情報サイトより転載
党首討論を観た。視た、見たのではなく「観た」。
好き嫌いではなく、政策でもなく、機に臨んだ人物の刮目した姿だ。
まして、彼らにとって緊迫した政局なのだろうが、国民は幾分の間をおいて観察している。なかには選挙好きで血が騒ぐ国民もいるが、利他(他のために)は争いに無駄だとする一群はここでは措いて観た。
相手は各党首だが,自民党総裁は数年前と少しも変わらぬ様子だ。獲らぬ狸で昂揚しているのか早口がより希薄な人情が表れている。どうしても攻める野党はテレビ向けの演説調になるようだが、野田君の覚悟と比べ軽薄にも映る攻勢だった。
生活第一は老練さともみる向きもあるが、「礼」がにじむ聴きごたえのある応答だ。
公明党もその姿を見せて、双方、相手の人格を尊重した党首らしい応答だ。
いろいろ裏読みの事情はあるようだが、国民にとっては毎度の議会風景として面白く眺めているのが実情だとしても、あるいはセレモニーだとしても、後ろに控える同僚議員の騒がしさは今では死語となっている「人格識見」の乏しい人間の姿として反面教材になる。
いずれ少数多党になるようだが、国民が依るべき「力」や「威」がより遠くなる。それも「何かおかしい」と感じている世情を明らかにするすべとなることを望むが、解決の目途は立っていない。米国は今回もぎりぎりの攻防だった。韓国もそうだ。明確に決着がつかないというが、多くの民主主義を取り入れた国家の選択は、遠い昔に賢者がこれを想定したシステムは他の選択を許さない囲いとして人々を覆っている。
余談だが、これを推奨し、ときに圧倒的武力を使って民主と自由を掲げ商業市場を確保している超大国だが、衰えが目立つと囲いにもほころびも目立ち、シーソーのような政権転換が足下をぐらつかせるようになった。こうなると一党独裁が懐かしくなる。利の集中や少々生活も窮屈になるが、それらの国は活況を呈している。為政者がどんなに財を蓄えても、自分の経済生活さえ邪魔にしなければ賄賂も是とし、かえって多く貯めれば「大したもんだ」と褒められるような国々だ。
隣国は軍,政、党、を一人で統括するシステムだ。よく民癖に合った方策だが、多神教ながらホドよい国柄を構成してきた我が国にとって政治家が国民の面前で相手を嘲り、貶める争論を「何かおかしい」と感ずるのは至極当然だ。情緒民情の異なりは様々だが「国柄」と「人間」を知る為政者が維新の当初に病に罹ったような、゛かぶれ゛というべき阿諛迎合が抜けきらないようでは経国も危うい。
政府も官吏も国民も、最後は陛下では、申し訳もたつまい。
あの頃も明治の残り火のように、いや江戸の御家人のような軍と官吏の争論で国家はまとまらなかった。税も過酷だった。多党乱立し、軍の現地既成事実をなぞって泥沼化した。土壇場では前線兵士の多くは異国の土となり、多くの軍人は割腹して責を全うしたが、経国の責は陛下とマッカーサーの応談に委ねた。後世の学者、売文の輩の珍奇な切り口は色々あったが、高度成長という豊かさにまぎれて歴史を忘却し語るものも少なくなり、現在の様態になった。
被災地では総理に対して帰れコールは起き、陛下は膝を追って頭を垂れ国民に在るべき姿を顕した。人々は人間の姿を観測するにどのような人物を推戴したらいいか理解した。
そして議会の構成員である代議士を比して観察した。なにが「力」で「威」なのか。
そして、賢明な国民は安心して委ねるべき人物とはどのようなものなのかを学習した。
一時は官吏に操られ朝霞の官舎建設予定地でパフォーマンスを演じた野田君だが、多くの喧騒のなか鎮考して刮目した。「男子、三日あわねば刮目して見よ」というが、人間は男子だけでなく三日前と三日後では人物が変わったと思えるほど変化するのである。
野田君はどこかで変わった。「16日解散します」と言い切った言葉の力は今までと違う威力があった。「いゃ、それなら力を委ねるから辞めないでほしい」と、考えた知人も野田君の刮目を観察した。
その多くは人物との邂逅か、意地か、恥をそそぐ大事か、つまり己を知ることで転化する心の在り様であり、他人には映り様である。
音声は知性を表し、容姿は覚悟を映し、後背は自信をにじませる、その現象だ。
こうなると生真面目さが生きてくる。狡猾な官吏に踊らされることもないだろう。
「あの時、言えばよかった」「流された」そんな弱気が悲哀となり、手のひらを返したように官吏が寄り付かなくなるのは侘びしいことだが、「独りを以て国は興る、独りによって滅ぶ」と覚悟して、多勢に無勢であっても邁進するであろう姿に、多くの人々も刮目した。
「はじめから、そうすればよかったのに・・・」とは井戸端での女子の呟きだ。