今どきは・・・と批評があるだろう。
学び舎の数値選別に血道をあげた学徒の群れには、学びは過去のことなのだろうか。
いや、入れる箱もなくなり、量で表す「器」や「度」も人物を測る目安ではなくなった。
以下は、見たり読むだけではなく、世俗では異論ではあるが「感読」「観読」を試みていただきたい。
朝日新聞 文化・文芸より
前ブログ「教員免許?」の関連稿です。
数日前に友人の賢者に偶成だが、奇怪な考えを呈上した。
また、学縁をいただいた安岡氏の自宅書斎での諭しを想起して、人物造化の教育論に同じような薫りを利いた。
岡氏は世界的な数学者、安岡氏は碩学と謳われ多くの事績を遺している。
岡 潔 氏
以下メール文・・・・
≪ 賢人の各位 殿
無学の拙意ですが・・・、我が身を脚下照顧してご感想をいただければ幸いです
以前、アジアは未開で野蛮といわれ植民地になった。
しかし支配は変わっても滅びることはない。このロングヒストリーを構成し、支える要因に人間がいる。自然界への諦観は支配者にも通用した。そしていつの間にかいなくなった。
この一連の経過にある柔らかさとしぶとさを論理的に表せないか、と友人に問うたら、複雑系数学で解けるという。面白かっのだが、理解の淵には届かなかった
最近、居酒屋の隅っこでめったに読まない朝日新聞を片手に一人酒を呑んでいたら、数学の本質は「論理ではなく情緒」と書いた記事に凝視した。
「多変数複素関数論」
複雑な要因を以て多面的に変化するものの数値的関係、とでもいおうか、まるで国家や社会なるものの構成要素だ
当ブロクでも再三「複雑な要因を以て構成されている国家なるもの」と、師の言を仮借している。
たしかに理屈より、それを関係なさしめているのは情緒なのだろう
ゆえに神とか教えとか、こねたものより、精霊を情緒の元とすれば複雑感は解消し、多変は収斂して結び合うだろう
無学の妙だが、これなら疲れたら空を眺め、せっせと土と草木の関係を熟知した農民の方が実利として浸透している
まして宇宙空間の微粒として地球が浮遊しているとして、考えを人間に当てはめれば、まさに構成の要は情緒交換の潤いの恵みであろう。
宇宙域の限界は未定だが、枠を仮に想定して、当たって戻る波動の強弱が存在するとしたら、枠の弾力性も想定域に入る。
ゆえに人間の許容量、思索の柔軟性、観照力、そして他に対する多面的な対応力、突破力、まさに愚成で筆者拙考した「人間考学」というべきものだ。
岡氏は靖国神社出版の「靖献遺稿録」に安岡氏と巻頭を記している。
ここで、改めてその献言を拝見し、情感の豊かさに敬服するのである。
こんな数学教師がいたら、少しは面白かったろうと慚愧する。
なにしろ、あのころは計算が立つ男は人から心配された頃だ。
しかも数値で人を選別することなど、と、数字の学には触れなかった。
まして身を崩すのもこの手の金勘定の装い学だ。高学歴・高収入の滅びは、情感の薄い金勘定とケチらしい。
岡氏の学を巧く活かせば、この手の学問なら少しは人に役立つだろう
まさに括目する紹介記事だ。≫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/6e/360ab53b3be3f2314c005cddb52efe2d.jpg)
安岡正篤 氏
無学で体系もない前のめりの拙意メールだったのか、周囲の賢人からは応答もない。
安岡氏や鬼界に入った昭和の賢人なら腹を抱えて笑い、そして「じっくり考えてみる」「何かの既説にはまらないか」と、珍奇な思考に面白がるだろう。
こちらは苦、迷、狂の入り混じった官制学の在籍経過学舎になじまない情と感の浸透学ゆえ、納まるものもないことは承知している。しかし、彼らの風儀の薫りや老齢ゆえの優しさは体感している。
そして辿りついた境地から発する、人のため、自然との調和のため、の在るべき教育の姿と現実との対比、また彼らの説く人物造化への問題意識は、浮俗に生きる徒に痛切な啓示として覆いかぶさるのだ。
ここで、岡氏の教育論と安岡氏の論を掲載し、拙者の備忘として、部分考察や片々考察ではなく、多面的、根本的、将来的な推考として賢読して戴ければありがたい。
倫理御進講草案を著した天皇侍講 杉浦重剛
≪岡 潔氏の教育論≫
…学校を建てるのならば、日当たりよりも、景色のよいことを重視するといった配慮がいる。しかし、何よりも大切なことは教える人の心(情)であろう。
国家が強権を発動して、子どもたちに「被教育の義務」とやらを課するのならば「作用があれば同じ強さの反作用がある」との力学の法則によって、同時に自動的に、父母、兄姉、祖父母など保護者の方には教える人のこころを監視する自治権が発生すべきではないか。
少なくとも主権在民と声高くいわれている以上は、法律はこれを明文化すべきではなかろうか。
台湾の父母後援会は校長の罷免権がある
いまの教育では個人の幸福が目標になっている。
人生の目的がこれだから、さあそれをやれといえば、道義という肝心なものを教えないで手を抜いているのだから、まことに簡単にできる。いまの教育はまさにそれをやっている。
それ以外には、犬を仕込むように、主人にきらわれないための行儀と、食べていくための芸を仕込んでいるというだけである。
しかし、個人の幸福は、つまるところは動物性の満足にほかならない。
生まれて六十日目ぐらいの赤ん坊ですでに「見る目」と「見える目」の二つの目が備わるが、この「見る目」の主人公は本能である。そうして人は、えてしてこの本能を自分だと思い違いするのである。
そこでこの邦では、昔から多くの人たちが口々にこのことを戒めているのである。私はこのくにに新しく来た人たちに聞きたい。
「あなた方は、このくにの国民一人一人が取り去りかねて困っているこの本能に、基本的人権とやらを与えようというのですか」と。私にはいまの教育が心配でならないのである。
岡潔関連サイトより転載
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/9a/388798788f9e8d88918883db62deaf29.jpg)
たとえ皇太子でも相撲で投げ飛ばしたという御教育掛 山岡鉄舟
≪安岡氏の趣意書撰文≫
今と変わりがない・・・、昭和6年
「日本農士学校創設の趣意」
現所在 (財) 郷学研修所
安岡正篤記念館
人間にとって教育ほど大切なものはない。
国家の運命も人間の教育に掛かっていると古の賢人はいう。真に人を救い正しい道を歩むためには、結局、教育に委ねなければならない。そしてその大切な教育は現在、どのように成っているのだろうか。
現代の青年は社会的に悪影響を受け感化されるばかりでその上、殆どといってよいくらい家庭教育は廃(スタ)れ、教育は学校に限られている。
しかも一般父兄は社会的風潮である物質主義、功利主義に知らずしらず感染して、ひたすら子供の物質的成功や卑屈な給料取りにすることを目的として学校に通わしている。
その群れとなった生徒たちを迎える学校は粗悪な工場となり、教師は支配人や技術者、はなはだしく一介の労働者のようになり、生徒は粗製濫造された商品となって、意義ある師弟の関係や学問の求める道などは亡び、学科も支離滅裂となり学校全体になんの精神も規律も見当たらなくなっている。
そのため生徒たちは何の理想もなく、卑屈に陥り、かつ狡猾になり、また贅沢や遊び心にある流行ごとに生活価値を求め、人を援けたり、邪なものに立ち向かう心を失い、ついには学問に対する真剣な心を亡くしている。
男子にいたっては社会や国家の発展に欠かせない気力に欠け、女子は純朴な心に宿る智慧や情緒が欠けてしまった。
このようなことで私たちの社会や国の行く末はどうなってしまうのであろうか。
さらに一層深く考えると、文化が爛熟(ランジュク)して、人間に燃えるような理想と、それを目標とした懸命な努力が亡くなり、低俗な楽しみと、現実から逃避するような卑怯な安全を貪り、軽薄な理屈によって正当化するようになってくると、このような人々は救済不可能になってくる。
平安時代の公家も江戸時代の旗本御家人もこのようにして滅んでいる。
徳川吉宗も松平定信も焦ったのだか、権力や法では手の下しようも無いほど民情は退廃している。たとえ百万の法規でも道義の崩壊は食い止められない。
このような時、社会の新しい生命を盛り立てたものは、退廃文化の中毒を受けず純潔な生活と、しっかりした信念をもった純朴で強い信念を持った田舎武士であった。そのことは今もって深い道理には変化はない。
この都会に群がる学生に対して、今の様な教育を施していて何になろう。
国家の明日、人々の末永い平和を繁栄を考える人々は、ぜひとも目的の視点と学問を地方農村に向け、全国津々浦々の片隅に存在する信仰、哲学、詩情、に鎮まりを以って浸り、もしくは鋤(すき)鍬(くわ)を手にしながら毅然として中央を注視して、慌てず、騒がず、自身をよく知り、家をととのえ、余力があれば、まず郷、町村を独立した小社会、小国家にして自らを治める自治精神を養うような郷士や、人々に尊敬される農村指導者を造って行かなければならない。
それは新しい自治主義(面白くいえば新封建)主義というべき真に日本を振興することにもなる。
農士学校 現 郷学研修所 埼玉県武蔵嵐山
農士学校は、さまざまな軽薄な社会運動や職業的な教育運動とはまったく異なり、河井蒼竜窟のいう地中深く埋まって、なお国家のために大事なことを行おうという鎮まりを護り、人々の尊厳と幸福を天地自然に祈るように順化し、人間としてあるべき姿を古今東西の聖賢の教えを鏡として、まず率先して行うべき行動である。
金鶏学院の開設から四年が経とうとしている。我々は自身の意思と身体をこの場所に潜め、大地に伏し、地方農村に生活を営みながら、国を正しい姿に改新した先覚者、あるいは社会に重きをおく賢人とはどのような人格なのか、また学問や教養の積み重ねを、いかに勤労をとおして励んだらよいかを研究しつつ、さらにその間、私たちのささやかな意思は、日本の中心に置かれている各方面の国を考える多くの国士とも交流を図ってもきた。
今の様相はもはや一刻の停滞を許さない。
我々は自らの安易な生活をむさぼり、空理空論といういたずらに無意味な議論に安住してはならない。
此処に至っては前記に掲げられた覚悟を行動に現すべく、屯田式教学(勤労しながら学ぶ「産学一体」)の地を武蔵相模の山々に囲まれた武蔵嵐山の菅谷の地に求め、鎌倉武士の華と謳われた畠山重忠の館址(やかたあと)を選んで、ここに山間田畑二十町歩の荘園を設立することができた。さすがに古の英雄が選択したところだけあって、地形、土質、環境に得がたいものがある。
私はここに今まで寝食をともにして学問の道に励んだ有志とともに、日本農士学校を設立して平素考え求めていたことを共に実現したいと思う。
昭和 六年四月
安 岡 正 篤 先生撰
現代訳文責 郷学徒 寶 田 時 雄
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/41/eee7663532d785ffec43bfab3af3bf93.jpg)
≪卒業に際しての送別撰文≫
「送別の辞」
諸君、期満ちて今まさにこの学園を去らんとする。
古城の春色は又新たにし、秩父の山・槻川の流れ低回(俗世間の煩わしい物事を避け)を去るのも能わざるものあらむ。
世の学校に学ぶ者は多し。然(しか)れども諸君は彼らとは学ぶ目的を異にする。
彼らの多くは立身出此の為に学校を選びて入る。だから彼らは知識を弘め技術を修めるといえども、これをもって人を排し(排斥、じゃまな人を押しのける)己を遂げる(自分を成功させる)。
たくましい者は功を立てて名を誇るが、其の劣れる者は終身犬馬を相去る幾何(数量・一生涯犬や馬のような地位から抜け出る人の数)もなし。
諸君が学びに求めるものは、初めより所謂(言うところの)立身出世の為に非(あたら)ず。
倫身・斎家〔自分を修め・一家をととめえおさめる〕に出て、窃(ひそか)に冶郷・、護国を期す。
これをもって遂ぐべき(成し遂げる)己なく、排すべき人はなし。
学問は安心立命(天命を悟り、心を安らかにしてなやまない)の為に開物成務(世の中の人知を開発し、それによって世の中の事業を成し遂げる) の為にする。 ※「開成」「開務」(易經)
造化(むぞうさに、物質をよせあわせ万物をつくりだす・また自然を支配する道理)に参じ、道妙(道理の不思議な機縁)を楽しむ。
実に先哲の達意なり.器の大小・才の利鈍は敢えて憂いるに非ず。
ただ身の修らず、世の安んぜざるを是れを愁(憂う)う。この心を尽くば、大地一不朽(非常にすぐれて永遠に亡ぴない)なり。願わくば、これより世間の有名・無名の人に伍(ご・仲間になって)して、復た(再び)惑うことなかれ。
古今東西の学者学説を羅列(られつ・網の目のようにつらなり並ぺ)批判して愚夫愚婦を導く事は難しい事である。
欧州米国の文明・文化を嘲笑罵倒(あざけ笑い、ののしる)して、北狄〔中国北方地方にすむ民族〕南蛮(南力の野蛮人・タ・イ、ジヤワ、ルソン等)を支服(支配し従属)するような事は、諸君の倫理学・政治学にあたらず。
諸君の孝行は一学の愚夫愚婦をも化し(かし・人格や教育によって接する人の心や生括ぶりをかえる「感化」「徳化」)し、蛮狼(野蛮で冷酷で欲深いもの)にも行わせるにある。
人爵(人から与えられた位・名誉)を求めず、天爵(天から授かった爵位・白然に備わった人徳のこと有天爵者、有人爵者(孟子・告上)天爵遊有、人爵(社会的地位や名誉)を楽しむところにある。
これは、諸君は、底(すで)に知る所である。
安 岡 正 篤 先生撰
( )内は筆者挿入