(2)二番目は知性です。
[知徹すれば徳と為る](荘子・外物)
本当の智識は、物を分別、分析するとともに、同時にそれらを総合し統一していかなくてはならぬ。
(3)三番目は技能です。
支は、分ける、ばらばらに切り離す。技術とは、自然を人間生活に都合のよいように改変加工する手段。科学は技学だ。能は、はたらきである。抹消化すればするほど生命の本源から遠ざかる怖れがある。
ただ、知性と技能は、後天的なもので、有れば有るほどよいが、ないか脳と言って根
本的に人間を否定することにはなりません。小学校へ入らんからといっても、すぱらしい人がおります。自動車の運転をできんからといって、人間失格にはなりません。
(4)四番目は習慣です。
習慣は、第二の天性です。習い性となったものの力は、善悪何れにせよ、恐ろしいほどの力を発揮します
日本の老人の自殺は世界一
日本は世界第二の経済大国、世界第一の長寿国、世界第一の自殺国となっています。
65才以上の人口の割合は、1980年には9%、2000年には15・6%になるものと推計されている(厚生省人口問題研究所)
1984年度の65才以上の老人の自殺音数は、5642人、人ローO万人当り47・2人で日本国内の年令各層の中で最高である。さらに諸外国の老人の自殺率(おおむね40人2からIO人程度)に比べても、日本は最高であるという。
世界第二の経済国、世界第一の長寿国において、その老人の自殺率もまた世界最高であるというのでは、これは、日本民族全体の問題として、反省対処しなくてなならない深刻な問題である。
あらゆる人生の辛酸をなめて、社会的な貢献も、ある程度一応果たして、これからは、少しは心静かに余生を楽しもうという時に、病苦か、家庭不和か、孤立か、知りませんが誰にも見取られないばかりか、一人淋しく自殺してゆく。
核家族による老人の孤立化の傾向もあるだろう。住宅問題もあるだろう。しかし、根本は、老人自体の心構えの問題である。次には、老人を老人として労い敬う気持ちが、なくなっているためである。
老人は、自ら、家庭における、不要晶、廃棄物となってしまっているのだ「老人は、家庭の粗大ゴミ」日本の将来を荷うべきはずの、子供たちまでが、一寸いじめられたと言っては自殺、宿題を忘れたと言っては自殺、母に叱られたと言っては、自分の下級生に手伝わせて、自分の母親のロを粘着テープでふさぎ、二人でコードの両端を引っ張って、絞め殺している。動物は、ほとんど自殺をしない。目本の老人と子供は今、動物以下になりつつある。
そして、社会は、あげて学校が悪い、いや先生が悪い、社会が悪いと、騒いでいる。
子は親の鏡だ。その子の父と母が、そのような子供に育てたのだ。この責任を抜きにして、責任を他になすりつけても、問題は解決しない。・
先ず第一に、子供の両親が堕落しているのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b2/e8bc29e75fd4b40bc3a9c84ef7ac7884.jpg)
学校の先生方は、食うために先生をしている人が多い。それが当然のことだと思っている。自分が飯を食えればそれでよい。教育はつけたりだ。
何千何万羽の月給鳥という鳥がいても、教育はできない。
本当の教育は人間を変える。人間とは他人のことではない。自分白身のことである。自分自身を変えることのできぬような者が、あの純真な子供たちを、積極的な明るく正しい子供たちに変えていくことなど、できるものではない。
若い青少年、子供たち、次の日本の時代を背負う子供たちが、堕落してきているのは、我々大人たちが、すでに堕落してしまっているのだという根本問題に気がつかない。
子供の問題ではない。大人たち自身の問題なのだ。
日本の現状は、戦後の教育と無関係ではあるまい。
日本の教科書と外国の教科書を比較研究した結果を見ると、日本の教科書にだけないもの
は、三つある。それは 愛国心 愛校心 親孝行の三つである。この三つは世界各国の教科書に全部ある。日本だけ教えていないという。
両親に感謝し、両親に敬愛の心を以て仕える心は、人間自然の心、自分の母校を愛する、自分の国を愛する、これまた人間自然の心
そうした人間自然の根本的愛情すら失われつつあるのです。[仁は人なり]。愛情こそは、人間のあかしなのです。その愛情すら、動物的になってきているのです。
老人自体、自分の居る場所を失いつつあるのです。そうした環境の中で、老人はますます、孤立化してしまうのです。
戦後の道義の敗退は、はっきりしています。
枝葉末節の物、物、経済、経済のみを追い求めることに急であって、根本の心を失いつつあるのです。本末が転倒されているのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/f6/39b25cfbf67a8cc8f17c321c688d57f8.jpg)
結局、これをどうする。天下を批判することはやさしい。天下を救うことは難しい。しか
しやる以外ない。誰がやる。わたしがやる。私たちがやるしかない。私たち大人、一人一人の責任である。
問題は、人間を除いて、一切はない。
愛情は人間のしるしです。
正しいと信じたことを行うのは人間のしるしです。
「仁は人なり、義は人の道なり」
私たちは、清く明るく正しい愛情を以て、私たちの周囲を明るくしましょう。伝教大師が言われたように、一隅を照らすような人間になりましょう。
その人が、そこに居るというだけで、その周囲が明るくなる。
その人がそこに入って来たというだけで、その部屋が明るくなる。
私たち一人一人の力はたしかに小さい。いかに小さい燈ではあっても、世の中が暗くなればなるほど、暗夜の燈は、再生のともしびとなるのです。
「一燈照隅」
私たちの力は、たった片すみを照しだせるだけです。
万燈照国
万燈になれば、国全体が明るくなるのです。
人間は片隅を照らす人間であってこそ、永遠の若さを、もち続けられることでしょう。
昨日という日は、もう永遠にやって来ない。明日という日は、まだ、やって来ていない。
明日という日は、果たして来るのかどうか、誰にも分からん。私の人生に与えられたもの
は、いま、現在、それも今という瞬間だけだ。
人生とは、いまという瞬間の連続だ。さあ、かけがいのない人生だ。一瞬一瞬に誠意を尽して、全生命を尽しきる。現在に在りながら、現在に真剣に打ちこめる者だけが、現在を乗り切って、明るい明白を迎えることができるのです。
皆さん、清く、明るく、正しく、強く、生き続けましょう。
真実、誠意、それだけが、諸君に迫力を与えてくれるでしょう。いかなる事も、自己、個人の人格を通じてのみ完成されていくのです。次の時代を背負う人間となって下さい。
(佐藤先生逝去 1990・10・25)