世俗の争論は、連帯と調和、加えて自他の関係から発する恩恵を捨て、自他の関係を徒に離反に誘引することがある。論によって人を随わせる愚は隣国の説家や三百代言といわれるものの虚偽や詐術という大偽によって、より茫洋とした世界に人々を貶めている。
「知は大偽を生ず」「小人の学は利にすすむ」
そこには西洋の合理と利便を論の証として走狗に入る知識人の姿がある。
それゆえ、畏友の説く基層文化の在り様を再考する良機が訪れたようにも見える昨今でもある。
富貴にも淫せず、貧賤の楽しみ
男児 此処に至れば 是れ豪勇
異なることを恐れない偏屈な風流人の往復箋は以下斯くの如し
以下転載
いやはや全文ブログにとは、恐れ入ります。
写真だけでもご活用いただければと思っておりましただけですが・・・
徳川が鎖国に踏み切った大きな理由は、当時布教を認めていた宗派とは異なる宗
派が、相手のやり方(宣教師の後に軍隊が・・・特にラテンアメリカでの仕業)
を伝えたことにありと。
これによって禁教にまで至ったことは、国家百年を見通すとうこともさることな
がら、幸運であったとしても良いのではないか。
それによって、高度な文明を伴いながら、250年の太平を享受した江戸時代。
そこに日本の日本たる姿、日本人の日本人らしい姿が完成したのでしょう。
極めて稀、極めて幸運なものが残っていたということです。
それまでにも仏教伝来という高度かつ強固な文化が到来しながら、2,3百年で
鎌倉仏教という日本独特のしかも高度に完成された仏教を生み出した日本。
そこには綿々と続く縄文の基層文化があった。
アインシュタインもイザベラ・バードも感応したのはその縄文の基層文化であっ
たと思うのです。
来日前に憧れきっていたアインシュタインは、日本に来てみていずこに行っても
清らかな笑顔を見せる庶民の姿に、その憧れも数層倍も喜び「こんな国、こんな
民族を地球上に残してくれたことを神に感謝」したのです。
残された仕事は、「極めて稀、極めて幸運」を語り続けることなのでしょう