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まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

視察などもってのほか、見学が先だ  あの頃も

2023-08-28 08:19:52 | Weblog



公務員のお手盛り視察は予算残余の帳じり合わせと聞くが、議員のそれは与野党そろってアゴアシ(交通費、食事)付、土産に報告書の代書までついてくる。それほどタダの毒饅頭は恥いる暇のないくらい美味しいものらしい。中味は、さもしさ、卑しさの詰まった効き目のある毒饅頭、競って手を出す習慣性もあるらしい。

 




ゴマメの言いがかりだが・・・・

「視て察する」、これは相当熟達した教養がなければ難しい。
「見て学ぶ」は、知った。覚えた、そのくらいのことだろう。
文部省の官製学校歴を幾ら積もうと、いや、積めばつむほど判らなくなる。
ただ察するのではない。「明察」に達しなければ単なる暗愚のそぞろ歩きである。

あのとき菅総理が災害被災地に視察に行った。遅いも早いも問題にする方もおかしいが、察することができるなら音声や映像視覚でも用が足りることだ。現地の実態視察によって用が足りるのは別の意味からだろう。流行りのパフォーマンスもあろう。

ちなみに菅総理が行ったときヤジや罵声が飛んだ。あくまで国民の感覚的印象の一声が飛んだが、仮にも選挙で選んだ総理である。逆に小泉議員が行くと黄色い嬌声が巻き起こるが、これとて政治なるものでない。







両者の好き嫌いはともあれ、陛下が膝を折ると鎮まりの中でその忠恕心に涙する。権力はともかく威力がある。それはとてつもなく大きい。
しかも過不足を哀願したり、批判することはないが、被災者のあてどころもなくも、やりきれない心を慰めとともに自省や自立を抱かせる威力だ。それを癒しというのだろう。

つまり国の政治とは、金や資材の提供だけではなく、自立心と努力に相応した成果なり価値観をつくるための自由を担保・護持するものであり、人の善性の喚起を援け、それによって人々は「分」を得心し、親和力を促す作用なのだろう。
「分」とは自然界に生息する人間種としての弁えと、調和によって役割を知ることだとおもう。






PKO自衛隊員



事件の証拠集めではないが現場を見なければならないことも多々ある。
匂い、感触、感動、など言葉や文章で説明しきれないものがある。たしかに高給取りが持ってくる多種多様な情報が錯綜し、四角四面な成文法に縛られていては用が足りないことも斟酌できるが、先ずは総理がしたことは「見学」が適当である。

目で見て学び、その後、推察、洞察することである。
なにか文字にすると軽薄に感ずるような「見学」だが、いい加減に言葉の意味を解釈すると解釈がスキップして妙なところに着地することになる。やたら、゛文句付け゛を食い扶持の種にしている輩に気をとられていると沈着冷静な判断ができなくなる。
もともと荷が重いことも知らずに背負った立場だが、せめて松戸市の「すぐやる課」なみのフットワークで現場を見学して欲しい。

総理の政治経歴もそうだが、政権内外には、゛いまさら゛という気分が立ちこめている。
内には自衛隊違憲、大企業の横暴、米軍への感情的嫌悪を党是としていた群れがあり、一種の逡巡と衒いがある。
外には卑小な阿諛迎合と現世利益を当て込んでいた民情の流れがあった。その圏外には儘っ子扱いされた自衛隊や現業職員が被災地の前線で辛労している。その解けない気分の方が辛い。

民情の流れの中には真摯に可能性を探りながら自活と自制を心がけるものがいる。陛下のお暮らしとメッセージはそれを後押しした。一方、鬼気せまる形相で買占めに走る、多くは戦後生まれの婦女子の大群がいる。落ち着いたが、それも反省ではなく飽きたのである。

まともな人間はそれを見学した。愚かさの反面教師である。そして彼女達は社会熱となった義捐募金に乗り遅れまいと参加し溜飲を下げて、その貢献の大小なりを語り合っている。
今こそ己の内と外を学ぶ良機だ。その点、家庭も学ぶべき場だろう。先ずは童に傾聴することだ。学校は何を学び、社会は何を教えてくれたのか。そして言志をなくした雄の子はどう学び、覚醒するのか。

そして「察する」こと、つまり他への忖度から忠恕に高めることが促がされるだろう。
文献や考証学、はたまた他に説明できるものに意味をおく知学の土壇場の無力を、人の倣いとして察することだ。それは潜在する能力や情緒の確認であり、己の再発見となるだろう。

徒な批判、右往左往する行動、それは先ず「見学」、そして「観察」が大切なことだ。
「目で視る」から「観る」、そして察する。この順序が狂うと結論が逆になる。









「陛下、今年は涼しくて何よりで・・・」

『東北は冷害で大変だろう』

「陛下、雑草を刈り取りました・・」

『名もない草木でもそこで生きている。やたら刈り取らないように』










どうも世俗の学徒とは観点が異なる。それは幼少期の乃木学習院院長や青年期の杉浦重剛の倫理御進講の由縁なのだろが、戦後は一時期を除いてその人間学(帝王学)に沿う宰相には遇うこと難しだった。(経師、遭いやすく、人師、偶いがたし)
かといって四角四面の固陋な気質ではない。
「入江は食べ過ぎだっのか?」
入江侍従長がなくなった折に卜部侍従に下問した言葉だったが、健啖家の入江侍従長の死因に関する素直な疑問ではあるが、洒脱とも思える述べ方は筆者と卜部氏が理解した阿吽の双意だった。

察する、思いを寄せる、倣うべきは学び舎の数値ではなく人物から倣う。
それは、縁あって棲み分けられ、日本人として呼称されている人々の情緒は、その倣いを許容し理解する器量が矜持でもあったはずだ。。

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日本の兵士 もう一つの情景

2023-08-23 01:32:45 | Weblog

今から35年くらい前に「新勢力」という雑誌があった
そのころ「新日本協議会」という安岡正篤、安倍源基、木村篤太郎らが発起した会もあった
伴氏が記す葦津珍彦氏も筆者はそのころ邂逅した。

当時は学生運動、マージャン、ナンパが若者の流行りだったが、どの様な訳か明治の老海に小船を漕ぎ出した。
それは同年代とは別の航路を辿ったようだ。
もちろん同年代は皆無、海は荒れたり鎮まったりしたが揉まれる海はは豊饒だった。
孫のような小僧は独りぼっちゆえか可愛がられ、いじられ、督励されて老海の恵みを浸透させた

戦時中、葦津氏は現地に赴いた。以前ブログに記した若杉参謀こと高松宮親王殿下も現地で日本軍の現状を憂慮した。いま騒いでいる朝日新聞も筆を折ったのか、肉体的衝撃を案じてせざるを得なかったのか掲載をためらった。もとより高学歴の立身出世組は今と何ら変わらない。

葦津氏は今どきのカテゴリーででは民族派、右翼、靖国派と云われるが、是非の峻別は人道を基とした人間愛であり、そこに日本人の教化を描いた。

組織は往々にして愚直で無教養を率いなければならない時がある。とくに軍はそうだ。
それは理屈で命を考えることなく、的(まと)にできる人たちだ。そして皆、その成果に訪れる欲望の充足に一過性の安逸を覚えるのだ。
皇軍、聖戦といわれた戦闘行動も結果はそうだった。
そして、朝日を始めとする新聞はそれを国民に知らせなかった。

戦後の葦津の訴えや行動は浮俗の未熟な色分けにも応ぜず、神道や靖国、そして日本人のあるべき姿に傾倒した。
戦中は危険人物と云われたが、それら迫害、妨害した彼らも含めて神道や靖国に包み込んでいる。
右翼左翼を問わず、日本及び日本人への問題意識として、彼の所業はいま再び甦ろうとしている。






中国を虎視眈々と狙う列強



以下は友人の伴氏の萬晩報の寄稿をご紹介します


「驚くべき日本兵の蛮行 葦津珍彦私家版史料から」

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伴 武澄 (2013年8月19日 20:52)

「萱野長知・孫文関係史料集」の中に驚くべき報告がある。葦津珍彦というどちらかといえば靖国派に属する研究者が中国で見聞した日本軍兵士の蛮行を綴った文章である。

 昭和13年だから1938年、日中戦争が泥沼化していた時期の話である。中国が最近になっても日本を許さない歴史的背景の一光景であるはずである。

 さすがの葦津珍彦も戦前には発表していない。戦後になってしかも友人に配ったパンフレットにしか書けなかった事実なのであろう。


 






視察報告記 上海戦線より帰りて
         昭和13年1月 葦津珍彦

 今や中支全戦線は、日本軍に依って荒廃に帰して終った。総ての財物は掠奪せられ、総ての婦女子は辱しめられた。かかる悲惨事は、凡らく近世の東洋史の知らざる所であらう。

 激戦の後に一つの町が占領せられる。民家に兵が突人して来る。「女はいないか」と血走った眼が銃剣をつきつける。恐れ戦きつつも、愛する者のために、男は「いない」と答へる。兵は二三発の弾丸を放つ。弾声に驚いて女の悲鳴が聞える。兵は男を殺して女を辱しめる。かくて数千の夫や親や兄が殺され、かくて数万の女が辱しめられたのである。

 兵はあらゆる所で掠奪した紙幣や貴金属を携へて行軍している。部落部落の牛や豚や馬は片端から徴発されている。五十円、六十円の牛が僅に三百万分ノ一(二銭)の値段で徴発せられる。戸棚も寝具も、衣類も引ずり出されて焚火の燃料に浪費されて終ふ。

 かくて数百里の間、中国の地は蹂躙しつくされようとしている。
 この日本軍が皇軍と僣称する事を天は赦すであらうか。
 我が日本民族の清き血を伝へ来った人々は之を赦し得るであらうか。
 天誅は必ず来るであらう。必ず来らねばならぬ。



 今や祖国は功利のどん底から理想の天涯へと飛躍せねばならぬ。然らずんば、亡国は遂に避け得られぬであらう。
 私は抗日戦線の華と散った数千万の中国の青年子女達に対し、心からなる哀悼の念を禁じ掲ない。私は諸君とこそ力強い握手を交し度かったのである。

 祖国を守らんとして、弱く後れた祖国を防衛せんとして山西の天険に、江南の平野に、若き命を棄てた諸君の生涯は美しい。
 私は諸君の如き中国の青年子女が数万となく失はれた事を想ふ時に、人生の淋しさをしみじみと感ずる者である。

 私は閘北の戦線で諸君の最後を想像した。
 諸君の行動は、真に真摯であり、情熱的であり、精悍であり、又純粋であった。
 諸君は実に中国民族の、否東洋民族の華であった。
 私の知友の一人は、戦線に於て諸君と百余日間(以下滅失)
 
 葦津泰國蔵。葦津珍彦が一九六七年知友に頒布した私家版のパンフレット(書名なし、非売品)より。葦津については本書四一六頁参照。




当ブログ拙章 参考参照

≪三笠宮崇仁親王殿下(若杉参謀)に倣う  憲法改正へ向かう前に≫

http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t/e/27243d4c240115a7be9510e936596c41











以下関係サイトより参考抜粋

靖国神社、そして葦津珍彦 - Living, Loving, Thinking

 葦津珍彦氏は、在野の神道史研究の大御所で、神社本庁創設の中心人物。戦前は東条内閣批判のビラを国会議場でまいた。検挙もされた。戦後の61年、天皇制支持の寄稿が雑誌ごと廃棄処分された「思想の科学事件」の渦中の人でもある。

 調査会が設置されていたのは戦後十余年のころ。世間には戦争指導者への批判が渦巻いており、A級戦犯合祀は靖国批判に火をつけかねなかった。当時の宮司は、皇族出身の性格温和な筑波藤麿氏。珍彦氏は筑波宮司に代わり、総代会の最強硬派である青木一男・元大東亜相らを抑え、「国家護持が先だ」と説き伏せる役目を担っていた。

 筑波宮司の後任、松平宮司の「抜き打ち合祀」に対し、珍彦氏は79年7月、ある小雑誌に匿名で「信教自由と靖国神社/戦犯刑死者合祀の難問」と題する論文を載せ、この中で「国の公式命令による戦没者」に限定した「靖国合祀の条件」があると主張。「神社にせよメモリアル(国家施設)にせよ一定の限界を立てることは極めて大切だ。国に功のあった人を片端から祭れなどの俗論も聞くが、表敬者の心理集中を妨げる」と論じた。

 極東国際軍事裁判(東京裁判)を否定し、A級戦犯の処刑も「戦死」であるとする考え方について「それならば東京、広島、長崎、旧満州(現中国東北部)はじめ外国軍に殺された一般市民が50万人以上もある。その『限界』はどうなるのか。悲惨な敗戦へとミスリードした責任者もある」と批判的見解を例示した。神道信仰や戦争責任を問う立場から、A級戦犯合祀に疑義をぶつけたのだ。

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お金に卑しい教員と議員が国を覆っている 2017・9 あの頃も

2023-08-13 02:41:59 | Weblog

 

ごまめの歯ぎしりのような気分になる

 

むかしは恩師 いつ頃からか労働者教員

公立、私立を問わず、ことなかれ ヒラメ 下剋上。

それは政治家、官僚も揃って自浄すらはたらかず、ますます増殖している。

今は上も下もないが、互いに譲り合ったり、敬重の念もいだく心の動きすら覚えなくなった。

 

 16 .9  稿 再

テレビでは扱わないが多くの教職員が教科書会社から金品を貰っているという記事が、数年前からたびたび掲載されている。夜店の縁台ではないが安倍政権の一次・二次と必ずと言ってよいほど教育改革が政策の高位を占めている。女房友達の元塾経営の議員も二次では文部科学大臣に指名され、ついでに所管の文教の関係なのか、各派閥の手つかず臨時利権のオリンピック担当相も兼任していた。まさに我が世の春の様相だ。

だだ、塾を取りまとめて株式会社の学校経営を新規政策として動いていたが、肝心の後援会のボスが補助金搾取の容疑で検察の捜査にさらされている。本来は捜査二課の範疇だが検察が動くことは余程のことがあるのかと推測されている。

おかげで旗振り役は内閣改造でお役御免かと思ったが、お友達は特別補佐官として目立たない官邸の奥に籍を置いている。

彼ら思い付き政策の立案者たちは教育政策の視察として欧州に行ったことがある。明治初頭にかぶれた西洋模倣で陸軍はドイツ、海軍はイギリス、そして教育はフランスの啓蒙思想に染まった制度を真似している。

あの本当にそのものがあり得るのか解からない「自由・平等・博愛(友愛)」を謳うフランス革命の市民教育の模倣だが、ついでに人権や個性なるものが入る道筋をつけた。ただ、それが可能かどうかは別として言葉としては素晴しい理念だが、抗論、煩悶の種になっていることも事実だ。それも進捗して解決の糸口さえない。

その合理的と言われる教育制度が果たして地理的環境にも、あるいは習慣化され涵養された民風(情緒)の由縁すら斟酌することなく、富国強兵の具として便利・簡便に用いられ、人間を数値選別でその効をくくる教育制度化出来上がった。

その結果が立身出世は軍人と官吏が早道とばかり、拙速な試験選別、競争育成が為され、その積み残しが忠恕心や情緒の希薄なエリートなるものを生み、その齟齬は歴史に多くの惨禍を遺し、人間教育の主なる要点となる人物涵養に多くの欠陥を生じている。

 

             

         岡 潔 氏

        

そしてまた、西洋に倣おうと議員が団体で押し掛けた。それをバックアップしたのは一家言ある古参議員だが、この友人に会った折、古参議員の選挙区には山田方谷という人物がいて理財論をもって藩を立て直し、旅人がその領地に入ると当時の徳目である勤勉、正直、礼儀、忍耐、応答が整っているのがすぐ分ったほどだ。松代の恩田杢、石田梅岩、みな良質の習慣性と教育が調和した藩政だった。なによりも指導者はそれを行うために、身を正し、ぜいたくを慎み、民の信頼を得て財政も教育も整えられた。いまさら明治以降の人間変容の轍を、またもや西洋から仕組みを拝借する知恵のないことでは、善なる変化は起きない。視察団の議員の中で英国の学校に箔付けで入学させている者もいる。それが志を持った議員の視察なのか、伝えてほしい。と話したことがある。

 

仮に議員としての選良意識にある自尊や職業冥利が、その目的を名利獲得や衣冠にあると先ごろの富山の市会議員のような偽領収書まで作った給与詐欺が起き、教員においても教科書選定における分り切った贈賄まがいになり、その類は体操着メーカー、修学旅行の旅行社、内申書かさ上げの便宜など、さすが頭のいい(実は狡猾)職分だと感心する。

 

議員とて、視察に行けば旅行費から小遣いを浮かせる舛添モデルが横行しているが、これとて旅行社指定は便宜が利くもの、またそのアドバイスは同じ税金食いのプロ仲間の議会事務局が伝授している。

教科書会社のT書籍の営業が語るに、教科書に掲載されている書家や絵画の作家に色紙や小額を作ってもらい選定者である教員に渡し、作家とて教科書に載ればグレードが上がる算段だ。昔の国会議員も絵画でマネーロンダリングしていたが、あの平和相互事件の金屏風もその類だ。教科書のついでにアンチョコまで作ってもらうことも常態化している。

 

                    

         真に頭の良いということは直観力が優れていること  安岡正篤氏

 

いっとき、教科書問題、つまり南京や慰安婦の記述の字句いさかいがあったが、そんなことより現場の教職員の官吏的堕落のほうが問題だが、その劣化を是正する処方はいまだ見つからない。つまり売文の輩や言論貴族は教員と似たような臭いを持っているからだ。

また、そこに問題意識があっても看過する、似たような文部官僚や議員とて五十歩百歩な状態がある。生徒や親とて子供の教育年限が終わると、喉元過ぎれば・・・で忘却する。

それは、いつの間にか劣化、退廃、腐る経過を無関心に繰り返しているだけのような状態だ。

 

同じように社会も自立性が衰え、鼠色のフラットな社会なり国家が出来上がり、時たま内外の刺激を欲しがるが、それも一過性の彼方に忘却するようになる。

 

教育は国家百年の計とか装いの大義はもっともらしいが、議員も教員も銅臭紛々では互いの「信」すらままならない

昔は医者、警察官、教師は尊敬を仰がれ、結婚式の挨拶では常連だったが、昨今、これ等の職分は食い扶持になるが真似てはならない人間像に成り下がった。また、だれでも抱く欲望の自制なり免疫なりを類例をもって伝えることも亡くなり、とくに浮俗の徒にもある、生徒への猥褻の頻発と責任回避の様相は、仰ぎ見る人間像としてあった聖職といわれた教師、恩師、の関係意識すらすら亡羊にさせている

 

あれもこれもと疲れる話題だが、己は何者、どう生きるか、などを意識外に置いた観察では問題意識も立てようもないところにきている。かといって「俺さえ良ければ・・」でも嘆かわしい。政府は制度をいじくり、資金を投入しても良くなるどころか尚更の感がある。

この糜爛のいくすえはコントロールの利かなくなったダッチロール社会の到来なのだろうか。あるいは欲望の衝突する国会のようなカオス(混沌)なのだろうか。

 

雨模様に嘆息して伸吟するも応えるものはないようだ。

 

 

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人間考学からの警告「五寒」に表れる、゛謀弛゛の姿 10 11/25 再

2023-08-11 09:16:03 | Weblog

旧稿ですが、その進捗はより速くなっている。

組織の問題でよく言われる、ことなかれ、ヒラメの増殖だが、今は下剋上に進んだ。「進んだ...」と記したが、部下の反発や反乱、サボタージュは組織内壊の淵に近づいている。この視点は己を下座に置いてこそ見えるものだが、鎮まり、落ち着きはなかなか得られない世相になった。

 

以下は占術の類ではない

歴史の記述に繰り返し表れる人間の様相である。

アカデミックの分野では分派した諸学科はあるが、人間種の織り成す歴史構成でも、この難問に解決策は乏しい。

ここでは、「人間考学」として、異質な切り口で章をすすめる。

 

干支の「戌」(いぬ)は草カンムリで茂となる。

長年にわたって積層された残滓(繁茂)によって風通しが悪くなる。すると虫が葉を喰いつくし枝や幹、しまいには根まで弱らせる。

そこで植木職人が必要になる。素人がやたら切ると翌年は花が咲かない。

いまは国家の植栽、剪定をする人物がいない。多くは葉の裏を見て汚れている、枝ぶりが悪いと評論する。

マスコミや議員、はたまた拡大増産された衆愚によって、より混迷を深めている。

黄門や暴れん坊将軍に期待をかけても映像の中だけ。西郷や松陰を学んでも行うものは皆無。

処方箋の書けない病気のようなものだが、まずは「診たて」をすることだ。

一昔前の医者は、状況を聞いて、顔色を見て、目ぢからを見て、触診した。そのご詳しいことは検索研究してその患者にあった処方を考えた。

患者の顔もみずパソコンの画像や数値データーを見ながら処方する。患者も不安だ。

身体を預ける医者もそうだが、国を預かる議員や公務員も甚だしい。

ましてや、その見立てをすると、まず悪相だ。高位高官ほど己を偽り、人を欺く言葉を知っている。慇懃無礼とはこのことだ。

 

平成30年に入って多くの悪事が露呈した。

まさに小章で再三指摘する「五寒」の現れだ。

その前段では公務に位置するものの「四患」として、偽り、私、放埓、奢り、を上げ、この症状が進むと「五寒」に入ると記した。

懐が豊かになり、飲み食い、異性、利殖に邁進すると身体は習慣病、性は乱れ教育もおぼつかなくなり、生活は享楽に怠惰する。

この三欲が昂進して公が私ごとの我欲となり、社会規範は緩み、人間は自然界に対してもおごり高ぶる。

そして、衰亡から破壊になる。

 

王陽明は「外の賊は破るに易し  内の賊は破るに難し」と説くが、前ブログでもその「内なる賊」のなやましい退治がある。

内とは国内、家庭内、心の内、外は無責任に言いつのっても、内のことは言いずらい。

掃除嫌いの買い物好き」というが、買い物好きの家は雑然として落ち着かない。女性なら化粧も派手になり言葉も騒がしくなる。

つまり家がおさまらないから、面倒だからといって外で気勢を上げる、「ねぇ 見て見て」に表れる世俗認知の類だ。

これが国家だと、国内が治まらなくなると外に危機を作り国民を煽って話題を外に向ける。これを五寒では「内外」と分別する。

以下は、前コラムだが、ここにきてより顕著に表れるようになった。しかも干支の「戌」も符合する・

参考に再掲載します。

 

 

                        

                       祷るは 国のいくすえ

 

2020  11  25

 

内外(ないがい)、政外(せいがい)、謀弛(ぼうち)、敬重(けいちょう)、女厲(じょらい・れい)

それらが国家の衰亡、亡国に表れる現象であり、その前段に人々の心に表れる姿や、その原因となる病巣に公務員に表れる四患を当ブログで紹介し、その例示も再三記してきた。

 後の祭りを語ったり、あまり現象の現れていない状況でその兆候を警告したところで浮俗の耳には入ってこない。
あまり政局のことは当ブログの趣には馴染まないが、時々の人々の姿に表れたり、誘引されたり、「五寒」にいう現象が絡み合うと個々の興味や得意分野、あるいは己にかかる厄災などから発する言葉や行動が騒然とする状態になる。

それぞれの関係を手順を追って解きほぐすと、その現況の行き着くところや、解決が見えてくると。そのように考える筆者のお節介を記してみたい。


内外」と「謀弛」が顕著に現れたのは米英が推し進めたイラク戦である。

 内政問題を覆い隠し外に向かった衝突は大量破壊兵器の保有が前提にあった。しかし無かったことが漏れ、露呈した(謀弛 はかりごと弛む)。

それによって情報部の管理力は疑われ、その推進役であった米英の政策責任者への信頼は失墜し政権交代にすすんだ。それは政策責任者への敬重(信頼と尊敬)の失墜でもあった。

そしてリーマンショックである。これは「四患」にある偽、私、放、奢そのものであった。
゛偽りの数値によって私企業が法規範を逸脱し奢った゛まさに偽私放奢の流れである。

四患は「公」に位置するものに表れる姿だ。

政治家、官吏、企業経営者、知識人教育者、あるいは御上御用の充て職に就く民間人だが、それらが「いつの間にか」人は倣い、社会に浸透し、怨嗟、いたすらな競争、などが昂進する。もともと人間の評価を附属性価値である、地位。名誉。財力、学歴?学校歴、に人格まで映す社会的習性の固定観念ではあるが、されが欲望の飽和点に達すると、「五寒」のような状態になるようだ。


その結果「五寒」に推移するのである。

つまり人の問題なのである。

今回の尖閣問題でもその通りの道筋をなぞっている。また、゛なぞる゛ことが予見できる人物たちによる結果でもあった。
外交上における各種会議、資源問題など必須と思われているが、往々にして会うことに意義がある程度の内容しかない会議、それに拘って内政のスケジュールなりシステム転換を図るような本末転倒な状況がある。

ビデオは漏れ、税官吏の汚職、閣僚の放言などは使命感や責任の弛みであり、公務員の偽りと私事である。もちろん信頼や尊敬などは見る影も無い。

文書の恣意的改竄、隠ぺい、便宜供与、ことなかれ、すべてが露呈する。ここには民主党、自民党も同質である。

国民からの負託権力、特権的待遇,虚飾名誉、それらを手のひらに乗せる腹話術官吏。まさに、それは機能不全(衰亡)だ。

いくら善意から発した政策でも、中間(行政組織の構成員)がそうでは国民にいきわたらない、途中で留まり、貯まることもある。

選挙当選、政権交代の謳いはマニュフェストの偽りと政権党の弛緩によって国民の怨嗟を助長した。弛みの政治主導ではなんのことはない。

奢りは「驕り」でもある。公務員の高待遇と高額給与は、国民状況を判っていながら知らない振りの狡務員や公無員の群れの増殖を放っている。

これを官僚社会主義というのである。これではお隣の中国も嗤えない。












もちろん上下交々、利を征(獲」るように、国民にもその倣いは顕著になっている。
母親は安定職と子供に公務員とせかし、教育界、知識人にまでその食い扶持の用学に陥っている。人生を説き、夢を描く男子のへ風圧は「女厲」にある、女性の荒々しさ、烈しさとなって表れる。それは方向性のさもしい競争でもある。

浮俗の噺だが、浮気調査は時を代えて男子の相談が多くなり、パチンコとサラ金は女性客のほうが多くなっている。それに付随して警察白書には場所まで記されないパチンコ屋のトイレの自殺は女性客が多く、しかも一日何十万も稼ぐときがあり損することもあるパチンコは博打場ではなく、健全な遊技場と称している。この恣意的な法の適用と立法の促しは警察である。

そこに自由と民主と平等や人権が添えられれば、より一層、放埓(やりたい放題)、民主(人は人)が四患を顕著にさせ、家庭や教室でも「敬重」の存在は無く、もちろん政治の要諦である「信」や尊敬など、どう考えたらいいか、尊敬とは何か、と理解の淵にも届かない情緒が漂ってきた。

学生も学歴だけはとっておけばと商業教育のお客となり、当選すればと居眠り議員や、総理まで目力のないウツロナ様相を晒している。みな、こんなはずではなかった、と思いつつも俸給と待遇に魂を滅ぼしている。

以上、成すべきことを避けて、゛言いたいこと゛を垂れてみたが、この症状が治らなければ亡国である。「亡国とは亡国の後に、その亡国を知る」といわれるくらい、自然に忍び寄ってくる。あのローマ、ギリシャ、大英帝国、もそうだった。
また、亡国のたどりはことのほか楽しいものだという。
そして、すべてが、偽、私、放、者をたどって「五寒」に行き着き、打つ手も無く滅んでいくようだ。

身近な世界や政治の携る人間も同じ日本人だ。

気が付く人間と、覚醒転化する人間がいる。

また、ただ騒ぎ立てるものもいる。

四患」と「五寒」を透かして世の中を観察することをお勧めする

まずは社会と人との関係を「見る」ことと「観る」そして「診る」ことから適所にあった治療が始まるはずだ。

写真は津軽新報

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秋山真之の母の手紙と 「・・・一家全滅するとも恨みなし」 再

2023-08-09 01:57:14 | Weblog

2022   4/16  AP電

ロシアはウクライナ南東方の要衝マリウポリの侵攻に於いて、「これ以上抵抗をするなら全滅させる」との声明を発した。

 

数年前、「肉体に浸透し自得する」との講題で防衛関係の幹部指揮官に伝えたことがある

その例題として、教官の心得と、その勇気ある智慧と行動のもととなった、秋山好古,真之兄弟の母の手紙を紹介した。

高官任用への糸口のようになっている、防衛大学、公私立有名大学の出身者でも、面前に差し迫った問題に難渋したり、逡巡したりすることがある。その場合の手立てとして、六法全書、内規などに随った対応や、大学教育の課題解決の応用もあるが、それだけでは部下への極限の命令に具体性はあっても、専任上官として何かが不足する。

その何か・・・は、自然の講話標題とした「統御」の、とくに縁をもって任官し、これまた事情によって上下関係の命令権者になったとしても、本来の深層に潜在する人の情感(人情)の力がなければ、命令だけでは、決して有効的な選択とは言えない。

 

例えば隊員の死があるとすれば、何によって、誰が補うのか。なにも補って欲しいから命令に従うのではないだろう。旧軍では教官が「俺も必ず後から行く」と逸話があるが、身近な縁では想念も強い。高位高官となり戦略や戦術を企図するような肉体的衝撃を回避もできる軍官吏は、前線兵士へ厳格かつ冷酷に見えるような命令を下す。それが職掌の役割でもあった。

以下の例題は、同様な境遇において、生死を共にする部下に諭すように教育論を述べている。

また、常に応変する戦場において、瞬時、的確に対処するために肉体に浸透する学びのすべを説いている。

 

    

 

 「例題」

教官から話を聞くことは啓発の端緒にはなっても、知識が増えるだけで諸君の知識が増えることにはならない。戦史を研究し、自分で考え、さらに考え直して得たことこそ諸君のものとなる。たとえ読み取り方を間違っても、100回の講座を聞くより勝る

                        ( 秋山真之の教育論)

 

 

≪真之の戦争不滅論講義≫

 

「生存競争は弱肉強食ある.そして奪い合い、報復する」

 

「戦争は好むべきものではないが、憎むべきではない」

 

「大国といえども戦いを好む国は危うい。平和といえど戦いを忘れた国は亡びる」

 

「戦争を嫌悪して人為的に根絶しようとして、かえってこれに倍する惨害に陥ることを悟らない国も、必要以上に武力を使って、手に入れたものより、失ったものが多い国も哀れむべきだ。」

 

そして、学生の書いた答えが自分の考えと違っていても、論理が通っていて、一説を為しているとすればそれ相当の高い点数を与えた。

もし教官が自分の思い通りでなければ高い点数を与えないというやり方をすれば、学生は教官に従うだけになって自分で考えなくなる。

その様では、いざ実戦で自分の考えで判断し、適切な処置をすることができなくなってしまう。

 

そして要諦は「天地人」と説く。

①  いかなる天候、いかなる機会、いかなる作戦

②  いかなる地点をとり、いかなる地点を与えてはならない。

➂ 人の和が重要。

いかなる統率のもと、いかなる軍を配置し、いかにして将官の命令を徹底するか、これが人である。

    

        

     「もし戦争になったら国民にその覚悟はあるのか」

     中曽根総理の自衛隊ペルシャ湾派遣に諫言した。

 

母からの手紙と兄の名刺

もし後顧の憂いあり、足手まといの家族のために出征軍人として覚悟が鈍るようであれば、自分は自決する」

この手紙と母の写真、そして「這回の役、一家全滅するとも恨みなし」と書いた兄好古の名刺と一緒に軍装の内ベケットに入れていた。

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苛め イジメ 虐め 

2023-08-08 02:38:25 | Weblog

                バングラデッシュ 子供新聞 キシロチェトロ

 

 

女ヘンのつく漢字は多いが男編は少ない

ちなみにイジメに似ているナブルがあるが、嬲と嫐がある。

昔は男二人が女を挟んで、゛いたぶって゛いたが、今は、女房と娘に挟まれる男が増えた。

なかには、房中(寝室)でイジメ合う睦み事がある。

声を張り上げて嫌だ厭だと云ったと思うと、涙と歓喜に変わるのは視聴覚の学びだが、これもイジメと称すが、イライラと虐げは男女共通の鬱憤発露としてよくあることだ。

それが上手くいかないと子供にアタリ、登校拒否になったりもする。男は部下にアタリ、いじいじして酒で紛らすものもいる。

十七条の「和を以て貴しとなす」は、それ以前の隣国の房中の要にある「夫婦相和し、拒ばまざるを以て旨とする」を拝借したのではないかと古人が言っていた。

つまり、調和は「素直に拒まない」ことからなのだろうが、イジメる人間の鬱積は夫婦でさえ、色・食・財の三欲のコントロールができなくなっているからだろうが、それを認知する自分の能力、相手の理解度、社会の位置、などの「分(ぶん)」が解らなくなっている。

 

    

秩父

 

教育現場の事件や事故には子供どうしのイジメが絡んでいることが多いが、どうも教育機関という昔は治外法権のような、はたまた聖職者といわれた教師がいたころとは現場が変わってきている。呼称の例だが、近くに老練な稼業の親分がいる。「俺たちヤクザは・・」と語るので、「自分たち任侠は・・」と語ったどうかと促した

ヤクザは当局からひっくるめて暴力団と命名されているが、任侠なら全国津々浦々に、゛黙ってみていられない゛お節介者がいる。善なるお節介だ。いつも、任侠、ニンキョウと自称すれば、それが任侠だと自認するようになり、援けられ、叱られた若者も、それがヤクザでなく任侠だと思うようになる。

生まれながらの悪党ならともかく、援けられたり諭されたりすれば陰ながら賞賛もあろう。いわんや表だって褒められるのが照れくさく、それを以て意固地で怒るものもいるが、陰ながらなら独り、素直にもなろう。

教師は教員と自称が変わり労働者とも自認している。

よって、恩師もいなくなった。言われれば恥ずかしいのだ。用務員さんは校務員になった。昭和三十年ころの団塊と言われている世代はひとクラス40人以上、土曜はハンドンといわれた午前中のみ、それでも教師の授業持ち時間は今の倍はあった。女教師も少なかった。授業参観も作業普段着の母親が多かった。生徒は着た切り一着で一週間とおす子供も多かった。もちろん受験なども小学校は数えるほどしかなく、高校進学率も今ほどではない。

それは昔のことと棄てるとこは易い。ましてワーク・ライフ・バランスが事務職だけでなく、行政現業職の自衛隊、警察・教員に当てはめられると、各職掌は政策には現場対策ありと得意の狡知を働かせて、従前の機能を維持しているようだ。

 

学校現場の環境が改善され整うと、教師が教員となり労働条件が変化するとともに、数値成果による学校の経営評価や生徒の進学率を競うようにもなった。外注の全国模試による競争は教員の評価として表れ、とくに私立高校はその数値評価を上げるために血眼になった。

 彼らは使用人たる文部省の下げ降し教育カリキュラムと課題について、なんら問題意識もなく汲々として答えを数値として出すことに勤しんでいる。

くわえ、手厚い補助金などで教育が商業ベースに乗り、教員の待遇が改善され、しかも補完的二次産業となった塾の乱立は、いかに教育が利益を図れる簡便な産業になったかの証左だ。

今更ながらの考察だが、標記のイジメが高低の差が大きくなったエントロピー曲線の底部を表わしていることに、国の行政だけでなく、就学児童扶養している家族の一過性の期間経験、世間の無関心などが相まって、常に繰り返しの問題として社会に停留している。

 しかも、受益者である子供の動向や社会的推移などお構いなしに、課題そのものの設定すら疑問を持たず、数値に依って人間を判定することを何ら不思議におもわない教員が増えている。

 

摸倣ストレスなのか、大人同士の職場のイジメも甚だしい。多くは無視が多いという。

いっとき、その職域を狙って消費者金融が動いた。自衛隊や警察官、看護師も狙われた。なにしろ安定給与で担保は公務員共済や自宅がある。つまり普通の客より担保があり、世俗比では生涯賃金が確保され世間知に疎いとみたからだ。とくに公立の小中学校の教員はそのターゲットだった。

しかも、職場では相談もできず、判っていても声すら掛けない仲間の非人情もある

それらの職域からは数多の相談が筆者にあった。多くは女房にも内緒のことだ。

顕著な例だが、それらの職域は問題の把握と解決能力に乏しい。つまり課題に従順な解答を求められているためか、浮俗の諸問題に感応しないことが多い。

 

    

台北少年観護署訪問

    

 

昔は理屈が先行し赤い旗を振って権力を忌み嫌っていたが、こと己に向かう問題について、例えば校内暴力、非行などについては、知恵を出し、協働して解決することなく、先ずは110番で、彼らが抗した警察の権力にすがるようだ。高潔な建学の精神や公訓を掲げている私立でさえ、自己解決力も乏しくなり、゛何でも警察゛と、まるで掃き溜めのように警察権力を利用するようになった。

 

当初は尋常と冠を付けた小学校も、尋常「常を尋ねる」という、平常心すら習慣化されなくなった。平常心とは教科書(知識)を学ぶ前に、慌てず、むやみに競わず、騒がず、など連帯の調和に必須な精神を肉体に浸透させる(習慣性)をつける、社会性の端緒を小学校で修得べき成長過程と考えていたことだ。助け合い、正邪の判別、長幼の礼儀なども習慣性だ。

 

それが無くなり、そのまま中学校に送り込まれたら、中学校の教職員も堪ったものではない。

だから落ちこぼれも、登校拒否も、非行も発生するのだ。おおくは数値選別機関のコンベアーの規格にハマらないために排除されるからだ。加えて画一化した課題の答えしか目に入らない教育労働者と上司の、彼らなりの苦痛や煩悶となって徒労感のある職場となっているようだ。もちろんモンスターと蔑視される和製PTAの一群もそれに加担している。

 

地方自治の教育は、郷の特徴を付加した郷学のようなものでなくてはならないと考える。

しかし、中央集権統治の効率的教育方針は、その付加を逸脱として見るきらいがある。

それは、つねに教育価値とか効果とかいわれる人間の数値選別を、唯一の有効性ととらえ、

安易簡便に、知った、覚えた、類の記誦学を教育の要として、社会の有効なる個々の人間の

特徴さえ、平準化の流れに埋没させている。

これでは官制学校の教員は試験監督に動員されるアルバイトでも間に合うようなもので、有名高校ですら大学受験のための大型塾の様相になってきている。

記誦の学は学にあらず」と云われてきたが、ますますその傾向は烈しくなっている。

 

韓国もそうだが、中国はコネや優遇に加えて学位による身分制度のごとく、かつ親族内で一人が官位が上がれば九族(親族)に繁栄するという歴史上の科挙現代版とした狂騒に陥っている。

 

      

台北の小学校朝礼

 

 

イジメは排除といわれるが、茫洋としてつかみどころのない現実の憂慮は鬱積として堆積している。そして、無くならない。

政治に当てはめれば、独裁強圧には面従腹背がある。政策には対策がある

ここでは虐めを批判したり抵抗しても無理がある。

ならば、いじめに対して柔和に避けたり、逃げられなければ同化して馴染むこともある。

イジメは現存する。虐めではなくても、そう感ずることもあればストレス被害者となる。

 

大陸の華人は、世の中は排除と圧力はどこにでもある。

もし、虐げれたら我慢して相手を圧倒する力を付ける。つまり、立場が代わることもある。

苛めは当然ある、だから負けない強い心を育てるのが教育のあるべき姿なのだと理解している。

まして教員や親の責任にしても、何も解決しない。

個人の恥は家族、一族郎党の恥だが、それをバネにして財を蓄え、高位になって苛めたものを嘲ればいいのだ。

国家間でもその意識は残存する。近ごろの関係はその経過をたどっていると考えれば理解は易い。

イジメと並んで無視がある。

心の中では「馬鹿なやつら」と無視していると、「何で無視しているのだ」と、イジメやチョッカイが始まる。近ごろの男女の関係や職場の上下関係も似たようなものだ

なかにはバカバカしいことだが、18の大学までは嫌なことでも仕方がないと従うが、「俺もお前らみたいに遊びたいよ」と妙な同感さえしている知恵者もいる。これらが卒業すると無気力や気が利かないもの相手にパワハラが始まる。それが官吏や裁判官になったらどうなるのだろう。

そもそも教育は、世のなかにはイジメもあり、勉強が苦手もあれば、運動の得意な者もいる。オールマイティはわずかだが、それらの優劣を補い合い調整する工夫の力を養うことだ。いわんやイジメも、世の中にはどこにもあることだ。ならばイジメに負けない人間を作ることが肝要だろう。人間は善悪表裏が時と場面によって表れる。組み合わせ次第で優劣も出てくる。

巷間、青少年の間で新聞沙汰になったり、隠された過度のイジメによって精神的、肉体的な負荷を与えられたら、応報処置が必要だ。いくら教育的処置を与えたとしても被害者の肉体的衝撃は判らない、我が身をツネって人の痛さを知る、などの因果応報の知恵など知る由もないだろう。その場合は強制的な矯正が必要になってくる。

昔なら仏壇の前に座らされて母の懐刀を前に、『お前の行動は恥ずかしいことだ、そんな子供を育てたことは恥ずかしい、あなたもこの刀で自らを突きなさい。私も一緒に死ぬ』と、弱い者いじめを諭し、解らなければ死だ。日本の各地で最近までよく聴いた逸話だ。

 

             悠仁さま

  

     

 悠仁親王のおしるし 「槇(マキ)」

 

畢竟、教育とは負荷に弱らないことと、我が身に発する欲望に誘引される精神のコントロール、そしてイジメに挫(くじ)けない強靭な精神を作ることなのだ

流行りに乗る大衆の群れは意識もなく、そのものが個々に負荷環境を作ることがある。

その加害は意識もなく世俗の成功価値として人々は昂進している。

また、長い人生、禍福は転換し、いずれ罪の評価さえ置く処を変える。

 

稚拙ながら一方の切り口として、時節の備忘記とする。

 

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覚悟のない人たち あの頃と今 再

2023-08-04 01:17:39 | Weblog

予想したわけではないが


< 関わる人をみれば結果は自ずと解る>

 

アニマルといわれた男 渡辺長武 (昭和のオリンピック)


 石原知事の招致

たとえば、あの頃のIOC委員の記者会見での感想である。
どうも釈然としない。そう考えても決して天の邪鬼だとは思わない。
だだ、オリンピックがイベント興行となった現在、それら狂騒する人達とは、異なることを恐れない、と思うだけだ。

 以後、決定されるまで半年間も生煮えの迎合をしなくてはならないらしいが、あの小沢一郎氏が総裁候補である年嵩のある三人の政治家を呼び出して面談して時に似て、IOCもどこか慇懃無礼な振る舞いだ。
 

あのときも、一過性の恥もしくは厚顔ゆえか、総理を目指して哀しそうな笑顔を振りまき呼び出された政治家は、男子の誇りさえなかった。決定したとて自主性もない事は目に見えている。

 流行りごとなのか、総理まで呼び出して似合わん英語をたどたどしく使って開催を請うさもしさは眼を覆う恥態だ。

これぐらいならいいだろうと殿下のお出ましまで願っている。

 経済の効果や国民の連帯、名誉など大仰に唱えずとも、またそれがオリンピック開催目的だとしても、開催地の東京では江戸ッ子が「みっともねぇ」と、その野暮なノリだけに酔う軽い連中に苦虫をかみつぶしている。

瓦版屋は人の興味量というべきアンケートを恣意的にいじって太鼓を鳴らしているが、どうも調子が合わず雑音になっている。

 最近、隣の北京から旧友が戻ってきた。彼女は文化大革命にも遭遇しているが、今の北京の様相は、すぐ戦争が起きるかのような雰囲気だという。おかげでストレスになって身体を壊したが来日した日本の状況に驚いたという。もちろん平和そのものだからだ。

 賄賂や便宜供与は、゛人情を贈る゛と考える民癖ならまだしも、好奇心と迎合は異文化に寛容のようで、一方では静かな観察にさらされる。それは、どこか戦後間もなくのGHQによる民情観察に媚をつかう小商人や追放を免れた小心な政治家の姿に似にている。

 ゛人を樹うること百年 ゛といわれるほど人物養成は継続した重層が必要となる
だが、壊すことは一瞬だ。

その後は唯々諾々として阿諛迎合する人間によって外来の強圧に屈するようになる。理由は肉体的衝撃への怖れと、それを理由とする狡知がある人の群れだ。

戦後、日本人は従順だった。器量や度量を基とした許容量ではなく、身のほど知らない受容量が増え、馴れてくると需要となってきた。彼らはそれを腰ぬけと蔑んだ。
 いまは近隣まで高飛車に挑んでくる状況だ。


ドイツは大方の重要部分は拒絶した。しかし気骨ある民族として印象が高まった。
そして、EUはドイツ抜きではありえない状況になった。

 アカデミックな教科にはないが、人間社会の普遍的価値は昔から変わっていない。
だだ、それさえ無理解で頓智のないものの選良という既得権がはびこっている。

 細事の失敗や成功は徒労感がのこる。いわんや怠惰を誘引することは必然だ。そして、民族は弛緩する。


 眺めればすぐ観えることなのに、だ。

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イザベラ・バードを想いて、逍遥の風 08・9

2023-08-03 01:42:21 | Weblog

イザベラバード女史は雇用した日本人のお供をつれて、日本のいたるところを観光、いやこの頃は探索といってもいいだろう、そのような旅をしている。

きっと、そのとき見た瑞穂の国の黄金色のウエーブだったろうと、暫し筆者も足を止めた。






ここは秩父に連なる名も無い山の中腹だが、秋はこんな風景を見せている。
イザべラは各地の様子を詳細に手紙に記して母国の妹に送っている。もちろん、お供の日本人のフンドシ姿も興味深く記している。行く先々の宿場で興味深げに集まる日本人の姿も記しているが、ことのほか異国女性の一人旅でも不思議?と安全だと驚いている。






              

外国名は失念したが、お彼岸には必ず花を咲かせる彼岸花(別名まんじゅしゃげ)は妖艶で可憐で、奇妙な姿をしている






当時は北海道の開拓集落で行なわれ始めた酪農だが。ここでは山歩きの牝牛たちの行列である。ことのほか美しく素朴である。妙な言い方だが牛らしい顔をしている。付き添う牧者もどこかの政治家や官吏とは違い、純なる日本人の容相である。

あの頃の外国人は観察処が良かった。
道を掃く人々と粗末な服装だが清潔感があった。よく働き、正直な応答、何よりも譲ること、つまり礼が肉体化された神々しい人たちが尊敬されていた。
その意味ではパラダイスのようだとの印象記述がいたるところにあった。



                        


陽の光が天上になる頃、透き通ったような花弁を、敢えてか弱々しく細い茎で造形したようなコスモスが揺れている。花弁も蝶のようにヒラヒラと動き出す。
心地よい秋風が、夏季の涼風を楽しんだ情緒を惜しむかのように渡ってくる。なにか自然の繰言のように肌を擦っているようで、暫し刻を愉める。

はたしてイザベラの故郷の風は彼女に何を語ったのだろうか。それとも彼女等西洋人から観て、森と瑞穂の国に棲む粗野で未開といわれていた日本人の姿は、異邦人が難儀なく一人旅が適った郷の風とともに、どのような新しい精神世界を見せてくれたのだろうか。

愛顧すべきあの頃の日本人の風義をおもうとき、洋の東西を問わず普遍なる「風」として、時に忌まわしくも思える世情に清風を吹かせてくれる。

懐かしがってばかりいられない。イザベラの好奇心と観察力、そして勇気に倣いたいものだ。


参考 イザべラバード 南陽市関連サイト

http://www.city.nanyo.yamagata.jp/kankomidokoro/717.html

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慌てず、騒がず、競わず、鎮まりのあること 09 12/12 あの頃

2023-08-02 01:35:40 | Weblog

    極東軍事裁判インド選出判事 ラダ・ビノード・パル氏

「時が熱狂と偏見が過ぎ去った暁には、女神は秤の均衡を保ち、賞罰の置く処を替えるだろう」

 つまり、流行りごとのような現代の価値観を人々が冷静に考えられるようになったら、無価値と思えたことに人間として大切な意義と新しい価値を加えるようになると説いている。当時は戦争について勝者に賞、敗者に罰と定義した裁判への考察でした。それは数百年にわたる西洋列強のアジア植民地の声でもありました。

 

             

パル氏の生地 西インド地方(バングラデッシュ)

識字率向上のために発行したベンガル子供新聞「キシロ・チェトロ」は学校の教材にも使われている

 

よく政治家、経済界、知識人が、コロナ以後の世の中をいろいろと推測(予測)しているが、人間(他)を考えることばかりで、己を考えることが無為なことと感じているようだ。以下は旧稿ですが、とりつくシマ

 

旧関連稿ですが・・


社会(国情)が騒がしいと、ろくなことはない。
もともと四角四面だが決断が遅いといわれた民情が、模倣の流行ごとに翻弄され、慣れない競争ごとに投下されるとろくな結果を導き出すようだ。

音楽でいえばメロディーが揃わなくなり、重低音のリズムが氾濫するように、心拍が乱れ不整脈をおこしているような動きが社会全体に蔓延する。

荀子は衰亡の徴として
そのような時は音楽が雑音のようなる・・」と。
その章には
歌舞音曲が淫靡になる」
「一つのことに集中できなくなる」
「服装がオンナだかオトコだか境がなくなる」
そうなると
「子供は親を棄て愛人に走る」

規範が衰え世の中が騒がしくなると社会(国家)は衰亡し、「亡国の後に、その亡国を知る」と結んでいる。









もともと国家意識が薄い民族は連帯と自律意識も薄い。
たとえ解放と自由、民主、改革、という文字が躍っても繁栄の裏側にある「衰亡の徴」を範とする心はない。ここでは「意味の無い」ことのようだ。

荀子の郷(中国)もその繰り返しのようだが、日本もその騒がしさは同化しつつある。
しかも、それをもダイナミック、活性化などと言いくるめられても、その衰亡は必然である。

東洋にいう循環の中での衰亡期、西洋にいう終末には人々が落ち着かなくなるという共通な民情観がある。これは一国のみに当てはまるものではなく、連鎖の慣性として浸透し染まっていくものだ。

目ざとい民族はこの民情をコントロールしつつ、己の有利さに誘導しながら目に見えない支配という形でよりその力を強大化させている。
つまり、鎮まりのない民族は強大化されスタンダードとなった支配に誘引されたとも知らず矮小化された問題に一喜一憂してしまうのである。
それは、思索と観照と精霊の在ることを認知することなく、己さえ亡くすことに何の危機感をも抱かなくなった人々の姿でもある。


哀公と孔子の応答だが
「引越しに女房を忘れていったものがいる・・」
「女房ぐらい忘れてもいいが、今の人は己を忘れてしまっている」
小話のようだが歴然とした故事である。

そんな時は学びも役立たない
小人の学は利にすすむ
志すところ全て利」
「小人、利に集い、利薄ければ散ず」


それらの人間が社会を形成すると
「上下、交々利をとれば国危うし

内なる良心に問いかけることもなく、面前の現世利益の一部分である「名利」に競う落ち着きのない騒がしさは東洋の循環性の一過と看過しつつも、同化した種の変質の倣いに危惧を覚えるのである。

゛熱狂と偏見が過ぎ去った暁には女神は秤の均衡を保ち・・゛とパル判事は歴史に問うたが、己を自尊してその種の継続をつづける動植物の一隅にある棲み分けられた人間種が、稀なる姿と精霊を抱くことの理由(意味)を、今こそ鎮まりを以って考える其の機であろう。

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