埼玉県名栗村の夕刻
ウイークデーは訪れる人もなく、この日は風もなく鏡のような湖面は上空の雲を鮮やかに映している。
画面を逆さにしても判別がつかないくらい幽玄の趣がある。
1時間ばかり亡羊とした気分に浸ったが、時折フラッシュバックしたかのように世俗の雑踏が蘇ることがある。
なんとも表現しずらい画像だが、その時は無音の中で、足元から脳天に抜ける何かがあったようだ。
埼玉県名栗村の夕刻
ウイークデーは訪れる人もなく、この日は風もなく鏡のような湖面は上空の雲を鮮やかに映している。
画面を逆さにしても判別がつかないくらい幽玄の趣がある。
1時間ばかり亡羊とした気分に浸ったが、時折フラッシュバックしたかのように世俗の雑踏が蘇ることがある。
なんとも表現しずらい画像だが、その時は無音の中で、足元から脳天に抜ける何かがあったようだ。
苗剣秋夫人です(台北)
西安事件をご存知ですか・?
苗氏は張作霖に可愛がられ、子息張学良の軍事顧問として活躍しました。その優秀さを買われ日本に留学し、高等文官試験をパスしています。そのため多くの日本人との交流がありました。
事件直前、苗氏は張学良にこう迫っています。
「お前の親父は誰に殺されたのか! そのお前は今、誰と戦おうとしているのか」
蒋介石の強い指示がありましたが、張学良率いる東北軍は共産党との戦いを躊躇っていました。そのため督励するために蒋介石は西安に乗り込んできました。
そのころ苗氏は周恩来のころに住んでいました(佐藤慎一郎氏)
そこで西安事件(張学良による蒋介石監禁)が起きました。
苗は「蒋介石を殺してしまえ!」といいましたが、コミュンテルンの指示で回避されました。
さまざまなミステリーを含んだ西安事件ですが、その後苗氏、張学良氏は台北で暮らしています。(不思議ですねぇ)
写真は天安門事件の前年1988年の12月です。
苗夫人は小生にこう語りました。
「苗先生は自分を探すために忙しい人生でした・・」
そして張学良さんは、の問いに
「張さんはお坊ちゃんですよ・・」
ちなみに苗夫人の好物は甘いケーキ、常備薬は日本の「七福」です。
何度かお邪魔しましたが、あるとき突然、
「苗先生は事件のときに天津に居ました」
旦那が女房に嘘をついた? いや、どれもこれも真実です。四角四面の日本風の検索では到底理解できない、深層の゛うなづき゛ですね。
そういえば苗氏は「君、男は世界史に名を遺すぐらなことをしなさい・・」といって《天下、公に為す》と色紙を戴きました。
革命家は良くも悪くも「人物」というものを学ばせてくれます。