よく「お願い選挙」といわれる。
投票をお願いします、お返しに貴方の云うことを聴きます。これは聴くだけだ。
ともあれ金持ちになりたい、戦争は嫌いだ、子供と年寄りの面倒を看てほしい。それならアナタに投票する。
候補者はそれを承知で役者のような演技をするが、議会に入ればたんなる頭数。
官吏はそんな愚かな恒例イベントのありさまを、ほくそえみつつ、嘲笑する。
この国に棲む者にとってはことのほか嫌な関係だが、何も変わらない。誰がやっても政治は変わらないというが、この関係がまともにならなくては政治も変わらない。やはり人の問題であり、こと政治にかかわる問題は名利衣冠という、地位と名前と食い扶持の問題だ。
前記が青二才の書生論とは思うが、たとえ互いに人を信じない、政治家は腐敗していると云われる隣国でも綺麗な人情を見たいと願っている。また日本のように四角四面な官吏の理屈も好まないが、この国は専制でなければまとまらない国だと思っている。だが、汚れているからこそ清らかなものが見えるし、しかも清水にも混じることができる泥水の器量がある。
たしかに民主主義という厄介な主義は、往々にして褒めること少なく,貶(けな)すこと多しだ。それは嫉妬と怨嗟、その心底は財貨を用いた幸せへの欲望だ。それが成功と幸せの価値のようだ。その価値観に慣らされた人々の選挙は当然如く欲望の交差点の混雑のように落ち着くことのない騒がしさをみせている。k
選挙は選択制だが、善いが力がない、悪いが権力がある、そんな選択ならまだしも、イケメン、美人、アナウンサー、外国大学出身、弁護士、世襲、なかには芸人や運動家もいる。
安倍君が脚光を浴びると世に浮上する膏薬知識人、いやそう思われている公益学者(国公立校の利他に貢献すべき者)が自著を商業新聞に宣伝していた。人の顔をあげつらう失敬をおけば、年を追うごとにおかしくなっている。悪いとか醜いとかは人間に当てはめるべきものではないが、ここでは妙に、゛おかしい゛変容と記す。
教育畑に有りがちなことだが、親玉の文部科学大臣も人相が、゛おかしい゛部類だ。昔は小生の学処に度々参加していた頃は,清々しさと初々しさがあった。落選も経験した。再挑戦するときに独りで訪ねてきた。真剣だった。落涙もした。
地方議会に当選し宗教法人認可の手助けをした。当時の選挙はその宗教の信者が大勢来ていた、もちろん立場を隠してだ。そして秘書の多くはその信者が占めていた。しばらくすると、歯の抜けるように秘書が辞めた。そして小生のところに来てその顛末を語った。要は「後援会費を集めたらそれがあなた方の賃金だ、集められなければ賃金もない」とのことだった。懐事情の乏しい議員ならそれもあるだろう。だだ、人情に乏しい若者だった。
流行り政党から老舗の政党に移るために色々と工作した、そして機関誌に入党にあたって所信を書いた。友人とスポンサーが来て「これでは言い訳がましくて信念が見えない、どうかひな形を作ってください」との依頼だ。本人は知らなかったが、己が政治家になったつまりで所信案を著した。スポンサーはこれを見て本人に一字一句直すことなく掲載するように手渡した。小生なりのメッセージだった。企業家のスポンサーは何も言わず毎年一千万を渡していたという。期待をしていたに違いないが、ポツリと「もう一度落選しなくてはこの文章の意味が分からない」と呟いた。
それ以来その人間とは関係を断った。前記の宗教から徐々に離れた政治家は権力にとりついた巨大宗教組織に近づいた。旧来の党では当選がおぼつかないためだ。実行部隊の婦人部に頭を下げ、今までの批判を詫びるセレモニーがあった。それを助言したのは隣区の宗教政党の委員長だった。そして当選した。
お友達内閣の頃、その組閣では党首が頻繁に相談の電話があったと吹聴した。そした大臣任命準備として一戸建ての家を考慮したとの噂も聞いた。もちろん警備や体裁も企図したことだ。当選回数の都合もあったのか内閣の近習として寄り添ったが、党首と一緒のテレビアングルに入ることに勤しんだ。
その後、教育機関の設置認可の担当になった。当初の宗教法人が認可を申請した。
世間離れなのか、馴染まないのか、自身の票田である巨大宗教政党に遠慮したのか不許可の判断をした。すると不許可に怒り心頭の教団はネガティブキャンペーンを繰り広げた。
学校設置許認可と補助金のバーターのような政治資金、オリンピック利権、女性との隠れた話、それを解決したという御仁も出てきた。
彼の政治家としての成功価値と幸せ感は、あの清々しさから変質した。そして人相も変容した。
だだ、彼の掲げる政策には観るべきものがある。
それは、外国の教育事情を範としたり、学制の補完である商業塾の企図する教育の将来像を厳格に峻別する意志を前提とするものだが、官制学校システムや携わる要員への問題意識は茫洋としている適齢学徒を抱えている国民の憂慮であり、国内外に躍動する邦人への期待を込めた遠大な政策は、国民にとっての官民の行う試みにかかわらず、学びの要諦をつかんでいるようにみえる。
「適齢学徒」と記したが、受験期や大学を卒業したら問題意識は無くなるのが近親の環境だ。声高に叫び、要求を突きつけた人々は、後に続く世代のことは関心が薄くなる。つまり政策に継続性はあるが、要求は分断し流動的だ。
氏は、学習塾の利用者の父母を当初の応援者とした。これも選挙カルチャーだった。
いまは全国横断的に塾、専門学校がその応援者だ。分断し流動的な応援者を選挙においては当てにならない。だから宗教政党と与党なのだろうが、政策達成と曖昧な選挙事情に一番深慮しているのは本人だろう。だからと云って本質を疎かにしては土壇場の信は成り立たない。
あの独りで訪ねてきて落涙までした真剣さは残っている。
当時、ときおり街中を歩いて同伴した。議員になった頃だ。まだ落選議員の恨みが充満している地元地域だ。こちらも白い目で見られたが、もとより学処の同人だ。講頭の安岡正篤氏の嫡男も期待していた頃だ。しかし、街の衆もしたたかだ。当人が所信を書き与党に入った途端、掌を返して迎合した。その頃から変容した。いや元々その雰囲気はあったのだろう。
当初の弱者救済で交通遺児をキッチフレーズにしていた唱えは消えうせ、浮俗の与党選挙好きの神輿になることで立身出世の階段を昇りはじめた。
交通遺児や犯罪被害者のなかには扶養の必要な立場に置かれることがある。なかには酔って交通事故を起したり、ささいな口論で暴力をふるい反抗されて死亡することもある。
事情はともかく残された遺児はときに困窮を極めることもあるだろう。
遺児は自損事故なら父の飲酒運転を悔やみ、恨みも残ることがある。だからと云って、゛かわいそう゛なのは他人の声だ。遺児はそれに頼ることなく立身を描き、終生、飲酒運転をした父のようなことが起きないよう自制もするだろう。あるいは酔って喧嘩抗論もしないだろう。
昔は新聞少年や集団就職もあった。選挙ならそれが唱える種になった。以前、コラムで紹介したが小泉進次郎氏も小学校から新聞配達をしていた。だが、かれは売り文句にはしなかった。在学時の野球部もそうだが、それが政治家の必須条件だとは思っていない。
いわんや東大法学部、松下政経塾出身、早稲田弁論部なども人格とは何ら関係のない附属の名称だ。
それが彼の目指した政策のためと虚構を甘んじて包み込んでいるかならまだしも、我欲と道連れになるにつれ人相は変容し、口角や音声にもその見識は浮かばなくなってしまった。
中野の宝泉寺に戸叶 武の墓はある。そこの石柱には「意志ある処 途あり」と刻まれている。子息は選挙事務所にも出入りしていたが、落ち着いた物腰は柔らかく誰から見ても信頼感があった。「期待している、心配もしている」複雑な境地を筆者に吐露した。下村君の色紙にはその刻字が記され、同僚議員もそれに倣ったものが多い。いっとき流行ったのは「一隅を照らす」だが、国民の掲げる多くの灯で国を照らす(万灯照国)の気風には届かない。
世俗の成功価値と幸せ感は彼を「大したもの」という。
所属派閥の伝統的利権は文教畑だ。そして手垢のついていない畑はオリンピックだ。
それを双方任せられているのは総理との別の意味での信頼感だろう。
手柄を誇る目障りなカエルくんを排して、これまた目障りな元老を床の間に座らせ、これからという時だが、その若者達に似合わない未熟で陰湿な謀は国民を黙らせても、彼らの在ることを知らない天意は叱責を与えるはずだ。
全国津々浦々、そんなことで熱狂と偏見でいがみ合う選挙とは何なのだろう。
これは数字ではない。眺めるべき世界だ。