まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

小人の招吉 天来ム妄

2008-01-20 10:32:50 | Weblog
今朝、昨今の世情を観た。
いや、何気なく手と気が向いて以下を指し解卦した。

天来ム妄 (てんらいむもう)
 易 六十四卦の一 
「ム」は識字データーにないので表することは出来ないが、小学館漢和p552
に【膝まづいている人が顔を背けている様で、息のできない、また食べ飽きた姿】とある。「ム」または「ブ」 ない、なかれ、とある。

《雷が繰り返し天にこだまするよううに、他の雑音が四方八方から入ってきて惑いやすくなります。こんなときは焦らず私欲から離れ、自然に任せ、天の意に随うこととあります。》


偶成

壱百と八の煩悩除鐘も筆者にとっては足りないくらいですが、清俗の事象に一喜一憂していることが、生きている証だとしても、何とも鎮静の難しい時世です。

近頃では現世の無常と幻に浸りつつも、爽やかで、清々しい一時を独り愉しんでいます。

先哲は「鬼神に敬して近寄らず」と説いていますが、己の秘奥に存在するであろう正気と邪心は、まさに鬼神そのものが天に在らず、地に在らず、我が心の心宮に存するといえるでしょう。

また、齢を重ねますと、ついつい錯覚価値の虜になり、節分の豆に満腹を覚えるほど厄災が積もるといいます。

俳人の言に「心静かに自然を眺めると、己の卑小を悟る」とあります。

叶うなら、たおやかな時世をいとおしみ、自らの心中を内観することが独悦の妙となる、面白い時の過し方を願う昨今です。
コメント
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