弘前忠霊塔
先日、ベンガルの賢人シャカー氏の出版を感謝する会でのこと、東條英機氏のお孫さん東條由布子さんの激励挨拶で「祖国」という言葉が幾たびか発せられた。
「歴史的にも日本と関係の深いベンガルとの関係を高め、祖国の復興に努力するシャカーさんを援けたい・・・」久しぶりに響きのよい言葉を聴いた。
オリンピックでセンターポールに掲げられた日章旗を凝視して、国家「君が代」を唱する若者のコメントの多くは「大勢のお世話になった方々に感謝したい・・・」と、不特定多数が頭を巡る。もちろん「父や母のお陰です・・」と素直な情感が伝わってくる。
駆ける、飛ぶ、泳ぐ、加えて経験則を身体にしみこませた闘いをコントロールして栄冠に邁進するが、観衆の有無を除けば、これは動物種にあるバーバリズムでもあるだろう。だからこそ素朴で、純粋性のあるコメントが発するのではないだろうか。それは「音(オン)」の響きと、視覚の感動と相まって心地よく同感することでも解る。
アジアは未開で野蛮だからと、わざわざ遠方から愛を唱える宣教師を先頭に、飛び道具や薬(ヤク)を携えてきたカーボーイ(バクロウ)達によって、妙な狡知と計算術による便利な文化を得たと思ったら、バーバリズムに潜在する素心や、自然と共生するための叡智を、゛文化人的゛と称すものの交換に衰えさせてしまった。
あの小泉首相の高音なワンフレーズも、内容はともかく一種の素直さをみせていた。それは童の嬌声にも似て妙な理解を生むのと似ている。それは元気で明るいという安心感だ。
米国の大統領選挙、共和党のマイノリティーの成功者であるハワイ州選出の日系議員は、その冒頭の演説で「ディス・イズ・マイ・カントリー」と絶叫した。
少数民族、しかも歴史的にも米国と戦火を交えた日本に租をもつ議員が、たとえ演出と判っていても「ここは私の国だ」と絶叫するワンフレーズは会場を興奮させ、党派を超えて全米国民を感動させている。もちろん応援する大統領候補は当選している。
小泉氏は「吾が祖国・・」とは言わない。議員、役人、教育者、あるいは父母からも聴く事はなかった。
「祖国」という言葉は認知していたが、発することもなく、聴くこともなく、ただ無味乾燥した、゛オン゛で「国」を語り、綴っていた。
以前、このコラムで山田純三郎氏の「国、思えば国賊」という章を紹介したことがある。泥沼のようになった日中戦が行き着くところ、何れはアジア全体の疲弊を招き、どちらが勝とうが日中は衰亡すると、歴史的大局から提案するが、日本の流れは止まらず、逆に山田の命を狙うことさえしている。
その提案は、明治日本人の有志がアジアの復興の為には、まずシナの復興だと辛亥革命に挺身し、その戦闘で兄良政を亡くしている山田純三郎ならではの経綸だったはずだ。それは互いに祖国を持ち、慈しみ合う血縁を持つもの同志が破壊殺戮しあうことだからこそ「祖国」の亡国は看過できないことだった。
文字は説明の具となり、五行やオンで観る「観音」や、その「余韻」から心の秘奥に刻むことから導くであろう「自己の悟り」が亡くなり、鎮まりのない騒擾とした世を現わすようになった。
時折、表れ出る響きある言葉は、忘れかけた言葉の含意をあらためて知らせてくれる。
「祖国」久々に響きのある言葉だった。
いや、それは余韻として自省の念が強烈に浮かぶことでもあった。
先日、ベンガルの賢人シャカー氏の出版を感謝する会でのこと、東條英機氏のお孫さん東條由布子さんの激励挨拶で「祖国」という言葉が幾たびか発せられた。
「歴史的にも日本と関係の深いベンガルとの関係を高め、祖国の復興に努力するシャカーさんを援けたい・・・」久しぶりに響きのよい言葉を聴いた。
オリンピックでセンターポールに掲げられた日章旗を凝視して、国家「君が代」を唱する若者のコメントの多くは「大勢のお世話になった方々に感謝したい・・・」と、不特定多数が頭を巡る。もちろん「父や母のお陰です・・」と素直な情感が伝わってくる。
駆ける、飛ぶ、泳ぐ、加えて経験則を身体にしみこませた闘いをコントロールして栄冠に邁進するが、観衆の有無を除けば、これは動物種にあるバーバリズムでもあるだろう。だからこそ素朴で、純粋性のあるコメントが発するのではないだろうか。それは「音(オン)」の響きと、視覚の感動と相まって心地よく同感することでも解る。
アジアは未開で野蛮だからと、わざわざ遠方から愛を唱える宣教師を先頭に、飛び道具や薬(ヤク)を携えてきたカーボーイ(バクロウ)達によって、妙な狡知と計算術による便利な文化を得たと思ったら、バーバリズムに潜在する素心や、自然と共生するための叡智を、゛文化人的゛と称すものの交換に衰えさせてしまった。
あの小泉首相の高音なワンフレーズも、内容はともかく一種の素直さをみせていた。それは童の嬌声にも似て妙な理解を生むのと似ている。それは元気で明るいという安心感だ。
米国の大統領選挙、共和党のマイノリティーの成功者であるハワイ州選出の日系議員は、その冒頭の演説で「ディス・イズ・マイ・カントリー」と絶叫した。
少数民族、しかも歴史的にも米国と戦火を交えた日本に租をもつ議員が、たとえ演出と判っていても「ここは私の国だ」と絶叫するワンフレーズは会場を興奮させ、党派を超えて全米国民を感動させている。もちろん応援する大統領候補は当選している。
小泉氏は「吾が祖国・・」とは言わない。議員、役人、教育者、あるいは父母からも聴く事はなかった。
「祖国」という言葉は認知していたが、発することもなく、聴くこともなく、ただ無味乾燥した、゛オン゛で「国」を語り、綴っていた。
以前、このコラムで山田純三郎氏の「国、思えば国賊」という章を紹介したことがある。泥沼のようになった日中戦が行き着くところ、何れはアジア全体の疲弊を招き、どちらが勝とうが日中は衰亡すると、歴史的大局から提案するが、日本の流れは止まらず、逆に山田の命を狙うことさえしている。
その提案は、明治日本人の有志がアジアの復興の為には、まずシナの復興だと辛亥革命に挺身し、その戦闘で兄良政を亡くしている山田純三郎ならではの経綸だったはずだ。それは互いに祖国を持ち、慈しみ合う血縁を持つもの同志が破壊殺戮しあうことだからこそ「祖国」の亡国は看過できないことだった。
文字は説明の具となり、五行やオンで観る「観音」や、その「余韻」から心の秘奥に刻むことから導くであろう「自己の悟り」が亡くなり、鎮まりのない騒擾とした世を現わすようになった。
時折、表れ出る響きある言葉は、忘れかけた言葉の含意をあらためて知らせてくれる。
「祖国」久々に響きのある言葉だった。
いや、それは余韻として自省の念が強烈に浮かぶことでもあった。