◇ 秤の均衡 ◇
伯父、純三郎は孫文が騙され冷遇されてもなぜ日本を信頼したのかという心情と志を、よく佐藤さんに話している。
その中でも
「支那と日本が仲良く連携することはアジア安定の基であり、アジアの安定は世界
の平和である」
と唱えた遠大な志操や、 神戸女子大における孫文最後の演説では日本人に向かって
「日本は西欧覇道の犬となるか、それとも東洋王道の干城となるか慎重に考えるべきです」と、唱え
「今の日本には残念ながら、真の日本人がいなくなった」と、山田に憂いています。
明治維新の成功は、白色人種にはじめて勝った日露戦争とともに、孫文をはじめ、ベトナムのコンディ、フイリッピンのアギナード、ビルマのオッタマ、トルコのケマハパシヤなど西洋の植民地政策に蹂躙された国々にとって、アジアのさきがけでもあり、光明でもありました。
しかし、異民族の地であった満州の土壇場における一部の指導者の醜態は、アジアのみならず日本人が「日本人」および「日本」そのものを問い直すことでもありました。
そのことは富国強兵政策の要と考えられていた「知識」「技術」のみの官制教育の限界でもあり、明治創成期の人物を培った「藩校」「塾」の再考とともに、異民族とのかかわりにおける不偏なる精神を醸成した明治の人間教育の「志」への回顧でもあったのです。
佐藤さんにとって 菊地九郎、陸羯南、山田良政、純三郎兄弟 そして東北の辺端、弘前の薫醸された人間教育は、異民族の生死を超越した共感を得ることにもなり、それは将来のアジアにとって有意義な日本および日本人をあらためて確認することでもあったのです。
事に臨んで「空しくなった」「負けてしまった」など微塵もありません。
◇ 「心の講義」 ◇
大衆は多人数の前で演ずる話に、さまざまなことを求めて足を運びます。
中央に位置するもの、大樹に寄り添うもの、出たとこ勝負の悦しみ、なかには脅し、覗き、予想、あるいは多数と同感する安逸などさまざまです。
しかし、時流とともに自らを曖昧にする放心(生まれながらもつ無垢な良心の存在が属性価値に翻弄されている状態)を、標題にもとづいて一刻でも独りの自分に立ち戻る場面を共有し、属性価値に覆い隠された自己の素心を見いだすことでなければ、どのような内容であっても講者の位置するところはありません。
難しい話、めんどうな内容には耳を貸さないというなら、耳を向けるための巧言は、はじめから敗北が待ち構えています。
一時間の授業で最後の数分が勝負だとよく聞く言葉です。
ある老教員の述懐だが、
「何年もかけて学んだことを、ものの数時間で吐き出してしまう。残るのは自分で
しかない。だから自分はこう考えている。職業教師は受益者負担のボランティアだ
と」
「うまい話より立派な話。言いたいことより、言うべきこと。が大切だ」とも言っている。
標題を掲げ、人まえで話をするものを、なまじ文化人、教育者、有名人と錯覚する聴衆に対しては、本来、何に語りかけるべきかを慎重に吟味しなければならないだろう。
雰囲気を司れないからといって、単に時を費やす聴衆迎合は聴衆者の「私」、壇上の「公」といった弁えをなくした笑いのとれない漫談家のようなものです。
自他の厳存を認めるものは「公私の間」を峻別するものであるという考え方は明治の賢人を照顧するまでもなく、聴衆に語るべき根本の姿勢ではないでしょうか。
いずれ放心から醒めた庶世の哲人は「分」を錯覚した物書きをしたたかに嘲笑し、時流の余興にしてしまうでしょう。
それは政治家、教育者の唱えまでも漫談や娯楽の類いにしてしまうことにもなります。
その結果は、何れ到来するであろう指導者の哀願や、訴えといった状況が空虚に陥る過程でもあります。
人が公私をわきまえた他の存在を信じられないとき、あの大観園の親分の言っていた泥水同化の招来をくい止めることが不可避となります。
明治の賢人は「明治」を語ることに虚飾はない。
舌の上下である「話術」の講演でもない。吾を語る「講義」があるのみです。
極論すれば肉体的衝撃から我が身を保身するため、媚文芸言を駆使していざとなったら逃避する有名無力の穢利偉人(エリート)特有の術などはそこにはない。
耳から入って直ぐに口から出るような「口耳四寸の学」や、その場、その時で演技をする「逢場作戯」のような講演者では、内容より事の大小、多少、巧拙に囚われた文章や話になって当然であるといえるでしょう。
「空しくなる」のは聴衆の側です
筆者の独り言だが、孔子さまも一語忘れているようだ。
「巧言令色、仁すくなし」と仰せになったが、当世では「巧言麗文、義すくなし」だろう。
佐藤さんは、時運に迎合した組織の運営が本来の目的を忘れ、参加者の多少のみを憂うる主催者に対して、
「本(もと)立って道、生まれる。一人でも小なしといえず、千人でも多しといえず」と、その多勢の衆を恃む目的の錯覚を諭しています。
なぜなら、聴衆のなかで真剣に聞くものがあればが一人でもいい。
「国は一人によって亡び、独によって興きる」ということを土壇場の実感として分かっているからです。
二時間の講義に一週間前から草稿作成に取り掛かり、自らのものとして真剣に臨む姿は、物書きのいう明治の実直さを体感できる講義でもあります。
「教育は魂の継承にこそ本当の意味がある。それが今を真剣に生きるものの歴史に
対するささやかな責任であろう。そして邪魔にならないうちに消えさることです」
と、常々、語っています。
「 亡国は亡国の後、その亡国を知る」といいますが、記誦の学の餌食になって昇位発財した知識人の幼児性は、その錯覚した現象とともに亡国の徴であるかのようにおもえてならない。
丁丑睦月 「雑」 寄稿
【賢者のために】
「空しくなった」物書き …… 司馬遼太郎
産經新聞「風塵抄」゛私語゛より考察
放談で有名な老評論家 …… 細川隆言
元宮内省出司、松前宣廣氏より直接聴取
民族運動家、 赤尾 敏氏より自宅往訪のおり直接聴取
実直な民族思想家 …… 赤尾 敏
市川房枝氏との親交、氏とロッキードの件で米国訪問の逸話など
師、安岡正篤とのエピソード ……
岡本義雄との同行体験、直接聴取
佐藤慎一郎…… 筆者の同行,共学体験、直接聴取
老教員…… 私立城北学園校長 近藤薫明氏より
直接聴取