「人間学の不確定性原理」
国策研究会元評議員 村岡聡史
序 名曲の調べ
寳田先生と航空自衛隊幹部の講話応答を内々に拝聴しました。
聴く人も講じる人も拍子が見事であり、あたかも名曲の心地よい「しらべ」を聞いているようです。私にはその言葉をもって表現したい。
従而、以下は「屋上に屋上を架す」ことになるが、暫しお付き合い願いたい。
思考の三原則について
原文のまま ≪ ≫内は補注
Ⅰ 根本的に考える
抽象性の強い言葉であり、何が根本的であるかを具体化して自身の思考とするのは難しい。とりあえず道具が必要である。例えば「認識の論理」と「実在の論理」である。
前者は理性による合理的、分析的思考法、後者は直感における矛盾律を飲み込む統一的思考、あるいは又、マックス・ウエーバーの「事実認識」と、「価値判断」も選(すぐ)れた道具とりうる。
ハイゼンベルグの不確定要素も重要です。彼は量子力学を研究する過程で、量子の速度(運動量)を測定すると、その位置が特定できず、位置を正しく測定すると速度が特定できない、という事実を発見しています。これは観測機械の技術水準の問題ではなく、量子の世界では原理的、根本的にそうゆうことなのです。
この「不確定性原理」の発見によってデカルト以来の近代合理主義、ニュートン以来の古典物理学の根底が激震した事件でもありました。
そして寳田先生の「人間考学」があります。このご時世に、浮俗の名誉にもならないことに熱中し、志操を継続している漢(オトコ)は、少なくとも私の知る限りにおいては、寳田先生しかいない。このことが、思考原理が応用行動に表れる「人間考学」の証なのです。
Ⅱ 長期的に考える
要するに歴史に学ぶことです。歴史の中にデーターとして積層された成敗の要因,人間の本性、時代の特異点など、すべてが含まれており、かつそれが人間の織り成す問題を考える糧ともなるのです。
つまり人間の問題を単なるアカデミックな学とするだけでなく、どのように活かし、他との関係に有効性を持たせるか、実際的行動が氏の説く「人間考学」なのです。
それは近未来の方向性を暗示してくれます。
Ⅲ 多面的に考える
基本的にまず三面で考えるのが実際は有効なのではないでしょうか。
イエスの立場、ノーの立場、第三者の立場です。立体的でもあります。例えばA、Bの両国が戦争に発展した。Cは中立とする。ABC共に戦争があるという事実認識は一致している。しかし、戦争の意義とか正義の主張などの価値判断については一致していない。
Aは聖戦を主張し、Bは正当防衛を主張する、Cは戦争それ自体を否定する。(各々の大義)
三者三様になっている。厄介なことに戦争は一端勃発すれば、戦争の物理的、生理的、心理的に連鎖反応が働き、緒個人の努力では制御できない事態になってしまう。
ここで転ばぬ先の人間考学。平和に王道なし、やはり普段から「不断」の人間なるものを追求しなければならない所以は戦争抑止にあります。
孫子は喝破している。「戦わずして勝つ」と。勝つための秘策がすなわち「人間考学」なのです。
ところで慧眼(けいがん)の士である皆さんは既に気が付いているかと思います。
「なるほど、平時においては思考の三原則(マクロ原則)は有効であろう。しかし戦闘有事の際に、三原則を思考する暇はない、いかに心すべきか?・・」もっともな疑問です。
有事、とりわけ待ったなしの戦闘中の現場に遭遇した兵士にとって必要なものは「サンカン原理」ではないか、すなわち「敏感な事実認識」「直観な判断」「瞬時の行動」であります。
ミクロの原理では「サンカン原理」が生死を左右します。
≪実践のための統御を阻むものは、個人的利益、ご都合、便乗主義、これを捨てて全員一丸となれば目的は達成される≫
緋桜
では、思考の三原則(マクロ)とサンカン原理(ミクロ)とは「人間考学」の上でどう関係しているのか。整合性はとれているのか。この点については一応の回答(解答ではなく)を提示したい。
結論から言ってマクロもミクロも原理根本は一つ。認識の論理からすれば(理性働き)説明は難儀だが、実在の論理(直観の働き)からすれば、根本は一つという結論に当然なる。
たとえば左右の関係を考えていただきたい。認識の分野からいえば左右は対立(並列とも)しているわけです。しかし、左は右の存在を前提にして、はじめて左を主張できるのです。
同じことは右にも言えます。要するに左は右を必要とし、右も左を必要とします。左右は一つの実在です。
≪無いものを補う、奪う、関係も生まれますが、人間に当てはめれば欲の抑制と昂進であり、ゆえにコントロールのすべとしての人物や人格で表す、「人間」が必要とされる≫
マクロもミクロも同じこと、一つの実在をある視点から観ればマクロ原則になり、他の視点から見ればミクロ原則にもなります。繰り返しますが、論はあくまで私個人の回答に過ぎない。
Ⅳ 人情は国法より重し
この真言は寳田先生の師である佐藤慎一郎翁の言葉である。佐藤翁は碩学と謳われ、中国事情の学問上の泰斗である。大陸では死線を幾度も経験した人物でもあります。その風韻は春風駘蕩そのものでした。寳田先生のご紹介で翁にお会いしたときの印象です。
その「人情は国法より重し」はまさに真言である。鍛えに鍛えた鋼の光彩を放っているがゆえに、翁の思索は国際的スケールを想起させる。
たとえば、国際人道法ジュネーブ条約に目を通していただきたい。
紙面の都合で精細は省略するが、その骨旨は、「人道は国益(国内法)に優先する」という言うことである。
要するに佐藤翁の体験に裏打ちされたその真言を西洋流に表現すれば記のようになるわけです。謂わんとすることは全く同じ。
Ⅴ 無名有力
矢次一夫対談集(原書房)という一冊の本がある。
対談者の矢次一夫は小学卒の官製学校歴ながら、戦前・戦中・戦後の政財界や労働界に隠然たる影響力を及ぼした人物です。
≪昭和史の怪物と称され国策研究会主宰≫
矢次氏は歴史学(現近代史)の学識においては官学の学者に優るとも劣らないものがあり、しかも自身の経験に裏付けられた活学となっている。その多くの著作は大学の研究者たちの重要な参考文献になっている。私事になるが私の歴史学の原点ともなっている。
自衛官の皆さんは既にご承知のことと思いますが、寳田先生のもう一つの学問上、人間形成に影響を受けた師は、碩学と称された安岡正篤師です。偶然なのか必然なのか、この矢次、安岡の巨頭が昭和四七年に新春対談をしています。
その中に「明治以降の官製学歴(学校秀才)が国を滅ぼした・・・」「徳性教育が欠落している・・」とか、耳の痛い話を痛快に談じている。
とくに注目したのは、焚書坑儒についての放談である。以下、要約を抜粋する。
矢次
今日はよい機会だから教えを請いたい。後世に残った大言論、大文革を思い浮かべてみると、もっとも言論が不自由な時代、生命を賭けなければものも云えないような時代に、大言論や大文革があるようだな。秦の始皇帝が学者を生き埋めにしたり、書を焼いたというけれど、後世、あの本を焼いたことによって、非常に文化的大損失だったという本があったか、あるいは、その時に殺された学者で後世のために惜しまれた学者がいたかなぁ。
安岡
いないね、大したものは、みんな山谷に逃げ隠れ(隠遁)している。
≪大したものは、世にうずもれ、無名有力の処士として生き続けた≫
そして、漢代になったら大したものがゾロゾロ出てきた。
この件を読み返すたびに、私はある一人の人物処士を想起する。誰なのか、すでに皆さんがご存知の人物です。
Ⅵ 結び 画竜点睛を欠く私の小論
第一段の「思考の三原則」と第二段の「人情は国法より重し」の二大テーマについて徒然に語ってきたが、画竜点睛を欠く感は否めない。私なりにこのテーマを回答として捻出してみたが、これは決して解答ではない。せいぜい問題提起のレベルに過ぎない。
解答を求めるあまり学びの真の有効性を無くすことは、官制学校が人物を作ると錯覚している人間のすることだと、耳にタコができるほど寳田先生から言われているが、頭の洗濯が必要だと痛感する。
ただ、土台(下部構造、先生は本(もと)という)の上に、上部構造というべき立場や職務、環境や価値判断が乗っかっていなければ成らないということである。
この土台(人間考学)が脆弱であれば、何を積み重ねても、幾分の努力をしても畢竟は砂上の楼閣に過ぎない。
解答は一つであるとは限らない。
≪臨機応変、縦横無尽の思考法の涵養≫
解答は一つと教科書的なテーゼに陥ると判断を誤り、成敗に深刻な影響を及ぼす。昭和初期の旧陸海軍の失敗の多くは、このテーゼに求められるといって過言ではない。
諸士の皆さんの姿勢を再見するたびに、その真摯な姿勢に心を打たれました。
どうぞ立派な指揮官として大成してください。加えて佳き人生を遂げてください。
寳田先生の「人間考学」が皆さんの任務職責、そして人間形成の上で意義深いものであることを願い、期待しつつ拙筆を擱きます。
平成三十年一月七日記す
イメージは皇居東御苑
次号へ続く