まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

田母神インテリジェンスより厚く、そしてより深く観る  其の三

2009-05-26 12:54:49 | Weblog


児玉源太郎を祭神とした江ノ島児玉神社  旅順203高地の碑




余話としてだが・・・

侵略云々もあるが如何なる思想で飾られても民衆は強いものには従順である。面従腹背との評はあろうが毛沢東軍閥、蒋介石軍閥は「力」そのものである。悪でも善でも力のある者は「良」なのである。漢人であろうが満人であろう「力」の見方は同様である。

筆者とて戦乱の惨劇や白兵戦を想像するだけで肉体的衝撃に怯む。あの戒厳令の天安門の混乱に身を置いたが、その臨場では緊張と言葉を知らぬが故の鷹揚さだったが、帰国直後の映像によって背筋に冷たいものが走ったことがある。

量りようのない自然の姿や権力者の威武は抗す事の出来ない「力」として別の生き方や応答を探るようになるのは自然の姿であろう。

「力」には言論や筆とは申せ足下掻痒の気分が残るのは己の軟弱さかと痛感する。確かに民主は時間のかかる問題である。近頃は金融財力による支配が著しいが,これも問題があり始末に困るものだ。

言わんとすることは、みな「力」に伏すが、それを欲しいがために表裏は異なり姿は迎合する。事の強弱はあるが己の心底にも見えることがある。
とくに自らが偏屈にも認めた人物や、勝手に師と仰いでいる人間と対峙したときがそうだ。

「力」の論理はことのほか難解であり、時として自らを責めることでもある。








その意味で戦後日本各地の広大な占領地を基地化した米軍も「力」である。
これを進駐というが、警察の駐在さんではあるまいに治安維持の兵站が未だ続いているのを何と言うのであろうか。

「基地は有った方がいい、なくなったら日本は何をするかわからない」
ある中国高官の言だが、進駐軍の意味に符合する。
たとえ平和とか地域の安定を謳い他国に進駐することを何と言うのか。
政治権力が悪いからといって民衆のためにと謳って他国に進駐することを何というのか。






時代が変わり、したたかにも侵略という文字を並べても剣を振り上げることは適わない。ただただ実利を図って進駐や侵略を言いくるめ迎合する民が双方に存在する。

乃木将軍は日露戦争の折、朝鮮の子供に他国の軍隊がこの地で戦争をする思いを複雑な気持ちで表している。理由はともあれその忠恕が将軍たるものの心だ。

戦略、戦術、軋轢といきかがかりは言を発するほど真の戦闘の意味を歪曲させてしまう。互いに命を以って靖んじて献ずるものは何なのか将軍は知っていた。

乃木を愚将と記したモノ書きは部数と外国賞を意図して隣国諜報員の仮の姿を装った著名な書評家に大量の書簡を送っている。知識人の堕落は亡国の徴でもある。
坂の上にたなびく暗雲は安易に着飾った文章同様、自らが躊躇するであろう断崖に続く途でもあろう。
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田母神インテリジェンスより厚く、そしてより深く観る  其の二

2009-05-26 12:48:15 | Weblog


・・・写真はイメージです・・・ 



その別の事件とは国際謀略団による事件とも言われ、ゾルゲ事件との関連性を深めた尾崎、西園寺の動きと、近衛等のロシアの仲介による停戦交渉の意図は、コミンテルンによるアジア新構想と連動させた一方の流れである。

利用するつもりで、逆に利用された構図であり、ロシアによる仲介が米英との戦いに有効であり、かつ日本を覆う自浄力が衰えた忌まわしい軍部からの主導権の奪取という、それらの立場にありがちな純情でありつつもひ弱で狡猾な構図を描いている。

だが、その企ては自らの置かれていた地位や、巷間使われるようになったノーブレスオブリュージュといった高位に存在することの責務が根底にあった。

明治以降、いやそれ以前から男子の気概の表現としてあつた立身出世とは異なる流れに属する学問、もしくは生まれながらの氏姓が涵養し保持していた国家存立の本綱(モトツナ)に必須、かつ秘奥に存在する学問によって国家像を描いたものであり、それは、ごく少数の人間から導き出された意思であり、良くも悪くも明治から蓄積された負の部分の排除による国家の再生を考えていた。

また、鎮まりをもって歴史を俯瞰し、日本及び日本人を内観できる人々の考察であったに違いない




              



                      


明治以降の執政受任者の人間性と、曲がりなりにも士農工商で培ってきた日本人の特性や情緒を捻じ曲げた理解に置くような成功価値や、擬似支配勢力の狭隘な既得権意識は、軍、官僚にも蔓延した止め処もない暗雲となっていった。

もちろん封建といわれた武士社会も、江戸の末尾には武士(モノノフ)の気概が薄れて、姿形だけの怠惰な既得権者に成り下がり、外的変化に対応できなくなったことは、後の維新を呼び起こしていることに見ることができる。

だか、人間の分限を弁えた習慣や、掟に内在していた自己制御と相応する生活守護に慣れ親しんだ庶民にとっては、維新のありよう云々より、穏やかなときの流れを懐古するに、そう刻を要することがなかったことは、国家、国民の創生した明治の集権に馴染めないものがあった、ということでもある。。
それは亡くしてしまったことへの哀れであり、そのために招くであろう国家の衰亡を予感する人間の憂慮でもあった。

国家なり社会に盛衰の姿があるとすれば、まさに幕末と太平洋戦争の敗戦は人間力の衰退と、歴史の残像にある資産の食い潰しのようにも考えることができる。
譬えそのことが産業革命以降に勃興した資源問題、あるいはそれ以前の植民地の支配を既得権として継続させようとする巧妙な戦略的謀略に飲み込まれたとしても、また西欧を知り、富国強兵政策の選択が当時のごく普通の近代国家の在りようだとしても、明治初頭の人的資質の変容は、さまに知識、見識、胆識にある人的資源の枯渇であり、歴史が培った資産の存在を認知しない行動であった。

しかも、混乱の後、結果として訪れた戦後の国家形態は「負」を排除するとともに、「正」もひと括りにして融解してしまった誤算があった。



             





彼らの企ては専軍権力者からすれば反逆者であり、当時の国情からすれば国賊であろう。
それは大謀によって大綱の方向を直す作業であるが、一方、国際謀略との必然的接触による錯誤を誘い、歴史そのものから抹殺しなければならない企てとして忘却されようとしている問題でもある。

この暗雲の停滞を憂うる人たちは、往々にして現実問題の解決を謳い権力を行使する議会人及び調整役に成り下がった宰相とは異なり、また国家の護るべきものの観方が異なる思考の人間である。




               





筆者は縁ある市井の哲人から一幅の書を見せられたことがある。そこには
『春宵、夢を破って空襲を報ず 
殺到敵機 鬼ヨウの如し 
劫火洞然 君、嘆ずる勿れ 
塵餘却って 祲氛(シンプン)の絶するをみる』と撰書されていた。
《カタカナ、ひらかなは条幅が所在不明のため記憶をたどる》

 注目は結行ある塵餘だが国家の塵(チリ)を去るということである。前行の劫火洞然はすべてを焼き尽くすことであるが、それによって国家に巣食う塵をはらって祲氛(忌まわしい気)が絶えてしまう、だから君、嘆くではない。という意味である。

 市井の哲人岡本義雄は述べる
 20年の春、文京区白山町の町会長も務めたこともある安岡正篤氏を早朝訪ね、こう嘆願した。「聖戦ということだが、町では大勢の人が空襲で死んでゆく、先生は偉い人と聞いているがどうにかならないものか。このままでは国が亡くなってしまう」

 当時、安岡氏は大東亜省の顧問であり、政財界でも氏を慕う人多く、それゆえ戦争遂行の任にある軍、官僚に少なからず影響力を持っていた。

岡本の述懐は続く
「止むに止まれぬ訪問だった。だから突然だった。先生は無名な私の言葉を聞き入れ、大東亜省から差し向けられた車を40分近く、来客中!といって待たせた。数日して書生から届けられたのがこの漢詩と巻紙に記された手紙だった。それから師として関係は終生続いている。今でも人助けがあると名刺に「憂国の士、差し向ける」と書いて、どこそこへ行きなさいと導いてくれる。先生が旅行で留守にするときは、前もって電話で直接連絡を戴く。どこへ行って何日に帰ってくると。いつも日本人としての学問と精神の継続を語ってくれた」

 民主を掲げている現在、国家権力が守るべきものは、『国民の生命と財産』といわれているが、現実問題に対処する政策の分かりやすい大義名分としては有効だが、こと靖国問題、憲法問題、あるいは外交問題における首脳同士の応答辞令になると、はなはだ軽薄な話題に終始してしまうことも、この大義の奥に踏み込めない、あるいは存在すら認知できない部分に多くの要因があるようだ。



                




『国民の生命と財産』は何のためにあるのか。
なぜ、生命と財産を守ることが為政者の命題なのか。
豊かな各種財があり、それを以って生きる糧とする理屈は、人間の織り成す文明の栄枯盛衰を鏡としない戦後教育の姿ではあるが、あまりにも軽薄な国家像のように観える。

民主は、守るものも守られるものも表裏であり同一である。
守られることの権利と守る義務も同一である。
ならば生命と財産は何のために要するのか、生命は長命を願い、財産はプロパガンダに翻弄された豊かといわれる生活のための消費の用に置かれるのか。
政治家の言葉足らずもあるが、それで用が足りると考える国民の政治意識は、民主政治の劣性である、゛とりひき゛゛欲望の充足゛を交換条件として定着させている。

国家としての政治形態は客観的には社会主義、共産主義、独裁主義、民主主義があるが、民社主義以外は近代政治形態の実験期間であった二十世紀を経ての衰亡、あるいは機能不全のレッテルを貼られ、それらを選択、もしくは他から定義付けられた国家は武力強圧によって敗退している。良くも悪くも民主主義という統治方法によって駆逐されている。

それは、あの人民解放軍を率いて地主階級から農民に農地を移管するという、主たる耕作利用人に解放という名目で民衆の支持を得ている。それはあくまで土地の私有ではなく、管理者である党権力の統治形態のスローガンであったことは人民公社の政策経過によって見ることができる。あくまでスローガンの選択肢は支配者の都合の範疇にあるようだ。



               





第一次大戦後のヨーロッパの農業国家も同様であった。国家、商業に貸し出すことから、そのユーザーを土地耕作者である農民におき、今でいう消費者金融のごとく金利事業に邁進した金貸しの一団はドイツ国家を席巻する勢いであった。

まさにヒットラーの登場する土壌はあった。総統になった彼は僅か3週間で借金を棒引きにしている。高金利にあえぐ国民は喝采を挙げ独裁政権を支持している。
それはある意味でヨーロッパを席巻していた国際金融資本との戦いでもあった。

すべて、そもそも国が存立する意義は何なのか、為政者の役割とはどんなものなのだろうか。そのスローガンにある生命財産を守るのが宰相をリーダーとする政治権力者なら、殺伐とした無機質な権力に対し、国民が組成した多面的有機的な人間の情緒との調和の触媒として存在するものが必要になってくる。

それは無形への祷りではないだろうか。精神も心もそうだろう。
為政者の政策を有効ならしめるものは、信なくば立たず、信に対する依頼であろう。

そこには根源的というべきリーダー論や統治者としての政策論が発生する。一方は紙に書いた規範とは異なる口伝、習慣伝、陋規(一定の範囲の掟)があり、それらが複合して国家として成らしめている。

内外問わず栄枯盛衰に表れた戦争の後、そして鎮まりをもった時、その根源的リーダー論の蘇りや歴史に循環回帰に導かれた、そもそも国家としての在りようを覚えた意思が再復することがある。

憂国、再興の選択肢は、一方の退去を謀によって促し、復古に描かれている深層の国力である万古の知恵の登場を促し、謀を企てたのであろう。それは日本という国家を、国家としてなさしめる存在の崩壊を危惧したものである。





            





足利将軍から養子に迎えられた初代幽斎から12代目の当主、元細川元首相を息子に持つ細川護貞氏は岳父に近衛文麿、仲人に終戦時の内大臣木戸幸一という縁もあったが、戦時下の観察として日本を軍と官僚の行き着くところと、苦渋を込めて述べている。細川や冒頭に挙げた人たちが企てのため連携を持ったものではないが、もの言わず分かり合える人たちであったこと、また底流として意思が存在したことは明らかである。

あるいは深窓のエリートのごとく、泥水を啜り、極寒、極暑にも淡々と感謝さえ添えて勤労に励む深層の哲人とは異なり、体裁と形式に同衾した共通価値ともおもえるが、それも不可欠な立場だからこそ導かれた考察の危機意識として、歴史や現世の人心をも危惧した俯瞰性のある率直な行動でもあった。
また、それらの人たちはスメラギの道に近い位置に存在し、執政権力や現世名利を支える組織やシステム、もしくは外地の優越的と思われる既成事実を超越した感性をもっていた。

それは肉体的衝撃の届かない位置での企てであったがために、大が小を倒すには他力による謀略しかないと認めた末のことではあった。
また、大謀であるからこそ、見えないものであり、まさに大謀は図らずでもあった。

しかし、彼らもそれを上回る大謀に利用され翻弄された。それは近衛の死によって覆い隠された。いや、床の間の石のように操った側近の大謀隠蔽であっても近衛は石の役割として受容しただろう。

近衛の意図を具現しようと奔走したのは尾崎秀実である。近衛の父によってつくられた上海の東亜同文書院の関係者や、松本、樺山との連携は、尾崎をして理想国家建設の夢を米英ではなく、大同思想に似た共産思想の本家ソビエトへの期待とともに通牒は至極容易なことでもあった。

尾崎は本願を懐にして満鉄調査部に席をおき、蒋介石国民党軍事委員会国際問題研究所との接触、北進を南進に転換させ英米と衝突させて早期和平に結ぶ意図と、逆にゾルゲの意図にあった日本軍ソ満国境から南転、ソ連精鋭部隊は陥落直前であったモスクワ戦線に転進、謀略によって描いた歴史の事実はそのとおりになった。

しかし、これとて20世紀における大謀の一端としては至極当然の帰結として描けるものだということは、戦後の版図の書き換えと思想勢力の勃興と衰退を考えると理解できることでもある。

国際問題研究所の資金は王立国際問題研究所 英国諜報機関M16のパイル中佐を通じて拠出されている。もちろん北進から南進に転ずることも、あるいは真珠湾攻撃の3週間前から配置、司令官名まで筒抜けだった。
尾崎のあまりに純粋な精神は、意図する結果ではあるが、総て利用される結果となった。尾崎の真の意図は安岡の漢詩にある国内の「塵」の排除にあった。近衛もそうだったろう。

ゾルゲ事件は御前会議の結果を速報するにある。トップ情報の取得である。
しかし、中国での企ての仕込みは謀略である。南進させ米英との開戦に導くために、御前会議の事前情報の意図的、あるいは現地の既成事実のなぞりが政策となっていた軍、官、政、指導部の理屈付けを作成したのである。
盧溝橋、通州、西安、総て国際コミンテルンの指示による共産党の国内権力闘争のための蒋介石打倒の国内闘争に利用されたのである。




             




国民党の諜報機関として藍衣社を押しのけ、蒋介石の最も信頼の厚かった軍事委員会国際問題研究所は、形は装っても、敵方共産党諜報員に操られていた。その情報を尾崎は信頼し鵜呑みにしていた。

そのリーダー王梵生(第一処 主任中将)は戦後中華民国参事官として駐日大使館に勤務し、政財界の重鎮とも交流を重ね安岡とも親密な交流があった。その後、不明な交通事故で亡くなっている。王は米軍将校と常徳戦跡視察の折、真珠湾の予想を述べたが、将校は笑って信用しなかったという。然し、その通りになり米国で一躍有名になった。
もちろんM16のパイル中佐からチャーチル、そして巧妙な時間差を経てルーズベルトには伝わっている。

満州事変以後は総て謀略構図の掌中にある。しかも日中ではない。国際的謀略である。スターリンもそこに陥っていたといってよい歴史の結果でもある。





                  





尾崎、近衛は中立条約を締結していたソ連に望みを託した。近衛はその相談相手として安岡と新潟県の岩室温泉綿綿亭に投宿して懇談している。(陪席は新潟県令)
国家の行く末を案じたものであっただろう。だか、この実直すぎる行動もソ連に対する思い込みと先手を打った米英の大きな謀略構図により、戦後は悪魔と理想を表裏に携え、いとも簡単に戦後の国家改造を成し遂げた。

そして自虐的な国家憎悪と史実の改ざんを浸透させ、彼らが危惧し描いた国家を一足飛びに異なる方向に着地させた。これを民主、自由という薬剤を使った治癒の好転反応のように見るむきもあろうが、唯々諾々、阿諛迎合という悲哀を含んだ従前の指導勢力の残滓でもあろう。つまりここでも断ち切れない錯覚した人物像の残影がみてとれる。

マッカーサーが伝統を・・ 日教組が教育を・・ 共産勢力が・・・とその因を求めるが、毅然として拒否できなかった日本人がいたことも忘れてはならない。

時を経て浮上した結果を論ずる前に、受け入れない見識と歴史に対する責任を先見する「相」の存在が枯渇していたこともあるが、疲弊から富への欲求が総てを既成事実として看過した敗戦国の人間の姿でもあろう。

尾崎は自らを回顧し、近衛は語らずに逝った。安岡は復興のための人材育成と、真のエリート育成のために終生心血を注いだ。
王の唱えるアジアの復興に呼応した北京宮元公館の主、宮元利直は国民革命の成就のため北伐資金を大倉財閥から拠出させ、表面的には蒋介石についていた王を助けている。また戦後、王の用意した特別機で重慶の蒋介石に面会した初めの日本人でもある。

渋谷の東急アパートの宮元の自宅には安岡からの手紙が多く残されていた。戦犯免除も宮元の労があったとみるが、王との交流をみると純粋で実直な人物にありがちな寛容、かつ無防備な義に安岡の一面を見ることができる。

登場人物、関わりのあった人々は愛国者であった。それが結果として稚拙な謀だとしても恥ずべきことはない。被害者はアジアの民であった。総てその渦のなかにある。

ただ考えられることは、戦後安岡が心血を注いだ国維に基づく真のエリートの育成は、結果として辿り着いた安岡の運動だった。俗世の浮情を憂い、地位、名誉、財力を忌諱して郷学作興に賭けた熱情は歴史の栄枯盛衰を教訓とした実学でもある。

しかも、無名でなければ有力に成りえず、と導く考えは、地球史、世界史を俯瞰する多面的、根源的歴史観であり、かつ、そのことを理解するには人間の尊厳と営みに対して自らを下座に置く沈潜の勇気が何よりも重要な学問だと促している。
空襲下、あの市井に潜む無名な岡本に応対する安岡の真摯な姿勢を歓迎したい。

あの企ては間違っていなかった。謀と言うには余りにも実直な行為だった。まさに、「邦おもえば国賊」の境地であった。そして彼らは鳴らした警鐘は未だ途切れることなく聴こえてくるようだ。

未完

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田母神インテリジェンスより厚く、そしてより深く観る  其の一

2009-05-26 11:30:55 | Weblog
邦おもえば、国賊

備忘録 「あくまで推測だが・・・」

近衛文麿、牧野伸顕、樺山□□、細川護貞、西園寺公一、安岡正篤、吉田茂、尾崎秀実、昭和史を彩る事柄に著名人として名を残している人物や、それを取り巻くそれぞれの立場にあった人間が、はからずも、いや偶然にも意を一つにして振り払おうとしたもののなかに、国家を覆った暗雲があった。




                




それは武士の生死をともなう緊張感が太平の繁栄とともに訪れる人心の怠惰や、形骸化された武士の道としての規範、あるいは小人の既得権としてしか意味の為さなくなった組織ように、明治以降の王政復古とともに再生した公家文化と陋習が、創生された国家、国民という合理的統治との齟齬をきたしていたからでもある。そのことは戦後書き記された内外の調査あるいは謀略機関のプロパンダや歴史の定説化を試みた知識人や言論人のそれには皆無もしくは、存在すら認知しない難物だったことだ。まさに沈潜した憂慮であり国家の大きな患いでもあった。

公家、教育者、外交官、ジャーナリスト、あるいは色分けしなければ済まないものからすれば、陸軍、海軍、皇道派、統制派の人間模様も含め、しかも出自、経歴までも現世論証の具になっているが、それは論評するものの理解の淵に届くことのない、彼らが憂慮する国家融解の危機でもあった。
それは、彼らにとってどのような感覚を以って、国家が国家として成さしめる要件の融解として危惧されたものであろうか、あくまで推測という文字によって備忘してみたい。

そもそも国家の統合と継承は、綱維という歴史を貫く大綱に絡む事象でもある。
たかだか人間の所作ではあるが、なんらかの連結の鎖を精神の安堵とするならば、それさえも循環する歴史の中では解き放たれてしまうような不可解な時期の訪れでもあった。そう考えるのも、つまり歴史の事象を観察するときの座標の異なりが見て取れるからである。

世俗の学制に基づく観察眼しかない庶世の国民とは異なり、独特の臭覚と切り口による考察から導き出された意識が彼らにはあったからだ。それは、あの西郷に「こんな国にするつもりはなかった・・」と言わしめたような拙速創製の国家と、表裏に矛盾を発生させた日本人の変質を危惧した鬱積に近いものがあった。

それは、遠くは聖徳太子が憲法と冠位を制定したころの、蘇我、物部ら世襲豪族による権力の専横によって、今では伝統という言葉に括られているような、遡ればカミゴトに由来する太綱というべき歴史の継続が侵害される危機感に似ている。
これは、あまりにも大きな権力を持つ人間の行き着く先にある亡国を、異なった座標で押しとどめ、あるいは敗戦後の国家の在りようを鎮考したものであった。
また、明治維新以降の教育制度のボタンの掛け違いというべき、指導階級エリートの速成によって積み残したカリキュラムにあった人間学の再復を求めたものでもあった。
明治天皇は帝国大学の教科内容によって訪れるだろう将来の結果を、まるで予言するかのように痛烈に諭している。天皇だからこそ先見可能な直感でもあった。(聖諭記)

しかし既得権力と化した組織勢力は、富国強兵というスローガンをもってかき消すように邁進し、しかも、天皇の直感は活かされることはなく、平成の現代まで続いている。

その暗雲は、目的のために作られた組織が、目的創出の根底にあった公意から離れ、まるで竜眼の袖に隠れるようにして増殖したためにおきた忌まわしい風のようなものであった。
軍は竜眼の袖に隠れ・・・云々といわれたような、軍を取り巻く権益構造と止め処もない国家伸張意識、あるいは誇張された大義に抗することのできない官僚の意識構造と既得権益にしがみつき肉体的衝撃を回避するための錯覚した知識人や高位にあるものたちの学問思考にもその因があった。
もちろん政策決定機関である議会機能の崩壊及び議員の現状追認、傍観的看過もその類であろう。 つまり、異民族孫文にも言わしめた真の日本人の喪失であった。









その深層の企ては歴史の真実としては無かったことのように、数人かの登場人物による別の事件にスポットを当てることによって、その秘めた意思は覆い隠された、いや余りにも多い犠牲とエネルギーの浪費によって巻き起こされた戦争遂行への大義名分は、より「別の事件」の秘匿性を深めざるを得なかったといって過言ではない。







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