まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

「人間考学」 刮目した野田君

2012-11-18 13:01:34 | Weblog

情報サイトより転載


党首討論を観た。視た、見たのではなく「観た」。
好き嫌いではなく、政策でもなく、機に臨んだ人物の刮目した姿だ。
まして、彼らにとって緊迫した政局なのだろうが、国民は幾分の間をおいて観察している。なかには選挙好きで血が騒ぐ国民もいるが、利他(他のために)は争いに無駄だとする一群はここでは措いて観た。

相手は各党首だが,自民党総裁は数年前と少しも変わらぬ様子だ。獲らぬ狸で昂揚しているのか早口がより希薄な人情が表れている。どうしても攻める野党はテレビ向けの演説調になるようだが、野田君の覚悟と比べ軽薄にも映る攻勢だった。

生活第一は老練さともみる向きもあるが、「礼」がにじむ聴きごたえのある応答だ。
公明党もその姿を見せて、双方、相手の人格を尊重した党首らしい応答だ。

いろいろ裏読みの事情はあるようだが、国民にとっては毎度の議会風景として面白く眺めているのが実情だとしても、あるいはセレモニーだとしても、後ろに控える同僚議員の騒がしさは今では死語となっている「人格識見」の乏しい人間の姿として反面教材になる。

いずれ少数多党になるようだが、国民が依るべき「力」や「威」がより遠くなる。それも「何かおかしい」と感じている世情を明らかにするすべとなることを望むが、解決の目途は立っていない。米国は今回もぎりぎりの攻防だった。韓国もそうだ。明確に決着がつかないというが、多くの民主主義を取り入れた国家の選択は、遠い昔に賢者がこれを想定したシステムは他の選択を許さない囲いとして人々を覆っている。

余談だが、これを推奨し、ときに圧倒的武力を使って民主と自由を掲げ商業市場を確保している超大国だが、衰えが目立つと囲いにもほころびも目立ち、シーソーのような政権転換が足下をぐらつかせるようになった。こうなると一党独裁が懐かしくなる。利の集中や少々生活も窮屈になるが、それらの国は活況を呈している。為政者がどんなに財を蓄えても、自分の経済生活さえ邪魔にしなければ賄賂も是とし、かえって多く貯めれば「大したもんだ」と褒められるような国々だ。

隣国は軍,政、党、を一人で統括するシステムだ。よく民癖に合った方策だが、多神教ながらホドよい国柄を構成してきた我が国にとって政治家が国民の面前で相手を嘲り、貶める争論を「何かおかしい」と感ずるのは至極当然だ。情緒民情の異なりは様々だが「国柄」と「人間」を知る為政者が維新の当初に病に罹ったような、゛かぶれ゛というべき阿諛迎合が抜けきらないようでは経国も危うい。

政府も官吏も国民も、最後は陛下では、申し訳もたつまい。
あの頃も明治の残り火のように、いや江戸の御家人のような軍と官吏の争論で国家はまとまらなかった。税も過酷だった。多党乱立し、軍の現地既成事実をなぞって泥沼化した。土壇場では前線兵士の多くは異国の土となり、多くの軍人は割腹して責を全うしたが、経国の責は陛下とマッカーサーの応談に委ねた。後世の学者、売文の輩の珍奇な切り口は色々あったが、高度成長という豊かさにまぎれて歴史を忘却し語るものも少なくなり、現在の様態になった。

被災地では総理に対して帰れコールは起き、陛下は膝を追って頭を垂れ国民に在るべき姿を顕した。人々は人間の姿を観測するにどのような人物を推戴したらいいか理解した。
そして議会の構成員である代議士を比して観察した。なにが「力」で「威」なのか。
そして、賢明な国民は安心して委ねるべき人物とはどのようなものなのかを学習した。

一時は官吏に操られ朝霞の官舎建設予定地でパフォーマンスを演じた野田君だが、多くの喧騒のなか鎮考して刮目した。「男子、三日あわねば刮目して見よ」というが、人間は男子だけでなく三日前と三日後では人物が変わったと思えるほど変化するのである。
野田君はどこかで変わった。「16日解散します」と言い切った言葉の力は今までと違う威力があった。「いゃ、それなら力を委ねるから辞めないでほしい」と、考えた知人も野田君の刮目を観察した。

その多くは人物との邂逅か、意地か、恥をそそぐ大事か、つまり己を知ることで転化する心の在り様であり、他人には映り様である。
音声は知性を表し、容姿は覚悟を映し、後背は自信をにじませる、その現象だ。

こうなると生真面目さが生きてくる。狡猾な官吏に踊らされることもないだろう。
「あの時、言えばよかった」「流された」そんな弱気が悲哀となり、手のひらを返したように官吏が寄り付かなくなるのは侘びしいことだが、「独りを以て国は興る、独りによって滅ぶ」と覚悟して、多勢に無勢であっても邁進するであろう姿に、多くの人々も刮目した。

「はじめから、そうすればよかったのに・・・」とは井戸端での女子の呟きだ。
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11月17日の産経新聞 一面の二稿

2012-11-17 12:38:10 | Weblog
       陸 羯南



さぞかし書きなぐっている両氏は気分がいいだろう。それを溜飲をさげるというらしいが、彼らの心底に溜っていたものはそんなものだったのだろうか・・・

無署名の産経抄の書き手は記者からも元老と尊称されていた石井英夫氏だった。あの新潮の「ヤンデンマン」も江国滋氏やK記者の筆と聴く。仮名もあり無記名もある世界だ。
その石井氏が降りるときは産経抄も日ごと稿の味わいが日替わり朝食のごとく変わったが、しばらくすると収斂されたのか、あるいは受験の数値選別のように落ち着いたが、稿は薫りなく時に鎮考を呼ばなくなった。読者に合わせた記事なのか、どこの商業新聞も瀟洒な館を建てた頃から、どこか弛んできた。

11月17日の上は政治部長、下は紙面を貫く座標であった産経抄だが、そろって気分よく書いている。この手の文はさして刻を要することなく書けるものだが、それも「池に落ちた犬・・」のたとえある隣国への同化症状のようにみえる。

「吾が身をつねって人の痛さを知る」とは我が国の情操だが、騒を顧みて鎮考をうながすことでもある。
標題に「素人政治はもう見飽きた」とあるが、陸羯南は何というだろうか。都合のいい時は「国民目線で・・・」と案山子記事を書くが、まだ官を恐れない田村氏の経済義文のほうが国民の心底を和ませる。

筆者は愛読者ではなく謹読者を自認するが、このところ産経は座標がおぼろげになり、巷にはやる大企業病とかに陥っているのではないかと憂慮する。たしかに数値評価を得るために部数も気になるところだが、もとより産経の置く位置に読者はそのような構成を望んではいない。







ペンは剣より剛とはいうが、「礼」は武が勝っている





以前、このブログで門脇護こと門田隆将と湯浅博氏を取り上げた。
「湯浅は辰巳栄一を、門田は根本を・・・」という拙稿だ。
週刊新潮の副部長として多岐にわたる健筆をふるった退社追い出しの宴・?に多くの関係者が悦んで参集した。゛咬まれる゛という危惧が遠のいた安心もあるだろうが、そのぐらいに火を噴くような論点は知人友人だろうが、おかまいなしの溢れる熱情があった。

東京特派員と称して産経紙上に掲載される湯浅氏の薫るようなコラムも手に触れる新聞紙なりの独悦なり鎮考を導いてくれる。ネットやデジタルの便利さと安易さを謳う浮俗にあって紙に触れてページをめくることの意味を熟知している新聞記者のいまでは稀な姿だ。

それは学び舎の教師のように受益者負担のボランティア意識が為せることだろう。
また、90分授業の緊張は15分、何年もかけて修得した知識を語れば15分で充分だが、そのほかの75分が慎重かつ15分を活かす重要な時だと老練な教育者はいう。

当ブログの前コラムでは新聞の一面は終面末尾までを貫く意志だと記した。スタンド販売を気にかけているのか大文字標題構成も購入者の目を引き付けるかのように品の無い撰文をしている。
たしかに選挙記事は国民の熱気をさらに煽ることを旨としているが、あとは予想屋に堕して数値結果を高邁な大義を使い目線を高め、公器ある言論人を装うのが倣いであり、脱することのできない第四権力のカオスに陥っている。
彼らはそれを安住の砦として、さもしいおもいもある。

それは彼らと同質な官界の住人との同衾のような姿を見せ、百も承知な読者を罵詈雑言と偽報が飛び交うネットに追いやっている。智慧が無いのか後追いでネット参入し、販売部数を上げるために子供市場にもその食指を働かせている。どこかで止めなければという謹読者も多いが、瀟洒な新築館の元老院には届くことは無い。

羯南は部数を競わなかった。おなじ職を食む同業者にも言を発した。
何よりも人物を得ることに労を費やした。正岡子規、長谷川如是閑ら多くの変人異人を採用し国民の情緒涵養に新聞の意志を顕した。
女給と教員の関係を教育の一大事と書けば、「薄給の教員が女給と問題があったとして教育の大問題と騒ぐことは・・」と、記者の事大主義を諭している。
つまり、江戸の瓦版屋ではないと叱責したのだ。だから東大の前身法学校に入学しても賄い問題もあったが「数値選別で人間が出来上がるか」と退校している。
その観人則は社員の資質を学校歴、出自、経歴では選ばず、独特な人物観で社内構成している。







書きものは読み方も大切だ   安岡正篤 氏




深夜、門脇氏と産経社会部長が来訪したことがある。
「新潮は完結主義で少人数、あんたのところは60人も抱えてどうなっているのか」
忌憚のない仲間ゆえだが、
「若い記者は機転も利かなく、上はなかなか変化が無く・・」
「記事は問題を発見したら自身で取材して,自署記事を書き掲載して責任を追う、勇み足があっても上司は真意を汲み取り支えなければ記者は育たない」

思い余って言葉を挿した
「それぞれ特徴があり、存在もある。ともあれ倣いとするべきは伊藤(博文)をたじろがせるような陸羯南だ。くれぐれも売文の輩、言論貴族になってはならない。それらは国家の病巣だ。本来はそれをえぐるのが新聞人だ。それが無ければ文化欄など形式美装でしかない」

湯浅氏の理解者は社会部当時、子供が年寄りを暴行した事件としては細事に思われていた新聞で一大キャンペーンをはった樫山氏だ。かれは細事を社会道徳崩壊の前兆と読み取った稀有な新聞人である。丸の内署の署長は逮捕までは鬼だったが、逮捕後、毎日留置場に通って声をかけている。榮進して警備に偏重していた警察組織を民生に転化することに腐心した。皇居を眼前におく丸の内署の署長室でこの事件の行く末を案じていた筆者と彼らの真摯な取り組みは今でも蘇る。その樫山氏は特派員を経て外信部長になった。

ある日、「この記事は誰が・・」との問いに、湯浅博さんですと応える案内職員の言葉に、さもあらんと、その先見と至情をにじませた賢文に望みを託した覚えがある。

「贔屓の引き倒し」とはいうが、固有名詞を上げて当然な感想を受け入れる土壌はまだあると期待する。門脇、湯浅両氏は近代史の岐路に活躍した人物、無名で有力な人物を探し求め、肌を接し、声を聴き、気を通じ隠れた秘話を綴った。
両氏は、人物を探り、その時代に浸透し、人格を倣うことを読者に教えている。
とくに、彼らのあとを追う若い記者に無言の業を示している。







子供でさえ議会マナーも言論を知っている  弘前こども議会 葛西市長




それにつけても、である。
11月17日の記事を読みながら、著者は観られていることを知らなくてはならない。
視ながら、観られているのである。
事実、真実をこの様な切り口で、解りやすく、納得し易く書く、それが新聞だと反論されるだろう。かつ数万人の一人の異論と聴くだろう。
ただ、易きに流れる観点は往々にして怨嗟のガス抜きには適当だが、居酒屋話の論調は男子の鎮考を妨げるのではないかと憂慮する。

なぜなら、独立した人間の応答を新聞人も知りたいはずだ。それが流行りのデジタル双方向情報だからだ。

易き記事に沿う読者もサービスだとしても、易しい、より人を憂う「優しさ」ある邦人のあるべき矜持を添えた直言が観たいと謹読者はおもうのである。
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あえて田中真紀子氏を忖度すると・

2012-11-14 10:03:06 | Weblog


田中角栄氏の子女真紀子氏は教育行政について独特な考えがあった。
父は教科書無償、教員の給与を含めた待遇改善を多くの反対を押し切って立法した。
今は、言葉には混乱もあるが官制の教育制度にある大学校の設置基準について政治家としての言を述べた。

角栄氏は戦後の教育行政へ勢力を伸ばしてきた日教組の構成員である教員の待遇を改善し、公務員なかでも厚遇というべき施策をおこなった。その理由は子供たちに教育の機会拡大する枠組みとサポートする教員への援護だった。要は、角栄氏の許容量と見るべきだろう。
思想も施策も人間のなせること。複雑多岐な要因を以て構成されている国家を俯瞰すれば与党も野党もその協力者も当然な意味を含んだ存在だ。与党為政者といえど、欲望交差点に騒ぐ陣傘代議士とはことなる位置に居たことは確かだ。

当時、教員の多くは日教組に参加し、その政治志向は共産党、社会党と与党自民党の反対勢力だった。教科書とて後の侵略記述にあるとおり教員の選択に任せた教材だが、これを無償配布した。後日、「この施策については忸怩たる思いも少なからずある・・・」とも述べているが、それは自身の体験から「姉の使った教科書を大事に使った・・・」という、その教育環境の、゛ひもじさ゛と、教科書(もの)を大切にするという徳目が混在した複雑な思いからだった

だだ、戦後の疲弊から豊かさへの欲求であったが、易きに流れる風潮は内面(情操)教育を疎かにして、外面の形式を装う教育とそれに迎合する政治行政の諸問題を発生させた。
それは政治家、官吏、教員という公を代表する位置に在る「人間」の弛緩、怠惰、堕落を誘引し、角栄氏が時代を繋ぐ子供たちのために施策した法のもと、社会事情を顧みることなく既得権保護として、政府の是正もしくは効率化に、いや教育環境の適正化に対して政党を巻き込んで反対するようになった。

加え、偏差値という数値選別が人間の多様な能力を閉ざし、学校が商業化してそこに官界、政界の利権として多くの既得権者を生んだ。覚えた、知った、類の数値が唯一の選別基準として社会全体を覆い、「人」の存在が希薄な状況を作り出した。
茫洋な混沌、あるいは橋下市長の言う、ふんわりした民意の怨嗟、とはこのことだ。


わかりやすく例をひけば、金融機関がリスク回避をするために信用保証機関の債務保証つきの貸出をするようになってから職員の査定能力が衰え、単に保証機関の取次店のような姿になったことと同様に、教員の教育の独自性、多様性が文部省通達と全国試験を生業とする企業の偏差値に右往左往して教員の機械的作業となり、あるいは適性(偏差値で算定した学校)紹介業の補助的な役割に陥っている。時間が足りないとは言うが、それだけではあるまい。













大学数約800、多いか少ないかは別として、多くの内情は供給側の減少を補うために珍奇な学部を増設したり、コンビニ、レストランの併設や校舎のリフォームなど、より大学校本来の意味合いをなくしている。その大学に請われて講義に行ったことがある。

90分の授業では教授案作成が一週間かかる。同じ授業で教科書も同じなら、学生が変わっても同じ授業をオウムのように行っている教員もいるが、こちらは一期一会の機会である。
また、90分の間で緊張できる時間は15分ぐらいと老練な教授の言だが、そのほかは居眠りか、近頃は取り入れているパソコンへの集中だ。耳は授業とは言うが、顔を観て声を聴き、学びの意欲を共有することが学び舎の教場と考えていたが、ここでも出席単位の確保のみがはびこっている。

ある大学で女子生徒を注意したが、「叱らないほうがいいですよ、それに生徒はお客さんですから・・」何をかいわんやだ・・・。

私事だが、進学校だった私立高校卒業時に人並みに大学進学を考えた。それは想像したといってもいい。現実に視えたことは大学紛争と弛緩した大学生の生活だった。なかには女と酒と遊びがもっぱらな先輩たちだ。教場では居眠り、途中参加、教員はお構いなしにボードに学説という「説」なのか「拙」なのか分からんような文字を書きこんでいる。そしてお座なりの試験という数値選別だった。

一旦、人生の様子見を決め込んで逍遥した。逍遥はブラブラしたわけではなく、したいことより、するべきことの発見だった。そして今は歴史記述にある多くの人物と邂逅し、いまは流行りとなっているオーラルヒストリーという、直接応接してときに問答した。
あるとき、安岡正篤氏に
「そろそろ大学に行ってみようかと・・」呟いたところ、
『大学という学問は面白いが、大学校はつまらん所だ。君、行くのかね』
確かに氏は帝大だが、自身の志す教科が無かったために併設図書館に通って、あの王陽明研究という名著を在学中に著した氏のこと、意味は深い。
゛好きで楽しくなければ覚えない゛゛学問は衣食のためにするものではない゛と古人も説くが、その意味では「大学」と「官制大学校」の世界は異なる場面だ。

その後、多くの縁を促され、多面で多岐な人物と応答が適った。それが氏の言う「学問」なのだろう、いまは拡大された縁を収斂する齢に差し掛かっている。それに随って拙意の提供を請われたり、大学等での駄弁を弄する機会も多くなった。軍隊でいえば二等兵が士官に講ずるようなものだが、生徒が好きで楽しいためか居眠りも少ないようだ。犬ですら犬好きには吠えないというが、その点、若者のバーバリズムは健在のようだ。

もちろん教科を説明する「経師」ではなく、縁に随った稀な人物に倣って「人師」になろうと心掛けている。官制の「学校歴」はなかったが、学びの継続は「学歴」をいまだ追求し、そして欲している。そして生徒には「大学校は落第してもいいが、人生だけは落第しないように」と語る。
それは舌が言う「話(ハナシ)」でなく、吾を言う「語り」だからだ。

言い方が悪い、空気を読んでいない、仕草が悪い、と散々な真紀子氏だが別の切り口で見ると、よく空気を読んでいることが分かる。あの石原氏や橋下氏が訴える官吏の弛緩と堕落、それは外務省の外交姿勢と隠ぺいされた内外の勤務状況に絡んだ経費の支出。文部省の政治家と絡んだ呉越同船の学校利権と、それが及ぼす教育の実態。みな夫々が判っているが是正できない問題だ。











いろいろ発言を面白がられ、それを気にもしない突破力は石原、橋下氏にも劣らぬものがある。政治家の言は国民の期待とはいうが、あくまで想像力をかきたてられるものだ。
また、総てが納得することもないが、ただ、橋下氏が言う、゛ふんわりした期待と怨嗟゛、石原氏が言う、゛大きい枠で協働する゛(小異をのこして大同につく)様子は、思索力をなくした人々に明確に喚起の為す意味を教えているようだ。

余談だが、あの小泉氏への応援演説は当の小泉氏への期待というよりか、田中氏への行動力、突破力に自民党有権者は賭けたのだろう。それは外務省にも向けられたが、漏れるはずのない井戸端噂の類が高学歴、高級官僚の狡猾な情報操作で伝わったのだ。父は高学歴の愚かものには人情という小遣いを使った。その位な連中だということを知っていた。要は国民のための政策を容易に実行するためだった。ただ、娘は入れ込んで昂揚していたためか、あるいは余りにも世間とかい離した官界に切れたのか、押さえきれない暴走になった。

「国民の意志を」と政治家は言うが、社会や国家を憂慮する意志などサラサラなくなった人々に、欲望の喚起を誘引することこそ、国家の自殺行為であることすら解っていない。歴史を観照して現在をみて将来を推考する、そんなことすら億劫になった人々には、たしかに変人、異物に映るだろうが、時宜を得ている言辞は貴重な存在だ。

面白がって揶揄する処世の民癖だが、こと大学ならず生徒を客として大学校を食い扶持にする連中にとっては前段の緊張として歓迎すべきことであろう。
ただ、またしても女性の烈しさに隠れる男子が情けなくも映るのも忸怩たるおもいもある。
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