まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

或る日の郷学 Ⅱ

2008-03-24 15:56:23 | Weblog

     或る日の郷学研修会  

下中平凡社相談役  安岡正明氏一人置いて卜部皇太后御用係

前号より

江戸時代までは権力者武士を制御するものはありましたけど、庶民を制御するものは当時の名主さんと庄屋さんとか近所の長屋の爺さんとか、「これが駄目だよ、あれが駄目だよ」と、徴税、裁判などの権限を持ちながら郷を治めていました。

その代わり皆勉強したんです。その頃は、寺とか塾、あるいは農閑期に神社に集まって和算などを学んでいました。この郷学というのは、当時学校なんかありませんから、こういう古典よんで皆勉強したんです。そして農民や店子やそうゆう人たちにいろんな勉強を教えたんです。当時憲法はありません、無くても良かったんです。あの二宮金次郎の銅像がありますが、薪をしょって何を読んでいると思いますか。四書五経にある「大学」です。

ですからこの国の人たちがモトの勤勉、正直、礼儀、忍耐とゆうものを本当に子供の頃からの培ったものがあれば学歴なんか別して憲法も必要ないし、法律ももっと少なくてすむんじゃないか、弁護士に大枚払わなくてすむし裁判所も煩雑にならなくて済むという事です。

いわゆる戦前まで近衛さん、西園寺さん、吉田茂さん、細川さん、安岡正篤さん、尾崎ホツミさん、こうゆう人たちはその意味での日本および日本人の情緒の崩壊を心配したんです。心配した時に何するかと言うと弱いものが強い者を叩く時は武力では敵いません。
同じ武力か、それ以上がものがなければ出せません。弱い人が強い人叩く時は謀略です、騙すしかないのです。あるいはもっと大きな力を使うんです。外国の力もあります。

実はみな謀略って難しいように言うんです。欺いたり、嘘ついたりなんて皆そうですね。よく家族の中でもそうゆう事よくあると思うんです。この『嘘』ってあります、嘘、ハクといって、中国では空気を吸って酸を取り入れ二酸化炭素を出すこの行為が嘘(ハク)これです。嘘は誰でもつくんです自分を守るために。


これを前提に立った上で今まで起きた謀略を眺めるんです。今まで起きたことを、例えば以前中国共産党の毛沢東が一番ですね、その後ナンバー2朱徳さん将軍の甥さんが台湾に住んでいて反共新聞を作っているんです。共産党がいけない、いけないとやっているその人が中国ナンバー2の朱徳さんのお使いで中曽根さん所に来たんです。何しゃべるかを言うという二人だけの関係にしましょう。事実その甥を仲介した人に話を聞いたんですが、これがわからないと謀略なんて分かる訳無いんです。データに出したり、科学的根拠なんかあるわけないんです。

先ほどのゾルゲのビデオを見ていただきましたね。この地図ですが、分かりやすく説明しますと、実はこの時ドイツが戦端をロシヤに東部戦線を開きましたね、もし日本が満州にいるので挟み撃ちになってしまうんですね。どうしても日本がここにいる、満州とソ連の国境に大軍を置いている。日本軍を北進じゃなく南進しようさせる、その謀略が成功して国境にいた精鋭部隊がスタ-リング・グラードに行ったのでドイツは負けたのです。

このために日本を南に向けよう、米英と衝突させようとしたのが大謀略なんです。そのとき何を彼らがやったかと言いますと一つ、田中義一当時の首相の自伝にあるのですが田中上奏文と陛下に上奏した時の文章だと言われているものですが、真っ赤な偽物ですが、これがこう書いてあったのです。

それは「世界を征服するにアジアを征服するにありアジアを征服するにシナを征服するにあり、シナを征服するには満州を征服するにあり」こうゆう文章を陛下に出したとゆうことを世界に打電してしまった訳ですね。
でも陛下には渡っていないんです。

この機密文書にある一章は日本の政友会田中義一の参謀長某陸軍大将の満州征服計画を機関としてやったと、しかしこれが中国の特務工作によって手に入れたものだが極東軍事裁判において共同謀議の動議として法廷で調べられた。実はこの文章を見て米国は、日本は危ない国だと思ったわけで徹底的に日本を敵だと。

これは誰が作ったというとある国際問題研究所という組織の人間、この国際問題研究所とはいうのは、この資料を頂いた方との対談があります。

もう一つ人間というのは向こうの言葉でいえば、「逢場作戯」とゆう言葉がありまして、逢う場所によって作る演技。こっちの人にこう言えばこっちの人にこういい。ある時ありましていやーあーご高名はよく存じておりますがなんて言いながら向こうの裏に行けばところであの人、「誰だっけ?」と平気でやる。

中国の人が悪いとか良いとか言うよりも習い性で、わが身を守ることができないと生きていけない国情だったのですから。当然私達もやるでしょう。ただそれが永年続いている国ですから謀略に関しては本当に上手です。

実はこの問題をゾルゲの映画になりまして篠田正浩監督がゾルゲをやる尾崎ホツミの映画をするとゆうことで、実は問題研究所というものがありまして、ゾルゲは御前会議で決定されたことを早くスターリンに言う、ある意味では情報屋、トップ屋やみたいなものなんです。

そうじゃなくて御前会議にいる人たちがこうゆう判断をするんだと仕込まないといけない組織があった、それが中国国内にあった。だからゾルゲ事件が皆ああいうふうに取り上げられていますが、本当はもっとその奥に、中国国内で例えば「通州事件」などは、日本の若い女性とか子供いっぱい殺せば、日本人はおっちょいで気が短いから、直ぐ入り込んでくるだろう言ったのが「通州事件」だと言うのです。その殺し方は残虐です。歴史文章では表わせないが、当事者の語りです。

あるいは盧溝橋事件もそうですね、抗日運動あった北京のことを、全学連委員長が日本に来てちょっと話しています。その時になるべく元気のいい若者を集めて共産党の訓練所で教育して盧溝橋に連れていって両方に撃ったんです。 日本にも煽り、同調した者もいるが、やりたいものと、やらせれば漁夫の利を得るものがいたわけです。一種の裏談合です。

そうすると両方があいつが撃った、こいつが撃ったで、戦争が始まるわけです。これが事実その通りで、謀略がすべて盧溝橋、西安事件の全てになってきて、何故するかというとどんどん南に日本を引っ張ろうということ、今考えると中国政府としてはいろんな言っていますがやはり引っ張る、引っ張られたことで、「蒋介石がやっつけられ共産党政権が出来た」と、一時は周恩来か小平は日本の御陰こういう国が出来たと言っていたが、今と全然逆のこと言っていた、これも一つの彼らの生き方です。

強い者にはおもね、弱い者は徹底的にはねるという。この国際問題研究所の指導者一番のトップ「王大偵」(王凡生とも)は日本におりまして、日本のいろんな重要な人たちに会っています。この国際問題研究所の大部分は共産党員ですが、みな巧妙に姿を隠して蒋介石に真下の軍事委員会国際問題研究所というのを作った。

例えば北朝鮮の人たちが韓国の大統領の特務機関に全員入ったとこう思えば良いです。だから全て起きることは当たりですし、自分達が起こして自分達が報告するんですから全部当たりますね。これで蒋介石は信用するんです。王は何をしたかというと太平洋戦争真珠湾攻撃、これをアメリカの武官に知らせる。このとき3週間前に真珠湾攻撃を分かっていた。これは指揮官も分かっていた、そしてソ連に満州に参戦の機会を与える。なるべく日本を南へ、南へ行かせて英米とぶつけるんだと、これが国際問題研究所の一番の仕事なんです。その為にいろんな事をするんですね。

ところが今の日本の書籍見たりしても、学者先生なんもそうですが、切り口が悪いのか、謀略でこういうもんだと僕が言うと、調べるのに名前から調べるんですね、名前なんて幾つもありますね。私も一つではない。あのグリーンドアのマスターがこんなの書いているのか言われると妙に増幅や錯誤が起きる、だから名前を変えています。この謀略やる人は中には7つ8つぐらいの名前が有ります。

この人死んだはずだという人の死亡報告が出ていても生きているんです。
よくそういう事有りまして実は中国の宦官が有りますが、宦官の募集は何年何月に終ったと日本学者は言うですが、そんなことはないんです、ちゃんとまだ居るんです、死んだ人の名前でそこに入いるんです。ですから日本の学者はそこまで見えないんですね、したたかに見るんです。別に聞いてみれば、おう上手いじゃないかいい頓知だよ、名前を変えて保険証もらうにみたいな話でね。

ところがやっぱり学者は歴史上検証したものを文字で書かなくちゃいけませんから、まさかそんなことを書けませんからね。
だから我々はそういう世界の中では意外と難しいと、いわれている歴史を、もうちょっと利用したらいい、活用したら良いんです。

それとスパイは与党の中枢に侵入します。池田総理の親友で宏池会の資金、政策を握った信頼する側近もその例です。
◎さんが伝えた。××君はシベリアの抑留でソ連の執拗な勧誘を受けた。大蔵キャリアもあるが、エリートは肉体衝撃と内地帰還の願望が強い。
××君は「実は約束をしてしまった・・」と告白した。そんなことは暗記エリートにとっては日常茶飯事だった。「よかった・・女房子供も心配だろう」◎さんは複雑な気持で応答したといっていた。

これらはラストボロフ事件のときに訪米して聴取した柏村警察庁長官がすべてのリストをつかんでいる。
池田さんの件も、側近の大平さんが徐々に切り離すだけで表立ったことはしていない。面子、体裁もあるがスパイ天国になる土壌は日本にある。

日本の高位高官はそのような者の集まりのようですが、何も学校の勉強で何年何月何にあったなんとかの勉強するのは本当の勉強じゃありませんから、自分の人生、生活の中であの頓知を学んだ方がいい、あの先ほど申し上げた児玉源太郎、秋山真之の日本人の頓知は素晴らしいですね、30何前まではきっとチョンマゲ結って草鞋はいて籠でも担いでいたんじゃないかと思う人たちが、30何年たったら世界最強のバルチック艦隊をやっつけるような能力がある。

どこにそんなのあるかというと、当時江戸時代末で外来は単に蘭学でした。適塾とかいろいろな塾、藩校ありましたけど蘭学ぐらい習ったり、長崎いったくらいでせいぜいたいした勉強じゃないと思うんですね。ところが30年々たってあそこまで行くというのは、我々がどんな良い学校歴持ったって、良い地位もったってあそこまで考えらないですね。

あの北朝鮮がミサイルでいえば、3兆円のお金を出してミサイル防衛構想を買い取ったって、湾岸戦争の時1兆円で済んだのに3兆円平気な顔して出しているんです。或いはワシントン州から座間へトランスフォーメーションで来て岩国へ行ってグアムヘ行くあのお金がまた3兆円ですね。

6兆円平気で出ているんですね、ああ知らねぇや、ワールドカップのほうが良いや、とね。これは歴史を知らないという事と、同時に知らなくても良いような生活を人がしている今のご時世で、大塚さんもおっしゃられた、ああ日本人が変っちゃたねぇって、嘆いてばかりいてもしょうがないので、こういう会を始めた訳で、先ほど申し上げた「偽私放奢」(ぎしほうしゃ)偽り、私、放埓、おごりですね、これは誰でも出ます。嘘もつきます、公ごとより私を優先したりします、放埓いわゆる実直ではありません。

しかし、こういう風になってしまうのが分かる訳です。我々でも、流行や色んな欲望をコントロールがつきません今の時代は・・・、だけど少しでもこれを知っていて抑えていけばまだ蘇る、さもないとこの国はもたない。今のままだと本当にもたないと思います。

ある時にアメリカブルックリン研究所、ワシントンのホワイトハウスに有名代議士や駐米大使来たそうです。研究所で米国側として私の友人が尋ねたそうです。日本は北朝鮮政策をどうするのか聞いたそうです。いやぁ、中国はねぇ・・韓国はねぇ・・と言って全然質問に対する意見に返事がなかったそうです。
あなた方は最高学校歴をもってねぇ、俸給たくさん貰って国家国民の為に努力してるんじゃないのかと腹で思ったそうですよ。

そんな体たらくな高官とか政治家の重要人物だとなると、ブルックリン研究所では日本人は言葉がない、と。あれだけの地位と役わりを持っている人がきても何ら言葉もないし意思もない。
前々回の郷学でのすピーチですが、これは事実だそうです、本当に。このような実態を我々は見ることもないが、はたして地位や名誉や学校歴を追い求めることが果たしてどういうものなのか、また、どんな結果を国に導くのか考えるべきことですね。

こちらに吉田ユウ恵さんという元気のいい夫人が来ておりますが、筑波おろしのあの場所であえて都会に出ず、色んな研鑚をなさって様々な相談事にのったり、活動をなさっていらっしゃいます。このような人が日本いたる所に点在しているんですね、これがやはり深層の国力いうもので、これが日本を支えているのです。ここに来ている方々はそれなりの方々で、それなり特徴をもっている方々だと思います。そして、自分の特徴を早く発見してそれを伸ばそうと努力をしている方だと思います。

人の物まねとか流行を追うとかで人間を亡くすよりかは、早く自分の64億分1の特徴、それを発見してね、それを伸ばし、このような努力を積み重ねていかなければ、こういう騙される国になってしまうし、人の謀略も解らない。こういうことが国や国家だけでなくわが身も滅ぼしてしまう。

今までいろんな話をさせていただきましたがいろんな方々、とくに長老の皆さんに会うと嘆き、悲しんでいる声をよく聞きます。また子供達を見ても心配することが沢山有ります。それで我々中間世代が何かを行おうと、こんな郷学やっているのです。

・・・・・

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或る日の郷学

2008-03-24 15:43:24 | Weblog
                  津軽弘前のりんご


この会は35回もやっているのですが、私がこうやって話をするのは、じつは初めてです。
いつもゲストをお呼びしてやるんですが、一番はじめは80歳位の方(佐藤慎一郎先生)でしたかな。
それから宮内庁のかた(卜部亮吾皇太后御用係)とか、色んな方をお呼びして学校でやらない勉強といいますかね、郷学と言いますが江戸時代の塾と藩校の間にあったようなもので、たとえば明治維新、日露戦争以後見ても解るように児玉源太郎、秋山真之のような人はもう出ないと思います。

学歴偏重ですと、ああいう人は弾かれます、女郎屋で金使って借金こしらえて、戦争が起きたからちょうど良いいやと言って向こうへ行って旅順の攻略を成し遂げたり、あるいはいつも豆かじって居眠りしてる秋山がバルチック艦隊をやっつけたり、いわゆる頓智にちかい本当の直感です。
いわゆる知識で学んでもの積み上げたものがあのような人物になった訳ではありません。彼らがどうゆう勉強していたかとゆうことになりますと、塾・藩校、つまり郷学なんです。

たとえば、田舎へ行けば一生懸命畑を耕しながら勉強したり、吉田松陰なんかはとことこ東北の方まで歩るって萩まで帰れば若い連中が集まってきます。皆さんそうゆう情報はないですから、そのような話をすると興味深く聞いてそこで感動・感激を通じて学ぶ、このような単にものを講釈して知識を得るのではなく、なにか感動と感激を通じてものをやる。それは体験を語ることなんですね、「話」は舌が言う、吾を言うが「語り」です。それと吾の心は「悟り」です。

いろいろな人に会って、いろんな環境、大きい山を見て広い海を見てそのような情緒を蓄くわえたうえで、子供や近在の方がたを集めて、農民も含めてたくさんの方がたを教育していった、教育とゆうか教化していったということです。

今ビデオ見ていただきました。先ほど大塚さんが天皇陛下の話をなさって頂きました。
明治維新以後、なぜこんな国になってしまったのか、昭和20年のあの体たらくを見ますと官製学校暦で勅任官になって高級官僚、高級軍人ことですが、今でゆうと官制の高学校歴みたいなもので、しかしながら満州崩壊のおりに一番最初に逃げたのは高級官僚・高級軍人、いわゆる高学校歴の人達です。 

そこで、この人たちは何をしたかとゆうと、ソ連軍がもうすぐソ満国境にくるよ、といった時に電話線を切って逃げるんです。残るは開拓民ですね、「お前、満州に行けばすごく成功するよ」と言われて一生懸命に働いた東北の次男の方々が多かったそうです。この守るべき方々を置いてぼりにしたのは高級軍人、高級官僚の人達です。じゃあ学歴とはなんなのかといというと、まあ学歴とはそれは学校歴ですね、学校に在籍しただけの話です。

それは、人間の教育とはどうゆう事なのか、あの当時満州にいた方々が嘆き悲しむというか、その時に思い出した言葉にこういう言葉があるそうです。
「物知りの馬鹿は無学の馬鹿よりもっと悪い」と言うんです。ものを知ってるだけに、もう本当にやることが悪くなる。

あるいは「我、汝らほど書を読まず、されど汝らほど愚かならず」僕は、お前ほど本は読まないが、お前ほど愚かじゃないよということを思い出したというのです。
その高級官僚、高級軍人をみましてね、開拓民を護る立場の人たちが一目散に逃げて帰って、戦後日本ではまた同じような地位に立って懐を増やした人たちが相当おります。
日本及び日本人の誇りもなければ、いや、いたたまれない。

あるいはこれは誰も語ることもないですし、戦後、誰も書くこともなかったんですが、実は満州国に財産がありました。勿論日本とは違いますね、国と国ですから、じゃ負けた後に満州国の財産は何処にいったのか。満州にあった設備はソ連が持ち去り、日本国内にあった動産、不動産はどこかに消えてしまった。誰もこれは語りもしないし、書きもしない。これを掠め取ったのが日本に相当いる訳です、財閥でもなんでも。

この事実を私も聞き及びまたその現場に立ち会った人たちもおりますし、又その人たちの名前も存じております。有名な方々です皆私服を肥やして満州国の財産を懐に入れたと土地や建物やいろいろあります。有名なビルも銀座の近所にでかいのが建っております。
こうゆう事も誰も問題視することなく今この平成の御世に来ているのです。

先ほど大塚さんが明治以降、何故こんなになってしまったのか、これを私の感想を述べるよりは中国の古典を引用してお話したいと思います。

中国はよく4千年の歴史と言いますが、その中で様々な思想家も出ました。あるいは読書人と向うでは言いますが知識人もでました。その方々の中でこれは日本に合うなと思う事を引きますと、先ずは世の中が「偽、私、放、奢」と4字で言いますが。
偽り私と放埓、贅沢の4つが人の姿に顕著に出てくると国家が滅ぶといっています。
この逆が、明治初頭あるいは江戸時代に欧米人が来た時に初めて日本に来て感じた、日本人が勤勉・正直・礼儀・忍耐だっていうですね、いや素晴らしいですね。
実はハリスが下田のお寺に投宿の一日目の日記にこういう事が書いてあります。「この国に果たして我々が来て、今私達がやろうとしている事が果たしてこの国の人たちに幸せになるだろうか」。当時のアメリカは素晴しかったですね。
でも植民地にしようと思っていたんでしょうね、きっと。

まあその証拠に東京湾にそれぞれありますね。金沢八景とかいろいろありますが皆に英語の名前が付けてありました。セントルイスベイとか、海の深さを計ってもう自分達の国だと思って皆英語の名前を付けています。

当時、そういう状況の中でハリスは、「果たしてこの国に人たちに対して我々が行なおうとしている事が果たしてこの国の人たちの幸せになるだろうかと」、これは大変見識あるアメリカ人ですね、まあ唐人お吉もきっと幸せだったのかなあとどこかで変な気持ちもあるんですが。
重箱の隅を突っついて人物を見ると色々在りますけど、ハリスにして緊張の一日は純粋ですね。

国家が衰亡するときに人々の行いに兆候として出るもののなかに「偽、私、放、奢」という、四患といいますが、これが出るとなかなかこれは直らない。これは法律では直らないですね、心の中を偽り派手に見せて大きく見せる、或いは私というのはプライベートだけですからパブリックが無い、そこいら中ゴミを散らかしたり、あるいは名誉を欲しがって勲章を欲しがってそんなことやっているのもこの類です。放埓(ほうらつ)というのは、自分の心が放たれてしまう。

孟子さんの四端(したん)というのがありまして、惻隠の心の仁のはたなり、行動にでなくても陰ながら可哀想だな、不憫だと思う心、そこには仁が存在するんです。
或いは是非の心、「智の端なり」これは誰にも教わらなくても生まれた子供たちが備わっているものと孟子は言っている。良いか悪いかの判断、誰にも教わらなくても自分自身がそれを判断できるように成長の過程の中にあるこれを「智の端なり」これが知識の一番初めですよ、
或いは「羞悪の心、義の端なり」。「シュウオ」と言うのは忌まわしいものや、邪まな事を見てこれを直さなければ、正さなければいかんとこれが「義の端なり」です。正しい心で義を遂げる心は教えられなくても童心は持っているということです。

端的に言えは、例えばホームで子供が落ちそうになった時、どんな人でもこれを助けますね、はっと手が出ると思うんですよ、大久保で亡くなった韓国の方など、ああいうことを維持されている方だったんですね。誰に教わった訳じゃなく維持している人達だったのです。維持でき無いと、怖いから止めようとなるんです。でも本当は落ちそうになったら助けてやりたい行動は、どんな人も生まれながら助けたい気持ち起きる。これが生まれながら誰にも教わることない「義」であり「智」であり「仁」というものです。

いちいち、学校先生がコウしなさい、アアしなさいと言うとよけいひねくれかえる人たちもいますが、本来は持っているものがいつのまにか放心と言って、心が放たれてしまう。
孟子はこう言っています。この四つの心というのはもともと持っているのが、成長することによって、たとえば受験で言えば競争、或いは地位や名誉や財力、学校歴、こんなものを追い求める為に本当の生まれながらの良識とかを無くなってしまう。これをもう一回取戻すのが本当の勉強でだと言うんです。なにも新しいものどんどん積み重ねるのが勉強じゃありませんよと説いています。

今は私事にある心の問題でしたが、それともう一つ社会とか国がおかしくなる。これは『敬重』と言って、敬われる人物が出てこない。というよりどんな人を敬まってよいか解らなくなっている。ですから人格と何ら関係ない学閥、財力、名誉、地位で人を見てしまう。本当に敬まわれないから途中から満州で逃げ帰ったようなことをやる訳です。  

こういう状況が現れることは漢の時代に記された五つの寒いと書いて「五寒」(ごかん)といいますが、これが現れたら国は滅ぶ一歩手前だということです。ほかに『内外』、内外と言うのは自分の国の内側の欠点を補う為に外で危険あおったり、例えば家庭が上手くいかないから外で遊んだり、いわゆる人間が基本を「脚下照顧」と言って足元を見なくなってくるこの状況です。

これは国にもありますね今は、国内で大変困って自殺もこんなに多いのに、よそ様のところにミサイル防衛とか何とかで何兆円、トランスフォメ-ションで座間からこっち行くのに何兆円、皆さん六兆円ここで借金を抱えたようなもので、今年一年そんなのを平気で見過ごしている興味なくなっている。
ワールドカップがそんなに良いのかって感じがしますけど、『政外』といって政治のピントが外れる、本当はこれをして欲しいというのが外れている。それから『謀弛』これゆるむ、はかりごとがゆるむ、これはもう全てフォーカス、フライディイもそうですが、内面がこうゆるんで来ると大事なことが漏れてくる、規律がとれなくなってくる。

最後に『女』(ジョレイ)これは悪い言葉じゃなく、昔の女性は母の強さがありました。ところがこれが昂じてくると女性が烈くなってくる、まあ勿論男がだらしなくなってくるのもちょうどこの時期なんです。この「五寒」にいう五つの兆候が現れたらその国は終わりだと言うんです。中国では滅びる直前そうだと言います。今の日本が当たっているかどうか私の感覚ではどうも少しは当たっているような気がします.。

それと荀子という人が説いていますが、永い歴史を持つ中国はに繰り返し訪れる栄枯盛衰に孔子や孟子など、多くの知識人がおりますが、この旬子が2千4百年ぐらい前にこんな事を言っています。

国や社会が衰亡して人間がおかしくなって来る時どんな徴が現れるかと言いますと、その『服は租』、こうゆう物がきらびやかになってきて男なんだか、女なんだか分からくなってくる。それから『行いは雑』、一つのことに集中出来ない。例えば真剣なこの世の中の事を話していたら、サッカーでゴールなんていうと皆そっちも向いてしまう、いわゆるそういうような人間になってしまう。或いは『声楽は淫』という、ここでも音楽をよくやるんですが、今の歌詞が淫靡になってきているとか、音やメロディが綺麗じゃないドンドンドンドン、リズムで人間が騒いでいる、これは2千数百年前に言ったんですよこの人は、そうするとどうゆう結果が起きるか言うと男女の問題で言うと、男は親を捨て女に行く。

果たして2千数百年前に説かれたように、国がおかしくなるとゆう兆候は日本に今当てはまっているかどうかは古典から学ぶべきことが多いようですが、なるほどやっぱり何千年の歴史の中で何回も何回も繰り返し行なわれているあの国の状況を見ると、なるほどという気がしないでもありません。

これから本題にはいりますが、実はあの戦争。私たちが親から聞いている戦争ですね 私戦後生まれですから肉体的衝撃はありませんので、ただ満州に行かれた方とか沢山の方々にお会した上で色々な事を推測しまして、また事実その方々にお会いしてお話を聞いたその中で、大塚さんが話したようにこの国の在り方のなかで、どうも昭和20年まで、或いは今もそうですが暗雲があった、言い換えれば忌まわしい風が日本中に吹いていた。

この暗雲は何かと言いますとね、今の官僚が政治家を使っているようなもので、当時軍官僚と言いまして、軍人が日本中を席巻していた訳で日本の政策や、或いは大臣を出そうとしても軍人が反対すれば出せなかったそんな時代です。こうゆう時代はですね実は権力者というのは何を成すべきかを陛下が危惧されていた、陛下だけでなく近衛文麿、西園寺公一、吉田茂、細川さんのお父さんとか、安岡正篤、尾崎ホツミ、この人たちは連携は取らないのですが、偶然心を一つにして振り払おうと思ったのが国家の暗雲なんです、今と同じです。

それは何故かと言いますと話はちょっと別になりますが、聖徳太子や秦河勝が17条の憲法をつくりました。何故作ったかと言いますと、あれは蘇我とか物部の武力をもった人達が大きな権力を持って国を壟断していた。この時にこのままでは人間の尊厳を壊してしまう恐れがあったんです。それから祈り護るという役割のある天皇制の継続性、つまり縦軸を構成する綱維を壊してしまう恐れがありました。

人間の尊厳を壊してしまうから、その崇高な理想の元に憲法作成という頓知が働いたのでしょう。強い奴がいると、私が今日お祈りするから、『君は役割りだからそこに座ってくれ、ついでに目印に悪いんだけど赤いの着てくれ、青いの着てくれ』と、これは少々乱暴ですが要する官位12階ですね。
天皇は権力がありません、権威はあっても祈願する人「祈護」する人ですから、こちらは豪族です、力はあってもそこまで祈る立場ではない。君達はこうしなさいと並べた、これが官位です、色で並べたんです。このようなやり方で制御した訳です。

いわゆる憲法はなんということは無い、力の強いもの、権力者の制御なのです。今の権力と称せられる政治家官僚、教育者、宗教家あるいは知識人、裁判官、医者もその類です。こうゆう人たちが今の権力なんです。この権力を制御することが憲法なんです。ですから我々は民法や刑法みたいな泥棒したとか人を殺めたとかということじゃないんです。

しかも廃棄したわけではなく明治までは17条はあったはずです。
誰も論じませんがね。今でも生きていますよ、いまどきの言葉で廃棄していないなら・・・
ことに民族の当たり前な生き方が自堕落にならないように理想とした目標はシンプルのほうがいい。人間の歴史の継続性は習慣性といってもいいものです。つまり勤勉、正直、礼儀、忍耐、それだけです。こちさら宗教や古典に委ねる必要はありません。教義や解釈で争うだけです。

以下次号

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荻窪酔譚 その四

2008-03-21 10:41:45 | Weblog


竹内旅順民政長官と夫人(佐藤氏の姉)




T : 朝陽小学校(青森)の時は未だ結婚されてはいませんね。

S : 小学校の先生を一年で二回クビに為った (笑)。 其れで二十六才の時満州へ。 満州で女性間違いをして自殺を図ったが (苦笑)、姉の夫が旅順長官で偉い奴でね。 新聞に載るのが判っていたから、お詫びに行ったら
「其ンな事何でも無いよ、北京に留学して勉強しなさい」
と謂われガクッと来たのだ。 友達と酒を飲んでから死ぬ積りだった。

M : 何したの (笑)?

S : 女と間違ったの (苦笑) !

M : 誰、其れ (笑)?

S : 竹内の義兄さん、旅順の民政庁長官。

T : 今度、大連へ旅行するのです。 僕は観光地には行か無いで、小学校・食堂・飲み屋等一般人の行く処を観て廻ります。

M : 田舎の先生て、何か変よね (笑)?

S : 校長の奥さんがコレを嫌った。

M : 女性の先生は校長の奥さん (と私) だけだったのよ。

T : 焼き餅焼きなのですよ (笑)。

M : 変な事した事は無いわよ、手すらも握った事無いものね (笑)。

T : 肩、組んだのでは無いの (笑) ?

M : 咄しは能くしたわ (大笑)。

S : (話しが変わって) 中学校を出た其の日 (三月二十日頃)、弘前から其の侭家出した。 一銭の金も無し、塵紙も無し、オーバーも着無いで、途中知ら無い家で飯を貰ったりして80キロメートル離れた優しい叔母 (伯母?) の家へ行った。

T : 先生の若い頃は純三郎さんに似ている。 所謂、身体は弱いし勉強はし無いし (笑)。処が其う謂う人が良政先生の遺を継ぐとは、世の中解ら無いものです。 矢っ張り学問ですとか教育ですとか、環境のお蔭ですね。

S : 事情を知ら無いで新しく嫁いだ叔母さんの家に行ってしまい 「泊めて下さい」、と。 良い蒲団に寝かせてくれて、其の日いきなり寝小便をしてしまった。

―――〈一同大笑〉―――



第一宵 四坐 其二刻


T : 自分が影響を受けたお話しの中で、お父さんが出て来ませんね。 烏帽子親子と云って寝食を伴にして在るから、自分が悩んでも親には云い辛い。
女性の事で当か親には相談出来無いし。 影響を受けるのは他人や祖父など。 安岡 正明先生から謂われたけれども 〝父から教わった事は無い〟 と。

S : 親父の顔を見たら畏くて駄目だった。 兎に角も僕の人生、訳が判ら無いよ。 若くして志を立てて満州へ行った事に為っているのだが。

T : 矢っ張り伯父さんですか?

S : 嗚呼、菊池 九郎の事ね。 不言の教えを矢っ張り享けているのだね。 毎晩小便を垂れても一度も叱った事は無い。
勉強が嫌いで身体が弱いから 「牧場で働け、身体が強く為るから」、と其れだけ覚えている。
優しい叔母さんの家へ行ってから牧 場で働いた。 二時間位で目眩してフラフラ。 其れが一日一杯働ける様に為って、小便も治った (笑)。

そして一年で小学校の先生に成れる師範学校の二部に入り、三人で下宿した。
其の家では村上と女の事で競争して、其の翌日に女の子にキスをしたのだ。
「ザマぁ見ろ」
と威張っていたところ、夜 (下宿先の) お母さんが来たから為替でも届いたのかと思って会ったら叱られて、下宿を出て去ってしまっ た (笑)。

 そして呉服屋でバイトを執り、毎晩呑みに行くのだけれども、キリスト教の影響で僕だけ呑ま無いで、帰りにラムネを一本飲まされた。 酔っ払って在無いから、何時も僕だけ叱られる。

親父は県会議員で偉いのだから。 其れで弘前へ行けると思ったら、八戸の山奥に遷られた。 赴任して校長から
「押う、当到来ましたか (笑) !」、と謂われ吃驚仰天したよ。

T : 相当のワルでしたね (笑)。

S : 教頭の若林が
「校長の噺し、解ったのか?」
と訊くので、
「サッパリ解りません」、
と答えると、
「師範学校を卒たのが一人欲しかったのだが、〝佐藤 慎一郎だけは要らぬ〟、と校長は謂っていた」と説明してくれた。

僕は生徒が好きでね、遊んで ばかりいた。
校長に会いに行っても居無い、其れで職員室をブッ壊した (笑)。
其れから弘前へ栄転 (左遷?) に為って、九月に赴任したら、十二月に校長から 「君は、教師似合わ無いよ」、と謂われた (笑)。

其れで旅順の姉に手紙を出した。
姉の夫・竹内 徳亥は、旅順の民政庁長官だから頼んだ。 すると 「支那人の学校なら 臭くて汚くて誰も行か無いから、其処なら有る」、と返事が来たので僕は、水師営コウ学堂 (小学校) へ勤めたのです。
僕は五年生の算術が解らから無いから、生徒とは遊んでばかりいる (苦笑)。

T : 奥さんは何を教えていたのですか?

S : コレは八戸の高等女学校を卒ているから全教科教えるのだ。 代用教員で来た。 僕とコレに有らぬ噂が起って、二人共クビに為った。 生徒に大八車を牽いて来させて、其れに荷物を載せて、八戸の実家迄送って行ったのだ。

T : 要するに、今の週刊誌と同じで流言を起てられたのだ。

S : 僕は旅順で女性と間違ったお蔭で、コレと一緒に為れた。

T : 先生、〝役所に出て来無くて良い〟 と謂うのは?

S : 僕の様に中国語が出来る奴や中国人社会に浸った奴は少無かったから、何処の役所でも欲しい訳です。 だから役所から正式に 〝来てくれ〟 と謂われる迄は自由にして良いが、但し居場所だけは絡えてくれ、と。

T : すると植民地政策は暗中模索?

S : もう滅っ茶苦茶、訳が分からぬ (苦笑) ! 例えば裁判を執るでしょう、身代わりで裁判をしてそして死刑だ。 僕が調べて随分と救って上げた。

T : 矢っ張り日本人の感覚では理解出来無い。 中国人の感覚では有難迷惑、羅 ケンパクさんみたいだ。

S : 中国人は調査官の僕を危無いと観た。 大観園 (ハルピンの魔窟) のケースでも大蔵省の役人を連れて来てね。 日本人の役所は肩書きで調査が出来ると思い上がっている。 日本人の感覚、莫迦だよ。

T : 其の意味で 〝陋規〟 と 〝清規〟 が在りますね。 満州国政府は総て清規で行こうと謂う事で庶民が治まら無い。 役人が賄賂を摂れ無いから痩せてしまった。

S : 朝から晩迄 〝賄賂〟。 中国人は賄賂とは謂わず 〝人情を贈る〟 と謂う。

T : 台湾の大学の先生が 「是、日本から教わった清規。 此れを忘れてはいけない」、と生徒に教えているそうです。 今度此の人に会って来ようと思います。

S : (話しが変わって) 最近の日本の新聞は否だね。

T : 最近は台湾関係が気に為ってね、何か有ると全部新聞切り抜きをして在ます。

S : (更に話しが変わって) コレ (奥方) 疲れるとね、夜中にガス栓を抜いたりね。 今年に入って (もう) 四回。 僕はガスの止め方が分から無いから心配で…… (苦笑)。

T : でもコックは必ず閉めてお休みに為るのでしょう?

S : 僕は歩いて牛乳とパンを買いに行くのに五分懸かる。 其の間に栓を抜いてしまうの。

M : ガス (栓) 抜いたの? 私が?

S : おまえが (苦笑) !

T : 夜は止めないと駄目ですね、何かカバーをしましょうか?

M : では、私も弄ら無いことにしましょう。

T : (ガスの周りを観て) えぇと、大丈夫。 抜いても出無い。 危険防止装置が附いています。

S : 抜いても出無いのですか。 其れは有り難い、安心した安心した。


                      ● 第一宵 四坐/了 ●


第一宵 五坐 其一刻

S : 三 (参) と云うのは生命誕生のしるし。 男性は何歩威張っても子供を産め無い。 女性は何歩威張っても独りでは子供を創れ無い。 神様だけでも駄目、 三つ一緒で生命が誕生する。 中国の皇帝は 〝一皇后三婦人九嬪二十七世婦八十一御妻〟 を貰う。 総数で百二十一人 (そして総て、奇数であり参の剰除である)。

T : 〝世婦 (セイフ)〟 って、〝婦人 (夫人?)〟 の 〝フ〟 は?

M : 側妾を貰うの?

S : 三は生命の源。 亀の甲羅に焼け火箸を当てて八卦を判断する (亀甲占式)。 桃の 節句、〝桃〟 は厄除け、女性の陰部を顕わしている (印度仏教を起源とする考え方)。 老は背を曲げて杖を点いた格好。 〝ヒ〟 を省いて 〝子〟 が支えるのが、【孝】ですよ、と昨日も老人会で云った。

T : 〝天・地・人〟 の違いは無く、一貫すると?

S : 天地人を一貫して合わせると 〝王様〟 に為る。 畝々した流れに杯を浮かべ自分の前に来たら其の杯に詩を詠む、此れは三月三日に行われた (桃雛節祭としてでは無いが奈良・平安期にも旧暦の宮中行事として行われた/追儺の儀後の慶事として)。

T : 王 義之の《曲水の宴》! きざしの 〝兆〟 が木で 〝桃〟。

S : 三月三日、川に入って心体を洗って 〝禊〟 をするの。

T : 日本でも古来より俗に 〝桃色遊戯〟、好色に遣いますね。 (其うする事に拠って) 逃げ払われるものは?

S : 〝厄〟 が逃げ (去) るの。

T : 交合して三月三日に逃げる、いけ無いね (笑)。 知ら無いですよね、雛祭りの日 (桃の節句) に (本当は) 是う謂う意味が有るなんて。

S : 此う云う噺、爺ちゃん婆ちゃんは悦んで聴くの (笑)。


T : 我々だって悦んで聴きますよ (笑)。 此う云う説明が出来る様に為ったのは中国体験ですか? 庶民の学問と皇帝の学問て区別が無い訳ですよね。

S : 黒板が無いから、画いて持って行ったのです。

T : 今度此処の老人会で学んだら、うちの方の老人会で話そうかなぁ。

S : 僕は中国の事しか識ら無い。 日本の事は全然解らん。 「僕も皇帝に成りたかったなぁ、だけれども (今は) 独りの女房 (ですら) 持て余して在るよ」、と云うと笑われてねぇ (笑)。

T : うちにも皇后 (女帝?) が一人棲ます (笑)。 〝妾〟 と云う字は出て来ませんね。 是は飽くまでも正当な女性ですか?

S : 曾うです。 時代に拠って名称は異為るのだけれども必ず貰う。

T : 我々は儒教で堅苦しく考えているけれども、中国は我々とは似て非なるもので、向こうは性に対しておおらかですね。 此う云う噺だと、安岡先生だって此う為って (グッと噛り付く様に) 聴くだろうね (笑)。

S : 親孝行の 〝孝〟、〝ヒ〟 を取って 〝子〟 が支えている訳です。 結婚以来、両親が死ぬ迄の十数年、コレは給与の三分の一をずっと僕の両親に送っていた。

M : だって、お父さん (佐藤先生) が働いてお金を持って来てくれるから (笑)。

T : 其の言葉、最近出無いの? お父さん、働き悪い、て (笑)。

S :『毎日新聞』に掲ていたのだけれども、今は親の面倒を見るの四人に一人も在無い。
「何の為に勉強をするのか」
と謂う問いに
「金の為」
が日本は世界第一位
「社会貢献の為」
が世界最低。

T : 漢和辞典等を調べると語源等の説明は有るけれども、活きた漢字の使い方は出て来無い。 日本では完全に記号に為っている。

S : 師友会の会合で
「孔子様、孔子三世、妻を追い出す」
と云ったら皆吃驚して在た。
彼が説いたのは愛情 〝仁〟 でしょう。僕はコレを追い出して在無いから、孔子様拠りも偉い (笑)。 孔子の言葉は確かに偉いけれども、或れでは中国 (の本質) は解ら無いよ。

T : 中国大好き人間が在て、(本当に) 何でも好き。 自分が (持って在) 無いと何でも受け容れてしまう。 だけれども下手に教えると、斜めに世の中を観る惧れが有る。
先生の説かれた聖徳太子の 「和を以って貴しとせよ」ですが、或れは夫婦の和合の話しでしょう?

S : 老人会で 「何でも政府に嗚呼して欲しい、此うして欲しい、と謂っては駄目だよ」、と云った。 主体は自分だよ。

T : 日本人は 〝血〟 を尊びますが、中国には有りますか?

S : 矢っ張り有るのでしょうね。

T :  小平や毛 沢東の親戚と云えば尊ばれるかも識れ無いが、逆に溥儀・溥傑の様に忌み嫌われるケースも有るでしょうね。 最近の日本の様に、身分制の無いお蔭で妙に俗世の価値に傾く事も有るし、中国の様に 〝善い人なら善い人〟 と観る方が自然で、もっと真面に世の中を観られる。

S : 中国は大自然の流れから離れ無い。 例えば 「満州国が滅んでも、一姓の滅亡に過ぎ無い、俺達には関係が無い」と謂って全く以って慌て無い。

八月十五日の玉音放送を聴いて、僕はベソを掻いて役所で掃除をして在ただけ。 中国人は皆、青天白日旗をポケットから出して在た。 半年前もから、日本が負けたなら之を点てるって準備をして在たらしい。 ベソを掻いて在るのは僕独りだけ。
「何故泣くの? お前には関係が無いでは無いか」、と中国人に笑われた。

T : 今の内に五星紅旗を作っておいた方が (笑)。

S : 偉いものだよ、全く以って実に淡々として在る。

T : 或る意味では、其れは力強さですね。

S : 大自然から離れ無い。 悪く云えば 〝食・艶・財〟 のみ。 中華民国も中共も要ら無い。

T : 大した肚だと思ったのはチンギス・ハーンです。 色目・漢等、嗚呼云う侵略された人達を平気で使う。 耶律楚材も其の典型でしょう。 丘さん(大同学院の生徒、台湾財界人)は満州でしょう。 懐が深いと謂うか、日本では考えられ無い。
   

S : 日本人は如何ですか。 毎日、新聞を見るのが厭に為る。 賄賂・人殺し、如何するのかな、此れ。

T : 惧いのは、何時の間にか (危惧する感覚が) 麻痺する事です。

S : 外部から緊張を与えられて活きて行くしか無いか。

T : 其の国の運勢を診た時、今の日本は八方塞がりですね。

S : 食糧 (生産自給力) は無いし石油も無いし、終わってしまう。

T : 今、米屋に米等有りませんよ。

M : うちのお米は如何しているの?

S : 新潟の庄内平野の米を送ってくれるの、其のお蔭。

T : 今、アメリカのお米が輸入されているでしょう。 今日、天丼を食べたら矢っ張り少し違うね。 満州のお米は美味しかったですが?

S : 王道楽土というが日本だけが米を喰って、満州人は喰え無かった。

T : 誰かが謂って在たな
「佐藤さんは本当に変わった人だ」、って。
「俺が戦後佐藤の家に行ったら、青森県人がゴロゴロと居候して在た」
と話していましたね。

S : ご飯だけは喰わせるから、と通知を出した。 其れは皆中国人のお蔭です。

T : 満州へ行っていた当時、上海の山田さんとは全く交流が無かったのですか?

S : 上海へ行った伯父の記録を採ってある。 広東にも行って孫文の息子の孫科とも会 って色々としました。

T : 溥傑さん、亡く為りましたね。 日本に好意を持っていましたが。

S : 嵯峨公爵の娘が嫁いでいたが。

T : 溥儀さんの周りに宦官は在たのですか?

S : 在た。 子供の時に宦官と遊ばされ、ふぐりを弄ばれて壊れてしまった。

T : 其う云えば、本当にか弱い感じですね。

S : 女を雇って壊す方法も有る。

T : 宦官て、勃起はするけれども子種は創れ無い、と云う事ですか?

S : 珠は必ず採られた。 一番の方法は竿を幾許か残す。

T : 為る程。

S : 棗(なつめ)の実、之を女性の陰部で濡らす。 皇帝は是を朝必ず食べる、此れ宦官の仕事。

 皇帝の身体を20~30人の若い女に舐めさせると、彼女達は本当に白痴みたいに為るらしい。(毛沢東にもそのような逸話)

T :  小平が若返りの為に、同じ血液型の若い女の子の血を輸血するとか。

S : 男の欲するものを女が持っているからと謂う簡単な論理です。

T : 儒教の中で其ンな噺は全く出ては来無い。 道教・房中術・仙道術等、本来は其う謂う事を理解し無いと、中国は理解出来無い。

S : 宦官から僕が訊いた噺、かなり詳しいのだけれども文字には成ら無い (と云うよりも出来無い)。

T : でも、其う謂う勉強は面白い。 所謂、精力増強。 何しろ精力が無いとね。 (自分の) 肝臓が悪ければ (健康な他者の) 肝臓を喰うとか。

S : 全く簡単な論理だ。

T : 出来れば人間のが善い。

S : 一番困るのは、日本語と中国語がゴチャ混ぜな事だ。 中国語だけでなら信じてくれる。 終戦後、追い駆けられた中で急いでいて日本語を混ぜて書いたから、嘘を書いたと思われた。 (文書は) 十分の一だけ持って来て、残りは向こうへ置いて来た。

T : 本当の庶民の考え方、此れが基本ですね。

S : 七名の宦官から訊いてね。 全部在れば素晴らしい記録に為るのだけれども、留置場から奉天へ強制送還されたから何も持て無い。

T : 其う云う基本が解ら無いと、怖さも善さも何も解ら無いですね。 日本人は同化させられ易いから惧いです。

S : 僕の命を救けてくれたのは全部中国人。 7・8年前のお礼をする為に、吉林の田舎から新京迄3~4日も掛けて、卵20~30個も持って捜し廻ってくれた。 其のお蔭で僕等は飯が喰えた。

T : 3~4日だと百キロメートル程でしょう。

S : だから中国人の善さとは日本人が考えているものとは違う。 孔子様が此う謂ったから此う、では無いの。 日本人も善い処は在るとは思うのだけれども。 牢屋に入っていた時、僕だけには差し入れがある。

M : 牢屋に入って在る時の態度が善かったからよ。

S : 三・四百名も囚人達が在た中で、僕独りだけが特別扱いだった。 賄賂一つ遣った訳では無い。 機嫌を摂った事も無い。 満州一の悪党と新聞は伝う、其れでも差し入れは僕独りだけ。

M : 普段から中国人との付き合いが有ったから。

T : 監獄に入ると勅任官でもうろたえますよね。 僕等もうろたえますよ。 矢っ張り余りにも外の世界を観無い善い生活をしているのですよ。

S : 最後は伯父さんのお蔭で救かった。

T : 矢っ張り本当の勇気が無いと出来ませんよ。

S : 忙しくて忙しくて、僕独りで皆の世話をするのだ。

T : 矢っ張り其れは理屈では無い。 或の人が来ると楽しくて仕方が無い、と云う雰囲気って在りますよ。

S : 大連の小学校で一緒に先生をして在た人が、国民党の外事課長さん。 十何年振りに会って 「逃げなさい」、と。 僕はお断りした。
「あんたに迷惑を掛けるし留置場に在る日本人を残して僕だけが返る事は出来無い」、と云って。
国法か人情か。 人情は国法に勝る。

T : 其う云うお譚を訊くと、其う云うものが仄かにでも在れば。 矢っ張り好きだから、無言で判る訳でしょうし。

S : お世話に為った此の人、中国に在る筈なのだが。 恐らく、もう生きてはいらっしゃらないと思うのだけれども。

T : 五月頃。 孫文さんの拓本を採ったのが出来たので、国父記念館に寄附をしようかと想い、台湾へ行ったついでに大連へ行きますから、其の噺もね。

S : 大連へ行きますか。

T : 苗さんの奥さんは大連出身なので、写真等渡そうと想って。 張 学良は苗さんの 奥さんとの交流は無いのだそうだけれども、奥さんの
「或の人 (張 学良) はお坊ちゃんだからねぇ」
と謂うと真実味が有りますよ。
苗さんの娘は中共の会社に勤めていますね。 でも苗さんは普通のアパートに住んで居ます。

S : 苗さんをアレすると、蒋 介石の事を暴露されるからでしょう。

T : 苗さん位なら、もっとずっと凄い家に住んでいても善いのだとは思うのだけれども。

S : 苗さん、 仲々良い言葉を謂っているよ。
「三木には観切りを着けた・田中 角栄と云う奴は一角の繁栄しか判らん奴だ・大平にはオオッピラに御免だ・中曽根には根が有るとは思えん・今の日本には日本人が在無い、日本人の在無い日本など日本では無い」
と僕に謂った。

 是の言葉、活きているよ。 台湾へ行くと本当に温かく迎えてくれる。 中共とは全く違う。
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荻窪酔譚 その三

2008-03-20 13:18:02 | Weblog


        左端 佐藤慎一郎     右から二人目 晩年の山田純三郎


『-縁あって二十年も大陸にいた。そして中国人という人間の明け透けな姿が好きになった。人間の真実を知った。国家やそれを意図する内外の勢力によって変転し、人々は独特な性癖を作り上げ、巧妙な知恵を自得した。それは日本人とは異なった姿だではあるが誘引同化することは容易なことだ。それは普遍な欲望の本性を如何にコントロールするかに掛かっている。近頃はとみにその力が弱まっている。また今の学問はそれについて余りにも非力である・・・』


T : (話が変わって) 是は、僕の駄文ですが。 其れから、之は西安事件を少し纏めたものです。 先生の (お話しや資料を) 色々と無断借用しては有ります(笑)。

S : 曾うですか、有りがたく頂戴致します。

T : 国際問題研究所の件、お暇な時にお願します。 何しろ (自分) 漢文うまく読め無いのだよね (苦笑)。

M : 何か書いているの? (M)モト夫人

S : 曾う、寳田さんが書いて持って来てくれたの。

T : 此の前、、安岡 正明先生が来られた時、初めは僕を右翼か何かだと思われたそうですが、洒脱な方で、悦んで下されました。 安岡先生のご近所で六~七人集まって勉強会を執った訳ですが、其の時
「父 (正篤) の考えていた 〝郷学〟 とは此う謂うものだったのでは無いでしょうか」、とおっしゃられました。

僕等が 「まさかぁ佐藤先生がスナックなどに来られる筈が無い、と誰もが想ったのだけれども、いざ誘ってみたら唄は上手だし。 安岡先生だって其うですよね」、
と云ったら
「其りゃあ、曾うですよ。 人間なのだから」、と謂れました。

S : 唖っ、覇っ覇っ覇っ――― 。

T : 周りが創り上げ増幅された【人間像】で、当の本人ががんじ搦めに為って。 其の後、柳橋さんが来てくれて干支や易の噺しをしてくれました。 安岡先生が温泉を旅した時の興味深いエピソードも、正明先生が譚してくれました。

S : 其れを訊いて安心した。

T : 安岡先生がおっしゃるには 「父から教わったものは有りません」、と。

S : 不言の教えだけだ。 此の前、集英社の編集長かな? 「話しを聴かせてくれ」、と。 三回も謂いに来た。

T : 大きいですよ、集英社は。

S : 僕、出られ無いので此処で録る事に為った。

T : 今は不況だから、経済人が今迄追求して来たものがスッポリ抜け墜ち、自分自身が判ら無く為ってしまったのでしょう。 訳も解らず中国へ行き、投資、亦た投資。 危無いですよ、日本人が中国で商売なんて出来る訳が無いのに。

S : 日本人が中国人を理解するのは難しい。 例えばお金を得ら無いと家族に為るけれどもお金を得ると他人に為る…… ―――。

T : (刻限が来て) そろそろ帰ら無いと。 先生から貰った資料はワープロに打ったけれども、解ら無い処が有るから先生に尋きに来たの。 俺、頭悪いから (笑)。 ちょっと御手洗い借ります (と、立ち上がる)。

S : (Mに) 其れ、寳田さんから貰ったパジャマ (と、指し示す)。

M : (広げて観て) 之え、寝間着じゃあ無いのよ (苦笑)。

S : 着て試なさい。(モト夫人 袖をとおす)

T : L (サイズ) だから、両方共。 被るのは大変だから、総てボタン (の物) にしました。 其れと是、カレンダー。 或れ (不用) だったら、誰かに一枚差し上げてください。 大きいから、色々書き込めます。

S : 嗚呼、放っておいて下さい、大丈夫です。 ご飯も何も差し上げ無いで、申し訳無い (苦笑)。

T : 来年にでも一杯やりましょう。 来年早々、熱海の連中を連れて来て。 其の辺の料理屋でやろう、て (笑)。 ジャンパー着させて貰います。

S : どうぞ、着て下さい。

● 第一宵 二座/了 ●





第一宵 三座 其一刻

S : コレ (奥方) が二十歳の時に結婚した、僕は二十二才。 僕の弟が中学校を卒て、一週間位大連に遊びに来た時、何も知ら無いで
「兄さんの或嫁、魚好きな兄さんに魚を喰わせ無いで!」
と文句を謂った。

コレ (奥方)、僕の両親に自分の給料から三分の一も、然も両親が死ぬ迄の十数年間送り続けたのだ。 だから魚を喰いたいだなんて云え無いよ。 僕の過ちは、女房の両親を全く構わ無かった事。 でもコレ (奥方)、文句を謂った事など一度も無い。

T : 矢っ張り初めの時に二人分の電車賃、奥さんが持って来たのが良く無かったのでは? 或の時、奥さんが
「自分で遣るべきものです」
と謂えば良かったのかもしれない。

九郎さんが山形へ命懸けで交渉をしに行った時、母親が羽二重の晴れ着を持たせましたね。 母親は (九郎さんが) 死ぬと解っていても、〝恥を欠くな〟と謂って歓んで送り出してやりましたよね。 囲炉裏の灰で、字を教えたりもしている。 母親が利口 (深慮) ですね、立派な教育 (者) ですよ。

S : 〝維新は女性 (こそ) が立派だった〟 と安岡先生がおっしゃられていた。

M : 女は当時、夫本人では無く其の家へ嫁に行ったのですよ。

T : 青森県人は立派な人材を出しているけれども、(大抵其の) 母親が立派でしたね。 其の頃の男性は、外国からも尊敬されている。 例えば日露戦争でも、負けたロシアに対して憐れみを掛けて尊敬されている。 山田兄弟 (良政・純三郎) にしても、津軽の山奥から中国へ渡って革命に参加し、中国人から尊敬されている。 (其れ等の人材を育て、世に送り出した事を踏まえても) 人を育てると謂う意味で、母親は凄いですね。

S : 拓殖大学に勤めて、初めて給与二万円 (現在の相場で約十万円前後) 貰った時 「是じゃあ生活出来無いから、考えなければいかぬなぁ」、と (妻に) 云ったら、コレに僕は怒鳴られた。
「何ですか其の言葉!? 私は二万円で結構ですよ。貴方が執りたいと謂ったから私は賛成したのでは無い。 お金の事を慮えて、学生さんの教育が如何して出来ますか? 其れなら嵯っ々とお辞めなさい!」、と。
此れには僕、有り難かった。

M : (嬉しそうに) そぉ、

T : 女房では無く、お袋さんみたいですね。

S : コレ (奥方)、安い豚肉と菜っ葉を買って来て炒めた。 拓大の学生連中と食べていたね。

M : 若い人が喜んで食べるのを見ると、嬉しいのよね (微笑)。

S : 狭いので、子供達は押し入れで寝ていたりしてね (笑)。

T : 現代じゃあ通用し無いです。 先生が此ンなにもご活躍出来るのも奥さんのお蔭だ。

S : 長男が肺病で臥て在る此ンな状態で勝手な事が出来たのは、コレ (奥方) のお蔭です。 大同学院の人 (医師) が無料で長男の肺病を診てくれて助かりました。

T : (先生の奥様が今も) 食欲が有る事には吃驚しました。 顎を動かすのが良いらしい、喋っている事が。

S : 之、出来るだけ早く整理して寳田さんにお渡しします。

T : 無学無知だけれども、何時か何処かで誰かの役に立つか判ら無いから。 学校時代、勉強は嫌いだったけれども、人の話しを聴くのは好きなのです。 中国へ行こうが書類を見ようが、楽しくて仕様が無い。

S : 頭の良いか悪いかでは無くて、ヤル気だと思う。

T : 或る断面で良いから役立てる事が出来れば。 アウトローでは困るのだけれども。 全体の中の或る一方で善いから。 〝無用の用〟の一つ、ですか。 嗚呼、整理はゆっくりとで結構です。

S : 息子が来てコレを抱き起こしてくれた時、転んでしまって。

T : 一緒に転んだのですか? 息子さんに担がれて怪我をしたのでは文句は謂え無いですね (苦笑)。 昔、お婆ちゃんの肩を揉んで上げたら筋を伸ばしてしまって悪い事してしまった (苦笑)。 若い者が下手に執ると、親孝行とは云えどもチョと
考えものです……。  

(話しが変わって) 蒋 維國さん、戴天仇さんの件は台湾へ行く前にゆっくりお訊きします。
手紙拠りも先生のお声のメッセージを頂ければ、其れを持って行きます。

(更に話しが変わり) 山田さんが引き取って養子にした春子んが、お元気な姿で雑誌に出ていました。 確かに山田 純三郎さんは、若い頃は好い男ですね。 孫文も中国人らしからぬ面相をしていますよね。 二人共もてただろうね (笑)。

S : 之は幸ちゃんのお父さん、〝一戸直蔵〟 と謂ってね日本最初の (近代西洋) 天文学博士。 其の娘さんが幸ちゃん。 僕は幼い頃から菊池九郎爺ちゃんの家で幸ちゃんと遊んだのだけれども、小学生に成って幸ちゃんは東京へ行ってしまった。 僕は旅順で女に失敗して義兄さん (旅順長官・竹内氏) にお詫びに行ったら
「其ンな事何でも無いよ。 早く郷里で嫁を貰って来い」
と諭された。

東京に着いて幸ちゃんの処に立ち寄ると
「母と喧嘩をして、お金が無くて困っている」
と謂うので、金全部くれてやった。 弘前へ帰って事情を咄して、コレ (奥方) と結婚した。 満州へ返る金が無いので
「汽車賃を貰って来い」
と云ったらちゃんと貰って来たので、僕
「花嫁って善いものだなぁ」
と思ったよ。 東京駅へ着いたら幸ちゃんが迎えに来てくれた。 其の時、コレの目の前で
「慎ちゃんの傍で死なせてぇ」
と謂ったらしい (苦笑)。

T : (話しが変わって) 前にお手紙を貰った時、先生は三つの目的を持っていらっしゃると。 其の内、二つは〈自分の父親に即いて〉と〈宦官に即いて〉ですが。

S : 父の謂った事、青森の新聞・雑誌に出て在るから、青森へ一ヵ月位行けば調べられるのだけれども。 青森の (県立?) 図書館に資料が全部有って見当は就いて在る。

M : 幸ちゃんは死んだの? 慎ちゃんの傍で死んだの?

T : (幸ちゃんも先生も奥様も) 能く覚えていましたね。 其ンな人に能くお金を渡せましたね。 お金は別なのですね。

S : コレ (奥方)、幸ちゃんにもお金を送っていた。

T : でも、お金を送った方が勝ちですね、尻を捲ったら負けですね。

S : 幸ちゃんの兄弟は博士の子供だから、皆頭が良い。 でも幸ちゃんは気狂いだった。 僕の従兄弟と駆け落ちしたり、松竹の女優をしたり、政治ゴロと一緒に居たり。 真夏でも窓をビッシリと閉めて、部屋の東西南北に杯をお供えして何かを拝んで在た。

T : 一緒に死な無くて良かったですね (苦笑)。



第一宵 三坐 其二刻


T : 先生、ココへ来て一番の問題は中国です。 米国が何故、中国と絡むのか? 朝鮮を相互承認すると謂う単純な問題では無く朝鮮自体、中国が惧い訳です。 現在の中共、改革開放政策。 矢っ張り大きな意図が有り、流れや大きな考えが有る。 羽田さんの体たらく、再たやられたと思いましたよ

S : 田中訪中際の向こうの極秘資料、翻訳したものを寳田さんに差し上げます。

T : 今でも是うした特務機関、日本に潜んでおりますね。 政府機関に侵っている事も有りますね。

S : 僕の総理報告が、政府筋を通して中国大使館へ渡って在たのだからね。

T : でも中国大使館も莫迦ですね、スパイをして在る事を教えている様なもの。 知らん振りをして在れば良いのに、大使夫人を態々呼び出して在る。

S : だから其れ以上の何かが在る筈です。

T : 其れ以上の謀略が在るのですか?

S : で無ければ呼ぶ筈が無い。 だから中国に堵って或れは大問題では無い。 そして別に狙いが在る筈だ。

T : 泥棒でも (侵入先の) 警備状態を調べる為に、鉄砲玉を飛ばして反応を観ますよね。

S : 昭和四十年の〃三失事件〃 計画書が十三部作られたのだけれども、其の仮想敵国が中共。 日本社会党の誰かが中国へ行った時、十三部の内一部を周 恩来が持っていて、其れを社会党議員が日本へ持ち返った。 其の資料を漏らしたのは (中国人民軍の)准将で、此奴は創価学会会員だ。

T : (驚いて) 其う云えば、池田 大作さんが向こうへ渡っていましたね。

S : 其の准将が漏らした事だけはハッキリとしている。

T : 今の政党資金は中共から出ているのかも知れませんね。 〃成田闘争〃も中共から資金が。

S : 田中さんの件は後で纏まった資料をお渡しします。 其れを寳田さんが補正して下されれば。 中共は本当に恐ろしいよ。 記録には無いけれども、関係者から事情を訊いて准将が漏らしたのが判った。

T : 周 恩来 (ルート) から社会党代議士が貰って来るなんて! 〃教科書事件〃でも土井 たか子が向こうで溢した。 其の度に謝っていて、金を摂られてしまう。 別に中国人民が憎い訳では無いのだけれども、中国共産党の策謀って凄いですね。

S : 日本はルールが無いと駄目だけれども、中国では謀略、極く普通なのだ。 ハルピンの魔窟の親爺が 「満州国の滅亡は、一姓の滅亡に過ぎ無い」と謂って平然としていた。 田中さんが (ロッキード事件で) 五億得ったと謂って十年も騒いでいるが、中国では噺しにも成ら無い。 清朝の和坤という総理が家財を没収されたら、国家財政の十数年分にも成った、と謂う。

T : 日中友好が結ばれる前に親書を持って行ったのは、公明党の竹入委員長ですね。 彼は万里の長城で万歳をやっている。 何千年も民族が血を流した処で万歳をするなんて日本人て莫迦では無いか? 手を併せるのなら解るけれども。 今日、先生からお話しを聴いて吃驚しました。 以外と符合しますね、色々と。 自民党の使いで中共へ行くのは必ず公明党ですね。

S : 池田の財産て凄いのだらしいね。

T : 金が新生党に。 小沢さんが無知なら大変な事です。 羽田さんは中国へ行ってコロリとやられている。 怖く為りましたよ。今の政治家の誰に具申したら……、上和田さんにしたって自民党で駄目でしょう?

S : チョット、在無いなあ…… ―――。

T : 或の小沢 一郎て人は、お父さんが岩手県水沢の出身で、後藤 新平と同じなのです。 批判もされては在るけれども、ハッキリとものを謂うし目的も持っている。 だけれども、やっている謀略、日本の政治家って下手糞! 見得々々の事をやるからね。

S : (僕は) 新聞は読ま無い、余りにも (内容や書き方が) 汚くて……。
(と、突然奥方が立ち上がったので) アッ お婆ちゃんいけませんよ、お座りなさい。

T : もう、何処が痛いのかも忘れてしまったのですか?

S : 何歩、動くなと云っても駄目 (と、溜息)。

T : 働き者だから ―――。 でも、一週間に何回かお嫁に来て貰えれば有り難いですね。 (お子様方を) 皆ご立派に育てられて。 安岡 正明先生は 「父から教わった事は無い」、とおっしゃられていましたが
「今は女性が強い (畏い) ねぇ」
ともおっしゃられていました。

S : 家の婆ちゃん (奥方) も強いよなぁ、何独つ文句も謂わ無いで本当に能くやってくれました…………。

T : 良政さんの奥さんも其ンな感じの女性ですね。 普通、結婚して一週間で嫁さんに親を委み、中国へ行った切り消息不明 (何ンて出来ませんよ/苦笑)。でも、辛抱して待って在た。 現代では、直ぐに家を出て去ってしまう。 其れで (良政氏の消息が) 何十年後に判ったのですね。

S : 明治三十三年に死んで、大正七年に葬式をやった。 其れで漸く、籍を抜いて家を出た訳です。

T : 今では其ンな人は在無いですよ。 昔でも其ンな事は (簡単には) 出来無いでしょう。

M : だけれども (良政氏も) 家庭を持った以上、責任は持た無ければねえ。

T : 女性の立場からすれば当然曾うですよね。 でも良政さんにしても苦しかったに違い無いのでしょうが、其処に何か一つ、男としては自分を探し求める何かが。

M : 結婚はし無い方が善いですよ (苦笑)。

T : 曾う、本当にそうですよね (笑)。 苗さんも自分が何者で或るのか、〝我何人ぞ〟 行動してみて自分を確認する訳ですが、 苗さんの奥さんは其れを認めているのですね。 其う謂う旦那でも、 或の奥さんは尊敬している。 苗さんの家に安岡先生の漢詩が額に入って有りましたが、安岡先生は誰でも惹き入れるから、或る意味で惧いですね (笑)。

M : 革命をやるなら、結婚し無ければ善いのよ。 無責任ですよ。

S : 終戦の時、コレに子供達を連れて返らせたのだけれども、再た戻って来た (苦笑)。

T : 結婚したからこそ出来たのだと云う側面も。 還す言葉は 〝有り難う〟 しか無いですよ、奥さんにね。

S : 僕、コレが返って来た時、何も言え無かった ―――。 コレは何の文句も謂わ無いで一生懸命やってくれた。 僕に文句を謂うのは最近ですよ。
―――〈一同破顔〉―――
● 第一宵 三坐/了 ●






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荻窪酔譚 その二

2008-03-05 10:44:04 | Weblog
若き蒋介石と孫文側近の山田純三郎


第一宵 一坐 其二刻

S 其の頃、僕は内閣調査室から毎日三十から四十、出して貰って、千駄ヶ谷に民家を借りて、中共の法規の翻訳 (東亜法制学会) を執っていた。 近所にTさんが住んでいて、満州時代もお付き合いが有った関係で、Tさんがやって来て僕に
「中共の基本問題を執ってくれ」、
と懇請した。 三回謂われたけれども総て断った。 Tさんは収容所でも一緒だったが、其処で関係者に
「ソ連のスパイをやれ」、
と謂われ、帰国してからも金を貰い、抜き差し為ら無くなってしまったらしい。

其れで僕は、其の事を池田総理と大平さんに話したら、吃驚していたが、結局
「或の人を今直ぐに断る訳にはいか無い。 事は宏池会の問題では無く、政府・自民党の問題に成る」、
と謂う事に為った。 暫くして大平さんから連絡があって、
「この件に関しては絶対に口外し無い」
と謂う事に為った。 其れでTさんは最後迄、池田さんに就いて仕事をしていたのだ。
(総理側近、ソ連収容所ラーゲルにおいて早期帰国条件にソ連の間諜となる。同じ収容所で相談を持ちかけられたズシ氏から銀座の料理屋において佐藤聴取 ラストボロフ事件でアメリカ側からの情報を聴取した柏村警察庁長官が事実を認めている)

T : 日本は検挙しないのですよ、此処が〃和〃ですね。 独裁国家だったら直ぐにでも逮捕ですよ。 其の亡命したソ連の人間 (ラストボロフ) が何処まで日本の協力者に即いて喋ったのか、協力者が相当数在るでしょうね。 満州国から帰って来た人で、流言が起っている人も ――――。(軍僚から財界大物に転出した総理側近)

S : 大同学院の教官を執っていた時分、僕が何も頼ま無いのに政府の方で勝手に僕を〃兼任調査官〃にして、お金を増やしてくれた。其うしたら中国人は僕の処に独りも来無く為った。 日本人の感覚、本当に大莫迦だよ。 肩書きで調査が出来ると思っている。 僕は満州国の政府に即いて、中国人が如何考えているのかを訊いて歩いていたのに、其の肩書きが附いてからは、何も喋ってくれ無く為った。

T : 〝官〟の銘が附いていれば、其れは曾うでしょうね (苦笑)。

S : 其うしたら後で〃参事官〃にしてくれたけれども、僕は役所に行か無かった。(当時の上司は戦後熊本市長になった星子敏夫課長)

T : 何処へ行っても勝手だったのですか?

S : 何処を歩いていても。 上海に居る山田の長男と広東迄行った事もある。 但し居場所だけは知らせてくれ、と。

T : 其れ、スパイ工作ですとか特務と謂う事では無いですよね? 其れだけ、満州国の人事に余裕が有ったとも云えるし、其れだけ〝人心を掴めてい無かったのだ〟、とも云えますね。

S : 例えばね、中国では有力者本人が罪を犯しても身代わりが監獄に入る。 現金をやって、請け負いで行くのです。 日本人は其れを知ら無いで無実を死刑にて、裁判が間違っている。 僕は随分救けたのだけれども…… ―――。

T : 日本の方でも解ってはいるのでしょうけれども。 然し其れで、肅として死んで逝くのでしょう。

S : さっきの〃ラストボロフ事件〃でもね、柏村さんから質問されて初めて、確実な事が判った訳です。

T : 大平さんは大きなショックとして、頭に残っていたのでしょうね。 其れでも中国へ行きましたね。

S : 大平には〝思想〟は無い。 〝今だけ〟と謂う感覚だよ。 田中が北京へ征く前、中共の日本代表の…………名は何だったかな?

T : 嗚呼、横浜の・・〈 譚 〉!

S : そうそう、其の〈 譚 〉から僕は 「田中が北京へ征ったら、周 恩来にやっつ けられてしまいますよ」、と謂われた。(稲山経団連会長が呼ばれた、商売だ。そして次は田中総理だ。)

T : 何で中共の親玉が、佐藤先生に其う謂う咄をするのかな。 先生に〃国家観〃が有れば (田中訪中を) 阻止しますよね。

S : 大変な話を訊いたから自民党へ行ったのだ。 日本に送られて来ている (日本版の)『人民日報』を読んでも何も判ら無いけれども、向こうの (自国版の)『人民日報』を自分は読んでいるから、大体の彼の謂う事は解るのだ。
「今度、田中をやっつける」
と謂う意味が。 其れで、外務省の外郭団体の理事長を兼任している大臣の… ……何と謂ったかな (苦笑)、其の人に謂われ自民党の本部の会合で僕は講演をした。 其の会に大臣連中も四・五人いた。
「僕が直接訊いた人は間違いの無い人だから、田中首相が北京へ征けば必ずやっつけられてしまうから注意して下さい」と、伝えた処、其の場で大臣が首相に電話をしていたけれども、予想通り、田中さんは 矢っ張り僕に会わないで訪中してしまった (笑)。(周総理から贈呈された色紙の件)

第一宵 二坐 其一刻

S : 僕の家を県人会本部 (会長・松野氏) にして、青森県人だけでもご飯を喰べさせようと思った。 高粱飯と豚汁で。 狭いから皆立って喰う。 便所に行くと、トイレット・ペーパーも電球も盗まれている。 靴も (苦笑)。 そして然し翌日、再び喰い に来る。 コレ (奥方)、二人も産婆役で取り揚げたよ。 或る時、桜田って男が来て (自分の親戚を見付けて)

「あっ、オバさん!」、と謂うから
「君、我家にはこの通り家族や避難民だらけで満杯だから、オバさんを引き取ってくれないか? そうすれば、新しい人を一人入れられるから。 頼むよ」
と云ったら

「家の女房が体弱いので駄目だ」
って言い訳するものだから、僕、怒ってね

「犬畜生、返れ!」、と。
四~五日したら謝りに来て連れて帰った。

T : 満州にソ連が侵った後ですね。 悲惨な状況下で、其の様な生活も在った訳ですか。

S : 政府の連中は高い米を売っていたのだ。 其れに僕は憤慨したから、次男坊に 「其奴(政府の手先) の店前で安い米を売ってやれ」、と云ってやった。

T : 北進論と謂う大政策の中で開拓団が満州へ征った訳ですが、〃王道楽土〃と謂う国策の下で其う云う輩が在たのでは、崩壊するべくして崩壊したと云う事ですか。 国策以前の【人間】の問題ですね。 学者は 〝If〈 もしも ~ならば、 〉〟 を遣って 「嗚呼だ、此うだ」、と曰くけれども。

S : 土壇場では国策も糞も無い、人間の問題だよ。 糞喰らえだよ、帝大を卒た奴は皆 駄目だ! (笑)。

T : 満州の高級官僚、高級軍人が須く体たらくでしょう。

S : 勅任官が留置場で僕に
「ターバンの時計をやるから救けろ」、と。全く情け無いよ。

T : この間、『教育勅語』の起草に関与した元田 永孚の『聖諭記』を読んでいたら、「帝大は、知識・技術の学問は有るけれども、身を修める学問が無いではないか。 江戸時代以来の藩校や塾を卒た重臣が在るから今は未だ良いけれども、果たして、帝大卒がいまのカリキュラムで国家指導者の任に堪え得るで或ろうか……」
と書いて有りましたが、 其の危惧が満州崩壊時に露呈してしまった訳ですね。

S : 〝記誦の学は学に非ず〟 だ。

T : 矢っ張り志と云うか、何か一つの絶対的価値を持つと云う事でしょうね。 時節で価値が換わるのは善く無いですね。 全体の中の部分、【自分】を識る事ですか。 教師が注入すると云っても、其れを次世代に教えるには手段・方法では無く、〝感動・感激〟 が大切ですね。

S : 不言の教えだ。 言葉も大事だが、体で教える。 困難を乗り越えて人間が出来て創めて、歓びが有る。 先生が其れを実行しているから、昔は先生を尊敬していたのだ。 或る時、中学校で 「孔子は女房を放ったらかしにしてオカマばかりほって」、と悪口を云ったら、漢文の菊池 ペロー先生が

「お前何ンぞ死んでしまえ、去ってしまえ」、
と叱られた。 是う謂われたら本当に退学なのです 。 退学したく無いから

「卒業したら、孔子様のお墓の前でお詫びをしますから、赦して下さい」、
と云ったら赦してくれた。 今考えると、能くも巧い事云ったものだと思うのだけれども (苦笑)。

其れで北京留学の頃、本当にお詫びに行った。 孔子廟も何も判ら無いので、本当
に難儀をしたよ (笑)。

T : 其処にいくまでの機会・試行錯誤・体験、其れが大事なのでしょうね。 僕も中国や台湾へ初めて行った時、言葉も何も解ら無いので不安でしたが、乗ってしまえばこっち占めたもので、感動・感激の体験でした。 此れが大切ですね。

S : あの頃、僕は人生の目標が無かった。 只、中国人が何を考えているのかだけを勉強した。

T : 人に接するのが好きだったのでは無いのですか?

S : 小学校五年生五十三人に何を教えても、直ぐ
「はい、解りました」
と答えるから一生懸命教えたのだけれども、試験前に何を訊いても誰も解ら無い訳、如何にも為らん (苦笑)。

T : 矢っ張り先生に注目されようと思うのじゃあ無いのでしょうか。

S : 其れで、中国の事は中国人に訊か無ければ解ら無いと思う様に成った。 学問の方向では無く、現実に引っ張られてコソコソと勉強した。 目標も体系も無い。 もう少し早く、人生の目標を持てば良かった。

T : でも目標に窮してくると、閉塞状態に陥ると云う事も有るでしょう。 僕が思うに、たかが人間のやる事だ、と。

S : 終戦後、中国人は皆、親切にしてくれた。 然も留置場だからね、極限の世界でしょう。 是の時初めて、中国人が解った。

T : 先生の様に、中国人社会に順っていても解ら無かったでのすか。

S : 迷惑が掛かるから本名は云え無いのだけれども、戦犯を管理する外事課長さんが僕を庇ってくれた。 僕は生徒と遊ぶのが好きで、子供が直ぐに僕に懐く。 其れを観ていた同じ小学校の先生が、其の外事課長さんだった。

T : 俗世的で無い人の評価って有りますよね。 日本人は肩書き等、俗世的なもので人を観て、其れ以外は何も察得ない (察無い)。 中国人は観え無いものを察る能力が有りますね。 個人で人の価値観を察ると、〝好きか・嫌いか、善か・悪か〟 どち等で判断しますかね?

S : どち等かなあ……。 難しいが、命を救けてくれた中国人、この日本では (同じ種類の人間は) 考えられ無いよ。

T : 協会のTさんはご存知ですか? この前、大連から来たお客さんと三人で食事をしたのです。 先方が立場上覚悟の上で、敢えて云ったのです。
「之う云う席では、〝東北三省〟と云う言葉を遣ってくれと謂いましたが、戦後生まれの僕は満州と云う教わった言葉しか遣えません」
云々と自分の考えを率直に陳べたら、大連から来たお客さんその場で怒っていたが、新宿から池袋のホテルに送っていく途中、あなたは嘘が無いと、
「今度大連に来たら、二人で良い仕事をしましょう」
と迄謂ってくれました。幹部です。

S : 中国人の本性は其うなのだ。 皆向こうが救けてくれた。 逮捕されて却って良かった。 僕のリュックだけ差し入れで一杯。 看守は初め、威張っていたが、後に優しく為った。

T : 自然の三欲 〝食・艶・財〟 で表現されることが、自然の流れで正しいのでしょうね。 人間も自然で在るべきだ。 斯と云って、禽獣とは違うのだけれども。

S : だから中国では、天下・国家は所謂 〝お噺し〟 に為る。

T : 現在の改革開放路線で〃拝金主義〃に成り、其う謂う善い部分が消えて悪い部分だけが残ると云う恐れが。

S : 政治が良く無いからだ。 中国人は公の席で政治は語ら無い。 政治は不文律で、公の席は公文書だからだ。

T : 六月三日の天安門事件で彼等学生は、日本人が考えて在る以上に命を懸けて在たと謂う事ですね。

S : 如何解釈したら良いのか、難しいな。 例えば紅衛兵のやった事でも、人を殺して喰っているし。 実態をレポートした本が此処に、未だ目次しか読んでい無いのだけれども。

T : 此う云う本、中共でも出せる様に? 嗚呼、台湾で。

S : 記録を持って、夫婦でアメリカに逃げたのだって。 其処で英文に成り、其れが日本語に成った。

T : 人を喰べる文化は中国だけでは無いのですよね?

S : 世界中至る処に、其の歴史は在る。

T : 変な話ですが、人って美味しいのですかね ?

S : 簡単な論理。 (自分の) 肝臓が悪ければ (健康な人の) 肝臓を喰えば、体には善いと謂う。 (話が変わって) この前、カジ園さんが来た。

T : 十二月十九日の或の件を訊きましたか、王 荊山さんの?

S : 少し訊いた。 高梁を百トン運び、塩・油を無償でくれたらしい。 総指揮者は劉 ショウケイ(?)が執って、其の物資を平山 (副知事) が受け取って横流しをした。(満州の財閥 その普遍的な人情は特筆されるものだが、それゆえ敵に協力した罪で銃殺刑に処される)

T : 平山が横流しを!?

S : 平山は留置場に唯の一回も、差し入れをした事が無い。 関東軍のやった事を僕は知っているから逮捕されても不平不満は無いが、奴等は見舞いも何も無い。 其れで栄養失調で皆死んでしまった。 終戦後、露スケが侵って来て避難民が新京に集まって来た。 処が関東軍の奴等は 「露スケが来た!」、と聴いただけで、弾の一つも長春 (新京) に落ちて来ない内に、皆逃げてしまった。 僕らが長春に着くと、関東軍の宿舎には、誰独りも居無かった。

T : 高級将校がですか?

S : 兎に角、独りも居無いのだ。 其れで
「如何したのだ?」
と訊いたら
「ソ連が来ると謂うので、関東軍は皆逃げてしまった」
と訊いてやっと解った。

僕が憤慨して総務長官の処へ行って初めて
《関東軍の命令で電話線も三ヶ所切断した》と謂う事も判った。 兎に角、酷い事をやったのだ、関東軍は。 ソ連が侵って来て、略奪と強姦で日本人は右往左往した。 憤慨して、総参謀長の処へ相談しに行ったら 「日本の女も悪いよ、ケバケバしいから捕まるのだ」、と。

 もうお話になど、到底為らない (苦笑)。 公使は
「私は昨日迄は公使でしたが、今は唯の避難民です」、と
ほざいた。 僕の傍らに、カジ園さんが連れて来た横山さんが在て
「この野郎、殴り殺してやる!!」
物凄い剣幕だった。

横山は日本で蒋 介石の銅像を二つ建てる計画を発てたが、資金トラブルで銅像が独つしか建た無かったので、責任を感じて自殺した。

T : 処で、或の平山 (其の時は日本人会会長) ですが、日本の女性を売ったのですか、 差し出したのですか? 金で。

S : 金を貰ったのか如何なのかは判ら無い。 終戦翌年の五月十九日、新京のホウラク劇場で平山主催の日ソ友好大会があり二十日に五百人の女性を出したらい。 カジ園さんの噺に拠れば五百六十二人だ。 何にしても、出したのは確かだ。

T : 其の後、(彼女達の) 消息は何も無いのですか、現在向こうから残留日本人婦人 (孤児) が来ていますよね?

S : 善い意味で、残っては在無い。

T : 要するに、日本人に罪が在る訳ですね。 満州関係の援護の人で、誰独りも手を差し伸べては在無いですね。

S : 本当に悲惨だった…… ―――― 。 結局、計画を長引かせる程、賄賂が多く得れる。 誰から貰ったのかは判ら無いが、田村は其の金で妾を拵えたよ (苦笑)。

T : 三井からでしょう。

S : 誰から金を貰ったかは判ら無い、三井かどうか ――― 。 山田 純三郎叔父も僕も貰った事に為っているかもしれ無い。 桂公使 (戦犯容疑者) が山田 純三郎の処へ行って玄関で土下座して
「救けて下さい、私が誤魔化しました」(満州国の不動産売却)
と叔父にはっ切りと謂った。
対外財産の件は蒋介石が辛亥革命の先輩である叔父に任せると厳命していた。

カンウン会が留学生九十七名連れて来て、相模女子大学に入れる積りで松平キトや山口重ジ が奔走したけれども、金の見通しが着かず結局、武蔵境の日本経済短期大学 (現・亜細亜大学) に入れる事に為って、其の経費は善隣協会が二千万円出すと云う約束で其処に入った。

之は何処迄が本当かは判ら無い。 カジ園さんが三井鉱山の山川 良一の処へ行って、生徒を救ける為に更に金を借りて来た。

つづく
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