まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

国家の折と節 ゛観て見ぬ振り゛  09 9/12 あの頃

2023-06-29 13:05:36 | Weblog




国家には折り目と節目といわれるものがある。
今も昔も祝日は旗日(ハタビ)といわれ日章旗を玄関先に掲げている。
いまは右翼でと小声で云われ、或るとき板橋区では祝日の掲揚の指示に付け加えて「文句が出たら片付けるように・・」との役人らしいお触れが現場に回った。

皇居の参賀では小旗を配布するが、ゴミ箱?を用意して苦情が出たことがある。

軍人が日章旗を戦闘に行進したからと、平和に反すると教育現場に問題が起きているが、自由意志の調和と連帯が社会の寛容度とするならば強制も反発も馴染まない。

ただ、目印としては有効だ。他国とは異なるものだからだ。金儲けのオリンピックも戦闘行為も旗印は必要になる。日の丸は軍の連隊旗でもなければ錦の御旗でもない。夫々の異なる国柄を尊重する行為を理屈で当てはめるまでも無く、また愛顧や魂の存在を置いても、誰が考えたか万国の保有する旗を四角四面に現世の争論にのせて陣取り合戦をする愚を、「相」の衣をまとった人々がどのように考えているのか考察してみたい。



               

   明治の日本人有志はこの旗の下で犠牲となり、新国家は樹立した



              

 他国の旗の下、捕らえられ「中国人だ」と言い張ったために処刑された山田良政
 ※ 当時、外国人といえば殺されなかった
    

 

政治を観て、政局には目をつむる事を教えてくれる

以下はあの頃のo157騒動でカイワレを頬張る政治を記した拙文である

 


一人は市民運動家の草分け市川房江氏から、「許せない男」といわれた人物、もう一人は社会はあっても国家の在るを知らない今時の女性活動家である。

もし巷間いわれているように政官財の癒着、そして腐敗堕落が云々されているとしたら、この手の非情感を持っている各分野における人物の存在は、腐敗堕落に象徴される混迷にとりつくハイエナならずとも、その姿は食い扶持に囚われた愚直とは異質の、愚民をつくり、そそのかす手合いである。

なるほどと思われる言辞には情が無い。とくに客観的にも日本的と納得させられる矜持の在り処が呆然としている。これは、観念的で偏った考察であり、偏狭な民族意識とも批判が生まれる浮俗の観点ではあろうが、それこそ彼等の言う民主と平和に導くという名目の元に解明、説明の責任があると他を責め、大仰にも訴え掛ける姿に狎れた大衆の変質である。それは権力執行者の使い方を知り、彼等の不釣合いな仕草を囃し立てる人々によって融解してしまった矜持の有様でもある。

「狎れる」とは国民の嫉妬や怨嗟の在り様を鵜呑みにして「礼」を亡くすことである。
「礼」を亡くすとは、調和や協調を司る「辞譲」という、゛分け合い゛゛譲り合う゛という精神を乏しいものにすることに他ならない。





               






大人気ないといえばそれまでだが、ああ云えばこう言うような礼なき争論は止まるところはなく、意志の無い意見にみる発想力の乏しいものの苛立ちのようであり、後だしジャンケンの如く無責任な言を弄し、「・・・そのような意味からすれば・・」との倣い文句で自問自答している滑稽さが見て取れる。

政治家のパフォーマンスのはしりは、カイワレに喰らい付くあの政治家からだ。

つまり、意志亡き者の意見なのである。国家の誇りや矜持などは有るをも知らない姿であり、政治の座標軸を失った前政権とは何ら変わりは無い。

言葉では国家、国民、福祉や平和と歯の浮くような単語を平然と吐くが、真の下座観を失った選良らしき者にとっては土壇場の肉体的衝撃すら推し計れないだろう。




                

        同期の桜  そのうち観桜会も・・・・

 

あの市民運動家との名を冠した市川房江氏は民族運動家の赤尾敏氏との昵懇な関係があった。よく左翼の市民運動家、右翼の民族派と思われがちだが、両氏の培った明治日本人の気骨は旗を振り、ビラを撒き、大衆に阿るだけの卑しさはない。機を一にして両氏は政治の腐敗堕落に抵抗した。あのロッキード事件では歩調を合わせて真相究明に当たっている。

政権がそこに有るからと同床異夢に浸ったのではない。不特定多数への貢献であり、他の人々と異なる行為を恐れず行動したのである。また人情に厚かった。

彼等には強圧的に詰め込まれた訳ではないが国家という意識が深かった。とくに政権埒外において爽やかに歴史を刻み、ときに好々爺、賢母のごとく人に接することによって人間の有り様である反するものへの寛容と耐力を教えてくれた。

それは筆者との応接でも察したことだ




              

    平常心と折り目には覚悟があった。
            これを不自由と不平等、あるいは強制と感化というのか




何気なく新政権の閣僚記者会見ではあったが、切り口を変えて言葉でなく所作を見ていた。
前政権とは政策や手法も異なるようだが、人の座標と覚悟は思わぬ差異として認められ、筆者なりに逆賭したとき暗澹たる思いに駆られた。

隣国の台湾の政権交代の折、民新党の陳水扁総統は国民党の創始者孫文の遺影に誓詞を奉げて一礼した。政敵である国民党であり大陸でも国父と讃えられている人物である。
翻ってわが国の閣僚は天皇の認証をいただき、恭しくもそれを頭上に掲げて後ずさりして国事行為の当事者として誓いを立てている。

記者会見は世俗のセレモニーだとしても国民の多くは注視している。学生が制服を着てケームセンターに入る時節柄、教師や親が注意しても「法律に書いてない」「生徒手帳に書いてない」と抗弁するが、法に守られる一方、無視するという錯覚した齟齬は、先ず以って注視される立場においては、゛養い゛の意味である予算の争論と対である゛教える゛の意味の人倫の在り様を所作として示すことこそ、教養人として信ある政治が浸透するはずだ。

せっかく期待された政権である。ともあれ、゛白地に赤く゛染めた布地ではあるが、舞い昇っていたとしても、心を譲る黙礼すら出来ない人物の真意に一抹の不安を抱いた次第である

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悪を破るは易くして、愚は難し 12 4/4再

2023-06-25 01:47:12 | Weblog

         雀の群がる樹

 

真の悪党は一夜にして善に転じることがある。

いや、善悪一如なのかも知れないが、時に善より悪のほうが利他に貢献することもある

それを括目してみる人物も少ないが、まともな悪は褒められたいと思わないような、事を成すことに必須な矜持が潜在している

逆に愚かで軽薄な流言や群れになった行動は、いつの間にか取り返しのつかない惨事を招くことがある。

ときに察知して、異なることへの批判を恐れない変わり者の行動が惨事をとどめることもある

たとえ、その烈しい行動が疎外され、悪と嘲られようが、「為さざるは成さざるなり」人任せではなく、自らが発起して動くような、墨家の任侠のような人物だろう。

良いことをするからと、頭を下げ、媚をうり、大義を訴えても、善をつくろう小悪党でしかない。

要は、どの部分から、誰から、みた悪なのかだ。

善を装う者、これを愚か者と古人は謂う。

 

        
            チェ・ゲバラ



選挙についてだが・・

候補とは、待つとか、待機する、つまり政治ならば議員になるために、有権者の機嫌を伺ったり、様子をみることであり、「者」がつけばそれを行なう人間である。
解りきっているようで、当選がすべてとなれば往々にして唱えるばかりか、様子や事情(民情)ではなく頭数が勝負とばかり妙な運動に走っている。

民情の様子を考えて立つ「立候補」は、その任に相応しく選択の対象になるべき人物を明らかに示すことであり、選挙はあくまで受益者側の選別である。

以上は漢和辞典にも記されているものを再検索して綴ったものだが、要は不特定多数の受益者の選別目的が悪か愚か、さもしいのか卑しいのか、それだけではない一隅の醇なる精神の保全を期す有権者なのか、そこには候補者の言が何処に向いているのかによって政権の優劣、つまり賢愚が決定する要因の多くがあるようだ。

ましてや自我の野望や食い扶持の確保が加味されると、とんでもない政治が出現することは栄枯盛衰の例えをみても明らかなことである。

「上下交々(こもごも)利を征(と)れば、国危うし」とは、政治、官吏、大衆が「利」に翻弄されるとコントロールが効かなくなり自壊するということだ。

また、「小人、利に集い、利薄ければ散ず」の状態となり、民情の堕落した様相を既成事実として追認し、欲望に応えようとすればするほど政権は落ち着かなくなり、終には交代を繰り返すことになる。小人は愚と置き換えればいいだろう。

いまどきの自由や民主を後ろ盾に担保を要求する状態は、その恣意的ともおもえる美句に抗することすらできず、それを看過追従したスローガンはより多くの愚を作り出してしまうようだ。

愚はもともと愚ではないが、ある意味、小愚の多数がなければ民が主人という主義は成り立たない。ここは賢が愚に変質したと考えたほうがいい。つまりこの大勢の愚を流れに乗せなければ「主義」が成り立たない代物なのだ。 その金科玉条のようになった主義を疑う者もいない。

その流れを説き、宣伝し、扇動するのが「小悪党なのだ。

 












栄華を誇ったギリシャ、ローマ、大英帝国の衰退は民衆の流行嗜好にあったという。
それは、温泉、グルメ、旅行、イベントだという。
しかも宣伝による、゛流れに乗れない恐怖゛や、無知への恐怖が賢者までもが、色、食、財という嗜好充足のための欲望に誘引された。

いつの世にもブームがある。いまは韓流という韓国芸能のブームが興っている。
あのチャングン・・から始まった流れは冬ソナと続き多くの歌手、映画スターに夢中になる女性が増えてきた。

昔も今も人が集まり、交易が盛んになると社会は繁栄し、大衆は満足して税も容易に徴収された。今どきの都市再開発ではなく、無いところに郷を作るとき官吏が相談に来た。孔子はこう説いた「遠くのもの来る、近くもの説ぶ(よろこぶ)」時代が代わっても、まちおこし、まちづくり、は変わらない。

しかし悪はそれに付け加える。
安心して暮らせる、みんな仲良く、美しい、産業発展、今は、手当てや給付金になった。
与えるから税金を増やすが決まり文句だが、愚者は納得する。それは懐と家計を想定するからだ。








隣国では、何もしなくてもいいから邪魔だけはしないでくれ、という。
だから人がいると政治は語らない。お前らも上手くやってくれ、俺も倣う、と。
もともと理想の天子といわれた尭舜のときは、その存在すら意識しなかったといわれている。

開放政策とはいうが、召し上げた権利なり財物を解放、つまり手放しただけで政策ではない。我国のしたたかな官吏は手放したものを隠れ屋である独立行政法人に置き換えて餌箱をつまんでいる。ブロイラーの柵付から、野放し飼いになったようなもので、畜には変わりはない。

それらは選挙とは関係なく増殖している。それは彼らの理由付けもあるが、彼らの責任ばかりとは言えない。民間企業同様に与えられた職域で、与えられた仕事を行い、偉くなりたいと考えているものもいれば、負託された職権を私する者もいる。だからこそ真面目に年期を務めて生涯賃金を量るような無感情に映る職員も出てくる環境がある。

つまり、それらは積極的な作為、作業ができない人たちだ。議員とて食い扶持に勤しんで年金受給権までしがみ付き、定年のある政党は受給年齢までお手盛り職を与えられて食い扶持をつなぐ退職議員もいる。

そんな自治行政に限って、おんぶに抱っこの市民が増え予算に占める扶養費の割合は格段に高い。選挙の運動員として応援をすれば地域のPTA会長に推薦されたり、酷いものは若くて壮健な人間でも生活保護受給資格を強引にねじ込む野党議員も出てくる。

嘲られ、笑われても頓着無しに議員バッチをつけて、海外視察となればタイ国の歓楽地で名刺を配り、色紙まで揮毫してくる愚か者も出てくるが、随伴の職員は報告書の捏造に平然と勤しんでいる。

悪党ならまだしも、愚か者は始末に悪い。
「外の賊は破るに易し、心中の賊は破るに難し」(王陽明)

まさに獅子身中の賊は国家の暗雲となっている昨今である

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明日死ぬとわかっても、今日から始めることがある   08 7/31

2023-06-22 03:14:16 | Weblog

              佐藤慎一郎 先生

明治のカブレたフランス式官制学校制度によってエリートの質は激変した。つまり人物の枯渇だ。

旧制から新制に変わった途端、東大生も落ち着きがなくなり、出される課題に問題意識もなくだだ答えを出すために汲々とする数値選別に慣らされた。

各界は充て職のごとく学校歴エリートを採用し、政治や経済に機略(縦横無尽・臨機応変)の躍動を失くした。

結果は、騒がしく、問題の抽出能力もなく無関心や無責任の徒がおびただしい数で排出された。

しかも、それらの人間の問題については教育も宗教も同様に効力がなくし、なかには同衾する宗教人や教育者も出てきた。

以下は既存の世界では聴くことのない人物からの背中学でもある。

白山は有名。荻窪は無名、だが互いに足らずを補い合っている秘めた関係である。

筆者は、行ったり来たりを、゛したのか、させられたのか ゛異なる人格を味わった。

岡本氏に強圧的に連れられた白山の自宅書斎で安岡氏は虎屋の羊羹と両切りのピースで応答した

安岡氏不調の代講では佐藤氏が近づいてきて、゛こんど遊びに来てください゛と荻窪に案内された

示し合わせた明治人特有の悪戯心で若僧を試したのだろうが、無骨な原石を磨いてくれた両氏は背を押してくれた。

そして世俗には異形の学徒になってしまった。

両市に共通することは「貪るな」、万師はいずこにもある、異なることを恐れな、既成の学派にはない伝えだった。

 

 

               

       白山の住人                 

 

以前、このコラムで御案内させていただいた岡本義雄翁の言葉である。

それは飽くなき欲望を指しているのではなく、また本能的な行為ではない。

かと申して、小難しい理屈を添えた人の生業(なりわい)でもない。

ただ、「そうゆうものだ」と自得するものだ、と岡本氏は説く。

ある時は、「いま躊躇して、明日死ぬかもしれない」とも叱る。

誰かがやるだろう」との期待は、怠惰と諦めを誘い込む。


 彼らの一期一会の凛とした送別の礼は暖かい。

足元もおぼつかない身体で三階から道端にでて、毎回、見えなくなるまで送ってくれた佐藤慎一郎氏、玄関に仁王立ちになり見送る安岡正篤氏、その度に後ろを振り向くが、彼らの姿は消えることはない。

歩きながら本を読み、目を離すことなく書斎に座し、深夜まで本から目を離さなかった、と安岡氏は笑話したと思えば、真顔になって
今に迎合せず、百年先の人物に繋げるような精神が大切だ』と、眸の奥を覗き込むように説く。


温泉地の研修で聴衆が大方寝入っても、独りでも真剣に聴くものがいれば変わらぬ姿で講義する佐藤慎一郎氏。

彼らの深層の交流は、立場面子を越えて国家の要路に多くの影響を与えた。
一方は荻窪団地の一室で、一方は白山の邸宅で、分に応じて特徴ある学風を薫らせていた。

白山(安岡)の一声は全国津々浦々に運ばれ、荻窪(佐藤)の一声はアジアに飛んだ

晩年、白山が世情を騒がせれば、「男だったか、よかった」と荻窪は懐かしむ。

また盆が巡ってきた。

彼らが眠る「染井霊園」と「弘前」は、私達に兢々として其の意志を鎮考することを求めている。

明日死ぬとわかっていても、今日から始めることはある
青い目の終末論に誘われ、融解する前に「やりたいこと」より「為すべきこと」があると、彼らには教えられたようである。



《明日は9:00から茅ヶ崎の松下政経塾に再訪、孟子、その後、児玉源太郎を祀る江ノ島の児玉神社に正午参拝。この創建に際して後藤新平の呼びかけがあったが日本国内は3割、台湾有志7割の奉賛で建立されている。帰途は横須賀三笠艦の予定だが・・》

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愚法は敵とおもえ 11 5/3再

2023-06-17 12:16:06 | Weblog

  知って教えず   師あって学ばず   学んで行なわず  「人災」

岡本義雄翁 寄贈




立法時における様々な諸法との関連性を整える機関に法制局というものがある。いくら思いつきの善意で工夫を練っても駄目だしされれば陽の目を見ることは無い。

つまり、矢鱈に法を知っていても、堆積されたものが整理されていなければ役にも立たない。それは幾ら戦後新憲法下で整理されたといっても、明治憲法下の法が三権にはばを利かしていると、現代生活の有効性にそぐわず、ソレを分かりやすく云えば、電力の関西の60ヘルツと関東の50ヘルツのように互換性もないものと同じようなものになってしまう。

ただ、明治初頭の裁判官のように集積された判例も無いために、民族慣性である掟や習慣に照らし、かつ成文法に馴染むようにと脳髄を絞った挙句、「条理(情理)に照らして」と判決する智慧があった。

昨今、政治家の類に弁護士の資格を持つものが多くなった。大よそ「法に照らして」と能力の無さを詭弁で繕うが、情理が乏しい為に法官吏の説明のように無味に堕している。

法を読めるだけに都合のよい言い回しは長けているが、使い方、活かし方が知らないようだ。それは法さえ知っていけば食い扶持になる法官吏や、法匪に陥りがちな弁護士、裁判官、とくに四角四面と阿諛迎合を民癖と称されている国にとって、都合のよい生き方かもしれないが、まことに始末の悪い社会悪となっている。

「人情は国法より重し」その前提が備わって法がある。人の情を否定するところに現代の災いの多くがあることを知らなければならない。そこに説明や証明を求めなければならない掠れた社会の現状を、物言わぬ説明、現状の証明と見ることのできない卑小な法の奴隷になったと見ることができないだろうか。

掟や習慣、そして長(おさ)の特殊な教育によって成り立っている社会を法によって平準化して、それこそ文明国家の資格とばかり、従前の矩(のり)である道徳規範を忌み、亡きものとして忌避した国家模倣の形態は、混在、混積された成文法によって身動きが取れなくなっている。






        ・・・分限を弁えず 舌禍甚だ多し



その縒りを解くのは裁判官でもなければ弁護士ではない。そのアカデミックな法理論に怯まず、善例を創造遂行できる人間、つまり政治でいえば政治家の職責だろう。
人の姿を以って国柄という、まさにそのとおりだ。

あの高杉晋作は維新回天の魁として長府功山寺で挙兵した。従うものは藩屏ではない農商工の民兵である。それは生死の覚悟を涵養する必要の無い位置にあった者達だ。
「女房を敵とおもえ」その一声は新たな世界に生きる証だった。そして逡巡する心である、後ろ髪を振り切ることだった。
その覚悟の姿は女房の覚悟をも誘い、「男なら・・」と唄い郷土民謡にもなっている。
憂いの無い行動とはそのようなものだ。また其れに感応する精神が武士のみならず当時の人々に知らずしらず涵養されていた。それが数値に表すことのできない日本の深層の国力だった

晋作は「女房を敵とおもえ」と、゛ためらい゛を切った
現代、その、゛ためらい゛は、一に家族、二に食い扶持、三にその継続と安定、それはファッショとなって男女共通の習いとなっている。もちん否定はしない。
ただ、それぞれ個々の肉体的衝撃に関する共有は説明も解決も出来ていない。もちろん責任もだ。

ならば、その躊躇(ためらい)を切っても先に見えるものが無ければ無駄骨である。それは実利でもある。より多くの果実がなければ考えもしなければ動かない。
晋作には不特定多数の安寧のための先見性だった。晋作ほど機略、頓智が働く人間は当時稀だった。加えて東行詩集に詠む、「動くこと雷電の如し」の烈しい気概があった。
果たして雷電は存在するのか。いやそのような人間を育む教育は官制学歴にはない

つまり過度の怯えから躊躇するための法の用い方は、単なる前例執着の守りとなり、善例創造の妨げにしかならないということだ。政治家は法に基づくものでなく、法の存在基盤である人間の尊厳護持に軸を置かなくてはならない。

まさか、渡来宣教師のように「人間は造物主がつくった貴なるもの・・・」に染まっているかと心配になる。それを聴いた日本人は山川草木、家族のような家畜は自分達と同じではないのか、とその教えを躊躇した。温和従順な人たちの戸惑いとためらいだった

それが分厚い六法に読まれた人たちとは違うところだ。「読んだ」のではなく、「読まれた」のだ。それも数値評価のためにだ。







            




災害は自然が牙をむいたという。 為すすべもない人たちは法にも括れない自然現象に、自然経過に蓄積された智慧を用とせず、またもや四角四面な法解釈で挑もうとしている。
自然はそれには応えない。ただ適応することだという。限界を知ることだという。

しかし人間は自然から学んだ情緒の蘇りを期して復興し、飽くまで自然に寄り添い山海の豊穣を請う。ときに数値の富となって自然を毀損する。

たが、この経験は再び自然界への畏敬となり、新たな共生を育むだろう。
惨禍は甦りの端緒だと倣う民族は、己の微小なる存在をその節目ごとに知り、智慧としてきた。統合国家の装いというべき法は別物だった。

いまは惨禍の復興ではあるが、自然界への参加への試練である。それは複雑な要因を持って構成されている国家が垂直的な慣性としてきた情緒の更なる整えであり、維の更新でもある。

そこで部分の筋道として用いるのが法である。

ならば、優先する為には法を超越しなければならないのは、土壇場の政治の為す作業だ。
違法か脱法は其れが終わった後に責任を取ればいいことだ。
たかだか人間が作為的に作った成文法は万能ではない。智慧が無かったり、責任を振るために法を詐用するのだ。天変地異は法を頼らず。

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その法の恩恵の多くは既得権者として糜爛した官吏と、似て非なる、゛可哀想゛と認定された人たちだ。普通は縛り、囲うという、国民の自然生活から導かれた道徳観を認知しない非人情の類のものが多い。それは「禁ずるところ利を生ず」と、法のあるところ何処かに利が集積されるのが常だ。それを規制、罰金と呼んで怨嗟の対象となっている。

人心が微かになり、法が弛緩した昨今、与野党が互いに敵だと騒がず、真の敵を祓うことに気がつかなくてはならないだろう。

それができないのは、与野党問わず心の内なる賊だ。

いまどきの賊は、名利衣冠の獲得のための情緒枯渇した学校歴(学歴ではない)の単なる利用だが、それが既得権や食い扶持安定でもあるのだろう

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数値選別と見えない独裁

2023-06-16 02:34:43 | Weblog

以下は豆腐の角で頭をぶつけるような言いふるされた内容の話だが、個性化とか国際化と謳われ、追い立てられ、いつの間にか現在に至った繰り言である。

 

本文

数値による愚かな受験選別が限界に達しているのは理解のとおりたが、まだ多くの盲目の民が流動している我が国において、未だ真のエリートの輩出については暗中模索の状態にある。またこれくらいは理解の淵に届いている。

 

昨今、少しは元気が良くなった国が、遠い昔をたどり、゛そういえば、あの頃は・・゛と、想いだしたように言いがかりをつけてくることがある。

 

その当時は単民族、多民族に関わらず構成されてる「国」という枠組みが明確だった。そのなかには、族長が闘ったり、譲り合ったりする部族共同体もあれば、宗教指導者による国家、軍政国家、西洋では王政や立憲君主、そして専制独裁があった。

 

それが通信手段の進化と富の証明となるモノとカネの共通価値の普遍化、それによる仕組みの平準化が進み、コスト意識やその有効性を担保する法と罰が共通化され、民主主義、独裁を問わず民族内での裁可が普遍性を持たなくなり、モノとカネの支配権はより多くの力を持つ勢力の独占となった。

 

それらは、資源(発生)、付加値(生産加工)、流通(為替)、環流(株、金利)などの基盤を市場という囲いに誘い、つなぎとめ、狭いルールによって運営費、手数料を市場参加許可料のごとく集金した。つまり商品利潤のほかに市場参加手数料を作り出している彼らは、それまで宗教的にも、道徳的にも慣行とされていなかったお金の「使用料利子」という「虚」を複利の「実」に換えることを考えだした人たちでもある。

 

だが近ごろは彼らを賢者というようになった。しかたがないと付き随っていた人たちまで、積極的に賢者に近づこうとする。若者は盲目的にもなっている。それがルールで、トレンドだと。一時はパラダイムシフトの転換だともいっていた。そして金融が工学になり、ゲーム感覚が通信と融合して多くの資本を集中させ、数多の若者が資産家となった。

子供のころは大人社会へ醇な問題意識をもち、そのために仲間集めの集団化も考えた。多くの若者の流れは戦争、人権、平和となって、その要因となる人間の欲望と富の偏在に批判を集中した。

 

しかし、受験を始めとする人間の数値選別は、当時絶対価値のようにも映っていた若者の問題意識をどことなく無感情、かつ無慈悲な場面に追いやってしまった。それはあらかじめ組み込まれた周波数によってオン、オフをコントロールされる有能だが無機質なマシンのようになった。また、それが必要な人材として歓迎された。

車、家、書画骨董ななどには興味もなく、疑似動物や漫画少女のフィギィァ人形が数億円で取引され、欧米の金もち事情は変化した。今までの情緒感覚や武力を背景とした権力者の矜持というべきノ―ブレスオブリュージュなどを問うものもなく、財を背景にした権力は数値評価、選別を絶対価値とした。

また、収穫した資力は偏在し、とてつもなくアバウトな使い方となり、それは米国の創成期にある鉄道、金融、鉱山、新聞、の各資本家の宗教的に潜在する贖罪意識にもとづく現示的消費に似ている。つまり見せる消費だ。

 

ただ、米国の資本家先駆者は教育機関へ施設提供、美術館、文化交流財団、医療など、ある意味では基礎的な社会投資に提供し、富あるものの当然な役割として競うように拠出した。一方の現代の成功者?は、見た目には自由に活動できるシステムではあるが、富を保持した途端、その偏在を是正する意欲は失せ、ハリウッドや大リーグを用いて喧伝する高給支給、成功は金の量、つまりカネ次第の成功として金そのものを偶像視するようになった。また平行して人情は薄弱になった。

 

 

いつ頃からか、それが球団買収、サッカーチームの買収、牧場を買い家畜を放ちワイン畑を作るようになった。成り金から小成り金になったようだ。そして人の倣いか、多くの若者はそれらの様になりたくて、MBAを形式取得したり、ゲームやクイズのような官制の数値基準である試験選別に埋没し、競争社会の勝者となるべく作られたサクセスストーリーの正当性を唯一の価値として一切を集中させてきた。

なかにはアップルのジョブス氏のような説明抜きの結果事実をガブ飲みし、香港の忖度政治のごとく手前勝手なヒーローに価値を見出す人も増えた。

 

何の事はない、異なることを恐れない勇気、鎮まりの中での独想、しごく当然の無邪気な興味、人の驚嘆を的中させる未来への推察力、これらは我が国においては文部省の官制学校歴マニュアルの限界をみる人たちにはない問題意識であった。

また、探究、独悦という禅僧の無我を無価値、無理解とした西洋分類学への挑戦であり、自然・・と、自然・・に、一体となったときに発する「境地の智恵」の実践であり、かつ初動は財利に無欲だからこそ可能なアップル社のジョブス現象でもあった。心底はそれを無意味なものと氏に嘲笑われたことを多くのファンは知らなかった。

 

変わっている、すごい、神のようだ、愚かな物知りの合唱こそ、ジョブスの忌避した人間たちの世界だった。総じて愚かものは会社の時価評価、ジョブス氏の資産評価を話題にするが、ジーンズにTシャツに込めた意味は解らない。それまた、すごい、面白い、となるとビジネスとは何なのだ。アイディアの独想、独裁的決済はディぺ―トからは生まれない。

本来は我が侭な独裁の方が良いものができるし、スピーディーだ。所詮組織論や合議テクニック、ディぺ―トは「意見の投資」を募り、集中させる、つまり人を利用するに誘導テクニックのようにしか見えない。知っているか、知っていない、ではなく、覚えているか,否かの暗記術の延長のようなものだ。

 

ジョブス氏は、まず人を知っていた。アカデミックなカリキュラムにはない人間学だ。もしかれがビジネスから離れ、学び舎をつくり独特なカリキュラムで教育を行ったらMBAどころではない、生命の学びとなる普遍な教育ができたのではないかと考える。

つまり、活かし方の土俵を広げ、童心の無垢な良心を甦えさせるような有効な人生を互いに協働できる社会の一員としての爽やかさだ。機械は無かった利便の充足ではなく、「知りたかったのはこのことだった」と気がつく、つまりあの子供心の頓智の蘇りを皆で楽しんだようにみえる。アプリの詰め込みはグリコのおまけのようなものだ。

 

比類も妙だが、あの児玉源太郎や秋山真之、南方熊楠もそうだった。衆を恃まず独りを悦んだ。わがままで、異なることを恐れない勇気もあった。なによりも頓智があった。そして官制の学歴に汚されず忌避し、目的を完遂する智略は、弛緩した常識にとらわれない「大道」を歩んでいた。当時の日本人も彼らを変わり者と嘲笑していた、が、頼りにした。そして日本は救われた。

 

現代のビジネスマン、若者の指向を支えるのは、数値というものから比較、推測を唯一のデータ―として経済を語り、それが唯一の能力と考える人たちの姿だ。もちろん選別は有効性の証として数値が用いられるが、それが社会の実態とどのように関係しているかは、別の切り口や論を待たなくてはならない。

 

共通価値として求めやすいのも数値だか、判断の基準は他のものに委ねられている。それは、世界の相互共有と考えている国家が、たんなる部分単位の状況提出としてあてはめられた基準の範囲内で数値を提供比較しているようなものだ。

必然的に発生するシステムとは違い、受験会社がおこなう共通模試同様の市場参加条件義務として与えられた基準は、これまた消化不良を起こすようなコンプライアンスとともに、それを以て自国経済の位置を知り、努力目標とすることが国の励みとなった。

 

中身のないもの、自身のないものほど順位を気にするものだ。そして乗せられ、基準を突然変えられたり、為替をいじられたりして無駄な競争を仕向けられる。

必然、必須だった商店はGMSに駆逐され、GMSと付帯施設がなくなれば、間に合わせの店しかなくなることと同じ仕組みだ。愚かな学者に煽られた政治家がセフティーネットと騒ぐが、失政対策、貧乏人対策を事前に付帯策定する政策は亡国の愚策ということも気がつかないらしい。

 

これではアップルやYahooは生まれない。相乗り営業のようなものだ。

 

しかも、あくまで、異文化、異民族の模倣であり、追従でしかない。

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浅草っ子の西舘好子さんと蒋介石 18 4/6 再

2023-06-10 01:25:03 | Weblog

 

 

○○さんサンデー毎日に蒋介石のことが載っていますよ

突然の電話だったが、詳しいことは分らない。

以前、「天下為公」(副題 請孫文再来)を贈呈してから数日のこと、「あの頃の経過がよくわかりました。」と読後感を伝えていただいたことがあった。

 

      

 

 

西舘さんといえば劇作家井上ひさしさんの奥さんで、つい先ごろ「家族戦争」という本を著している。

知人からの紹介でお会いしてから様々な交流があった。

二十年前から子守唄の収集と調査研究を行い、文科省の後援を得て全国各地で誰もが聞き覚えのある子守唄を通じて、ある意味人生の内照と内観を促し、童心回帰のための運動を行っている。

ある講話に同行した折、「私は不倫第一号、名づけはあの朝日新聞です

小生も「不義密通や姦通などというおどろしい文字より造語としてもいいですね」と、軽口を叩くと「それにしても大変だったのよ」と、本人の弁。

だが探究家の井上ひさし氏は、その時の心の動きを人間の自然の姿として理解したいたフシがある。女房でも題材ヒントにしてしまう貪欲さだ。

ついでに、次の縁の頼まれ仲人は、あの瀬戸内晴美(寂聴)さん。なかなか上手くできている。

 

            

        台湾国内視察 蒋介石氏 中正記念館蔵

 

 

そんな西舘さんが「蒋介石・・・」と知らせがあり、早速同誌を購入。ページをめくると阿木煬子さんと西舘さんのインタビューが載っていた。

江戸っ子の西舘さんは自分のことを言わない。まして「わたし載っているわよ」などと野暮は云わない。あるいは、そんなことより本当に蒋介石の掲載を知らせてくれたのかもしれない。まさに今どき見かけない、゛イイオンナ゛なのだ。

 

津軽弘前の縁を紹介し公演に同行した。翌日は小生と二人で平川の旧知の木村ヨシさん宅を訪問した。夜はヨシさんの創作料理で近在の津軽衆をあつめて大宴会。二次会は雪道も何のそのカラオケに向かった。津軽衆の宴会はダイナミックで芸達者。ヨシさんはもうすぐ八十だが、歌も踊りも達者だが、負けじと西舘さんの歌とあて振りの踊りが華を添えた。

それ以来、ヨシさんとはウマがあったのか、女傑同士エネルギッシュな交流が続いている。

 

     

       ヨシ人形

 

 

それから、この「蒋介石が・・・」の甲高い電話だ。

その著者は保坂正康氏だ。肩書はノンフィクション作家で評論家とある。

内容は「石原莞爾と蒋介石 幻に終わった和平ルート」と題して、ミョウ斌の和平工作のついてだった。

 

以前、漢学者安岡正篤氏が主宰していた農士学校、現在は郷学研修所(併設安岡正篤記念館)で恒例となっている金鶏神社の社稷祭に保坂氏が記念講演を行ったことがある。

その際、このミョウ斌氏の和平工作の裏面を記した未公開資料をお渡ししたことがある

それは、蒋介石の率いる国民党の諜報組織「軍事委員会国際問題研究所」の№2が戦後日本国内(渋谷の中国料理経営)で佐藤慎一郎氏に口述した記録である。

あの日本と戦ってもどちらも悲惨だ、孫文を尊敬し、その領袖の地位を山田純三郎の推薦で得た蒋介石にとって、「日中連携してアジアを興す」と遺した孫文の意志を振り返ると、その直属の配下組織がコミンテルンの隷下にあったなど知る由もない。(戦後研究所責任者は自動車事故で無くなっているが、事実は不明)

 

     

         

          山田純三郎       孫文

 

かいつまんで記せば、国際問題研究所は蒋介石の国民党の組織でありながら、多くは共産党員で構成されていたという驚愕の事実である

もちろん、尾崎ホツミ、青山、野坂参三各氏らの名前と西安事件の真の首謀者苗剣秋氏らも加わっている。真珠湾攻撃の決行計画も三週間前に漏洩、司令官の名まで判っていた。

 

         

          苗剣秋夫人と 台北

 

組織の目的は、日本をいままでの北進(対ソ連)から転じさせ、南進(東南アジア)の英米と衝突させ、満州国境に対峙したいたソ連の精鋭軍団をヨーロッパに転進させ、モスクワ防衛ににあたらせるという企図があった。もちろんゾルゲのスターリン報告や日本国内のゾルゲ事件もその範疇にあり、その仕込みは中国国内であり、奥深く内陸に誘引するための盧溝橋、通州などの事件を起こし、泥沼化した日中戦によって蒋介石率いる国民党軍を疲弊させ、西安事件によって偽装した国共合作を行い、国民党内部にも間諜(スパイ)の網を張り巡らしたのである。

 

 

         

      ゾルゲ氏           尾崎氏

 

 

 

           

      蒋さんと   毛さん

 

      

          習 主席      馬 総統

 

国民党からの指示によって和平工作に遣わしたミョウ斌

それは和平を装い、いかに日中戦を長引かせ、大軍を中国国内に足止めしようとする企みであり、しかもミョウ斌工作については保坂氏に手渡した資料には、NO2の口述には、和平に対するさしたる期待感もなく、かえって日本を惑わせ現地軍と国内の意識を混乱させるための捨て石のように考えている状況が読み取れる。

 

      

       佐藤慎一郎氏

 

 

これを聴取した相手は佐藤慎一郎氏。孫文側近の山田純三郎、辛亥革命で最初の犠牲者となった兄良政を伯父に持ち、二十年以上にわたって満州・北京に滞在し、満州崩壊の折は、甘粕氏をはじめ重臣が狼狽するなか、懇請され前後策とあるべき方向性を示唆した人物である。戦後は中国研究に勤しみ、現地事情に疎かった安岡氏からの依頼にも陰ながら携わっている。

例えば論語でも四角四面な解釈と、現地の人々の解釈は実生活において大きく異なることがある。ましてアカデミックな漢籍学となると、生活には実利もなければ用も足せない。それは。論語や孔孟は看板になっても話でしかないことを分かっている大衆なのだ。

 

      

      革命の後輩蒋介石氏と山田

 

 

 

      

       日中友好協会の廖承志会長 父は孫文の部下 子供の頃は山田純三郎の腕に抱かれていた。

 

謀略や間諜(スパイ)も考え方は違う。たとえば自民党は共産党を左翼、反対勢力といっているが、真のスパイは自民党、それも政策中枢にいるのが真のスパイだ。

何人かの総理の側近にも間諜はいた。

共産国も自由主義国家を問わず、総理側近には間諜はいる。

別稿で再三記しているのでこの辺にしておくが、そこでこれも再三記している「五寒」の一つである「謀弛」が顕著になると、秘匿していたことが漏れる現象がある。

 

マスコミを騒がしている、自衛隊日報、財務省改竄文書、厚生省統計、すべてが役人の弛緩(慣性の緩み)から起こったことだ。

加えて政治に信頼が無くなり、統御が取れなくなってきているのだ。

これでは政治は行えない。そして五寒には「内外」がある。

国内政治がおぼつかないので外に危機を煽り、議員を金縛りにして恣意的立法を企てる。

この現象も「五寒」に記している

これがたどりついた道筋であり、覚醒なくばその後は亡国と故事は忠告している。

これは人間そのものの劣化を考察し、当然現われる現象だが、まさに人間の科学的考証でもある。事実は目の前に現れる。

 

どうも標記から外れてきたが、西舘さんの新刊「家族戦争」そしてライフワークにしている子守唄による情操の喚起と覚醒、加えて「虐待問題」についても心を痛め人知れず活躍している。世情を俯瞰すれば、まさに家族だけではなく処方箋のない「国内戦争」に突入している。人は疑い、競い、争い、みな信頼を失くしている。

西舘さんの指向する日本人の座標は、普段探ることのない誰にでもある心の深層にある情緒の再発見にある。

それを些細なことだが子守唄を通じて蘇りを期待している。

たしかに戦争を経験した方は読みも思考も行動も深いようだ。

 

まさに一灯照隅(片隅を照らす一灯)であり、万灯照国(多く一灯が社会を照らす)の運動なのだろう

 

※イメージは関係資料より転載

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教育免許?? 2021 あの頃

2023-06-07 00:53:30 | Weblog

         数学の本質は論理ではなく情緒  岡 潔 氏 

 

 

孔子やブッダには教えるための資格もなければ、論語や経典に流行りの著作権はない。

だが、学び舎で論語を説き、寺院で経典を説き、かつ生計を図るには免許が必要となる。

そして、いつの間にか学術的(アカデミック)の範疇に囲い、元となる心学や救済なとは微かになり、資格は既得権として形骸化する。

つまり、埒外(柵の外)、放心(心が放たれる)となり、学び舎や教育産業と化し、寺院はミュージアムやイベント小屋と化す。

 

 

以下は、教師でなく教員であり、聖職者でなく行政労働者のハナシだ

関西の高校で体育教師が国語を教えたことで問題になっている。

教科によって免許が必要となり、それ以外は単位として認められないという事らしいが、その教科目の数は細かく分類している。

 

免許取得で一番多いのは自動車だが、この管轄は公安委員会だ。数年に一度更新があり手数料や講習があり、違反は免許停止や失効、取り消しまである。

むかしは紙製の黒い三枚折で、母などは自動車免許と記されているだけだったが、法令が変わると細分化され、自動二輪や特殊車両まで自動的に記載された。母がオートバイや重機に乗るわけもないが、ともかく併記してあった。

 

教員免許も取得してしまえば必要定年までは使えるが、かかりつけ医師は死ぬまで現役だった。最近の教員は更新めいた講習も履歴になるが、それでも一度とってしまえば好待遇の職業だ。

それもこれも田中角栄氏の思い入れで施策となったもので、教科書無料配布も氏の強引な施策だ。その頃は聖職者といわれた教師でなく、労働者教員と称され教職員組合も隆盛を誇っていた頃だが、政権党の幹事長が分別をわきまえた施策で、今もって優遇的地位に立っている。

 

当時の割り当て授業は多いときで一日五時間、それも土曜は半ドンといって午前中は授業があった。いまは週に一度は研究日、土日は休み、一日三時間もあるようだ。

巷で毎日カラオケを歌っていた筑波大の教授だが、週に三時間授業で75万と吹聴していた。女房は金沢の自宅、本人は古びた公務員官舎だが家賃は微々たるものだとも言っていた。

すべてがそうとも言えないが、余程の好待遇なのか彼らの内々の関係組織では警察と同様縁故採用もなぜか多い。採用は仲間内の教育委員会、何度か子女や子息の縁故採用が問題になった事件が度々起きる。なぜか公務員は待遇については口をつぐむのが多い。ゆえに衆目では決してコボスこともない。

 

彼等とて食い扶持免許と自らを揶揄する免許だが、あくまで文部省の官制学校制度における科目についての資格だ。近ごろは御上の威光を看板として社団や財団をつくり、塾や健康ジム、各種のカルチャ―にも認定資格があるようだ。

はたして「それでどのような効果があるのか」といわれても、差別化と収益がねらいになっているのが多いようだ。

 

標題になるが、体育教員の免許で国語を教えたため単位の正当性がないということだが、近ごろアクティブラーニングが提唱され、大学でも学生集めなのかAO入試盛んになり、物理学者が哲学的考察や時代批評を大局的に論じている。新潮誌の藤原(数学者)氏の論述はにわか論者とは思えない緻密さと洒脱がある。

 

戦士に語るには資格でなく、人格と気概

 

都内の進学校で城北学園がある。理事長・校長を兼任し自らも倫理の授業を担当していた近藤薫明氏と筆者の会話だった。

 

「補助金を取得するために文部省の私立平準化の施策によって建学の精神が衰えるのではないだろうか」

 

『私的な事業体に公金支出は出来ないが、憲法に認可された教育関係については、これが認められている、なかなか先見がある条文だね。いかに公立と異なる独自の建学精神を守るには経営者の資質と努力しかないです』

 

「教師が教場で心がけることの大切なことは」

 

『何年もかかって学んだことを、ほんの数時間教えるだけで後がないのは困ることだ。そんな時はそれを学んだ時の環境や意義、当時の追い求めた希望を語るようにしている。またそのことができないようでは、教師は教科書を解説するロボットのようになってしまう。』

 

「維持経営についての問題は」

 

『私学の場合、公立と比べて高額な授業料(維持費)をいただいている。かといって生徒はお客さんではない。こちらも商人ではない。考え方として受益者負担の奉仕者のつもりで考えなければ利益本位の経営になってしまう。経費は生徒側に負担していただくが、教える側はあくまで教場における真剣な姿で将来の子供たちに奉仕する気持ちがなくては伝わらない。仕事とするだけで効率を考えてしまう。これでは成績の数値は上がっても人物は育たない』

 

この経営者であり倫理の教師であるが、学校経営の神髄を押さえている。また、このような人格者なら、数値選別で購える文部省教育の標準科目の数値選別に起きる受験狂騒、嫉妬や怨嗟、人情薄弱、が起きることはない人間の本(もと)を養う前提がつくられるだろう。

この大切な部分には免許がない。つまり数値に表せない人間の姿に人間がみて倣う学びだからだ。尊敬と畏怖、人が人に感ずる敬重の心だが、これが枯渇すると知識や技術は結果として無意味になってしまう。

ゆえに、人格と何らかかわりのない附属価値である地位や名誉や学校歴(学歴ではない)、金銭所持の多寡、が人の評価と選別にさらされる。その人の評価の結果が現実の禍福として多くの問題を噴出させ、解決のすべを、また「知」に求めている愚なる姿なのだ。

 

現代は資格に対する疑義が起こりつつある。因はそれを認定する組織なり、統御する政府なりへの不信があるだろう

その意味では資格とか免許は虚構なのかということだ。それがないとできない。あるとできる。簡単なことだが、誰でもできることを資格とし、免許とする不思議さもある。

 

筆者は些細な事情があって大学を忌避した。

当時の先輩は麻雀にナンパとバンド、元気の良いものは学生運動に向かっていた。

それで四年も・・、しかも与えられた課題に疑問も持たず、教師の好む答えを懸命に出す。そして人柄はともかく数値で選別されて食い扶持にありつける。親は無意味に喜ぶが、そんな奴隷のような習性になっては、これからの生き方さえ犬に追われた群れのようになってしまう

ちょうど良いときに可愛がってくれた婆さんが「大学行ったら車を買ってやる」と。

そんな疑問の最中に知ってか知らずか決断を後押ししてくれた。

「これなら行く理由もない」と内申書数枚を破り捨てた。

親は嘆き、担任は悔やんだ。

いまはその決断が幸いしたと思っている。

 

 

           

 

 

その後のことは当ブログでも面白い逸話を記しているので抜記する。

いくらか世の中が分かりかけたころだから30代のころ、白山の書斎で安岡先生に問うた。

「そろそろ大学とかいうところで学んでみようかと考えています」

『大学は面白いが、大学校はつまらんところだ。行くのかね』

大学とは四書五経の「大学・小学」だが、食い扶持ならまだしも本当の学びは今の大学ではできない、ということだ。

師は帝大法学部の碩学、入学しても自分の興味ある学科も師もいなかったために図書館にこもって「王陽明研究」を著している。学祭に妻となる女性を連れて教場に案内したところ全員で寝ていた。怪訝に思うと黒板に「身体髪膚これを起床せず」と大書してあった。

これは「孝経」の一節、父母から戴いた大切な身体を毀傷してはならないの意だが、ここでは「起床」と書いて生徒の昼寝場にしていた。小難しい古典にも洒脱さがある、つまり物分かりの良い教養なのだ。

 

それから全国に点在する多くの道友を訪問した。

「九州の加藤さんの所に行ってきます」

『あそこは豪傑が多いから気を付けて行きなさい』

教える労はとるが、活かして行動するのはお前さんだよ、ということだ。

グランドは自分で探し、人物を求めて教えを具現した由縁と経過を拝聴しなさい。聴く人間の所作や風義によって相手は幾らでも教えてくれるよ。そんな促しだった。

 

安岡氏は教員免許もない。もちろん官制資格の教員ではない。

それもあってか、教員なるものから学んだのは高校が最後だった。あとは産学一如のつもりで働きながら本は欣読(よろこんで)した。生存していれば人物にも会いに出かけた。

 

大学には特別授業がある。外部講師による特別講話などだが、企業人や時の人を招聘して行っている。

筆者も幾つかの学校に招聘され生徒の清純な頭に駄弁を弄しているが、最後は「大学は落第しても恥ずべきことではない、人生を落第しないでください」と説き、教職課程には「生徒を好きでたまらないと思わなければ教師は務まらない。ただの給料取りの教員にはならないように」と伝えます。

好きな学びをして、私業の労働で糧を維持している故に、企業や公官組織、学校も私塾に招聘されても自身の都合に合わせていただいて対価は拒否することにしている。

なによりも聴講者・生徒の変化が愉快なのだ。

「一人を以て国は興き、一人によって国は滅ぶ」

その一人を大切にしない学び舎は、自ずと衰退することも然りだ。

 

 

            

          乃木学習院院長 もちろん人格があれば教育免許などは必要ない

 

教員資格???

そんなせせこましいことを拘っていては、人間は育たない。

資格より、教育界の綱紀粛正の方が先だと考えないのだろうか。

観かたでは政治より大切なことだ。政治家も命を懸けると言葉では云うが、教育者が将来の子供たちの心(魂)を育むことに命を賭けるとは聞かない。

心も魂も証明できないと言い繕うのだろうか

それとも資格や免許で人物を育てられるのか。

いまどきは古臭いといわれるようだが「教育は魂の継承」と考える筆者だが、卒業証書が資格というなら、いまからでも破りすてる気持ちが残っている。

 

畢竟(突き詰めれば)、教え育てることは過去の智慧の伝承であり今を生き、活かす術(すべ)でもある。だだ、現在の不備は、生まれたら死ぬことの必然を伝えてはいない

さまざまな禍福はそこを看過することによって発生している。そのために要らぬ智慧と労を働かせているのだ。

「本(もと)立って、道生ず」

先ずは本を探求することから学ばなければ、以後の全ての学びは有効さを生まない。

加えて「欲望のコントロール」の所以を添えることだ。

そのために教員は己を治めることを心掛けたのだ。

 

思慮深きもの怒らず」とはソクラテスだが、「一怒一老」(怒ると老化する)と古人はいう。

この辺にしておきたい。

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