まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

政治も野球も「あて馬」が多いよう・・

2011-12-23 10:33:12 | Weblog


 埼玉県奥名栗




さほど重要としないものを、あえて表に出して条件をつけて断らせ、本命をもってくる。

商売にもよくあること。だか、金科玉条だと謳っているルールブックにはない。つまり球場外では何でもアリということか・??
理由は客を呼べる、勝てる、もっと大事なことは自分の番犬なりポチになる、つまり軽くてパーがいいということだ。
政治でも、口も達者で上っ面もほどほど、そして愚かに馴らした大衆の札入れを誘う、これまた神輿の上の稚児のごとく政権党の総裁に仕立てたりもする。

まさに「それらしき人」を押し出すために、理屈っぽい候補者、こわもて候補者をその世界の「そぶり」を以てあて馬儀式を行っている。
その「そぶり」だが、野球のそれは打席に立つ前に何度も繰り返す「素振り」だ。これも打つ「そぶり」とも読む。

昔は先発投手もよくあて馬があった。いまは試合前のメンバー表交換が厳しいが、以前は左を予想させて右を出すこともよくあった。騙しの高等手段だが、熟達のファンは百も承知で楽しめた。

政治の世界でも派閥が力をもっていた頃、順送りの閣僚任命でも箸にも棒にも掛からない床の間の石に難儀すると、選挙前の改造でバーゲンセールよろしく残存処理をするようだ。あるいは、おだてすかして総裁候補に持ち上げて、煽った支持者までがニッカ、サントリーと二股や三股をかけて裏金軍資金をせしめる者もいた。
この場合はあて馬を使ったサギである。
「毒まんじゅうを食らう」といって閣僚任命を臭わせて裏切りをそそのかすことの平気な世界ゆえ、ここでも何でもアリである。












転売した球団の人事が騒がしい。
横文字好きな日本社会にあってGMという聞きなれない言葉がある。オーナー、球団社長、会長、監督と、誰が執行責任をとるのか明確ではないが、ここにもあて馬がいる。

新聞辞令なのか、素人オーナーの意向なのか工藤公康さんが監督候補に挙がった。GMとかいう任には元巨人の高田氏が交渉相手となっている。内容は人事権限が主なようだ。
事前交渉がなかったのか、工藤さんとて高い条件と自信評価の売りをやみくもにしたのではないだろう。とくに両人とも現役時代のプレーの実直さは定評がある。胸襟を開いて、どこか折り合いが合う場面があっただろうと推察する。
それを「信頼がつくれなかった・・」となると、人間の問題だ。信義人格の問題でもある。

巨人の騒動もそうだが、本社会長とオーナーとGM、そして監督が混じり騒ぎが続いているが、総じて話の決裂は金銭待遇面と人事権の折り合いである。
全てやるから君は球場で采配をとり、練習を指導すればいい、そして成績を上げることだ。
もともと工藤さんがあて馬なら別だが、はたしてヤッターマンの中畑氏はそれでも監督を受けるのだろうか。これは矜持の問題でもある。

アメリカはベースボールだが、こちらは野球、似て非なるものだと来日の大リーガーは言う。ただし,管理やコンプライアンスはその国の慣習や複雑な要因で構成されている球界の仕組みで大きく異なる。同じなのはルールブックだけだ。
読売の渡辺氏もヤンキースの名物オーナーも「クビ!」を連呼する。ただオーナーと監督が喧嘩しても、必要なら再度呼び戻す乾いた陽気さがある。あのビリーマーチン監督も再任された。どうも面子と対面、借り物の管理方法と役割、似て非なる運用は、日本の場合は陰気臭い。だから「あて馬」が出てくる。

今回の場合のあて馬はファンの熱望かオーナーの意向をそらし、諦めさせる方便として工藤さんが「あて馬」になったように思えなくもない。巨人の騒ぎから魑魅魍魎の世界だとは分かっているが、まさか工藤さんがあて馬役を買って出たとは思えないが、あまりにも早い、また事前準備もなかったような交渉断絶である。
翌日、すぐに元巨人の中畑氏が受諾の意向と新聞に出た。

金銭の条件なら「信頼関係が築けなかった」とは言うまい。あの緻密な投球と、身体劣化を丁寧なケアと独特な練習で現役を続けてきた工藤さんの思い入れは、たとえ買収初年度だとしても、時として数値評価や結果を追う経営の立場からすれば齟齬があるはずだ。しかし高田氏も元選手だ。その位の条件を諄々と説く工藤氏の考えを、責任すら普遍的に定まっていない単なるGMの専権の浸食と考えていたら、中畑氏は到底その任には届くまい。

監督になりたいと公言していた中畑氏に意志と熱意はある、しかし責任の違うGMと監督が一心同体では大人の組織とはいえない。オリンパスと大王製紙に類似する人間模様だ。その高田氏とてオーナーの機嫌は疎かにできないだろう、あるいは本体の経済事情も無視できない。

余談だがなぜ企業は赤字の球団経営にこだわるのか・・・
一例だが、あるとき筆者と某役所の幹部と恒例の全国啓蒙運動の援助依頼に某球団オーナーを訪問したことがある。
筆者は単なる伴席だったが、「貧すれば貪す」その幹部は自分の生活感覚から恐る恐る50万円を申し込んだ。
有名企業のオーナーでもある会長が某省の幹部の訪問ということで直々に応接したことは、大きな金額を想像していた。
「あ、そー、それなら○○球団の経費からお出しします」
気が抜けたのは筆者とオーナーだった。









ただ、その雰囲気は、球団は開け閉め自由の本社の別財布のようだった。よく本社の接待経費が乏しくなると海外法人や関連会社の経費を流用することがある。某老舗の印刷会社は堕落した幹部の小遣いと家族の海外旅行の案内役として海外法人を使っている。上場前にその整理処理を香港でおこなった筆者の体験でもある。それは無給の第三者であったがゆえの観察である。
とくに飲食は微々たるものとしても本社の経理項目には出せない資金などもある。

あるいは不良債権の飛ばしまではいかなくても転化は可能だ。

べつに球団は赤字でもいい、どうにでも理由のつく水商売の様なものだからだ。
また宣伝費だとすれば微々たるものだ。でも膨大なも宣伝費を使うトヨタやNTTは社会人野球をもっていてもプロ球団は所有しない。
つまり大企業にとって宣伝や福利厚生にもならない球団商いなのだ。

鉄道会社、新聞、情報通信、ホテルにスーパー、飲料とすべてが日銭商売である
鉄は国家なり、と言われた頃は経営者も国家観がしっかりしていた。
宣伝を駆使して民を思考停止の愚かものにしなかった。

江戸時代の、駕籠かき、瓦版,旅館、矢場、そう思えば分かりやすいし、そうそう経営する人物も髷とわらじをスーツに換えたところで武士にはなれない。
まして、野球世界ではあて馬などは朝飯前なのだろうが、真に受ける方も浅い。

敢えて付け加えるが、この野球機構のコミッショナーは代々、警察官僚と検察OBの天下り定位置だ。
どうも、胡散臭い世界だし、舶来の受け売り球技だとしても、普通の日本人の情緒にはそぐわない人間たちの集まりのようだ。
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案山子文化を融解する罠と囮(おとり)

2011-12-11 11:31:23 | Weblog


いまは益虫ともいわれるスズメも収穫期には害虫として黄金の穂から追い払われる。
その方法は音の出るもの、人を模した案山子、いまは風に揺られて光る銀色の片で田穂を囲っている。

毛沢東は躍進運動で全国のスズメの殲滅を命令した。そして害虫によって稲穂は喰い荒らされ多くの民が飢餓に陥った。余談だが力は鉄と、全国の金物片なり仏像などの造物をあつめ、津々浦々の郷村に簡易な溶鉱炉を作って不純物混入などお構いなしに溶かした。

おなじアジアといっても、スズメを除ける案山子と殲滅は趣の異なる所業だ。
秦の商咉は「殺を以て殺を制す」と号令した。つまり殺人者を死刑にすれば殺人者はいなくなる、ということだ。似て非なる民族の在り様である。近頃でも朱首相は汚職官吏を『殺せ!』と厳命している。

極端に走る号令も権力誇示の姿だが、我国も信長による比叡山の焼き討ちがあった。それらは為政者の栄枯盛衰の盛りに向かう期か、それとも衰亡に向かう期に表れる状況なのか、あるいは単なる為政者の感情起伏なのか、民族を問わず変わりない歴史の姿でもある。

原因と結果が分かりやすい場合はいい。毛の場合は個人より集団を毀損するものについての対処だ。原因がどこにあるのか、なぜ起きたのか、解からないものには、いまでこそ調査,検証があろうが、始めからから観えないものや、人の習性を推察して対処しても、的外れな対応しかできないだろう。まして農耕、狩猟、海洋など異なる環境において培われた収穫の術(すべ)は、独特な気風とともに互いに理解しがたい部分をもってる。そして時に反目し、終には争いになることがある。

農耕からみると狩猟民族は血に頓着が無い。それは神から与えられた食物であり、血を捧げる感謝の神聖儀式として行われる。農産物を捧げる我国の新嘗祭も同様だが、動物を犠牲とする人々の習慣性は、農耕の勤労耕作ではなく、囮と罠の巧みさが収穫の前提だ。







   青森県 嶽温泉




狩猟は原野や山間に獲物をもとめるが、米国大草原はバッファローの乱獲、寒冷地では毛皮のために貴種動物が乱獲された。これらは自家消費ではなく商業捕獲である。
商業交易が少なかったときは自家消費のための狩りとして囮(おとり)が使われた。

目の前に餌を置いて誘われてきた獲物を捕らえる猟である。
差し当たり便利(ソフト)をハードという器に入れて、宣伝に誘われ消費したり管理されたりする現代と思えばいい。ある意味では罠だ。

その囮と罠の巧みさが金融や教育、あるいは外交に当てはめたらどうだろう。

もし意図的なものだとしたら、まずは宣伝(プロパガンダ)から入る。その手法は商業マスコミを利用した覗き、脅し、嫉妬、または孤独回避のための善意の協働であるが、多くは架空世界を多くの世界の実態であるかのごとく刷り込まれる。

まずは考えることが、難しい、面倒くさいと考えるように、安易と便利を提供する。
それは工夫が衰えることである。

そのうち、そのツールや虚構なコンテンツが無くなると、その便利さを謳われ、流行ごとに慣れた人々は為すすべも無く新たな囲いの安住に容易に誘われ、その管理下に入る。

それは便利という擬似餌に惑わされ、かえって窮屈な囮に誘いこまれる魚群のようだ。まさに考えることと目的を亡失した盲流である。

それに抗するすべである情緒性や免疫となる固有の智慧も、文明化に仕込まれた個性を謳い、それを基とした恣意的な民主と自由によって連帯は崩壊し、人権、平等によって競い争うようになった。

まずはきれいな音の響きのある言葉、幼児でも容易に解かるが、社会のどこを探しても有りもしない目を眩ませる理想の方向性、これらがどこから侵入するのかも解からず、ただ面前の権力である自国の政府や雲をつかむようになった国家という枠に要求し、そして反目する。

終いには連帯を亡くした民族の情緒は融解し、単なる「単体ノ個」として人間は浮遊するようになる


免疫が有効に機能していれば、謳い上げた自由や民主、平等、人権も素晴らしい社会を作り上げる為には有益な理念ではある。

しかし、思索と観照、あるいは棲み分けられた民族の道徳的自制を表す、畏敬の存在、あるいは精霊の存在を無意味なものとして、便利、有利のみを求め、しかもそれを合理と理解するように形成された人々は、誰も反対できないような美しく謳い上げた自由、平等、民主、人権、平和、の混合剤によって、かえって混沌として問題を露呈させでいる。

一方では遵守すべき理念として、他方では便利性や有利性を求める欲求として 背反存在している

自由な生活、求める欲望は、身の丈、つまり「分」を忘れた行動を促がしている。
ローン、クレジット、カード、消費主金融、借りたら返すまでは管理下の奴隷である
しかも、それを用いなければ生活ができない人たちが増えている。今は普通になったが商いの運転経費は当然の借金金融となった。
税、手数料、納付が遅れれば過大な金利、さまざまな負荷がある。

それらは己に帰結するものではあるが、社会の構造はその考察や行動を狭め、またその棲みかさえ危うくなっている。








   青森 黒石市







江戸時代でも領地を移されることがあった。南から北の辺地へ替われば環境や固陋な情緒も変化する。作物も冷害にさらされる。それでも農耕を基とした経済構造は環境順応を強いられる。そして独特な諦観をもつ文化もつくられた。かといって罠やオトリで他藩の収穫を掠め取ることはしなかった。

逆な面では江戸幕府による管理社会だった。武家諸法度というコンプライアンスが整っていた。またそれに安住した安定職御家人は怠惰堕落して異国に対応できず、不平等条約から維新へと世は移った。
隣国清朝も同様に辛亥革命で滅んだ。

その前の戦国時代は領地を求め他領を侵略した。血の縁戚を政略的につくり、ときに罠や囮を駆使して堀を埋めさせ攻略した。

いまは我が国の歴史の一部分で経験した戦国時代のような状況ではないだろうか。
首を切り、耳をそぎ、凌辱し、否応なしに収奪する。そんな時も歴史にあった。


不謹慎だが、男文化は終戦直前、幕末維新、戦国時代に華ひらいたという。
音声は猛々しく、文も実直で透明感があり、緊張感から真剣さが漂う、もちろん姿勢や容姿も凛々しい

どうだろう、世を観察すればこのような人物が求められたいるのではないだろうか。
その人物によって自縛コンプライアンスや自堕落になった安定職御家人の覚醒廃棄が必要なようだ。
英雄ではない、長(おさ)の再考である。 


以下は梅里(徳川光圀、黄門)先生の碑文である。権力者が栄華を戒め、己に課す撰文である

声色飲食 其の美なるを好まず、第宅(ていたく)器物其の奇(き)を要せず、

有れば即ち有るに随(したが)って楽胥しみ、無ければ即(すなわ)ち 無きに任せて晏如(あんじょ)たり


それにしても、国の財布も経済も罠や囮がはびこる流れに任せて晏如なのだろうか。




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野田君は屈原にも成れぬのか

2011-12-06 15:46:01 | Weblog


《ドジョウは目が泳ぎ、溝(ドブ)に潜るのか》

ことさら目くじらを立てることではないが・・・・

以前、日中友好交渉の訪中の際、周総理から論語の一章を田中総理が貰ってきたことがある。その内容について当ブログで紹介したが、揮毫されていた文は「言必信 行必果」で、まさに実行力を謳われた田中総理に適した内容だった。

内包されている意味は『守って実行しなさいよ』という事だ。
もう一つは、そのあとに続く章だ。「硜々然として小人なるかな」(小石のような小者)という章が前の色紙の語と一つになって意味となる。孔子に弟子が質問した逸話である。

弟子が問う
「言うことが信用できて、行うことに必ず結果が出る、このような人物は?」

孔子が応えて
「それでも一等な人物ではない。せいぜい小石の様な小者だ」

「ならば、どのような人物が・」


「君主の命を受けて他国に遣わされ、主に辱めを受けないような人物、つまり義のある人物だ」

まさに外交交渉の前提となる人物の教養だが、今の主は欲望の群れや小商人ではなく「善なる民」だ


翻ってその後の国会では、ある議員が宮沢総理にその色紙を譬えに質問した。
「あの周総理の色紙に書かれているような立派な・・・」

筆者は早速質問者の議員に連絡、「記事録は残るだろうが、認識の是正なくして議員は務まらない」と勉学を促した。

もっとも話題にもならなかった重大なことがある
調印の前に毛主席に接見している。そのとき有り難く頂戴したのは、毛沢東が熟慮して選んだ歴史書「楚辞」である。
このなかに端午の節句でなじみ深い屈原の逸話がある。世をはかなんで汨羅(ベキラ)の淵に入水自殺した屈原だが、民衆は魚に食われてはいけないと粽(チマキ)を作って池に投げ入れた。それが端午の節句のチマキである。

なぜ屈原は世をはかなんだのか
春秋戦国の末期、大国となった楚は繁栄した。

しかしその繁栄は堕落と怠惰に陥った。とくに官吏の奢り、貴族の贅沢は極まり、世の中は財貨にまみれた。
それを戒めたのが屈原である。


毛は資本主義の行きつくところ、あるいは金権政治の終末を「楚辞」を贈ることで戒めている。あるいは逆らうと屈原のようになると、暗に恫喝したともとれる。

しかし、周の色紙も、毛の楚辞も、ある意味では外交上の戯れであり、面子潰しのようなもので、粋な教養人なら絶妙な応答が利いた場面だ。


屈原に戻るが・・
もはや食い扶持の身分となった官吏、そして困窮し世をはかなんで自殺する民は毎年三万人。いや白書ではそうだが、変死、不審死、として認定されるなかで、行き倒れ、衰弱死、身元不明はその数倍となる。
つまり十年間で百万人はいるはず。ちなみに都内近郊でも毎日のように人身事故で複数の交通機関が止まる。なかには事故死として認定される犠牲者もいるだろう。それでも三万人・?  酷いのは、殺人被害者だ。相当な数に上るだろう。

これを以てしても、人は嘆き、儚くなるのは当然だ。
楚の統治でもこのようなことはなかった。
しかも、文明国、GDP第三位、最も治安のよい国、と自称している国である。

「田園まさに荒れなんとす・・」と帰去来の辞にある。
しかし、日本人は帰るところがない。外にも出られないような軟弱になった。
だだ、衰弱の末路なのか共食いが始まっている。

5・15 あの時もそうだった。
汨羅の淵は波騒いでいる。屈原は人に押されたのではない。自身で入水した。

野田君 君は権門に棲み付く身分ではない。あくまで民の救い主でなければならない。

佐藤栄作氏は事あるごとに陛下に拝謁した。そして国を知り民に悟った。

陛下は悦んで民の代表者たる君の清言を迎えるはずだ。

そして真の勇気を涵養することと、国家の将来を独り鎮考することを課せられる


それが宰相というものだ
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再読 政治の座標を観る 《昇官発財》 其の九

2011-12-03 13:52:06 | Weblog
 
          原文寄託された佐藤慎一郎氏(満州にて)




      昇(しょう) 官(かん) 発(はつ) 財(ざい)

官吏は昇進するたび財を発する、また民はそれを嘲りつつも倣うものだ

己れ自身を正すことなくして、天下万民を指導することはできない。

私利私欲を抑えながら天理と一体になってこそ、万民の意に添うことが出来るはずだ・・

日本の経済繁栄と同時に、公々然として氾濫しているのは「偽 私 放 奢」だ。

これを除かなければ政治を行おうとしても、行う方法がない・・ 

その弊害と現象は読者の賢察に委ねる



                             筆者考




【以下 本文】


3 .まず、四患を除け

 「政を為す術(すべ)は、先ず四患を除く」

 と云う言葉がある。後漢の荀悦(148~209年)という人の教えである。

彼は後漢第十四代献帝(189~220年)の時、進講申上げている。その彼が漢の政治の乱れを正すために書いた「新一」(五巻)という本の中で「政を為す術(要諦)は、先ず四患を除く」と、主張している。政治を行なう要諦は、まず四つの病根を取り除くことから始めなければ、ならないと云うのである。

 その四つの病根とは「偽、私、放、奢」の四つである。

政治の「政」という字の本義は、天下万民の不正を正すということである。孔子も
 「政とは正なり。君、正を為せば則ち百姓(ひゃくせい)(人民)故(これ)に従う」(礼、哀公開)
と教えている。






             北京 紫禁城   関連サイトより




四つの病患の第一は「偽は、俗を乱す」である。

  「偽」という字は、「人と為」でできている。つまり人為、作為が加わっているということであろう「偽は、詐なり」(説文)とか、「偽は欺なり」(広稚)などと解されている。

 「詐」とは、あざむく、言葉を飾る、落し入れる。
 「欺」とは、あざむくという意味ではあるが、欺の「欠」(かける)という字は、心中にひけ目があることを表わした字である。入を騙しながらも、心中にひけ目がある間は、少しは望みがあろうというものである。入間はその心根を誠にしておりさえすれ、ば、自分を欺き、他人を欺くようなことは有りえないはずである

 「偽は俗を乱す」の俗は、一般には、習俗、風俗といった意味に使われてはいるが、これには、もう少し深い意味がある。
 「俗は、欲なり。入の欲するところなり」(釈名)と解されている。
 「俗」という字は、「人と谷」。「谷」とは「穴から水が自然に沸き出るかたち」を表わした文字。この谷の水が欠けると、自然に不足を満そうとする「欲」が生まれてくる。
人間には、そのように生まれながらにして、穴から自然に沸き出て来る水のように、自らの生を全うするために、自らなる生への意欲が、こんこんと沸き出て来ている。それが社会一般の本然的な習俗を作りあげているのである。
要するに生命の自然現象が「俗」である。

 人間の本性は、性善説か性悪説かは、私には分からないが、自然の天理に背き、私意私欲から出た悪意ある作為は、たしかに「偽」であると云ってよかろう。
 そのような私意から生まれた「偽」がこの世に横行するようになれば、偽は真を乱す。偽物が本物を乱すようになるのは、理の当然のことだろう。






               

                  天安門




 ところが、このような悪意ある「倫」を弄ぶことのできる生物は、人間だけである。まさしく
 
 「智慧出でて大倫あり」(老子、十八)
 
日本の政界の実状は、智識は己れの非を飾る道具であることを、はっきりと示している。貪るからこそ、姦智が生ずるのである。政界が国家百年のために雄大な国策実施に専念することなく、リクルートだ、共和だ、佐川事件だと、次々に天下に示している事実は、はっきりと、「偽り」そのものである。

 上の好むところ、下またこれを好む。それはまさしく、政界の「偽」が、民俗を乱している」からである。







              

            南京 中山陵 (孫文陵墓)




 四つの病患の第二は「私」は、法を壊(やぶ)るである。
「私」という字、「禾」は穀物の一番良い「いね」のこと。その収穫されたいねを囲んで、自分一人のものとする。それが「私」という字の原義である。

  「公」とは、そのよい穀物を一人占めしないで「ハ」、つまり、それを公開して公平に分ける。「公は、共なり」、(礼記、礼運)で、みんなの物にする。公平無私だとか、公を以て私を滅する、とか云われている。それが「公」の意味である。

  「私は邪なり」(准南子、注)で、「私」という字には、よこしま、かたよる、いつわる、ひそかに……といった意味が含まれている。
人間には、どうしても、こうした私意、私欲というものが、つきまとう。

  「私意は乱を生じ、姦を長じ、公正を害する所以なり」(管子、明法解)
 と云われている。
私意、私欲を以て、物事を見たり聞いたり、考えたり、行なったりすれば、どうしても物事の是非善悪の正しい判断をすることはできない。それで、遂には乱を生じ、三人の女性を合して私するような、姦悪不正不義が多くなり、結局は公正を傷つけることになる。

  「公は明を生じ、偏は闇を生ず」(荀子、不易)
 公正であ・ってこそ、始めて明智を生じ、偏頗なればこそ、闇愚を生ずるのは、理の当然のことであろう。
ところが「私」を離れて「公」はありえないし、また「公」を離れて「私」もありえない。

「天に私覆なく、地に私載なく、日月に私照なし。この三者を奉じて以て天下に労す。これを之れ“三無私”と謂う」(礼孔子間居)
 
天には私心がなく、あらゆる物、を公平に覆うている。地もまた偏頗(へんぱ)に物を載せるようなことはなく、万物を公平に載せている。日月もまた私意によって、かたよった照し方をするようなことはなく、万物を公平無私に照している。天と地と日月は、このように公平無私であればこそ、その生命は永遠に不変なのである。

 大自然そのものの一部である我々人間は、このような天と地と日月のあり方を、そのまま奉戴して、天下のために全力を尽す。公を以て私を滅し、小我を乗り越えて大我の世界に生き続ける人間の在り方。それこそが人間自然の当然の生き方であろう。

私意私欲から出た「私は、法を壊(やぶ)る」というが、中国では「法」というものを、どう考えていたのだろう。









             




法は成文の暗記ではない。弁護士、裁判官、検事は本(もと)を正さなければならない

『法』という字は、もと「灋」と書いていた。「灋(珍獣)+シ(水)+去(ひっこめる)で、出来ている会意文字である。一種の神獣で、とくに性罪を知ることができる。そのためこの神獣に触れさせると、すぐに罪が分かる。シ(水)は、水平、つまり公平の意。去とは、公正に罪を調べ、正しくない者を去る意を表わす」(大漢和辞典)という。

 この灋いう珍獣は、一般の中国語では、「四不像」と呼んでいる。四つ似ていない点がある動物だという意味である。つまり頭は鹿に似ているが鹿ではない。尻尾は駿馬に似ているが、駿馬でもない。背は駱駝に似ているが、駱駝でもない。蹄は牛に似ているが牛でもない動物だという。

 そのほか、この珍獣は、「鹿に似て一角」(漢書、司馬相如伝)とか、「一角の羊なり。皐陶(こうよう)(尭帝の臣、裁判官の元祖とされている伝説上の入)治獄せしとき、有罪者を觸(さわ)れしむ」(論衝)などと記録されている。

 「灋」(法)という字の意味については
 「珍獣は庭園の中にある池の島にとじこめられると、水が枠のようにとり巻いていて、その外には出られない。はみ出る行動をおさえる枠を、法というのである」(漢字語源辞典)とも説明されている。
  




              









「法は、民の父母なり」(管子、法法)
 法が民を愛護すること、それはあたかも父母がわが子を愛護するようなものであるという。中国の人民は、全く幸福そのものであるようである。

 ところが中国の史実は、それとは全く反対で、法のために泣かされた実例は、ふんだんに見られる。それは中国人が「私は法を壊(やぶ)る」という、「私」が優先するためであろう。

では日本の現状はどうか。リクルートだ、共和だ、佐川事件だと、次々に扁いでだけはおるが、一向に国民に納得されるような積極的な明るい結末は。見られない。それは政界の人々が、己れの私利私欲を果そうとする姦智が、はっきりと法を壊っているからである

 ソクラテスが死刑に処された時
 「悪法も、法は法なり」
 とはっきりと首い切って死についたと云うことが思い出される。
日本でも政治家によって決められた悪法が、公々然と生き続けている




 「奢」とは、おごる、ぜいたくと云った意味であり、その反対が「倹」である。
  「礼はその奢ならんよりは、寧ろ倹なれ」(論語、ハ佾(はちいつ))
 
礼というものは、分を越えて無理なぜいたくをするより、むしろつつましやかであれと教えている。そのように「倹」とは、つつましやかながらも、礼にかなうことである

中国では、昔から冠婚葬祭、その他態態などをも含めて、贈物をすることを、「人情を贈る」と云・っている。「礼物(贈答品)を以て、たがいに贈りあうことを、人情を贈ると云う。唐、宋、元の人々は、皆そのように言っていた」(通俗篇、儀節) と記録されている。

 驕奢を誇りながら、その実。金銭に目が眩んでいる日本の政界では、リクルートだ、佐川事件だと、「人情」を要求しすぎているようである。これは、まさしく亡国への道。




 貧乏入は、学ばずして慎ましやか。そのためか貧乏していながらも、心に何となく余裕があるようである。それは死生命あり、富貴天に在り、などとに悟り切っているからだけではあるまい。

「奢る者は富みて足らず、倹なる者は貧にして余リあり、奢る者は心つねに貧しく、倹なる者は心つねに富む」(譚子化書)という言葉が残されている。

心に奢りのある者は、もっともっとと更なる大を求めるため、何時も足りない、足りないと騒いでいるのであろうが、それはその心が貧しいからなのであろう




                






中国の指導的立場にある人々は、競って己れの嗜欲を恣(ほしい)儘にするため、庶民を搾取しているという。
 「奢侈、賦(租税)を厚くして、刑重し」(史記、斉太世家)
 これでは、民衆はたまったものではない。
 
度を越した奢侈、放縦は、結局はあらゆる制度、秩序を敗(やぶ)ることになり、遂には陰陽変乱して国を亡(なく)していることは、史実の示しているとおりである。

だからこそ荀悦は「政を為す術(要諦)は、先ず四患を除く」と云ったのであろう。彼は更に続けてその
 「四つのものを除かざれば、則ち政を行なうに由なし。これを四患と謂う」
と結んでいる。四患とは、偽私放奢の四つのことである。


以下 次号

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sunwen@river.ocn.ne.jp

連載終了後、取りまとめて掲載し活学の用にしたいとおもいます
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