湯浅博氏は産経のオピニオンで参謀辰巳栄一を紹介している。
辰巳について章を省くが、要略は英国情報機関の緻密さである。しかも迅速な集約であり世界の俯瞰された勢力図のシュミレーションに長けた内容に、俊英を誇る陸軍武官が驚愕する姿を記している。
植民地経営に長じた英国の情報機関、王立国際問題研究所海外担当M16の勢力圏に張り巡らした投網のような情報網は意図的謀略に欠くことのできないものでもある。
以前、三田村某氏が謀略について著した本があった。戦後その当時の高官が読んで「こんなことが行なわれていたのか・・」と驚いたと呑気なエピソードがあった。
近衛総理でさえ「何か引き込まれるような・・」と不思議がっていたが、側近に謀略機関の枝(満鉄調査部)にいた尾崎ホツミを用し、ゾルゲに筒抜けだった。

ドイツの電撃侵攻に窮したソ連はソ満国境の精鋭部隊をヨーロッパ戦線に回す為、日本の国是のようになっていた北進論を南進に転化させる必要があった。
そのための仕込みとして蒋介石直下にあった情報機関藍衣社を排し、新しい情報機関を置いた。何よりもよく的中する。蒋介石は信用した。もちろんマッチポンプである。
軍事委員会国際問題研究所(当ブログで紹介)の所長は王梵生、この資金は英国情報機関パイル中佐を通じて拠出。もちろん情報もチャーチルに渡っていると考えるのが妥当だ。
驚くことに所長の王もスタッフも共産党員である。蒋介石の手の内も筒抜けである。

北進を南進に転化させ英米と衝突させる、そのための現地追認に成り下がった日本指導者の稚拙な思惑を転換させる為に多くの意図的衝突を起こし,中国内地への誘引を計った。
よくコミンテルンの謀略と定説のようになっているが、湯浅氏の切り口にはコミンテルンさえ巧に操作した英国の企ても垣間見える。つまり新たな展開を切り開く端緒のようにも観えるのである。

王は常徳会戦の戦跡を米軍将校と視察した折
「今度はあんたがたですよ」
将校は信用しなかった。
しかし、王は真珠湾の日時、司令官の名まで知っていた。
その後、一躍その世界では有名になった。
田中上奏文も王の手によるものだと・・・
辰巳氏が驚いたのは当然である。

一方、門脇(門田)氏は「台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」を副題して縁者の想起をもとに【この命、義に捧ぐ】をこのたび著した。
筆者が来年の辛亥革命百年にあたり、その革命に挺身した日本人先覚者を含めた「アジアの意思」をムーブメントとして考え、当時の明治の日本人とアジアの植民地からの復興を民族協働の歴史として華人圏とともに再考する試みとして台湾を訪問した同時期に、最終取材で門田氏も編集者と来台していた。
台湾通信の早田健文氏との食事の折、「一寸連絡してみます」
電話に出たのは門脇氏だった。
「やぁ・・これからどうですか」
早田氏もこれから同行するという。
「こちらは安いホテルしか泊まれないので・・」
疲れていたので丁重に断ったが・・・
早田氏が
「いゃ、集英社のスタッフと一緒なので大丈夫ですよ」
゛売文の徒になってはいけない゛という筆者の耳障りな酔い話を覚えているのか、ヒットを飛ばす作家にしては悲哀を悟らせるような彼らしいシャイな応えだった。
彼の辿り着く先は「張学良」である。一時は、゛学さん゛と呼んで懸命に取材していた。
一隅を照らし下座観を大切にした取材ではあるが、日中史の隠れた邦人の姿に志向した今回のテーマは、より俯瞰した考察が必要だったろう。
その意味では、知り、学ぶではなく読者に倣うべき人間の対象として、かつ無意味と思われるものに、辿り着くべき道と意味があることを提示、また老いては自然に訓導されるような薫譲された作品が待たれる期待がある。

辰巳が、根本がその期に何を行い、どのようなエピーソードがあったかは彼等書き手にとっては手段である。
目的は日本人への愛顧である。
孫文は側近の山田純三郎に
「真の日本人がいなくなった」と歎く
孫文の言う真の日本人とは後藤新平の胆力を観照するものであり、その真の日本人に倣い亜細亜に行動するものがあれば亜細亜の国々は日本に付き従い共に亜細亜復興を成し遂げるだろうと山田に述べている。
「日本と戦えば日本も中国もだめになってしまう」
それは張学良率いる東北軍が共産党との戦いに逡巡していることに自ら西安に赴く激烈な行動に表れている。
苗剣秋は「お前の親爺(張作霖)は誰に殺された。いまお前は誰(共産党)と戦おうとしているのか・・」(周恩来との企て)
苗氏の妻は、「張さんはお坊ちゃんですよ。あのとき苗先生は天津にいて事件とは関係ありませんでした・・」
あえて問うまでもなく突然発せられた言葉だった。そしてこう続けた。
「苗先生は自分を探す為に一生忙しく働いていました」

山田の甥、佐藤慎一郎氏は
「あの頃は謀略といっても西洋が植民地を作り、経営する為に行なった謀略とは異質のものだ。騙す、欺くは知力、精神力、そして何よりも自己の潜在能力の発見の試みといってよい。月日を経てその結果を読み解こうと思って新しい事柄を並べ立て、また事象がオボロゲに解っても当事者の伸吟にはたどり着くことはない。あくまで想像だ。
あの頃は皆一生懸命だった。善悪は問うまい。双方己を試しながら国家や民族、あるいは思想勢力に功あると思っていた。ただ、彼の民族が国家や民族や思想に命を懸けることはない。狭い範囲の人情と自身がどう生きるか、そして上手に活かせるか、それに懸けたのだ。
だから情報は生きているというのだ。とくに問われて応えるものは作り話が多い。人の人情の在り様によって自ら吐露するものが真の情報だ。人情は国法より重し、まさにそれは情報であり、諜報であり、謀略となるものだ。」
その意味では湯浅、門脇両氏は事象を描くことのみならず、人物を描いている。
それも血湧き肉躍る痛快活劇やヒーローではなく、一隅に埋もれそうな日本人の矜持を浮上させる忠恕な視点がある。
ことさら両氏を括っているものではないが、共感を超えて切磋琢磨を願いたい。その点この度は日中近代史のなかで現代人が倣いとすべき人物を取り上げ、同様なステージに立てたことを欣快な心地で眺めるのである。
願わくば己に切り込み、ややもすると商業出版に重きを成し、自ずと纏わり憑くであろう名利への誘惑を童心の意識で内観していただきたい。