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まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

政策停滞の因は官吏の「四患」にある 2016 あの頃も

2022-05-22 08:48:09 | Weblog

                       

 

国民にとっては安倍さんの繰りだす政策(対策?)は、目先を変える手段として慣れているのか、一部の口や筆を生業とする人たちを除いて興味が乏しい。゛いつの間にか゛だが、思索と観照力が衰えた人々は政策や対策の内容さえ的外れに評論を繰り広げている。

 

経済は株価と為替と物価とはいうが、安倍さんの対策で効果が有るかどうか、あるいは自分たちの生活にどんな利得や安心が頂けるかなど、欲望のコントロールが難しくなった強欲資本主義や人権や平等、そして民主と自由が加味されれば、まことに珍奇な味わいのある社会が姿を現したことへの戸惑いがあるようだ。

 

だから数値でしか語れない政治になったのだろうが、安倍さんに誰かが囁くその数値は、安倍さんそのものが検証するすべを持たない。つまり安倍政治は「口耳四寸型」の政治なのだ。

口耳四寸とは、耳から入った奇妙なフレーズを世相に当てはめて四寸しか離れていない口から出てくる軽妙な政治のことである。

 

人柄は舛添君のようにサモシイ、卑しいことは見せないが、怖れ意識とそれをカバーする周辺の「観人則」が、宰相が世相を登覧するような感性ではなく、政策効果を巧みに宣伝したり、批判に対応ずることに汲々とするような、いっとき流行った政策新人類の熟成した似非国家政策、いや対策集団のようにみえる。

 

歴代を見回しても稀な能力をもつ総理だが、対人反応においては度量や許容量がよく問題にされることもある。

それは総理の顔色をうかがい、耳ざわりのよいフレーズを提供することを有能だと思っている取り巻きの心底を観ることが乏しい、つまり観人則の在りようが気になることのようだ。

どこの派閥や大物議員も手を出していないが、清話会の既得利権である文教に属す学校認可と塾の参入にはお友達の下村議員を充て、あらたな臨時利権であるオリンピックも清話会の床の間の石である森元総理、オリンピック担当相に文科省の下村議員を兼任させていた。

森さんも目の上のたんこぶと薄々分っているのか、不祥事のごみ掃除をあてがわれ、下村さんも役不足で取りまとめに苦渋して逃避転職した。

ただ、観人則にある人を観る目がないためか、教育改革の一つとして塾の学校参入を期して全国の塾を取りまとめ会費を政治資金として吸収したことが露見し検察も動いたが、改選改造に形式をとり、現在は総理補佐官に納まって官邸に出入りしている。その意味では言い訳や場当たり的な繕(つくろい)には狡知が長けている。

 

成果は、招致は俺のお陰と鼻を膨らませた猪瀬知事を排除し、義理を貸した舛添君も頭が高く目障りになったために、愚衆をマスコミによって煽らせ、議員なら誰しも天に唾する所業で舛添叩きに功名争いをしている。それは暗闇からモグラをおびき出すように、中央地方を問わず我が身に降りかかる始末の悪い追及劇のようだが、口を拭うのは舛添君ばかりではあるまい。

 

                    

             台湾民生長官 満鉄総裁 東京府長

台湾着任時に先ず行ったことは、弛緩した不良日本人官吏の千人以上の更迭内地送還だった。

   

四患とは当ブログで再三掲載している「偽り、私利、放埓、奢侈」の「偽私放奢」の患いが公務に就く者に表れる状態だ。

隣国でも習近平氏が幹部の汚職腐敗を取り締まっているが、公務が汚れれば経済界も一過性でしかない数値の多寡に翻弄され、便宜を図って贈賄に勤しみ、受ける側も要求をするようになる構図だ。

 

些細なことでが、ある県の元福祉担当が福祉法人に天下っての戯言だが、「若いころはいくらか世のための、弱者のためにと意気込んだが、ローンを組んで、部下をもつようになると有能な部下が鬱陶しくなり遠ざけるようになる。後は生涯賃金を企図してマンネリに陥り上司の指示待ちになる。知事や議員は落ちればただの人、それこそ軽くてパーが好いといったが、その通りだ。

楽しみは一通の紙片で通達や調査依頼を出せば、みな頭を下げてくる。だいだいそれが中央・地方に関わらず役人の姿だ。考えようによっては面白く楽しい仕事だが、民間の人と話すときは注意しなくてはならない。それは待遇についての話題はタブーだ。

地方では大名と家臣と農民の関係だ。そのぐらいの格差があることは承知している。

親子三代役人で、教員や警察官も多い。多くは議員や郷のボスに押し込んでもらい、試験に落ちればアルバイトの臨時雇用で入ってそのまま潜り込むこともあれば、教員プロパーが多い教育委員会も似たり寄ったりで、夫婦親子で教員も多い。

 

夫婦が部長で天下りがあれば二人で生涯賃金六億円くらいになる。経済事情で停滞しても毎年上がる給料、年二回のボーナス、いくら積み立てているといっても政府負担を入れた共済年金やら視察と称したお手盛り旅行、とくに地方では格差が大きい。何よりも公務員住宅が安いし便利だ。宿泊も特別優遇がある。そして組合がしっかりしているので余程のことがない限り身は安定している。それでも不祥事が漏れるのは弛緩した組織の中でも愚かな落ちこぼれだ」

 

 

                

                 津軽 平川の朝

つまり四患いが蔓延しているのだ。

この出典は、後漢の荀悦が皇帝から宰相の任を請われたとき「四つの患いが蔓延していると、たとえ良い政策でも広がらず下々に届かない。この患いを除かない限り宰相は受けられない」とその弊害除去を条件としている。

 

あの舛添事件も、本人の愚かさもあろうが、今までの経緯を熟知しないため官吏が既存の前例をもとに作成した調整日程なり予算案だろう。昔よく揶揄された軽くてパーのような神輿の主は、提示された企画書に何の問題意識のないままにほくそえんだに違いない。

追及の舌の根も乾かないうちにリオデジャネイロ派遣の予算が新聞に出た。官吏も議員も恥ずかしくないのか、それとも当て馬で出して断念するという潔さを見せる田舎芝居なのか、ともあれ内藤新宿の猿芝居はネタが割れていて、さすがの江戸っ子も「性懲りもない野暮なやつ」と嘲るばかりだ。

 

ここでも官吏の責任にはどこ吹く風、元知事の猪瀬も石原も遠吠えしているが、地球のドサまわり興行の勧進元やカジノ博打の招致は宿場町内藤新宿の親分風情に似ている。しかも十手持ちの目明かしや岡っ引きまで雇っているので庶民も手が出ない。

 

            

                 

                 津軽黒石の ねぶた

                     

 

「内 平らかに 外 成る」まさに平成元号だが、外ばかり見ていると内は乱れる。

また、亡国の徴の五寒に表れる「内外」は内政に自信がなくなると外の危機を煽るようになる。ここのところ提灯新聞のような記事を書く産経はいまごろ元空将のネット記事で中国軍機とスクランブル発進した自衛隊機の接近を書いているが、そんなことは何年も前から云われてきたことで、当時は記事にすると国民が騒ぎその対応が面倒だと記事にはしなかった

選挙にリンクしたつもりだろうが、新聞人の気骨も衰えたものだ。

まさに産業経済新聞《産経》だが、経世済民をわすれ、「催眠」を図っている。

私事だが産経は長年の購読者だが、このところの変質は「恐れと迎合と食いぶち」が紙面に醸し出ている。 

通信社の貰い記事や大国への阿諛迎合によって実直な記者の更迭や配転、もちろん地に伏す調査報道ですら没記事にするデスクやイベント屋、不動産屋に成り下がった経営者が官営新聞になるのも遠い話ではない。なによりも食い扶持主体なのだろう。

 

どうもこの政府は、国民からみれば浅薄な手練手管で国民を納得させているつもりだろうが、知識はあっても教養と忠恕心がない、つまり深層の情緒が寄り何処とする大御心の共有がない人たちのようだ。

 

もちろん、その社会現象と歴史を俯瞰して観照し、その因を求めるような為政者も見ることはない。大御心を斟酌して座とするならば、「下は上に倣う」ようになるだろう。かつ上から下への導線の経年劣化と詰まりを除去すれば、多くは解決できる問題が多いだろう。

とりもなおさず、詰まりも劣化も病気でいえば生活習慣病、発病は梗塞という自由を失う病だ。いま詰まりから毒素が発生している。しかしそこに目がいかない、いや隠し屏風になって隠れている狡猾な人間の群れだ。

 

再度、鎮まりを以て脚下照顧を願いたい

 

上下交々(こもごも)利に交わる」  (利権)

 

小人 利に集い、利薄ければ散ず」 (オリンピック)

 

智は大偽を生ず」知識のあるもの己を偽る (舛添事件  マスコミ)

 

小人は利に殉じ、大人は義に殉ず

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台湾道中記 

2022-05-15 03:01:45 | Weblog

              

               側近 山田純三郎   孫文

             

                     台湾国旗

 

筆者の台湾渡航は足かけ三十年になります。

その訪台の駆け出しのころのことだが、まだ日本語世代も五十そこそこ、色々な話が現実の情景とトレースするかのように、実感として受け入れられた時代でもあった。

   

    後藤新平台湾民生長官

 

冗談も通じたが、「むかしの日本人はそんな行儀の悪い人はいなかった」と、日本人旅行者が遠慮なく叱られた頃でもあった。

その日本語世代を教えたのは明治の日本人だった。

いまでも九十代の元気盛りの古老にはその気風が残っている。その方々と再会するのも旅の目的ともなっている。

 前列二人目 90才 97才 87才の日本語世代 高雄「仁愛の家」

 

 

また、庶民は政治との間(ま)の取り方を熟知している。

「赤も青も政権に就けば同じだね」国民党。民進党の党色

そんな感想を聴けるのも夜市や朝市の雑踏のなかのことだが、邦人のような四角四面な迎合や、腹の内にはない大らかさがある。無意識に潤いの情を感じるのはそのせいかもしれない。

 

師から辛亥革命の逸話を聴き、数日後飛びだったのは成田発、中正国際空港、いまの桃園国際空港だった。当てはなかったが辛亥革命の領袖、孫文の国父記念館、戦史を祀る忠烈祠、蒋介石の中正記念堂、それが最初だった。

当時は蒋介石の子息蒋経国氏の治世だったのだ、彼の行きつけの理髪店がある統一飯店に泊った。妙な理由だが独り旅の思い付きはそのようなことだった。

その収穫は、世界史に記されている西安事件の真の首謀者と師が語っていた苗剣秋宅への訪問だった。

以下は旧稿だか、再読すると今とは異なる感慨がある。

 

 

   台湾外交部

 

備忘録 「張学良 鎮す」

 張学良といえば国民党、共産党合作の舞台となった西安事件が有名だが、戦後、氏の存在はベールに包まれている。

なぜ台湾に移ったのか、西安事件の秘密は?それらの多くは語られることのない問題として日中近代史に多くの興味を投げかけている。

NHK特別番組でのインタビューで語る氏の゛語り口゛は、歴史経過の及ぼす様々な事象への慙愧と無常感が入り混じったものであった。ときには昂じ、あるいは鎮まりをもった姿は、まさに世界史の出演者である氏の生涯そのものの観があった。

ここでは歴史研究や学問としての中国観とは別に、普通なら取り上げられる事も無く、さりとて゛まんざら゛でもない、関係者からの平常な生活会話の中からエピソードを辿って見ることにする。

 

    

      訪問者と右少年矯正施設院長

 

1988年といえば天安門事件の2年前の12月、なんとなく足を向けた台湾台北でのことだつた。 師の佐藤慎一郎氏から伺っていた西安事件の立役者 苗剣秋氏のことを思い出し、唐突にもホテル前を逍遥する古老に尋ねてみた。

゛おぅおぅ知っている゛とばかりに古老は懐かしそうに早速、居住をどこかに尋ねている。 こんな時で無ければ会う事のない苗氏の名は古老なら知っている。

 

心当たりが分ったのか、本人も興味深々のようで目の前のタクシーを呼びとめ、到着したばかりの台北の町をひた走る。

やたら狭い路地を走ると保育園の前の古い建物の三楼(3階)を指して、下車を促す。

治安上なのか、階段入り口と苗宅のドア前には横引きの鉄製シャッターがあり、ドアはステンレスの堅牢なものだ。

呼び鈴を押すと初老のお手伝いとおぼしき女性が応対に出たが、なにしろ突然の訪問のため要領を得ない。

佐藤先生の友人です」とっさのことだが友人とは大仰な態度だった。

招き入れられた応接間に苗夫人がソファに座っていた。

壁には苗夫妻の若かりし頃の写真と剣秋氏の軸装が掛けられていた。一方には安岡正篤とあるが、何時もと違った感の書風の掲額がある。

話といっても佐藤師からの聞きかじりばかりで中身が無いので、夫人の近況を伺う事にした。

夫人は苗氏を苗先生と呼び、現在、加療中であり重体であり、夫人も養護施設の入所考えているが、なかなか順番が回ってこない。しかし、「施設では時間が軍隊のように決まっていて年寄りには辛いだろう」との不安を抱いている。

お手伝いサンの子供に話が移り、お手伝いサンが事故で怪我をした見舞金を息子が遊興に費やしている苦言を吐露している。

初対面での会話だが、佐藤師と苗氏の交流の深さが垣間見える応対でもある。

 

   

       中山記念小学校 校内売店

 

2度目の訪台は日本の国会に当たる立法院の梁粛成院長との会見や、興味を持ち始めた孫文の記念する国父記念館と蒋介石総統が提唱した「新生活運動」の原本を拝観するための中正記念堂訪問である。観光コースの忠烈館の回廊に唯一日本人が掲げられていることに胸が熱くなるほどの強烈な印象を受けたが、後日、拙稿「請孫文再来」の端緒であったことは想像する事ではなかった。

 

  

   梁立法院院長   丘氏

それと、友人の訪台に再し苗夫人の様子伺いと好物であるケーキの持参を依頼した折、「もう、さびしくて死んでしまいたい」との言葉があり、急遽の訪台計画でもあった。

 

初回は佐藤師にも知らせ無かった旅だつたが,苗氏の消息を報告した小生の言葉に

「それなら七福という通じの良くなる薬を持参してください。たしか夫人の常備薬ったはずだ。それと満州の大同学院の教え子に丘昌河という実業家と梁粛成という政治家が居るので時間があったら会って来たらよい」

 何時もながらの簡単な会話だが、あとは現地でどうにかするということだ。

 

夫人は待ちかねたようにベットから起き上がって持参したケーキを食べた。

すると、「苗先生は西安事件には関係ないのです」突然の言葉である。

「その話を伺いたくて訪ねたのではないですよ」考えもなく応答する

「あのとき先生は天津にいたんです」

只,黙って口元を注目するしかなかった

西安事件の立役者である苗氏のことは佐藤師にも聞いている

北方の軍閥,張作霖の子として生まれた張学良の学友として張作霖に可愛がられ、持ち前の利発さから日本に留学。一高帝大 難関高等文官試験に合格。張学良率いる東北軍の顧問として活躍し、周恩来とも懇意で事件前後さまざまな想定問答があったことは以後の推移をみてもわかる事だ。

また、佐藤師とも懇意であった苗氏の状況をみても事件の大筋は吐露している事だろう。

 

小生は学者,研究者の類ではなく、ましてブン屋のごときのように話の整合性を詰問したりはしないが、縁と人情に裏打ちされた継続すべき人間関係の中での体験会話の集積から読み取る「語り」である。たとえ備忘記述でも秘すべきもの,約束事については関係,無関係の事象を問わず、ふとした言わずもののなかに、あるいは嘆息の中に忖度すべきものと考えている。

 

      

       蒋介石総統       毛沢東主席

 

   

      習主席       馬台湾総統

 

苗氏は張学良に言う

「おまえの親父は誰に殺された」

「おまえは今,誰と戦おうとしているのか」

一時は麻薬中毒となり,軍閥の腐敗を増長させた張学良を叱責した苗氏の激情は,蒋介石を監禁した折の「殺してしまえ」といつた言葉にも表れる。≪ソ連からの密電で殺害は免れる≫

東北軍しかり,国府軍もまたしかり。軍備や戦機、といった戦略戦術の類に勝敗の有無を問うものではなく、目的の明確さを鮮明にした上で将兵や民心の助力を本としたもので無ければ,単なる武装暴力の腐敗や権力に添う富の収奪闘争なってしまう。

張作霖,袁世凱にある軍閥の様相は,孔財閥を財政部長に置き諸外国の援助を腐敗の具とした国民党の敗北と同様に、抜けがたい権力性癖を表している。

 

「誰に殺されたか」という苗の言葉は日本軍に爆殺された父張作霖であるが、小生の元に河本大作大佐が大阪士官学校同期の磯貝廉輔に宛て決行27日前に出した書簡の末尾に「満蒙に血の雨を降らせる…」と記し、南方便衣隊の仕業に見せる為、金を渡して雇い入れた中国人を刺殺し決行している。

北京から同行していた日本人将校は前の駅で降車し,唯一、有賀とかいう将校だけが知らされなく激怒したという逸話が残っている。

爆殺に怒って東北軍が攻撃してくればしめたものと考えていたが,東北人の智将蔵式ギの機転で重傷発表を行い,虚偽に薬の購入までさせている。

肩透かしを食ったのは河本を始めとする日本軍だった。

中央の意図しない現地の謀略に、慌てふためいて追認する伴食軍人や官僚の姿は今も変わりがない。

しかも、官癖というべき現状追認と理屈の塗り固めは、将来起り得るであろう泥沼化した日中戦の初頭を゛飾る゛蛮行でもあつた。

 

 

   苗 夫人

西安事件以後の国民党軍の姿に疲弊と戦後の国共内戦経過を見ると、周恩来の意図が成功し、中華人民共和国成立となるが、成立の立役者である苗氏も張学良も台湾に居住している。

確かに,一時期日本に亡命した苗氏だが、田中総理の日中国交回復交渉の経緯と結果に憤慨して台湾に渡ったが、生活の問題は民国政府のそれと聞く。

しかし,筆者が垣間見た国民党の情報機関「国際問題研究所」、実はゾルゲの謀略機間でありイギリス情報機間のパイル中佐との連携のもと、日本の北進政策を南進に切り返させた組織の日本駐在者として苗氏の名がある。

組織のトップは後の中華民国駐日大使館の参事官,王大禎(梵生)であり、日本朝野の要人との交流で信頼を集め、あの安岡正篤氏をもって「大人の風格ある人物」と言わしめている。

また北京の交流拠点であり、大倉財閥の資金を北伐資金に投じていた宮本利直氏の主宰する宮本公館に出入りし「大志を共有する老朋友」と肝胆相照らす仲でもある。

有名な抗日事件であった129事件から始まった2年後の露構橋から西安事件と、その謀略の流れは破錠することなく中華人民共和国の成立から現在のアジアの分断混乱までつづいている。

国際問題研究所の組織図には、末端にあの満鉄調査部所属の朝日新聞の尾崎ホツ実や偽造紙幣の印刷担当に青山和夫、あるいは日本滞在の欄には苗剣秋氏がある。

 

西安は事変でも事件でもない。短期的には国際コミンテルンによる中華人民共和国の成立だが、イギリス情報部とチャーチル ゾルゲとスターリン 王大禎の真珠湾攻撃数週間前の決定情報とアメリカ情報部などを、地球儀を回転させた関係図から読み取ると戦争や事件の研究追跡というミクロ視点では汲み取れない、遠大な意図と目標に向かった謀略が潜んでいるように見える。

 

近年「文明の衝突」だとかの推考があるが、満州事変の確信的首謀者である石原莞爾の「世界最終戦論」や、中国近代革命の父孫文が終始唱えていた「日支提携してアジアを興す」、あるいは日本に対して「西洋覇道の狗となるか,東洋王道の干城となるか」が一層鮮明として今日の現状を考える上で重要なキーワードになっている。

 

張学良氏の慙愧とウメキに似た言葉は、゛了見が狭くわからずやな日本及び日本人゛に対して向けられている。

それは、゛真の日本人がいなくなった゛と嘆息した孫文の言葉と同様に聞こえるのは筆者だけではあるまい。

 

苗氏は台湾を切り捨て、中国になびく日本の政治家を称してこう言っている。

「三木は見限った 大平は真っ平だ 中曽根には根が無い 田中は一角の繁栄しか考えない」

そして「日本人は世界史に名を称えられるような民族にならなくてはならない」と

 

       

      蒋夫妻

余談だか

 佐藤師から,「西安事件の秘密資料はイングランド銀行の金庫にある」というが、蒋介石を迎えに行った宗美玲に同行したイギリスの美術商の奇怪な行動をみると理解が近くなる。

また事件をよく知る中華街の名のある古老に,蒋夫人が西安に乗りこみ蒋介石を連れ戻したのはどうしてか?との問いに

「張学良は美玲のボーイフレンドだからだ」

 

ソビエトの指令で死を免れた蒋介石だが張学良の台湾幽閉と生死、生活の保証は、たとえイングランド銀行の秘密文書があったとしても、中華街の古老の話のほうが真実味がある。

 

日本人には理解しずらい面白い逸話だがこんな事もある

共産党の重鎮である朱徳の甥が来日した。

要件は中曽根総理に会いたいと言う事だった。

「佐藤先生は中曽根さんを知っているはずだから取り持ってくれませんか」

「私は近頃,外出も不自由になって…・」

「それなら,秘書の方を紹介してください」

「よく知らない人だが拓大に居ったときに学長は中曽根さんだったので訪ねてみか」

 一国の総理に対して、いくら重鎮の朱徳の甥でも,しかも,何の用なのか

 ともかく議員会館を訪ねてみると、廊下の向こうで

「やぁ 佐藤先生ご無沙汰しております」

旧知の上和田秘書である。

「総理は多忙なので私、上和田がお聞きします」

話は秘書が引き取ったが,内容は、いわゆる゛個人的゛な付き合いをしましょうという事だ。

 この甥は普段、台湾で反共新聞を発行している人間で,台湾でも力のある部類でもある。 それが中国共産党の重鎮の使いとは,聞いているほうが混迷してしまうエピソードだが、左様に事象の見方は複雑で入り組んでいるが、『利』の潤いや゛人情を贈る゛という『賄賂』には国共や思想スローガンも存在しない。

まさに「禁ずるところ利を生ず」だ。〈規制を作れば、税金や罰金、ときに賄賂まで入る〉

 

          

       若き蒋介石と山田      張作霖爆殺

        

 

ともあれ,苗氏宅訪問が思いがけない歴史深訪になったが、筆者にとっては苗夫人の言葉に震え、それが自らの生涯に忘れ得ぬ一つの絵となって刻まれた。

「苗先生は自分を探す為に一生懸命忙しい人生だったのです」 

遠来の無名な若造の目を凝視して諭すように語り掛けた。

病床から起きあがり、ベットに両手を支え、さっきと違う声の力があつた。

次ぎの言葉を待った。刻が長い

「張サン〈学良〉はねェ お坊ちゃんですョ」

歴史は探求する事だけにあるものではない。

眺めるものだと考え始めたのもこの時からだ。

 

一部イメージは関係殺とより転載

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