まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

「人間考学」体罰  稽古は倣うとこで、習うことではない

2013-02-22 12:09:36 | Weblog

 理屈のない体感   ゛水は自分で掛けるのか、かけてもらうのか゛必要なことは同じだ



「倣う」は自身の特徴を活かして自分なりに修得する。つまり人物なら、あのような人になりたい、という目標を設定することだ。一方,「習う」とはまず前例や既存の規格に従って知なり技を習得することだ。

 昨今、体罰が問題になっている。規律違反があれば対価で補うのではなく、肉体的衝撃や苦痛をもって自身に課すものだが、いまは第三者に依頼して一喝してもらうことでも、もう一方の第三者がみると体罰になるようだ。
自己鍛錬のために競技なり芸事を選んで、縁あって指導者や師を得て、もしも同じ訓練者との調和がとれなかったり、互いの礼を失念したとき、自身の軟弱な意志に代って伝え、教えてくれる第三者の人間、ここでは先輩や同級生,師の、゛気付かせてくれる゛本人自覚の代理行為が、往々にして体罰と称されている。
 代理依頼は教員や先輩、両親縁者だが、ときにはみも知らず人からの、゛気付き゛への促しである。
 そさえも、゛うざい゛、゛いやらしい゛が多くなっているが、スポーツだけではなく、さまざまな場面で起きている。
 加えて、教師の言葉つかいも荒っぽく行儀が悪くなっている

 以前、教師は背広ネクタイで、男子には「クン」、女子には「サン」をつけて呼んでいた。いまは性名の呼び捨てだ。体育系の教師は保健体育の授業をジャージ姿で行うようになった。それに倣って女子も男子を呼び捨てにしている。もちろん、親もそだろう。そもそも学び舎が集団規範もなく、他に譲る意(年齢や技能、役割)である「礼」もなく、教員同士も役割権能を差別ととらえ抵抗する職員と校長の軋轢も当然なことのように蔓延している。

言葉が乱れれば服装も変わった。だらしなくなった。
それは教科書を説明する教員はいるが、人の倣いとなる教師がいなくなったことでもある。





台湾の教育に命を懸けた六士先生  士を懐かしみ殉難を讃えた台北芝山巌霊園にて





 競技、芸事でも志願するのは本人だ。つまり志を遂げるために選択した競技なり芸事におきる諸問題の解決や考え方はそれぞれの選択に任されている。自由は担保されている。   
 ただ、相手のいる競技は自由のはき違えで調和をなくし、゛コンビネーションがない゛と敗因を指摘されるが、好き勝手な自由担保のなか、競技中に早く、強くとパートナーに指摘され気分を害したら競技にならず、相手側にもマナーを逸することになる。

 頑張ってくれと背を押されても、気が向かないコーチや監督だと体罰やセクハラと騒ぎ立てる。あの張本勲氏がいみじく吐露した、「張本が殴れば暴力、長島が同じことをしても愛の鞭」がそれだ。戦闘行為の疑似行為がスポーツなら、団体競技はチームリーダーがいる。そこには名声のある者、熟練選手、あるいはチームアピールのために容姿端麗を選ぶことがあるが。勝てばヒーロー、負ければ戦犯のように叩かれる。それはいずこでも観覧料を払った観衆の歓喜と失望に包まれた尋常な状態ではない環境で繰り広げられる現象だ。

 ましてや熱狂すべきクライマックスで無表情をとおす野村克也、落合満博監督は愛の鞭どころか考え抜かれた悪意のない皮肉と嫌味、そして無視に受け取られる態度で注目をあつめるが、これなどは体罰はないが選手にとってはダメージが高い。それはたとえ団体競技でも個々の特技の集合体ゆえに、個々のなすべき仕事と責任は,誉める、教えることより、当然のように理解修得しているとの厳しい前提を課している。
 まだ、星野監督の鉄拳、王監督のモノへのヤツ当りのほうがわかりやすいという選手もいる。兵隊に軍曹や将官の役割要求など酷なことだと選手は考えている。
それは交代する監督も縁や運だが、当り外れのなせるものだとも理解している。
そこまでくると、会社や役所の上司も同然だ。






先ずは僧侶(師)に礼を尽くすことが仏教の教えの前提  僧も信徒も忘却している日本の倣い



 それは体育会系といわれる範囲の見方だが、文科系と理数系に色分けされる学派とは違い、武骨で先輩後輩の垂直的関係が習性として態度表現にあらわれる人たちのことの総称のようだ。競技においても個人種目、団体競技があるが、たとえば空手やボクシングは向かう相手を排除するような性格的特徴があり、逆に組み付く柔道やレスリングは実生活においても独特な交流関係を構成するようだ。つまり選択種目によってそれぞれが類似した性格をもつ競技者が不思議と集まる。いや、なかにはそれしか選択肢がない人たちもいるに違いない。

 世にモンスターペアレントという言葉がはやった。往々にして母親が多い。だがこのモンスターとよばれる教員もいれば生徒もいる。
いま、騒がれているのはスポーツの監督やコーチだが、始末悪いのは当事者同士の完結主義はない。組織役員や上司、マスコミ、司法関係者を巻き込んで、それぞれの職掌を看板に「それらしき空気」を連呼する。
「それらしき・・」とは、肉体的衝撃あるいは負荷をふくめた活発な行動、溢れんばかりの衝動的運動の苦手ゆえに机上書学を選択し、かつ一方に数値偏在することを唯一の勉学としている人たちの空気である。それらは世代の経過に当然訪れるであろう情緒の集積すら乏しく、スポーツにみる世代を超えた協働作業の根底にある、長幼を超えた人の信頼や感動体験を無意味なこととして考えている。つまりスキップしている人たちだ。

 一応、エスカレーターのように大学を出ても、思春期にスキップした情の欠落は人間関係構築にも多くの弊害をおこすようだ。それは人間観察でも部分考証が多く、ゼネラリストしての人物観もなく、部分エキスパートを、「すごい・・」と狂喜驚愕する幼児的観察しかできないような、往々にして、゛びっくり屋゛さんが多いのも特徴で、いわゆる落ち着きもなく排他的な人間関係に陥るものもいる。
 そして言葉もなく人の行いをみて倣うことができなくなっている。それは「聞いていない」「習っていない」ひどいのは「教えてもらっていない」「書いていない」と反発がある。
つまり、自習がないし己も知らないので、素行自得さえままならない。

 それらは修練の扶助を苛めやしごきと観察し、激励や模範試技ですら体罰ともおもえるのだろう。しかも第三者の見た当事者の技能の可能性への指摘すら拒絶することとなり、自己限界を既定のこととして、その一線を納得限界とする近ごろの風潮でもある。










 あの武蔵も眼で見ることではなく、「観の眼で見る」ことを技の容量を増やすことだと語る。
著者吉川英治氏は武蔵を実在の人物に置き換えて人物像を描いた。その武蔵の「観の眼」のくだりは、漢学者であり剣道をもって身体鍛錬とした安岡正篤氏の言である。
 挿絵は新井画伯、その三人で牡丹焚きの逸話が安岡氏の童心残篳に記されている。筆者も安岡氏に倣って牡丹焚きをしてみたが、部屋中煙くなって薫りもしなかった。
 嵐山の農士学校(現郷学研修所)では仲良く田植えもしている。







 剣道は切っ先を見ていては全体が観えない。それを倣いとして学問の世界でも自信の内在する能力を知り、現象の因をさぐり、部分検証しながら全体を描く。いまは表現や説明の能力が必要とされているが、吉川氏や安岡氏はその目的を内なる心(精紳,意志)の確立としていた。人と比較する数値やメダルの数や、それが地位や名誉、安定した食い扶持に結びつけることを学問の堕落として忌避していた。

 何を倣うのか、その倣うものはどこにあるのか、前提は習うことだろうが「本」の座標がなければ、強い、速い、も単なる一過性の熱狂の具になるか、あるいは儚い財利の徒になるしかない。
たしかに走狗も早い方がいいと聞くが、それこそ肉体的衝撃による神罰が必要だろう。
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東條由布子 「祖国」という響き、その余韻 10/6再

2013-02-20 09:53:32 | Weblog
弘前忠霊塔



先日、ベンガルの賢人シャカー氏の出版を感謝する会でのこと、東條英機氏のお孫さん東條由布子さんの激励挨拶で「祖国」という言葉が幾たびか発せられた。

「歴史的にも日本と関係の深いベンガルとの関係を高め、祖国の復興に努力するシャカーさんを援けたい・・・」久しぶりに響きのよい言葉を聴いた。


オリンピックでセンターポールに掲げられた日章旗を凝視して、国家「君が代」を唱する若者のコメントの多くは「大勢のお世話になった方々に感謝したい・・・」と、不特定多数が頭を巡る。もちろん「父や母のお陰です・・」と素直な情感が伝わってくる。

駆ける、飛ぶ、泳ぐ、加えて経験則を身体にしみこませた闘いをコントロールして栄冠に邁進するが、観衆の有無を除けば、これは動物種にあるバーバリズムでもあるだろう。だからこそ素朴で、純粋性のあるコメントが発するのではないだろうか。それは「音(オン)」の響きと、視覚の感動と相まって心地よく同感することでも解る。

アジアは未開で野蛮だからと、わざわざ遠方から愛を唱える宣教師を先頭に、飛び道具や薬(ヤク)を携えてきたカーボーイ(バクロウ)達によって、妙な狡知と計算術による便利な文化を得たと思ったら、バーバリズムに潜在する素心や、自然と共生するための叡智を、゛文化人的゛と称すものの交換に衰えさせてしまった。

あの小泉首相の高音なワンフレーズも、内容はともかく一種の素直さをみせていた。それは童の嬌声にも似て妙な理解を生むのと似ている。それは元気で明るいという安心感だ。

米国の大統領選挙、共和党のマイノリティーの成功者であるハワイ州選出の日系議員は、その冒頭の演説で「ディス・イズ・マイ・カントリー」と絶叫した。
少数民族、しかも歴史的にも米国と戦火を交えた日本に租をもつ議員が、たとえ演出と判っていても「ここは私の国だ」と絶叫するワンフレーズは会場を興奮させ、党派を超えて全米国民を感動させている。もちろん応援する大統領候補は当選している。

小泉氏は「吾が祖国・・」とは言わない。議員、役人、教育者、あるいは父母からも聴く事はなかった。
「祖国」という言葉は認知していたが、発することもなく、聴くこともなく、ただ無味乾燥した、゛オン゛で「国」を語り、綴っていた。

以前、このコラムで山田純三郎氏の「国、思えば国賊」という章を紹介したことがある。泥沼のようになった日中戦が行き着くところ、何れはアジア全体の疲弊を招き、どちらが勝とうが日中は衰亡すると、歴史的大局から提案するが、日本の流れは止まらず、逆に山田の命を狙うことさえしている。


その提案は、明治日本人の有志がアジアの復興の為には、まずシナの復興だと辛亥革命に挺身し、その戦闘で兄良政を亡くしている山田純三郎ならではの経綸だったはずだ。それは互いに祖国を持ち、慈しみ合う血縁を持つもの同志が破壊殺戮しあうことだからこそ「祖国」の亡国は看過できないことだった。

文字は説明の具となり、五行やオンで観る「観音」や、その「余韻」から心の秘奥に刻むことから導くであろう「自己の悟り」が亡くなり、鎮まりのない騒擾とした世を現わすようになった。

時折、表れ出る響きある言葉は、忘れかけた言葉の含意をあらためて知らせてくれる。

「祖国」久々に響きのある言葉だった。
いや、それは余韻として自省の念が強烈に浮かぶことでもあった。

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