まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

西安事件 本当の・・・・      2007 6/4 再

2018-01-28 20:58:18 | ふぞろいの写真館

苗剣秋夫人です(台北)

西安事件をご存知ですか・?
苗氏は張作霖に可愛がられ、子息張学良の軍事顧問として活躍しました。その優秀さを買われ日本に留学し、高等文官試験をパスしています。そのため多くの日本人との交流がありました。

事件直前、苗氏は張学良にこう迫っています。
「お前の親父は誰に殺されたのか! そのお前は今、誰と戦おうとしているのか」
蒋介石の強い指示がありましたが、張学良率いる東北軍は共産党との戦いを躊躇っていました。そのため督励するために蒋介石は西安に乗り込んできました。

そのころ苗氏は周恩来のころに住んでいました(佐藤慎一郎氏)

そこで西安事件(張学良による蒋介石監禁)が起きました。
苗は「蒋介石を殺してしまえ!」といいましたが、コミュンテルンの指示で回避されました。
さまざまなミステリーを含んだ西安事件ですが、その後苗氏、張学良氏は台北で暮らしています。(不思議ですねぇ)

写真は天安門事件の前年1988年の12月です。
苗夫人は小生にこう語りました。
「苗先生は自分を探すために忙しい人生でした・・」
そして張学良さんは、の問いに
「張さんはお坊ちゃんですよ・・」

ちなみに苗夫人の好物は甘いケーキ、常備薬は日本の「七福」です。
何度かお邪魔しましたが、あるとき突然、
「苗先生は事件のときに天津に居ました」
旦那が女房に嘘をついた? いや、どれもこれも真実です。四角四面の日本風の検索では到底理解できない、深層の゛うなづき゛ですね。

そういえば苗氏は「君、男は世界史に名を遺すぐらなことをしなさい・・」といって《天下、公に為す》と色紙を戴きました。

革命家は良くも悪くも「人物」というものを学ばせてくれます。

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天が墜ちるような

2017-09-30 18:28:09 | ふぞろいの写真館

埼玉県名栗村の夕刻

 


ウイークデーは訪れる人もなく、この日は風もなく鏡のような湖面は上空の雲を鮮やかに映している。
画面を逆さにしても判別がつかないくらい幽玄の趣がある。

1時間ばかり亡羊とした気分に浸ったが、時折フラッシュバックしたかのように世俗の雑踏が蘇ることがある。

なんとも表現しずらい画像だが、その時は無音の中で、足元から脳天に抜ける何かがあったようだ。

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塩田丸男さんとナベツネ 【ピースと電柱】 07 6/8稿再

2011-11-25 08:58:34 | ふぞろいの写真館
              塩田丸男氏(浜離宮にて)


世に、社長になりたくて成れることは数少ない
あのナベツネこと読売の渡辺恒夫氏はそう言って社長になった。

辞めたら寄り付かない、つまり悲哀をかこう瓦版屋の世界では蒸されたような味がある。
筆者がみるに、あの落合博満氏もその香りがする。
人の観方や切り口だが、あの二人が附属性価値である地位名誉をかなぐり捨てた立場で杯を傾けたら、肝胆相照らす酒宴になるに違いない。

嫌われ者、変人、彼らにとっては酒の肴か笑いの具だ。
今、そんな人物がいなくなった。

あのダジャレの帝王と自称する塩田の爺さんも、和服のみやつ口には目がないが、ナベツネさんや落合さんにはその色はない。かといって塩田氏のそれは助平ではない。いたずらな情感が溢れているのだろう。

そう、みないたずら小僧が大人になったようなものだからだ。

どこか懐かしい人間模様のようだ。




石(意志)にかじりつく


ここのところご無沙汰だが、塩田氏は洒脱な物知りでチョット恐妻・・・、いゃ愛妻家です。
80?才ですがエネルギッシュで午前様は何のその、また俳人として多くの弟子がいます。

読売新聞の記者であの元気印のナベツネさんとは記者仲間。若かりし頃新橋の「電柱」という飲み屋でのこと猥談ならぬ猥行為を楽しんだという。
塩田氏はピースの空箱を輪にして一物を入れ窮屈だったと太さ自慢、ナベさんは店の中にある電柱の後ろで一物を前後すると電柱からはみ出る長さ自慢。

当時は黒塗りの社用車に社旗をはためかせて取材?していた特権記者。
ナベツネさんは当時から「俺は読売の社長になる!」と喝破していたという。その後、丸さんは荻窪団地に住んでいた頃NHKドラマの小説からデビュー、ナベさんは読売政治部の金看板を駆使して今の位置にあるが、当時のやんちゃは今も抜けず巷間の耳目を楽しませてくれる。

塩田氏は和太鼓の演奏に立ち上がって「腹に響いた、感動した!」と顔をくしゃくしゃにして感涙していた童心は自然で素朴な文書になり人を楽しませてくれる。

美麗な女性を取り巻きに持つのもそのせいか・・
奥様には内々だが
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松下政経塾 あの頃

2010-07-19 14:01:35 | ふぞろいの写真館


湘南茅ヶ崎の松下政経塾の古典講義の姿である

外野から眺めると、騒がしくも感じられる若手議員の登竜門かと思いきや、なかなか真摯な光景である。政治、経済のアカデミックな教育と考えられがちだが、正座黙想から始まり古典の栄枯盛衰を鏡として現在を考察する場であった。

安岡正篤氏と親交があり、その奨励で松下幸之助氏の創設した塾であるが、安岡氏の説く「郷学」そのものの姿が具現されている。

競わず、騒がず、うろたえず、の「小学」とはかけ離れている政情ですが、ともあれ施設内は静寂である。

古山塾長は小会(郷学研修会)に参会していた縁での訪問であったが、座標を明確にした学風は郷学そのものである。




             

         卜部侍従  郷学研修会


丁度、各々生徒が考察した「中庸」の講義を30分行っている光景だが、小生もその礼に順じて2時間の正座を行い最後に拙い考察を述べさせていただいた。

一学年8名の俊英だが、中央の女性は北海道庁を途中退職して参塾している。

その後、再訪するが茫洋とした雰囲気を漂わす奇人あり。しかしどこか見所ある若者である。そんな懐もある学び舎でもある。

昔は東大法学部や早稲田の雄弁会,いまは政経塾と衆の多数を恃む風潮は変わらないが、アカデミックな官製学舎にはない塾風の行く末は、ひとえに人間の所作に懸かっている。

慌てず、騒がず、むやみに競わず、怯まず、そして野にして粗にして卑しからず

くれぐれも衆を恃んで口舌の徒にならぬよう期待するのみだ
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