地球は幾十億年もかかって、生命を創り、人間を生み、心霊を高め、民族を育て、国家 を拓いて、人類文明を発達させてきました。

 その自然と生命と人間精神に共通する進歩の原理原則は、常に試練と犠牲と無くしては行はれないことを、科学によっても明らかにされてをります。書経に所謂「自ら靖んじ自ら献ずる」このことによって、人も、家も、国も、人類も、文明も進歩発達してきたのであります。

 明治維新の偉大な一人の先覚浅見絅斎が「靖献遺言」を著したのも、自ら靖献して殉義殉国した人々を世に表彰したのですが、この一巻の「世紀の自決」も亦新たな一つの「靖献遺言」と言ふことができませう。
 
 このごろの世は甚だしい背徳と忘恩の横行する軽薄時代ですが、これをどうして救ふことができるでせうか。その一つの原理は、たしかに論語に所謂、「終を慎み、遠を追へば、民の俗、厚きに帰す」といふ教にあると信じます。

 この書は、この意味において尊い「追遠」の一つの事業であります。
微々たる花粉が太平洋を越えてアメリカ大陸に育つこともあり、ヨーロッパの地層に沈んで、不滅の跡を留めてゐることを科学者は発見してをります。私は敬しんで英霊に心香を献じてこの一文を呈する次第であります。
  

昭和四十三年六月六日

             安岡正篤 撰

昭和45年8月1日発行
世紀の自決   序




頌徳表


明治維新の大業は吉田松陰先生の指導に因って成就す、蓋し過言に非ず、先生は夙に国難を憂ひ日夜肝胆を砕き有能なる子弟育成に心血を注げり。憂国の忠魂今尚長州に脹る。

 村本忠言翁は明治三十年八月九日長州に生れ五十一年三月三十日長州に鎮す。翁は幼にして憂国の志厚く長じて学び順って忠魂の気概益々旺んなり  秋恰も昭和二十年八月十五日終戦の詔勅降るや我国古来の道義 美風 荒廃せり、翁は憂慮し決然と起つ

 抑々翁は笠木良明先生の知遇を享け爾来国一を憂うる同志相集いて諮ること婁々なリ  時節到来日本再建法案大綱の編纂に当りその発起人に名を列ね国家の発展に貢献する処実に少なからず、然も尚翁の志操の遠大を遺さんと欲すれば則ち奮って翁の記された言辞を以ってその極みとす

 曰く 草莽の一声は天下に隆々として鳴り響くと、翁は争いを避けて和を尊び終始、尽而不欲、施而不受の気節に富み、又先人言う所の第宅器物その奇を要せず、有れば即ち有るに従って楽しみ無ければ無きに任せて晏如たり  
而して黙て語らず薀蓄を啓いては裨益すること太だ多し  

 俊英の志行半ばにして七十八才を以って長ず、児孫等日夜其の遺風を懐い慎んで その遺徳を肝に銘じ競々として其の志操を忘れず、翁の生前を偲び永くその功を敬ひ謹んでその徳を頌し以って紀念と為す

  寶田時雄 撰文 安岡正篤 監修


【頌徳表】

 人物の功績と意志を永く継承する為に石碑や書状に遺すものだが、この撰文は石に刻むことを前提にして記したものです。
 それゆえ章を短縮する意味もあり、多くの内意と音(オン)を考えて構成したものである。もちろん頌徳の大意を基に故人の事跡と次世への期待が過去、現在、未来と続く精神の継承としての現世撰者の勤めがあると記したものである。

 安岡師は筆者の手書きの文章を三回熟読して,『直してよろしいですか・・』と筆者を凝視した。そして傍らの赤鉛筆で添削した。直すところは二字だったが、読み直してみると文章がよく流れた。オンもよくなった。

そして『文章は巧い下手ではない。また現代の浮俗に迎合するものではない。君の至誠が百年経っても、偶然見るものにとっても記された内容とその至情を悟り、国家に有為な人材としてなることがある。頌徳とはそのために表わすものだ』

 同時に『この意志を遺して伝播するには、君、無名が肝心だ。今どきは有名でも、歴史に対しては有名無力だ。この至誠は無名だが有力だ。それを遂げるには郷学を興しなさい。』

 両切りのピースと羊羹での初対面だった。また初めて知った安岡という名前だった。その後様々な事跡を聞き及んだが、筆者にとっては世俗にまみえた安岡像の欺瞞は当人にとっても厄介な偽装と観えた事だろう。
 とくに名利の具にする政治家や経済人、あるいは種々の井戸端論評は学問、教育に多くの錯覚した社会的災いを興している。

 玄関に立ち、姿が見えなくなるまで見送られる明治人の一期一会の緊迫感と応答の厳しさと優しさは、その後の人物観の座標になった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男は色気が始まるころが勝負時だ・・ 12 12/14 再

2016-02-15 10:28:51 | Weblog

昔はこんな男が魅せた



「色」という字は女に覆いかぶさっている姿だと古人が伝える。
今どきは二人の男が女をはさんでいる「嬲(なぶる)」、状態が、「嫐(なぶる)」と替わり、烈しいの女が弱い男をはさんで悪戯している。

色気は肉体的には思春期、つまり春を思う時期であるが、これも春を過ぎると乾いた人生になると故事にはある。いまではもっぱら女の色気が口にのぼるが、男の色気については、どこが、なにが、と見方も分からなくなっている。
よく大衆演劇の梅沢富三郎の妖艶な姿が色っぽいといわれる。これは女の見かただが男の観察とは違うようだ。

男の色気がにじみでるのは歳で評することではなく、思春期から老齢までその期はながい。その色気に付随するのは男気だが、ただ精がみなぎっているとか見た目に格好いい類では色気があるとは云われない。一昔前は「」とか「いなせ」といってその風を装うのに真剣だった。鏡にもよく姿を映した。
いい女をみて好みだとかスタイルだとか髪や容姿のような部分を色っぽいとはいわないが、それは単なる男の欲目だろう。ましてや浮俗のざれごとで、゛やりたい゛とハナシをつなげれば、いやらしい、すけべ、と付き放される。それはもてない男の野暮だった。

肉体的に思春期はむかしの元服のころ、それは16歳を境としての前後である。男は夢精があり女は初潮をむかえる。どうゆうわけか女の露出部分や裸体をみると興奮して勃起する。いや、口には出さないが男と同じに陰部が充血すると女もいう。つまり、どうゆうわけか異性が気になってくる年頃だ。

よく、゛色気もくそもあったものではない゛と、想定外の雰囲気を吐き捨てるが、往々にして、゛女の腐ったようだ ゛と、男が罵られることと似て、思い込み、入れ込みの欲が見当違いだったことでの唾棄のようなものだ。江戸の川柳に「女房に負けるものかとバカが云い」とあるが、身のほど知らずに惚れたり、あてにする方がバカだということだろう。
だからなのか、「かかあ天下」と、無責任なのか、呆れたのか放言するが、この、゛かかあ゛は「」と書き、゛あえぐ゛ともいう。つまり興奮した状態の無呼吸にちかい姿だ。

「いつも腹の下であえいでやがって、昼間はつんと澄まして威張ってやがる・・」と、やさ男のこれも放言だが、賢いともみえる。こうなると色気もない。だか、湯上りの上気した姿でお猪口を傾けられるとクラゲのようになってしまうのも男だが、傍にあるもので済ましてしまう切なさも嘆く余裕もない男の姿が映るようだ。
これはあくまで江戸の頃の噺だが、現在は似たり寄ったりだが、深刻かつ滑稽さも増している。






けじめとホドと粋な色気  も組 竹本 



世俗の色気についてのとりあげだが、じつは教育者であり既成概念を俯瞰視している人物に西沢潤一氏がいる。糜爛した都会でなくて何よりだった仙台出身で、ながく東北大学で教鞭をとり文化勲章も授与されている。単なる学域エリートではなく知識人である。
よく気骨とか気概で表される当時の学風をにじませているが、拝観するに意気はバーバリズムを含んだ反骨である。語弊はあるが既存の切り口を唾棄するような烈しさと、人間そのものから湧く潜在する能力にもっとも期待と可能性を認めている現代の「識」にある道理を備えた知識人でもある。

また、人間の成長過程で第三者が邪魔さえしなければ自ずと湧き上がる知恵や、必要に狭まれた頓智をその後の成長の基として考えているところが素晴らしい。なによりも微弱電力を応用した研究者でありながら、森羅万象に関連付ける碩学は、あの粘菌の微小な世界から東西文明を俯瞰視して問題を抽出した南方熊楠に類似した博識がある。
また、目の前の神社合祀によって伐採される自然林の保護のために無我夢中になる義狭心もある。余談だが、世間、とくに学界から異端視された熊楠をことのほかいつくしんだのは昭和天皇である。それは和歌にも熊楠の名前を入れて詠んでいることでもわかる。

西沢氏も人物の教養、そして人格陶冶において、それに添う知識技術の応用力の源泉を「色気のつく頃が大事だ」と言い切る胆力は、今どきの学界でもまれな存在だ。
学界は妙な壇を成し普通なら西沢氏のような人物は異物として無関心を装うだろうが、発明偉業や勲章まで授与されると俄然注目が集まり、揉み手で智慧を請うものもでてくる。
つまり、このような連中の群れを西沢氏は道義の衰退、教養の枯渇として憂慮するのだ。






率先垂範で教育に取り組む   葛西弘前市長




辛亥革命の領袖孫文は側近の山田純三郎に「真の日本人がいなくなった」と嘆息した。
覚えることも増え、用具も便利になった、しかし人物の枯渇は教育制度を変えても実利が遊惰な浮俗に順化している以上、覚醒は難しい。その意味では教育も中央集権なのか旧制高校のような良質な競争心と目的意識は無くなった。それは国家の理念や経綸が語られることもなくなり、名利食い扶持に学問が堕している現代事情によるだろう。

安岡正篤氏は、たとえ義憤でも行動は一過性に終わる、それならばと風光明美な埼玉県嵐山に「農士学校」を作興した。昭和6年である。多くは地方の篤農家の子息であり、郷では県令や政治家より信望を集めた当時の「郷のおさ」である。
それらを農業技術と古典の栄枯盛衰から範を得る教育を行い、地方作興のリ―ダ―としての教養を涵養させている。なかには南米ブラジルに渡り農業の成功とともに、普遍的人格を表し現地の信頼を得てブラジルの繁栄に尽くし、異国の土となった学徒も100名近くいた。

その教育はまず四書五経の「大学」「小学」にある自身を知り、明らかにすることだ。
それは西沢氏の喝破した己を知る期に触媒となる自然界の解明と、己の特徴を知り異なることを恐れない自己の確立だった。あの松陰も晋作も「恐れない」ことを説き、くわえて「畏敬の存在」を農作業を通じて大自然に沿うことで学んでいった。
つまり「本(もと)立って道生ず」という学問や人生に臨む前提を学んだのである。

それを西沢氏は「色気のついた頃」と表しているが、はたして理解は幾ばくか、多くはないだろう。それが、゛しゃくの種゛なのかと忖度する。










おもえば「先の震災で原発労働者も被災者も人間としては世界でも一流だ、だが日本流エリートは最低だった。どうして、こうゆう人たちが地位の高いところにいるのか、日本の教育は間違っている・・」と外国人識者の懇談の結論だった。
政治形態だけが地方分権を叫んでいるが、文部省の官制学校制度こそ自在に開放すべきだろう。なにも権利を謳うこともない。あの山田方谷や恩田杢に倣うのもいい、水戸藩にも藩校のほかに無数の塾、郷学が点在していた。安岡氏も郷学を人格形成の起点として、学び方、学ぶ事物を真剣に提示した。

戦後、平凡社の下中弥三郎氏が文部大臣の打診を受けた。条件は、国立大学全廃、小学校の校長は学歴を問わず人格者を充て、最高の給料を出す、だった。
つまり、西沢氏の言う「色気づくまえの準備」を、人物の教養に求めたのだ。
国民が選んだ総理には「帰れ!」といい、膝を折る陛下に慟哭する、この難しい国民の騒がしさには真の教養など遠いものなのだろうか・・・

いつまでも陛下の無条件で深甚な人格に頼っていては一人前の国民とはいえまい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法の傍をウロウロすること 11 5/17 再

2016-02-09 10:59:13 | Weblog



法は、いつでも、幾つでもつくれる。だが社会の煩いは増大する。しかし家族、教育、政治、職域にある狭い範囲の掟や習慣が壊れたら再生には百年かかるという。易きに流れる利便への誘惑は人間そのものを融解させ社会の調和や連帯を失くしてしまう。食べ方、行儀、悪くなるのは一代だが、再生(矯正)には三代、つまり半世紀以上掛かるという。

ちなみにある程度の人が問題意識を持っている風俗もそうだし、あの受験戦争も同じだ
そんな時間をかけられないと維新や革命が風向きを変える
その場合の体制法規はご破算になる。

法は人間生活のいたるところに浸透して解決もそれに委ねている。書き物に蹂躙され、肉体化された経験則は無意味なものとして除外される。それは親子の伝承や教師と生徒、国民と政府にも乾いた関係を作り出し、人情の交歓や他との信頼などは無くなり、人は個別化しつつ分別管理されるようになった。

またまた、小難しい理屈のようだが、法一つとっても、いつの間にか慣らされてきたようだ。昔は「法のそばをウロウロする奴はろくな人間ではない」と年寄りから懇々と諭された。「法のお世話になってはいけない」ともいわれた。

いまはウッカリすると直ぐ罰金だ。知らなければ悪で愚か者だといわれる。
彼らにとっては、お陰さまで・・・とその徴収の多寡を陰で数えている。


どうも法で金稼ぎするようになってから、この国はおかしくなった。
たしかに「法のそばをウロウロする奴はろくでもない・・」昔の年寄りは分かっていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自衛官 田母神氏に観る歴史観と人物 08 11/15 再

2016-02-08 13:31:03 | Weblog

戦後生まれの自衛官だか雰囲気は古武士風の装いがある。
安倍総理の戦後レジーム脱却スローガンと軌を一にするのかどうかは田母神氏の言を待つが、もしその風に乗じた行動であったなら、いま一度、鎮まりの中で熟考願いたいことがある。

内容については紙面が少なかったせいか、尽くせない忸怩たるものがあろうが、筆者に寄託された未公開資料をなぞっても、概要は理解できる。
その上で理を立てたいことがある。

国家の誇りとか意志の発揮については、津々浦々の意思ある国民なら言を発したり功文を弄するまでも無く、労務の合間や青年の向学の目標として、他に発することはないが考えている。深くいえば誇りや意志を内外に発揮しうる近頃の権力受託者の有りの侭の姿を観察しながら憂いに似た気分を持っている。

意志や説明知識を文章に表し、かつ懸賞金三百万の応募ではあるが、一方の嫉妬こころや思想的反論に晒されることを想定し、かつ肉体的衝撃を回避すべく戯言を弄す左右両派の売文の徒、言論貴族の痴態が踊る舞台、あるいは食い扶持に堕した政官の争論を田母神将軍は逆賭したのだろうか。
             【逆賭】物事の結末をあらかじめ観てとる

よく確信犯とはいうが、イタチの最後っ屁のようだとも揶揄する声もある。それら一過性の軽薄な批評が落ち着くところに表れる冷静な人物観はこう観るだろう、田母神氏は将軍らしい俯瞰した戦術、戦略を図ったのだろうか、と。

戦前、軍官僚、将官は立身出世の花形だった。それはカッコウよく勇ましかった。
議員は負けたらただの人とはいうが、敗軍の将も負ければただの人だ。それも戦勝国から軍事裁判にかけられ些細な疑いから死を宣告されることがある。ことに高位高官はその標的となり戦勝国民の溜飲を下げるために、敢えて身命を捧げなければならない、それが戦渦にあがなう武人の靖献の仕様でもある。

社会の状況にも左右される。2,26の昭和維新の歌にある侠気は未だに心を打つ詩文だ。あるいは議会が外地事件の現状追認に陥り、ついには軍官吏の暴走と異民族の謀が組み合わさって劫火を招き、終には忌まわしい状況が外部の力を用して、その暗雲となった暴走を止めた一方の歴史観もある。



           


田母神氏は戦前の国家行為を侵略ではないという。官吏の感覚ではそうかもしれない。しかし、今は無き官名ではあるが、外国では通用する将軍、ときにはレッドカーペットで観兵をするゼネラルである。その将軍の文と読むと一抹の慙愧の念が浮かんでくる。

勝者は敗者に哀悼の礼を尽くすのが、真の勝者という。これは万国共通の刃を交えたものの矜持であり、祖国の国民にも示す情緒の教示の姿である。これは政治家には適わないものであり、戦闘体験者に通ずる礼でもある。

じつは侵略ではないとしても、軍人が異民族の地に先発として赴くときどのようなことが起きるのだろうか。陛下の軍隊として、また生活規範に勤勉、正直、礼儀、忍耐を涵養しているだろう日本人が、たとえ強者の忠恕として進出しても、たとえは悪いが農協の海外旅行のような醜態が無かったのだろうか。一兵卒なら滞ることもあろうが、高学歴で高位高官になった軍官吏は高潔だったのだろうか。

ある悪しき例を以って総てとはならないが、余りにも有名人ゆえ恥を知りつつ逸話をたどりたい。
辻正信高級参謀の逸話が児玉誉士夫氏とジャーナリスト大森実氏の対談に載っている。
シンガポールを攻略した日本軍の司令官山下奉文とイギリス軍司令官パーシバルの『イエスか、ノーか』の談判で有名だが、このパーシバルを座らせて、あろうことか辻は鞭で打ち伏している。しかも児玉氏に向かって鞭をプレゼントしている。さすがに児玉氏は断っている。


           


もう一人は寺内寿一南方軍司令官である。あの浜田国松議員と国会における、゛腹切り問答゛で有名になった人物である。
シンガポールに赴任していたとき○○がこっそり机の引き出しを覗いたら猥褻写真の山だったという。フィリッピンのマニラでも余りにも色事が頻繁で、ある豪傑浪人に部下の前で殴られている。(佐藤慎一郎 荻窪酔譚)

侵略ではないと田母神氏は記すが、それは占領地とはいわず駐屯地、居留地なのだろうが、銃をもった人間たちが、色と食と財を欲しいままにすることは如何なものなのか。
翻って横須賀では大型軍艦が入港すると数時間内に事件が起き、多くのトラブルが勃発するが我国官警は自国民における些細な摘発とは異なり、余り大きな話題にもならない。
沖縄などはその顕著な一例だ。

なにも左派の言い分をナゾルつもりは無いが、右派の、゛そんなものだ゛に加わるものではない。

ただ、国権を委ねられ異民族の地において地位を利用して邪意を満たすことは、旅の恥は掻き捨てとばかり種々の痴態をみせる一部の旅行者に似てはいないだろうか。

それが亜細亜の解放なのか。不自由が北朝鮮と同じだというなら、君たちは解放を謳った人民解放軍のその後の施政と同じではないか。
シビリアン・コントロールという自らの責を放棄して、官民格差といわれる俸給にぬくぬくと任期を全うして老後を計る隊員は居ないのか。それは国家の内患ではないのか。

あるいは浮世の三面記事を賑わす、汚職、背任、漏洩、セクハラ、これでは治安組織にみる腐敗同様、防衛組織も国民にどの様に映るのか。

将軍の文は人格と忠恕が薫譲されたものとして表れるものであり、歴史に靖献された防人の願いが記されるべきだろう。

はたして将軍を措いて隊員は懸賞当選するだろうか・・・
言い訳めいた名のある著名人の選考経過の繕いも、老後の賂言論の果てであり陳腐な論説の具現であろう。

まさに「李下に冠を正さず」

意志や文を批評するものではない。何を座標として、国家社会のどの部分に心を置いたのだろうか問いたい。何を憂いて、その根源にある国家の理念なり、異民族にも普遍な人間の尊厳を、どうすれば護る事が出来るのだろうか、それが巷間言われているノーブレスオブリュージュがもつべき俯瞰した歴史観や国家観ではないだろうか。

敬重されるべき人物にそれが欠けた時、日本人の情緒ではそのような男子を、゛潔しとしない゛つまり、辞譲の礼が無いということだ。

          
           弘前市 鈴木忠雄氏蔵
           石原莞爾氏から国民党何応欽宛て書簡


自由な土俵で、しかも金銭対価のない場面での意志の発揮、それこそ松蔭の謂う「異なることを恐れない自己の確立こそ学問であり人格」であろう。

その情感を繋げ守護することこそ軍人の任務であり、その矜持に尊敬を抱く国民の願いである。政治家の云う軽薄な「国民の生命財産を守る」、そんな前段で内外の情勢や歴史を語るより、生命財産を以って何を維持し護るのか。

それを国民に肉体的衝撃を以って教示するのが真の防人だと考えるべきだろう。
もう一度、兜の緒を確かめるかどうか、その観察は「観人則」を養う良機でもある。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数値の繁栄は人の劣化を測れず  終章    11 1/20  再

2016-02-07 13:16:57 | Weblog



再掲載≪数値の繁栄は人の劣化を測れず≫を1章 2章 終章を連続して掲載します

なお、ご感想・ご意見はコメントに投稿していただければ幸いです。

拙い意ですが、筆者が応答いたします。

長文の場合は、sunwen@river.ocn.ne.jp  までお願いします。

相互学修にもなるとおもいます。


前号より

とくに民域と官域にある名目や建前と呼ばれる数字や、取りまとめられた統計に信用性もなくなり、それを操る人間たちの身分は学校数値の成功によって得られたものである、との認知は、科挙を経た宦官と民衆の関係に似て、互いに功利的かつ実利のみにしか感応しない関係を作り出してしまう。

現実には社会はそのような関係になり、国家も経済もそのような国々の繁栄が当然のような成り行きとなってきた。財利と狭い範囲の人情、それがスタンダードとなって、国家だの社会だの、美句だった平和、友情、人権は謳い文句となってハナシとなっている。
極みの無い財利の欲求、他には狡猾だが身内には深い親情、この数値には測れない茫洋にも似た成功価値の意味は、今まで経験することのなかった現象として地球の隅々に広がっている。

翻って考えると、我が国の教育なり国家予算なり、国民の成功価値にみる数値などは,高低に一喜一憂するも騒ぎ立てる愚の種にしかならないだろう。
我が国の数値基準が強国の数値基準と獲得方法に順化するのも近い。なぜなら彼らに比べれば子供のような成功価値だが、政治家の功名心,官吏の生涯賃金、商業プロパガンダに迎合する民の屈折した幸福感などは、欲望の目的要素である、男女の性、飽食、財利、に素直に向かう彼の民族への同化は避けられないからである。成功のスタンダードといわれた車や家、そのための収入と安定、そして継続がそうであったように、それは何のためか、との問いに、性欲を謳歌し、食を堪能し、財を蓄えるという、経過や意志を云々するよりダイレクトに結果を現示することに留まる強固な意志や矜持は希薄になっている。いや、野暮で古臭いと捨てられている。







           

                 岩木山



とくに数値評価に慣らされたものは、経済力、軍事力など「力」にことさら弱い。
もともとその力が善であれ悪であれ「力」のあるものが正義だという観念に慣れていない。せいぜい法律を屏風にしたり、官域に紛れ込んでいる者の「力」の考え方は、彼の国では四角四面で稚拙な法匪,官吏の類でしかない。つまり小人とみる。

敗戦国の憂き目か西洋の数値基準にその成功価値を観た。そして幸せ感も異民族の文化に器用に迎合した。こんどは同じ色の顔をした華人の数値価値と同化誘因となる潜在価値が広がってきた。西洋も華人も欲望は似ている。ただ混乱するのは公式、非公式に係わらずPCや紙面にあるような数値でなく、あるいは相対する評価で生み出される比較数値でではなく、もしくは内陸と沿海との部分の統合ではない、個人の利害と財の集積という飽くなき数値の追及をどのように相対するべきかが試されている。

幾らか器が大きいときはよかった。昨日と今日と明日、行きつくところが解っていた。
それが循環することも知っていた。なにも日本人だけではない。老子の説く循環は諦観の倣いを実態として理解するための幾度のスパイラル循環を経験している。それは数千年に及ぶという。その上での表れた数値である。囚われたり解き放たれたり、外に向けられたり、その力の質は変化しつつ民を引き絞った剛弓の矢のように解き放つ。矢の落ちるところは天下(地球)の表皮である。

それは一国の数値などは意味の無いものにしてしまうことでもある。表面は落ちたところの成功価値に合わせつつも、彼らにとっての舞い降りた地の稚拙な数値評価は、自己増殖する欲望数値によってその国の基準値になってしまう。それは経済の実質支配として東南アジアにみる彼らを祖とする成功者や政治家にみることでもある。
これはアカデミックな検証では及びもつかない、人の潜在する欲望の加減の問題のようだ。キリストや釈迦や孔子も「ハナシ」の世界だろう。近頃は羨望の目で見られている。

そして行きつくところまで行こうと思っている。ハルマゲドンも地獄も因果応報もない世界である。その一群が先頭を走っている。処刑を繰り返しても汚職は絶えない。財は命をも購えるものだ。生活保全を約した代理死刑もよく聞くことだ。
そうすれば大金持ちになれることを信じている。またそれを倣う日本人も増えてきた。
ところで数字は何で持ち出すのか。数えられるし、確実で事実の結果だからだろうか。
我が国でも数値で表されるカリキュラムが残っている。

しかし数値で判定される学問を忌諱した熊楠や秋山、陸猲南、安岡の評価基準は今もってない。ただ結果エピソードが異形の姿で残っているだけだ。名目数値の高さでその人間の価値はは必ずしも比例しない。
皆、分別、判別は分かり切っているが、止められない。

明確に表れる技術数値ではない。人物をどのようにみるか、群れになった時の人の動向などは動物実験の比較動向では測れまい。人間の数値平準化や、数値比較を煽る欲望の喚起は、誰がためにあるのだろうか。





           

            岩木 嶽温泉



今からでも遅くない。人物を発見して倣うことだ。
そしてその存在と社会の関係を出来るだけ遠い過去と将来を考えることだ。内においては考えることのなかった自身の潜在する固有の力を発見することだ。
それは、異なることを恐れない自身の座標の発見でもある。

問題解決の糸口を広げことは他人の存在を知ることにもなる。いたずらに比較し、やるべきことが先行して、やるべきことが解らなくなっている現在に光が当てるには、早く特徴を見出して伸ばすことと、手軽な相談人にならずに鎮まりを以て独りで考えることが大切なことだ。

アレがない、コレがないという宿命的な考えは怠惰の前兆だ。
「無財の力」は無限の可能性と自然性(ナチョラル)をもった心を涵養してくれる。
それを人物の識見と涵養のみるべき姿であろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数値の繁栄は人の劣化を測れず  その二   11 1/18再

2016-02-07 13:05:57 | Weblog

彼らの既得権を護る治安官吏にしても、安定職を謳歌し問題意識もなく愚直に既得権益を死守している。鬼平やどら平太、ましてや川路も歎くことだろう。
隣国では人民の解放軍も国民に銃を向け、心情的距離感が増えた。それは人民の軍隊ではなく権力者の守護者であったことを、まざまざと見せられたからだ。
そして軍は増殖し軍閥となって経済まで支配して政治の方向性まで歪めるようになり、まるで二重権力の様相である。

数値の経済力、購買力、軍事力は国力評価として表層を飾るが、国家の帰属意識が歴史的に乏しい国柄ならまだしも、陛下を推戴する国柄の姿としては嘆かわしい劣化した人間模様である。

教育に戻るが、昔は治外法権に似て教師と生徒には、゛きずな゛という名の掟や慣習があった。それは隣国の倣いにもある「人情は国法に勝る」に似た、今どきの体罰イコール暴力といって成文法に委ねるような柔な考えは親にも教師にもなかった。いや、その云い付けに似た上訴こそ恥ずかしいことだと考えていた。

たとえば通学路での喫煙やゲームセンターの出入りで街頭補導され、警察官や補導員が学校に通報したとしても校風担当の教師からゲンコツをもらえばそれで済んだ。それは教師の責任として処理したのである。ところが近頃では「警察にお任せします」と通知すると同時に教職員会議を開いて機械的に停学、退学と処理するようになった。

今でこそモンスターに増殖した父兄や登校拒否、学級崩壊と安閑としてはいられない職場だが、あの田中角栄総理にして、教師とは国家の次世をつなぐ職分ゆえにと、特別な配慮を受けた給与体系にある。戦後もその頃からか教科書を説明する教員は増えたが、人間の師となるような全人格を投影する教員が少なくなったという。呼応して簡略身分化のための選別が学歴という在籍学校歴によって入口規制のように入試という形で普遍化してきた。今では解っていても止められない官制学校歴は社会悪的傾向を見せている。

つまり生徒の選別を多様化させ、各種学校やカリキュラムの多様化、分派成らずとも分裂した学派は各々にボス教員を発生させている。加えて論説根拠を多様にして進化したり、あるいは深淵にして広大な観察を行うべき学問が枯渇し、個別検索は優れていても多面的、根本的、将来的な個別カリキュラムを超えて統合プロデュース可能な人材教育が無くなってしまった。




               

         多面的、根本的 普遍な教養  南方熊楠




それは目先の部分や一過性の情報は解るが、それをどのように活かすか、そこに自己をどのように投影させ人生を描くかが皆目分からなくなっている。それは単なる現在の大衆構造といより、衆愚、奴隷の在り様である。たしかに民主主義という虚構においては支配し易い大衆でもあろう。

大衆にいたっては、今日の売り上げ、他人の景気、あるいは税制の単年度も、経済を動かす世界観、金銭哲学、人生観も、他人の働き次第という宿命的感覚に陥ってしまう。宿命論は怠惰でもある。そこには松陰、小南のような異論の創出や突破力はない。
また、児玉源太郎や秋山真之のような頓智をあみだす集中力や緊張感はない。
彼らは今どきの六三三制の文部省の官制学校歴で教養を積んではいない。いやそれを単なる在籍有効学歴として人生を計ったら到底及ばなかったろう。つまり維新もなければ日露戦勝もなかったことでもある。あの時の先覚者がいなかったら今どきの官吏と同様な武士御家人の怠惰と日本の植民地化だったろう。もちろん中国近代化の魁となった辛亥革命も成就しなかったはずだ。

政府既得権者と臭九老の無用な面子と忖度,管理化の普及が学び舎のなかでも増殖した。
ちなみに臭九老は「九儒」といって、地位でいえば一番下は乞食、その上が知識人である儒者、十段階の九番目ということだ。当時の共産党政権ではタクシー運転手と給料は同じだった。だから教育にも賄賂や裏口入学が当たり前だった。食うためには知識人もそうするのだ。

ちなみに再三書くことだが、満州崩壊の折、ロシア兵が国境に近付いたと報がいち早く軍官吏に届くと、居留民に知らせず夜陰にまぎれ電話線を切ってまで逃走している。朝起きたら誰もいなかった。これが官制の高学歴のみで立身出世した高級軍人や高級官僚であり、陛下から任命を受けた勅任官なのである。その残党が戦後狡猾に生き延び、再び高位高官となり勲位褒章まで授与されている。

「私は彼らほど書を読まなかったが、彼らほど愚かではない」

「物知りの馬鹿は無学のバカより始末が悪い」と賢者は悟ったという。

今でも変わることなく、また右派、左派に食い扶持が異なっても変わらない、゛さもしくも卑しい゛群れでもある。




          
                        横井小南
    
     今どきは頑固親爺だが、それは学問の肉体化というものだろう



明治から人は劣化した。それはひとえには唯一、数値を追いかけた結果だ。
器量も度量も分からなくなり、目盛が唯一の基準になった。
経済でも政治でも教育でも、人材、人物がいなくなったという。とくに死活的な外交交渉でも多くの醜態が露見している。それほど人間を育てることは難しいことなのだろうか。

これは巷間さわがれている教育改革の俎上に乗っているシステム、人員配置、予算、カリキュラムなどという目くらましの屏風論議に隠された人物の枯渇といったアカデミックな論ではとうてい解けない隠ぺいされた問題でもある。いや容易に説明のつく数値では表せないのであろう。

その教育産業に巣をもつのは、官界はもとより、塾経営者、宗教家、あるいは知識人を装うマスコミ、優遇税制を謀る企業家などが、ステータスや事業の拠り所として教育という美名を仮借するようになった。
もちろん一部のPTAも地域の主だった者や有力者、はたまた政治協力者の褒美人事となり学校内で酒宴を催し、職員と遊興に走るものも出てきた。
政治協力の褒美人事とは幼稚園一つで500票、小学校で1000票といわれる父兄の集票に幾ばくの労があったという妙な貢労である。

それも自治体が係わる学校や公務員教師の公立ならあり得ようが、建学の精神を理解して志願入学をする私学でもそれが行われるようになった。それは偏差値に反映しない無意味なものとして、師弟の情緒の交歓、野暮で古臭くなった愛校心や先輩後輩の人情の涵養など望むべき学び舎ではなくなったことでもある。
もとより,アカデミックな偏差値教育では解明できない深層の情感や潜在の力という学問前提のコアというべきものが、世代を超えた伝え繋ぎすらないない断絶状態にある。

以前、このブログで記したことだが、明治の西洋模倣の近代化を急ぎすぎるあまり、便利性、統合性など、西洋化にともなう共通基準の拙速なる社会順化が行われ、とくに教育において当時西洋の普遍になろうとしていた啓蒙主義を取り入れた共通概念の定則が今もって進化もせず、゛そもそも何を本(モト)にして何を学ぶのか゛が、地域に棲み分けられた人々の潜在する特異な能力を忌諱してまでカリキュラム,学制まで模倣した姿になって、しかも当然のごとく立身出世を餌として疑問もなく定着し、日本らしきものは融解した。

ドラマ竜馬伝や坂の上の雲の登場人物にみるものは、覚悟や突破力、頓智に似た柔軟な知力、争いを運と縁の作用として敵方さえも忠恕で包み込み、将来を逆賭するような歴史を俯瞰する経綸があった。松陰は「異なることを恐れない精神を養うことが学問」と説き、横井小難は時の世に「公」を説き、竜馬や晋作、西郷、勝はその覚悟と人物を座標として,「維」を新たな方向にすすめている。

西洋と東洋、そのアジアの中でも「日本文化」という代物はアジアでも括れないものがあるという。手前勝手に解釈するほどの能力もなければ、おもいつきでもないが、異文化の人々が文化という鏡に照らしてみると日本は異なる質感を持っているという。
それは違和感ではなく、異質には見えるが霞のようなもので包まれるような心地よいものだという。それは現代人が数値では説明できない無意味なものと、敢えて潜在する部分に押しやった精神の感応する、゛醸香゛のようなものがあるからだろう。それは異文化、異民族にも遍く存在する共通普遍性がより「たおやかな姿」としてこの地域に表れるからでもあろう。

それは、ある意味では四角四面と阿諛迎合が混在している民族の「癖」を押さまえず、近代異文化の恣意的思想である啓蒙という主義に謳われているものを無理にシステム化した教育制度の欠陥は明治天皇が指摘した「聖諭記」をひくまでもなく、かつ良質なバーバリズムを心根として自然界との共生や森羅万象を眺め、悟るような諦観すらなくしてしまったことでもある。





                




よく支配には経済や金融などとは異なる支配がある。また突然到来するものと徐々に浸透するものがある。
それは人の心に習慣性をつけたり、情緒性からくる思索や観照の切り口をかえさせたりしながら、自分以外の異物である他の人間、あるいは他の動物種や植物、または森羅万象の出来事に関する対応能力や従来の慣習なりが融解し、今まではそこから導かれた固陋(狭い範囲、かたくな)な法則なりで解決していたものが難しくなることでもある。

それは、過去の矩や生き方などの掟や習慣との別離であると同時に、価値の平準化を謳いつつも多様的価値の認知という矛盾混乱した行動として表れ、新しいのか、退行したのか、従来の文化からみた民族各々固有の情緒が失われ、我が国でも日本および日本人そのものが微かになったように観えるのである。

各々固有の法律が国家の支配と対外的なセキュリティーとなっているが、こと欲望とその取得については、押し並べて際限のない方向に向かっている。そこには囲いを自由の束縛と考えたり、隣国の砂民のような大衆を羨望の目で眺めるものも出てくる。
こうなると情緒のボーダレスであり、財利を表層とした民衆心理の同化のようにもみえる。

それは、包まれるような普遍的な霞、(無意識に遍くに照らされる穏やかな雰囲気)が夜店の屋台に並べられて、異文化との巧劣を数値評価に晒されるようになったことでもある。
愚かなバザールを歓迎する人々。それが異質な教育に慣らされた人々であり、問題意識すら発生させることのない、食い扶持成功、便利、便乗に成功価値を観るのである。

「人の関係」その不可解さと疑問に誘い込まれた人々は「自分」さえも解らなくなってしまう。しかも、自己の潜在力などという海上の氷山とは比べようもない大きな能力なり、深い思索のあることすら忘却している。そして虚飾と名目が大手を振って競い争っている。

それはアカデミックな部分検証、枝葉末節な観点を証の在り処として、人の関係が他を説得したり、説き伏せる関係になったことでもあろうが、騒がず、競わず、ひるまず,奢らず、といった自制協調などは野暮となり、いずれ「個の爆発」となって自棄に陥るのは必然だろう。それは事件や現象ではなく内在する部分の破壊であり、まるで火山流が海に流れ込み水蒸気爆発するようなものだろう。

゛部分は全体を表さない゛と、ハイゼンベルグの章にあったが、社会観察でも俯瞰と下座観の行きつ戻りつが様々な考察を可能にさせる。
俯瞰する過去と将来、そして現在の鳥瞰視は下座にみる一隅の事象に光を当てより鮮明に問題を浮上させる。

政治でいわれる対策なのか、あるいは政策なのか、もしくは目的設定した後の戦術なのか戦略なのか、遂行者の先見性や鼎の軽重を測る観点ともなることでもある。

よくこの考察でひもとくのは東工大の芳賀教授の「深層の国力」についての稿である。
それは、軍事力、経済力など努力次第で数値が変化することを競争比較や国力基準にする愚を質している。
国力は棲み分けられた民族なり、複雑な要因で構成されている国家に浸透している情緒性、あるいは潜在する力の在りようであり、それを含まない単なる数値評価で表す曖昧な国力の認定は意味がないと断じている。







                





それはわかり易い、理解し易いという「易さ」に迎合した、あるいは西洋的考察にある合理性と科学的根拠に基づく論拠によって半知半解に陥った日本人の思索力と観照力に疑問を発生させることでもある。その「易さ」だが、゛ヤサシイ゛に代表される人との関係も、慈愛に沿う厳しさにある優しさではなく、安易で一過性に心地よくさせる軽薄な意識の中で、しかも理解可能な範囲での「易しさ」と勘違いしているのではないかと心配になる。

ことは易しく,やさしく,ヤサシク、なるべくワンフレーズが、より人の関係での流れになっていることへの危惧だ。それは冒頭の先輩後輩の関係だけでなく、家庭、職場、職域、政治まで蔓延している日本人の精神的劣化を観るのである。

全ての問題はここから出発する。とくに就活といわれる学生から社会人に転化する世代の戸惑いや悩み、そして受け手である会社なり組織なりの頭を突く問題の解決不能にも表れている。しかもそれさえも資格カリキュラムや選別機関である学校、特殊学校に委ねている。どうしていいか解らないのは学生だけに限ってはいないようだ。

学生たちも学校側も、あるいは受け入れる社会も数値の高さのみが有効な人材だとは思ってもいない。とくに生産性や収益を重んじる企業でもそれが即有効なものとは考えてはいない。応用力、理解力、突破力、協調性はもとより、近頃はやりのコンプライアンスに順応できる人材など、食い扶持と人生を分別して、余程のこと老成もしくは自らを欺くことでなければ息は続かない。それでも食い扶持学の脱皮はかなわないくらい、内なる賊は強大なようだ。

明治の学制ができた当初、南方熊楠や陸猲南も数値で人間を測ることに意味を得なかった。そして退校した。秋山真之も同様だ。安岡正篤は大学(四書五経)は面白いが、大学校ほどつまらんものはないと、図書館に籠り「王陽明研究」を著している。
知識の数値も意味を覚える人間は立身出世に邁進した。そして数値に埋没した。

経済も数値の大小を成功価値においた。売り上げや純利の関係、従業員の生産性も数値に置き換えられた。それとは別に終身雇用と引き換えに能力雇用を取り入れ経営管理を数値によって人を管理するようになった。自由発想とセクションの個別分化の必要性から自己管理が促され、しかも平準化するために社内陋習というべき個別コンプライアンスという掟や習慣性が提唱され、しかも独り歩きしているようだ。

先に記した教育の建学の精神と同様、創業者の描いた創業の精神など、全体の中の部分性を発揮すべき前提となる社会的意義や、創業者の哲学にある労使の協調と社会の調和など語る繋ぐことなど忌諱されるようになった。

知人に経営コンサルタントという名称を肩書に持っている人がいる。大企業は数千万もの予算を計上してコンプライアンスの徹底をはかっているという。細かくはパワハラ、セクハラをはじめとして、一昔前の社訓を具体化、細分化、あるいは管轄官庁の順法に沿った枠づくりがその手法だが、ならばその一方の数値評価を交通規則のように細分化して、゛禁ずること利を生ず゛の類になったら、数多のコンプライアンスに抵触しないものはないくらいに投網を掛けられ、汲々とした生簀の養殖魚のようななったとき、その数値反映するであろう人間の活気がなくなる危惧がないのだろうか。ことは人間の問題である。

果たして国民総生産(DGP)とコンプライアンスの関係はどうだろうか、と聴いてみた。
そのようなデーターはないだろうが、相当に人間の活気や連帯感、協調性、あるいは有効数値こそ会社の意義と考えている生産性効果にどれほどの影響を与えているのだろうか。

どうも成功数値価値が混濁して、より鬱積した状態になるようだ。その食い扶持確保のための鬱積が家庭や社会、そして政治に向けられるのが常であろう。
夫々の生活と社会の営み、国家の経国に共通化されたものがないとき、各々が個別の数値基準を持ち出し、しかも齟齬をきたすようになる。

それは各々の職域にある職分を云々する以前に、数値基準を操る「身分」の存在を想起させることでもある。自由だ、民主だと謳うなかでの職分が融解して、「身分」になった時、新しい階級闘争が始まるだろう。いや、もう始まっているといっていい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

枕屏風、天ぷらに似た、人格とは関係ない附属性価値  再

2016-02-06 14:00:22 | Weblog

 

翻弄されつつも、虚偽、錯誤にまみれた社会をどうにか繕っているものに附属性価値というものがある。人間の中味はともかく如何様なるものにも形式があるように、他人との分別、身の置き所を量るバロメーターとして殊のほか役立っているのも其の価値、いや「観」や「感」の類の価値でもある。

良し悪しはともかく人の成りにみる始末、つまり出処進退や土壇場での価値の意味する覚悟が政官民、単なる食い扶持稼業の屏風に堕し、システムや組織をうたう改革争論を効なきものにしているように思えてならない。

人の問題になると決まりきったように教育が論議されるが、総じて親の教育と文部省の官制学校というピントの外れた言い争いや、云いっ放しを終わり無く続けている。
それ以前の、゛本立って道生ず゛にいう「本(もと)」の在りようの認知と、肉体化、習慣化の「倣いの自得」が有るをも知らずうろたえているのが現実だろう。




                 

              箱根 パル・下中記念館 インド僧と





その軽薄な附属性価値だが、近頃の嫉妬や好奇心による、覗き、暴きなどによって引きずり落とされる類になってしまったが、本人の出処進退や覚悟の無さが、よりその価値を意味の無いものにさせている。

上は総理から政治家や官吏、芸能人から教育者、はたまた治安官吏や司法までもがそのターゲットにされている。面白いことに初めから飼い犬のように腹を見せてしまえば其の引きずりは幾分寛大なようだが軽薄さの感は否めない。

だか、ヘソクリの如く背伸びしても見えないものや箪笥の奥にあるものは、発見されたときの好奇とサディステックにも似た、゛してやったり゛が、どうでもいいような優越感すら起こし、秘密の共有という安心感さえ抱くのが昨今の心裏のようだ。つまり、゛あいつも一緒だ ゛の類である。

ベネディクトの「恥の文化」に加えて「覗きと嫉妬」が連帯の絆とは思いたくないが、弱きものの連帯はことのほか残虐性の連鎖があると観るのは早計だろうか。
なかには人間の生理にまで類似性をもとめ厭くなき探求を試みるものもいるが、彼の国同様に人権などは謳い文句にしてしまうような狡猾な心を潜ませている。





                    

                    パル博士 稿




ただ、附属性価値が人格を添えて有効な力を発揮するものだが、マスという大衆と瓦版に堕した商業プロパガンダは、人の社会を劣平等に奨め、しかも流行ごとに群行群止する人々を作り出し、そのフラット化は他に対する「信」を「猜疑」に転化させる。人々の生活を有効なさしめる責任や誇りというものを具現する人格や人物の倣いさえ無意味なものにしてしまっている。

今では野暮で古臭いと思われ、且つ在ることすら認知しないような語彙である、尊敬、畏敬、おもいの忖度、広義な忠恕などは、損得や易しい説明や公開という姿を変え、より弛緩した生活座標とあいまって思索、観照の試みさえ衰えさせている。つまり、考えなくなっているようだ。

それから見た附属性価値である、地位、名誉。財力、学歴(学校歴)は、成功価値、幸せ感として一過性の社会価値を構成し、人成ってこそある価値から発生する誇りや矜持すら不必要なものとして棄てられている。






                






歴史的にみても、あのサムプライムローンの根本要因だった資本の集中と暴走から大恐慌に端を発した政策規制が、またドルショックを経て投資、集中、運営の自由化と流れが戻った途端、ITと規制緩和の流れが金融工学を屏風として、まるで政府公認の博打場のとなり福袋に百ショップとブランドを混ぜ込んで不労の欲張りを集めている。困ったことに不労の欲張りはプロの鉄火場だと思ったら、素人も入り込んでいる。

一昔前はソロモンブラザーズの得意分野だったが、商品組み立て(仕込み)の力量が一部の社員に偏り多額の報酬を要求するようになった。一部では企業内発明の個人的権利を主張し始めた社員も日本にいるが、彼の国のヘッドハンティング(能力ある者の高給による人材移動)は、検事が詐欺師の弁護市となり、警察官がパチンコ屋のガードことと同じように、法人組織の社会的責任云々などお題目になったようだ。

銀行が証券、投資会社を併設するとその勢いは止まらず、日本の中小金融機関もAAAクラスの銀行関連を闇雲に信じてゴミ債券を懐に抱えてにっちもさっちも行かない状態である。

そのAAAクラスにしろ、時価総額にしても、あるいは人間にしても天麩羅の厚い衣のようなバーチャルな価値観は、現代社会に浮遊するソノ手の人にとってトランプババ抜きの絵柄のようなものでしかないのだろう。








                  


                「日本の青年へ」  バル博士


人や、それらが起こす事象の観察の座標は、゛利゛の存在、あるいはスピードが常態化され、その幸せ感は表層表示の、家、車、レジャー、学校歴となり、公職でさえ私利を備えることで満足感を得るようになってきた。

地位によって人は成る、ということも昔話のようだが、困ったことに真の下座観のないものが上位に立つと、下々も易きに倣って私利に向かうようになる。

才ある者が財を蓄え、その競争によって生き方なり、活かし方を肉体化することを拒むものではないが、錯覚した成功観なり価値観を覚醒しない限り、口舌、巧文による改革なり繁栄は砂上の楼閣になるだろう。

砂とはまとまりと潤いのなくなった彼の国の、゛砂民゛と同意といって差し支えない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする