筆者は、世が世であれば・平民の部類である。
明治のころ、文明開化だの近代化だのと騒ぎ立て、藩主は華族となり、高知の山内容堂藩主曰く「維新の無頼の徒」も功績をあげれば男爵など爵位が付いた。それらはベタ金と揶揄された記章で衣服を飾り貼り付け、勲章をぶら下げて髭を撫であげた。
あの智将と謳われた秋山真之が天祐(天の助け)と呟いた日露の戦勝に際して、舞い昇り偉上高になったのも、その元無頼の徒だったが、当の凱旋将軍の東郷平八郎は明治神宮の参拝にはうつむいて、まるで敗軍の将のようだったという。
乃木希典も同様だ。それは戦地臨場にあり敵味方にかかわらず多くの若者を死地に赴かせた哀悼惜別が終生、事あるごとに想起されていたからだ。
現代でも大戦を境にして戦前生まれの政治家はその惨禍を体験しているからか、「戦争の知らない政治家は危ない」と警鐘を鳴らしている。
いっとき数は力だと、参議院は売文の小説家や女優、タレントが、これまた軽薄になったオトコとミーハー世代のオンナに支えられて政界に進出した。
当選したら先生と呼ばれ、お手盛りで法外な便宜供与と俸給が保証された。その頃は官僚の掌に乗っていればよかったが、近ごろは国会職場内不純異性交遊や政策談義と称するキャバクラ飲食領収書、それでも隠し切れないとガソリンや切手の大量購入に勤しんでいる。
江戸っ子からすれば、野暮な骨頂(こっちょう)のしぐさだ
明治の無頼の徒と共通するところは座布団付きの議員バッチの威光だ。
まともな国民からすれば虚飾だが、与野党揃って食い扶持の安定担保と、言うべきことより、言いたいことの舞台確保で忙しい。ついでに税金で政治資金まで手前勝手に議決して懐に入れている
流行りの男女共同参画やセクハラコンプライアンスも男女の性の優性を衰えさせた。
ともに分別して具備している魅力まで劣化させ、性の峻別ならぬ同化や転化がもてはやされる様になった。原色スーツに塗りたくって化けた装い(化粧)が選良として議場を闊歩して、ときに髪振り乱して嬌声をあげている。これも今どきの無頼の姿だ。
江戸ではこれを下衆で薄っぱなオンナという。
多くの平民は観ているが、あえて口を開かない。それは、゛連中とは違う゛という平民の矜持だ。
大正の頃、昭和天皇の結婚の御相手に久邇宮良子さまがあがった。今も変わりはないが高貴と自認している方は血脈を重要視する。反対派も大声をあげることもできないが、良子さまに色盲の血筋があるとネガティブな宣伝をした、それもお立場があるので狡猾に、かつ応援団を恃んだ。騒ぎを落ち着かせるためか皇太子を欧州に巡行させた。船旅だから長期にわたった。それほど女性の血脈は重要だった。もちろん今は皆無のような純潔遵守である。
その点、男は経験として鷹揚だ。
東郷平八郎は特有の経験則なのか、渡行の事前準備として横浜のメリケン街で訪問各国の女性に若き皇太子をあわせている。口舌なら粋な取り計らいとの阿吽もあるが、近ごろの説明責任には馴染まない話の内容だ。
平成もそうだった。皇族御用達学校の学習院に常磐会という女性会があった。正田美智子さまの嫁ぎ先予定の義母となる良子皇后も会員だ。
厳しくも、つよい女性が多かったのか、ここでも口に出さない暗闘があったと当時の新聞が後日談として書いていた。
一部では民間の粉屋(日清製粉)の娘と揶揄されたが、当時のマスコミ報道はミッチーブームで世間は盛り上がった。一方では、その現象に眉を曇らせる貴き血すじの女性たちがいた。
筆者は「貴き」は自認でよいが、「尊き」はその様な人達に問いかける平民の意志だと思っている。
喩えだが、中国では民を水に例え、浮かぶ船を皇帝に例えた。
水は老子の説く「上善如水」(いちばん良い生き方は水のようなもの)と言われるように、雨は小川をつくり、地下にも貯まる。清水も濁流も排除しないで混じる。大河となって動植物を潤し、どのような形にも納まり、海を創る。静かな海は天が怒ると暴風となり舟を転覆させる。つまり普段はオトナシイ水だが、怒ると舟である皇帝や為政者を転覆させる力があるということだ。そして何もなかったように寒ければ氷となり、逆に水蒸気となって雪や雨を降らせる。
つまり水は循環という大きな流れで刻(歴史)んでいる。
それが、人間の生き方の倣いなのだと考えるゆえに、皇帝や宰相に「文句も言わず言うことも聞く、税金も払う、だから俺たちのすることを邪魔しないでくれ」これが関係の持ち方だと考えている。
どんな妃や婿と縁組しようが、おめでたいのは当事者であって、民には実利が伴わない。面白がるが反対はしない。かえって一部の繁栄を守る戦備や、体面をつくろう館や道路普請に税が増えると考えている。
さしずめ、地球のどさ廻りの五輪興行や祝いイベントも時を違えて似たようなものだ。
ここにきて秋篠宮佳子さまと小室圭さんのことで、当事者以外の言葉が世間を騒がしている。仰せになったのかどうかは判明しないが、発言の重い国母が否定的発言をしたと記事に出た。勝手な誤報だと思いたい。表立ってはいない秘事の類にあるやもしれないが、直接国母が発せられる言葉ではなく、意をくんだ側近なり、言論貴族や売文の徒なり、商業新聞が騒ぐことはあっても、国父、国母にその倣いはない。
あの聡明な美智子さまでさえ適応障害(当時はなかった)になられたという。
世間でも田舎から都会に嫁げば訛りや食習慣、地域の風習に慣れるまで大変だった。
旦那が鷹揚で頼り無い長男なら「大事にするから」の連呼では役に立たない。
だが、義母も老い、孫が嫁をもらうようになり、同郷の郷であっても「田舎育ちで今どきの子は、親の教育は・・」などと、同じ繰り返しがある。
まして昔みたいな人情も希薄だから、自分が嫁に来た時より辛辣になり、なによりも大人しいからと旦那の「分」を超える。
その騒ぎも、最後はオヤジが出てきて頭を下げて収めるのがオチだ。マッカーサーの前には勢いの良かった重臣ではなく、まして国母ではなく、国父の実直さと人物でしか適わなかった国を救う会談だった。
「文は経国の大業にして不朽の盛事なり」と、古来から国家の大事として文章管理の重要さを説くが、それも反故になったと、登場人物と共に歴史に刻まれた。しかも国家財政で養成された文官エリートの仕業だ。
近ごろは、子供のこのような笑顔はないようだが・・・
世俗では旦那が意向を出す前に女房が他人の息子が不釣り合いでと広言する家庭は、およそ統御がとれていない。つまりオヤジのガバナンスがないため、女房が我慢しきれず、他人の子供に事に口を切る。ゆえに我が子でさえオヤジの言うことをきかなくなり、アメリカンファミリーのように、先祖や家意識などなく、嫁と子供のことばかりに気が向くようになる。
ちなみに天皇の大御心では、民を「大御宝(オオミタカラ)」と称して遍く慈しんでいる。
いくら周りが人権だと騒いでも、己のことについては「権」を語らない。ましてや祷りは我がこと、我が家族ではない、ゆえに躊躇しない。その特異を認めるからこそ国民との結びはある。
たとえ慣習上、とうしても寛容や忠恕心で包めないことが生じても、その調和が解決に向かう努力を超えることであったとしても、オオミタカラを個別に云々することは抑えていたものだ。
オオミタカラは行政管理にある国別ではない。日本に訪れる人、援けを求めて来た人。なりわいでは不幸にして罪を犯してしまった人、貧富も国籍も問わず、四方蒼海に存在する敷島(日本)のなかで、縁あって暮らす人々をそう称しているはずだ。
そのお考えは、人間種として特殊なことではない。だから、その行動は誰でもできることだと勧奨さえしている。
世俗では忙しいとか身分や財力が、といったらどこにもついて回ることだが、まして、人間そのものを解明したり、証明不能なこととして附属性価値の多寡で選別しても人の世は成り立たない。
観えることは言葉と行動だ。
「俺たちと一緒だ」では成り立たないし、ゆえに明治以降かたくなに守護した空気なのだ。
まさに「人心は微かなり」、緩む(ゆるむ)とはそのようなことなのだ。