≪豪傑 加藤三之輔≫
T そういえは北九州の加藤三之輔先生は箸をどこでも持参していますね
M 箸???
S そういえば加藤さん、お金送ってきた お返した しょっちゅう連絡がくる 有り難いなぁ。 (北京の時は)困ったらアライさんのところへ連絡したらいい 日航か全日空の主任だから、北京の・・。そういえば、この前来た加藤(三之輔)さんの手紙に、宝田さんに宜しくと書いてあった
T 加藤先生は上京するとき私のところへ人を連れてきて、この人を頼むといってきた。だけど私より年上の人に学問させてくれ、と言われても・・・僕の郷学にはいつも案内を出している。 たしか静岡の池田篤紀さんの関係者だった
S いゃ 加藤さんには色々と申し訳ないよ
T 加藤先生は大東塾の影山さんの関係です それと下関の赤間神宮の水野宮司の関係で玄洋社の頭山先生の縁です 赤間には大連神社が祀られています
安岡先生に北九州に行ってきます、と云ったら、「豪傑がいるから注意するように」といわれたがその通りだった。会社の食堂で小倉の地酒に壱岐のウニ、そして興に乗ると自作の吟を大声で詠う。折角、東京から入らした安岡先生の関係者だ 倉光さんと八幡製鉄所の所長を呼びますかとか、薫醸(クンジョウ・・薫り重層されたような)の学はそのとき知ったものです いやはや豪傑でした。奥さんは浅草の姉御のような方でした
S 僕は加藤さんには何もしていないのに、申し訳ない心遣いだ。手紙が来たが返事も出していない、どうしてお詫びしたらいいか
T これ二年前の手紙ですよ。そのあと私が加藤さんをお連れしたんですよ
S そうだったかなぁ。社会党が君が代がいいとか、何が善いとか、総理の椅子のほうが良いんだね 。 社会党は手前(自分の意味)というのが何もないんだね
T もともと自民党と同じ穴の狢(ムジナ)だということが露呈しただけですよ 国会劇場の役者ですよ 税金を木戸銭代わりに出しても大根議員ばかりじゃ・・同じ利権集団ですよ
S 自衛隊は合憲だとか(変節して)・・・ね もう、どうにもならないなぁ 厭(イヤ)になってくる
T どこの政党もまともな人物がいなくなってしまいますね
S さっき言った苗さん、社会党を斜めに解釈する斜解党 共産党は共に悲惨になる共惨党 公明党は混迷党 自民は官僚任せで自ら眠る自眠党とうまいこと言っていたよ
T 苗(ミョウ)さんは洒脱な人でしたね
S あのね、党という字は黒を貴ぶと書くんです 今のように兄と書くのではないです。黒を貴ぶ人たちのグループだから当然、腹黒い人たちが集まるわけです。苗さんはね、三木には見切りをつけた 政治は善い人だけではいけない 決断なんだ。学者と違うんだ 中曽根には根が有るとは思えない 大平は真っ平だ 田中は一角の繁栄しか分からない 今の日本には日本人がいない 日本人が居ない日本なんて無い、といっていた
≪明治の女性≫ W・・・・モト夫人
T 明治の頃は女性ですら、つよくしっかりした考えを持っていた(社会、国家にたいして)
S 林君ね 僕は身体は弱くなったけど これ(ビール)は弱くない 内の婆ちゃんね、すごく怒るの僕が講演するから、味噌 醤油買ったことがない でも塩がないから二つ貰ってきたら婆ちゃんすごく怒るの 卑しい、ってすごく怒るの
T 塩じゃなくて、女性が足りないといえばよかったのに(冗談)
S いゃ いゃ、女性はもう要らない(笑い)
M 先生は授業でお話していましたよね 坊さんの前に裸の女性が居たらどうしたか 食べてしまうか食べないか、どうするかいわれた時、先生は僕はおいしく食べてしまうと、云っていました そして据え膳食わねば後悔するとか何とか・・・。先生はなんと正直な方なのかとおもいました{?}
S あのね、僕の悪いのはみんな忘れちまった(笑い) 僕は嘘ばっか吐(ツ)いている。悪いのはたった一つだけ覚えている 弘前で結婚してね 東京に来たとき昔の彼女が迎えに来てね 女房と二人を東京案内してくれた メシ食ったときその彼女、女房の前で「慎ちゃんの傍で死なせてね」そしたら僕は「あーいいよ、いいよ」と言ったそうだ。それから真っ直ぐ北京へ行った そしたら北京へ来ると彼女から手紙が来たわけだ
これ(モトさん)、ずいぶん悩んだらしいんだ でも、今日まで絶対一言もそのことに付いて言ったことがない これね、彼女から手紙が来ると僕に内緒で、ちゃんと彼女にお金を送っている 一言も文句言ったことがない 僕の迷惑かけたこと全部忘れているんだが、この頃この事だけ僕に文句言っている
「彼女、慎ちゃんの傍で死んだの」(モト大笑い)
やっぱり一番気にかけていたんだろうね
W 何で死んだの(モトさん少々忘却)
T 北京当時は女性に間違いはなかったんですか
弘前禅林 長勝寺
≪結 婚≫
S 僕は女に間違って自殺しようとした 一番嫌いな女だった 旅順だった。そして死ぬつもりで義兄(民生長官)に謝りに行った そしたらオレが解決するから北京に行きなさいと言われたんだ 自分はさっぱり分からない 死ぬ 死ぬと言っていた。お詫びしてその晩、死ぬつもりでいた そしたら北京へ留学の話でしょ 気が抜けて、もう死ねない そしてこれ(モト)貰って北京に行ったんだ。そのとき女が怖くてね 慎ちゃん誰か好きな人がいるか? というので、僕のために首になった女の人が居る(小学校の同僚教諭)
W ナンもしないのに、本当ですよ(解雇された理由 モトさん大声で)
S これ代用教員で、僕は本科正規の教員だ 本当だよ(笑い) 校長の奥さんも教員だったんだ それが佐藤先生は夜這いに行くって生徒に教えたんだ。何もないが、ともかくこれはクビになったんだ それから僕は職員室をぶち壊したんだ。それで、堂々とこれを八戸の自宅へ送ったんだ 何もしてないんだから、コレのお母さんに謝るわけでもなしね。そうゆうこともあってね 気になる女が居るということになって兄に話した。
僕の姉の夫で、旅順で一番偉い長官だから警察を使って調べたら、コレは十和田湖を開拓した名門の家ですということが分かってね コレは八戸女子高の優等生でね そしたら貰いに行け、と言われたんだが、もう訳が分からなくなった 片方は死ぬと言っていて、翌日は貰いに行け(モト大笑い)と言うでしょう 僕、金が無いというと、下宿代を貯めていてくれて、それで東京まで来たんだ そしたら、小さい頃遊んだ女の子と遭ってね それが慎ちゃんと死にたいと言った女だ 彼女がね、お母さんと喧嘩して何とかカンとか言うんで持っていた金を貸してしまった くれれば無くなるのは判んなかった(ハハハ) 結婚費用だよ
青森の切符はあったんで、ともかく親父のところへ着いたら、親父は呆れてね ともかく貰いに行け、ということで親父に手紙を書いてもって貰いに行ったわけだ そしたら親は僕のこと分かっていたんで、呉れるといったんだそれでね、結婚式はいつ、と聞くから明日と言ったんだ 明日では親戚も何里も離れているんで、と言うんで、明後日と言ったんだ(モト大笑い)
弘前城の冬
≪教 員≫
S 青森でね僕は教員、二回クビになって、最後に水師営の中国人小学校の教師になって、女に間違ってこの話だ コレの家、呆れてね、ところが東京で女に金呉れたんで満州に行く汽車賃がないんだ だからコレに、君ちょっと座れといってね 君、僕と満州にいくつもり有るかと聞いたんだ 分かっているから結婚したでしょ、と言うから それならお父さんから三等の汽車賃でいいから、オレとお前の分貰ってくれって言ったら、ハイと言って貰ってきた。僕、花嫁というものはいいなぁと思ったよ(モト大笑い)
M 当時、満州は朝鮮の方から渡ったのですか
S 朝鮮もあるけど、神戸で船に乗って大連に行くんです 大連から天津に行く船に乗っていくんです
S ともかく馬鹿話だなぁ。死んでくれと言った彼女は親戚でね お父さんは日本で一番早く理学博士になった人だ幼稚園までは遊んだ 彼女のお母さんは菊池九郎という人の娘だ。僕も菊池九郎の傍で育った
W 年も若かったでしょ 前から知っている人でしょ だから私の前で慎ちゃんと一緒に死なしてねって言ったら、あぁいいよって言ってるの(佐藤大笑い)
T 今では普通ですよね
S あーそうですか 年が若かったから
T 今の女性はもっと怖いですよ 安岡正篤先生が正明(長男)さんを四柱推命で占ったとき、女難があると言われたが、おまえは女性に難を掛ける側だと言われ参っていましたよ
S でも掛けられたほうがいいねぇ(佐藤大笑) 僕は本当に困ったよ 一番嫌いな女を跨いでしまった しかも枕を跨いだらはらんでしまった キリストは聖霊の子というが本当だよ(大笑)
T 色食財は本能ですね 理性とは違う 安岡正篤先生の奥さんが、あなたの周りには立派な人が多く集まって孔子、孟子の道を学んでいますが、下半身はだらしのない人が多いようですね、と言ったら先生は苦笑いをして、それだけはチョッと黙ってしまったと正明さんは話していたが、正明さんも黙って観察していたんですね
仁義の道を説いても妾がいたり、金儲けに夢中になったり
M それは善いことですか、悪いことですか
S 僕はね、ホッとするね 気をつけもいいけど、間違って悩んでいるほうがいいね
W それで間違ったの(強い口調で)
S イヤイヤ、婆ちゃん居るからこの話は止めるけど、僕ならホットする
W 私はそんなこと触れなかったものね
S 今、歳とって呆けちまったら、これだけ覚えている ハハハ
W 私は潔癖ですよ
S 僕はね、小学校の五年のとき教壇に立って、孔子なんかカカァおっぽり出しておカマばっかり掘ってばかりいて、といったら、次の授業は孔子を神様みたいにおもっている漢文の先生なのよ またそんな話はとこからか聞いて覚えているんだね 悪いことにその先生が入り口に立って聞いているんだが、生徒の誰も教えてくれない そしたらその先生言うに、お前のようなものは死んでしまえ、死んでもまだ足りない 見えなくなってしまえ、と叱るんだ。あの頃、先生が怒ると退学ですよ でもオレは記憶力は悪いが頭は良かったようだ
「先生申し訳ありません 学校卒業したら孔子様のお墓に参ってか詫びいたしますから許してください」、といったら、「お前本当にお詫びするか」と言うんだか、僕は孔子の墓が何処にあるのかナンも分からないが、それで許されたんだ
ところが僕のような男でも満州に行ったときから、お墓参りをしなければ、ということが頭から離れない 本当に行ったよ孔子廟。僕は中国で色々なところを歩いたが、いちばん気持ち悪いところは孔子廟だったホントーに悪いところだった 全村土匪みたいなものだ 三日間か四日間だったが、生きて帰ってきたのが不思議なくらい苦しんだ 中国で苦しんだのは孔子廟に行なったときだけ いまは観光地のようだけど、あの時は苦しかった ともかく僕は悪たれだった よく中学卒業できたょ. 君ね、僕を先生と言うけど、先に生まれたんだよ
W あたしたちは手も握ったこともなかったよね(モトさん突然)
S まだ僕はあの頃、色気なかったでも校長のカカァがね 生徒がコレ(モト夫人)に言ったというんだ コレは結婚してから僕に話した
M 中国に渡る最初のきっかけは
S 日本で一年に二回、首になった 師範は授業料がないが五年か六年の義務年限があるんで、どうしても働かなくてはいけないんだ でもね払わなくてもいいから辞めてくれと言うんだ
W お父さん、何か悪いことしたの
S 悪いことしない 生徒と朝から晩まで遊んでいるんだ。教えることがないから毎日遊んだ 毎日宿直した 生徒はみんな遊びに来るんだ。僕が馬鹿話すると生徒は喜んで昼も夜も遊びに来るんだょ
M 宿直はもうないですね
S あ、そー
T だから弘前に帰るとね 半年しか教えないのに、五十、六十の教え子が今でも先生が来たーと寄ってくるんだ
鶴田舞橋
≪故郷 津軽弘前≫
T 明治維新も鹿児島は私学校、萩は明倫と松下村塾 弘前にもあったが、みな辺境の地ですね 中央が腐敗すると地方の清新な学問が受け皿となって中央に押し寄せる。辺境は進取の気持ちに溢れていますね 松蔭も弘前に訪れています。高杉も西行に習って自分は東に行くと、東行と名乗っていますね。弘前も北前船で京文化の影響が強いところです
先生のおじさんの菊池九郎は戊辰の後、西郷に私淑して鹿児島まで行っていますよ 弘前出身者はかなりの数が外国に行っていることは事実ですね 山田兄弟もそうですね
S そうです 伯父のところは、二人はアメリカに渡って行方不明
後の二人は中国だ 僕の父もアメリカに行ってね
M 山田さんも辛亥革命と色々な関わりがありますね
T たしかに、先生、あそこに学問がなければ何もないですよね あとはリンゴ
S そう、何にも無い リンゴもアメリカ人が持ってきた
T 十和田も開拓したのは?
S アレは新渡戸稲造だが、実際やったのはコレ(モト夫人)のおじいさんだ
M 養殖は
S 虹鱒の養殖は和井内さんだ
東京より透明感のある自然に育てられた文化がありますね
T 弘前は大陸に近いですよね 江戸より外国に触れることも多いし、津軽海峡はロシア船の航行が頻繁ですよ 明治五年の東奥義塾の外人教師招聘による英語教育や結氷を待って樺太から徒歩でロシアに渡り中国に行った人は多かったようです
S 卒業生の工藤忠という人が居るけど、この人は満州国皇帝の侍従長をやった人だ 溥儀を天津から満州に連れてきた人だ これね、氷を渡ってハバロスクに行ったんだ そこで監獄に入れられたんだ それから満州に入って北京にいったんだ それから南京から甘粛省まで行ったんだ 中学校卒業してだよ それで一度目は苦しんだんで、それで朝鮮から満州、北京、甘粛省へ行ったんだ とうとう甘粛省の省長と仲良くなって、それが満州皇帝と親戚なんだ そして天津の溥儀のところに行った 一緒にご飯食べたんだ あれは工藤忠でなく本当は工藤鉄三郎というのが本当の名前だ
そのとき溥儀が、ちょっと飲み物がおかしい、とボーイを呼んだ すると工藤は平然と飲み干した それを見てみんなはあっけにとられたんだ それから溥儀皇帝が工藤忠という名前を付けてくれたんだ それ以来、関東軍が傀儡として溥儀を天津まで迎えにいったが、皇帝は頑として云うことをきかない それで奉天に居た工藤忠が迎えに行った そして衛口に上陸したんだそしたら甘粕大尉が迎えに来た その晩にトウコウシという温泉に泊めたんだ そしたら皇帝は、あんな人殺しを迎えによこすとはナンだ、帰ると言うんだ 一晩中、どうにもならなかった これは工藤さんから直接、聴いたことだ
工藤忠の先生は僕の父だ それで僕のことをまるで可愛がった どうしても帰るというものだから、関東軍は旅順に監禁してしまった そのあと色々と説得して満州に連れて行った。戦後、工藤さんと一週間旅館に閉じこもって録音テープをとった 工藤さんの家にある 整理するアレ(機会か・)なくなったけど、そんなこともあった
(溥儀にすれば)異民族だけど工藤忠の誠実な精神に参ってしまった 風俗習慣なんぞ小さな問題ではない 誠(真)は完全に通ずる 誠心誠意日本人として接触すれば、やり方なぞ違っても一向に差し支えない
あくまで日本人でいることだ 死ぬまで可愛がられた 青森県は知らん顔しているけど、千葉県が土地と建物与えて(工藤)子供さんが無いんだ 養子もらってね 日本大学かどこかに勤めている子供さん あの記録複写してね・・
T どちらにいらっしゃる
S 千葉のどこだったっけなぁ 調べりゃ分かる 言いたいのはね 昔の人がシナに行きたいと言ったら、その根気と努力 見てみなさい 歩いて行くんだよ 地図もないんだよ ハバロスクで監獄はいってね 言葉はナンも分からなくて南京、甘粛省だよ 馬鹿と言えば馬鹿だよ だかいまの日本では根性が亡くなってしまった
T 松蔭も山口から弘前まで歩いているんですよ 竜飛岬まで歩いて海峡を通るロシア船を眺めているんですよ 十月ごろは萩に雪はないですが、弘前は雪ですよ 当時は今より多い。行くんだ、と思えば他のことは無頓着になるんです。江戸から弘前まで二十七日ですが、萩から何日掛かるのか
S コレの弟の息子は親から金貰って、八、九年勉強していた そしたらロンドンの大学に留学できるようになったわけだ そしたら親に金を貸してくれといったんだ それから息子は金が無ければ往けないと言うわけだ これでは行ったってものにならないよ 僕は自分の息子を誉めるわけでもないが、日本に帰ってきて家も土地もない コレ独りで面倒見ていた オレは一つも家のこと構わなかった コレ独りで四人の子供を大学までやっているんだ コレ一言も文句を言わなかった 子供たちも働くばかりで勉強もできなかたが大学を出た
次男坊は原子力を勉強していたが珍しい学科なので就職先が無かった あるとき新聞を見ていたら、 ある会社で原子力の関係で採用された名簿が載った おとなしい子だったが、その会社行って、試験も終わっているのに採用してくれと談判に行ったんだ ことしの採用は終わったと人事部に言われたが納得せず重役室に乗り込んだ 重役は暇なものだから子供の話を聞いたんだ そのうち重役連中が集まって無理だ、無理だとからかったんだ どうしても帰らなかったんで試験をしてみた 教授の話しをしたら、なんだ早くそのことを言え、と言われたんだ この会社はその先生のお陰で出来たんだ そしたら先生は関係ありません、私は私です そしてね、とうとう採用されたんだ でも僕たちに一言も言わないんだ しばらくしたらアメリカ行きます、と言うんだ 金はどうする、と言ったら、文部省の援助ですと言うんだ
何で行くのだ、と言ったら、日本の原子力はまだ駄目です もっと勉強しなければなりませんと言うんだ そしてマサチューセッツ工科大学へ行って試験で万点取った そしたら大学へ残ってくれと言われ、会社にも手紙が来て残してくれと言う
ところが僕は日本のために帰ると言って帰ってきた メシも一緒に食ってやれない生活だったが精神は空腹ではなかったアメリカ政府が残ってくれと言われ、しかも給料は全然違う でも帰ってきたんだ、日本の原子力のためにね いまは学習塾に行っていい学校、いい会社 それも楽して金でしょ 日本が良くなるわけないよ 人間を一つも作ってないんだともかくコレ独りで育てた
≪帰 国≫
W お金なんも無かったからね(モト)
S いやいや、オレやるんだという気力が無かったら駄目だね
弘前に大きな家があったんだけれど、親戚がごまかして取ってしまった
みんな悪いことを見逃してはいけないと言うが、僕は要らない
取り返したら生活も楽だったろうけど、僕はそうゆうことはいやだ
孫たちと仲良く暮らせたらそれでいい、僕はそれでいい
家族は、お父さん馬鹿だと言うが、馬鹿でもしょうがない
W お父さんいい気分ですけど、大変ですよ
S お婆ちゃん、ごめん(大笑い)
コレ(モト夫人)に迷惑かけたんで一生懸命めんどう看ているんだが、コレ分からないんだ(笑い)
W 気が弱いんですよ 本当なら自分の子供が学校に行っているんだから・・
S そのとおり もうお婆ちゃんのいうとおり
T 僕らも同じことで悩む年頃で、人を理解しようとすると、最後に許してしまうのですよ 教育者は許すが、政治家や商売人は総じて白黒付けたがるどっちにしても後味が悪いことです
W 子供の場合はチャンスがあるでしょ 後はないことがありますよ
S はいはい お婆ちゃんにはごめんなさい(笑い)
W なんでも自分の息子のことをやるのが悪いことだと思っている
T それは確かにね・・・ (話をさえぎるように)
S 満州の大同学院の教え子が来てね、避難民と一緒にご飯食べていたんだ そしたらね、僕が居ない留守だった 京都大学出た奴だ 大人が居なくて子供ばっかりだった 台所に誰かいたが、玄関に置いてあった、米、味噌、醤油をかっぱらって車で逃げたんだ 次男坊が怒ってね なんていう奴だ、と言う それがね一昨日来てね、ちゃんと名前教えたんだ 僕はそいつを知っていたんだ 戦後、戻ってきて内閣調査室の依頼で中共の法規の翻訳をやる研究所をつくっていた そしたらその盗んだ人がね 飯食えなくて困っていたんだ そこで 僕知っていたけど さあ、いらっしゃいといって彼を働かせたんだ。能力あるからね 僕は所長だよ 月給は僕が決めるんだよ 彼は三万円、僕は二万円 女の事務員は一万二千円か三千円だかね
W だけど味しめてまたやるのよ 他でもやるよ そうゆう人はハッキリ教えてやらなければならないの
S 僕できないの
W それじゃ駄目だよね 先生
T その方にそこまで面倒をみたと言うことは何かあるんですか
S いや、僕は人間っていうのは、そうすべきだとおもうんだ
不自然でもない、覚悟でもない 困っているなら丁度いいから、との気持だ 翻訳してください、という気持だけだ
≪良妻賢母≫
W 自分の家のものが苦しんだら・・(怒って)
S (さえぎって) そのとおり ごめん ごめん お婆ちゃん、今晩大事にするから(笑い)
W 馬鹿みたい(笑い)
S 僕のできないことをやってくれる人だから、給料は僕が決める
W 遠慮したんでしょ
S 僕は遠慮しないよ
W だって・・ね
S お前にはかなわないよ 僕はね・・・、
W 順序というものがあるでしょ
T その後その人は
S やっぱり、最後まで良くなかったようだね 僕のところをやめた後でも・・・ お婆ちゃん、ごめんね ハハハ
W 物はいいけど、そのときやらなければならない勉強があったのに、他のことばかりで、そのこと、ちゃんと考えて欲しかったの あとでねお金はどうにでもなるけど
S うちの子供らは三人来ているけど、みんなお婆ちゃん々で一生懸命やってくれる、だれもおじいちゃんって言わないよ ハハハ
W 気が弱くて駄目ですよ
S いま思い出して文句言うけど、働いているときは一言も文句言わなかったよ 全然、言うたことない 生活苦しいとかね・・ ともかく不平不満は言うたことない 今、いうの 今
W だって我侭(ワガママ)で言うとおり生きなければならないもの
S コレに掛かるとオレもうどうにもならない
T 不平不満も生きている証拠
W だけど、いいことではない
はい (男全員で)
S 今度生まれてきたらちゃんと出来るように直します
W なにも出来ないことをやれと言うんでない、ありのままでいいのよ 善いは善い 悪いのは悪い
S はい ハハハ ともかく絶対文句言わない 最近ね、用事なくなったから思い出してね言うんだ
M 先生も奥様に弱いんだと・・
S だめだね これじゃ先生にならないよ ハハハ
T 女性はそうおもうけど、男のやっていることはいい格好しいに観えるんだね
唯ですね、男が社会的な優しさと女性の家庭を切り盛りする厳しさは、なかなか分かり合えない 白黒より灰色がいいんでしょう 男も女も若いうちは妙な欲があって悪いこともします ところが取り上げてやり込めても騒がしいし調和ですねそれが我慢とか愛情なんでしょうけど、昔の人間は違いますね
W 両方必要だね
T 男が自由にやりたければ端から結婚してはいけないね 後から分かることだけど・・ でも、あなたが居たからここまで出来たということもありますね 感謝も制約があればこそ 独りなら感謝も起きない 感謝の心が芽生えるのも、迷惑かけた人が居たからですよね 先生
S まいったなぁハハハ
T 当然、陰と陽だから、合わさって力が出ることだから
W 自分の子供に対して責任持つ必要があるね 一応・・ね 子供つくったら
T たとえば赤紙(召集令状)持ってこられたら、いかなければ家族全員が非国民でしょ そのとき、貴女と家族を守るために死地に赴くわけでしょ 悲惨ですよね でも争いを避けるのは何も政治家や役人だけに任せるものではないでしょ 一般庶民が不特定多数の不幸の到来を予測して公に向かったとき、金ゃ仕事、ましてや家庭本位では済まないときがありますね 男の社会的責任は苦しい環境におかれますね
M その時代の女性は、つよかった人が多かったですね
T よい意味でつよかった いまは烈しい 戦争になったら男は逃げる 女は離婚するでしょう おかあさんみたいな女性なら、男は育ちますね
W そうですかぁ (大笑い) お父さんみたいになってしまう ハハハ
T 昔の男が世間で優しかったというのは、そういうところでしょうね 例えば大事な話をしているのに、ちょっと女房が煩(ウルサイ)いので先に帰ります、ではまともな話は出来ません 子供の幼稚園の送り迎えが・・妙な理はあるが義や仁が微かだ 公私の私にあるマイホームもホドが大切です
M 出産に立ち会うのが流行みたいですね
W へーそうなんですか 昔は男の人は寄せなかったですよ
T 男が子供を見て、女性がショッピング 女厲ですね (女厲・・女が烈しくなる)
S 家庭と外との生活が違いますからね やっばり 両方よくないとね
T 調和ですね
つづく