両岸から国父と尊称されている孫文
国家を超越してアジアの安寧を祈った歴史の英傑を回顧し、日本、中華民国、中華人民共和国の将来を逆賭した知人の書簡です
謹啓
初夏爽風の侯、今般、閣下の中華民国総統就任の報を拝し日本の一隅より欣快な賛意を謹上いたします
国民党躍進の先導者として、かつ時節に鑑みた均衡ある政策を広宣実行され、国民党が再び政権を掌握されましたこと、歴史の縁を知る日本人として貴国の発展に期待を寄せるものです
重ねて、国民党の創立者である國父孫文先生の指導の下、亜細亜復興に奮闘した多くの先覚者を想う時、閣下の意志で国民党の歴史に新たな希望と目標を蘇らせたことは、貴国のみならず近隣諸国との善隣友誼に効果あるものと歓迎します
特に中華人民共和国との交誼は貴国のみならず我国にとっても新しい歴史の更新を促すものとして、かつ恩讐を超えて縁を再復する大局観は、これからの民国発展の礎となる賢明な意志でもあります。
顧れば我国にも亜細亜の黎明期に孫文先生と協力した多くの日本人の事跡があります
先般も胡錦濤主席来日の折、辛亥革命に挺身した日本人の縁を訪れ謝意を表され、意義ある歴史を友好の礎として有用なものにする心を日本に示しました。それは國父孫文先生の大経綸を鏡として自国を観照しつつ、民族の深層に在る理想とすべき姿として、その掲げた国家像への深い思索を亜細亜諸民族に無言に提示する姿でした
それは国家を超えて理解しうる人々への将来に向けたサインです。其の事は、時に諸国間の反目、混迷する政治、経済の関係を措いて、共に亜細亜の意志を確認し合う環境構築への行動であり、それが歴史に遺された華日先覚者諸士の願いでもあります
我国の北端のため訪れることが叶わなかった処に青森県弘前市があります
恵州で殉難した兄山田良政、孫文先生の側近として帯同し、唯一慶齢夫人と臨終に立ち会った弟山田純三郎兄弟の生地です
菩提寺には孫文先生の頌徳碑と並んで純三郎氏を革命の兄と慕った蒋介石先生の碑文が建立され、貴国大使の着任時には毎年礼拝に訪れていました
孫文先生とともに日中提携して亜細亜を興そうと敢闘した良政、戦後貴国の国際的発展に貢献した純三郎の無条件な靖献は我国の人情と矜持を顕した偉人でもあります
蒋介石先生が永懐風義と謹撰刻碑された純三郎氏が鎮すること五十年になります
そこで亜細亜復興を願い革命同志が民族を超えて慈しみ希望を描いた志操を懐かしみ、かつ現代への教示として、日本人有志相集い、かつ亜細亜の善隣友誼に志を持つ貴国有志、そして、叶うなら国境政体を超えて中華人民共和国有縁の方々を集って慰霊の祈りを奉呈したいと考えております
歴史は恩讐を越え縁が蘇るとき、新しい将来が輝きを以って再復すると信じます
歴史の先覚者は亜細亜の人情を添えて我々に問いかけてきます
現代に生きるものは先覚者の意志を、熱狂と偏見を省いて再び拝聴し、応えなくてはなりません
この良機に望んで一隅の拙意、微力ではありますが、閣下の御理解を賜り亜細亜安寧の一助として御賛意賜りたく願意を呈上するものです
太平洋の西、蒼海に厳存し、其の指標は世界に普遍な道義と勤労に支えられた繁栄であり、体現する中華民国の姿勢は、歴史の賢者の説く、大富在天の具現です
貴総統のもと中華民国の益々の興隆を御期待申し上げるとともに、御健康に留意され亜細亜の指導者として御活躍されんことを御祈念申しあげます
恐惶頓首
平成二十年六月吉日