まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

ベンガルの声を聴こう

2008-05-13 17:36:39 | Weblog
 

               頭山満とタゴール



シャーカー氏について

ここに、独りのベンガル雄児がいる
彼は賢者であり、勇者であり、また路傍の下座から埋もれた世俗を考察し、その座標を以って時と存在を表わす歴史を俯瞰し、次代の安寧を願い唱える意志がある。
 加えて、その素朴さと純情は混沌とした浮俗にも浸る余裕もある。その姿は彼の国の規範に反して、酒を飲み、煙を吐き、早く烈しい口舌は、曖昧、脆弱に陥った日本男児を圧倒する。
それは過ぎ去った歴史にある日本人の姿の再考の促しであり、意志を携えたベンガルの賢人達の言霊のようにも聴こえてくる。
この度の出版は著者の意志と魂を表現したものである。 



 前記ブログでご紹介しました箱根町のラダ・ビノード・パル博士と下中弥三郎氏を顕彰する記念館の小章について多くの声が寄せられました。

その一つをご紹介いたします。
翻訳は日本ベンガル協会のシャカ氏によるものです。


《親愛なる日本の皆様へ》

 地球上のアジアという呼称に棲み、共通な言語や文化を調和した民族がさまざまな国家を創っていますが、自国や近隣地域との様々な出来事など、歴史という名において書き遺されたり、あるいは記憶から忘れ去られるものもあります。
それらは自国の伝統や習慣のみならず、外交関係にあった他民族の意思や情緒なども学びとして、それぞれが独自の国家観や民族の誇りを培ってきました。

 我国においても経済比較水準における貧困国として、多くの国々や心ある篤志家の助力をいただき国情に調和させた国力発展を目指してきました。
顧みれば国家は複雑な組織体でありますが、それは深層の国力というべき民族の情緒を映し出す人間の問題を基礎的要素として、政治経済や文化が構成されているのはいうまでもありません。
 また、人間と経済の調和が乖離したり、上位に置くことも、下位に置くものでもなく、遍く人の心に優しさとして、時には厳しさとして存在しながら民族の尊厳を護っています。

 ベンガル地域に生まれ、あるいは伝統的哲学に影響され、かつ日本とかかわりのある多くの賢人は、民族の人格的目標、あるいは指導者として、その功績の光はベンガルのみならず、普遍の意思に共感した異なる民族の方々にまでその心を遺しています。

 ベンガル人が貧しくても粗暴には走らず、また行き過ぎた経済的欲求に良心のコントロールを心がけられるのも、そのような賢人をアカデミックな解釈ではなく、習慣的道徳規範の姿として人々の心に溶け込こませ、教育においてもその感謝の心をを朽ちさせない小さな積み重ねでした。

 昨今、インド亜大陸における経済の向上にともない、多くの国々の興味を抱かれるようになりました。そのことは互いを知り、補い合う人間の情として歓迎するところであります。

 それは歴史に刻まれた恩讐を超えた縁の蘇りでもあり、両国に縁のあった先人の懐古を促すことであり、人と人との友誼において真の姿を見つめなおす機会が到来したこととして歓迎しております。

 日本の皆様との関係においてはタゴール、ビハリー・ボース、スバス・チャンドラ・ボース、ネールの各先生が有名ですが、ここで挙げるのは法律家であり極東軍事裁判の判事であったラダ・ビノード・パル先生の事跡と遺された意思についてです。

 先生の有名な言葉に、「熱狂と偏見が鎮まるには時の経過が必要だ」といっています。また、人々が恩讐を超え平常心を取り戻したとき、到来するであろう正邪の分別心を、互いに譲り合う心として「女神と秤の均衡」という言葉によって表しています。

 この意思は、アジアの歴史を内観したときに初めて生まれる過去と将来を逆賭した深い洞察であり法律家の節操でもあります。

 そのためにベンガルの先生の意思を継ぐ方々は日本人有志の求めに応じて、精神が具現された遺物や薫譲された先生の学問の成果を提供いたしました。
そのことは日本及び日本人に期待した先生の意思であり、多くの日本人と共有し語り合ったアジアの意志の継続を託したものでした。

 最近、安倍総理の訪問にともない我国との歴史的関係が多く取り上げられ、歴史の検証や法学を学ぶ若者たちが、その遺品が展示してあります箱根山中のパル・下中記念館に訪れています。

 その感想は我国にも伝達されていますが、心配していることがあります。

 それは記念館の老朽化と下中翁や先生の遺物保管状況が極めて問題があるとのことでした。それは精神を学び継承しようとする方々の悲壮な叫びのように聞こえました。

 昨今、盛んになりました政治経済の交流もさることながら、その応答辞令に引用されるパル先生や賢人との歴史的関係は、それを正しく見つめ心に留め置き、将来の日本及び日本人の皆様自身に問いかけてこそ意味のあるものだと思います。

 日夜を厭わず書き上げた膨大な判決文、日本の青年男女に期待し残した言葉、これらに使用された愛用のペン。法廷で着用した法衣と靴。タゴールについての大学講義の教授原稿。パスポートや各種受賞記念品などが雨漏り、湿気のなか、かろうじてその精神を包み込んで展示されています。

 展示されている遺物は、世界平和の意思を継承する目的との御懇嘱があり、喜んで提供させていただいたものです。加えて世界の法を研究する方々の資料として、かつ日本及び日本人の皆様の歴史的に培った情緒の涵養の糧としても有意義に御活用されることを希望いたしているものです。

 歴史の縁の蘇りは懐古の情のみならず、感謝の精神がその継続を援けます。
また眼前の功利に衰退する人間の行為は、ささやかな縁の蘇りによって覚醒します。

 私たちは賢人の縁がどのように生かされているか、つねに心を置いて将来の子供たちに繋げています。それはアジアの光明だった頃の日本の賢人も、我国の学ぶべき矜持として、かつアジア同胞の誇りとして我国の民衆の深層に育まれています。
あのとき先生は、真の友誼は表層の数字評価ではなく、また利便な文化のもつ正負に動じない鎮まりのある情緒と異なることを恐れない勇気が大切だと語りました。

 つきましては、あの戦禍に学び、理解を共有する日本人の皆様の心を戴き、下中翁、パル先生の遺物とともに継承精神の尋常なる保管をパル先生誕生地の一隅より御懇請申し上げるものです。


2007/08/31 ベンガルの片隅より
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