≪中国社会での体験身学≫
S 終戦後、王荊山さん、馬車百輌分の食べ物呉れたのだよ。
T あの方、梶園さんが知っていたのでしょう。
S 王荊山さんは偉い人だよ。
S (寶田さんの)お嬢さん(小ニ)のこれ(学習ノート)ね、僕の教え子が小学校の先生(根岸さん)だから彼に手紙送ったの。 そしたら、態々来てくれてね、此の咄を一所懸命半日も話してね。 再た、何人か連れて来るって。根岸君、真面目な男だから此のやり方(身体で学ぶ)に暗示受けるはずだ。昔から、中国では「言行は身行に如かず」と言う。頭では無く、躰で教えているのだ。
T あの、中国では漢字の国語教育は如何?
S 中国ではね。アッ!そうそう、昨日お客さん来てね、初めての人、何とかヒカルさんと云う人。途中で名刺を呉れたから、「光という字は、人間が跪(ひざまづく)いて頭の上で火が燃えている字ですよ。だから、あなたはいつも光に照らされている訳です。 素晴らしい名を持っているから、名は実に応じなきゃ駄目だ」と言ったら、とても悦んでね。 さっきの話だけど、中国では言辞(言葉使い)を教えている。
T 象形ではなく?
S 中国では、此の字はどういう意味で出来ていますよ、と教えていた。
T それで、中国で教える文字の意味が日本と違う場合ありますね。
S 中国では実態に合わせて文字の意味使いを解釈しているが、日本では、安岡(正篤)先生もそうだけど、実態とは遊離した文字の解釈をしている。 中国では基本だけ教え、後は十人十色で、勉強は俺(先生)がするのでは無く、お前ら(生徒)がするものだ、と考えている。
T 此の間、書道部の先生と会って話を聞いたら、向こう(台湾、中国)行って字の書き比べするらしい。それで、「日本の書道は心を移入し、芸術にまで高めるが、中国では役人の伝える記録の感覚だ」と。文字に対する考え方が、日中両国では是程までに違うわけですね。
僕の高校の後輩で芸大教授(書道)いますが、「飲みながら、中国の文字読む時,紹興酒でないと気分が出ない」と。 今、一番の問題は日中間に於ける文字の解釈の差異であり、大きなミスを国家レベルで遣っている。日本と中国では、似て非なるものだと云う理解を深める必要がある。文字、文章の意図するものが如何に大切か、其は田中(角栄)さんが貰った色紙(言必信、行必果)の例が典型ですね。
弘前 養生幼稚園
大切に・・整理、整頓の習慣化は知識や技術の前提
≪旅順水師営の小学校≫
T 先生、向こうの小学生に対して、或る程度のレベルの人に対して、漢字を教えていたんですか?
S 僕、小学生しか教えなかったけど。算数も全く解らんで、自己流に執ったの。青森のズーズー弁で 教えた。「お前ら、解ったか?」と訊くと、日本語で皆「はい、解りました」と。学期末の試験直前になって誰に何を聞いても一つも解ってないの。 理由訊いたら、「はい、解りましたと答えれば、先生が喜ぶと思ったから」と。もう、如何にもならないよ。それで、中国の事、中国人に聞かないと解らないと思ったの。
T 小学生の場合、担任の先生に好かれたい、と云う気持ちが強いのでしょうね。
S 僕遊んであげるけど、中国では先生って偉いから子供と遊ばない。汚いから風呂入れると、入った事無いので直ぐ風邪を引くし、父母から文句言われる。
T 小学生の男の子なのに女房を貰っている、と。
S 小五の生徒五三名の内、未婚は僕を入れて七名だけ。労働力が欲しいから早く結婚(嫁がとしうえ) させるが夜、オチンチン弄られたと言って「え~ん!」と泣いて職員室に来たり、高等科の嫁が門まで送って来たり、とにかく全く事情が違う…。 旅順で、晩になると支那語を習いに出掛けるけど、途中の墓場で女の人が毎晩泣いている。 すると、女の子がご飯持って来るの。 そして帰った途端再た泣くの。 僕、本当に泣いていると思ったけど、之、儀式な。
T 其れ如何いう、所謂「泣き屋」ですか?
川島芳子
≪川島芳子≫
S 川島芳子のお父さんが旅順で死に、棺桶の傍に子供らニ十何人と座り、莫迦(ばか)話しだ。 ところが、弔問客が来ると、突然「ウワ~ン」と泣く。
T 然う言えば、台湾でね、葬式の通夜の晩に二万円でストリッパー呼んでストリップやる。 仏さんが淋しがら無いためにと。
S それで川島芳子、笑って、泣かないから皆に叱られた。
T 男装の麗人と言われているけど、男と関係持てなかった、と。
S 青森出身の成田と云う医者が旅順に居て、結婚初夜に抜け無くなった時、彼が後始末したの。
T 奥さんは、あっちで支那語は?
S これは、それ程…。 僕は一番安い部屋で一番安い飯喰って、五人の個人教授(大学の先生)に全部金を掛けて雇い、支那語勉強した。 満州に来た時は一番ビリだったけど、勉強したので一番出来る様になったよ(北京語の全満の試験委員に就任)。 郷里に帰った時、僕が余りにも痩せていたので皆吃驚していたよ。
T 時代が良かったのかも知れないが、気狂いですよ、其れ程の勉強は!
S 女で失敗、ごまかしで勉強した。勉強している時、苦しみ忘れる事出来るから。 彼の頃の鉛筆、 質が悪くて、これが脇でしょっちゅう削ってくれた。それで、一対一で支那語習った。
T あの正篤先生、ご尊父が正明さんに「青年時代は学問を志したら、青くて痩せていた方が好い。若い内から太っている者に碌な奴はいない」と。そうしたら、お孫さん太っていて。……。
S 中国の事、本で説明を読んでも駄目と実感したの。 何でも体験して学ぶ事にした。死姦とロシアの女兵士以外逃げなかった……。 女の兵隊は三、四人でピストル持って男を攫(さら)って行くの。その代わり、御土産くれる。
T 梅毒貰ったら、御土産出ても釣り合いが取れませんね……。
ところで、満州国の教育の中で、国語はあったのでしょうか?
S 北京語だ。僕、全満語学検定試験の委員だったの。満州人の国語は無くなってしまった訳です。 今、中国では全部北京語になっている。
T 北京語で「あなたは中国の国語の先生ですか?」は何と言うのですか?
S アレッ、「国語」って何て言うのかな?
T じゃ、「国語」と云うのは、ある訳じゃないと。……。でも、考えてみれば上海で喋っている人、北 京では通じ無い。と云う事は、読み方(発音)が違うとすると、大事なのは文字が記号として意味が統一されている、と。
S 発音は違う。文字の意味は非常に拘わっているので、思想が発展しなかった。
T 其処から応用(活用)が出来なかった、と。
S 王陽明になって初めて其処から抜け出した。
T 家の娘を今度台湾へ一日か二日体験入学させようと思っています。いわゆる「文字に対する捉え方」が日本と中国では違いますね。 だから、一種のカルチャー・ショックを与えて、中国への理解を深めて欲しい。 これから、中国の政治・経済が大きく変わり、(アジアの)主流になると思いますが、そうした中で日中両国が共通に用いている漢字の意味使いの違いを深く理解しないと困りますからね。
S 中共に成ってから、どのように教えているのかな?
T 文字が簡略化されて、本を買いに行っても全く解りません。
S あの簡略字、伝統を否定しているから、学者の間で批判が強い。
T 学校の書道の先生に
「文字の意味使いを教えているのですか?」と訊いたら、
「此の期間に是だけの文字を教えるので、其の様な余裕は無い」と。之では文字の成り立ち、解りませんよ。
S 僕も、(寶田さんの言ってる)此方が本当だと思うな。
T 小学校へ行って吃驚します。本来、人間が教えるのに、機械的、心太(ところてん)式に執っている訳です。
S 恐らく受験勉強の所為じゃないかな。
T 其れは教える人の人生観とか考え方が表れるのでしょうね。
S 僕、「佐藤慎郎って何だ?」と訊かれて、訳が分からないよ。
津輕弘前城の秋
≪豚 児≫ (とんじ)
T 僕が何故小学校(「小学」)に興味が在るかと云うと、今日本の色々な問題が各界で噴出して居ますが、結局小学校の課程六年間で何が行われるかが大問題であり、其処に全ての問題の 根っ子が存在して居ると考えて居るからです。しかも、大部分は官制ですよ。 其れ以降は、「お前ら勝手に勉強せい」ですよ。然う云う意味で同じ儒教圏では如何いう小学校が在るかに関心があります。中国へ行って観たものは、古いものを大事にしていると云う事でした。
例えば、年取った先生が休み時間か何かに図書館で勉強して居ました。 社会参加と云うのは、多少の規律を必要とする訳ですが、生徒は(自主的に)筆箱をきちんと揃えていたりする。 一人一人が怠惰に流れる事を自覚的に注意していますね。 「之、執れ!」では無く、自主的に「執って行こう!」と認識(理解)して居る。礼儀を当たり前に執っている。 いちいち校則で執っていませんね。
S 先週出した御礼状にこの様な事、書いた。 僕の弟が中学生の時、ストライキで岩木山に立て籠ったの 。弟は躰が悪くて家で檄文書いた。 父兄も生徒の見方に。結局、赦されて学校と話し合いがついた。校長が講堂で訓辞をしていると、弟が病気を押して壇に上がり、「師団長の子供や校長の子供は、斯の様な事をしても可いのか」云々と。それで、大問題になり、彼らは余所の学校へ転校したの。 父が新聞に謝罪文を書く破目(はめ)になり 「余には不肖な二人の豚児あり」云々と。
僕、社会に出てから、「豚児とはピッタリしてるな」と思った。 九〇歳になるまで娑婆(しゃば・・世俗)で「長」が付いた事無いが、留置場では確かに「長」(牢名主)付いたよ。三百何人の囚人(勅任官含む)居て差し入れは僕一人だけ。
僕、賄賂(わいろ)一銭も使わず、牢名主で自由自在に執った。 死刑囚だけど娑婆と全く同じだった。中学入学時、一九〇余名中、一〇七番の成績。今の感覚から言うと、全然駄目な奴になる。事実、社会では「長」付いた事無いけど、監獄で付いた訳。 看守付か無いで、僕は好きな様に歩いた。老子の「天地に棄物無し」と云う言葉、留置場で「有り難い言葉だなぁ!」と思った。僕の様な高等学校へ入れない莫迦(ばか)でも自分の特徴有れば牢名主に成れる。其れ、御礼状に書いた。
旅順203高地の石 江の島児玉神社
≪満州国崩壊の土壇場≫
T 関東軍は満州国崩壊時に一早く逃げた。学歴有り、地位有り、威張っていた奴が最後の土壇場で逃げて終しまった訳です。ところが一方、先生の様に日本では勉強もしなかった人が満州で一番信頼を集め、戦後は中国問題で歴代の総理から信任されていた。 其処の所が如何に官制の学歴がイザと云う時に全く役に立たなかったと云う事を示しますね。
S 佐藤慎一郎は世の中に唯一人、僕に何か有るはず。今の教育じゃ、仕方無く学校に「おいてやる」と云う事でしょう。
T 孟子が「四端を取り戻す」と言ってますね(四端=仁・義・礼・智に進む心の糸口、『孟子』公孫旦)。 食・色・財の三欲で濁るものを除く、あるいは放たれた心(放心)を取り戻すのが学問と。 だから、其処を如何教えるかですね。
S 何とか光さん、機動隊の人(拓大卒)、寶田さんの名前を訊いていたので、名刺渡しておいた。
T (然ういう)勉強会に警察官多いのですよ。……。ところで先生、川島広守さん御存知ですか?
S 川島さん、知ってる。
T 広守さん、今度うちの会にお呼び出来ませんかね?
S 何で知っているかと云うと、当時の僕は(西荻から)赤坂見附へ行く電車賃が無かったので、荻窪の 警察官舎から出勤する柏村長官の車に乗せて貰い、途中で降ろして貰ったの。青梅街道で川島さんも待って居て、ちゃんと乗って来る。僕が長官と同乗しているので川島さん、僕を偉い人だと思ったらしい。それで、知っているの。
T 確か川島さん、佐藤内閣か田中内閣の総理秘書官でしたね。……。弧堂忌(安岡正篤氏を偲ぶ会)に何回か行きましたが、川島さん挨拶で安岡先生の「枝葉末節に拘泥(こうでい・・こだわる) するな、多面的に考えろ、将来的に考えろ」(思考の三原則)についてお話されていましたよ。川島さんのご見識、覇気、若いし立派な方ですね。
S 今何を?
T セ・リーグ(野球機構)の会長です。
S 秦野さん(元警視総監)も居てね。
T 神戸の青幇(チンパン・・秘密結社)の件でしょう!
S 秦野さんの自宅と柏村さんの家、ご近所で百メートルと離れていない。……。
北京 戒厳令下の小学校
≪教 育≫
T アッ、今日は開けておいた方が涼しいですよ。躰に良いから。
S 出来無い奴でも棄物無しだよ。
T 各小学校で入学時、父母に小学校(「小学」)の根本を説明すれば好い。 あの学校(お茶の水附属中)は国家の教育の試験台(所謂実験校)、親も公意の為、優秀な先生のところに子供を送り込むなら、将来の社会に役立つ様な現実の提言を出さないとね 。親が公立に通わせながら、ミーティングで個々の問題(進学問題など)でしょう 。末節の話しかしない。 僕らは子供の頃、「世の中の人の為に勉強するんだ」と能く言われたものでしたが。
S 「分」忘れて、「自」だけだ。
T 今の人、人に役立つ事が損する事だと考えている。
S 人の役に立つ為、特徴を育てるのが教育だよ。
T 皆一律に「ハイ、どうぞ」じゃ、大して人間性は出て来ない。
S 今、受験だもの。
T 其の受験がね、何の為の受験か判らなくなっている。能く退職問題に「果たして俺の人生、何だったのかな?」と、自問自答する人がいる。其れ位だったら現役の頃に自覚しろって。先生は自然にしていらっしゃるが、一般の方は生を貪っている。如何なるか判らんでも一瞬で終っちゃいますよ。北京(天安門事件)へ行った時もそうでした・・・・・・。
S 満州建国の一番偉い奴が盗みをやる。本当の修養と偽物の修養、土壇場にならんと判らん。
T 馬賊の親分が粛として死にますね。其の死生観が学問ですね。
S 僕、死んでも戒名も何も要らない、と子供に喋っている。……。僕、三階まで上がると苦しくて仕 様がない。此方(モト様)は全く衰え無い。僕、コロッと死ぬよ。
T でも先生、本当に死にそうな人はそんな事喋らないですよ。……。僕ら、年のジェラシーって有りますね。もう一度彼の様な勉強をしたいとか。……。
馬賊の頭目 白氏 1989北京
≪安岡正篤氏との出会い≫
S 何処だったかな、東京駅の近くで宴会あってね、中華料理食べながら、僕、Y談やったわけです。安岡先生、その事(中国の実社会)知らない。宴会済んで、皆と別れて安岡(正篤)先生に挨拶した。 講義の時は一番前に座った。勉強できない奴が先生の前に座るという学生時代からの癖がついていて、安岡先生の時も早く来て一番前に座った。
M 場所は何処ですか?
T 虎ノ門の教育会館…、アッ、東京駅の前なら工業倶楽部か。
S 学生を連れて長野の全国大会に行った事もあるけど、安岡先生、僕の講義必ずお聞きになる。講義が 済んで八時頃から一杯飲む。 皆、安岡先生の講義を緊張して拝聴するけど、僕の咄、飲みながらバンバン。僕のは学問じゃなくて中国体験だけですから、安岡先生も非常に喜んでお聴きになる。事務の方から、「佐藤先生、十二時までに止めてくれませんか」と注意された事がある。安岡先生は、中国でも孔子が尊敬されていると思っている。 孔子は立派だけど中国では誰も拝んでない。観光に訪れるだけだよ。
漢の武帝の時代、国教にした為、民衆は誰も尊敬していない。 中国に二十二、三年いたけど、一番不愉快だったのは孔子廟に行った時だ。 泥棒と同じ。孔子に徳を取られて、あそこへ行って碌な事ない。 何処行っても危険感じた事ないのに、孔子廟では、野原で一日中監禁された。 北京で四年程勉強したけど、向こうで一番悪いのは孔・孟の先生なのです。
例えば僕が習った論語の個人教授(某大学の先生)は論語の勉強中、金儲け教える。「僕の友人のお父さんの誕生会に招かれたのですが、何か持って行くべきでしょうか?」と訊いたら、
「どんな関係だ?」
「ただ日本への留学の世話をしただけです。」
「そんなら、ただで行けばいいだろう」と。
その時、家のおばあちゃん、お腹大きくして部屋に入って来たの。すると、
「呼んでくれた人、何してるの?」
「冀(キ)東銀行の頭取しています」
「エッ!冀東銀行の頭取。只で行っちゃいかん。そういう人にはきちんと礼を尽くさなくては。エッ? 金なんか心配要らん。僕出してやる。貸してやるから」
「返す金有りませんよ」
「いやいや、後一、二ヶ月で奥さん赤ちゃん産むだろう?すると、三、四倍になって帰って来る。」と。とにかく、そういう儲ける方法ばっか教えるの。これ、某大学の偉い論語の先生だよ。
T 解釈と応用の仕方が違う。日本と中国では似て非なるもの。同じと考えるのは錯覚
S 中国人は、孔子を尊敬していると云う感覚は駄目だよ。仁(人情)は、中国では賄賂の事。だから、中国人は賄賂の事を「人情を贈る」と言っている。
M 成る程ね。
S 宦官七、八名調べて、オチンチン無いの一人だけ。大阪で講演したら、或る学者が「その当事の清朝では既に宦官が禁止され、募集してない」と。だけど、宮中で亡くなった宦官の名で宮中に入り込み、務めている訳です
M 溥儀さんの頃の話ですか?私、愛新覚羅一家について興味あるので、ずっと前から本を読んでいました。
T この間来た門脇君(門田隆将)、能く溥傑さんに会っています。
S 溥傑さん、中々感じの良い人ですね。だけど溥儀って莫迦だよ。
M 今度『溥儀日記』出ましたが。
S あれ連れて来たのは工藤忠。僕の父の生徒。 関東軍が溥儀を連れ戻そうとしたけど、誰が来ても 動かないの。 工藤忠に頼まれたので動いた訳です。営口に着いたら甘粕が迎えに出た。 道口市の温泉に泊まったが、その時
「許可なしに人と会ってはいかん」
など、三ヶ条を突きつけたので、その晩、溥儀は
「天津に帰る!」
と言って、もの凄く暴れたの。此処に工藤さんのお話を録音したテープある…。 関東軍の発表全て嘘です。内情は工藤忠さんから聞いている。
ある日の郷学研修会
下中邦彦(平凡社) 安岡正明 筆者 卜部御用掛
≪郷学とその学び方≫ M・・・長野在 郷学同人
T 爽やかな気分で人間らしくね。郷学をね、長野で心ある人々を集めてやるんですよ。基本的に正篤先生の教えを学ぶ一方で郷土のダイナミックな動きを掘り起こす。 それを心構えで考えるとちょっと…。
S 是非、おやりになって下さい。 長野から青森へ「林檎の作り方、教えて欲しい。」と言ってきた時、弘前、樹木の外崎(トノサキ)と云う男が、全県反対の中「馬鹿言え、こんな良いもの教えてやれ」と押し切り、長野まで行って教えたのす…。
僕の祖父さん、ニ五歳の時、西郷のとこで勉強して、東奥義塾と云う学校を開いたの。 アメリカ人夫婦を先生にしたのが明治五年です。 例の工藤忠は義塾の生徒です。 三代目に来たアメリカ人のイング先生がクリスマス前、職員にニ、三個ずつ呉れたのが林檎です。 今までの青森の林檎とは味も格好も違う。初めは発芽方法が解らなかったけど、留学生が林檎持って帰って来て、お祖父ちゃんの庭に植えて初めて実になった。 それが青森の林檎になった訳です。
M 私もその話、聞いてます。
T その卒業生が陸羯南とか珍田捨巳です。 明治天皇の東北行幸の時、東奥義塾の生徒達は英語の歌で迎えたと言う。 ここからは、山田兄弟など素晴らしい人材が出ている。 だから、単に現実の経済人を集めてと云う事ではなく、若い者に考え方を転回させると云う教育が必要です。
S とにかく、殿様が亡くなり、何も無い青森県をこれからどうするか、と云う時、九郎爺ちゃん(菊池九郎)は
「人間がおるじゃないか!」
と言って、それで学校を造ったのです。
T アメリカ人教師の月給は日本人の何倍位?
S 三〇倍だよ!
M 今、青森でも、コンピューターの米人技師を年俸二千万円以上の高給でスカウトしていますよ。 冷戦終結依頼、国防省で余った人材をニ〇名程、招聘していますよ。いわば、津軽の林檎の現代版ですか
T これからの問題ですが、今集まっているそれなりの人々を賛助者にして、ハイテクばかりを勉強している若い人に、そういう場面を提供する事が良いですね。
M 分かります。十四日に幹事会を開いて、正明(長野銀行会長 安岡正明)さんにお願いして、今やらねばならない事を力一杯やって行こうと思っています。 それで、レベルが判ります。 安岡正篤先生の様に歴代の首相達が困ったときにどうすれば可いか訊きに行ったのは、細かな内容では無く、基本的な考え方を訊きに行った訳です。 以前、寶田さんからそうお伺いしています。
S 僕、その土地には土地の何かが在ると思う。 孔子の言葉に「仁者は山を愛する、知者は海を愛する」と云うのがあるけど、長野でなければ出来ないものを育てるのが郷学だと思う。
M 人生上で自分の行って来た事に何か不足を感じています。
T 自己分析ですか。
M 信州人、山国の人間だから或る程度まで行くと「分」が解っちゃう。 高速道路も新幹線も無いし、一定の所まで行くと、「ああ、これまで」と感じちゃう。
T 宿命を活かすのは、立命だと思います。怠惰からの脱却です
S 結論は、自ずから立ち上がるしか無い、と云う事です。
M だけど、やはり杖も無ければ何も無い。 私が在るだけ。十年間、正篤先生の本を六〇冊読んだり、テープを聴いたりしたけど「それやったのは何だったのか?」と。この前、寶田さんに言われた事、うんと悩んで帰ったの。 正篤先生を勉強して会員を善導したいと思って、会合やってもマスターベーション(自己満足)に過ぎない。それで、正明先生を御推戴申し上げる事にした訳です。私は仕掛け人で可い。
T 増田さん、今一番楽しい盛りですね。 僕、無学で難しい本読めませんから。安岡先生の本読んで、僕なりに会得したもの有りますが、佐藤先生の学問は体験学だから、同じ体験をしようじゃないか、と。それで、中共や台湾へ行ったり、弘前へ行ったりしている訳です。 こういう方がどういう環境でどういう勉強をして、こういう人物になったかについて、僕は興味が有ります。
M 寶田さんが、佐藤先生の生き様と同じ足跡を歩んでみようと?
T まあ、無理だとは思いますが。 正明さんの「父を知らなければ、解らない部分ありますよ。」と、云うのは、此処の部分ですよ。
M 正明さんの頭脳、お借りして、流して戴かないと。
T いつも垂れ流していますよ。
M この会やるについて、家族に相談し、どうしてもやりたいと決心して、安岡(正明)先生と会員の間を往復しています。 良い会にするその心は何か。 正明さんにも解って戴いて。
T 生真面目に作ると、会というのは形の上で頭と尻尾(シッポ)、規約という事になりますが、やって行く中でその方々が自然に作って行くという方が・・・誘導する部分は在りますが、やっぱり嫋やかに、時間は掛かるけど、それでも可いと思う。
M ただ、正明氏と私でも底辺のきちんとしたもの(関係)持たないといけない、と思う。 彼も必ず死ぬし、もったい無いから、勉強の時に彼の考え入れて貰えば有り難い訳です…。 私、善導して貰った方が早いなと。命令まで出て来ればベスト。
T それは、難しいでしょうね。私、正篤先生から一言「郷学を興しなさい。」と、言われただけです
新京にて報告会
≪酔譚四方山≫ M・・・・某通信社記者 中国駐
S 僕はナンボ騙(だま)されても、だまされたとおもわない やっぱり僕、中国人の小学校の先生をしたお陰で子どもがとても可愛かったからね それで子供が好きだからねぇ
M 今の中国の人民共和国になって全然変ってきましたね
T あのー 中国人は変らないでしょう 共産主義なんていうのは中国思想に吸収されてしまいますよもうーないですよ 毛沢東も何も知らないですよ 毛主席の先生が僕に直接言った 毛主席は共産思想なんて何も知らないと、この先生 悪い奴で 僕のいないとき金かっぱらって逃げてしまった
T その方が書いてくれた文章でしょ あの意味 解りましたか
S いまね中国人に聞いてやっている。でも返事が来ない 解らないって
(電話が入る モト婦人は元気な声で応答している)
T 日本人って錯覚することが多いのではないかな お婆ちゃん これりんごジュース
M いゃ お元気ですね
T お婆ちゃん あそこ閉めておいで (先生とモト婦人大笑い)
M 南方の方と北方の方と全然違いますか (宝田に問う)
T 僕はよく分からないが先生から色々なお話を聞いているので確かに違うが、一人の人間の二面性がありますね 環境も人をつくりますね かといって北方が義理堅くて、南方が商売上手だけとは当てはまらない
S 結論は出さないほうがよいね あまり分析すると人間は面白くなくなる
T 本にはその通りしか書いていないので・・ そうおもってしまう
この間 正明さんが(安岡正明)我何人(ワレナニビト)という研修をしたんです
自己紹介では経歴や附属性紹介が多いようですが、そのような表層の表現ではなく自身を紹介してください、と言ったところ誰もできない
S それは出来ないよ
T ところが出た内容は想い出ですよ ところが童子は集積されたものはないですよね だから子供のほうが自己表現が簡潔だし明確です。それで譬え表現で苗さんの奥さんが語ったことを言ったんです
(張学良率いる東北軍顧問 一高帝大卒 高等文官試験合格 周恩来と仲がよい 西安事件の真の首謀者)
「 苗さんは自分を探すために一生忙しく動き回っていました・・」と、これだけ理解する女房がいたら、憂いなく革命に没頭できますよね
苗剣秋氏
1988 台北 苗夫人と著者
S ありがたいね
T そのあと正明さんが「自分をあまり分析してはいけない」と、そして「現象ばかり追いかけてはいけない」 そして、「父の周りには多くの政財界人が集まり孔孟をはじめとする古典に添っていたが、すぐ飽きて商売の話をしているその人たちは単に父と同席したとか、教えを享けたと宣伝しているが、本人にとっては何の学問になっていない」
こんなことも言っていた、「国立劇場の理事をしていたときご婦人に歌舞伎の何たるかを教養として学び、そのあとで観賞することになっていた 最初は興味深く聞いていたが、いざ観賞の段になったら多くの女性は居眠りをしていた 教養好きもいいが・・・」と嘆いていました。中国についても日本で学んだことは現地に行ったら忘れることですよ 赤い血が流れているところへ行くのだから、分析以前に自分自身を知っていくことですよ
M 始めて行くときは微にいり細に入り書いてある本を読んでみたりで、頭の中にいっぱい入っているんですよね
S 僕はねぇ クレオソートだけは必ずもって行きます
T それと大切なことは民間外交のつもりで行かないと。 それは仕事でも観光でも一緒です そのためには無国籍な鷹揚(オウヨウ)さではなく、日本人の残像を抱いていなければならない
M 中国だけではなく、世界各国の場合も同様ですよね 国を語ったり政治を話すことより、自身を語らなければならない どこへ行っても評価を互いに得ることですから人間外交そのものです
T 向こうの礼儀に反しているかもしれないが日本人として行けばいい 誠心誠意は分かる
M はじめてですからアレを見て、これを買って、とそればかり頭に浮かんでしまう
T 僕ははじめからアノ天安門事件の百万人デモですから観光どころではないですよ でも自分の一生を左右する体験でしたね やはり人情を感じてくるものですね
M いまから楽しみですよ
T 心配しないで行ったほうがいい。 ただ旅行団ならいいが単独なら注意することがある。僕は中国歩いて心配したことは一遍もない
M 本に書いてあることを確認することでもあるんです
T ただ、評価の価値の置き所を注意しなければならない 遅れているとか汚いとかあるけど、それは一過性の現象でしかない人間がいかにダイナミックに生きているか、それを観るのに一番いいのは子供と年寄りを観るといい。 とくに非生産的世代のなかに国家の真のバロメーターがあると認識することです。 そこに歴史も未来もある
S どこへ・・
M 北京五日間 ユナイテットエアラインです
T 僕もあの事件のとき日本の航空会社はどこも飛んでなくてUAに乗ったんですけど、英語も北京語も全然判らないで盲目の蛇行でしたよ
S 僕も北京に行ったとき北京語も分からなければ買い物も出来なかった だけど却って中国語が早く解るようになったら心配しないで行ったらいい
M 言葉が話せないと、どこまで意思が通じるか心配ですよ
T 喋れなければ、生半可(ナマハンカ…中途半端)喋れないほうがいい それは解らないよりか解ったほうがいい、と言うぐらいなものですよ 表現は文字も表情も言葉も態度もある 言葉はその内の一つだ 中国では北京と上海では言葉は通じない 日本語が通じなくても障害ではないですよ 自分は肉体的にも発声できないと思えばいいですよ もともと発声できなければ北京語を知らないことが恥ずかしいことではない 足がなければ元々無いとおもえばいい、つまり忘却の力だ 住友の新井正明さんもその妙智で乗り越えている
M どこか遠慮してしまいます そこまでしてもいいのかなとか・・・ これを言ったら失礼になるの かなぁ、とか やはり先生が仰られた、日本人を探しに行くのかなぁ、と考えればいいですね
T 日本に来る若者が、何着ていこうか、なに見ようか、言葉が心配だ、などと考えないよ そこに第一歩の共有する価値観がないんだよね
S 五日間か・・・いいねぇ (天井に目をやり思い巡らす)
T ぼくは短期の場合、日本から飲料水を持っていきますが・・・
つづく
イメージは関係サイトより転載