まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

安岡正篤 「力士憲章」と横綱白鵬関  再

2021-09-29 02:35:45 | Weblog

「界」と称するものにはそれぞれ固陋な掟はある。

政界、経済界、教育界 官界 宗教界、あるいは文壇もそうだが、内部の独特な運営や人事の仕組み、金銭の使い方や処理方法についても法律ではくくれない事情もある。

表に出れば問題になることだが、すべてを法で括れば大方は法に触れる。犯罪ではないにしても触法に近い。

かつ、それを取り締まる警察や裁きをつかさどる裁判所にも掟や慣習もある。これも表に出れば煩雑な法に触れる。

まして、技芸やスポーツの世界には肉体的衝撃を魅せて商い興行になるプロとなれば当然のこと、外部には秘する、゛しきたり゛が有るのは当然にことだ。

それは、゛ほど゛がないと成り立たない世界だからだ。宗教界の修行秘儀や格闘技などは肉体緒撃どころか死に至ることもあるからだ。

攻めたり、追い込んだりする側と、受ける、守る側には阿吽の了解ごとがなければ、殺し合いか教義と心中になりかねない。

 

          

       

   四角四面のわからず屋は野暮天よ

本文

漢学者安岡正篤と双葉山の交流は有名だが、横綱白鵬が優勝インタビューで「土俵の神様(精霊)・・・」とか、攻めて自在になることから、一歩すすんで「受けて攻める」境地を理想の相撲と述べるが、あの宮本武蔵を著した吉川英治が現在モデルとして安岡氏をイメージした逸話もある。安岡氏の青年期の鍛錬は剣道だが、「目で見るな、観の目でみる」と武蔵に言わせている吉川も、あるいは角聖と謳われた二葉山も相手を全体視して待つ境地が安岡氏の言辞によくある内容である。

だだ、数値の星勘定や、観たくて集まる観衆の流行り機嫌、あるいは商い興行の胴元の算段も解らぬものではないが、憲章にあるとおり土俵上は死活の現場だ。観衆の声も聞こえないくらいの緊張感と俵のワラ一筋の外と内に命を懸けている。
一生懸命と簡単にいうが、一生のために命を懸けている力士の緊張感は、懐刀を抱く行司の軍配と同様、四面に座る親方審判員とは緊張感が自ずと異なる。






モンゴル人に日本刀が似合うわけは後段に記す



真剣興奮のあまり「子供でも分る」と呟いた。
大人相手に耳に入れば煩いがある呟きはあるが、名横綱大鵬を超えたキャリアがある白鵬の言の葉に、あえて首を垂れ詫びを入れさすことも大人げない。
相撲は国会議員がつくる成文法の枠外にある陋規、つまり掟や習慣にあるものだ。
もし新記録の掛かった勝負を横綱らしく明確な勝負にしたいと考え、それが白鵬の横綱相撲の矜持と深い思いもなかには察するところもあろうが、彼も日本刀を下げたモンゴル騎兵の縁なれば、武士に対する応えも変わるだろう。

 

相撲はスポーツなのか、武道なのか、祭事の演舞なのか、固陋な相撲興行の選手なのか、個々の切り口は数多あるが、全てに当てはまり含んでいる。身分は野球同様に相撲部屋所属すれば門人、門下として移籍はできない。球団も携帯ではないが年期縛りがあり、多くは金銭対価で取引される。養成費用、つまり人的投資と獲得権利だが、芸能プロダクションに似ている。

よく、棄て試合とか、打率が拮抗すれば分母である打席数を減らすために、わざと休ませたりもする。観客は棄て試合と知らず交通費を使って球場に足を運ぶが、二流投手と強打者が出場しなくても、知らなければそれで満足するが、判れば八百長試合だ。

相撲も八百長問題があったが、狭い範囲の習慣や力士仲間の共助の掟なのか、当時は強い上位力士から、下位に働きかける事があったらしい。取ってみなければ判らないことだが、一種の保険と同業の現場共助とも思える仕組みのようなもので、野球同様第三者の賭博行為と連動すれば掟や慣習のの世界から成文法の違法行為となる。むかしの黒い霧事件も野球機構から追放になったが汚職や背任罪で逮捕されてはいない。つまり、野球機構という興行野球界や相撲協会も告発はしないからだ。つまり警察や裁判官、あるいは弁護士に世界らは馴染まないその世界にしか通用しない狭い範囲の陋規(掟・習慣性)だからだ。

スポーツはルール、相撲は礼儀、それぞれの世界を成立せしめている形式がある。また、家庭や社会でも成文法に縛られていては成り立たないし継続性もない。そこには不文律である、マナー、道徳心、組織への帰属意識、あるいは郷土愛、愛国心を共通概念として、どうにか社会の混沌化を抑えている。ここで白鵬関の三三七拍子と万歳が問題になったが、日本に帰化して国家を歌う横綱が観客と連帯して国を寿ぐ行為に第三者の了見の狭さを観るのだ

不祥事、震災、などで白鵬の多くの言葉に日本人は癒された。またその深慮から出でる言葉は意味深くも感服する。老成した日本人にも優る姿だが孔子の言にあるように、未だに「三十にして立つ」齢だ。まだ四十の不惑や六十の耳順にも届かない齢だ。










双葉山は連勝が途絶えたとき訪欧中の安岡に打電している。
「ワレ、モッケイ,ニ,イタラズ」(吾,木鶏に至らず)
隣国の故事にある、騒がしく鳴かず、ばたばた動かず、そんな木で彫った鶏のような、鎮まりを以て堂々とした人間にはなれなかった、という意の打電だ。
安岡は「双葉山は負けた」と察した。

横綱の位とはそのようなものだ。その学びは他に教えられるものでなく、身に浸透する自得学であり、他人の解らない境地なのだ。だから始めは戸惑い、悩むのだが、解決は真剣な鍛錬しかない。

双葉山はその背景を学びとして安岡に求めている。
角界は白鵬の深慮と相撲に対する溢れる熱情を、民族普遍なものとして理解しているのだろう。しかし、相手力士に偏った声援を送り、白鵬が負ければ座布団が舞う観客がいても、それを超えて心を平静に保つことは、今の同年代の日本人にも解らない境地なのだろう。

安岡はそれを双葉山に求めた。横綱は変人と噂されようとそれに邁進した。その範となったのが相撲道憲章だ。

白鵬も木鶏になるだろう。「受けて攻める」これが十五日間納得出来たら辞めてもいいという。
まさに日本刀を差したモンゴル騎兵の士道を醸し出す雰囲気がある

他と異なることを恐れない」それが道を歩む者の誇りでもあろう。




モンゴル(元)からヨーロッパ騎兵へ、明治の秋山好古は騎兵を西洋式に転換、満州士官学校で学んだモンゴル青年は再びモンゴル騎兵となる。



モンゴル騎兵の帯刀は日本刀 彼らは日本刀に魂が宿るという。白鵬関にも似合う




安岡氏が撰した憲章だが、冒頭は「日本相撲道 力士憲章」である。


一 相撲は日本の国技と称され、国史に伴い、時運を反映してきたものである

(相撲は我が国の国技といわれ、連綿と継承され、時の流れに反映して存続している)


二 相撲は日本国民の趣味と情熱、勇気と練磨を象徴する力と技の精華である

(相撲は日本人の情緒とその発露として勇気と訓練努力を力と技で表したものである)


三 相撲は勝負を競うて勝負の上に出て、力と技より進んで道に入る


(相撲は力や技で勝ち負けを競うものだけではなく、人品、人格を高める道筋でもある)


四 力士は古来恩義に厚く、礼節を尚ぶ。とくに師恩友益を尊重する


(力士は古より情け深い心と義に悟る心を熱くして、礼儀や節度を大切にして、とくに恩師への感謝と力士相互の交情を大切にする)


五 力士は居常健康に留意し、行持を慎み、鍛錬陶冶を怠らず、各自天分の大成を期する


(力士は普段の生活において健康維持に心がけ、行いを慎み、弛まぬ修練を怠らず、自己の特徴を伸ばし、与えられた役割において心身の大成を心掛ける)
(    )は筆者の簡訳

昭和四十二年未丁二月十一日   双葉山道場

附記
上記は日本相撲協会の元締時津風(横綱双葉山)定次氏の懇請により起草し、安岡正篤氏と相談して定めたもの。

昭和十六年の冬、双葉山道場のために撰された力士規七則が同道場で戦禍のため焼失したので新撰した。

安岡正篤 憂楽秘帖 より

イメージは関連サイトより転載

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嗚呼 素晴らしき民衆主義の選挙 11 5/1 あの頃も

2021-09-27 15:21:03 | Weblog

 
     良し悪しは別として 文句があっても世の中は激変した

 

総理を選ぶ人たち


 選挙が近くなると選挙区事情に一喜一憂するのが議員大多数の常だが、選挙民の資質や地域既成勢力の影響如何で様々なタイプの議員が選出される。

関東の某県だが、子供が勉強机を欲しがれば、「そろそろ選挙だ。それまで待ってろ」と親は子供に話す。選挙事務所の昼飯時を計って、おにぎりをもらいに行けば、ラップに包んだ千円札がにぎられたオニギリが配られる。もちろん個別訪問で子供に小遣いを握らせる。選出された代議士は、これも計ったように政治資金疑惑で週刊誌を騒がす。

職場(議会)恋愛も盛んで、男女雇用均等もあるが、一時の農協の旅の恥はかき捨てのように議員宿舎の自由恋愛も多くなった。

大物は海外援助ODA、資源や航空機選定ののキックバックを海外口座で蓄える。グラマン事件ではベルギ―ブリュセルに日本料理屋だった。


衆偶政治と揶揄されるような選挙であっても、いったん選出された議員は所属制度の範疇において多くの影響を及ぼす事ができる。 国家でいえば戦争の遂行,終結にも関わることも可能であり,国力次第では他国の生存さえ脅かす政策遂行も可能になる。

選挙民の資質といえば一昔前は、おにぎりの中に5000円、一家まとめて箪笥(たんす)一さお、運動員には当選したらPTAの会長や委嘱御用委員など,せっせと無党派,無関心層の増殖に貢献したものである。 津軽選挙という有名な方式?があるが、分配の手立てが公共事業に任せている地方では、落選派は当選者の任期中は仕事の「おこぼれ」がないために、双方の就職や仕事に口利き斡旋が幅を利かせる運動が展開される。

この手の話は地方ばかりが取り上げられるが、大都市でも中小企業の公的資金斡旋や施設入所の便宜見返りなど,最近では保証融資の斡旋で刑務所の塀の上をフラフラ歩いている議員を多数見かけている。

利に関わるものだけではない。 名利の「名」にしても、選挙の論功褒賞で運動員がオネダリすものもあれば、大きいのになると各国の駅弁大学や交流都市から名誉博士や市民といった称号を外務省の協力で取り付けるのもあるが、ひどいのになると腐敗した司法,行政と結託して法さえも饗に添えるものがいる。
国家の質は議員,選挙民の質とはあるが、馴れてくると公憤するのも億劫になるものだ。

 しかし、こと戦争になると自国,他国を問わず少なからず緊張が蘇えるようだ。
心が緊縮と高揚に制御が難しくなり、経済(商い)も戦争で一儲けを企むものがいれば、財産と共に隠忍退守するものも出てくる。
政治家も「国民の生命,財産を守る」ことを大一義の繰言にしているが、本当の危機が身近に迫った時、その生命と財産は如何ほどの価値を持っているか知るところではないだろう。




               
                    

              極東軍事裁判所パル判事の椅子

       


満州国崩壊の土壇場に居留開拓民を棄て電話線まで切断して遁走した高級軍人、勅任官の醜態は確かに自らの「生命,財産」の守りであった。
しかし,日本人の心は守れなかった。 明治維新、日露戦争にあった精神発露とアジアが光明として映った日本人の姿は護れなかった。
護るべきは歴史の残像を礎とした『魂』であり、生命財産といった現物だけではない。

終戦の詔勅の一章に「時運の赴くところ」とあるが,確かに彼等の行動は時の流れるままに対処した,現在の既成事実の追認という役人,社畜体質にそのまま受け継がれている。


余談だが、その「時運は…」あまりにも国家の意志が希薄であり、曲がりなりにも共同体として国家を信じ、戦禍に没した国民の将来に活かす残像ではない、と「義命」と撰文したところ、重臣たちは『難しくて理解できない』と、時の流れで戦争になったという意味の「時運の赴くところ…」としている。

今まさに『時運の赴くところ・・』である。
この理解は学歴にはない,正に教養の範疇だろう。
情報を追いかける,探索する事は往々にして時の流れの中にあり学歴技術のマニュアルでも補えるが、時の存在を知り思考の座標を確定するには独特の教養が必要になってくる。

さてこの教養だが、考えているだけでは意味が無いものだが、前段の政治家にあてはめてみたい。
聖戦の美名に隠れて,曰く国民主義,道義外交,共存共栄,世界の平和,雲を掴むような文字を並べ立てて国家百年の大計を誤るような事があれば,政治家は死してもその罪は滅しない。この事変の目的はどこにあるかわからない。
国民は悲憤の泪を流しつつ従順に,黙して政府の統制に服従し、事変を解決してくれることを期待している。国を率いる政治家はここに注目するべきである」

これは,昭和15年2月20日 支那事変処理に関する粛軍演説として有名な斎藤隆夫議員の演説である。




           

           



今で言うスローガン反戦ではない。なぜならその演説でこうも述べている。
「つまり力の伴わざるところの正義は弾無き大砲と同じことである。争いの正義論は狼の前に何の値打ち無い…・
国家競争は道理の戦争ではない,正邪曲直の戦争でもない、徹頭徹尾の競争である。世にそうでないと言うものが有るとするなら,それは偽善である。われわれは偽善を排する。もって国家競争の真髄を掴まなければならない…・

欧米のキリスト教国は内にあっては十字架のまえに頭を下げていますが、1度,国際問題に直面しますとキリストの博愛精神は蹴散らされてしまって,弱肉強食の修羅道に猛進する。これが歴史であり,奪う事ができない現実であるのです。この現実を無視して唯徒に聖戦の美名に隠れて…」と続く。
そして国際法がある以上それを遵守する為には,国内の兵力を充実させなければならない、と述べている。

ここで重要な事は、戦争の理由付けのために大義美名を取り繕い国民に向かって『偽善』を働くことの是非である。
もちろん人殺しの大罪は避けなければならない。ことさら平和ボケの物見ごとでもなければ反戦題目ではないが、周知理解を得るための偽善は国家の為すべき行為ではない、と唱えている。
 
 斎藤議員の演説に当時の翼賛と化した議会は除名処分としている。しかし選挙区へは多くの激励が届けられた。そして再び立った。もちろん斉藤を最高点で送り出している。





               
      
         




東北の西郷と謳われた津軽弘前の菊池九郎も除名こそなくても選挙民は同様だった。
津軽の県会議員だった佐藤要一は病床に臥せっていても選挙民が押しかけて寝たまま当選。

米 味噌、醤油などの兵糧は買ったことがなかった。元気になって議会に出れば貪り議員などには直ぐに鉄拳が飛んだ。それでも選挙民は喝采を挙げた。その息子が佐藤慎一郎氏である。陽気と剛毅が同居している性格は良く似ている。

総じて彼らには覚悟があった。押し通す気力と勇気があった。

斉藤はネズミの殿様と揶揄それるくらいの様相だったが、長時間の演説は数週間前から草稿を練り、添削、音読の後、暗記して登壇した。そのポーズもきまっていた。これこそ政治主導のはしりだった。

今は唱えは巧いが役人のスジ書きどおりの原稿を読まされている。反対弁論も役人の筆によるものでは三文役者の公演のようでもある。しかもアゴ(食い扶持)、足(旅費、経費)付の殿様のようなものだ。

聴くところによると、問題議員の選挙区土地柄はその議員そのものだという。悪党なら悪が蔓延り、愚かなら愚か者が多い、という。座っているだけなら社会への問題意識が乏しい土地柄だという。小才が利く小悪党は落ち着きのなく騒がしい土地柄だという。たとえば東京や大阪だ。

さしずめ、代議士を見るとそのようなことだと合点がつく。

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Mr ジョブスが問う 数値選別と見えない独裁   2012 あの頃

2021-09-25 15:06:46 | Weblog


数値による愚かな受験選別が限界に達しているのは理解のとおりたが、まだ多くの盲目の民が流動している我が国において、未だ真のエリートの輩出については暗中模索の状態にある。またこれくらいは理解の淵に届いている。

昨今、少しは元気が良くなった国が、遠い昔をたどり、゛そういえば、あの頃は・・゛と、想いだしたように言いがかりをつけてくることがある。

その当時は単民族、多民族に関わらず構成されてる「国」という枠組みが明確だった。そのなかには、族長が闘ったり、譲り合ったりする部族共同体もあれば、宗教指導者による国家、軍政国家、西洋では王政や立憲君主、そして専制独裁があった。

それが通信手段の進化と富の証明となるモノとカネの共通価値の普遍化、それによる仕組みの平準化が進み、コスト意識やその有効性を担保する法と罰が共通化され、民主主義、独裁を問わず民族内での裁可が普遍性を持たなくなり、モノとカネの支配権はより多くの力を持つ勢力の独占となった。

それらは、資源(発生)、付加値(生産加工)、流通(為替)、環流(株、金利)などの基盤を市場という囲いに誘い、つなぎとめ、狭いルールによって運営費、手数料を市場参加許可料のごとく集金した。つまり商品利潤のほかに市場参加手数料を作り出している彼らは、それまで宗教的にも、道徳的にも慣行とされていなかったお金の「使用料利子」という「虚」を複利の「実」に換えることを考えだした人たちでもある。

だが近ごろは彼らを賢者というようになった。しかたがないと付き随っていた人たちまで、積極的に賢者に近づこうとする。若者は盲目的にもなっている。それがルールで、トレンドだと。一時はパラダイムシフトの転換だともいっていた。そして金融が工学になり、ゲーム感覚が通信と融合して多くの資本を集中させ、数多の若者が資産家となった。
子供のころは大人社会へ醇な問題意識をもち、そのために仲間集めの集団化も考えた。多くの若者の流れは戦争、人権、平和となって、その要因となる人間の欲望と富の偏在に批判を集中した。











しかし、受験を始めとする人間の数値選別は、当時絶対価値のようにも映っていた若者の問題意識をどことなく無感情、かつ無慈悲な場面に追いやってしまった。それはあらかじめ組み込まれた周波数によってオン、オフをコントロールされる有能だか無機質なマシンのようになった。また、それが必要な人材として歓迎された。

車、家、書画骨董ななどには興味もなく、疑似動物や漫画少女のフィギィァ人形が数億円で取引され、欧米の金もち事情は変化した。今までの情緒感覚や武力を背景とした権力者の矜持というべきノ―ブレスオブリュージュなどを問うものもなく、財を背景にした権力は数値評価、選別を絶対価値とした。

また、収穫した資力は偏在し、とてつもなくアバウトな使い方となり、それは米国の創成期にある鉄道、金融、鉱山、新聞、の各資本家の宗教的に潜在する贖罪意識にもとづく現示的消費に似ている。つまり見せる消費だ。

ただ、米国の資本家先駆者は教育機関へ施設提供、美術館、文化交流財団、医療など、ある意味では基礎的な社会投資に提供し、富あるものの当然な役割として競うように拠出した。一方の現代の成功者?は、見た目には自由に活動できるシステムではあるが、富を保持した途端、その偏在を是正する意欲は失せ、ハリウッドや大リーグを用いて喧伝する高給支給、成功は金の量、つまりカネ次第の成功として金そのものを偶像視するようになった。また平行して人情は薄弱になった。

いつ頃からか、それが球団買収、サッカーチームの買収、牧場を買い家畜を放ちワイン畑を作るようになった。成り金から小成り金になったようだ。そして人の倣いか、多くの若者はそれらの様になりたくて、MBAを形式取得したり、ゲームやクイズのような官制の数値基準である試験選別に埋没し、競争社会の勝者となるべく作られたサクセスストーリーの正当性を唯一の価値として一切を集中させてきた。なかにはアップルのジョブス氏のような説明抜きの結果事実をガブ飲みし、香港の忖度政治のごとく手前勝手なヒーローに価値を見出す人も増えた。

何の事はない、異なることを恐れない勇気、鎮まりの中での独想、しごく当然の無邪気な興味、人の驚嘆を的中させる未来への推察力、これらは我が国においては文部省の官制学校歴マニュアルの限界をみる人たちの問題意識であった。




上海




また、自己探究、独悦という禅僧の無我を無価値、無理解とした西洋分類学への挑戦であり、自然・・と、自然・・に、一体となったときに発する「境地の智恵」の実践であり、かつ初動は財利に無欲だからこそ可能なアップル社のジョブス現象といわれる人間探求もあった。不思議でないものを不思議と思う大多数の見方であり、どこか羨望が入り混じる無意味な観察を、氏に嘲笑われたことを多くのファンは知らなかった

変わっている、すごい、神のようだ、愚かな物知りの合唱こそ、ジョブスの忌避した人間たちの世界だった。総じて愚かものは会社の時価評価、ジョブス氏の資産評価を話題にするが、ジーンズにTシャツに込めた意味は解らない。それまた、すごい、面白い、となるとビジネスとは何なのだ。アイディアの独想、独裁的決済はディぺ―トからは生まれない。本来は我が侭な独裁の方が良いものができるし、スピーディーだ。所詮組織論や合議テクニック、ディぺ―トは「意見の投資」を募り、集中させる、つまり人を利用するに誘導テクニックのようにしか見えない。知っているか、知っていない、ではなく、覚えているか,否かの暗記術の延長のようなものだ。

ジョブス氏は、まず人を知っていた。アカデミックなカリキュラムにはない人間学だ。もしかれがビジネスから離れ、学び舎をつくり独特なカリキュラムで教育を行ったらMBAどころではない、生命の学びとなる普遍な教育ができたのではないかと考える。

つまり、活かし方の土俵を広げ、童心の無垢な良心を甦えさせるような有効な人生を互いに協働できる社会の一員としての爽やかさだ。機械は無かった利便の充足ではなく、「知りたかったのはこのことだった」と気がつく、つまりあの子供心の頓智の蘇りを皆で楽しんだようにみえる。アプリの詰め込みはグリコのおまけのようなものだ。

比類も妙だが、あの児玉源太郎や秋山真之、南方熊楠もそうだった。衆を恃まず独りを悦んだ。わがままで、異なることを恐れない勇気もあった。なによりも頓智があった。そして官制の学歴に汚されず忌避し、目的を完遂する智略は、弛緩した常識にとらわれない「大道」を歩んでいた。当時の日本人も彼らを変わり者と嘲笑していた、が、頼りにした。そして日本は救われた。

現代のビジネスマン、若者の指向を支えるのは、数値というものから比較、推測を唯一のデータ―として経済を語り、それが唯一の能力と考える人たちの姿だ。もちろん選別は有効性の証として数値が用いられるが、それが社会の実態とどのように関係しているかは、別の切り口や論を待たなくてはならない。











共通価値として求めやすいのも数値だか、判断の基準は他のものに委ねられている。それは、世界の相互共有と考えている国家が、たんなる部分単位の状況提出としてあてはめられた基準の範囲内で数値を提供比較しているようなものだ。必然的に発生するシステムとは違い、受験会社がおこなう共通模試同様の市場参加条件義務として与えられた基準は、これまた消化不良を起こすようなコンプライアンスとともに、それを以て自国経済の位置を知り、努力目標とすることが国の励みとなった可笑しな現象だ。。

自身のないもの(知らぬもの)ほど順位を気にするものだ。そして乗せられ、基準を突然変えられたり、為替をいじられたりして無駄な競争を仕向けられる。
生活に必須だった商店はGMSに駆逐され、GMSと付帯施設がなくなれば、間に合わせの店しかなくなることと同じ仕組みだ。愚かな学者に煽られた政治家がセフティーネットと騒ぐが、失政対策、貧乏人対策を事前に付帯策定する政策は亡国の愚策ということも気がつかないらしい。これではアップルやYahooは生まれない。相乗り営業のようなものだ。

数値では測れない人間、そんな人物の登場が求められているようた。

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学習なき国家「時運の赴くところ・・・、泥縄採決」 2015 7/30 再掲載

2021-09-24 09:23:40 | Weblog

孝明天皇


総裁選で騒がしいが、どうみても「時運の赴くまま・・」つまり風の吹き回し(吹きかげん)で選ばれるようだ。

日本国なるものも、近ごろでは他国の影響に右往左往して、なんとも腰が落ち着かない。

官吏は就職(任官)した途端、生涯賃金の安定担保を企図しているものも多くなっている。

一昔前までは天変地異(風水災害・疫病など)が起きても御上に手を出してお金をくださいとは言わなかった。

隣国の台湾や中国では現金は配らない。政府が頼りにならない訳ではなく、それが国家との間の取り方なのだ。

パーバック女史の名作「大地」は民族観として著している。つまり、カオス、疲弊、困窮を受容する生き方だ。

風の吹き回しで猫の眼のように変わる政治では文化も生まれなければ、人も育たない。

国土強靭化政策も、人が育ち、精神を強靭化させなければ善き習慣も養うことはできない。

いくら軍装備を整えても、国民に覚悟がなければ戦いはできない。

碩学はデモクラシー変じてデモクレージーと世情を観た。

それでは宰相は生まれず、「滓相」生ずと。

 

※「滓」・・・よごれ。けがれ。にごり。黒ずむ

 

 

以下関連として旧稿ですが。

 

   
陛下に軍服を着せた明治の有司(官僚)専制 
明治天皇




昭和天皇



「時運の赴くところ万世に太平をひらかんと欲す・・・・
あの終戦の詔勅の一章であるが、本来は「義命の存するところ万世に・・・」だった。
この箇所の記述の経緯は、迫水秘書官が陛下のお言葉を取りまとめ川田瑞穂氏に撰文を求めたものだが、それを推敲したのが安岡正篤氏であり、前記の一章を挿入した。
本来は宮内省の祐筆が取りまとめるものだが、史上類をみない惨禍、加えて異国と戦って敗戦という期にあたって国民にその現状と方向性を示したものだ。

「一旦、詔勅が発せられたら、それは陛下の言葉として、誰々が関わったなどと言うべきではない」と近しい側近に漏らしていた安岡だが、政治の怠慢が目に余り、人物を得ることが難しくなると、「時運などは風の吹き回しで戦争になったようなもので、これは陛下の言葉としては不適切。しかも惨禍にあえぐ国民や戦場で亡くなった兵士に申し訳ない・・・」
つまり、国際情勢が混沌として、いつの間にか戦争になった、との意味だ。
世俗の運試しで博打を打ったりするようなもので、国家の経綸といったようなものが戦略や戦術といった状況や数値評価で左右されるようになることへの警鐘をも含んでいた。








いつ頃からか、米国へ参勤交代のごとく渡るようになったが、その際、いつ頃からか懸案事項を訪米時の土産話として拙速に取りまとめるようになった。よく訪米前に、米国大統領が来日前にというのがその類だ。あの中国でさえ習主席の訪米が決まると何か月前から準備に取り掛かる。しかもメンツを立てることも忘れない。せっかく会うのに(会えるのに)相手の歓心を誘う土産話に拙速にも付き合わされる国会は堪ったものではない。

国会で騒がれている通称、安保法も内容が盛り沢山で官僚の腹話術で喋らされる人形のごとく、口と音声が調和しない新米の芸人のようになってきた。互いに間違いがないようにコピペ(複写想定答弁書)をしっかり握りしめ、態度だけは悠然をとりつくろっている。

これも日米制服組や高官が現場行動を容易にするために協議を重ね、各々が国防省、防衛省に持ち帰り、外交懸案として首脳会議の議題に取り上げたものだろう。言ってみれば出来レースなのだが、現場会議は都心の米軍施設、ニューサンノーホテルだといわれている。

確かに自衛隊の手足の縛り方は作戦さえ不可能な法整備のようだが、それを相手国の米軍当事者からデスクの国防省から大統領と、時運の要求だと言い張る安倍君も情けない。

しかも、今後とも宜しくお付き合い願いたいと訪米して、米国の威厳を背景にした記者会見場で内外記者団に法案成立日限まで言い張っている。
想いだすのは、保守系のヘリテージ財団が催した記者会見で石原慎太郎氏が「尖閣を購入する」と見栄を切ったことから、言いがかりの種をまき散らした。内容はもっともなことだが、力をつけた途端に勝手な振る舞いをみせることの批判もあろうが、平和や友好という一時の昂揚に彼の国の本質をスキップした政治成果に短絡的国益をみた当時の当局者もなさけない。「平和」は戦いと戦いの間、永続的な「安寧」とは異なるもで、疑似解釈か文字遊びの類だ。

洋の東西にかかわらず「和平演変」はよく聞く言葉だ。文化交流、政治的宣伝 経済支援などで相手国の体制を平和裏に転換し、また利用するために投資の誘い込みや友好喧伝を駆使することは、よくある外交手段だ。力がつけば加減をみて恫喝や微笑を繰り返す術中によくハマる外交官吏の実態は記すことも憚ることだ。









安倍氏も、今度はしっかりとした政治で国民の信を得て、しかも統御下の公官吏の綱紀を制御していたなら、堂々と日本国内で特別記者会見を行うべきだった。米国で石原氏が種を撒き、問題が大きくなったら、また米国で約束を大言する感覚が、安倍氏の唱える戦後レジュームの脱却なのだろう。
野党の伴食議員は論外だが、互いに食い扶持と安定的便宜を享受している与党とて国民の嘲りを知らないはずはない。

ここで私見だが、よく本省の背広組と現場の肉体的衝撃を伴う隊員の精勤さと、将官や司令官の制服組の軋轢があるという。

また旧軍同様、陸、海、空の予算配分や有効的統合への障りがあると聞く。しかも階級は是としつつも一般隊員と防大卒の人間関係の隙間があるという。それは警察組織同様に日本人男子の集団癖として戦前と変わらないが、組織の方向性は時節や内外の変化で変わりつつある。

警察は過激派の盛んなころは警備警察が組織の要であり警察官もその方向に指向した。また出世も早かった。それが民生に移行したらヤクザと青少年、そして規制権を持つ遊技場(パチンコ)に向かった。近ごろは道路交通にその組織益を求め、それが拡大するようになると数値評価に追われた現業警察官の志気が弛緩してきたという。しかもその綱紀を正したり、民生に働きかける(規制より自制喚起)機能が委ねられた警察官の国民との親和性が乏しくなり、組織の硬直化(大企業病と類似)が相まって世俗の風紀は混沌としてきた観がある。

自衛官でいえば、前線はスクランブル発進が格段に増えてきた。領海侵犯も多い。
現場は撃たれれば打ち返す前線だ。被災地では死亡者を探索掘り返し、抱きかかえる。
だが、一部であろうが、デスクの将官は生涯賃金と待遇を企図して組織内で立ち回り、天下りの畑を拡げることに奔走している。隊員の自殺は増え続け、被災地の救援は辛辣さを極め、空海域の境では緊張感が増しているその中でだ。
だから「有事になったら、先ず後ろから撃ってやる」と隊員は呟くようになる。





小泉君の意見も尋ねてみたいが・・・



装備とて理由をきけば必要性はわかるが、買わされたのか、欲しがったのか、それとも天下りの畑を耕すためか、そのうち使ってみたい事にもなりかねない。
だが、「現状はこうだ」と言われれば返す言葉もなく追認する。その現状が謀でつくられたものであっても、数値とデーターが揃っていれば擬製エリートは看過するだろう。まして肉体的衝撃や耐圧を忌避することで安全域のデスクにしがみついた官吏は、責任が及ばない範囲での決断?はことのほか早い。しかも「時運の現状追認」が習い性となっている議員先生のお墨付きがあれば尚更だ。

銃声が無くなってパソコンのキーが耳にこびり付く世の中になって、人間は思索と観照が衰えてきた。思索は己の姿を知ることだが、観照はその本質を見極めることだ。つまり己の本質、社会、環境、異民族、歴史、その本質を知らずして、いつの間にか弛緩、劣化した己を客観視することはできない。己を知らなければ情報知さえも意味をなさない。
あるいは、掲げられ、大声で唱えられている自由・民主・人権・平和なども空論でしかない。

時と情報に浮遊し、かつ翻弄されて日本及び日本人を見失ったかのような選良諸君には、現下の任は重すぎるようだ。
あの無骨な亀井静香氏は「憲法改正は行うべきだが、今の政権下の人たちにさせてはならない」と言う、いや吠えた。彼は与党派に在りながら下座観を以て市井の立場から権力を見ている。また何が過不足かも観察している。やみくもに力は善のような為政者の意識を慎重に考察しているようだ。

時運に乗る、時運に迎合する。このことは邪まな謀を認知できず易々と乗ずることである
敵の敵は味方。同じアジア圏において二枚のカードを出し入れするゲームは一世紀以上前から続いている。地域融和にはいつも障害のように立ちはだかり、権勢欲に陥った為政者をもてあそんでいる。
しかも、この時運(風向き)を読み取り禍の芽を摘み取ることも適わない状況だ。

そこで、そもそも何を為すか、国民に示す採決を望みたいと願っているのだが・・・・

 

イメージは関係サイトより転載

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人間考学  あの、北野たけしさんでさえ

2021-09-22 14:45:56 | Weblog

北京の作家 「情緒」

 

いつのことだったか、北野たけしさんが弟子と称する若手のタレントを引き連れ講談社の写真週刊誌部に殴り込み(襲撃)をかけたことがあった。

理由はさておき、その後のインタビュー映像でこう語っていた。

「一人で行くのは怖かった・・」と。

 

その頃は頭数の一人だったが・・・

 

後年、北野氏は監督となり、文化的(教育的)な番組にも多数出演している。

映画ではその頃は廃れてしまったヤクザ映画と称するバイオレンスを「アウトレンジ」と題して制作し、無頼な漢(オトコ)の集団を刹那的、娯楽的、かつ社会的に糾弾されている暴力団の実相を見事に表現していた。

しかも、その世代、その心情に触れたのか興行もシリーズ化された。

 

あるいは某誌上で、いまは反社とか暴力団と括られている組織の統率者とも懇談して、現代任侠論を語っている。

つまり、社会の或る部分ではあるが、偶然にも直面した漢の言葉や行動に表れる姿や、かつ彼らなりの形で表現する任侠心、義理、人情、意気地、について、そこではカタギ(素人)と稼業人の括りを越えて共感する内容でもあったと記憶している。

 

「そもそも論」からすれば、当然ながら人生はつねに自分と他人との関係で成り立っている。それを繋ぐのが良し悪しは別として「縁」や「運」に括られて語られ、現在を語るときには何処かで「了」としなければ自身の境遇のさえ綴ることはなかわない。

頭の中では、過去と現在と未来は瞬時に想起される。

それは過去の反復と現在の姿、将来の想像が、反省や安堵、あるいは悩み、希望などとして混在し、はっきり、すっきりしたものを観たければ言葉や行動を具体化することしか自身への納得はない。

 

それが彼らの姿として、容、象、体に現われるが、数奇者、傾奇者と云われた派手な衣装の旗本や、金糸であつらえた陣羽織をまとった戦国武将と考えれば、似て非なる目的ではあるが漢(おとこ)衣装として思いうかべることができる。

戦場での前口上は、まさに舞台芸にもなるような流れがあり、華美を施した衣装で街中を肩をいからせて練り歩く旗本と奴もそうだ。

 

 

与論島

 

あの火盗あらため鬼平犯科帳長谷川平蔵の活躍した頃はとくに町中は風紀が乱れ糜爛していた。

目立ったのは旗本と奴だが、庶民も華美になり町娘は、「この帯と友禅は越後屋でかんざしは何処どこの店」と現代のブラント志向と同じく集まれば嬌声を挙げていた。若い武士も「この印籠は、刀の鍔(つば)は誰々の作」などと自慢しあっていた。

ヤクザ渡世人も博打や遊興に「これがしたくてヤクザをしている。できなければやめる」と啖呵をきり、当時の警察官だった町方同心も岡っ引きを共連れに、羽振りの良くなった商家に様子伺いと称して小遣いをねだっていた。まさにミカジメ料だ。

 

だだ、カタギをいじめたり、盗人、女犯、人殺しはご法度。行儀が悪く人情もないヤクザは身内のリンチ、絶縁、所払いは、まともな親分なら内々で彼らなりの掟や習慣で処置をした。

岡っ引きも町の顔役、御上御用として同心のまねごとで懐を潤していた。

一昔前の交通違反の願い下げを顔役に頼んでビール券を持参すのも、その倣いなのだろう。

 

四角四面に考えると社会機能は詰まってくる。

法のくくりが追いつかなくなり、何よりも煩雑になり、三百代言(弁護士の類)が跋扈して,奉行所のお白州(裁判の場)まで、「情理によって・・」など、大岡や遠山の更生への説意や援護など失われ、現代流行の範例ならぬ過去の「判例」に簡便埋没している。

 

明治初頭、法令が一新された頃は判例もなかった。それゆえ判決には「情理(条理)にもとづいて・・」と、裁判官は判決に添えている。

江戸っ子化すれば「粋だね」となる干天の潤いだ。

 

標記の「一人では怖かった・・」まさに腑に落ともあれちる吐露と大衆は観た。

記者会見の相手も組織をもち読者もいるマスコミ瓦版と電気紙芝居(TV} 、多勢で北野氏の隠された部分をほじくり世間に露呈させた。

芸能の世界もその種のマスコミを媒体として同じ水をすすっているが、善悪が表裏となって歓迎される浮俗の感覚と、それが食いぶちになる虚構の世界ではある。

大衆の揶揄だが、オリンピックは運動ビジネス、選挙は失業対策活動、教育は教育産業、どちらを語っても、まずは幾ら装っても、貰い扶持、食い扶持の世界だ。

 

八景 野島より房総

 

それを前提としても、ふと漏らした北野氏の実感する言葉に、棲む世界は違うが「野暮」ではない素直な生き方を見せてもらったようだ。

どうせ、そうなんだろう

それでも神輿にのせられて、芸という数奇者を演じる可笑しさは本人も承知なのだろう

なによりも、独り吹きっさらしの荒川の原っぱでで演じても淋しいし怖いのは承知。

いずれ、その「独り」が怖ろしくなるだろうが、他人を相手にしているうちは屁でもないと感じているのだろう。

ともあれ、「一人では怖かった」そのセリフは人を童心のように素直にさせてくれる。

これからは数の一人ではなく、本当の「独り」が広く、深く、高く、なることに興味が湧いてくる。

 

まさに世阿弥の「離見の見」のように・・・

 

 

 

 

 

 

 

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蘞利偉人(エリート)は土壇場で逃げる

2021-09-21 12:12:16 | Weblog

蘞利偉人(エリート)は土壇場で逃げる

※「蘞」(エゴ)我が強くて思いやりのないさま

 

哲人、岡本義雄はエリート(選ばれ、優れたもの)を「蘞利偉人」と造語した。

とくに彼らは肉体的衝撃に弱い。ゆえに怯み。過度に恐れる。

 

与えられた課題に疑問すら抱かず、あくせく答えテテなるものを出すために熱中して、これまた産業化した学び舎において労働者教員が判定する数値によって選別され、生涯賃金の多寡を人生の目的とし、国家なるものの下僕である官域に生息する、その群れを岡本は俗称「蘞利偉人」と呼んでいる。

 

ときに和製宦官とも記すが、陰茎を切り取って宮中の募集に参集する漢(オトコ)ならぬ男子と類似して揶揄している。

 

満州崩壊のおり佐藤慎一郎氏は最後の重臣会議に招かれた。

甘粕等重臣が集う会議において、満州国崩壊の土壇場において右往左往する重臣たちは腰も落ち着かず、史上はじめての日本人が異国での亡国時の対処に妙案すらなかった。

 

そこで、二十年余にわたって異民族の生活になじみ大同学院教授であった佐藤に意見を求めた。

佐藤は一言「この国のことは、この国に棲む方々に任せなさい」と。

そのとき思い浮かべた言葉があった。

「物知りのバカは、無学の莫迦より始末が悪い」

「吾、汝らほど書を読まず、されど汝らほど愚かならず」

 

この言葉の背景がある。佐藤の実体験だ。

  近代日本の歴史から忘れ去ろうとしているなかに“満州”があります。

  ユーラシア大陸の東、現在の中国東北地方であり、それ以前は韃靼(ダッタン)と呼ばれ、辛亥革命で国父と呼ばれた孫文は当初「万里の長城以北は外国である」と述べたように数百年にわたって漢民族を支配した清朝(満州族)の地でもある。

 

万里の長城を築く要因となった北狄であり、漢民族にとっては外国そのものである。 

その中国にとっても、ことさら日本にとっても異文化の地である“満州”に進出した。

それまでの多くの日本人は集団での国外生活することは稀だった。

 

しかも数十万の大移動でもあった。どのようにして異民族と暮らし、あるいはどんな世界があったのか、

 

 一方では植民地政策としての入植事業、一方では結果として大地に伏した庶民、それは近代日本の歴史的な“鏡”としての姿がありました。

  そのことは敗戦を境として悟った現実の“答え”でもありました。

 

 

青森

 

 崩壊を察知して、いち早く日本へ逃げ帰る高級軍人、植民地官僚、利権商人。 本来その高位高官である人間たちに 守られるべき入植開拓民、特に女性・子供の受難は、より“満州”という現実を忘れ難いものとしていると同時に、守るべき側の明治以降の官製の学歴という、そもそも学問とは何かを問いかけるものでした。

 

  その中でも純粋に普遍な心で異民族に触れ、互いの民族特性を評価し、補い合った協和の結果、多くの業績が有形無形のかたちで継承されていることは、歴史的にも稀なことでもあります。

 

 佐藤慎一郎先生は最終講義「別れの言葉」の中で

  “私は留置場の中で、あるいは死刑執行場で、自分自身の入る墓穴を掘りながら、本当の学問というのは書物以外により多くあること体験させられました

 

土壇場の満州で彼らが護るべき開拓民、多くの邦人ほ置き去りして逃げ去った。しかも夜陰に紛れて電話線まで切った家族ともども逃げた。

 

筆者の体験だが・・。

天安門の騒乱ではANAやJALの航空会社は往路乗客も少なく、帰路は満員の邦人を乗せて飛び立った。戒厳令下の空港での混乱に走り回る大使館の若い職員が添乗員のように動き回っていた。

各国の航空機も発着の枠組みがあるので調整が困難を極めていた。当然、日本からの便かは限られていた。

北京市内の情況は、広場以外は平穏だった。小学校や大学、天壇公園、王府井、いつもと変わらない。

広場も北京だけでなく地方の学生の流入で混雑していたが、騒擾ではない。

外国のカメラクルーは目立ったが、日本のクルーだが、人民大会堂や向かいの建物の階段には地方の学生がイベントを観るスタジアムシートのように座っていたが、その上段から広場を眺めても見かけなかった。

日本の新聞は北京戒厳令と書き立てているが、現場は代々木のイベント会場のようで平穏だった。

 

それでも空港では日本行きの便は混雑、いや混乱していた。

長期滞在者に聞くと、大使館から帰国便の案内はなく、それには順序があって大使館職員や家族、政府関係者、大手企業の社員と家族がその順序だという。

つまり、マスコミは邦人救出と書くが、邦人には変わりないが、その種類の人間が優先されるのだ

 

フィリッピンのゲラ支配地域にいた友人の日本人がいた。同じ時期に三井物産の支店長がやはりゲリラに拉致され身代金要求事件があった。拉致解放後支店長は日本から派遣された特別機で羽田に送還されたが、同じ境遇の日本人は同乗も叶わず別の経路でようやく帰還している。

自衛隊はたった一人の邦人なる国民を乗せて帰還している。

今回のアフガニスタンでも急を知った大使館員は隣国に退避している。

土壇場では車に紙幣を満載して逃げた。ヘリコプターに積み切れなくて滑走路に残置したらしいが、亡国とはそのような人間ゆえの結果なのだ

東西文明の巧劣を論ずるとき、民主であれ、独裁であれ、土壇場では為政者の姿がよく表れる。

責任を感じて自裁するもの、国内で逃げ回るもの、財を抱えて亡命するもの、部下に罪を着せて逃げるもの、政権を投げ出しも隠然と居座るもの、歴史的に固有の情操もあろうが様々な姿だ。

滅ぶべくして滅ぶ姿だが、国なるものはともかく民族浄化(同化、殲滅)となれば、民主主義ならば、よほど為政者の土壇場を想定したうえで推戴しなくてはならない。

匹夫に責あり」 国民も真剣な関心を持つべきことを教えてくれる。

 

できない理由の法律なのか、しなくてもよい法律なのか、使い勝手の良い成文法だが、結果は残置された邦人には何人の公務員がいるのだろうか。

まさか、臨時雇用、アルバイト、不定期雇用の民間人ではないと思いたいが、拉致同様、異国に残置された邦人同胞や危機を共有した同僚に、政府はことのほか冷酷な処遇しかできないと多くの国民は感知している。

 

これをも法の不備を理由にするような、政治家、官吏の増殖を赦してはならない。

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人間考学 「 東西 宰相の条件 」 あの頃も

2021-09-10 05:09:20 | Weblog

        
           横浜市金沢区 称名寺

 

男は悲哀をかこう時の態度が勝負だ

菅さんと安倍さんを比較することではない。

ただ、切り口はともかく、彼等を取り巻く人と環境は大きくは変わらない。

故にたどり着く途は彼らに悲哀と、国民には徒労と諦めが集積される。  (18・7加筆)                        

 

その椅子は永遠に続くものではない。
まさに菅政権は軽薄な罵詈雑言に打たれ難渋している。
早い、遅い、言い方が悪い、態度がなっていない、そもそも政治家を志すものには的外れな駄論だ。虚偽、迎合、強圧、それは政治の倣いだと判っていても言わなければ損、書かなければ無能、つまり共に政治の舞台を食い扶持にしている寄生虫の騒動のように国民はみている。

以前、菅さんとオバマさんの音声と眸(ひとみ)について書いた。
国柄の違いか、ビンラディン氏の殺害を謀り、あのイラク戦の臨場感溢れる映像が茶の間を賑わしたように、独立国であるパキスタンの奥深く潜伏していた彼をオバマ大統領指揮下にある米軍による殺害を瞬時に世界発信した。空母からの水葬の後だったが、隠れ屋と戦闘シーンが映像として流された。

ワシントンでその状況を固唾をのんで聴いていたオバマ大統領の人相が就任当時より険しくなったように見えた。日本的に云えば少々悪気が出てきた。
眸もすわり動作も重かった。まるで弾む心を抑えているようにも見えた。

前記では眸が泳いでいたと記した。音声もデモのアジテーターのようで真意を疑った。「イエス・アイ・キャン」なかなか口に出すことができない言葉だったが、小泉流のワンフレーズは考える力の衰えた国民にはヒッタリだった。
殺害の報を聞いたアメリカ国民は喝采を挙げた。支持率も上昇した。つくづく日本とは違うと実感した。

戦後、平和憲法を押し付けられたと改憲論者は言うが、その多くは保守系である。その時の交渉当事者は、頭を下げれば文句は上を通り過ぎる。そして今は唯々諾々と聞いていればいい。軍服の大男に強圧される敗戦国では賢者は追放、致し方ないが美章美句にはカラクリがあった。それは恣意的に装った自由、民主、人権、平等だった。

 

 

もともと人間を唯一高貴なものと観ていたキリスト教徒は違い、家畜も山海に棲む生き物は人間と平等だと日本人は考えていた。明治以前には四足動物は資源として普遍ではなかった。つまり共生する仲間の血を忌み嫌った。たまに食するのはカシワ(鳥)くらいだった。つまり畜産はなかった。

士農工商は平等ではない差別だと言い出したが、今どきのような、みんな国民と詐称した権力パラサイト(官吏)はなかった。まだ恥を悟ったら自ら腹を割く権利があった。

人の権利も同様だ。民主と自由が、勝手と気侭になると人の権利を互いに毀損するようになるのは当然だが、人権は第二成文法のように一人歩きして、コンプライアンスなどという自縛が重なると、草系ではないが元気がなくなるのは当たり前だ。

日本には「ざまぁみろ」という言葉がある。
嫉妬が絡むと田中角栄やホリエモンも、その言葉が投げかけられる。いまは説明責任が有ると追及されると、まず頭を下げて理解もできない人たちに長々と説明する。それは目を開けて眠っている器用な大学生に似て、後で考えても相対する人間の弱さを見たいのだろう。これも「ざまぁみろ」だ。

一時大学紛争では先生が総括を求められ追及された。一昔前は恩師と敬された教師が教え子に頭を垂れた。それ以来、学生は大学商店のお客さんとなり、教師は人の師ならず「経師」という教科書を説明するのみの労働者となった。

ーいまは、頭を下げるのは不祥事を出した大企業の経営者か、欲張り気味の小商人である。かといって揚げ足取りの記者会見では無機質な書面読みの言い訳に終始するだけである。



               


              桂林



社会の変異は人心を微かにする。其れに伴って敏感になるものがある。自らを護ることに長けてくる。それも容、象、体で観察することなく、口舌によって、さも智であるが如く高邁な論を立て内なる大偽を包み込むようになる。
先に述べた音声や眸に表れる内心を読み取れなくなった大衆は、易き証明を要求して、より非能率な人間関係を弄び、ついには亡羊な姿となって表れている。


オバマさんに戻ろう。
彼等にとって罪人である人間を殺害する。それを大衆に誇らしげに知らせて大衆は歓迎する。そしてオバマさんは一人前の大統領として認知される。その音声は潜在する善なる能力や鎮まりとは違う低き音を発し、眸は獲物を狙う鋭さを増し、体型は肩を丸めいからせる。

あの中空を見上げて、あるときは四方に視線を運び、甲高い声でイエス・ウイ・キャン、と謳った爽やかさはなくなった。若くて元気がよく、開けっ広げの愛すべきヤンキーではなくなった。殺人指令はないと思った。よく牧童文化とはいうが、血は争えない。


良し悪しは歴史の秤に任せるとして、音声とリズムは落ち着き、顔が出来上がって眸も据わってきた。
翻って変化が無いのは我国の総理である。よく、椅子に座れば様(さま)になるというが、議員ともども騒がしく落ち着きが無い。眸は泳ぎ、音声は調子が取れていない。二日酔いのようだともいう。与野党、マスコミの騒ぎはこの際、論外としても心理学者や内科医が連なると、つくづく陛下の存在が新たな蘇りとして人の心に突き刺さる。棲む世界の問題ではない。なにを学び養ってきたかだ。

浮俗の騒然とした選挙で選ばれた議員から選ばれた総理ではあるが、相応しい人を推戴すべき観人則の欠落は議会政治を亡きものにするようにも映る。

さてこの国をどうするか。いまは震災と原発だが、辞職を促がす側もためらいと戸惑いを生んでいる。本人の決断と慇懃に構えている。
辞めても、辞めなくても時が決することだが、辞めた後の処し方と引きずり落とした側の様子が人間の試考として重要な問題となってくる。
辞める側は悲哀をかこい、辞めさせた側は溜飲を下げる、それでは巷の野郎と同じになる。

あの佐藤総理は日頃の鬱積からか辞任記者会見に来た記者を追い出し、テレビに向かって語った。田中総理は「一夜、沛然として心耳を澄まし・・・」と、安岡正篤氏の撰文を宰相の務めとして読み上げた。「一晩、土砂降りのような非難の中、独り鎮まりを以って国民の声に耳を傾けると・・・」との意味だが、陣笠代議士が辞職するのとは違って、国家宰相の辞職は自決する覚悟がなくてはならないという進退の所作だ。

野党は問わず、仲間だった議員までもが反抗し、官僚は言うことは聴かない、マスコミも袋叩き、だれもが面従腹背して土壇場に来てしまった。しかし誰も名誉ある辞任を教えてくれるものもいない。辞めたところで社会は同じ状況を作り出す。

夫婦なら飽きがきたら別居だが、考えなかった離婚はうろたえる。今まで罵詈雑言、揚げ足取りの先頭にたってきたが、それでもヒョイと手を挙げると総理になれた。これでは強請った子供が親になったようなものだが、それで辞任が叶ったとして、悲哀をかこった総理の扱い方は人間の器量をみられる場面だ。

人物を量るために国民にとっては絶好の機会でもある。政局は論の他において、機会と対処を人間の度量、器量の秤となるなら、悲哀を解けなければ、寄らば大樹の批判はゴロツキの言掛りにしかならない。





                



     まともな国民は見たくないが、観ている



「小人、利に集い、利、薄ければ散ず」

たとえ小者の群れとしても、あるいは「人格二流にしかなれない身分」と、安岡氏が揶揄しても哀悼、忠恕の意は知らぬはずが無い。
だが、それが見えないから逡巡しているのだろう

その後を逆賭して、仮にも総理を救って差し上げる大人物はいないのだろうか。変わり者といわれようと、悲哀を撫す人物を日本人の倣いとして求めたい
あえて思う、人情のないものは政治に不向きだ、と。



※「逆賭(ぎゃくと)」先を見通して現在の手を打つ
ある意味、政治の要諦である。

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人間考学  この機に人物を得るということ

2021-09-06 16:52:02 | Weblog

 

以下、長々としたごまめの歯ぎしりだが・・・



臨機の人物とは、変化なり改革なり、あるいは戦争に直面したときに当を得た人物が出現することだ。

例えば維新の西郷はじめとする傑物の出現、その後の日露戦争の児玉源太郎、秋山真之、その適材を任命した山本(権)海相、戦費調達に奔走した金子、高橋(是清)、まさに適所に人物がいた。その総力を束ねる畏敬の存在が相俟って危機を救っている。

賢い国民からみれば政局は語るべくこともなく、茫洋とした未来は諦観さえ漂わせている。
それが昨今の国家の実情だが、経済は混とんとしてその政策は国民生活と乖離している現状でも、退屈で変化のない政治政策はさもしい迎合を繰り返し、それも足りなければ受益者負担だと税の徴収は烈しくなるばかりだ。

加えて。頻繁に繰り返される政治指導者の交代はは、敬重のない国家として諸外国に周知されてきた。

いま、東北アジアの周辺国と島礁領土をめぐって紛争中である。週刊誌も研究家、大学教授、物書きが帰化人の言をも拝借して相手国を罵詈雑言、なかには蔑(さげす)むように書きなぐり、放言している。相手が横暴だからという理由だが、やるか、やられるかと、それぞれが強硬意見を競い土壇場に追い込み収拾がつかなくなりつつある。

おおよそが政権当事者を貶(けな)すことで立つ位置を保持している売文の輩、言論貴族もその類いである。厚顔にも批判精神の誇りとも謳うが、総じて結果責任のない虚言に近いものもある。なかにはお追従の遠吠えもある。知識人でも「識」の意である道理前提のない「知」は官制の数値選別試験の弊害なのだろう。




後藤新平は人を活かして超数的効果を上げたが、いまは机上の乗数効果




前記の周辺国との紛争だが、きっかけは石原新太郎氏米国発信だった。どの様な意図なのか米国のヘリテ―ジ財団だ。本来は都議会本会議場において都民に語るだろうと考えるのが順当だろう。

ト・ショウへイ氏の言葉にあった「将来の知恵に委ねる・・」という曖昧な表現だったが、この時点で明言すれば力関係からいっても決着はつけられたかもしれないが、韓国大統領の「今までの日本とは違う・・」と見られるようになった途端、態度を増長させることは近代史の歴史的関係や民癖の「感覚」から想定できたはずだ。

決して他国に利するものではないが、買い取り、港湾設備構築と明確に発表され、跳ね返りを煩いと考える外務官吏の感覚から、国家所有と重ねて明言されると、寝た子を起すようにも相手は見えろう。

そして歴史に遺された多面的な功罪の切り口をいたずらに集中させ、巷間言われている内政治事情の煩いごとにリンクさせたしまった。よりによって地方自治体の知事職が米国で広言したことなどは問題にもしていないが、あの四角四面の現状追認しかできない日本政府に忸怩たる気分を抱いたのだ。
両国が抱える一方の国内勢力は、それぞれが「飛んで火に入る夏の虫」と互いの意を競わせ、食い扶持生業に勤しみ外交や歴史など普段考えない人たちまでが落ち着きをなくしている。

ところで発端となった石原氏の広言だが、いまは「血を流すこともある」と進んでいる。

80歳にもなれば為政者もキャリアも小僧扱い、外務官僚も国交締結後に生まれた者も多いなか、しかも米国での突然の広言は、歴史の時空と存在にある国家の多面的、いや全面的考察と調和に幾分の配慮が必要だったのではないかと、その後の経過からみえてくる。

一種の老成した鎮考が、逆に高揚したかののようだっだ。

゛あのような国゛との危機が前提であるなら尚更のこと、いまは言論の援軍があるが、そのうちに腰が引けるのは彼ら論壇の倣いであり、はしご降ろしまではいかなくても、だからこそ巻き込まれ、取り込まれても食い扶持数値しか頭にないような、゛連なった一群゛の癖が、この場では判らなかったのだろうか。

地方自治体の首長の考察として氏なりの危機意識と臨機に対する拙速にもみえる対応だが、たとえ領有は確定したものだが、もしも未確定の場合いにロンドン市長がフォークランド諸島の買い取りを他国での記者会見で広言したら、国家の担当部局との了解は別として諸外国は認知するだろうか。 ここでは、゛もしかしたら゛の論は逆ネジの餌食になるのが常、あくまで喩えである。

そして衝突を危惧するだろう。結果、気概ある国家である英国は遠路にかかわらず軍隊を派遣し、アルゼンチンも負けじと応戦した。
尖閣においても日本と中国が衝突することは、事の善し悪しを論ずることなく、あるいは国際法の準拠如何にかかわらず、歴史の経緯として必然なことだと想定できたはずだ。
昂揚したのか「血が流れる・・」とは、大向こうでは格好いいが、いつから国軍の指揮を与り、国民から委任されたのか。

「直なれば即ち絞ず」 いくら正しいと思っていても相手国との調和がなければ、いずれ政策、対処の幅を狭めことは古事にもある。

ベトナム、イラク、ロシアのアフガニスタン、彼らなりの正義を謳った侵攻は余程パワーの継続がなければ難しい。多くは兵士の厭戦気分や国内民意によって撤退を余儀なくされている。文明習慣の異なる民族や地域との衝突は深い歴史観が必要なのだ。





華の銀座  世論に覚悟はあるのか?




足下の都政にしても、カジノからオリンピックと忙しい任期だったが、その財源の基となる土地税(固定資産税)の徴収は税官吏でさえ悲鳴を上げるほどの数値ノルマの強圧によって支えられている。
この税には都知事のどのような政策と、先見性があったのか・・・。

そんな余分な政策は要らない。

固定資産税は土地建物に課税するものだが、多くは現金持ちではなく土地資産をもつものから黙っていても入ってくる収入だ。必要なのは厳格徴収のみだ。しかも多くは地域の地主や農家だが、活用も乏しく苦しんで払えなければ差し押さえをかけられる。そして多くは彼の支持基盤である自由民主党の応援者である。
町会長、各種委員、非常勤公職、勲位褒章と、似て非なる名誉に与ることも多いが、総じて一人多役の兼任が多い。都知事はそれを公選基盤としているのだが、どこか腑に落ちない両者の慣性がある。


出城ではないが、千代田区から内藤新宿に大きな館を建ててから、何かが無くなった。
もの真似が本物より巧くできるようになると、発想、製作した側からの提言や指摘が入らなくなり、どうも夜郎自大になるのが日本人の癖なのだろうかと、原発研究者や関係する官域、政界の意識を一面の連載コラム「リーダー・・」で彼は産経は掲載している。
つまり、謙虚の有無ということだろう。

足下の都政は積み残しも知事発想の政策も虫食いのようになっている。

幸いマスコミと議員は屏風を立てかけるように質問と周知を実態から遠ざけ、他国の国家規模と比するような都政の周知を、片隅の都民版に閉じ込めている。

一方、鎮考共有すべき危機意識だが、あの東京裁判の検察側(ソ連)証人として証言し、戦後伊藤忠を率いた元旧軍参謀瀬島隆三氏だが、中曽根氏の密使として再三登場し、企業人として体制側に身を置いている。氏は車のトランクには縄はしごを常備していたという逸話がある。

それは高速道路(首都高?) で車を放置せざるを得ない状況時には縄ばしごで地上に降りるためだということが理由だった。参謀らしく周到な準備だが、一方、ソ連の対日工作責任者であったイワン・コワレンコは「シベリア抑留中の瀬島隆三氏が日本人抑留者を前にして『天皇制打倒!日本共産党歳!』と拳を突き上げながら絶叫していた」との証言もあるが、危機管理も、゛任せる゛ことなく、自己救済が目的だったのか。





 
危機は現場管理



ともあれ危機管理を声高に叫ぶのは利他に供することが前提だろう。自己救済なら一人でやればいいことだ。ただ、人が知らないだろうと知らせる喚起も必要だ。
ところが、世に「怖れ」という部類がある。お化け屋敷の入り口で思案して女子に背を押され、お化けでも出れば飛びあがって入口まで引き返す。かといって目をつぶってようやく出口にたどり着くと、いかにも勇気もり盛りで饒舌になる「怖れ」だ。
よく、いじめられとは言うが過度の冷やかしに遭うのもこの類だ。

これが単なる数値選別の秀才だと始末が悪い。運よく高位高官になりやっかいな権力を握ると、゛試し゛をする。俺は認知されるかと・・・・。しかもその倣いは勇気ある武人か古今東西の高邁な理屈を冠とした言行で、オリジナル性がない。

とくに衆を恃みながらも率いることに高揚する自身を終始客観視する。そこには独立した沈潜の学びはない。ただ、高楼庁舎の屋上で城下を睥睨すればそんな気分にもなろうかとも想像する。

都知事は人の劣化を問う。その通りだ。

その上で内政外交の諸問題を抽出して言下にその処方を広言する。大阪の市長も方策は異なるが同様な意志を広言する。
その歴史観、時節感は当を得ているが、国民は腰を引いている。
多くは国民の問題意識と解決方策に妙な諦観が混じり、かつ時節の風に阿諛迎合するような滞貨に似た怨嗟が漂っている。

所詮、投票行動でしか用をなさない妙な、゛一票の重み ゛とか称する扱いとみているのか、それとも政治無関心の一群として候補者の言う利他など空事とみているのか元気がない。都知事も忸怩たるおもいで喚起するが巷の話題になっても、より民情劣化は進捗している。

なにも占領軍や左翼言論人の企てと騒いでも先の明るさは無い。
深層の情緒の衰えは親から子、先輩から後輩にある軟弱な遠慮にみる似非文明人的な姿勢と、戦後婦女子の烈なる趣と相まって出先の無い状況に陥っている。
よく言われることだが、覚醒、喚起、の政治的行動は、複雑な要因を以て構成された民族の枠組みとしての国家の改革などと大上段に構えなくても、政治機構そのものが国民と括られた人々の日々の生活にどれほどの影響を与えているのか、俯瞰視と逆賭を思索すれば容易に導けるが、現況はどうも腑に落ちないことがある。







倣うべき御姿




政治(政治家)も悪い、官吏も弛緩して問題抽出能力さえなくし、裁判は判例マニュアルに偏っている。その複合された状態に怨嗟を抱く人々の姿を「ふんわりした民意」と表現もするが、畢竟、どうしたら、こうしたら、の世界である。
しかも、゛誰がなっても変わらない゛と人々は考えている。そして、選挙や話し合いで収斂されて為政者が決められても、欲望の交差点をコントロールできずにダッチロールを繰り返すのが昨今の地球上のあらゆる政治体制を問わぬ国々の姿になっている。

立ち上がれと称する政党は、それを、国維を質すことに焦点を当てた。それは積もり積もった結果の現実に表れる国民の深層にある、人の思索力や情緒性に国家の基をみているようだ。政策やマニュアルはともかく、理解のもとにある「信」の在り様を考えているのだろう。

ただ、歓心を買う選挙というものは、それを芝居の口上のように語り、信じてくださいと哀訴する。誰ひとり落選覚悟で笑われても怒られても、国民を訓導する人物は現れない。
人物二流でなければ代議士にはなれない」とは碩学の揶揄だか、デモ・クレージーだからと付け加えた。

横目に慣れた有権者も多いが、真の人格のあり様をどんなものか分からなくなっている状態ではオモシロ選挙しか興味がなくなっている。そんなときに言われるのが「人物を選んだ投票」と喧伝されるが、これも曖昧だ。

真の日本人がいなくなった」と嘆息した孫文の言を借りるまでもなく、「日本および日本人」の姿さえ茫洋となっている昨今、画餅ならまだしも、画に書いた邦になる憂慮がある。

 

イメージは関係サイトより転載

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人の攻め方と降ろし方   2013  あの頃の狂騒

2021-09-04 17:15:32 | Weblog

辞めさせようとするには、舞台回しも監督もいる。

子分も選挙に落ちたらタダノ人。本人の失業対策選挙も大変だが、親分のキツイ命令もこなさなくてはならない。

相手は五輪の招致演説で「現金〇千億あります」と、成金まがいの知事だ。

ただ、互いに脛にキズを持つ者どうしの難儀だが目立つ晴れ舞台、しかも多勢に無勢、議場はまるで裁判法廷のようになった。

結果は裏談合で結末はつくが、舞台ができた以上、跳ね回り、悪党を追求しなければ親分も許さないし、マスコミも面白がらない。

都民は知事が辞めても、何も変わらない目クソと鼻クソ、理屈をつけて当初予算の数倍、数10倍かかるのは役所事業の常だと知っている。

 

獲物は大きい

 

あの時・・・・

猪瀬氏は辞めることになった、と記事にあった。

猪瀬東京都知事就任して一年となる。当選は史上最高得点でオリンピック招致も成した。
だだ、昂揚したその姿は人々の嘲笑混じりの賛意だった。

とくに神輿に担いだその世界の人たちは苦虫をかみしめながら、一方では歓心をかうためにすり寄りもした。

開催地の知事のほかに、JOCと政府のオリンピック担当相だが、ことは都市開催が前提の地球のドサ周りゆえ、昂揚した知事の意向にはやたらな口をはさめなかった。なにしろ開催受託したのは東京都だからだ。

ところが目の前の獲物にユダレを流しながら、「自分が決める」と言われ、手をこまねいていた群れも、終には排除のための狡知を発揮して、多くの賛意を得てきた。
ありとあらゆるネタを駆使してお決まりの裁判議会だったが、双方はいつもより頭も回るし元気が良かったのは気のせいか。

゛せっかく担当相まで新設した人たちもそうだった。ことは司令塔をどうするかだ。
頭が幾つもあってはやりにくくてしょうがない。せっかく厚生、文部の権益を新設担当相にまとめたが、その先は自信を深めたカラ元気がいたのでは、これも障害だった

たとえ辞めさせたからと言ってもあと七年、軽いお神輿を前任の残期をさせても、本命は任期の四年以内には開催があり、スタジアムの高揚感は味わえる せいぜいこの位のハナシだと、新聞では書いてはいないが、居酒屋のモノ知りは蘊蓄を語っていた。

調べる追求する方も、一番槍を挙げようと受験の数値評価を想いだして、人格識見などは他所において辞任の言質をとることに血道をあげていた。
しかし相手はもと物書きである。辞めたとたんに攻守ところを変えるのは縁の定めだ。

相手は調査検索のプロ、何を調べ、何を書くかは勝手なことだ。マスコミとて掌を返して独占手記を貰うためにモミ手三拝するのは平気な職種だ。
まずはオリンピックの利権構造、そして甘言によって徳洲会という毒を食らわせた人物もターゲットだろう。

そして権益に群がり、普段は国政の陰に隠れ都民の目にも触れない都議会の伴食議員の実態だ。もちろんノンフィクションなら実名も当然だ。
「あなた、そこまでは・・」と諌める夫人も亡くし、手負いのイノシシは猪突猛進するに違いない。

たとえ謀略構図にのって使い舞わされたとしても、一時の栄華の味わいは、悲哀の度合いによって復讐心も高まるものだ。

ともあれ、江戸っ子の生き方は「ほど」が大切だ。元知事同様、そのホドが足りなかった。それを超えて鐘や太鼓を打ち鳴らし、舞台に昇って踊りまくった。
あぶなっかしくて見ていられない」江戸っ子はそう思っていたら、舞台のそでで転んでしまった。知らん顔して ツネったり,こ突いだり、後ろから蹴飛ばすものもいた。
瓦版屋(マスコミ)や岡っ引きは、どっちに転んでも懐は痛まない。

それでも舞台に昇って見栄を切った。
「このままでは済まない…覚えていろ・・・」と。


風が吹けば桶屋が儲かる

その意味からすれば、地震復興もオリンピックも似たようなもの、だだ犠牲を伴ない、それを餌にする黒幕の罪は重いと思わざるを得ない

 

資料は関連サイトより転載しました

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若者よ 蓬莱の島 台湾へ   再

2021-09-01 10:58:55 | Weblog

 

日本語世代を訪ねて・・・

 

麗しの島 美麗島、蓬莱の郷、といわれた台湾、いろいろな情感が入り混じる

懐かしく、苦く、淡い哀愁さえある

陛下は御代の旅の結びのごとく沖縄から離島にわたり、遠く霞む美麗島を黙視鎮想された。

その島の今の政体は、ためらいと戸惑いを含みながら覚悟ある行動を顕示した

それは歴史の刻を共有した情感だけではなく、あらたな更新を促がす行動だった

我国の同胞、とくに若者の感知力は、驚愕から感謝となって伝播した





      

教育公務殉難 六士先生遺影  台北芝山巌 現地人から誤解されて殉難



恒例になった高雄の仁愛の家(高齢者施設) 西舘好子さんと台湾日本語世代が子守唄を歌う

※日本語世代・・・80代・90代



震災の臨機にその郷から若者は多くを学んだ

無条件の貢献、学びの行動 無名の有力さ 躊躇なき人情の発露 

それは我国の社会や学び舎でも倣うことができなくなった人間としての学びだった

そんな郷に棲む人々の声を聴き、新旧の縁を知り、安堵さえ覚える世情を学び舎とする若者が出現している

「昔の日本人にそんな行儀はない」かの地の古老からよく聞く諭しだった

そのような古老探しに多くの若者が海を渡り、空を飛ぶ

蓬莱の島は、熱烈歓迎をして日本の若者を暖かく迎えている

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