まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

小者では記事にならない あの頃…

2017-10-31 15:42:34 | Weblog

  「人は人に感動し、そのようになりたいと倣う」  平成天皇被災地にて   

関係サイトより転載



数年前のこと、ある中央官庁出身議員、とはいっても女癖がわるくチョイ悪だったせいか少し生涯賃金が劣り落ちればタダの人と揶揄される議員を勧められた男の行状について、あまりにも行儀が悪いことを茶飲み話に聴いたことがある。

もちろんこの手の男は東大法学部の落ちこぼれが多いようだが、どこか計算高く情緒性の薄い無教養の人間が妙な附属性価値を天ぷらコロモのように装い国会をのし歩いている。

案の定、出身官庁の悪どもと利権遊びに熱中する。
各省庁はそれぞれの権能を用いて都合のよい規制をつくり、今は独立行政法人となった公団を遊び場にして素餐を貪っていた。公団理事長はそれぞれ技官や事務官の指定席となりOB天下りの収容先だった。

この男は女と金に行儀が悪かった。
公団理事長には業者に資金を捻出させ千葉に別荘をつくり、女は国会に近い繁華街に居を与え、公団発注の業者の振り分けをさせたり、狡猾な女も業者に車を支給させたり便宜供与に勤しんでいた。この議員の趣味なのか女は西洋人と間違えるような装いをしている。
あるとき、女の存在が女房にばれたときも「彼方がその立場にいられるのは誰のお陰・・」と恫喝し、女房も愛情が微かなのかその関係を承諾したという。

提供する業者も大手には逆らえない末端の事業者に上乗せ過剰請求をさせるが、ときに立て替えをしたのに発注がなく、事業に窮する者も出てくる。製薬、教育、建設など各業界にもその様な汚れ役がいると聴く。

議員仲間でも知れ渡ったが当選回数を重ねるたびに利権を振り分ける力もつき、要職にもつき名も知れ渡るようになるにつれ、幾分か顔つきがこわもて風に変わってきた。







支那派遣軍若杉参謀(三笠宮殿下)は泥沼の戦況の原因は、「日本人が真の日本人でなかった」と部下の言を引用し、その範として「大御心に沿う行動」として、ときに略奪暴行で現地の民衆の心を得られなかった現地軍を諭している。

さて、文中の小者は大御心に沿っているのだろうか。


そんな茶飲み話だったが偶然にも大手週刊誌の記者が遊びに来た。こちらも興味深く聴いていたが、その記者は「小者なので記事にもならない、どこにでもある話ですね」と慣れた口調で笑っていた。しかも、政権が変わってもその関係は崩れないと言葉をつないだ。

ただ、国民には眼に見える直接被害は無いようだが、議員を選択する場合たとえとるに足らないスキャンダルだとしても「小事は大事の端」という、彼らの行儀の悪い遊び場が魔屈として増殖したら、不審、怨嗟、不信となって政策遂行の障害になる恐れがある。

官僚や御用学者の一時預かりが駅弁大学の教授となり、校舎建設が大学新設利権となり、薬剤認可の枠組みはシンジケートなって製薬利権となり、選挙区に道路予算を付ければ議員もサービスエリアや道路の経常管理経費を人と金の利権とする。

江戸の雲助や街道利権をもてあそんだ稼業人がいるが、民法のないころは掟や習慣によってホドよい環境をつくっていた。今では道路をつくり、道路を管理し、通行者を規制する、総てが各省庁の利権構造に組み込まれた。

しかも、それが明け透けになってきている。本来は国民には隠れた下支えの現業だったが、事務職や技官を含めた収奪構造であることは国民の多くが承知することとなり、しかも抗するすべもない。

それは小者だからの問題ではなく、「小者ばかり」になってきた感がある。
「小人、利に集い、利薄ければ散ず」
小者は利があるところに集まり、利がないと察知すけば散りぢりになる、という古語だか、政党政派の離合集散などは最もよく表れたその類いだ。

「小人の学、利にすすむ」
小者の学びは名利に向かい、今どきの浮俗の附属性価値であり、何ら人格を代表しない地位、名誉、財力、学(校)歴に邁進する。それを亢進させ収入を担保し、より不作為の安全性を謀る公的位置の一群と、それを学問の目的として勧める浮俗の価値感がある。

しかも「利は智を昏からしむ」とあるように、我利ばかり考えると狡知ばかりが発達して、本来の自由闊達な智が衰える。利を「財利」のみに考える浅薄な数値評価が近ごろの風潮になっているのもその表れだ。

やはり「利は義の和なり」利は自他の調和と正しい行為の集まったものが真の利と導くように、いまどきはそんな野暮で古臭い喩が良く似合う現状でもあろう。

いま、小者は上っ面は大物になった。
だだ、もともと党の旧字は「黒を賞する」と書くように、白より黒が賞賛される「党」だ。
悪党はあるが善党とは云わない。
益々増殖するのは間違いない。それに倣う子分も同じ道を歩むだろう。


そんなやるせない世間だが、頼りにする治安機関も似たり寄ったり、心に思うのは被災地で膝を折り、頭を垂れる天子様だけか・・・・

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憲法は権力を制御し、人間の尊厳を護る、此れに尽きる  08,6再

2017-10-18 11:58:20 | Weblog

                聖徳太子 像


近頃「偽」が、流行り文字のようだが、このコラムでも幾度となく「偽」を取り上げている。それも面前に現れる人間の所業のみを論(あげつら)うものではなく、古典にある「偽、私、放、奢」という【四患】にみる複合的人間の劣化の有様を、官吏を代表する権力当事者の倣いとして説明させてもらった。

なにも難しい古典の例を引くまでもなく、全国津々浦々に生活を営む無名の人々は、誰に教えられたわけでもない自己の「きめごと」「さだめごと」という道徳心によって、かれら擬似権力者の「偽」について語らずとも納得していることだ。

あえて小難しい理屈や、売文の輩、言論貴族を雇用した商業マスコミや、真の言論と魅せる人間力を亡失した政治家の言辞を借りずとも、とうに知っているのが民衆というもののようだ。なぜなら、敢えて抗するわけでもなく、忌諱するものでもなく、「いずれ彼らは自らの首を絞める」ことを解っているのである。
その彼らも薄々自壊するのが判っていながら、゛生きているうちが華゛と、名利稼ぎに向かっているのが現状である。





直にして、礼なくば、則ち絞なり
手前勝手に善いと理解しても、他との調和や譲る心がなければ、何れ自分の行動範囲を絞めつける、ということだろう。

しかも彼らは民法、刑法、事足りず条例を集積して、真の自由たる人間の尊厳を恣意的かつ、彼らの利の用とスベく、公務と称して日夜、狡智を働かせている。

面前に現れる下級職の潤いのように、社会保険庁、独立行政法人、自治体官吏、加えて「国家百年の計」と謳われた教育行政まで、口利き、付け届け、が横行し、「偽」教師が食い扶持目的の為に生産されている。不思議なもので警察官には警察官の子息が多いのもその例のようだが、上は国会から村議会、はたまた町内会まで、床の間の石の如く世襲が当たり前のようになっている。

以前、都内行政区における一人多役のボス紛いが、「役に就かないか・・」と誘いを受けたが、その取り巻きを作る魂胆は、数年後、二重帳簿の使い込みが発覚している。あるいは司法保護司の推薦来訪に「今からやっておけば藍綬褒章を貰える」と、不幸にもその世界に陥った人々を出汁に名利を思い図っている法匪のようなものもいる。






「上下交々(こもごも)、利を獲れば、国危うし
誠に古典は簡単明瞭である

それほど日本人に「偽」が横行した歴史があっただろうか。
巷間、影武者だとか、゛すりかわり゛が裏面史に登場するが、今と比べればまだ昨今の「人品骨柄」の卑しさから比べれば別次元のハナシである。

切り口は変わるが、下校時に学生服でゲームに没頭する生徒に注意すると「生徒手帳に書いてない」との反論がある。それと同様に、゛法律に書いてない゛とは、かのホリエモンくんの台詞のようだが、我国の知識人の大多数が「法学」という「学」の僕(しもべ)となってマニュアル解釈という陳腐な屁理屈に埋没して、゛そもそも人間とは゛、゛日本人として゛という、同じ規(のり)でも、陋規(民族独特の規範)のあることすら認知しないために、その影響か、青少年、婦女子まで清規(一般成文法)のみならず、陋規の優越性を知らずに生活しているようだ

このところ権力を構成する任職として、オールスターが出揃った。
最後に登場したのが教職である。これも狡猾ゆえに地を這って不作為悪事を重ねていたのであろう。







一般に権力を構成するであろう任職として、政治家、官吏、宗教家、教育者、知識人、そして今どきは金融家がある。古来、宗教的にも賎業といわれた利食い、あるいはその類の斡旋業は別として、政、官、宗、教の各職分は高貴な立場として特殊権限や待遇を与えられていた。

あの旗を振って勤務評定反対と叫んでいた教師の待遇も、田中角さんのお手盛りより特別な厚遇を得ている。それほど当時は教師が大切にされ、国民からも警察官、医師、教師は尊敬され期待されていた任職だった。

昨今、それが乱れ組織改変、システム更新など小手先の、゛直し゛が流行ごとになっているが、こと此処まで糜爛しては一筋縄にはいかないようだ。しかもそれを執り行うのが政治家と官吏では、まず無理なことは国民の承知するところだろう。

それも国民の耳に聞き捨てならない情報しか入らなくなったのも、その一因だろうが、経済も政治も教育も、そして人間の欲望も、どこへ進むのかどの任職からも光が見えてこない、それが国民の息潜む心配でもある。

普通はそのために法が効力を発揮するのだが、煩雑に積み重ねられた法は、弁護士を増殖させ、只でさえ網の目のように欲望が交差する社会を、より騒がしいものにしてしまっている。あの松下幸之助氏さえ訪米時の感想として「弁護士、精神科医が多い国は二流の国だ。人を信じられないことは全ての問題解決を困難にさせている」と嘆息し、追従する日本を憂いている。

それらの任職が為すべきことは、そもそもどうあるべきか・・・・
そんなことは彼らが考え、行動すべきことだ。そしてその任職の姿を見せればいいことだ。
どうしたら本来の姿になるのだろうか・・・
名利や食い扶持に堕していることが分からないのなら、国民は隣国の知識人を称したように、臭九老、九儒と蔑み面従腹背の柔軟な生き方をとれば良い。





投げやりな論ではない。あくまで擬似権力を構成するであろう、それらの任職は、何れ人間の尊厳を毀損するとして、それを制御すべく憲法を作った聖徳太子の意思は、たとえ不平等条約のクビキからの脱却を考えた明治政府の憲法制定時のおける、伊藤博文の「憲法義解」ならずとも、それを超えた陸羯南の憲法論に投射されていることにカツモクすべきだ。その意味で擬似権力に利巧になることだ

アカデミックな法理論は飯の種になっても、かれら擬似権力者達の覚醒には何の役に立たない。国民は熔けてしまいそうな人情と掟、習慣に一粒の光と可能性を見て、忍従している。中坊弁護士は成文法の支配力は二割ぐらいだと推考している。そのほかは面前の警察権力の恣意的運用や民暴に代表される暴力団、あるいは狭い範囲でいう地域、職域の陋規(掟,習慣)だという。また金融の管理が顕著になった金融資本家の管理システムであろう。

人間の尊厳、あるいは貧しくとも威厳をみる、それらを守護し活かすべき擬似権力構成者の錯覚した所業は、国民を止め処もなく亡国の淵に追いやっているかのようである。

「田園まさに荒れ何とす・・」陶淵明は帰去来の辞で詠み、屈原はベキラの淵に投身した。
良寛や西行になれそうもない日本人よ・・




内容関連サイトより【参照】 ふりかなは小学生向けであり、その世代でも理解、論議できる内容である。


十七条の憲法(けんぽう)のおもな内容(ないよう)
  抜粋

一条(じょう) 和を貴(たっと)び,人にさからうことのないよう心がけよ。

【互いに仲良くして競ったり、争ったりしない社会をつくろう】


二条(じょう)
三宝(さんぼう)をあつく敬(うやま)え。三宝(さんぼう)とは,仏像(ぶつぞう)・経典(きょうてん)・僧侶(そうりょ)である


【精霊と法と僧(教師)、(教師は縁ある萬師であろう)】


三条(じょう)
天皇(てんのう)の命令(めいれい)である詔(みことのり)を受けたなら,かならずつつしんでしたがうように。君主こそ天であり,臣(しん)は地である。


【官吏は連帯と調和の要の存在である天皇の命令に随い、それは天と地の必然の関係のようなものである】


四条(じょう)
官吏(かんり)(役人)は礼を基本(きほん)とし,人民(じんみん)を統治(とうち)する基本(きほん)は礼である


【役人は礼(辞譲の心)を基としてする。人を導き方向性を示すのは礼を前提にしなくてはならない】


五条(じょう)
美食や財貨(ざいか)への欲求(よっきゅう)にもとづく賄賂(わいろ)を受けることなく,公明公正に訴訟(そしょう)をさばくこと。


【贅沢や金の欲求によって賄賂を要求することなく、不特定多数の人々に正しく説明して行政を行わなくてはならない】


七条(じょう)
官吏(かんり)は,各任務(かくにんむ)があるので,職務(しょくむ)をあやまらないようにせよ。


【役人はそれぞれの分担した役割があり、役割を誤る(賄賂、親族などへの便宜)ことの無いようにする】


八条(じょう)
官吏(かんり)は早く出勤(しゅっきん)して仕事をし,おそく退出(たいしゅつ)せよ。

【役人は仕事の準備と後始末をおろそかにしない】


十二条(じょう)
国司(くにのみこともち)や国造(くにのみやつこ)は百姓(おおみたから)(一般(いっぱん)の人々)からかってに税(ぜい)をとってはならない。国に二人の君はありえず,人民(じんみん)に二人の主はないと心得(こころえ)よ。


【役人は百姓(大御宝)から勝手に税(恣意的な税)をとってはならない。あくまで国税以外の税は腐敗堕落を招く】 ※ いまどきの条例乱発して徴収する 罰金、手数料の類だろう


十三条(じょう)
官吏(かんり)たちは,自分の職掌(しょくしょう)をよく承知(しょうち)せよ。


【役人は仕事の内容、その棲み分けを自覚せよ】


十五条(じょう)
私心(ししん)をさって公につくすことは,臣民(しんみん)の道である


【己の立身出世を顧みず社会に尽くすことを役人の心構えとせよ】


十七条(じょう)
重大なことがらを決定するには,独断(どくだん)で決めてはならない。かならず人々とよく議論(ぎろん)をつくすべきである
。 (『日本書紀(にほんしょき)』)

【大事なことは独りで決めず、皆で知恵を出し合い、大いに話あって決めるようにする】

学習研究社 キッズネットより



憲法はいずれ人間の尊厳を毀損するであろう権力(政治家、役人、宗教家、教育者)に対する制御であり、その権力に対して、天皇の「権威」によって、それらに示したものである

いま、庶民(大御宝)には「民法」と「刑法」があるが、総じて明治の国家、国民の創生期に権力者の統治システムとしてつくられたものであり、以前はそれぞれの郷の長(おさ)による掟、習慣、あるいは裁制によって連帯は維持されてきた。太子の憲法はそれと調和していかなければならない役人の姿を諭しているようだ。

これこそ全国津々浦々の辻路に大書して掲げたらよいと思える聖徳太子の意志であり、゛憲法゛であるまいか。

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政局というドタバタ    2009/6再

2017-10-12 11:02:26 | Weblog

弛緩した国家に特有の権力受託者のありさまは歴史の栄枯盛衰を紐解くまでもなく、将来の語り部のモノ種にもなろうかとスライドショーのように目の前に繰り広げられている。

じつは政局を語ることは数多の場面、たとえば人の離合集散や生産性、非生産性が語られるとき「政治」というものが存在するだろうが、なにも「※正しいことを行動し治める」のは議会と呼べる場所における議員の役割だけではない。身近な町会やモンスターペアレントと揶揄されるPTAにも政治は存在する。
※ 正は、(一)に(止) してはいけないこと、するべきことのボーダーラインを持つ意

夫々の範囲においてだが、安岡正篤氏は
「君、デモクラシーも人によってはデモクレージーになる。現在がそうだが頭では解決しない。道徳的習慣性だょ」と筆者に呟いた。

東京都のハナシだが都民が選ぶ議員なりの道徳的習慣性があった。あまり世俗にリンクすると部分閉塞に陥るので近づかないようにしているが、事象を総覧する意味で以下に引用する。





     

                夢よもう一度




<都議>厚遇突出 年収1740万円 公用車も国会議員並み
6月20日11時48分配信 毎日新聞
 衆院選の前哨戦として東京都議選(7月12日)がにわかに注目を集めているが、都議の破格の待遇をご存じだろうか。月給、海外視察、公用車の割り当てと、どれをとっても地方議員の中では突出した厚遇ぶりだ。国会議員と比べると--。【市川明代】

 都議の月給は税込み103万円で、都道府県で最高額。全国平均は83万円(08年4月現在)だ。期末手当と合わせると、年収は1740万円(09年度)になる。これと別に、調査研究用の政務調査費は1人月額60万円で全国一。本会議などに出席する際は、住所に応じて交通費が一律1万円か1万2000円支給される。年1人平均40回分で、徒歩で通える場所に住んでいてもよい。電車賃は23区内なら都庁まで高くても往復1000円前後、八王子まで特急を使っても2500円程度。実費精算が全国的な流れだが、見直しの機運は高まっていない。

 一方、国会議員の月給は130万円で期末手当と合わせた年収は2132万円(同)。また文書通信交通滞在費が月100万円、政務調査費にあたる費用が月65万円。交通費では、JRの無料パスや航空券が手当てされる。






               






 ◇海外視察に1人269万円

 都議会で過去4年間行われた海外視察は6回で、自民、民主、公明の都議30人が参加した。07年に民主がフィンランドやグリーンランドを訪れた際の費用は1人269万円。同年に自民がエジプトやスペインへ行った際はピラミッドやナイル川巡りも含み、1人228万円だった。

 「年15人、1回の日程は10日以内」との申し合わせがあるが、予算上の制限はない。共産党の調査によると、全都道府県で07年度に海外視察を実施したのは17議会。経費は1人平均82万円だった。

 豪勢な都議の視察に、中身が伴っているのかは疑問だ。昨年、自民・公明合同の視察と民主の視察を巡り、報告書に既存の文献からの「盗用」があったことが発覚している。





                

          
            ??????????



 ◇公用車の経費年2億円

 公用車も国会議員並みだ。都議会では議長、副議長と自民、民主、公明各会派の幹事長計5人に専用車がある。このほか自民に3台、民主と公明に各2台の会派専用車がある。共産はいずれも辞退している。さらにどの議員も使える車が8台。いずれも運転手付きだ。

 過去に選挙運動に使って問題になったため「利用も控え気味になった」(議会関係者)というものの、公用車の経費は昨年度で約2億円に上るとみられる。全国的には、公用車は正副議長だけというのが一般的だ。

 国会議員の公用車は衆院に136台、参院に100台。正副議長や各種委員会の委員長には専用車があり、残りを会派の人数比に応じ割り当てている。

 交通費支給額と実際にかかった費用との差額分を法務局に供託している後藤雄一都議は「議会はお友達クラブになっていて、厚遇を見直そうという声も上がらない」と話す。


以上の通りである。  これに嫉妬する愚か者はいない。




過日、久々の居酒屋カウンターで嘘噺を戯れていたら後ろで騒がしい男が講釈を垂れていた。聴き覚えがあったので振り返ると、以前筆者の主催していた小会(郷学)に参加していた男だった。もと衆議院議員だが逸話がある。
「なにも西洋文化圏の制度を真似たところで国民は消化不良を起こす。財政改革なら恩田杢(もく)、上杉鷹山、が有名だが、山田方谷の理財論が今は適宜だ。とくに政治を司る人間の問題が大切だ」と伝えたら、厚い本を二冊購入して一冊を置いていった。




            

          是々非々 政党拘束を破って独り起立する (時事)




かれは其れを読み解き決算委員会で宮沢総理や堺屋太一に質問している。彼等は暗記学校歴はあるし弁も立つが、日本人の情緒性を踏まえ、「信」を拠り所とした賢者による施策という西洋合理的教養ではピンと来ない理財論を自分のものとして発言した。
もちろん、彼等が懸命にペンを走らせたことは言うまでもない。

この頃,筆者の郷学研修会は政治家の卵が大勢参加していた。官房副長官や政経塾の塾長になった人もいたが、酒場のお騒がせ男は東北人らしく大らかな実直さと粘り強さを持っていた。これも,代議士になっている。



                


            右 卜部侍従   隣 安岡正明




会といっても「何々学校」「・・・塾」と称して入会金をせしめ、今どきの有名知識人を迎え、いとも高邁な珍説を聴きセミナー、研修会と称して群れとなった羊を集めている類ではない。





             

               郷学の集い


一時は松下幸之助、安岡正篤、中村天風の教えやエピソードを金屏風にして人集めをしていた会があったが、なかには新入社員研修と称して街頭で大声を上げたり、山籠りをしたりと催眠術紛いの手法を以って研修形態としていたものもいた。
まるでタレント養成校顔負けの入会金と会費を前納して、゛意味深くも意味の無い゛人間養成業が流行っていた。

また、そこから輩出した人々は政治家を始め、各種コンサルタント、経営セミナー集団、など企業の請負訓練や市場動向調査などの裾野を広げる、車でいえば電導コントロールであるデストロビューターのような役割を持っていた。

しかし、それら数多の乱造セミナーや塾は擬似を為すようなもので、本質の道徳的習慣性や立場の忠恕、はたまた利に処する姿に観る卑屈、迎合などは元のままで、ただ借用データーを頼りに争論を好む騒がしい人々を作り出してしまった。

つまり、別世界の感動やコントロールが効かないかのような心臓の鼓動は刺激であっても、鎮まりの思索は導かない。落ち着きのない世情はそのころからであったとの回想がある。




              

            日本の青年に  東京裁判判事ラダ・ビノード・パル




よく、それらしい人間は街頭でたすき掛けをした立候補者に似て、小泉ばりに絶叫する姿は通常とは色分けされる人間達である。人々はそれを知っているがその有様について大仰に声を張り上げて反抗もしない。ある意味では常人には真似のできないことをカラフルな色彩の服装をまとって騒ぎ立てる、これが議会制民主主義のシステムかと妙な気分にさせられるが、さして直接実利にかかわり無いと口をつぐんでいる。

それでもその手の人間の、失業対策、就職運動のような食い扶持確保の姿は消える気配が無い。その確保には慇懃にも頭を下げ卑屈になっても、まるで、゛金持ち喧嘩せず゛゛の風を装っている官吏の貰い扶持は、まだ議員の頭を下げ自らを欺く行為との費用対効果は官吏の生涯賃金計算からすれば可愛いものである。

また大阪は元気がいいが、東京のイベント知事はその点には興味が薄く、政治の要である人の「信」の置所のいい加減さと短絡的忘却をたよりに素餐を貪っている。その意味では都会人の思索と観照の衰え、つまり生き様、食い様のみに没頭してしまい、その日暮らしの面前考察しか出来なくなったのも同様にもみえる。



           

             桂林

あの天安門のときも帰国するとこの有様だった。しかし、中国は変わり日本は変わらない。
なにも車の数や軍事力ではない。どこにでも非生産的な職域に群れとして安住している者はいるが、歴史の問いかけを察知してダイナミックに変更を促す気転は隣国の若者にはある。

その群れが貧しくとも真の自由を毀損するとき動乱する。それは盲流かもしれないが、ともかく動きやすくするために、動く。それはドタバタではなくウエーブとなり浮かぶ舟を転覆させる。それを抑えるのが愚直で食い扶持を保障された警官吏であろうが躊躇しない。

またその智恵がある。力には反抗し、※ 矯めるために透過して歴史を切り開く。
※「矯める」悪弊を直す

国家の歴史を繋げるファンダメンタルとは、そのような気概が時節に応じて輩出し、そして犠牲をも厭わない人間の力をいうのであろう。

ドタバタしている時ではない

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佐藤慎一郎先生 最終講義録

2017-10-08 21:01:49 | Weblog

 

在満二十余年、筆者の恩師であるが学び舎の縁ではない。

碩学安岡正篤氏は隣国の古典を活かして各界に影響を与えた。そして名を博した。一方、佐藤氏は荻窪団地の一室で多くの学徒を迎えている。

同じ古典でも現地の人々の生きた古典だ。それは彼らにとって看板のようなものでもある。

古典流入の来歴はさまざまだが、教養となり、ときに仏教同様に権力の虚飾にもなった。

ときに四角四面の解釈は官吏登用の具となり、政治を硬直させることにもなった。

安岡氏は現地の古典解釈や活用についてしばしば佐藤氏と交談している。

それは似て非なる古典解釈の錯誤から戦火を交えるようなもなることへの矯正でもあった。

以下は拓大最後の教授と謳われ慕われた佐藤慎一郎氏の生徒に向かう魂の講義である。

 

       

 

 

拓大の最後の授業の記録を生徒がまとめてくれた。ばあちゃんも聴いてくれた、いゃ恥ずかしい限りだが・・・と差し出された冊子には、「お別れの言葉、佐藤慎一郎先生最終講義」と記されていた。


恒例になった弘前の墓参も今年は8月15日と決まった。冬は墓石の頭しか見えないくらい雪が積もり墓地に辿り着けず難儀するが、夏は岩木を眺望する小高いところにある

弘前までの道中は膨大な録音テープを抜粋して聴いていると,あっという間に着いてしまう。この講義のようなものもあれば、ばあちゃん(もと夫人)とのなれ初めや、未公開の日中秘史など、師の生涯を網羅するような、ときに涙と笑いがある酔譚である。

師の口癖である、゛体験のバカ話゛とは仰るが、これほど人間を魅了させる人物は未だかって遭遇しない。

ともあれ、弘前に行けば逢える。身を浸してみてこそ解る、そのとおりと、この齢でも実感できる悦びがある。






           拓殖大学最終講義
                     講義・拓殖大学(昭和五十一年三月)

1.心の講義

 私の最終講義に当たり、思いつくままにお別れの言葉を言わせてもらいます。
 私が社会に出ました頃は、不況につぐ不況、お先真っ暗な時代でした。五・一五事件、二・二六事件、満州事変、北支事変、大東亜戦争、そして敗戦、そうした激動の中で生きてきました。机の上に座ったことなどなくして、教壇に立っていたのです。

 私は満州国で、初めて人間の素晴らしい生き方を見ました。すがすがしい死に方を見ました。そうした方々の中には、諸君の大先輩、拓大の卒業生の方々もおられました。私は感動を覚えました。また他の一方では、敗戦という極限の状態における、人間のあけすけな醜悪面も見せつけられ、慄然としました。

 私も敗戦後、共産軍に捕らえられ、死刑の判決を受けること二回、二回とも中国人に助けられました。三回目は国民党に逮捕され、九分通りは死刑であるとの内示を受けていたのが、判決直前、釈放されました。私は留置場の中で、または死刑執行場で、自分で、自分の入るべき墓穴を掘りながら、本当の学問というものは、書物以外の所により多くあることを、体験させられました。

「われ汝らほど書を読まず、然るが故にわれ汝らほど愚かならず」

「物知りの馬鹿は、無学の馬鹿よりもっと馬鹿だ」


 という言葉の意味を本当に知ったのは、日本の敗戦によってでした。いかに素晴らしい言葉であっても、それが信念と化し、行為と化するまでは無価値であることを知ったのです。 では教育とは、何だ。

祖先から受け継いだ民族の生命をはぐくみ育てながら、次の代に伝えていくことだと信じます。教育とは、民族の生命の継承である。生命、それは魂と魂の暖かい触れ合いの中でしか育たない。愛情のないところに生命は育たぬ。誠意と献身のないところに生命の成長はない。

 男女の結合によって、子供が生まれる。生命の誕生である。親と子供は、同時に生まれるものです。親のない子はなく、子のない親はない。親子の関係は、西欧思想のように、「自」と「他」という二元的なものではない。親子の関係には、自他の区別がない。無条件だ。あるものは愛情だけだ。しかも打算のない愛情だ。

真の愛情には終わりがない。これこそが人間存在の原点だ。人間と人間関係の出発点だ。私は特に、母親というものの姿から、純粋な人間愛に生きる、人間の本当の生き方を教えられた。これこそが隣人愛につながり、社会愛・民族愛、そして人類愛にまでつながる根源である。自分と他人とは別物ではない。自分と学生とは別物ではない。

学生の悦びを己の悦びとして悦ぶ。学生の苦悩を自らの苦悩として、共に苦しむ。自他の一体現だ。そうした暖かいものこそが、人間の本質である。しかもこれこそが、現代の社会に最も欠けているものの一つである。  

学生という生命体を育てるには、魂と魂の触れ合いしかない。道元禅師は、

「自をして他を同ぜしめて、初めて他をして自に同ぜしむる道あり」

 と教えておられる。また夏目漱石の『三四郎』とかいう本に、三四郎が東大の図書館から本を借りて来たら、落書きがしてあった。

「ベルリンにおけるヘーゲルの講義は、舌の講義にあらず、心の講義なりき。哲学の講義は、ここに至って始めて聞くべし」 とあった。

 そうだ、これだ。私に出来ることは、舌の講義ではない。心の講義だ。体全体で学生にぶつかることだ。私は拓大に来て十六、七年間、実に学生とよく遊んだ。飲んだ。歌った。語った。そして叱った。怒鳴った。励ました。そのようにして私は、私自身を語った。私は「口耳(こうじ)四寸の学」は教えなかった。耳から聞いて、四寸離れた口から出すような浅薄な学問は、教えなかったつもりである。

「口耳の間は則ち四寸のみ。なんぞ以て七尺の身を美とするに足らんや」(荀子)

 である。私は体全体で「われ」を語ったのです。




                  




2.食・色は人の性なり

私は初めて社会に出て、小学校の先生をした。三か月でクビになった。若い女の先生と海岸へ遊びに行ってクビになったのです。駆け落ちしたのではありません。自転車で行ったまでのことです。二回目の就職先でも、また半年足らずでクビになった。

 誰かの本に、こんな話があった。ある家の青年僧が下宿していた。実によく修行に励んでいた。宿の小母さんは、末頼もしく思っていた。小母さんには娘さんがあった。ある日、娘が青年僧の食事を運ぼうとした時、母親は娘に、青年僧の気を引いてごらん、とけしかけた。娘は悦んで青年僧に抱きついてみた。青年僧は姿勢を正して、

「枯木(こぼく)寒厳(かんがん)によりて、三冬(さんとう=冬の一番寒い時期)暖気なし」 と答えて、娘を冷たく突っ放した。
 
それを聞いた母親は、 「この糞坊主奴(め)が」 と怒って、青年僧を追いだしてしまったというのです。

 若い女性に抱きつかれても、冬の一番寒い時に、一本の枯木が寒々とした岩肌に生えてでもいるように、私には一向に感応はありませんよ、とでも言っているのでしょう。こんな男は、人間じゃない。「停電」しているのだ。ところで、この佐藤先生なら、こうした場合、どういう反応を示したと思いますか。佐藤先生は、待っていましたとばかり、「漏電」してしまったのです。後始末は大変でした。とにかく私は、女に間違う、始末におえない先生だったのです。

「少(わか)き時は血気未だ定まらず、これを戒むること色にあり」(論語) です。

 しかし私には、一つ救いがあった。それは、最初から最後まで、学生が好きだった。好きでたまらんのだ。この拓大にも一人ぐらいは、徹底して学生と遊び通す先生がいてもよかろう。 ところが自分の未熟さ、能力、学問を考えると、それは恐ろしいことでもあった。そのため、私は、自分自身に厳しくした。私は諸君に対して、

「私の講義を本当に学ぶ気持ちがあるなら、先生より先に教室に入って、心静かに待っておれ」 と、要求した。

 この諸君に対する要求は、実は私自身に対する要求であった。与えられた貴重な時間だ。一秒たりともおろそかにはできないぞと、私自身に対する誓いでもあった。そのため私は、三十分か四十分前には、必ず学校に到着しているように心がけた。そして十七年間、この小さい小さいことをやり通した。

「初めあらざることなし、よく終わりあること鮮(すくな)し」(詩経)

 何事も初めのうちは、ともかくやるものだ。それを終わりまで全うすることは、難しいものです。



                 

           伯父 山田純三郎と孫文



3.私心を去れ


 王陽明は「則天去私」(天理に則り、私を去る)と、自壊しています。毛沢東は「則毛去私」を要求しています。つまり、俺を模範として、お前らは私心を去って、俺のために尽くせ、と要求している。中国大陸の今日の混乱・闘争の根源は、毛沢東の私心にある。

 中国は何十回となく革命を繰り返してきた。しかし中国の独裁体制そのものを打倒することは出来なかった。つまり革命のない革命を繰り返してきていたのです。ところが、中国近代革命の目標は、そのような独裁体制そのものを打倒しようとするところにある。毛沢東の独裁体制が強まれば強まるほど、逆に民衆の自覚、目覚め、起ち上がりの力が強くなり、独裁体制を打倒しようとする革命の力が育っているのです。

 毛沢東という人は、かつて『三国志』の英雄曹操が、

「俺が天下の人に背いたとしても、天下の人々が俺に背くようなことは許さぬ」

 と、嘯いたように、今では毛沢東一人を以て天下の人を治め、天下の人を以て毛沢東一人に奉仕させているのです。要するに毛沢東は、中国近代革命の本質を知らない男です。中国の真の革命はこれから始まるのです。

 とにかく王陽明も

「山中の賊を破ることは易く、心中の賊を破ることは難し」

 と言っているように、私心を去ることは難しい。
 しかし私心を断たぬ限り、世の中は明るくならぬ。私心を去るということは、自己との永遠の闘いでしょう。

 殷の湯王は自分の洗面器に、

「まことに日に新に、日に日に新に、また日に新なり」(大学)

 と彫りつけておいて、毎朝、洗顔するたびに、自分の心の汚れ―私心をも洗い流して、毎日が生まれ変わった新しい人間として、政治を執るように自戒し努力し続けたと言われています。
 私も自分を反省し、私心を棄てようと、私なりの努力と自戒を続けて来たのでしたが、人間ができずして非常にかたくなな人間に変わった。しかし、

「誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり」(孟子)

 です。私にはやろうとする気があった。愛情と誠意と献身のあるところ、万物は育つというのが、私の信念であり、行動の基準でもありました。それが多少なりとも、自分の欠陥を補ってくれていると思います。




                    

           王荊山の遺子と



.国家衰亡の徴


 そうした気持ちで現在の拓大を見る場合、淋しい気持ちがしないでもない。拓大は長い間、多くの業績を残してきた。しかしながら現在の学生の中には、溌剌とした自己の生命力を自覚し、国際人としての教養を身につけ、使命感に生きようとする気魂に欠けている学生が多いように見受けられる。

 現代の学生は感性的な欲望を追求することは知っていても、学問を以て自己の本質を見極めつつ、生きがいのある使命感に生きとおそうとする気概が薄いようである。
 人間の幸福を、人間の欲望を追求することに求めた近代文明が、その欲望をコントロールすることが出来ずして、ついにその欲望に支配されている。不幸の根源は、そこにある。しかも現代の教育は、このような病理現象に対しては、あまりにも無力である。
 


日本の現状を正視してごらんなさい。

「天下は攘攘として皆利の為めに往き、天下は煕々として皆利の為めに来る」(六韜)

 世の中は挙げて、利益・利益・利益。勢利あるところに蟻の如くに群がっている日本人の姿を見なさい。

「上下交々利を征れば、国危うし」(孟子)

 上の人も舌の人も、正義を忘れて利益だけを追求するようになれば、その国は危うくなる、と教えています。


荀子の警告

 今から二千三百年も前に死んだ荀子が、「乱世の徴」として、次のような「徴」が現れてくれば、その国家は「衰亡」に傾くと警告しています。

その服は組
 
人々の服装が派手すぎて、不調和となって来る。

その容(かたち)は婦(ふ)
 
男は女性の真似をし始め、その容貌態度は婦人のように艶めかしく軟弱になってくる。拓大にもそんな亡国の民がおる。ところが、国が亡ぶ時には、女まで堕落する。女性は、そのような男か女かわからんようなニヤケタ男が好きになる。そして女は遂に、

両親を棄てて、その男の所へ走る

 と、荀子は書いている。次は、

その俗は淫

 その風俗は淫乱となって来る・

その志は利

 人間の志すところは、すべて自分の利益だけ。まさしく、

小人は身を以て利に殉ず」(荘子)

 です。利の為なら死んでも悔いがないのです。身を以て天下に殉ずる日本人は少なくなりました。その次は、

行は雑」 


 その行為は乱雑で統一を欠いている。喫茶店で音楽を聞き、コーヒーを飲みながら、勉強している。一つのことに専念できなくなっている。

その声楽は険」

 音楽が下鄙てみだらとなり、しかも雑音なのか、騒音なのか、笑っているのか、泣いているのか、とにかく変態となる。音楽を聞けば、その民族興亡の状態がわかるのです。荀子の言葉はまだ続くのですが、結局、

「亡国に至りて而る後に亡を知り、死に至りて然る後に死を知る

 これが本当の亡国だ、と警告しています。現在の日本の国情と比べてごらん。まさしく、

驕りて亡びざるものは、未だこれあらざるなり」(左伝)

 です。

 屈原は漁夫に、

「なぜあなたは世の中から遠ざけられたのか」

 と問われて、屈玄は、

「世を挙げてみな濁る。我独り清む」

 と答えて、汨羅の淵に身を投じて死んでいます。
 日本の現状も、諸君が歌っているように、汨羅の淵に浪騒ぐ状態です。しかし私たちは屈原のように、自殺して苦難を避けることはできないのです。










5.魂の継承


 私には父から貰った素晴らしい財産がある。父は不自由な手で、一幅の書を遺してくれました。

「富貴も淫するあたわず、貧賤も移すあたわず、威武も屈するあたわず、これこれを大丈夫と謂う

 孟子の言葉です。私はこれを父の遺言であると信じています。富貴は我において浮雲の如しです。
 また母の実家の真向かいは、陸羯南先生の家でした。陸先生は、特に日本新聞を通じて、一世を指導した大思想家でした。先生は、

「挙世滔々、勢い百川の東するが如きに当たり、独り毅然として之れに逆らうものは、千百人中すなわち一人のみ。甚だしい哉。才の多くして気の寡きことを 

と、信じた道に命をかける人間が少なくなったことを叱咤しておられます。
 日本は国を挙げて、挙世滔々として中国へ中国へと流れて行った。私は日本を愛し、中国をも愛する。なぜ、日本人は中国人を、かくまで軽蔑し、殺さなければならないのか。私は滔々とした日本の巨大な流れを阻止する術を知らなかった。私は北京大学の学生たちが、排日・侮日・抗日に立ち上がる姿に感動した。私は何らの躊躇することなく、彼らの抗日の波に飛び込み、『打倒日本帝国主義』を叫んだ。私の力は大海の水の一滴に過ぎなかった。完全に無力であった。しかし私には無力を知りつつも、そうせずにはおれないものがあった。



                   





 弘前中学の先輩岸谷隆一郎さんは、終戦の時には満州国熱河省次長(日系官吏の最高職)でした。八月十九日、ソ連軍が承徳になだれ込んできた。岸谷さんは、日本人居留民を集めて、

「皆さんは帰国して、日本再建のために力を尽くしてください」

 と、別れを告げ、数人の日系官吏とともに官舎に引き揚げた。

 岸谷さんはウイスキーを飲み交わしながら、動こうともしない。人々は再三にわたって、

「ソ連からの厳命の時間も過ぎた。一緒に引き揚げましょう」

 と、促した。岸谷さんは、

「そんなに言ってくれるなら・・・」

 と起ち上がって、奥の部屋の襖を開けた。
 そこには日満両国旗に飾られた仏壇があって、香が焚かれていた。仏壇の前には純白の和服姿の八重子夫人(四十二歳。同志社大卒)が、澄み切った顔をして端座していた。その隣には晴衣姿に薄化粧した玲子ちゃん(十七歳)、明子ちゃん(十五歳)二人のお嬢さんが静かに座っていた。人々は、

「せめて奥さんとお子さんだけでも、私たちに預けてください。必ずお守りしますから」

 と頼み込んでみた。

「僕は満州国が好きで好きでたまらないのだ。この辺で日本人の一人ぐらい、満州国と運命をともにする者があってもよかろう

 とポツンと言われた。奥さんは、

「いろいろお世話になりあした。私は主人と行動をともにします」

 ときっぱりと言われました。二人のお嬢さんの、かすかな泣き声。
 人々も、もはやこれまでと別れを告げた。岸谷さんは人々を玄関から送り出して、内から鍵をかけた。奥さんと二人のお嬢さんは、窓から手を振って

 さようーなら をしていた。
 
岸谷さん一家はその直後、自決された。岸谷さんは四十五歳であった。

 十余年前から岸谷さんの家にいたボーイの王君は、主人の覚悟を察知して、主人の日本刀を隠したり、

「不好、不好」(これはいかん)

 と、泣きながら訴えて歩いていたという。
 王君は主人の自決を知るや、直ちに李民生庁長宅に急報し、官舎に引き返して、両手に拳銃を構えながら、夜通し遺骸を見守っていたという。李民生庁長らはソ連軍の入場という混乱の中で、岸谷さん一家のために最高の寝棺を買いととのえ、承徳神社の境内に丁重に葬ってくれた。そしてこの李庁長もその後、中共軍入場とともに銃殺になったと伝えられている

 私は知識人の数々の背徳の中で、清純な自己をはっきりと貫きとおした岸谷さんの姿に、日本民族再生の息吹を感じてほっとする

いつのことであったか、テレビか何かで、ある特攻隊生き残りの人々と問答していた。

「あなたは敵艦に体当たりすれば、日本は勝てると思いましたか」
「いや敗けると思いました」
「敗けるのを知っていて、なぜ、特攻隊員として行ったのですか」
「私が行かなかったら、日本そのものが駄目になるでしょう」

 と、淡々と答えていた。
 民族の生命を守るとは、そういうことなのです。
 死刑の宣告を受けた吉田松陰は、

「初めて学問のありがたみが分りました」

 と、書き送っている。
 学問とはそのように、土壇場の瞬間においても、ビクともせぬ自己を作り上げることだ。まことの「智者は惑わず」です。松陰は、

「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」

 と、辞世の句を遺して、静かに瞑目している。
 そこには民族の生命の継承がある。魂の継承がある。




                






6.大志を抱け

ソロモン王は

「イメージのない国民は破滅する

と、警告している。
私は拓大に来て十六、七年間、諸君に対して常に、クラーク博士が日本の青年に訴えたように、

「青年よ、大志を抱け」

 と叫び続けてきた。

「東洋史に落第しても、人生に落第するな

 と、教えてきた。

 時にはどなり散らし、時には罵倒さえした。幾度か失望し、落胆したが、その都度、学生諸君の姿に励まされて、再び教壇に立った。

 人間とは、心を新たにすることによって、自らを新たに創りかえることができるものである。どのような環境におかれようと、問題は本人だ。本人に遠大な志がありさえすれば、本人にやる気がありさえすれば、諸君の前途には無限の可能性が開かれている。諸君の前途には、諸君自らが創らねばならない新しい時代が待っている。そして諸君には、それに対処しうるだけの無限のエネルギーが秘められている。

 今日という一日に全力をあげてください。昨日という日は、もうない。明日という日は、まだやってこない。在るのは「いま」だけである。この「いま」という瞬間に、全力を上げて下さい。愛情と誠意と献身のあるところ、生命は育つ、万物は育つのです。


 漱石の「三四郎」が、大学の講義のつまらなさをつぶやいて、

「我々の清純な頭を、くだらん講義でこうも詰め込まれたんじゃ、たまったものではない。そんな時には山手線に乗って、ぐるぐる二、三周もすれば、気分がすっきりする」

 と言っている。
 またアレキサンダー大王が、アテネの郊外で酒樽の中で暮らしているディオゲネスという乞食哲学者を訪ねて、

「何か欲しいものはないか」

 と聞いた。乞食は

「何も欲しいものはないが、おまえがそこに立っていると日陰になる。退いてもらいたい」

 と答えたと、何かに書いておった。
 さあ、私も諸君から、

「俺たちの清純な頭に、くだらん講義を詰め込むのはやめてくれ」

 そして、

「そこを退いてくれ」

 と言われんうちに、この辺で自ら去るのが賢明のようです。

 そこで最後に、もう一度言う。みなさん、大志を抱いてください。諸君は民族の生命を継承するのです。新しい歴史を創るのです。それに立ち向かうだけの気迫を持ってください。生きがいのある使命感に生きとおしてください。がんばってください。
 私は拓大を去っても、私の心は諸君の上から離れることはないでしょう。


皆さん、さようーなら。

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突破力は潜在するものを知ることから始まる

2017-10-02 08:52:33 | Weblog

                         宮内庁HPより


陛下は皇太子時代から折にふれて語られた言葉がある。

天皇という存在は、普段は国民の心に潜在化しているのが理想です。国民が個々の難題に直面したときに、その存在を思い出してくれればいい・・
           平成21年1/5 産経     ご学友 橋本氏談




以下は平成20年郷学夏季研修の冒頭読み上げた筆者講義趣旨

講題  《潜在するものを観る》


(観人則 ・・自身の座標のあり方を探る)


バーバリズム(野蛮性)には良質の素心がある。錯覚した文明観は知を集積しつつも素朴と純情さを亡くしてしまった。

そして問題解決をまたしても知(情報)に求め、しかも外来の唐学、洋学をその証の拠り所とする愚は茫洋とした念を抱かされずにはいられない。

現代も過去の歴史の事象も、あるいは未来の推考も人の織り成す作用を見逃すことはできない。

しかし、錯覚した知(情報)に依存した観人の座標は偏った考察を発生させ、よりその弛緩した軸はコントロールを失った欲望に抗しきれず、人間の及ぼす制御域を超えて地球の森羅万象に悪影響を及ぼすようになった。

人間の問題は人間に解決の責は在る。また人間には自身にも気が点かない潜在がある。それは意識であり能力でもあり力でもある。

また潜在を認知するには他からの知の吸収や、はたまたマニュアル、組織の各論ではなく、自身の観人則を回転研磨する軸の作興が重要な課題と認知することが必要とみる。



            
              秩父


以下は参考講話例題

山中の賊を破るは易いが、心中の賊を破るは難し
「賊」とは (三欲)色、食、財である


「深層の国力」潜在する社会の力

経済、軍事のような努力すれば数値が上がるような国力評価ではなく、国民大衆の情緒性(勤勉、正直、礼儀、忍耐)の有り様


「成功価値」

モハメド・アリはザイール(コンゴ)での試合後、祝福に訪れた人々に向かって・・
あなた方は貧しい、しかしあなた方は威厳がある。それを誇りに思ってください。昔、アメリカに送られた私たちの仲間の子孫は白人の影響を受けて、そのすばらしい素朴な心を失ってしまった


コメント (2)
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