埼玉県奥名栗
さほど重要としないものを、あえて表に出して条件をつけて断らせ、本命をもってくる。
商売にもよくあること。だか、金科玉条だと謳っているルールブックにはない。つまり球場外では何でもアリということか・??
理由は客を呼べる、勝てる、もっと大事なことは自分の番犬なりポチになる、つまり軽くてパーがいいということだ。
政治でも、口も達者で上っ面もほどほど、そして愚かに馴らした大衆の札入れを誘う、これまた神輿の上の稚児のごとく政権党の総裁に仕立てたりもする。
まさに「それらしき人」を押し出すために、理屈っぽい候補者、こわもて候補者をその世界の「そぶり」を以てあて馬儀式を行っている。
その「そぶり」だが、野球のそれは打席に立つ前に何度も繰り返す「素振り」だ。これも打つ「そぶり」とも読む。
昔は先発投手もよくあて馬があった。いまは試合前のメンバー表交換が厳しいが、以前は左を予想させて右を出すこともよくあった。騙しの高等手段だが、熟達のファンは百も承知で楽しめた。
政治の世界でも派閥が力をもっていた頃、順送りの閣僚任命でも箸にも棒にも掛からない床の間の石に難儀すると、選挙前の改造でバーゲンセールよろしく残存処理をするようだ。あるいは、おだてすかして総裁候補に持ち上げて、煽った支持者までがニッカ、サントリーと二股や三股をかけて裏金軍資金をせしめる者もいた。
この場合はあて馬を使ったサギである。
「毒まんじゅうを食らう」といって閣僚任命を臭わせて裏切りをそそのかすことの平気な世界ゆえ、ここでも何でもアリである。
転売した球団の人事が騒がしい。
横文字好きな日本社会にあってGMという聞きなれない言葉がある。オーナー、球団社長、会長、監督と、誰が執行責任をとるのか明確ではないが、ここにもあて馬がいる。
新聞辞令なのか、素人オーナーの意向なのか工藤公康さんが監督候補に挙がった。GMとかいう任には元巨人の高田氏が交渉相手となっている。内容は人事権限が主なようだ。
事前交渉がなかったのか、工藤さんとて高い条件と自信評価の売りをやみくもにしたのではないだろう。とくに両人とも現役時代のプレーの実直さは定評がある。胸襟を開いて、どこか折り合いが合う場面があっただろうと推察する。
それを「信頼がつくれなかった・・」となると、人間の問題だ。信義人格の問題でもある。
巨人の騒動もそうだが、本社会長とオーナーとGM、そして監督が混じり騒ぎが続いているが、総じて話の決裂は金銭待遇面と人事権の折り合いである。
全てやるから君は球場で采配をとり、練習を指導すればいい、そして成績を上げることだ。
もともと工藤さんがあて馬なら別だが、はたしてヤッターマンの中畑氏はそれでも監督を受けるのだろうか。これは矜持の問題でもある。
アメリカはベースボールだが、こちらは野球、似て非なるものだと来日の大リーガーは言う。ただし,管理やコンプライアンスはその国の慣習や複雑な要因で構成されている球界の仕組みで大きく異なる。同じなのはルールブックだけだ。
読売の渡辺氏もヤンキースの名物オーナーも「クビ!」を連呼する。ただオーナーと監督が喧嘩しても、必要なら再度呼び戻す乾いた陽気さがある。あのビリーマーチン監督も再任された。どうも面子と対面、借り物の管理方法と役割、似て非なる運用は、日本の場合は陰気臭い。だから「あて馬」が出てくる。
今回の場合のあて馬はファンの熱望かオーナーの意向をそらし、諦めさせる方便として工藤さんが「あて馬」になったように思えなくもない。巨人の騒ぎから魑魅魍魎の世界だとは分かっているが、まさか工藤さんがあて馬役を買って出たとは思えないが、あまりにも早い、また事前準備もなかったような交渉断絶である。
翌日、すぐに元巨人の中畑氏が受諾の意向と新聞に出た。
金銭の条件なら「信頼関係が築けなかった」とは言うまい。あの緻密な投球と、身体劣化を丁寧なケアと独特な練習で現役を続けてきた工藤さんの思い入れは、たとえ買収初年度だとしても、時として数値評価や結果を追う経営の立場からすれば齟齬があるはずだ。しかし高田氏も元選手だ。その位の条件を諄々と説く工藤氏の考えを、責任すら普遍的に定まっていない単なるGMの専権の浸食と考えていたら、中畑氏は到底その任には届くまい。
監督になりたいと公言していた中畑氏に意志と熱意はある、しかし責任の違うGMと監督が一心同体では大人の組織とはいえない。オリンパスと大王製紙に類似する人間模様だ。その高田氏とてオーナーの機嫌は疎かにできないだろう、あるいは本体の経済事情も無視できない。
余談だがなぜ企業は赤字の球団経営にこだわるのか・・・
一例だが、あるとき筆者と某役所の幹部と恒例の全国啓蒙運動の援助依頼に某球団オーナーを訪問したことがある。
筆者は単なる伴席だったが、「貧すれば貪す」その幹部は自分の生活感覚から恐る恐る50万円を申し込んだ。
有名企業のオーナーでもある会長が某省の幹部の訪問ということで直々に応接したことは、大きな金額を想像していた。
「あ、そー、それなら○○球団の経費からお出しします」
気が抜けたのは筆者とオーナーだった。
ただ、その雰囲気は、球団は開け閉め自由の本社の別財布のようだった。よく本社の接待経費が乏しくなると海外法人や関連会社の経費を流用することがある。某老舗の印刷会社は堕落した幹部の小遣いと家族の海外旅行の案内役として海外法人を使っている。上場前にその整理処理を香港でおこなった筆者の体験でもある。それは無給の第三者であったがゆえの観察である。
とくに飲食は微々たるものとしても本社の経理項目には出せない資金などもある。
あるいは不良債権の飛ばしまではいかなくても転化は可能だ。
べつに球団は赤字でもいい、どうにでも理由のつく水商売の様なものだからだ。
また宣伝費だとすれば微々たるものだ。でも膨大なも宣伝費を使うトヨタやNTTは社会人野球をもっていてもプロ球団は所有しない。
つまり大企業にとって宣伝や福利厚生にもならない球団商いなのだ。
鉄道会社、新聞、情報通信、ホテルにスーパー、飲料とすべてが日銭商売である
鉄は国家なり、と言われた頃は経営者も国家観がしっかりしていた。
宣伝を駆使して民を思考停止の愚かものにしなかった。
江戸時代の、駕籠かき、瓦版,旅館、矢場、そう思えば分かりやすいし、そうそう経営する人物も髷とわらじをスーツに換えたところで武士にはなれない。
まして、野球世界ではあて馬などは朝飯前なのだろうが、真に受ける方も浅い。
敢えて付け加えるが、この野球機構のコミッショナーは代々、警察官僚と検察OBの天下り定位置だ。
どうも、胡散臭い世界だし、舶来の受け売り球技だとしても、普通の日本人の情緒にはそぐわない人間たちの集まりのようだ。