それは、東京の小さなレストランでのことでした。
「バングラデッシュには悲しい歴史と誇る歴史があります。また世界の人たちが国の貧しさを知って多くの援助が贈られてきました。植民地の二百年も辛いものでしたが、学ぶことも有りました。でも、貧しくても誇りは人一倍あります。そのために援助で豊かになる人がいても、多くの貧しい人たちは何の変化もなく、多く若者は国外に働きに出ました」
「なかには貧しいがために強がりを言ったり、人に心を開かない態度をすることもありますが、ほんとうは正義感もあり、人のことを心配したりする優しさがありますが、いまの現状は日本に住むバングラデッシュの人たちでさえ互いに本当の心を閉ざして、いさかいも起きることがあります」
「この解決の一つに、子供の素直な心から見た大人社会への疑問を、子供の力で社会に発信できるように識字率を上げることが必要なのです。それには子供たちが不思議におもったことを子供たちの考えで解決方法を発表したり、質問したりできる新聞が必要なのです」
「子供が取材して、書き、編集して、発行する。読めなければ大人が読み聞かせ、友達で助け合う、この関係をつくれるのは新聞しかない。そして歴史的にも関係の深い日本の方々の考え方、あるいは、便利さが工夫を衰えさせたり、豊かになったことでの教育や生活の問題点、また同じ子供たちの心をバングラデッシュの子供たちに伝えたいのです」
そして、「このことに命を懸けたい」と・・・
アジアの繁栄の先には山もあり谷もある。繁栄につられて欲張りな人も訪れる。
でも、コマーシャルもなく、子供が考え、書き、発表する新聞の精神は、いずれバングラデッシュの大きなセキュリティーにもなる。
バングラデッシュの賢人、プロビュ―ル・シャカ―と語ったのは、たしか満月の夜のことだった。