まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

佐藤慎一郎先生「人生五計あり」 終章

2010-11-20 10:16:49 | Weblog
                生地 津軽弘前



(2)二番目は知性です。

    [知徹すれば徳と為る](荘子・外物)

 本当の智識は、物を分別、分析するとともに、同時にそれらを総合し統一していかなくてはならぬ。
 


(3)三番目は技能です。

 支は、分ける、ばらばらに切り離す。技術とは、自然を人間生活に都合のよいように改変加工する手段。科学は技学だ。能は、はたらきである。抹消化すればするほど生命の本源から遠ざかる怖れがある。

ただ、知性と技能は、後天的なもので、有れば有るほどよいが、ないか脳と言って根
本的に人間を否定することにはなりません。小学校へ入らんからといっても、すぱらしい人がおります。自動車の運転をできんからといって、人間失格にはなりません。



(4)四番目は習慣です。
 習慣は、第二の天性です。習い性となったものの力は、善悪何れにせよ、恐ろしいほどの力を発揮します


   日本の老人の自殺は世界一

 
日本は世界第二の経済大国、世界第一の長寿国、世界第一の自殺国となっています。
 65才以上の人口の割合は、1980年には9%、2000年には15・6%になるものと推計されている(厚生省人口問題研究所)
 1984年度の65才以上の老人の自殺音数は、5642人、人ローO万人当り47・2人で日本国内の年令各層の中で最高である。さらに諸外国の老人の自殺率(おおむね40人2からIO人程度)に比べても、日本は最高であるという。
 世界第二の経済国、世界第一の長寿国において、その老人の自殺率もまた世界最高であるというのでは、これは、日本民族全体の問題として、反省対処しなくてなならない深刻な問題である。


 あらゆる人生の辛酸をなめて、社会的な貢献も、ある程度一応果たして、これからは、少しは心静かに余生を楽しもうという時に、病苦か、家庭不和か、孤立か、知りませんが誰にも見取られないばかりか、一人淋しく自殺してゆく。
 核家族による老人の孤立化の傾向もあるだろう。住宅問題もあるだろう。しかし、根本は、老人自体の心構えの問題である。次には、老人を老人として労い敬う気持ちが、なくなっているためである。
 
老人は、自ら、家庭における、不要晶、廃棄物となってしまっているのだ「老人は、家庭の粗大ゴミ」日本の将来を荷うべきはずの、子供たちまでが、一寸いじめられたと言っては自殺、宿題を忘れたと言っては自殺、母に叱られたと言っては、自分の下級生に手伝わせて、自分の母親のロを粘着テープでふさぎ、二人でコードの両端を引っ張って、絞め殺している。動物は、ほとんど自殺をしない。目本の老人と子供は今、動物以下になりつつある。


 そして、社会は、あげて学校が悪い、いや先生が悪い、社会が悪いと、騒いでいる。
 子は親の鏡だ。その子の父と母が、そのような子供に育てたのだ。この責任を抜きにして、責任を他になすりつけても、問題は解決しない。・
 先ず第一に、子供の両親が堕落しているのだ。







                






 学校の先生方は、食うために先生をしている人が多い。それが当然のことだと思っている。自分が飯を食えればそれでよい。教育はつけたりだ。
 何千何万羽の月給鳥という鳥がいても、教育はできない。


 本当の教育は人間を変える。人間とは他人のことではない。自分白身のことである。自分自身を変えることのできぬような者が、あの純真な子供たちを、積極的な明るく正しい子供たちに変えていくことなど、できるものではない。

 若い青少年、子供たち、次の日本の時代を背負う子供たちが、堕落してきているのは、我々大人たちが、すでに堕落してしまっているのだという根本問題に気がつかない。
 子供の問題ではない。大人たち自身の問題なのだ。
 日本の現状は、戦後の教育と無関係ではあるまい。

 日本の教科書と外国の教科書を比較研究した結果を見ると、日本の教科書にだけないもの
は、三つある。それは 愛国心 愛校心 親孝行の三つである。この三つは世界各国の教科書に全部ある。日本だけ教えていないという。
 両親に感謝し、両親に敬愛の心を以て仕える心は、人間自然の心、自分の母校を愛する、自分の国を愛する、これまた人間自然の心

 そうした人間自然の根本的愛情すら失われつつあるのです。[仁は人なり]。愛情こそは、人間のあかしなのです。その愛情すら、動物的になってきているのです。
 老人自体、自分の居る場所を失いつつあるのです。そうした環境の中で、老人はますます、孤立化してしまうのです。

戦後の道義の敗退は、はっきりしています。
 枝葉末節の物、物、経済、経済のみを追い求めることに急であって、根本の心を失いつつあるのです。本末が転倒されているのです。








                 







 結局、これをどうする。天下を批判することはやさしい。天下を救うことは難しい。しか
しやる以外ない。誰がやる。わたしがやる。私たちがやるしかない。私たち大人、一人一人の責任である。

 問題は、人間を除いて、一切はない。

 愛情は人間のしるしです。

 正しいと信じたことを行うのは人間のしるしです。
 
 「仁は人なり、義は人の道なり」

 私たちは、清く明るく正しい愛情を以て、私たちの周囲を明るくしましょう。伝教大師が言われたように、一隅を照らすような人間になりましょう。

 その人が、そこに居るというだけで、その周囲が明るくなる。  

その人がそこに入って来たというだけで、その部屋が明るくなる。

 私たち一人一人の力はたしかに小さい。いかに小さい燈ではあっても、世の中が暗くなればなるほど、暗夜の燈は、再生のともしびとなるのです。

「一燈照隅」
 私たちの力は、たった片すみを照しだせるだけです。

万燈照国
 万燈になれば、国全体が明るくなるのです。
 
人間は片隅を照らす人間であってこそ、永遠の若さを、もち続けられることでしょう。

昨日という日は、もう永遠にやって来ない。明日という日は、まだ、やって来ていない。

明日という日は、果たして来るのかどうか、誰にも分からん。私の人生に与えられたもの

は、いま、現在、それも今という瞬間だけだ。

 人生とは、いまという瞬間の連続だ。さあ、かけがいのない人生だ。一瞬一瞬に誠意を尽して、全生命を尽しきる。現在に在りながら、現在に真剣に打ちこめる者だけが、現在を乗り切って、明るい明白を迎えることができるのです。

 皆さん、清く、明るく、正しく、強く、生き続けましょう。
 真実、誠意、それだけが、諸君に迫力を与えてくれるでしょう。いかなる事も、自己、個人の人格を通じてのみ完成されていくのです。次の時代を背負う人間となって下さい。
                       

(佐藤先生逝去 1990・10・25)










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佐藤慎一郎先生「人生五計あり」 其の七

2010-11-20 10:04:35 | Weblog
              郷学研修会での講話



  死に方

 自然に従って無理をせずに生き、よく生を全うすることを説いた老子は、

 「死して亡びざる者は寿し」(老子こ二十三)

と、死んでも、その名が朽ちない人こそ、永遠の生命をもった人だとしています。ずっと下って、程伊川(宋代)は、
 
「感慨して身を殺すに易く、従客として義に赴くことは難し」(近思録)

感激の中で、死に赴くことは、まだ容易であるが、冷静に義にかなうか、どうかを見定めた上で、生死を決することは、一層難しいことだと言っています。

ところが、近世の中国人は、なかなか国のためには死にません。
 明朝T374~1673)は、漢民族が漢民族を、300年近く統治した上、亡んでいます。その時、明の崇禎帝は、自分の子供らを、決して皇帝の家なんかに生まれるんじやないよ、と殺した上で。、自殺しています。その時、お供して死んだのは、宦官一人。
 他の昨日までの百司百官は、賊軍を迎えるのに忙しくて、死んでいる暇は、なさそうでした。
 かっては、勇敢な満州の騎馬民族、愛親覚羅は、万里の長城を越して北京に入り、清朝を建て、全中国を統治しました。(太祖から296年)統治の末、辛亥革命の結果、亡びました。独りもも国に殉じて死んだ人はおりません。

 私は、この問題で、ハルビン情家句の大観園の経営者に、国家の滅亡をどう考えるかと聞いたら、彼は「明朝が亡んだのは、国家が亡んだのではなく、一姓がなくなったのだ。それより、人民の生活が緊要であるごと答えている。

 
 
 
  松陰の死
 
吉田松陰は、処刑される前日の、安政6年(1859年)10月26日に
  『身はたとえ、武蔵の野辺に朽ちぬとも、留めおかまし大和魂』
と書き留めています。その翌日、IO月27日死刑の判決を申し渡された松陰は、奉行に対して、うやうやしく一礼し、さらに、何時も自分に付き添うてくれた役人たちに対して長い間、御苦労をおかけしましたと、丁寧にお礼の言葉を述べています。
 伝馬町から、早駕胆で帰り、裃、絞付に改めた上で、荒縄をかけられ、刑場に連れて行かれています。牢を発つ時、牢内の人々に

  『吾れ今国の為めに死す、死して君、親に負かず、悠々たり天地の事、鑑照、明神に在リ』と、朗々と吟じて別れを告げています。

 いよいよ斬首の席に着く時、鼻をかまして下さいと言って、鼻をかんでから、心静かに首の座についています。
ハ丁堀の同心の吉本平三郎の談として
 
「凡そ死刑に処せらるるもの是まで多しと雖も、かくまで従客たるは見ず」
と記録されています。
 
「死を視ること帰するが若し」(呂覧)

とは、このことでしょう。松陰は、時に、その年30才でした。
 松陰はヽたしかに死にました・殺されました・
 奉行所の原案では、流罪とされていたのを、井伊大老が、死罪と訂正したものだとも聞いています。
 権力は、たしかに松陰を死刑にすることができました。しかし、彼の尊皇攘夷の志を奪うことはできませんでした。松陰の教えを受けた多くの門下生たちは、松陰の志を継いで、次々に起ち上り、ついに明治維新の大業を成し遂げたのです。松陰は、獄中から、高杉晋作宛に
  「死して不朽の見込みあらは、いつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらば、いっでも生くべし」と書き送っています。また小田村、久保、日下宛に「天未だ神州を棄てずんば、草莽崛起(在野の人々が急におこり立つ)の英雄あらん」と書き送っています。こうした教えを受けた門下生たちが、次々に起ち上がったのです。

 一国は一人を以て興り、そしてまた、一国は一人を以て亡びもするのです。

 あらゆる生物は、自らの種族を保存、永続させるためには、その種族内部の一部のものが、犠牲となって、その種族、その群れを守るしかないのです。現在では、国を以て一つの単位として人間の集団が存在しています。また、その集団、その国家を永続させるためには、国民の誰かが犠牲とならなくては、集団は、国家の存続は、保証されないのです。
 
目本の青年(18才~24才)目標 金  38% 世界}
  社会のために尽くす       3・8% 世界最低
   ソ遠が攻めて来たら逃げる    IOOO人中97人
日本の前途が示されたようで、暗然とします。


 私は昨年末、東条英樹さんの最後に立ちあった、花山教海師をお訪ねして、東条さんの死に直面しての心境を詳しく、お聞きすることができました。東条さんは、護衛のアメリカ兵一人ひとりと握手して、謝辞をのべ、心静かな別れを告げています。
 要するに、たとえ、その身は亡びても、亡びることのない不滅の道に永遠の生命を思い 出しうる人こそ、そしてまた、死亡後も多くの人々の心の中に生き続ける人こそ、本当の意味における、長生きの人であると言うべきでしょう。
 
 「死して亡びざる者は、寿(いのちながし)なり](老子こ二十三)
 
河村瑞軒(江戸幕府のはじめ1618~1700)は
  
「死を決する何の難しきことあるや、ただ死すれば足りる。難しきは死地に在りて、生を決するにある」と言っている。

良寛和尚は、74才の時(死ぬる3年前)に「災難に逢う時節には、災難に道うがよく候。死ぬる時節には、死ぬのがよく候。これはこれ災難を逃がるる妙法にて候」と言っている。こうした死に向かって淡々とした心境の人もある。

 作家の宇野千代は、自分の祖母の死について「祖母は、百才になっても、まだ先のプランが、いっぱいあった。これが祖母の命を支えた。その死は秋になって、本の葉が枝から落ちるように、ある日、ことりと何の前触れもなく、自然にきた。悲しみではない。ある感動を与える死であった」と書いている。こうした恵まれた美しい死もある。

 お釈迦さまが、死ぬ間際に、弟子たちが、「今あなたに死なれたら、残された我々は、いったい何を頼りに生きていけばいいのですか」と、すがりついた。その時、お釈迦さまは、″自灯明″という短い言葉を遣して逝かれた。これは、釈迦を灯明、つまり頼りとするな。自分自身を灯明として生きていきなさい、ということです。(現在の帝王学141頁)と、ある本に書かれていた。
私自身には「死計」~死の計画はない。死ぬ時が来たら死ぬ。それだけである。













  一燈照隅・萬燈照国

 ここに一本の木かある。
 本という字は、象形文字で「-」は一本の幹、「U」は枝、『逆U』は根で
できている。この根の「艮」という字は、一つの所にじっとしていて、動かないという意味。この一本の木は、根から養分を吸い取って、幹に、そして更に枝へと送っています。枝は葉を出し、花を咲かせ、実を結びます。それらの葉や花や実は、やがて、この本の根もとに落ちて、養分となり、自らを養っています。つまり、この木は、このように循環を繰り返すことによって、生命を維持しています。
 
 「木の長ぜんことを求むる者は、必ずその根本を固む」(旧唐書)

 しかも木は、大きいほど、必ず、その根は広がっているようです。根底のあるものほど大きく伸びているようです。
 私たちは、したたるような緑の葉や、美しい花に、その木の存在を改めて知ることができます。ところが、その、したたるような縁の葉も、人々の目を吸いつけた美しい花も、やがては、枯れて落ちてしまいます。
  「花に百日の紅なし」です。葉も花も、すべて落ちて、根に帰るのです。すべての事物は、根本へ帰るのです。


 さて、この一本の本のどこが、いったい根本なのでしょう。主体なのでしょう。
 木という宇の上の方にコ」をつけると「末」という字になります。この「一」」は、こず゛え、枝という意味、枝は、主要なものでないという意味です。その反対に、本という字の下の方に「一」をつけると、「本」という字になります。本という字は、根と幹のことです。根源という意味です。つまり本の主体、本質は、根と幹にあると教えています。
 具体的に私たちの社会現象を見ていますと、根に水をそそがないで、枝葉に水をそそいでいる者がいます。つまり根本を修めないで、枝葉に力を注いでいる人が随分多いようです。それを「本末てん倒」というのでしょう。

 本を育てるには、絶えず根本の培養を忘れず、時には枝葉を切り取ったり、果実を間引かぬと、立派な本には育たないものだそうです。
 
 「本立ちて道生ず」(論語・学府)
 
「物に本末あり、事に終始あり、その先後する所を知れば、則も道に近し」(大学)

 物事には、先にやるべき根本と、後にやるべき末があるようです。ところが、多くの人々は「本を捨てて、末を治め」(六帽)ては、いないでしょうか。

 人間の基本的な生き方を規制するものは、大自然でしょう?大自然と共に生きるのが、一番自然な生き方のようです。
 ところが人間は、しだいに自然を利用して、その努力の結果として、科学技術を発達させて、さまざまな文明を築き上げてきています。文明の「文」とは、色々な色を交錯させて両き出している、外面的な色どり、模様のことです。

 この科学技術の発達がもたらした文明が、先へ先へ、先端え先端えと、突っ走って、ついには、人間を置き去りにしかねない状態に在るのが現在でしょう。
 先へ先へと進んだ結果、お月様へも行ける。核兵器も持てるようになりました。そして全世界は今、核兵器一つのために翻弄されています。
 人聞がたとえ月世界まで遊びに行けたとしても、日常生活に心の安らぎがなかったら、人間存在の意義がないでしょう。


 このへんで、人間存在の在り方を、いわゆる「末を捨てて本になって考え直して見る」必要があるようです。


人間にとって、最も大切と思われる四つの要素  







                 









(一)徳性

  徳の原字は、直の下に心を付けた字である。直とは、まっすぐに見ることです。
「直十心」とは、まっすぐな心を意味している。それに、さらに人偏印で歩むを加えたのが徳の宇である。
いかに小さい私であっても、自分は宇宙大自然の絶対生命とつながっている。その一部分である。この大自然宇宙がなりたっている本体を道と言っている。その道が人間の体に発して徳となる。
 人間にとって一番大切な要素は、徳性であることは、異論はなかろうと思う。徳性とは、その人が天から受けた先天的な本性、つまり、心と体、そのものに、ぴったりとくっついている品格、人柄のことである。            『、


 徳性とは、人間を大きく受け入れて、しかも、それを育て上げていく、本質的な働きということでしょう。
 徳性には、色々ある。愛情は、その根本的なものの一つでしょう。「仁は人なり」です。
 愛情とは、まず何といっても、人間自然の親子、兄弟の愛情、つまり血によってつながる者同志が本能的に特っている愛情、善意、これこそが人間の在り方を示す根本であろうかと思います。
 つまり、家族の打算のない愛情、善意、これこそは、広く人々に対しても、広く及ぼしてゆきうる人間の道であると思います。


 例えば、孔子の弟子の有子が

「君子は本を務む、本立ちて道生ず、孝弟はそれ仁の本か」(論語・学海)
と言っています。
 立派な人間は根本的な事柄に力を入れる。根本が確立しさえすれば、進んで行くべき道は、自然に生まれてくる。例えば両親に対して、よく孝養を尽くし、長上に対しては、よく仕えて従順である。と言うことは、それは「仁」、つまり他の家の人々に対する愛情、善意の根本であると言ってよいだろうと言うのです。

 また、その人が、そこに居るというだけで、その周辺が明るくなる人と、また反対に暗くなる人があります。ところが人間はやはり「明について暗をさける」と言うのが自然のようでまた、物の考え方についても、誰でも納得できる、きれいな人と、私欲にこだわって、濁った感じを与える人があります。人々は、必然的に清潔な心を求めて、不潔をさけると言うのが自然でしょう。
 清くて明るい心の人と、濁って暗い心の人、これらは、すべて、徳の問題です。とにかく番犬切なものは、徳の問題です。

経済とか物資、これらは、如何に必要であったにしても、人間存在の第一義的なものではありますまい。
 その経済とか物資を動かしてゆく、気高い明るい精神、さわやかな美しい感情、これこそが、あらゆる問題を解決してゆく根源であるうかと信じます。
 
「天を以て宗となし、徳を以って本となす」(荘子・天下)
 
『徳を作せば心逸にして日に休す、偽を作せば心労して日に拙し』(書)です。
 ≪逸は、たのしむ。やすんずるす≫≪拙は、何も役にたたぬ≫

 林彪が、「徳を侍む者は昌え、力を侍む者は亡ぶ」(史記)という掛軸を書いて、自分の家の壁に掛けていた。これが毛涙東を批判した。けしがらんことだと言って殺されました。
 しかし、歴史は、力を侍んだ毛沢東は、必ず亡ぼされることでしょう。
 
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佐藤慎一郎講義録 「人生に五計あり」 其の六

2010-11-19 19:57:50 | Weblog

「伸び伸びとした中国民族」 

  

私の接した中国民族は、黄河の流れが永遠に尽きることがないように、実に悠々万里、急がず、激さず、しかも終わるところがない。いわゆる大人の風格をもっていた人が多かった 

 

 その昔、イギリスの上海領事が、中国人の大人を招待して、得意になって、テニスを、やって見せた。食事の時、イギリス領事は、″テニスは如何でした″と聞いたら、大人は″あんなことは、ボーイにでもやらせたら如何ですか″と答えたと、何かに書いてあった。 

 日本人と中国人では、ウチワの使い方一つ全く違う。物の考え方も、のびのびしている。日本人には捉えにくい。それでいながら、教えられる所が多い。

 中国人の一般民衆の生き方は、「上善は水の若し」(老子・八章)の一語に尽きる。

自然に従って無理をしないということです。

 

「上善は水の若し」水は万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る、故に道に幾し(老子・ハ章)と言っています。つまり、人間の一番良い生き方は、水のような生き方をする事だ。水は万物に恩恵を施していながら、しかも、謙虚で、決して他人と争ったりするようなことはない。そして、人々のいやがる、じめじめした暗くて汚い所にさえ、じっとしておる。だからこそ、無為自然の道に近いのだ。人間の本当の在り方も、この水のように、天地の道に順応して生きていくことだ。と言うのです。

 

 

 現在の中国共産党は、やれ階級闘争だ、やれ世界革命だ、そら打倒資本主義だ、やれ今世紀末までに、四つの近代化をなし遂げるのだ等と、せかせかし始めています。

 現在でも、80%を占めるのは農民です。農民は、「上着は水の若し」の言葉どうり生き続けているのです。中国民族の大部分は、大自然の摂理とともに生きようとしているのです。

 

 中共の考えているような、共産主義という西洋思想をもってきて、これを中国民族に強制しようとしても、成功することは、まずありますまい。

 

 「つま立つ者は立たず、跨ぐ者は行かず」(老子・二十四)

 無理をして、つま立っていても、そう良くは、つま立っておれないのです。おおまたで歩む者は、決して遠くまで行けぬ。無理をしているからだ。人民に無理強いしても、人民は、そう簡単には、動きません。萬が黄河の洪水を、水の本性に従って治めたように、中国民族の本性に沿うた建設のしかたを、しないかぎり、成功することは困難でしょう。

 

 70才ぐらいになると、自分でそれほど努力せんでも、ひとりでに自然の法則に従うようになってくる。若い頃には、相当無茶な生活をしても、たいした影響はないようですが、70才ともなると、自然々々に体そのものが、努力せんでも、生理に従うようになってくる。つまり体そのものが、大自然と調和を保つようになってくる。

 だから、孔子は『七十にして心の欲するところに従いて、矩を諭ず』(論語・為政)と言っているのです。要するに、

 

「天に順うものは存し、天に逆らうものは亡ぶ」(孟子)のです。

人間そのものが、大自然の一部分なのだから、結局は自然に従った生活をしなくては、なりますまい。

 

 人間は、老境に入ると、物事を静かに客観視することができるようです。「静かなる者は寿(いのちながく)して、動く者は、夭(早死する)とか、また[鈍き肴は寿(いのちながく)して、鋭き物は夭(早死する)などと言われています。

 

 伊東仁斉は「老来ますます佳境に入る」と言っています。年とるに従って、佳境に入らんようでは、だめです。とは言うものの、老生の如きは、物忘れが、特にひどくて、話になりません。「老来多(ますます)健忘、ただ相思を忘れず」と言う詩の如く、私は、何も彼も忘れてしまって、やっと恋女房の顔だけは、忘れていないと言った状態です。

 

しかし、「老いも歎ずるに足らず、歎ずべきは、老いて空しく生きるなり」で、一刻でも、社会のために、お役に立ちたいと思って努力しています。年令も老境も、全く意識せずに明るく生き続けております。

 私は、人間は、寝るときは畳一枚あればよい。起きたら、本を読める矩隨程度の広さの机があれば結構だと思っている。うす汚れた壁には「一孟午飯、一盃茶」とう仙崖和尚の字がかけてある。正月用の暦として印刷したものを誰かが贈ってくれたものである。

 私は、この掛け軸の意味が、しみじみ有り難いのだ。

 

 

 私たち夫婦には、この地球上に、ただの一坪の土地もなければ、家もない。しかし、私には、60年近くも、私と一緒に歩んで来てくれた皺くちやになった婆さんがいる。わたしはこの婆さんと、今もって朔から落語にもならんような口喧嘩をしている。しかし、私は、私の心の底では、この婆さんには、とてもかなわんと言った、むしろ尊敬の念すら抱いている。

 

 私たちは、毎日朝の静かな一時を、二人でお茶の香りをしみじみと味わっている。″王様であるうと、貧乏人であろうと、家庭において、平和を見出しうるものは、一番意幸福な人間である″と、ゲーテが言っている。

 

 わが家においては、このゲーテの言葉が、そのまま生き続けている。

こうした環境があればこそ、私は「老いては当にますます盛んなるべし」(漢書)で「老いの将に至らんとするを知らず」(論語・述而)といった状態で、生死などは、殆ど考えたことはありません。私は時たま、私は婆さんよりは、一時間先に死ぬんだからと、朗らかに語っているだけです。

 

 

 私は、満州で、中共に二回死刑の宣告を受け、三回目は国民党に捉えられて、十個月以上も監禁されてから、突然釈放されています。決して死中活を求めたわけではありません。

 

 そのような、時勢の波の中で墟慨して潔く死につくことは、そう難しい事とは思いません。しかし、どんな苦しい時でも、節操を曲げすに、平然として美しく生き抜くことは死に対処するよりは、けるかに難しいものと実感しています。

 「美しく老いる」とは、老いを意識しない。他人にも意識させない人のことでしょう。

 

 

 

 

 

 

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佐藤慎一郎講義録 「人生に五計あり」 其の五

2010-11-14 15:41:18 | Weblog

 

(四)老計

 

  「老計」とは、いかに年とるか、いかに老いるか、という計画のことでしょう。

  「老」という字は、年老いて腰が曲がり、頭髪も白くなって、その形貌が変わるという意味の宇ですが、年功を経てなれる、練達する。年寄りを敬うとか、長者に対する尊称である。

 日本でも、60才を還暦、70才を古稀、77才を喜寿、80才を傘寿、88才を米寿、99才を白寿などと称して祝っています。

 お祝いをやられるような年頃になったら、まず、「老人」としての自覚をもって、然るべきでしょう。

 

70才を古稀と称して、祝っているのは、唐(618~875)の詩人、杜甫が、

  「人生七十古来稀なり」(曲江詩)

と、詩ってから、70才を古稀として、広く祝っている。

 

特に中国では、老人を非常に敬ってきています。

 わが家の老人を老人として敬する。その気持ちで、どのような老人に対してでも、敬し労(ね)ぎらう気風が尊ぱれている。

 

 老人の問題は、他から敬される前に、老人本人自らの心構えが必要だと私は考えている。人間の年は、長いと言っても、百才を一寸越す程度。

 この先、何年も生きられないのに、常に、千才の憂いを抱いて、あくせくしている人が案外多いようだ。

 

 「寿(命長ければ)辱多し」(荘子・天地篇)

 

 それは、老人自らが、招いている恥なのでは、あるまいか。

 そこで、「老計」いかに年とるか、いかに老いるかという計画が、大切となってくる。

  『人間を見るには、後の半截を見よ』(菜根譚)

   半截太監 (載・たちきる・切断)

 

と申します。その人の価値を見ようとするなら、その人の人生の後半を見ろと言うのです。中国では、160才を寿を全うしたものとして、これを「全寿」と、しています。だから、人生の前半は、80才までと言うこと。それで、81才は、人生後半の第一歩を、今歩み出したばかりと言うので、「半寿」として祝います。

 

 私は、今年の3月7日で満81才の「半寿」を迎えた。つまり、私は、人生の後半の第一歩を、いま、やっと、踏み出したばかりなのです。それで、私も張り切っているのです。 できるならば、簡素で静粛な生活の中で、しかも充実した人生を送りたいものと、明るい豊富な計画で、張り切っているのです。忙しくて、死んでる暇なぞ無いのです。

 老年期になると、とかく、権勢欲、名誉欲、物欲を追い回す人が多いそうです。くだらん事ではあっても、これは、まだ元気のある証拠でしょう。

 

 さもなければ、とかく、他人にばっかり頼って、安逸をむさぼるようになるようです。

 

孔子は、その老ゆるにおよびては、血気すでに衰う。之れを戒しむること得るにあり」(論語、李氏)と、老年期の人々に、欲得を求めることの愚を戒めています。

 

 老人が、静かな、安らかな老人になり切るためには、先ず、物を欲しがらないことですね。

  「心を善うは、寡欲より善きは莫し」(孟子)

 

 そして、うそのない生活をすることです。

 

  [心を善うは、誠より善きは莫し](菊子)

 

ところが、老年期ともなると、[老い]と「病」とが、一緒にやって来るのです。その病も、昔でさえ、四百四病もあるのです。          、

 人間の五臓(脾・肺・肝・腎・心)には、それぞれ81種の病気がある。つまり合計405ある。それから「死」の一つを除いて、四百四病と言っているのです。

 

 病に犯されたら、病気になるのが、よいのです。病気のお蔭で、閑を得ることができるのは、特に悪くはないものです。病に随って、あくせくせぬ事です。

 

 さて、積極的には、どうすればよいか。

 佐藤一斉は、「少くして学べば壮にして為すおり、壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽ちず」(言志四録)と言っています。

私は「老いて学べば、死して朽ちず」の必要は感じておりませんが、毎日先哲の教えなどに接していると、暗夜に燈火を見つめているようなものです。

 本を読んでいると永遠の朝の中に座しているような気分になります。

 その人、人によって、どんな生き方でもよいのです。

 

 「酒に対しては、当に歌うべし、人生幾何ぞ」(魏の武帝)と、楽しく明るく飲むのもよいでしょう。

 

「今宵酒あれば今宵酔い、明日愁い来れば明日愁う」(雑言・権審)と、達観するのもよいでしょう。これも、安心立命の極意の一つ。しかし、何と言っても、本当の楽しみは、相手があった方がよい。共に楽しむという境地。

 

 わが家は、客は有れども酒はなく、酒は有れども肴はなく、と言った状態ではあるが、  「両人対酌すれば山花開く、一杯一杯、また一杯」(李白)唐代の詩人

 李白の詩にあるように、お客さんと一緒に盃を傾けながら、歓談する楽しみ、実に楽しい。

  「貧しくて楽しむ」(論語こ字面)気持ちだけは、失っておりません。

 貧しくても、慌てる必要はない。目的を以て生きる。信ずるところに生きる。趣味に生きる。そこに、自ら積極的な人生の楽しみが沸いてきます。

 

・ 「窮するも、また楽し」(古文真宝)です。とにかく一日といえども、明るい気持ち、楽しい気持ちをもち続けなくてはならない。明るい気持ち、楽しい気持ちを以て、他人に接しましょう。

 

 

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佐藤慎一郎講義録 「人生に五計あり」 其の四

2010-11-08 15:03:20 | Weblog



 満州のわが家に着いた。花嫁を迎えるための、茶碗一つ、箸一本も準備していない。そんなものが必要だということは、考えて見たこともなかった。リンゴ箱をびっくり返して、それに新聞紙を敷いたものが、新婚家庭の食卓であった。

 その当時、私は、中国人小学校の先生をしていた。学校からかえると、ノミ、ンフミ、南京虫をとるのが日課。

 

 結婚する前には、私は、私の月給の四分の一を、郷里の両親に送金していた。結婚と同時に、月給の三分の一を、送金することにした。毎月、毎月、一〇数年間、ただの一度も欠かしたことはなかった。両親が生活できないから送ったのではない。お父さんだから、お母さんだから、送ったまでのことであった。

 

 私の花嫁は、朝、昼、晩、タクアンを、かじって平然としていた。私は私で、気狂いのように勉強に打ちこんでいた。貧しくとも、私たちには、小さいながらも、志があった。その志こそ、わが家を希望あるものにし、明るいものにしてくれた。

 

 「貧も羞じるに足らず、羞ずべきは、貧にして志なきなり」です。

 私には、金銭感覚というものは、最初から無かったようです。

 

 絶体絶命の時は、どうだったか。例えば、敗戦、満州国の崩壊。その時、たしか、最後の月給をもらった。貯金なぞ、勿論ただの一円も、おろせなかった。

 私は、最後の給料を貰うと同時に、その足で城内に走った。栗さんという満州人を尋ねて、の給料の半分を、贈って、この世のさよならをした。

 私は、そこから大同学院に走った。死を覚悟していたのでしょう。私は、血書を書こうとしていた。気持ちはさっぱりとして落ち着いた。

 

 血書を書こうとして、日本刀で腕を切ったが、なかなか切れない。そぱで見ていた人が刀は押してもだめ、引くようにすると切れるものです。と注意してくれた。私は、腹切りの作法も知らんような僕には、腹も切れんですね。と笑って誤魔化した。

 刀を腕にあてて、軽く引いてみたら、ブツっと切れた。血書どころではない。血が止まらない。随分と血の仕末にてこずった。今も、その傷跡が残っている。

 

 

 私は、命のあるかぎり、二つの問題に、取り組むことにした。

 一つは、日本が満州で建設した文化財を一つでも多く中国に引き渡そう。いま一つは、一人でも多くの日本人を日本へ送り返そう。そう心に決めて、私は、夢中で、とび歩いた。

 

 生きながらえて、帰国してからでも、私は、「家計」一家の生計については、全く無力無知であった。

 例えば、拓大の理事長である西郷隆秀さんから、一年越しで、拓大に来てくれと要請された。私には教授になる資格もなければ、実力もない。

 

 しかし、私は、ただ学生が好きだった。それだけの理由で、私は、悦んで拓大に勤めることにした。

 拓大から、始めての給料を貰って来た。昭和34年、二万円であった。二万円では家賃を支払えば、いくらも残らない。なんぽ金銭感覚のない私でも、二万円では、生活できない。 「考えねば、ならんなあ」と、つぶやいたら、女房は、


「あなたが、好きな所へ行ったのだから、やりなさい。私は、二万円で結構です」という。「お前が良いのなら、俺は勿論、よいよ」ということで、私の拓犬の生活が始まった。


 学生は、毎週のように、遊びに来てくれた。婆さんは、どこから、どう工面して来るのか、立ち通しで、おかずを作ってくれた。夜中まで飲んだ。騒いだ。語った。怒鴫った。

実に楽しい毎日であった。充実した17年間であった。

  「家貧にして、良妻を思う」(史記

 

とは、この事であろう。

 

 つい先日、身の回りを整理していたら、三万五千円の俸給計算書が出てきた。拓大に勤めてから、6年目のものであった。私は、婆さんに「これを子供らに、遺産として残しておけよ」と言った。そして、婆さんと、顔を見合わせて、二人で心から、うれしそうに笑う事ができた。私たちにも、子供らへの遺産ができたのだ。

 

 

 私は「子孫のために美田を買わず」だ。

 
「子に黄金を龍一杯遺すよりは、一篇の経書を遺す方がよい」(儀書)

 

私は、私白身の行動を遺す。わが家の家計は、

 
 「吾、日計して足らず、歳計して余りあり、ほとんど、其れ聖人か」(庶歳共聖人手)(荘子・庚桑楚)という言葉がある。

 

 わが家は、一日二日を計算して見ると、たしかに足りない。しかし、人生の終末において、計算して見ると、驚くべきほど余裕がある。但し「ほとんど、それ聖人か」には、恐れいった。私たちは、数多くの暖かい人々に取り囲まれている。四六時中、訪問客で賑わっている。

 

先生、死んだそうですねと、線香あげに来て下さる人もいる。少しオーバーに言えば、北は北海道から、南は鹿児島までの、各地の名産は、次から次に贈って頂いている。お米から、味噌から、お魚、果物、お菓子・・・

 とにかく、私たちは、お金では買えない贅沢な生活をしている。


 金て買えない贅沢な生活をすることを「窮奢」という。


 
 結局、家計について、全く無知な私でも、わが家の家計は、十二分に成り立っているようです。

 

 
以下 次号

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佐藤慎一郎講義録 「人生に五計あり」 其の三

2010-11-06 09:22:07 | Weblog




           

「色欲」もまた、仕末が悪い。孔子様でさえ、「少き時は血気未だ定まらず、これを戒むること色に在り」(論語・季氏)と戒めている。しかし、そんな生やさしい教訓を百万遍聞かされても、色欲は解決しない。

 私自身、いやで、いやで仕様のない女と間違ってしまった。

 私は、確かに彼女の枕元を歩いた覚えはある。そしたら、もう、お腹が大きくなってしまっているのです。″聖霊によって孕む″とは、このことか。

 僕は、茫然とした。しかも、責任を全く負おうとはしない。怖しいほど無責任背徳の人間だ。しかもつべこべ理屈を言う。

 

 

「智は、非を飾るに足りる」(説苑)

 

『小人過てば必ず文る』(論語・子張)

 

[盗も亦道あり](荘子・外篇法官)

 

泥棒にも三分の理屈が許されている。学問の堕落だ。人間の堕落だ。責任をとる意志がないのだから、解決するはずはない。私は自殺を決意した。しかも、自殺もせんで、このように生き延びて、壇上から、「人間は・こなんて、駄法螺を吹いている。

 

 今日の18才から24才までの青年の人生の目標は「金」と答えているのが、38%である。具体的には、学問するのは、食うため、よい女房をもらうため、と言っている。

 金欲と色欲、その他の物欲を満たすために、学問すると言うのなら、それは禽獣とあまり差がない。

 

もともと、人間と禽獣とは、あまり差がないのです。人問には「志」かおるだけなのです。

 人間が学問するのは、わが身を修行し、充実させて、自らの人格を完成させるためであって、禄を求めるためでもなければ、社会的に成功するためでもない。学問し、才能が備わり、徳が備われば、禄は、自らついてくるのです。

 

 「学ぶや禄その中にあり」(論語・衛雷公)です。

 

また、食うために仕事するのではない。

仕事そのものに全身全霊を打ちこむことを第一とし、俸禄は、二の次に考えるのが、志のある人間の態度でしょう。

 

 「労を先にして、禄を後にす」(礼・信行)が、本当でしょう。


 抽象的な、論理や観念は、いざという時の力にはならぬ、体得された学問でなければならぬ、身についた学問。

 学問と職業、学問と生活の問題は、人間を禽獣と同じに見るか、人間を人間として見るかの相違を生ずる根本問題です。



 人間としての、正しい道に志す心がなくて、ただ、金欲や性欲、物欲などを満たすために、学問したり、働いたりするのであっては、禽獣と同じことだ。

 まさしく、学問の堕落であり、人間の堕落である。

 

 だからして、人々は皆、食を以て飢えを癒すことは知っていても、学を以て、己の愚を癒すことは、忘れてしまっているのです。要するに人間が人間を忘れかけているのです。人間自身が自分白身を忘れかけているのです。

 

 哀公という王様が、孔子に「引越しをしたら、自分の女房を忘れて来てしまった者があるという話を問いたのだが、そんな事って、あるのかね」と問いた。孔子は、『自分の女房を忘れて来るぐらいの事は、たいした事では、ありません。もっと、ひどいのになると自分が自分を忘れていますよ。″甚だしきは乃ちその身を忘る″(孔子家語・賢君)と答えている。

 

 楠木正統は、奈良街道で坊さんと道ずれになった。坊さんは「あなたは誰だ」「楠木正成だ」「楠木正成とはなんだ」正成は返答できず苦悩した。解脱して、あのような人生を歩むことができた。

 

 

 自分が自分を忘れている。自分を知らない「自分」とは何だ。

  [自分]という日本語は、すばらしい哲学的言葉だ。

 

 ≪「自分」の「自」とは、人間の真正面にある[鼻]という字の省略した字で、その人自身を代表した文字。≫

 

  「分」とは、その自分か、私白身が、何かの分身だという意味です。

 つまり、自分とは、両親の一部分、家族、学校、社会、企業、国の一部分だ。アジア、世界、大自然の一部分だという意味なのです。


中国でも、自分自身の体を

「身は、親の技なり」(社・哀公開)

「身は、父母の遺体なり」(礼・祭義)

「心は身の本なり・身は国の本なり」(准市子・泰族副)

などと、言っている。

 今日の日本人も、中国人も、そのような「自分」という言葉のもつ、人間的意義、哲学的意義を忘れてしまっているようです。

 それだから″自分は自分の勝手だ″″俺は俺の勝手だ゛というような、無責任な思想

が、はびこって来ているのです。

 家庭問題、社会問題、国際問題が、片づかない根本原因は、そこにある。根本の自分自身の在り方が、間違っているのです。

 

 今日の日本を見ていると、多くの日本人は、止め度もない物欲にふりまわされている。

 つまり、本来ならば人間が物を物として使っていくのが、正常な状態であるべきはずなのに、今では、人間自体が物に物されている。物のために人間が物として、ふりまわされている。

 

本当の人間なら、物欲にふりまわされないはずなのに、人間が物欲に、翻弄されている。

 つまり、人間が人間でなくなって、物になりつつあるのです。

 そのような事を考えれば、吾が身をどのような人間として育てていくか、つまり、どのような「身計」を樹てるか、ということは、生やさしい問題ではないと考えられる。

 

 身計とは、肉体の健康と、心の健康のための、はからいの事でしょう。

 身計とは、健康な肉体と健康な心をもった、自分自身を作り上げるための計画のことでしょう

 

 社会的に何かの専門家になるにしても、まず全人格的な修行をした上での専門家となってください

 

 

 

                    







 (三)家計

 

 

  「家計」、一家のくらしむきの計画、いかに家計を樹(た)てるか。

  「家」という字は、「ウ冠(やね)と「ぶた」の合字、本来の意味は、豚小屋。

中国では昔、人間は、豚と同居していたようです。豚は子を多く生む。中国の家族制度でも、子供が多いのを悦ぶ。そうしたことから、家族制度における思想体系を「家」という宇の中にもたせたのでしょう。

 

 中国の伝統的文化の精髄は、中国の家族制度の中に定着している。そしてまた、家族制度こそ、中国文化を継承し、保存し、中国民族の悠久な存在を保証してきた実態でもある。

そのような、「家」を持続していくための「家計」、一家の計画となると、容易なことではあるまい。

 

 日本で言われている一般的な「家計」~一家のくらしむきについての計画にしても、私にとっては、最初から落第だ。

 

 私は、小さい時から、金銭に執着したことはないようだ。

 小学校で遠足かおる。他の生徒たちは、みな小使銭を持って来て、買い食いしている。

私の家では、梅干しの入ったにぎりめしだけ。ビター文持たせなかった。

 学問に志している者は、お金を見ても欲しいなどと思うものじゃない。お金以上に、大切なものがある。

  「財に臨みては、旬も之を得んとすること勿れ」

 それが、わが家の躾のようであった。

 

 私は、22才で結婚した。満州から結婚費用をもって、郷里弘前へ帰った。途中、東京で、子供の頃一緒に遊んだ女が、可愛相な状態にあるのを見て、私は私のもっていた結婚費用の、殆ど大部分を、くれてしまった。

 郷里で結婚していて、いざ満州に帰るという段になって、私は無一文だ。早く帰らぬと、二学期が始まる。私は、花嫁に、「お前一寸、そこえ座れ。お前は、俺と一緒に満州へ行く気があるか」と聞いたら、「あるから結婚したのでしょうという」よし、そんなら、お前の親父さんから、二人分の汽車賃を貰って来い・・・と言ったら、はい、と言って旅費を貰って来てくれた。私は、″なるほど、嫁さんというものは、よいもんだなあ″とおもった。

 


以下次号

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佐藤慎一郎講義録 「人生に五計あり」 其の二

2010-11-02 11:44:23 | Weblog

 


天の時、地の利、人の和が大切だという、人間生活の原理を教えています。
中国では、天地の徳の中で、一番大きいものは[生]だと定義しています。

 

 「天地の大徳を生という」(易経・繋辞下)


「生」とは、生きとし生きるものは、そのもっている[生]そのものを、全うさせようとして、育成して、やまないものである。従って、人間の道もまた、万物を育てよう、育てよう、生かそう、生かそうとする考え方を、根本となすべきであると見ています。

 

 自然界の働きを天命だと見ながらも、人間の可能性を信じ、自然界に働きかけ、自然を利用すべきだと説いた荀子(紀元前230年頃できた本)にしても、天地があって、はじめて人間が生きることができたのだから

 
 「天地は生の木なり」(節子・礼論)

と見ています。

 

 

中国の一般民衆の心を、一番捉えているのは道教でしょう。

 道教は、無為自然を説いた老子、荘子などの思想を根底として、それに仏教だとか、陰陽五行説だとかが混入して、人間の現実的な、福(幸福)、禄(財産)、寿(不老長生)を願っています。

 それで道教的な死生観は、一般中国人の考え方を、ある意味で代表していると、言うことができるでしょう。

 世俗の名利を捨てて、無為自然の道に従い、何物にも捉われない自由な生き方を説いた荘子は、「生」とは、仮の姿である。仮の姿を仮で生きているのだと見ています。

  「生は仮借なり、之を借りて生く」(荘子・至楽)

  さて、仮の姿か、どうか知らないが、この与えられた人生を、どのように生きたらよいか。それは、その人それぞれの考え方があって、しかるべきことでしょう。

 ただ、自分一人だけのことを考えて生きていくか、それとも、みんなと共に生きていこうとするかによって、人生は、大きく変わっていくことでしょう。

 

 

  「生計」いかに生きるか。             、

 

 人生は、生きて見なければ分からぬ、私に分かることは、「生きる」ことだけである。

私は、終戦後の獄中で、かっての満州国の勅任官、高官の死直前のあまりにも惨ましいありのままの姿を見た。全くの餓鬼道であった。

 私は、彼の行動に憤慨を感じた。

 彼は、私に一杯の水を要求した。私は、故意にやらなかった。

その直後、彼は死刑となった。私は自分自身の冷酷さに苦しんだ。

どうにもならなかった。

 

 私は帰国後、彼の故郷を、やっと探しあてて、最後の様子を、すばらしく立派なものとして報告した。家族の人たちは、涙ながらに喜んでくれた。

-私は、普通の娑婆の一般生活と、獄中生活の体験では、全く同じでした。「シヤバ」とは、物心両面の楽しみに相応じて、誘惑、苦痛、束縛の多い人間界のこと。 

 

だからして、私自身、私が生きて見ぬかぎり、私の人生は分からない。


[人の将(まさ)に死せんとするや、その言や善し](論語・泰伯八)


 私も、死に近づいているから、今では、あまり嘘もないだろう。

 

 私たちの、時代の人々は、その根底において、無条件で尽くせる道をえらんだ。献身の対象は、明るい未来に懸けられていた。

 私たちの時代の多くの人々は、私欲をすてて、何かに尽くし切る。そこにこそ、生きがいを感じていたことは、事実であった。

 例えば、私白身にしても、魂を削って満州国に尽くし切ることができた。

 私たちは、物事を身体全体で受け止めた。

 

 そこには、どうしても、やらずにはおられない、やむにやまれぬ決意があった。それは生死を越えたものであった。

 そしてまた、多かれ、少なかれ、体で受けとめられるだけの修行もつまれていた。そこにこそ、私たちの幸福の全てがあった。

 だからこそ、時代の運命に殉じた人々に対しても、不幸な人々であるとは、決して映じなかった。

 

 おれも続くぞ。それだけであった。

 生き続けることは、私も欲するところであった。しかし、正しいと信じた道、決意した道もまた、私の欲するところであった。

 その両者を、同時に得ることができないと言うなら、生をすてても、義をとろうとしたことは、偽りのない事実であった。

 
 「生を棄てて義をとる」(孟子・告子上)


 これは、特に覚悟した上でのことではなく、淡々とした日常生活の延長であった。

 こうした考え方が、あったればこそ、どのような苦しみがあっても、乗り切ることができたし、芳中に楽しみを感ずることもできたのだ。どのような多忙さの中にあっても「忙中の閑」を特つことができたのだ。

 

 人生とは夢の如く、朝霧の如く、はかないものかも知れない。

 天地の悠久に比ぶれば、まさしく瞬時の命かもしれない。

 そしてまた、人間は、天の定めには、闘い勝つことは不可能であることも自明の定めであろう。しかし、私のやりたい事だけはやるのだ。

 

人生は、自分の志に適う道に尽くし切ることにこそ、生きがいがあると、私は信じていた。皆さん、かけがいのない人生だ。・・・

 

 

 




                    


                    叔父 山田純三郎と孫文



(二)身計

  

「身計」の「身」という字は、詩経に「大任、身(はらむ)有り」とあるように「身」とは、女性が身ごもった姿の象形文字です。

 はらむと、お腹が一杯になる。つまり充実するという意味が含まれている。

 また、『道を求むるは、身計なり』(顔氏・家計)とあるように、身計とは、常に肉体を充実させるだけの計画ではない。

 むしろ、[身心の計]身心を共に充実させる計画と言った方が分かりよい。それだけに極めて複雑、深遠な内容をもったものと思われる。

 

 人間の生身の肉体には、「身と心」が、不即不離の関係で存在している。

 

例えば「心は身の本なり、身は国の本なり」(准南子こ宗族訓)とか、「身は窮しても心は窮せず」とか、「身を殺して仁を成す」(論語・微官公)などなど、身と心とは、一つのものではないが、離すことのできない関係にある。

 なにせ生身の肉体には、本能的な欲望がある。

 
まず「食、色は性なり」(孟子・笥子)だ。

 
人間には、本能的に食欲だ、性欲だ、物欲だ、名誉欲だ、権勢欲だ・と欲望
は、次か
ら次へと、止めどもなく沸いてくる。

こうした欲望の仕末は、一寸や、そっとのお説教や罰則ぐらいで、片づくようなものではない。

 

食欲」一つとってみても、大昔から

「王者は民を以て天と為し、民は食を以て天と為す」(史記)
とか

「食は民の本なり、民は国の本なり」(文子・上仁)

と言われており食は、人間が生きていくための根本である。

 中国の一般民衆は、「食」さえあれば、どのような虐政に対してでも、忍従していくが飢餓に迫られれば、決まって叛乱を起こしてきている。

 

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佐藤慎一郎講義録 「人生に五計あり」 其の一

2010-11-01 10:33:40 | Weblog

                            

 

賢読にあたって 

 

世に、売文の輩、言論貴族と称する群れが説く品性なり器量という代物は脳みそを埋める知学の足しにはなるが、肉体化、習慣化、あるいは「性(しょう)」となることはない。


とくに人生のなりわいが、経済的欲求に優先される時節において、「生死の間」を考えることなど難儀、難解といわざるを得ない。

 

とくに、生を永らえることを命題として、その目的をおぼろげにしながら繁栄や成功のみを計らざるを得ないことを宿命と考えるとき、それは覚醒のない怠惰な状態に陥るのは必然であろう。

 

測らずも時の流れに順ずるだけの吾が身を内観したとき、改めて厳しくも潜在する吾を覚えさせていた師の慈恩が甦ってくる。

 

いつもの繰り返しであり循環だが、行きつ戻りつ吾身を省みず、いつか高峰に近づきたいと願っている。

 

ここに御賢察いただきたい講義録は、佐藤慎一郎先生の肉体化した語りである。数週間前から教授案の作成に取り掛かり、マイクもなく、資料も持たず言を発すれば、その音声記録はそのまま書籍ともなるような簡潔さである。

 

親しい交誼のある安岡氏も佐藤先生の言に鎮まりを以って傾聴した。終生、無位無官、かつ無名を貫き、また異民族の地においても闊達な日本人を人々に映し、つねに下座において世を俯瞰するという独特の観察は、朝野の知識人、学者にはない情を基とした忠恕の心が血肉となって稀有な姿によって具現されている。

 

拙い章で師を評することは恐れ多いことであり、また不特定多数に提供することは「いゃ お恥ずかしい」と遠慮されるはずだが、手紙とともに送付された講義録ゆえ利他に役立てることを願ってご紹介する次第です。

 

 

                                    平成1210月     寶田時雄

 

 

 

 








             

 

 

 

 

「人生の五計」佐藤慎一郎講録

            平成124月 於 国際善隣協会

 

 

人生に五計あり

 

 

 朱新仲(時代不明)という人は、「人生に五計あり」と言っている。

生計(いかに生きるか)、身許(自分一身のために立てる計画)、家計(一家の暮らしむき、生計)、老計(いかに年とるか)、死計(いかに死に対処するか)の五つの計画のことである。

 

 朱新仲の言葉として
「人生に五計あり。人に語るに、身計(自分一身のために立てる計画)、家計
家の生計)を以てすれば、即ち喜ぶ。老計を以てすれば、即ち答えず。死計を以てすれば、即ち大笑して。曰く、子の計、拙なり、(つたない、役に立だないと言う)」とある。それ以上の説明はない。

 

 それで、私はいま、私の人生を通じて、私なりの「五計」について、思い出したままをお話申し上げて見たい。

 但し、これを全て「無用の贅言」(近思録・為学)役に立たぬ、よけいな言葉です。

 

 

「生計」人生をどう生きるか。

 【文字は、漢字圏内の哲学体系、思想体系】

 

 まず、「人」とは何か。中国人の見方しか知らないのでお許し下さい。

  「人」という字は、人間が立っている姿を、横から見た形だそうです。「女」という字も、女性が立て膝をしている姿を、横から眺めた形です。横から見た方が、その人の本質がわかり、そしてまた、その方が美しいのでしょうね。


 人間も、例えば、私が今こうして、壇上でお話している内容よりは、誰も見ていない本人の日常の生活の中にこそ、その人の本質が、より多く出ているのでしょう。それで、中国人は、誰も見ていない所でも心を正していなさい、と教えているのでしょう。

 

朱子学でも、独りを慎しむことを、人間修行の最も大切な要としています。

 

 さて、「人間」とは、何でしょう。中国では人間とは、「気」というものが凝り固まって、できているのだ。と説明されています。

 皆さん方は、人と会うと、『お元気ですか』などと挨拶をします。

 

 「元」という字は、中国民族が、紀元前700年頃に書いた「易経」という本の一番最初に出てくる宇です。

 [易経]というのは、中国の伝統思想における自然哲学と実践倫理との根源となった本です。その本の一番最初に『元亨利貞』という言葉が出てきます。お元気ですかの「元」とは、その元なのです。

「元」というのは、天地の大徳で、万物を生々する所以なのです。つまり万物の始めで春に属しており、その徳は仁(いっくしむ、親しむ、愛する)です。この徳は、あらゆる善の中の最高のものだと説明されています。

 

「仁」とは、自分が他人と、とけあおうとする自然の作用であって、人間の最も根本的な徳のことである。=仁は人なり

  

「元気」の「気」という字は、米を焚いて水蒸気が、たちのぼっている字です。万物生成の根元力で、人間にあっては、生命体の根元となっている活動力のことです。

 要するに、「元気」とは、万物の根本をなすものです。大自然においては、天地の気、人間においては、精気(天地万物の根元となる気)のことです。

 

 私たちは、日常、才気がある、気力がある、意気さかんだ、和気が大切だとか、景気がよい、とか悪いと、言っています。

 その他、気位(心のもち方)、気運、気概、気軽、気質、気力、気色、気値、気分、気候、気味、気楽・・・日常生活の中で、ふんだんに使われている。

 

 

 次に、人生の「生」について、

「生」とは、下の「一」は「土」、上の「牛」は、草の生長を象っている字、(他の説明もある)、生む、生まれる、生きる・・・などの意に使われています。

 

 この「生」、つまり一つの生命体が、この世に現れてくるためには「独陰生ぜず、独陽生ぜず、独天生ぜず、三合して然る後生ず」(穀梁)という条件が要るのだと、彼らは考えています。

 

つまり、男はいくら威張っても子は産めない。お手伝いできるだけ。

しかし、女にしても、一人では子は産めない。また、男女が協力したからと言っても必ずしも子は産めない。どうしても天の協力がなくては、子は生まれてこない。つま三者協力し、調和がとれてこそ、はじめて、一つの生命体が、この世に産まれてくるものと、見ています。

 

 

以下、次号

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