まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

パソコン使えない ? ・・・それが問題なのか

2018-12-31 18:06:54 | Weblog

野暮な野郎とはつきあいきれない・・

 

 

 

安倍くんの指名なのか、二階氏の押し込みなのか、桜田大臣が立ち往生していた。

国民なにがしの若手議員の質問は「パソコンを操作しているか・・・」云々だが、「パソコンはできない・・」と応えると、「USBメモリーは知っているか」とたたみかけていた。

 

想い出すのは民主党の管総理が「乗数効果はご存知か」と質問されていた。まるで知識を試すように、薄笑いを浮かべながら若者の議員は質問している。桜田大臣の質問も、゛薄笑い゛嘲笑という部類だ。

 

テレビの軽薄コメンテーターも首を傾げながら薄笑いを浮かべて、話にならないとばかり嘲っている。浮俗の売文の輩や言論貴族の徒のことだが、人を責める本質が歪んでいるように筆者はみえる。

そもそも議院内閣制は選挙で選出された立法府議員を、これも立法府から選任された総理が選任することで、政府側(行政)に立場が変わり、大臣なり内閣政務に携わることだが、与党の党内事情、とくに派閥事情や世に大臣病と云われるように、名を成し残すことに価値を求めている議員の任命渇望もあるだろう。

 

なかには、掟なのか習慣なのか礼金や挨拶料として派閥のボスに届けるようだが、任命者からすれば一本釣りによって派閥に手を突っ込む、つまり派閥内で疑心暗鬼にさせる毒まんじゅうと云われる企てもあるのが、それも彼らの人事の効用だ。

 

桜田大臣もその種の経過を経たのだと思っているものだから、より罵詈雑言に晒されるようだが、仲間からすれば嫉妬もあり、野党からすれば都合の良いサンドバックだ。

ときに優越感さえ感じているようだが、Japaneseの情緒からすれば、双方哀れな選良としてどっちもどっちとしてしか観ていない。まさにギャラが高いドサ廻りの大根役者の立ち振る舞いだ。

 

 

    

     粋な人たち

 

「パソコンできない」に戻るが、゛それがどうした゛というのだろう。

ちなみに菅クンが乗数効果という単語を知らなかったとしても、施政が滞るのだろうか。

予算百万を支出したら、経済効果は一千万、効果が広がれば一億になると役人計算をするのだろうが、大よそは無駄銭になるのは実態を知らない机上の鉛筆効果だからだろう。

説明や言い訳は狡知に長けた彼らの得意技だと庶民は知っている。その意味では桜田大臣の場合は腹話術の人形でしかない。大臣の多くはそのようだ。

 

菅君が戸惑った乗数効果だが、同じ効果でも役人言語には皆無の例がある。

後藤新平を台湾民生長官として任用した児玉源太郎総督は官吏として変わり者の後藤の他と異なる人物の、その「異」なる部分を認めた登用をした。人物の伸びしろや特異な才能を化外の地といわれた異郷の台湾で活かしている。児玉自身、いずれは総理だと云われた陸軍次官だったが、この危機に俺しかいないとばかり二階級降格し、ガマ坊こと大山巌大将のもと満州派遣軍参謀長に就いている。大山も全幅の信頼をおいて児玉に委ねている。

 

後藤は着任早々、怠惰な植民地官僚化した日本人官吏を数百人、罷免なり内地召還して、新たに現地の優秀なる人物や、内地から若手の俊英な官吏を登用している

それは大山が児玉を、児玉が後藤を採用した際の「人物を観る」ことに倣って、本来の官吏の任務目的である不特定多数への普遍的貢献ができる人間を、無名でも醇なる意識如何を基として選任している。くわえて原住民や日本人というこだわりはなかった。

 

そして「超数的効果」を唱えた。机上の数字選別や効果ではなく、人を観て、人を育て、その人物によって資金や材を有効に用いれば、計算した数値を超えた効果が表れる、つまり総ての基は、目的を遂げる経過において、調和、連帯、忍耐、を共有できる「人間の志」にあると考えたのだ

 

余話だが、東日本の被災に際して国民あげて義捐していただいた行為を台湾では「志行」とか「義行」といって世界の華僑と連帯して日本を援助した。被災してすぐにでも必要なのは手持ち金だと現金を用意して来日した。被災地の役所に家族構成人数を尋ねても個人情報で教えてくれない。そこで各戸を回り人数を聴き、一人あたり一万円を配って歩いた。

別に縁があった日本人でもないが、不特定多数に配っている。

募金機関に送ったら手数料や、官吏のいう個人情報云々では、いま困っていることには対応できないことを知っている。どこの国でも組織なり、官が入ると遅滞することを知っている。それは限界のある資金であり全てにいきわたらなくても、今すぐできることを困っている人たちにする、これが台湾の政府とは関係のない無名の台湾人の「義行」なのだ。

 

その後、放射能問題で近郊五県の農産物の輸入禁止処置をした。台湾の衛生感覚は日本より敏感なのだ。国交のない政府間の交渉はないが、関係窓口を通じて空中戦のように交渉しても禁輸は解けない。政府が何を言っても健康は政府に委ねられない、つまり食のこだわりとしての台湾民主主義なのだ。子供の命は政府には任せられない。

 

禁輸された側はしびれを切らして生産地ラベルを張り替えて輸出を企てた。怒るのは当然だ。

林農水大臣は「台湾の基準は国際的におかしい」と声明を出したが、要は、価格が高くても、゛真面目な日本人がつくる産品なら゛と購入する台湾国民に偽ラベルを貼っても輸出しようとした日本人に失望したのだ。これは政治問題でなく偽装という刑事事件なのだ

 

 

   

           台北 中山記念小学校 運営は学生自治会

 

それは政府に云われるまでもなく、国民平均一人一万円、二百億超えの「義捐」を当然のごとく送ったのは日本人への愛顧だということを忘れた、忘恩の徒に成り下がった日本人の行為、つまり後藤が先ず行った防疫によって定着した衛生観念への現代日本人の変質とみたのだ。後藤がいたらもっと厳しい処置を内地(日本)に課したに違いない。

「尽くして欲せず、施して求めず」

児玉や後藤が留意した日本人としての矜持が無くなったゆえの慙愧のおもいが起きたのだ。

 

標題に戻るが、知らなければ教えてさし上げればいいことだ。

攻める方は「知って教えず、学んで行わず」の数値選別の教育から輩出された徒だが、立場が代われば与野党問わず情理のない嘘論の応酬でしかない。

国民とて、「パソコンできない人が大臣・・・、おかしい」と連呼するが、もともと代議士には資格がいらない。どんな理由でも、手法を用いても当選すれば先生となり、似合わぬ高給担保に加え、さもしくもチマチマした公資金をいかに私物としてするかに狡知を働かせている群れなのだと、賢明な国民は哀れんでいる。

 

これは嫉妬どころか、俺もやってみたいと考えるような不埒な人間を作り出す模範例となってしまう。なかにはそれを企てて立候補する輩もいるだろう。全国津々浦々の議員と官吏の不祥事は地方創生の謳い文句ですらオボロゲニしてしまう。総てはタックスイーターという税金食いなのだ。

 

たかだかパソコンができないことだけで大臣の任務に障りがあるのだろうか。

桜田氏は若いころ大工だと広言している。田中角栄総理の家業は馬喰、前職は土建屋だ。

もちろんパソコンもワープロも使ったこともない。

共通していることは作業手順(段取り)の巧みさがある。

工期中に下職(協力工事店ないし職人)を集め、休みもあれは天候不順もある。そのなかで事故、病気、近隣トラブル、など想定外も起きるが、労災も工事保険も完備していない頃には、それでも工期に間に合わせなくてはならない。追加人員、夜業、も加味しなくてはならないが、工期中に仕上げなければ信用もなくなり欠損も出る。順調に進んで思いもかけず利益が出ることもあるが、それが親方の段取りの妙だ。

ある意味では工期全体を見渡す俯瞰力、職人の統率力、すべては人間の信用力であり、金さえはずめばできるものではない。給料がよくても気分が悪いと、゛けつわり゛といって他の現場に逃避する。働いた分を捨ててでも嫌なものは、非難されても嫌なのだ。そのケツワリの度胸もないなら議員辞職すればいい。

 

   

  このお気持ちは忖度できないのだろうか

 

 

大臣は政策の責任者だ。細かなことは仕組みを知り、施行することが巧みな官僚に任せればよい。あとは「責任をとる」といえば済むことだ。

要は口先だけで本当に責任をとってくれるのか、という心配があるのだろう。

その確認なら国民も同感だが、それを見極めるのが政治家の必須の要件だ。

 

しかし、残念ながら文部省の官制学校における平準課題には学ぶすべはない。

なによりも老若の妙は,諭(さと)し、補い、支え、調和することだが、下々は上に倣うの譬えあるように、魅せる人物でなければ治政は成り立たず、渇き、潤いのない群れとなってしまう。

 

若者の言いつのりと老齢のシドロモドロでは、双方哀れになる。

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「平成」の結びに

2018-12-25 16:09:19 | Weblog

 

 

歴史資料の多くは政治や経済、もしくは外郭にはりつく群れの記述が多いようです。

ここでは目立った人たちの逸話の集積が文字や映像となり、ときに評価の異なる騒論ともなり歴史なるものとなっていきます。

おおくは耳目を集めた事柄だが、人間はよく忘れるゆえ、金になるもの、大勢に都合の良いものがチョイスされ、その時代の、゛歴史なるもの゛として遺されていくようです。

 

なかには力(ちから)加減なのか、過去の歴史さえ書き換えをするものもでてきます。近くは役人の文書改竄だが、狡知たくましい彼らのこと、これも相手かわれば再改竄もあるでしょう。また、他国との問題になれば、よりその力加減が作用し、手前勝手な理由で終わりのない書き換えが永遠と続くことになります。その意味では歴史記述は、考え方によっては人の手を経ると、いい加減・?なもののように変化もします。

 

それゆえ、紙は容易に書き換えられるためか、巨石に己の功績を刻む者もでてきます。

隣国では暴政な権力者がいると、わざと立派な善政を成す為政者として、見上げるような大きな石に、ここぞとばかり徳を讃える文言を刻み頌徳碑を建立したりします。もちろん式典には為政者も臨席しますが、ここまで褒めたたえられては、少しは身を慎むだろうという庶民の頓智であり戯れです。

そして、石は何百年も破壊されない限り遺ります。当時のことを知らない人々は、それを善なる歴史として崇め大切し、宗教施設や観光地にもなる。褒め殺しもときに教科書にも載ります。また、在任中に功績を誇るために巨大な構築物や突飛な施策を行いますが、多くの労苦は民が背負います。しかし、多くの民の歴史は詳しくは記述されることはありません。

なかには国内がおさまらないからと他国との危機を煽り、軍備を費したり腰の落ち着かない外交を展開し、より禍を招来する為政者も歴史にはでてきます。

つまり、目新しいことに耳目を集め、飽きてきたら危機を煽り、官吏は右往左往、マスコミは繕いを糊塗することに長けて、国民はより無関心になる状態です。

これは亡国の兆しとして栄枯盛衰に刻まれています。

 

        

 

 

以前も記しましたが、吉田茂元総理の銅像を皇居の公苑に建立する計画が持ち上がった。

発起人は時の政治有力者。とはいっても吉田氏を慕うもの、系列を自認するものなど、あるいはそれに追従する政治家などですが、台座の頌徳文は吉田氏から年下ながら老師と敬された漢学者安岡正篤氏に懇請され、吉田学校の門下である佐藤、福田、池田の歴代総理も列に入っています。

 

ところが、安岡氏の道友である岡本義男氏が強い口調で異を唱えました。

『よりによって皇居の敷地内に建立するとは不敬だ。あの吉田氏は文末に「臣茂」と謹書する忠臣の気概がある。銅像など断るはずだ。生前ならまずは畏れおおいと断るだろう。どうしても治政の範として望むなら、彼なら「恥ずかしながら」と、生地土佐の桂浜から皇居を遥拝することを望むはずだ。門下の馬鹿どもはその気持ちも忖度できない連中だ。さしずめ次は俺様だと考えているのだろう。そんなことではろくな政治はできない』

安岡氏は押し黙って「建立する場所まで・・、慚愧に耐えない」と呟いた。

 

 

  

 

岡本氏筆 人災の因 知って教えず・師あって学ばず・学びて行わず

 

安岡氏考案とされる「内 平らかに、外、成る」平成元号の出典だが、いまは「外の賊、破るに易し、内の賊、破るに難し」(王陽明)のようだ。

内政が落ち着いて人は欲を制し、連帯と調和がとれた時、はじめて外に目を向けるのが順序ですが、いまは外に合わせなければとの強迫観念で騒いでいます。落ち着きがなく治世が安定しないと社会は脆弱になります。それは国力のバロメーターであり、深層の国力である情緒性の衰亡でもあります。それこそ国内の禍として外から見れば弱点となり、その弱くなった人間の情緒(気概)に向かって利便性を道具として押し寄せてきます。その集中化や管理には威圧となる軍備は必要ですが、金融と情報の集中管理と息をつかせぬ変化があれば支配ができます。

 

外に合わせなければ負けとは言いいますが、峻別して合わせない方が民族のコアは厳存します。このコアを守るのが内政であり、本来の防衛です。どうも落ち着きつきのない思索と観照は、経国の順序も混乱し逆目を負って、相手に準じていることすら流れとして錯覚しているようです。

 

その錯覚ですが、暴を勇気、贅沢を幸せ、詐術を頭の良い、怠惰安逸を安定と考え、それゆえ人間の人格を測れなくなったためか、単なるその人格と何ら関係性のない附属性価値と数値に評価を求め、財力、利他意識の欠けた地位、飾り物と化した名誉、学のない学校歴などに安易に評価を求め、しかもそれらによって社会を構成し経国まで委ねてしまうようになっています。それが国でも内心でも存在する「内なる賊」の姿なのです。

 

人々は内なる賊に追従し、憧れさえ抱いています。

しかし、ささやかな良心の感動をもってその不安から逃れる時もあります。

それは、天皇の抑制された行為に観る、厳密に統御され外の侵入を許さない継承であり、大御心を内包した忠恕心であります。それを基にした様々な姿の具現は,内なる賊の対照行為として社会の安定に浸透し、かつ内なる賊さえその浸食を抑える力があります。

 

   

 

 

遡って文明開化と謳われたころ、固有の文明と西洋の文明の調整に人々は戸惑いました。

有史以来はじめて天皇に軍服を着せ武門の頭領として併せ、西洋に似せた憲法をつくり,欧米に倣って軍制を整え、教育はフランスから自由と民主、人権、平等などを啓蒙しました。ところが人の織り成す社会では理念が崇高でも、人々はどこにその姿があるのか解りません。

いくら成文や口舌をもってしても様々な切り口があるためか、半知半解なスローガンとして受け入れました。アナタ方の国といわれても、より騒がしくなり、落ち着きもなく、どこに責任ある存在もなく、結果は皆で負うという分かりずらい社会に戸惑いました。

隣国では、国は皇帝のもの、庶民は、゛税金は払う、言うことはきく、だから俺たちの生活の邪魔はしないでくれ゛というのが姿です。そのかわり我慢できなければ水に例えられる民が集まって大海となり、舟に例えた皇帝でも海を荒れさせ転覆させることができると、考えています。いちばん善い生き方は水の姿なのです。(上善如水)

 

その意識があるからこそ日本では律令の頃、聖徳太子は天皇の権威に守られる民の生活を毀損しないようにと、十七条の憲法をつくり、権力を構成するであろう官吏、豪族、僧侶に恣意的(おもうがままに)な権力を行使できないよう常に注意を払っていました。日本の場合の権力の抑制は十七条の憲法からはじまり、かつ、そのような兆候があったのです。

 

  

 

官吏は天皇の輔弼として権威を護持し、経国の本網に沿った天皇の大御心を治世の姿として人々を慈しむ政治に向かって努力精励したのです。世は変わって武人に経国を委ねつつも、その姿をつなぐ維(本網)は遺され継承されています。つまり前記した国家なるもののコアは普段気にもかけない部分で変わることのない内なる情緒として遺っています。自由、民主、平等と人権の時代にときおり照射するように姿を見せる「取り付く島」の存在は、改元(元号改定)とともにその姿を確認するように眼前に表れます。

 

叶うなら、御即位の誓書に添えて、先帝の十七条の憲法を国民とともに唱和いただければ大御宝(オオミタカラ 国民)も清新な気持ちで「私たちの国」と思えるのではないかと希求します。

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百年に一度・・・とは言うが  2009 1/17 あの頃の稿

2018-12-15 18:27:07 | Weblog

    神は「あうい(葵)」の在るところに降臨する  上賀茂神社

 

 

十年前の古い拙章ですが、当時は将来を想起し、憂慮した備忘録です。

加えるとしたら「上下こもごも利をとれば、国危うし」だが、これに無関心を添えると現実がみえてくる・

 





軽筆で恐縮ですが・・・



事は重大だが、先立つものは金、という問題でもある。また何年に一度とあるがあまり意味の無い話だ。人為の作為は忘れた頃に、゛引っかかる゛。とくに金や物、ぶら下がりの名誉になると、とんと人間は習慣学習を忘れてしまう。
しかも、その発生間隔が狭まり、解決すらシステムや制度を創れば解決すると安易に考えるようになっている。

「他山の石」「負の学習」どころか、敢えて自己過信もしくは高度なプロパガンダなのか、あるいは管理奴隷化の進捗なのか、大まかには人間力劣化のような様相である。

いつの間にか暦が西洋暦に変り、相変わらず、゛これは便利だ゛と世の中も西洋的になり、今にたとえれば秋葉のコスプレのような鹿鳴館の接待外交から始まったカブレも、事ここに来て少しは長年かけて仕込んできたやり口と企てが解りかけてきたようである。

蓋を開けてみれば何のことは無い、金融というが金を借りて金利を払うつまり金利経済であったということだ。生産製造は為替、金利、株、などの前提ではあるがシモベ(しもべ)のようになっている。その世界から言わせれば、金が金を産む生産機能といわれそうだが、搾られた上に信用負荷だと、言うままに高めの金利しか選択できない金融利用者にとってはこの上も無くやりきれない。

乱暴のようだがメディア、政治もその取り巻きのようなもので、月賦をクレジットローンと言い換えた代表的な「丸井」から始まってオートローン、家電ローン、大きいものでは住宅ローン、国家は赤字国債と途方も無い金利経済を構築した。




                 

        憧れの‘エスハチ‘ HONDA S800 筆者撮影



辿ってみると「丸井」のヤング館は日本人の借金購入のトラウマの無い若者をターゲットにした。それまでは月賦屋と避け、「借金してまで物が欲しいのか・・」と蔑んでいた倹約習慣とお金世界との棲み分けが一挙に崩れ去った。
また一部の喩えに「金貸しには嫁に出すな!」とも言われた時期があった。

゛何を今更゛゛今どき経済を知らない゛といわれるが、だだ少しは「人」を知っているだけだ。それも金を目の前にしたり、運よく金持ちになったときの人間の変り様を己の座標で観察しているだけだ。

近頃は巧妙にも高額な携帯電話の支払いを分割請求の中に組み込んで、゛高いと感じない゛゛高いが払いやすい゛それによって先端所持優越感を奨めている。その手法は一時のカーローンのうたい文句でもあり、当時の若者は車のローンのために働く風潮があった。あの丸井世代は次に家に手を出した。
人生をかけたローンである。サブプライムローンも似たり寄ったり、家を題材にして金利を稼ぐのである。だが近頃の若者は車を欲しがらない。経費もそうだが別の理由もあるようだ。


さして価値の薄いもの、あるいは一過性に価値が消滅するものをプロパガンダで購買を促しているが、利用価値や飽きがきて耐用が過ぎても、゛払いやすい長期ローン゛は残っている。



               

                東福寺

その内に知行地が無くなった秀吉のように、ルソンのタン壷を茶人に目利きをさせて「これは大判二千枚の価値がある」と、知行の変わりに下賜したりしたが、有名教授の絵を美術商に価格の下支えさせ高値を維持して政治家に送るが、迂回買い入れは二束三文ということに似ている。

これを外交なり商品取引、為替取引、株取引に使えばバブル相場は意の如くとなり、先のバブル損失は満州事変以降に終戦までの消費資金と同じような額になると研究者は説く。戦争は必要ない。金を巻き上げればいい。だから自由に動ける市場と平等観念さえあれば下層は上層等に嫉妬し、ローンでもブランドなり同様なものを手に入れる。無理がたたれば破産であり、女子は援助交際である。




               
              雪舟庵


次は何がくるか。
今度は買わずに「物」を借りて飽きれば返す時代が来るだろう。
それは、物に執着せず「瞬間」に充足するという風潮だ。
その次は、指示待ちのその日暮らしだろう。さしたる思索もする必要も無く、虚無が当然の生活となるだろう。世の中の操縦者を除いてだが・・

「百年に一度」の歌い文句にまた騙されるのだろうか。
地震や冷害、旱魃、台風といった天変地異ではない。あくまで人為の邪災である。
人の欲望を喚起し、自制心を衰えさせる美句は巧妙な人の選別と奴隷化の途を幸せ感を装って導いている。

ただ、世相に戻ってみれば、あの給付金について多くの国民が妙な気分を描いていることは、一途の望みがある。その理由の中にある「自尊心」の在り様が敢えて理屈付けなくても風(ふう)となっていることだ。これは深層にある国力の端にあるもののようにも感じられる。

どうだろうか、日本人も百年に一度という妙な刷り込みに、敢えて騒ぎ立てることも無く「自尊」とその存在の理由を考える良機にしたらどうだろうか。
筆者の体験だが先哲から粋な計らいで色紙を贈られたことがある。
当に、゛機をみるに敏゛人の陥りやすいことを察知し、次の学びの為の突破口を提示したものだった。




            
                何ごとも、‘ほど゛が大事だ


【貪らざることを寶と為す】

己の分を知って能力に合ったことを蓄積する、それは貪りの心を無くすことだ
それが君の寶であり、自尊心というものだ

【至誠、紅心に中(あた)る】

至誠は必ず人の心中の誠に通ずる。縁を大切にして地位や名誉、財力、学校歴という人格と何ら関わりの無いものに翻弄されず、誠のある人物から教えを請うことが大切なことだ。座標のぶれない不動心は動かずして人を教化できる。

そんな言葉を添えて自書二枚の色紙を持参してくれた。
ありがたい、先哲が大事に伝えてくれた日本人の矜持だろう。

もちろん、百年に一度の金騒動には知らん顔している風情がある先哲だった。

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安倍晋三さんの忘れもの 加筆   2010 5/17 あの頃も・・・

2018-12-13 13:35:52 | Weblog

 

        

           『嘘はつきません!!!』

 

以前、旧知の売文家の門田隆将氏に講話を依頼した折、話料は20万とのこと。近ごろは出版業も世俗変わりで部数も伸びないため、映像や音声媒体に身を晒したり、講演などで稼ぐことが多くなった。内容はともかく人集めのために名の売れた者が歓迎され、スポーツ芸能、政治家くずれ、売文の輩や言論貴族が漫談の類で大衆を愉しましている。感想は「聴いた」ではなく、「見たよ」が口の端に上るようだ。

そのとき、「櫻井よしこさんは80万だ」と自身の講演料の比較安価を伝えてきた。その桜井氏はマスコミ媒体でよく「美しい国」と記し、語っている。

よく耳にするようになったのは安倍議員が「美しい国、日本」とスローガンを述べたことからだ。「美」は羊が大きいと書くが、隣国の古老は「若い女性が素直に、ハイ、と発することだ」と聴いたことがある。たしかに実利のある言葉だ。

以下は筆者が、バングラデッシュの子供新聞キシロチェトロに掲載した「清く正しく美しい国」について、問われたことの内容でもある。それは、豊かな国、強い国、他国を理解する国について、「美しい国」との童心の問いだった。少し難しくなるが、情緒性の問題であり不文律(成文法とは異なる)の涵養と継続についての説明だった。

彼らは日本の首相が政治のスローガンとした「美しい国」の意味と、なぜ美しいかを理解し、醇なる問題意識をもって日本を観察している。

桜井氏らは戦争の呼称は太平洋でなく、アジアの開放を謳った「大東亜戦争」だというが、昨今、その大東亜の若者が労働力確保の号令によって日本に誘引されている。巷間、自殺、逃避,疾病等によって多くの若者が夢を求めた異郷の地で戸惑い、苦しんでいるという。

一昔前は為替の操作で追い立てられるように安価な労働力を求めて大東亜(アジア)に進出した。今度は「口入れ屋」(就職あっせん業)と政府の甘言に多くのアジアの若者を招来している。あの時はアジアの開放を謳って進軍した。必要だったのはアジアの石油と資源だった。現地の軍官吏(日本人官吏)はいまと同様に素餐をむさぼった。いくら戦争だといっても軍政下における暴行、收奪は日本人の所業としてアジアに刻まれている。もちろんよき司令官らおいて善政を布いた記述も残されているが、国策として日本のためにアジアを用いたことに変わりはない。

今度はアジアの若者である。

救いはあった。陛下は外国人就労者施設において「この国で幸せになってください」と

 

利は智を昏からしむ利のみを追い求めると本来の智誠や道徳観念は無くなってしまう。

まさに、このことによって利を企図する商人や一部の政治家、そして追従する売文の輩はいたずらに民を扇動している。そして忘れる。

 

 

     

子供新聞を教材にして・・・

 

美しい国にっぽん

あの時も今回も目標理念は一緒だが、今回は景気にまつわる唱えが多い。

ところで昔から三つの異なる意味を連ねて納まりのよい拍子言葉のようにしていた。

「美しい」の前に「清く、正しく」が入ると調子(リズム感)が良く音(オン)もいい。

政治家や商売人には気恥ずかしいからと外したわけではないだろうが、゛美しい゛はオンが良いが、意味が薄い。

 

よく魚のクサヤや厠に対する五感は「臭う」だが、香水は「かおり」という。またその方が美しい言い方だ。なかには草花のように、いい匂いと当てはめるが、唇の動かし方は「かおり」が綺麗だ。あるいは政治家の演説も「上手い」より「立派」といわれた方が、気分が良い。要は使い方だが、宰相の言葉としては長くはなるが「清く正しい国と美しい環境」というべきだろうが、分かりにくければ「清く正しい国ニッポン」のほうが実利はある。

 

それは国民にとっては気恥ずかしいと思っているのかもしれない。片腹がくすぐったい。

では、その美しいだが、漢字では羊が大きいことは美しいと教える先生がいるが、その大きい羊は首を切られ丸焼きにして神に捧げ、大きければ大勢の人で食べることができる、とは教えない。佐藤慎一郎氏は二十年にわたる大陸生活では日本人とは異なる庶民の感覚を体感している。そのなかで「美しい」ということは、女の子が素直に「ハィ」と応えることを美しいことだという。

ところが、「政治家は人を騙して雄弁家という」と揶揄され、落語家や漫談家のような演説を、゛うまい演説゛と近ごろは言うらしい。役人に素直さを求めることは出来ない算段だが、この人たちが群れとなって素餐をむさぼり、言葉だけは美しく偽装しても、「素直で美しい」とはいわない。

 

日本人は官制義務教育の慣性なのか漢字は辞書を引く。それゆえに意味は共通語として情報交換に役立つものだが、同じ外来語で「love」を辞書で引くと「愛」と出る。

みんなが「愛」といえば意味は知らぬとも「愛してる」とつぶやけば、これも「愛されている」と考える。ならばあなたの愛の表現はと尋ねれば、百人いれば百通りある。応えられれば良い方で「愛は愛でしか・・」と辞書から抜け出せない若者がいる。

ちなみに「個性」もそうだ。

 

ならば誰がloveを愛と訳したのか。辞書が共通訳の働きがあったとしても、俺の愛はこの様なものだ、と差別化しなければ個性もなければ優劣,高低、多少で判断しなくてはならない。当ブログの初稿に記したが、二葉亭四迷は「私はあなたのために死ねます」と訳し、そう思っている。アイラブユーは、私・あなたを・愛しています、と誰もが訳すようだが、斯様に「愛」は人間の選択意志が入るといい加減なものになる。

 

安倍さんが唱える「美しい」は政治家としてではなく、日本人の誇りを対外的にも観照して美しく感じられる国柄にしたいという願いだろう。異を唱えるものではないが、ついでに調子を合わせて「清く、正しい、美しいニッポン」と唱えるなら、その行動は緊張感と集中力をもって国民に「清新なる信」を想起させるだろう。

 

政治家ならずとも大人になるとなかなか口に出しにくい言葉だ。いくら当選のために、あるいは失業対策選挙だとしても、余程の厚顔でなければ大声で言えまい。なかには役者も運動家も人寄せで選挙を戯れるようだが、子供が唱和するような純で透き通った声で「清く正しく美しい政治」と、全国津々浦々で唱えれば幾らかは教育改革の助力にもなるはずだ。

 

本当は「清く、正しく、立派な政治」というべきだろうが、なかなか・・・

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安岡家  復た縁は蘇える   2007 10/21再

2018-12-08 15:35:14 | 郷学



園遊会には多くの著名人や功労者がお招きにあずかるようだ。
歴史の有る催しだが、なかには親子ニ代にわたって招待されることもある。

時を超え、昭和,平成と親子で同様なお言葉に接しられた稀な御仁は父、安岡正篤の長男,正明という人物である。

父は昭和の碩学と謳われ、陽明学者 政財界の指南役 また終戦の詔勅や歴代首相の施政方針演説草稿など歴史的文書に朱(シュ 監修)を懇嘱され、平成の元号起草者として知られ、市井においては氏のライフワークである『郷学作興』を提唱し、今もってその道を辿るものは絶える事がない。
長男 正明氏は大蔵省,地方銀行会長を経て、父の提唱した『郷学作興』の志操を継承している。

招待の事情は異なるが、ともに親しく拝謁し、父は昭和天皇に「相変わらず勉強していますか…・」と問われ,御代がかわった平成になって陛下は長男の正明氏に、
今でも、お勉強をなさっていらっしゃるのですか…・」と,お言葉をかけられた。

世上、安岡正篤氏に「相変わらず勉強……」とはなかなか言いきれない言葉だが、その子息と判っていたかは伺い知ることができないが、同様なお言葉をお掛けになったことは縁の回帰であり,蘇える魂の継承にもおもえる。

もしか、として思い当たるのは、筆者の催す「郷学研修会」に昭和天皇の侍従を勤め、皇太后陛下の御用掛に任ぜられた卜部侍従を講師にお招きした折、安岡正明氏にご紹介したことがある。 卜部氏よりは各季に頂戴する書簡に「郷学,激励」が必ず文末に記されている。

 

   

         卜部亮吾氏  

 

  

        中央 安岡正明講頭


場末の田舎学が陛下のお耳に届いたかは想像するしかないが、正明氏がいう「父が望んでいたのはこのような場面と学風です」との継承意志は卜部氏も共感している。

津々浦々には有意な学びと人物がいる。無名ではあるがそのような有為な方々が維持、涵養している情緒性こそ国を支える基となるものだとの認識だ。

また,陛下の中国歴訪の折、元号「平成」の出典である史記ゆかりに触れ、皇后陛下に「これが平成元号の本となったもの…」とご説明なされたという。

 当日は暑く、陛下が御通りになる道筋から離れたところに車椅子で参列していた。
 両陛下が近づき,失礼かと立ちあがり杖をついてお待ちしていた。通常,お声掛は道端だが、奥まったところに立っていた正明氏にお陛下は目ざとくお声を掛けた。
 恐縮する事に三笠宮妃殿下がわざわざ車椅子を添えて着席を助けた。

 パーキンソンという病のため,言葉が不自由にもかかわらず熱心にお耳を傾けられる両陛下。 

 

 

    津軽 出張講話



 これも奇縁だが三笠宮妃殿下は故吉田首相の孫にあたり、その吉田首相は父,正篤氏を年下にもかかわらず「老師」と敬称、その後、吉田学校の生徒「歴代総理」は正篤氏の生徒として時世の岐路に活躍している。

筆者もよく諭された。
学問していますか・・・

 

参照

郷学会員の志村卓哉氏の編集による郷学出張講話 「木鶏倶楽部」にて。

「潜在するものを観る」

https://search.yahoo.co.jp/video/search;_ylt=A2RiVcpgZgtcV3cA3f6JBtF7?p=%E5%AF%B3%E7%94%B0%E6%99%82%E9%9B%84&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8

 

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国の変容 明治の御維新のあとで・・・ 2012 8/5 再

2018-12-06 13:00:13 | Weblog

 

国土交通省航空局の実直な官吏が森友問題に関する文書改竄の自責の念で自殺した。

責を他人に転ずる事なく、自裁した。行政の最高責任者は部下の死に哀悼の姿もない。

経済も政治もよいが、同胞の情がない為政者に選ぶ言葉もない。

陛下の言葉つなぎの大御心は忠恕(慈しみ、思い遣る心)だが、それを座標として具体化するのが為政者の務めだ。

しかも己の起こした煩いのための煩悶し、黙して命を絶った部下(大御宝)への冷酷な態度は民族の歴史に刻まれる暴虐な政治でもあろう。

憲法・・・、軍事力・・・、先ずは瞑目して大御心を我が身に問うてからだ。

 

 

   

 

以下は久坂総三の著作「明治粋狭傳」の一章です

現在は、校正や挿入をおこないつつ新たに編集中ですが、著者名の総三の由来である相良総三らが起こした御用党のくだりで語られている当時の維新にかけた漢(おとこ)の絞り出すような言葉です。

あの西郷も忸怩たる思いで明治の変質を見ていました、また明治天皇も「聖諭記」に人物養成と教育の在り方を諭しています。つまり一方では西洋かぶれと成り金権力、一方では維新の行く末を危惧すればするほど惨禍に倒れた同志の無念さが己を突き刺す醇な日本人の二極化を生じました。

その西洋かぶれと成り金権力の行く末を視ると、あながち懐古とか固陋では棄てられない心情です

この章は、いまでも通用する日本人の「質」的なものなのでしょう。













「俺は、いついかなる場所でも、これで、潔く命を決する覚悟でいる。一つには、折あらは、岩倉に迫り、そのことを正し、しだいによっては彼を刺し殺し、おのれもその場で死ぬつもりなのだ」
 
凄気がながれ、落合の気迫に、一同は、身ゆるぎ一つ咳き一つせず、みな鎮まった。


「いかなる事情、いかに余儀ない仕合わせとは云え、逆賊反徒ならイザ知らず、この一新明治の国難に、忠心を以て先導を切り、いささかならざる功績をもたてた者を、人倫非道の汚名の下に殺し、このような醜悪卑劣を以てする。何のこれが維新だ。何の改革ぞや、明治維新とはそんなものなのか。新政成ったその当初に、すでに汚点を印して、何の光輝ぞ」
「ハイ」

思わず誰かがいった。


「われらはなにも権勢栄華や立身出世のために身をなげうったのではない。徳川に代ってその座につこうとしたのでもない。たといその功も労も無視抹殺されても、報われ 認められず、地に埋もれても、なんの恨みともせぬ。ただこの日本がより美しく、われら日本人が、より正しく、強く、豊に栄え伸びてゆくならば、以て欣びとし、本懐とする」


「しかし、維新成ったという、今の日本の現状はどうか、果して、過去より進化しているか、より美しく、正しくなっているか・・・」


「それがおれたちの信じた日本か、維新の日本か。断じてちがうぞ。ちがうのだぞ。おれたちの夢み、あこがれた世界、望みこがれた日本の在り方では、決してない」


「大らかな、生々溌刺たる大和心をこそ、今、回復せねばならぬ。それでなければ人あって国なく、我欲の民有って、畜生、獣に他ならぬ世界だ」



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死生観の涵養を学びとして

2018-12-01 11:03:31 | Weblog



講話2015.12.16

 「機略の縦横無尽・臨機応変を養う人間考学」

機略とは事に際して臨機応変に思考をめぐらすことではあるが、その要は人間(人物)そのものにある。それは状況に応じて、瞬時な対応を考案することであり、たとえ集団内においても、全体の一部分において発揮できる己の特徴を発見して、連帯の調和をいかに維持するか、また、各々の部分をいかに連結統合できるかという、多面的かつ根本的で、さらには連結統合の効果となる他に対する許容量を拡げ、高めるような習得が必要となってくる。

特に、瞬時の機略判断は技術や知識の習得だけではなく、直感性を養う浸透学的な要素が必要となる。また、如何なる状況においても判断基準となる座標軸を強固かつ、柔軟に持つ感覚も必要となる。

こういった感覚は、己に立ち戻ってみれば、まさに生死の観、不特定に対する責任感が混在するなかでの突破力となる覚悟など、怯み、怖れを祓う勇気の源泉を、自然にかつ容易に発生させるすべともなる。

しかしながら、このような人間考学は官製学カリキュラムにはない。

いわば学びの「本(もと)」となるものであるが、この「本」のあることの認識し、その「本」を伸ばす学びや人間関係の柔軟さを習得することは、生死の自己完結の自由を担保し、慈しみをもつものに靖んじて献ずる精神の安心した状態を維持涵養することにもなると考える。

また、生死の間を想像し、それが不特定多数の安寧を任務として、かつ、安らかな生活を願う最愛の家族隣人を想起しつつ平常心で職務を遂行することは、戦闘集団の高位にあり責務ある立場のものとして、いざという時の瞬時に、志願発起時に希求した姿を想い起こしうることにもつながるだろう。それは溌剌とした自己躍動の想起でもあろう。

この場合大切なのは「公私の間」の峻別でもあろう

この度は、この官制学カリキュラムにはない機略の縦横無尽を養う人間考学を、明治初頭の残像にみる学問を振り返って眺め考えてみる。

 

 

或る日の松下政経塾



◎講話レジュメ

Ⅰ 明治初頭の学制と、それ以前の学問について

明治天皇の直観 啓蒙思想・フランス革命

フランスの学制をもって学の習慣を転換させた(森有礼・ありのり)

≪王政の打倒と市民という個の発生は、民族の長を消滅させた≫

似て非なる、自由・民主・平等。人権などの意識


関係サイトより参考転載

(山室[1998:1576])

旧来の学問のあり方を否定し、思考方法の転換をもたらす新しい学問を普及させることであった。

福沢らにとって儒教や国学は現実から遊離した机上の観念や文字を弄ぶ虚学にすぎず、学問とは現実の実践に有用な知識を追求する実学でなければならなかった。実学とは、天や理などから森羅万象を演繹的に理解する形而上学的な方法を排除し、現実世界の事象に対して観察や実験を重ね、そこから法則を機能的に導き出すという自然科学をモデルにしたものであった」(山室[1998:1576])

・・・この人間観を体系化した西は「人世三宝説」において健康・智識・富有の三つを人生の宝とし、すべての人間活動の源泉としたが、これは人欲を害とした儒教や煩悩として斥けた仏教の人間観を否定し転換したものに他ならなかった」



 

 

 

≪聖喩記≫

 明治19年丙戌11月5日

 元田永孚謹記

 

 11月5日午前10特例に依り参内既にして 皇上出御直に臣を召す。

 臣進んで 御前に侍す。 呈上親喩して曰く。

 朕過日大学に臨す(10月29日)設くる所の学科を巡視するに、理科・化(学)科 植物科・医科・法科等は益々其の進歩を見る可しと雖も、主本とする修身の学科に於いては曾て見る所無し。

和漢の学科は修身を専らとし古典講習科ありと聞くと雖も如何なる所に設けあるや過日観ること無し。

抑(そもそも)大学は日本教育高等の人材を成就すぺき所なり。

然るに今の学科にして政治治要の道を講習し得るべき人材を求めんと欲するにも決して得るぺからず。

仮令理科医学等の卒業にて其の人物を成したりとも人の相となる可き者に非ず。(治世に就く人物 宰相)

当世復古の功臣内閣に入りで政を執ると雖ども永久を保つすべからず。(維新の功臣)

之を継ぐの相材を育成せざる可からず。然るに今、大学の教科和漢修身の科、有るや無きやも知らず、国学腐儒固陋なる者ありと雖ども其の固泗なるは其の人の過ちなり。(教える人間の問題)

其の道の本体に於いては固より之を皇張せざるべからず。

故に 朕、今徳大寺侍従長に命じて渡辺総長に問わしめんと欲す。

渡辺亦如何なる考慮なるや、森文部大臣は師範学校の改正よりして3年を待って地方の教育を改良し大いに面目を改めんと云って自ら信じると雖ども中学は梢改まるも、大学 今、見る所の如くなれば此の中より真性の人物を育成するは決して得難きなり。

 汝 見る所如何。(どのように考えるか) 

 

要約《西洋の学術を学ぶことは大切なことだが、そもそも高等教育は社会を構成し、国を経営する人物を養うことにある。法科、理科、植物などは観るべき進展はあるが、この学科だけで政治の要諦を学ぶ人材を得ることは難しい。

また、治政を司る人材を得るべき学科はないようだ。相となる人材を育成する大学の教科(和漢修身)は見当たらない。和漢の学は固陋とのことと考えるものもいるが、固陋な印象は教える人物にその因はある。このままでは国家の要路に就く人材を養成することはできない。》



その後の変遷は、学問が己を虚飾し立身出世を図る道具と化し、各科はそれぞれの派を成し、ボスを推戴して、統合成果とすべき知識や技術は各々の棲み処を形成した。

とくに官域における職掌分派(分裂)は先の大戦の敗因とも思われるような状態になった。明治天皇の洞察された国家のガバナンスを負う人材の枯渇でもあった。

その鋭敏なる人間観察は、現代の教育形態や政治にも通用する痛烈な聖諭でもあろう。

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