「そう固いことは言わず」と、いわれても教えを曲げられない師への志でもある
“そっとしておきたい、天の配財”
[著述業]
世の中に、著述業という職域があります。
税務申告や数々の証明書、申し込み等の書類の記載欄に「著述業」と記載されます。 其の生業は、主に文章作家と称せられる方々が、その類に属すようですが、「営み」の糧とするものの本業と言うべきものでしょう。
しかし、職業選択および兼業の自由があることによって、政治家、芸能人、教師という本業表現を主体としながらも、他分野の評論や自身のテリトリーの中での維持、あるいは顕示を図って出版を企画するものが近ごろ多く見かける風潮でもあります。
“全て個々の自由表現である”と済ましてしまえば簡単なことだが、なかなか難しい問題でもあります。
そこには曖昧な責任意識と、自己の存在位置の仮定意識が混乱した評価を醸し出していることは否めません。
そのためか何々賞といった職域グループの、まるでタライの中をかき回している姿もあれば、出版記念パーティ、受賞記念パーティと、本来の著述の内容と目的にかけ離れ、浮ついたセレモニーが催される傾向があります。
政治家の出版記念パーティなどは、本業?の状況を弁えずに派手な宴席を仕立て上げたり、あるいは、浮情な世を憂い、義を唱え喚起する内容を著したものでも例外ではないようです。
大所高所から世に問いかける意図とはかけ離れ、一部のルンペン・エリートの衆に祭り上げられる姿は、著書から感動、感激をうけ、著者を読者の増幅された価値によって位置づけ、その著されている体験を疑似同体験者として共鳴、あるいは志に銘ずるものにとって正に背信行為であることに気が付かない堕落であり、実直なる社会衰退の徴でもあります。
自らの地位や名誉を、錯覚した価値のもとに押し上げ、そこに寄り添うごときが姿を借用価値として世情を表現する証しの如く惑わし、いつの間にか“内なる独立”のない民情を誤って方向に導いてしまいます。
俗世の“利”には有効ですが、歴史から観れば英知創造とは言えない社会悪の状態を、自覚しないままに時流としてしまっていることが問題です。
[価値ある“分”]
息秘そむ賢人、処世の哲人はそれぞれの考えで、その“分”に任じているのです。
水中花は水中にあって価値があり、水上から眺める者との観点の違いは、それぞれの越してはならない生存の価値であり、黙して認める己の価値でもあります。
“無名有力”だからこそ援けを求め、“志”を吐露する者が近寄るのです。
人前に出て観察され嬉々とするのは人間だけです。
動物園の獣も人に見られるといった理由だけでオリに入れられています。
そこには自然がない。 地球上に最後に生まれて来た人間が“知る”“見る”という知識、技術(知恵)の属性価値のために、他の生物を愛護という言葉を借りて囲いの中にいれてよいはずはない。
賢人、哲人にすれば有を売る、人前に晒す、とはそれぐらいの事でしかない。
それぞれが感謝することであり、厳然とした棲み分けの聖地を守るべきことが受益者のささやかではあるが陰ながらの答礼であり、義務ではないだろうか。
宮沢賢治の著述に“人間が他に及ぼしているさまざまな事柄を、人間が同様に及ぼされたとしても甘受しなければならない”といったような事がある。
同様に“息秘そむ賢人”処世の哲人”を他に知らしむ、といった目的で俗世の覗き趣味的哀愁価値に埋没させては、何のための学問なのか判からなくなってしまいます。
推察される弊害と、覚醒し得る世情を考えるに、その不安は消し去ることができない。
師の故郷 弘前 リンゴの花
[本 意]
台湾在住の、世界史に記憶されている事変の、真の首謀者の苗剣氏秋未亡人に伺った話である。 話というよりか、絞り出すように語ってくれた言葉である。
「苗先生は(自身の夫)は、いつも忙しい人でした。きっと自分自身を探していたんです」
亡夫は生前
「 男は世界史に残るようなことをしなければならない。それには自分自身の生まれて来た目的と、公(おおやけ)に対する志を持たなくてはなりません。」
また、未亡人は問わず語りながら
「私は独りぼっちでさびしい、政府の言う老人施設は、冬暖かく夏涼しい、なにもかも揃っている、しかし、朝起きて体操、食事、昼は何時に食事、夜は何時に寝る、 これでは監獄と一緒ですよ。 年寄りは自由に生きたいです。とても悩んでいます。」
苗夫人
自己を探し求め国事に奔走する夫、理解し、寄り添いながらも自身の責任ある自由を守る妻、それぞれが内なる独立を保った両性扶助のすがすがしさは、革命という秘事体験、しかも表明記述することのない夫の唯一の表現が“夫婦”そのものである思いがする。
人間そのものは自由である。それは自然界の“分”を弁えた上のことである。
“分”はなにも“長幼”や“地位”あるいは“財利”の別のみではない。
勝者は敗者に“おもい”をいたすことから真の勝者になる資格が備わるように、“長幼”においても幼子こそ生まれながら持っている“道心”ではあるが、長じて名利位官の欲求のための、゛邪道゛の有り様では世代の先達とは言えない。
まさに“人心乱れ、道心これ微かなり”ではあるが幼心から学ぶという度量と見識が試されるのも“長”としての“分”の些細な努めでもある。
名利位官を求めることを人間の発展に欠かせない少欲と認めたとしても、おおむね人生一度だけと、あわてふためいている人々に観られる理屈である。
たかだか人間の考えることでは、ゴマメの歯軋りぐらいのことでしかない。
ゴマメがどんな時代に生存し、どんな地位にあったか、どんな利を受けたか、なにを目的として生きていたのか、そんなことは水に映った月のようなものである。
無名でありたい、無学でも莫過でありたい、と願った哲人の境地が、うらやましくも達することは叶わない。
省みるに、一巡りしてまた同じ処にいつの間にか居るのが学問のようだ。
そういえば、我が師から
「吾、汝らほど書を読まず、然るが故に吾汝らほど愚かならず」
「物知りの馬鹿は、無学の馬鹿よりもっと馬鹿だ」と訊いたことがある。
また、アレキサンダー大王が、アテネ郊外の酒樽の中で暮らしているディオゲネスという乞食哲学者を尋ねて
「何かほしいものはないか」と聞いた
乞食哲学者は答えて曰く
「 何もほしいものはないが、おまえがそこに立っていると日陰になる。どいてもらいたい」と答えたという。
哲学者、無学の莫過、人より書を読まぬもの、それぞれに意味と理(ことわり)がある。樽の中での生き方と“分”の責任が在る。
文字に著してはいけない、あるいは著しては価値のないものもある。
その深遠な価値を考えずに、あえて“物知りの馬鹿”や“本読みの衆愚”の眼前に引き出す愚は、乞食哲学者の大王にたいして教えている“分”の礼を、辞譲の心で感じ取らなくてはならない。
世のため、人のため、後世のためといった大義の名分が、如何に民情を惑わしたことか。大義を語って利を貪る輩の“利”は“義”の意から生ずる“志”を枯渇させ“潤い”となるべき“利”の本意を狂わしている。
自利の欲望も大義の欲望も、人間そのものの行為によって善にも悪にもなるものです。
鶴の舞橋
[尿 意]
師の教えに「座して尿せよ」という言葉があります。
ある戦国武将が大事な合議の場で、尿意を我慢できず中座しようとした家来にむかって、「生きるか死ぬか存亡の機にある大事なとき、たかが小便ごときで中座するとは何事か、゛座して尿せよ゛」(座って小便垂れろ)と叱責している。
哲人、賢人に寄り添い小便を我慢するが如くウロウロと、しかも志のあいまいな大義を唱えるなら、いっそのこと老廃物排泄行為をしてからのほうが、より良い方法で哲人、賢人の“おもい”である利他の活用が可能になるのではないだろうか。
文化勲章受章者で作家の司馬遼太郎さんが、陛下のご進講に際し、尿意をもよおして中座したことが自著に書かれている。
真剣な御進講中に「座して尿せよ」と申したところで、失礼と恥ずかしさが妙な場面を醸し出してしまうであろうが、司馬先生は“尿意が近いので”と告白を前おいているのでどうにか納まる話でもある。
ただ、次代の天皇である皇太子に厠の場所を尋ねているのは情けない。明治は書くが、明治人、いや彼らが求めた真の日本人には成り得ない物書きの所作だ。
俗に、“顔を洗って出直して来い”“一晩寝て考え直せ”とはあるが“小便をしてからスッキリと出直せ”とは新話になりそうなことである。
ことは物書きの三題噺だが紐帯を意識させるところが気にかかるところだ。
昔から、生き恥をさらす、志を曲げる、といった言葉がよく使われる。
自身にとっては人生そのものであり、固有の哲学でもあり、聞き手にとっては惻隠の情けという“道心”の発露の場面でもあります。
[宰相、辞して弟子を観る]
人を褒めたたえることでも場所を間違えると取り返しのつかないことがある。
戦後の名宰相といわれた吉田首相の銅像を建立する話が、門下の政治家から持ち上がった時のことであった。
頌徳の本意が、なすべき姿ではなく、意義不明な保守本流意識の勢力に片寄った姿だからこそ起きた出来事だろう。 だからといって今すぐ影響が現れるものではないにしても、その勢力が掲げている戦後政治の根本的命題に関することであり、ひいては我が国の秘奥に潜む問題でもあるからです。
それよりも吉田首相は“卓越した政治家だ”“指導者として忠恕の精神があった”といった国民の普遍なる価値と、信頼される国家の具現者としての理想とすべき姿でなくてはならない。
本人の与り知らない銅像として現示し、後世に遺そうとするなら、尚更である。
宰相はクリスチャンではあるが、その外交体験から我が国の皇室にも畏敬の念を示し、上奏文には「臣 茂」と記している。
その「臣 茂」の銅像が皇居の敷地内に建立された。
故人は、はたして皇居内に臣下の頌徳像が建てられることを望んでいたのだろうか。 あの洒脱なイメージのある方が、例のかん高い声と愛嬌のある笑顔で、とは考えにくいのが庶民の切なる気持ちである。
頌徳文を撰した碩学の道師(安岡正篤)は、建立される場所を聞き損じ「慚愧に耐えない」と同人(岡本義雄)につぶやいたという。
どうせ造るのなら、高山彦九郎のように、あるいは、自らも桂浜の龍馬の如くと願いつつも、師の本意を錯誤した政治家たちのその後の道程は、昨今の政情の姿をみるにつけ“本立って道生ず”といった師の言葉を思い出さずにはいられない。
幕末の儒学者、横井小楠は
「私は言うべきことを言うのである。 相手が聞かないだろうと思っていると、その人を失ってしまう。ところが、聞きたくないというのを無理に強いると、私の言うことが駄目になってしまうから、相手が聞こうが聞くまいが、私のことを言うまでである」
また、こうも述べている
「後世に対しては、成るも成らざるも、唯々正直を立て、世の中の時流には乗ってはいけない。道さえ立てば、後世子孫に継がれるものだ。 その他に言うことはない」
息秘む賢人、哲人は俗世から観れば、風変わり、頑固、とおもわれる場合もあるが、見えざるものを観て、歴史の真実、真理を洞察し、世の中を支えているものです。
あえて表舞台に置いて愚人の評を得たとしても、一過性の満足しかないでしょう
賢人、哲人の立脚する原点は何かを探り、“おもい至る”ことこそ足下を認ずるものの礼ではないだろうか。
さも高邁に浮世の理屈で嬲(なぶ)ることは、師の語る歴史の真実、あるいは“省みる事柄”を軽視し、唯一 知識、情報としての歴史観しか得ることのない“売文の輩”“言論貴族”と同一視するものである。
そんな情感を黙考させてくれる師を想うに、 そっとしておきたい天の配財を、地に伏し、生き様を俯瞰し、秘奥なる気持ちで御護りできたらと念ずるものです。
イメージは関係サイトより転載