まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

郷学の学び 『大学へ行くのか・・・』15,2/2再

2015-06-30 12:38:53 | Weblog

無いよりは有った方が良い類のことである。それが身分を構成するものだとしても「人格」を代表することはない。


障子を透かす陽光が背中から射して碩学の顔がどこか影っている。
それは現役進学時の難題から恩師がせっかく綴ってくれた内申書を破り捨てた時と同じような頭をめぐらす納得であり、世俗の成功価値から離れる一瞬のことだった。進学校、いや大型塾の様だった高校は生徒に冒険を促した。なかには要らぬ敗北感落ち込む者もいた。教師も数値を上げるために「滑り止め」と陳腐な試みをする教員も多かった。それさえも父兄は温情と受け取った。本人の志望は別として安全パイと称する大学を羅列して内申書を書くことあった。みると六大学の有名校のようだが、枯れ木にしか見えなかったこともあった。

明治以降の学校の歴を立身出世の具にする世情は戦禍を超え、より軽薄な競争として団塊世代を巻き込んだ。多くは生活の安定と取得給金の多寡を競う受験戦争に送り込む家族の期待だった。そう、たどり着く将来を夢想した「戦争」だった。

だが学び舎は苦いものだったが、甘味も強かった。
数値評価による個別化ゆえなのか、怠惰な遊興に走るものも多かった。景気が良かったためか子供に投資のつもりで親は無理をしてても子供のすねかじりを許容した。麻雀、思春期をスキップしたためか異性興味のナンパ、同棲、「赤提灯」や「まちぶせ」という楽曲が流行り、却って窮屈になった社会観は矛盾に対する行動として「学生運動」となった。
「やるべきこと」の目的意識より「やりたいこと」への扇動は社会全体の錯覚した自由への風だった。

筆者の祖父母も「大学に入ったら車を買ってやる」という有様だった。有り難かったが複雑だった。この複雑感を解決できる学び舎は大学にはなかった。己もあのような先輩のようになるのか。当時は車と異性と幾ばくかの金があれば流行りのカルチャーに参加できた。
それに不思議感があった。それは浮世離れの偏屈と人には映った。









中学から親と離れて祖父母と暮らした。幼児の頃から曽祖父は自転車の荷台に乗せて幼稚園に送ってくれた。思春期の烏帽子親のような爺さんが亡くなってから親が同居したが、どこか間(ま)があった。高校ではなぜか「おじん臭い」といわれたが、アンバランスな老成だったようだ。そして変わった知識欲とそれをどのように用いるのか、その学びの探求はどのような手段があるのか、妙な興味があった。父のような爺さんの死別は死生観を変化させ、世俗の成功価値にも疑問を抱いたようだ。いま想えば学びの方向性の変化であり、その後の老境に入った賢者との邂逅に拘りの無い許容となり交流になったようだ。

それは大学進学という流れに己をおく、学びの矛盾と無意味さに向かうことにもなった。
そして老海を逍遥した。とくに明治の人物に興味を持ち多くの厚誼が拓かれた。
官製の学校制度に疑問を持ち、与えられ数値選別されるカリキュラムの意味を再度考えてみたが、その時はまだ見いだせないものがあった。たとえ新たな世界での朋友との出会いや縁の効用を呈されても、云われれば言われるほど、働きながら老海を逍遥する数多の縁の方に向かうのだった。

だだ、どんな所なのか覗きたいとも思っていた。大学校と云う所への好奇心だった。
碩学との邂逅もそんな時だった。
「大学という学問は面白いが、大学校はつまらん人間もつくるところだ。興味ある学科が無いので図書館に入り浸っていた」
大学は四書五経にある「大学」である。その意は自らを明らかにする「明徳」だ。
自身の特徴を発見してそれを伸ばすのが学問なら、己を知らずして知識・技術を学んだのでは、本当の自身の特徴(徳)を知らずして、単に「知った、覚えた」類で自身を発揮できない。
まして生活の安定や富貴のために経歴を作ることなどは学問の堕落だ。



後日、柳橋由雄という同学者が「立候補して世を正したい」と伝えたら、「君、議員になるのかね」といわれ、自身の欲念を断ち切られたと語っている。
「大学に行くのか」それだけでも己を悟るのに充分な言葉だった。
その後は地方の道学を訪ねるときは、必ず助言があった。
北九州の加藤三之輔氏に会いますといえば、「豪傑が多いので気を付けるように」と。
官僚や政治家、企業責任者や学者も数多だ。そして和綴じの記名帳の先頭に自身の名を標し、表紙は「布仁興義」と書いていただいた。それを抱いて著名人を訪ねた。
なかには某大学の名誉教授などは「大学は,いま何を、どんな履歴」などと豪勢な応接間で尋ねたが、退去間際に記名簿を差出し署名を依頼すると、冒頭に安岡正篤と記されているのを見たとたん、卑屈な迎合態度を表した。しかもページを開けて次ページに署名、あの赤尾敏氏は安岡氏の隣に堂々と記した。数多の面会は巷間の印象とは異なる人間の姿をを知ることだった。











「虚飾の学はそのようなもの、人物を量る観を養うことが重要だ」
物知りについては、物に点をつけて「点で物にならない」と洒脱な応えもある。
「無名は有力だ」当時は解らなかった。
たしかに、その逆は「有名は無力」だが、今どきはそれが煩いを起こしている。
政治の世界、ビジネスの世界においては忌み嫌われる視点ではあるが、それが解ると自由度、突破力、情報に対する許容量が広がる。


以前、某大学の特別講義を依頼されたとき、同伴の金沢明造氏が述懐していたことがある。氏は広島の在日韓国二世であるが こと矜持は日本人を唸らせるものがある。法科在学中のこと、有名な教授がこう喝破した。
「君たちは勉学に励み、全員司法試験に合格してほしい。そして合格したら弁護士になり全員バッチを外したらいい」
その気概で不正と戦ってほしいとの気持ちだった。
その時は不思議だった。いやとんでもない教授だと思っていた。しかし、バッチが身分になり、黒でも白と言い含める厚かましさと、その対価に敏感となり、受託すらそれによって判断する法徒の姿に危惧を覚えるのだ、それを教授は法徒の堕落として憂慮したのだ。

消費者金融の大手と係争した時、毎日裁判所の前でチラシを手渡した。結果は勝訴。
眺めていた司法書士や弁護士はその勝訴を盾に過払い金請求を起こしている。困窮者救済を掲げるハゲタカは後を絶たない。

http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=c063f1de57b742ddd744cc6b501a1dec&p=1&disp=50


彼も無名の人間だった
だだ、無名は孤独と疎外の恐れを抱くこともあるが、松陰が弟子に説く学問の端は「他と異なることを恐れない精神」が、多くの可能性と突破力を生じたことは、何もしないで人生を経ることの無意味さを言っているのだろう。
解らなければ己の至誠と行動で魅せる教育首松陰の学びへの率先垂範、しかも不特定多数の安寧に懸けた善なる精神性は、有名・無名を問わない歴史に効ある学問である。



たしかに西洋かぶれした明治初頭の学校制度は功罪を半ばとしている。
陸大、士官学校、帝大の卒業席次はどんなリーダーを描いたのだろう。
勅任官も高級と冠される軍人や官僚は満州崩壊で居留民を置き去りに遁走している。

「吾、汝らほど書を読まず、されど汝らほど愚かならず」
「物知りのバカは、無学の莫迦より始末が悪い」


佐藤慎一郎氏のその時の感慨である


それ以前の龍馬、晋作、松陰、西郷、海舟、鉄舟などの英傑の逸話は多いが、彼らは塾や藩校の学びだ。フランスの学制を模倣したためか自由や平等を日本人の心に重ね、覆った。
いまさら啓蒙思想の良し悪しを問うものではないが、どこか人間の劣化を漂わせる。
彼らは造物主(神)の最高の造化は人間だという。封建の無学無名の日本の農民は「可愛い牛や馬も一緒じゃないのですか」と応えた。まさに人間の尊厳を支えるものと毀損するものの考えを端的に応えている。それが西洋の合理的知識だという。そして数値だ。


「大学に行くのか・・」

よく筆者の特徴と将来を推し量った言葉だったと感謝している。
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10年前にはピンとこなかったようだが・・・ 08 1/1 元旦 再掲載

2015-06-26 09:25:26 | Weblog


戊 寅 の 独 り 言

  いつだったか青い目の悪戯っ子が耳元で囁いた。

「われわれはすべての信仰を破壊し、民衆の心から神と聖霊の思想を奪い、代わりに数字的打算と物質的欲望を与える。

思索と観照の暇を与えないためには民衆の関心を商工業に引き付ける。 

 そのようにしてすべての人々は自分の利益のみに没頭して共同の敵を見逃してしまう。

 自由と民主主義が社会を瓦解させてしまうためには商工業を投機的基盤におかなければならない。

 そして商工業が大地から取り出した富は民衆の手から投機家を通じてすべて我々の金庫に収まる。 

 経済的生活で優越を得るための激しい闘争と市場での絶えざる投機は人情薄弱な社会を作り出すだろう。 

そして、高尚な政治や宗教に対して嫌気がさし金儲けに対する執念だけが唯一の生き甲斐になるだろう。

民衆は金で得られる物質的快楽を求め、金を偶像視するようになるだろう。 そこで彼ら民衆の貧乏人どもは高邁な目的のため自ら財を蓄えるためでもなく、ただ錯覚した上流社会への嫉妬にかられ、われらに付き従い、われわれの競争者である特権的立場のものに反逆するだろう」



そういえば古事記に
国稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)のごとくして、くらげなす漂えるとき、葦牙(あしかび)のごと萌えあがる物によりて成れる …  と、ある。
古典や故事を引用するぐらいの知恵者にあやかるまえに、大地の表層に浮かぶ脂やクラゲのように浮遊し、葦の芽ぐらいだった原祖を思い浮かべ、 青い目の悪戯っ子の囁きに、黒い目を白黒することのない心の鎮まりを見つけたいものです。

尊台の御健勝とご家族の招福を御祈念もうしあげます。


                 戊 寅 睦 月 吉 日1998/1/1

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宰相は、慌てず、競わず、怯まず     14 6/12再

2015-06-17 08:50:51 | Weblog
青森県十三湖





政治の「政」は、正を行う意だが、一に止まる(正)、「してはならないこと」、ことと、「これだけは行わなくてはならない」ことの矜持と決断を表している。それには下座観と時節の俯瞰が必要だが、その思考の座標は沈着冷静を以て行うべきだろう。

標記は、総てが沈着冷静を本とする「多不」だ。急がず、阿(おもね)ず、妬まず、など色々だが、要は不完全なる故の「自省」を本としている

茶坊主や陣笠には分からなくてもいいことだが、宰相は内外の施策方針を陛下に奏上(天聴)する務めがある。陛下とて内外の事情、とくに国民(大御宝)の生計を案じ、細かく世情を観察している。

安倍さんの叔父さんになる佐藤栄作首相は度々皇居に参内している
いまも変わりはないが、猟官、政策提言、など、こと理由をつけて総理に面会を希望する者がいる。宰相とて選挙を深慮するあまり、忙しい合間を縫って地元なり経済界の後援者と会うが、お決まりは陳情もしくは地域や職域の充て職就任の報告など、断りにくい煩いの時を費やしている。





後藤新平

『人を観て、人を育て、人を活かし、人が資材を活かせば超数的効果がうまれる』。
数字をもてあそぶ乗数効果では効果は誤った方向に行きかねない。





一方、数値教育の弊害によって、部分専門家が増えたためか、あるいは各省の縦割りの弊害なのか、それぞれが完結せず、どうしても総理の裁可を仰がなければならない事案もある。
つまり、信頼に足らなくて任せられないのか、官僚に多面的能力と許容量が乏しいのか、これまた分刻みの予定が入り込んでいる。

それに加えて昨今の政治につきものの、マスコミ用のパフォーマンスにも磨きを掛けなくてはならない。株上がれと八百屋でカブを掲げ挙げるのもその一つだが、よくぞ総理にやらせると思う珍奇な芸を所望する取り巻きもいる。いくら選挙向けでもそれほど国民のIQは低くはない。その点、物知りの馬鹿より無学の莫過の方が愚かではない。
「莫過」は過ぎたるは莫(な)し、バカに出来がいい、バカでかい、の類で、決して愚か者を喩えることではない。

余暇にゴルフや居酒屋もいいが、それでストレス発散や教養の種になるのは応用力のたまものだが、昔の宰相は閑居に独想を愉しみ、「清風の至るを許す」厳しさがあった。
「清風・・」とは、「葷酒、山門に入るを許さず」と禅寺の山門に大書したあることと同じで、「葷酒」は臭い人間が入るところではないよ、ということと、「清風・・・」ならいいが、金の臭いや、名利の促しはお断りでということだ。
もっとも、黙っていても漂う人格識見なら近づきもしない。つまり、余計な情報を押し抱いて来るような輩を寄せ付けない人物に成れ、ということだ。逆に欲の深い迎合心の強いものが集まるのも、その人物の雰囲気から発する臭いだ。類は友を呼ぶ。
人格者は諫言をよく聴き、決して遠ざけない。
慌て、騒ぎ、競い、小心で怯む人間は、諫言をことのほか嫌う。くわえて雑事でも聴きたがり、知りたがる。


現実政治は現世価値による世情観察で物事が動くと考えている。とくに数値や仲間内の理屈は、往々にして計算違いした時に分派、分裂する。
とくに、外交では対立した異民族を対象にしたときは表裏と民癖などがどうしてもネガティブに向かってしまう。しかも急ぎと競争が面前に現われると、どうしても売文の輩や言論貴族の言を流用し、かつ弄ばれて、歴史に耐えうる政策の統一性と思索の許容力が、古臭い、野暮だと切り捨てられ、どうしても目新しい巧言をともなう政策に堕してしまう。
ついには追い立てられるように政策を乱発して、ただ落ち着きのない騒がしい政治になってしまう。









宰相は孤独を悦ぶのが、和魂の為政者の風だった。絵画に描かれている借景を観て自然を想像し、賢書を読んで出処進退を倣いとする、故に急がず、騒がず、慌てず、競わず、怯まず、の気風が養われ漂う落ち着いた政治ができたのだろう。なにも固陋な隣国な古典を読まずとも、我が国の栄枯盛衰に表れた和魂を知るだけでもいい。
政治でも洋行帰りの洋才流行りだが、語学とグルメと合理と思われる仕組みを知っても、伏魔殿を形成している国賊的省庁もある。

静かに落ち着いた思索と観照が宰相の務めだとしても、おちおち黙っていられない連中を相手にしては大変だろうが、そんな取り巻きに限って窮すれば他人のせい、危なくなれば使いっぱなしで総理に責任を負わせる。

一度は政権を離れ孤独な閑居と国内巡察を得て習得したことは、人を観る目(観人則)だったはずだ。昨今は観人の座標が一過性の功利に揺らいでいる。
何となく、落ち着かない流れに乗っている国情だと感じる国民の多くは、政経・マスコミの騒ぎの底流を、宰相の沈着冷静の微かなる姿だと考え始めるのは、そう遠いことではない。

それは国家への信の行方でもある。
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小章 満州郷村運動に倣う地方創生の要   其の二

2015-06-11 08:04:20 | Weblog
満鉄総裁 後藤新平

人を観て、人を育て、人によって資材を活かすことで、超数的効果が生まれる

その後は官吏の乗数効果手法のの政策で、人の育て方も、活かし方も数値選別評価に埋没してしまった。




其の一より・・・

国内における閉塞感、軍官吏の増長、議会の権能の欠如は、ある種の泥足紐付きではあったが、満洲での異民族との交流は明治以降衰えたかのように見えた良質の公的使命観念への大らかな意識の甦りと躍動でもあった。

笠木会はそれを髣髴とさせるに充分な雰囲気だった。

後年になって石原莞爾の唱えた東亜連盟を継承する会に筆者も招かれ毎年物故祭に参加しているが、当時の縁者は少ないが歴史を継承する意味では貴重な会の姿である。

 実は、笠木会でもあったことだが、関東軍と満鉄の調査部、自治指導部とは妙な軋轢があり妙に思っていたが、石原の内地召還後の関東軍の、゛軍官吏らしい゛横暴がそれを意味していたようだった。それは短絡的な極論かもしれないが王道と覇道という違う姿の軋轢だったようだ。またスローガンはそのように謳った。

現代でも繁栄した地域に諸外国の若者が集う。満州は異民族の土地に国家なるものを作り、そこに集まった。大地球からすれば小さなコロニーだが、試行の目的であるならばそれも方策だ。だか、大国の謀に乗ずる欲望は拡大、進出と、大陸国家が歴史上に繰り返された版図の書き換えまで模倣するようになった。

しかし、その「王道」は現地では偽満州の看板と揶揄することもあろうが、当時の日本人青年の清廉なる義侠は多くの異民族に愛顧として、今でも残影に残っている。
その先導者笠木の風儀は、地位や名誉、財力というようなものを成功価値とはしなかった。「滝に打たれて修行します」といえば、『滝に打たれて立派な人間になるなら滝つぼの鯉は一年中打たれているので立派な鯉だ』と応じる。高名な大川周明の話を聴く会に行ったが、『俺はポチ(犬)ではない』と、高名に集う聴衆に対して意志を示している。笠木につけられた冠は「満洲の精神的支柱」である。

 関東軍の石原,自治指導に挺身した青年の精神的支柱であった笠木の真意について、肝胆照らす二人の姿を映すコラムを以下に掲載し、かつ協和を妨げるものは何か・・、あるいは笠木の壮大な取り組みを将来妨げるものは何か・・、有史以来はじめて異国の地に伏して日本及び日本人協和を試行した経過を鑑としてみたい。










参考に 《一草莽》と称する著者の「アジア主義」と「日本主義」と題した関係章を抜粋として転載挿入する

≪『昭和六年十月の、とある一日、満洲奉天は妙心寺に、笠木良明をはじめとした三十五、六人の青年たちが集まっていた。勃発したばかりの満州事変に対する大雄峯会の態度を協議するためである。そこへ招かれて、事変の立役者、石原莞爾関東軍参謀がやってきた。板垣高級参謀も一緒だった。石原莞爾は、山形弁をまるだしに、むしろとつとつと語った。

 われわれが満州事変に決起したのは、民衆を搾取して悪政かぎりない張学良政府を打倒するためである。軍閥官僚どもを追い払ったあと、この地には日本の影響下に新しい独立国を創らなければならない。日本、支那、朝鮮、蒙古などの各民族はこの国に相集まり、それぞれの特性を発揮して「自由」「平等」に競争しあい、満蒙の豊かな資源の「合理的開発」につとめる。そうすれば、日本の景気行き詰まりも打開され、満蒙住民も潤うだろう。こうして、満蒙の地は「在満蒙各種民族」が融和し、生かしあい、たがいに栄える「楽土」となるのである。また、そうなるように、けんめいに努力を傾けたい、と。

大雄峯会の若い面々は、こういった説明を聞いて、しだいに興奮していった。だがいったい「どういう具合に民衆を組織し、如何なる理念をもって新社会を築きあげる」べきか、「甲論乙駁で誠に烈しい議論」がつづいた。

とうとう笠木良明が口をきった。-ここ満蒙こそは「大乗相応の地」だ、アジア復興(解放)というわれわれの念願を実現することのできるところだ。まず第一に、「過去一切の苛政、誤解、迷想、紛糾等」を洗い流し追放して、この地に「極楽土」を創ろう。石原さんの意見にはまったく賛成だ。住民がどこの国のひとかなぞ問うてはいけない。つぎ第二に、満蒙「極楽土」を砦とし、この根拠地から「興亜の大濤」をまきおこそう。インドやエジプトにまでも、この波を広げていこう。われわれは「東亜の光」となって「全世界を光被」するのだ。そうすれば、ついには「全人類間に真誠の大調和」を創り出すこともできるのだ、と。

 こうして、陸大出のエリート軍人・石原莞爾と、東京帝大法科卒業の満鉄マン、古くからの「愛国運動者」、笠木良明は、満州事変→建国の過程で一種意気投合したのであった。
(甲斐政治「自治指導部、鉄嶺政府について」)』

 この会合での石原莞爾と笠木良明の発言は、(満洲の)アジア主義を象徴するような発言であろうと思います。この中で笠木が「住民がどこの国のひとかなぞ問うてはいけない」という発言をしていますが、私は「戦前のアジア主義にとって、アジアという地縁はさして大きな意味を持っていなかった」と考えています。
 私は、「アジア主義のアジア」というのは、「アジア共同体のアジア」よりも、「アジア的王道政治(外交)のアジア」という側面の方が強かったのではないかと思います。それ故に、「住民が何処の国か」にこだわる地縁重視の姿勢が否定されたのだろうと思います。

 笠木良明も、大川周明門下の『日本主義者』であったそうですが、『日本主義者』として日本の理想とする世界像(外交)を追い求め、辿り着いたのがアジア主義だったのでしょう。アジアという地縁にこだわっていた側面も確かにあったのでしょうが、たまたま「アジア」と呼ばれる地域の人々が欧米の植民地として抑圧され、日本人が理想とする世界像から容認できない状況にあったから、アジアの人々と大同団結して戦おうとしたのであり、もし逆に欧米の国々がアジアの植民地として抑圧されていたならば、「欧米主義」になって欧米の国々を救うためにアジアと戦ったのではないかと思います。≫

参考転載おわり





大同学院教授 佐藤慎一郎氏




当時、満蒙開拓を企図して満鉄の笠木良明氏の提唱によって自治指導部が結成され、多くの青年が郷村に入って各種の指導を行っている。指導と云っても権力を用とすることではなく、丸腰(武器携帯もなく)で縁故もない満州各地に赴任した。

それは四角四面の官吏のような作業ではなく,見も知らぬ辺境の地において異なる習慣と陋規によって共同体を営む民族に、自己に内在する普遍なる人情を懸けた行動だった。況(いわん)や異民族が勝手に得心した文化なるもの、まして近代的生活なるものを単なる日本的お節介(押し込み)で行ったものでなければ、満州経営の先兵として走ったものでもない。青年とてそんな企図に導かれて命懸けで赴任したものではない

また、成果が上がり名利や地位を得ることを勘案する精神では、もともと些少の成果すら期すことはできなかっただろう。それは郷村の民が今までに経験した為政者の政策や応対を熟知し、かつ為政者たるものの虚装と性癖が染みついていればこそ、単独赴任の能力はひとえに梁巨川先生の説く「人格」によるものでしか通用しないものだった。表れるのは正直、勤勉、忍耐、礼儀、そして許容量ある大らかさだ。


とくに彼の地の歴史では異民族に拘りがない。元宰相の色目人耶律楚材、皇帝溥儀を護り信頼の厚かった工藤忠、孫文の側近で唯一臨終に立ち会った山田純三郎など、国籍なるもの、出自、経歴、に拘らない信頼すべき人情を分かり合える人たちだ。故に多くの無名な青年の精勤は至るところで成果を挙げている。それは教育や生産の自活性を高めることになり、他郷との交易に適う能力を涵養して、まさに一灯を集め万灯として多くの郷村を照らすことが可能になった。

それは人々の忘れていた能力や可能性を自覚して甦えさせることでもあり、人々が相互に信頼し協働する成果となった。また「長(おさ)」を自然的に推戴することでもあり、人間相互の篤心を高め郷の安寧を図ることでもあった。

他方、欧米による宗教的教義に基づく郷村作興もあった。それは東洋の諦観を変化させることにもなったが、生産性や教育など数値合理性を
求める彼の地には似て非なる情感を発生させた。その意味では梁巨川先生を範とする梁漱溟氏の説く、民の在り様を変えることなく、自然律や郷独特の情緒をもとに徐々に機能化する作興は、民そのものの潜在する能力を覚醒し、自発性を起こさせる要となる「己を信じる」ことによって成果を得る、その触媒としての学舎を出でた率先行動があった。

事後の成果評価は別にして、彼の国の、人を讃え、人が掲げ導くことによる人の躍動と連帯感は、狭い範囲の人情を至上のものとする人々の営みを、集合効果として用いたことにも一理はある。また毀損されない自由はときに放埓となり、集合体を離散させ他国の侵入を許す危機でもあり、時に一族の人情や郷の郷愁に浸りつつも、国なるものの連帯という一種の不自由を許容する融通性も必要だろう。

我が国も明治以降、国家なるものを創成し、国民と呼称されたときから中央政府の集権が始まった。それまでは包み込めば国家との見方があるが個別に藩が存在し、教育や農法、則も異なっていた。幕府からは武家を統御するために法度という掟条が発布されたが、民を裁制する法は各々藩の慣習や郷の掟によって治められ、あえて成文化されることも稀だった。藩には藩校があり、郷村には塾があった。それは清末の混乱期において桂林の地に生まれ哲人碩学と謳われた梁先生もそうだった。



郷学の作興を唱えた 安岡正篤氏



小会 郷学研修会 卜部皇太后御用掛 講話




それは中央集権国家の用とする教育とは異なる「郷学」のもつ人間陶冶(形成)修学の成果である。それは人為律を国家なり為政の方策として人間を統御するための学問を郷村作興にそのまま充てはめられないことでもある。それは領地の防衛や生産性は集合体の必須な政策としての郷村との捉え方は否定はしないが、深層の国力としての国家への協調や親和心を培うには、また別種の取り組み方が必要になるだろう。
それは郷村のためのエリートの養成だ。世俗の実利のための数値選別に必須な知学も大切だが、数値に表わすことのできない修養が郷の人心安定には必要だ。社会は「人心微かなり」となっている。

とくに都会はその狂乱に近似する状態だ。我欲の増大は競い、争い、人は不信になる。梁先生の言葉を借りるまでもなく、それこそ躍動の社会ではあるが、国家の目標具現の結果なのであろうか。
その理想を掘り起して再復させるために梁漱溟氏は隔地であるが郷村の地に、理想社会の実現を描いたのだ、畢竟、その集合体が国家なるものとの信念であり、父の理想である人の棲む社会の実現なのだ。
その人とは、生死の間にある人畜の異なりやその分別を始めとして、人としての善悪を弁えることだ。そのためには欲望のコントロールを修學の根本におき、よき人生を集合体のなかに育むことだ。競い、争い、怯み、恨む、は小冨の欲求にあり、大冨は人生の禍福を眺める客観性を持つことだ。

古臭くも固陋な考察だが、この再復なくして為政者の掲げる「夢」には届かない。
また、時節の転換期に見る流行り思考は、地球上の表皮に多くの毀損を生じ、各々が永続していた歴史の核を異文化の邪まにも見える企図によって崩壊させている。棲み分けられた民族には集合体を形成する過程で族長を推戴する。ときにそれを鑑として倣い、希望を抱き、従順して随うこともある。その呼称は様々ではあるが忠恕ある専制が安定であり理想となっている国もある。種々編出され提供される強圧的統治手法や思想は、仮借する者にとっていたずらな混乱を招いている。

例えば後の政策としてソビエトの集団農営や中国の人民公社がある。
在華二十年にわたる佐藤慎一郎氏は農民について「多くの民族で構成された国家の収斂には便宜的な方法ではあるが、思想という一種合理的におもえる手法によって自然界に生息する人間の行動を画一化し、統合することは政治的には有効合理だとしても、生身の人間、とくに逞しい中国の民には無理がある。それは、゛為政者の言っていること゛と合理ではなく「無理」に面従腹背する作戯を生ずる。また理は無限大の意味を生ずる、つまり「無理」と智慧を働かせ天理に沿う天下思想に己の営みを転化させることのできる許容量のある民族なのだ。

自然は人間に普遍的恩恵と惨禍を与える。それは循環の動きとなって遍く平等観
や死生観となって人間の情緒を涵養する。そのようにして現世をどのように生きるかという姿が文化と文明となり育ってきた。しかも積層されたものに通貫するのは唯我の思想だ。それが時と量、唯我が手にする平等分配が彼の民族に合うはずはない

これが人民公社創成期に語った言葉である。







右 吉林興亜塾々長 五十嵐八郎氏




たしかに砂民と称され纏りのない民情だが、為政者の易性はあっても民族は滅びることもなく永い歴史を刻んでいる。また、識者はカオスと観る者もいるが、かえって混沌(カオス)でなくては人間関係の巧みさは育まれなかっただろう。善悪が存在してこそ分別は生じ、潜在する心情保護として諦観も生まれる。つまり唯我の外部に目を閉ざし除ける生き方だ。
そこには聖人君子の言などは入り込む隙はない。唯一は形式的看板と我が身を虚飾する用のみである。それは企図する実利を飾り隠すことにもなっている。

あの科挙試験を経て昇官する官吏は発財を描き、銅臭紛々としていた。その科挙試験の題目は聖人君子の有り難くも悟りある教えだ。それがいくら清廉でも数年経てば銀貨舞う状態になる。官庁は南面に門を開き税の徴収に勤しみ、民は従順としてかつ官吏を蔑む。
善悪を問わず「力」のある部分を認知して嬉々として迎合したり屈する慣性は、学問を旨とする知識人とて例外ではない。



つまり、帝を推戴し、為政者(宰相)は有司専制(官僚独裁)をおこなう体制だが、我が国もその点は模倣している。つまり近代化といわれ一定範囲の民主や自由を提供された国民は行き着く処、中国同様の「砂民」的状況になってきたのだ。そして、互いに同化しやすい環境であり、体制としては専制に進まなければ国家としての態を成さないようになるだろう。
歴史に記されている皇帝による封建、革命時の袁世凱も孫文も掲げることは違っても専制を描いた。もちろん蒋介石も毛沢東も統治の仕組みや掲げる思想は異なっても、描いたことは専制だ。

民主や自由や人権を提唱している西欧にとっても、あるいはグローバルスタンダードを提唱している金融集団も、まずは固陋なる慣習を打破するために民主や自由、人権を大衆に唱えて連帯の鎖を解き、人情すら希薄なものとした。つまり砂民化である。
ここに触媒として先に書いた三欲を喚起させ、成功価値、人生価値まで恣意的に変更させた。
それは「小人の学 利にすすむ」「小人、利に殉ず」「小人、利に集い、利薄ければ散ず
のたとえを待つまでもなく功利的状況をつくりだし、「上下交々利をとれば国 危うし」の状態になってきた。

それは梁巨川先生の「人が人でなく・・」になり、梁漱溟先生の「術を失くし・・・」の状況であり、それを防ぐ手段と行動としての思想展開と郷村運動の実践となったのだ。

それは民族の情感にうまく接合しないために起きた混乱である。梁漱溟氏の志業は民族の固陋なる性癖や慣習にあった先人の知恵を活用している。だだ、欲望と異なる思想の干渉は障害もあったが、氏の達観した砂民的民族観は纏めるための要点として、人情の潤いと人心を安らぐ公平観に加え、従来の天下思想に基づく大らかな自由を作興の担保としている。そこに付随するのは、知識や技術そして郷に合った仕組みである。





山田純三郎と孫文





前列右 頭山満 末永節 後列右 佐藤慎一郎

亜細亜を地球の郷村に例えれば、郷村の自立と域内の融和を希求して、かつ西洋と争うことなく調和しようと唱えた孫文先生の大経綸にも通ずることでもある。
逸話だが、孫文先生と縁のある方々にその特異な部分を聴くと、「お金に綺麗」u>だという。
在外華僑からの資金は上海の山田純三郎のところに集まった。「孫文先生はお金に触らなかった」と山田はいう。慶齢夫人への遺書で「上海の家を・・」とあり、同志の前で読み上げたら、「あんな幾つもの抵当に入っている家を貰っても可哀想だ」と、死後はじめて笑い声があがったという。

郷村の民は提唱者を観ている。そして無言で歓迎し拒否もする。
そこでも「人が人でなくて・・」が成否の要となる。
ささやかでも真の人情の在り処を探し、また解かる人たちがいる。
また、悪は永劫に栄えないことを知り、没落を眺める余裕もある。
況や、普遍な人情を知ることで、真の日本人はどのような人達かも知っている。

孫文は側近の山田に「真の日本人が・・」と嘆息した。
山田の兄は異郷人だと助かるものを「自分はシナ人だ」といって恵州で革命に殉じている。
孫文先生の臨終に際して慶齢夫人に独り招き入れられた山田の落涙は孫文先生の頬を濡らし、誠心ある中日民族の提携と友誼を誓った。

日本人も誠の異郷人を知っている。
だから梁先生の意志を護持啓蒙して梁漱溟氏の偉業を頌徳しているのだ。またその大業を倣い、教えに含まれた使命感は戦後の復興にも活かされている。
再度、彼の国に両先生ならびに孫文先生のような異民族に共感し得る清廉な人物が再来したら我が地の民族も範とするであろう。

兢々として鎮香を奉げ小意ながら感謝の拙章を呈上する

                      
                               2015 4 吉祥日

                                        日本郷村処士  
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小章 満州郷村運動に倣う地方創生の要   其の一

2015-06-08 10:48:17 | Weblog
広州

以下は桂林の友人が連れてきた北京の大学教授の依頼で記した小章である。




地球の表皮に刻まれた歴史の中には複雑な要因をもって構成された国家がある。いや「国家なるもの」と云ってもよいだろう。
その国家なるものの成立は、棲み分けられた地域や環境に適応した人間の作業が習慣化され、自然律や人為律の調和のもとに集合されたものだ。また、集合した「類」の協働生産性や「類」の増加は他地域との境際を越え干渉や侵入を行うようになった。分類すれば成立した「類」の習慣性から発生した思想なり宗教の広幡、もしくは生産拡大への欲求などもあるが、細部の出来事は学術的な部分考証に委ねたい。

こに記す郷村運動とは、政治目的、宗教目的、民族目的などの順化運動や単なる企図をもった啓蒙ではない。また学術的に歴史経過をたどり、構造的、あるいは仕組みを検証するものではない。あえて言えば寒暖など種々な環境のなかで日々の時程を暮らす人々の下座観といかに生存を維持できたかを俯瞰的考察をもって郷村観である。
それは、既存の切り口と異なることだが、有効なる利他の増進は如何に棲む人の心情に浸透し、かつ実利具体性のある行動に導くのか、くわえて他動的な作用だけではなく、自活、自制にある郷の免劣性や耐力など、たとえ拙い行動や固陋な慣習であっても棲み分けられた環境に自生し留まり繁茂する姿を維持する試みでもある。

東洋の近代化への促しは便利性と科学的合理性を謳った。あるときは宗教に隠れて武具をまとった一団も侵入した。それは慈愛を携えてきたが、その奉仕精神はボランティア(volunteer)と称するが、義行や義志とは異なるものだった。また友愛精神もあったが、これとて色を同じくする仲間同士の協働のようなものだった。だが「力」のあるところを探り、その「力」に寄り添うことによって得る名利は多くの人々に馴染むものでもなく、逆に阿諛迎合する徒を生み出し、不特定多数の郷村に棲む人々の自然律を含む永続的成功価値なり人情に基づく情理まで毀損するようになった。

それは己の立脚を維持するであろう多くの他の存在を顧みず、強欲にも映るエゴイズムを当然な在り様として発生することとなった。多くは財であり、責任あるものは「昇官発財」を一官九族の繁栄の要とすることでもあった。ある意味、個人が郷を脱し繁栄を夢見ることは自然の流れでもあり、天地の間に棲むという天下循環の意識を「財」に帰着させれば当然な姿でもある。それのみを否定するものではないが、唯、才あるものが欲しい貝(財)を得るだけのことでもある。それは一つの在り様ではあるが、標題にある郷村作興の本意とは違い、後の章に記す「人間」の義や徳に掲げる生存の永続性とは異なる様態であろう。

国家成立においては政治、宗教、思想の統一のための試みもあったが、それとて遠大な歴史からすれば一過性の事象に過ぎない。くわえ、たとえ時節に歓迎される成果があっても、大よそは自利が多く、不特定多数の部分統合の形であっても各々の経路脈略は間断することの方が多い。つまり個々の算術的総和は全体として形は出来ても内実は成立しないようだ。
つまり為政者が統合と富国を企図するために、個々の郷村の平準化なり制度化をいくら成文化(法律・規)しても棲み分けられた郷の人々はあくまで固陋な慣習を基として、あくまで為政者に沿う表層の様態を繕うだろう。その為政者との間(ま)は、琵琶の音調のように気に合わせた自在な調律を奏(かな)で、一時として束縛された平準な規律はない。それは「言うことはごもっとも、言うことは聴く、逆らわない、唯、天を仰ぐ自由が欲しい」と言外に表現をしているのだ。それが、゛国家なるものとの間隔の取り方であり対応の智慧だ。

あえて申せば、国家なるものが施政の数値的合理性を求めたり、前記した思想や宗教が人間を介することによる拡大や伸張の欲望が行われたりすれば、なおさら融和的連帯や親和心から導く信頼すらできなくなってしまう。その意図が彼らの勤めだとしても郷村からすれば見透かされた小欲でしかない。それは二律背反となり潜在する意識は面従腹背となるだろう。郷村の民はこれを自然律に倣い「大富在天」として、智慧で生きる大欲を備えることになる。それは「陋規」としての慣習や掟、そして狭い範囲の人情を唯一潜在する力として、宗教の戒律や為政者の掲げる「清規」を作戯のように使い分けることによって郷村を守護していた。










もとより政治は人をどのように考え、統御し、維持するかが命題である。いくら時代の潮流に乗って数値比較の繁栄を得たとしても、潜在する「力」の継続性には敵わない。故に易織感覚があるのだろう。それは船を浮かべる水の作用に似て、まさに哲人が覚る「上善如水」の処世訓である。また、天地六方の循環の妙を含み禍福の交差や積層された知恵として人生全般の時程に収められる余裕なり、諦観を生み出している。これが潜在する力であり情緒として人々の心に刻まれている。
人間と自然、人間と人間、その折り合いは多くの賢人による万巻の書に記されている。また己を探求する事柄も、それを知るための手立てとして数多、顕示されている。

じつは数多の事績を考えるとき記した事柄の検索も大切なことだが、書いたり、唱えたりする人物に興味を抱く。出生地と環境、時代観、家族、影響を受けた人物や交流関係などに興味をそそられる。それは記されたものが自身の内心に喚起すればするほど前提としての興味が湧いてくる。ときに肉体的行動を促し、対面すれば背筋に冷たい汗が流れる感動をしたときは尚更のことだ。
同じ東洋圏に生存し、国を違えている国に中国がある。違えているといっても感動感激ではなく、異なりは政体の呼称だけである。また多くの文物は交互して、原典発生地では忘却され異郷において昇華する思想や仕組みもある。その意味では友邦ではあるが、異なることや離反も効を成していると思えなくもない。また、それを必須なものとして護持し、広める経過で、原典の地に再復する妙もあり、決して為政者の統治用語や仮装に用いられるだけでなく、東洋圏の深層の情緒にある善性の蘇りにおいても、たとえ異郷のいずれかで護持しなくてはならないものだ。

とくに必然性を認めたなら功利的な世俗から忌諱されたとしても、あるいは生地が異文化に転化したとしても護持すべきものは後世に甦る。この確信的逆賭こそ人物の為し得る学問的作業であることは言うまでもない。往々にして俗物的対価を企図する勧学が学会を覆っている現在、異郷において隠蔵護持される志気なり義志ある行為こそ、真摯に倣う読書人の学究であり人格の範であるべきだ。
標題に掲げる満洲の郷村運動は清末の哲人梁巨川の子息、梁漱溟(りょうそうめい Liang Shu-min1893-. 1988.6.23.)氏の郷村運動にその範をみた。そこで前記に照らして、まず父である梁巨川先生の志気について記したい。









数十年前に同学の友から「一読書人の節操」という著書をいただいた。監修は景嘉、出版は日本、発行も日本人だ。内容は清末の哲人読書人の梁巨川とある。帯にはこのようなことが記されていた。
「人が人でなくて、どうして国が国として成りえようか」
複雑な要因を以て構成されている国家なるものも、その歴史の綴りは人間の所作だ。その人間の問題なくして複雑な成立要因すら解けるものではない。それは東洋圏の一学派の問題ではなく、地球の表皮を食い荒らす人間種の宿る問題として考えることだ。


その宿る問題のなかの一つに現世利益がある。それは死んだらお終い、生きている間に三欲を満たす歓喜や栄華を至上のこととして、その為には善悪の別なく知恵を絞ることが生を受けたものの当然な行為として、聖人や君子の賢い論を「看板の話」として対為政者への態度を見せることである。(三欲・・食・色・財)その意は「上の政策に応じて、下に対策」と生きる人々であり、知識人(読書人)を九儒、臭九老と嘲笑し蔑む人たちの群れである。
しかし哲人は「聞くか聴かないかを案ずることは機会を失くしてしまう。聞こうと聞くまいと私はいま言うべきことを言うまでである」と喝破した我が国の幕末の武人、横井小南を彷彿とさせる。

その稿録者序にこう記されている。
「論語に云う。仁以て己の任と為す また重からずや 死して後已む また遠からずや」と、これは中国の読書人のみならず、人として千古不変の原則である。・…世界で発生するあらゆる問題、国際間で起こるあらゆる問題、および一国一家に起こるあらゆる問題は、実は人間の問題から切り離せないということである。そして人間の問題としては、とくに東洋の伝統が主張する人格の問題がとりわけ重要である・・・
人心、人格、信義の重要さを知り、とくに精神の独立、人格の独立、出たとこ勝負と己を偽り相手に従うことの不可、強いて相手を己に従わせる不可を、こころの深奥のところで反省することである。・・・・












その表紙帯には「読書人とは聖賢の書を読む人のことを云う。聖賢の書には聖賢の教えが記されている。従って聖賢の書を読んだ以上は、その教えを実践しなくてはならない。即ち読書人とは聖賢の教えを実践する責任を負う人のことである」   

この序を眼にするだけで、梁巨川先生と子息漱溟先生の学問と利他行動の意義を著す章を通貫できる。しかも後続の著書というべき漱溟先生の「人心と人生」の序には同様な風儀が醸し出されている。

中国古代の礼は、私が以前から云っているように、利性が早く啓け、文化が早熟であったために起こった。それは元来統治階級によって作られたものだけれども、今後の人類の新しい社会が必要とする文化建設に、大いに参考になることを知らなければならない」
孟子の言を以て付け加えるなら「辞譲の情,礼の端なり」がある。互いに譲り合う心、許し合う心がここで云う「礼」の端とすれば、統治とか知性の他動的、後発的なものではなく、生まれながら保持している「性」、つまり知の徳性を自ずから認知して、自他の厳存を知り、礼の効用によって徳性(個々の特徴)を発揮することだと云っている。

またその人間の特性すら地球表皮の神羅万象の一部分でしかないが、それとて唯我独尊的我欲に邁進して真の実利と認知しない、「礼」のない世界(無礼)について将来を推考している。そこにみえる一種の絶望感は民族の諦観としてこびり付き、しかも唯我独尊的と書くような連帯の希薄、自然との不調和として浸食同化するように地球の表皮を食い荒らしている。その欲の多くは唯我の「小欲」で、不特定多数への利他の増進である「大欲」は微かだ。これでは序に記す「術(すべ)・方策」などは見当たらない。

「科学の発展は今日に至ってすでに原子、電子の種々の幽渺(れいみょう 奥深い)に達し、また能く宇宙に遊泳し、月に到達するなど、物の認識、利用、支配において術なしとはせぬが、顧みれば地上の人為的禍はまさに急で、しかもこれを止めるスベが無いのである」
つまり、三欲に欠かせない知欲と物のバランスとコントロール如何で世の中は変換し、科学技術と人間の関係の調和が無ければ人為的禍となり、単なる多寡を争えば人間の徳性すら毀損させる。それは人間の最上の価値とされる財においてもっとも顕著に表れる現象のようだ。つまり、財のために殉じ、財のために学び、また情を財で買い、集合体である国家なるものすら毀損させる事になる。つまり自省や自制のない獣のような群れが跋扈するようになるとの警鐘だ。            
いわんや、それらの群れは、師あって学ばず、知って教えず、学んで行わないことは知識人でもなければ学舎にも入れない徒といわざるを得ない。


満蒙開拓 協和と義志の精神

ある時期、筆者は年一回催される「笠木会」に毎年招かれていた。
参会者は元関東軍高級参謀片倉衷、古海忠之総務次長、五十嵐八郎吉林興亜塾長、佐藤慎一郎大同学院教授、ほか満州関係の関東軍、施政関係、満鉄調査部、政界では三原朝雄、岸信介あるいは児玉誉士夫、岩田幸夫氏等、あるいは関係者など毎回30名ほどが参加していた。


 満州で成功した統制経済は勤勉な民族的特質と性癖を読み解いた岸氏を始めとする統制経済官吏の成果であり、社会主義とも模せられる経営でもあった。それは興銀による集中投資や国鉄の十河総裁などにみる高度成長経済の前段である経済の基礎的(ファンダメンタル)部分の構成指針にもなった。

 また豊富な人材に加味する目的意識と集中力、緊張感の醸成については、オバマ大統領の選挙戦で謳った民族の調和と連帯のもつ増幅された人間力が必要だった。
満州の「五族協和」と「王道」はまさに内なる統治を経済とともに強固にするために日本人に沿った良策だった。なぜなら勤勉でお節介だった。そして、゛旅の恥は掻き捨て゛に反して、内地の柵(しがらみ)ない新天地でのフロンティア精神がその気質に加え、使命感、義務感のともなった行動として躍動した。







台湾立法院院長 梁粛成氏  筆者  丘昌河氏





王荊山遺子と佐藤慎一郎氏


後世の記述では植民地や偽満州といわれるが、新京の大同学院ではなんら民族に拘りもなく、俗にいう植民地官僚に華人も任官している。笠木会で総務庁次官だった古海氏は待遇も給与も差別なく行うことが協和の根本理念に沿うことであったと回顧していた。庶民生活では日本人官吏が清廉なので賄賂が下に流れてこない苦情も多かったという。
後の台湾立法院の梁粛成院長も、満州時代は充実していた。植民地官僚といわれたが、そんな差別もなく日本人を大勢部下に持っている満人や華人も大勢いた。
実業家丘昌河も梁氏ともども大同学院の日本人教官だった佐藤慎一郎氏をいまでも恩師として畏敬する学友だ。新京の実業家王荊山氏は日本人帰還者のために馬車100両の食料を提供している。

それらの逸話は日本人が書くと我田引水のようだが、「人情は国法より重い」という普遍的関係においてこそ発展した彼の地の出来事だった。先ずは人間の信頼を基とした協働であり、人格をなんら代表することのない附属性価値である、高位高官、高学歴で素餐を得る忘恩の徒は民族を問わず寄生虫のように派生するが、それを排斥するのではなく矯正しようとする梁巨川先生の潜在する善性人格涵養を基にしたエリートの存在如何で郷はいかようにも転化すると云った思想と理念は、子息梁漱溟先生の行動原理となったことを明記する


つづく
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韓の国の産業経済(産経)瓦版 14 10/10 再

2015-06-07 15:05:10 | Weblog

こちらは子供が取材をして記事を書く、無料配布の子供新聞「キショロチェトロ」
識字率向上には新聞発行が効果がある

子供たちの発表掲載


永年の購読者として記事の真意はともかく、またその後のマスコミ同業者の批判はおいて、切り口を変えて奇説を記す


どこか開き直っている感のする産経だが、地球の裏側の大国のお墨付きがあると、こうも計算高くなるものなのだろうか。
韓の国の事情だが、船が沈んで関係者の首取りと逃亡自殺が世間を騒がしたが、今度は大統領が当日行方不明だってと騒いでいる。しかも7時間だと地元マスコミが書いたが、産経は「そう書いてあった」と伝聞を改稿している。
それが彼の国の習慣に合わないと(法より優先する大衆の意を忖度する法もある)起訴された。

想い出すのはハワイ沖で米海軍の原潜が海洋練習船愛媛丸と衝突したとの報に、当時の森総理がゴルフをしていたということが同じように非難されたことがあった。
もちろん側近には指示をしただろうが、ゴルフを継続していたために国会でも追及された。
韓国大統領は女性で男性関係の話しも湧かないためか、事故はともかく、隠すような場所に誰と七時間も居たのかという、どうも現地の記事もげすの下心が漂う。

開き直れば、社会の木鐸であるマスコミが未曾有の大事故に指示すべき大統領が七時間も不在なのはおかしいと大義を繕うだろうが、看板はそうでも実態は違うと誰でも感じている。思うのは勝手だが、「我々の使命は・・・」といまさら言われても読者はこそばゆい。
更なる手は、「民主主義国家において国民は知る権利がある・・」と、同類国家を巻き込んで「あの国でも・・」「あの高名な学者も・・」と騒ぎ立てる。
それに乗って、我が国の国会議員も「民主主義云々・・」と相伴にあずかっている。








以前、北京特派員柴田記者の記事で中国は産経を出入り禁止にした。
時事,共同の貰い記事(購入)でおおかた事足りるが、柴田記者の稿がなくなって愛読者として寂しい気分がした。出禁か解かれて今は総局が置かれているが、あの台湾はその支局扱いで、台湾の大使館にあたる台北駐日経済文化代表處の代表コメントは日本の新聞では寄稿扱いだ。あの蒋介石秘録をつくり国慶節には特集記事をのせる産経でもその扱いだ。

中国では腰の引ける各社は担当機関との約束事があると聞くが、韓国とはそのような取り決めごとはなかったのだろうか。よく疑獄事件があるとネタ元の警察や検察と発表時限などの取り決めがあり、侵すと記者クラブ出入り禁止になる。あるいはリークと称して、「捜査機関も関心を持っている」とか、検察も世情の批判を深慮するのか捜査情報を小出しにして世論を誘導する。ときおり裁判官も人の子ゆえ狡知を働かせて右へ倣いする。

余談だが、国交前の招待外交に各社が招かれた。香港までは自前だがあとはアゴ足つきだ。
一通り周って北京で周恩来首相と会った。周は風呂敷に現金を包んできて「土産」だという。彼の国は当たり前のことだ。
新聞社の連中は別室で議論した。貰うか、貰わないかと。
話し合うことすら可笑しいが、真面目に議論した。一人だけ手を付けてはいけないと拒否したのは毎日のタチバナという人物だ。
記者や議員が行けば必ず便宜があるのは常だが、この経過を書く者はいない。おおかた貰っているようだ。
だから機密費で随行記者はなにがしかの便宜を貰う。なかには官邸に貰いに行く猛者もいるという。
そのタチバナ氏の意見を伝えると周は四角四面な記者に何かを感じた。
彼はその清廉な気概に良き時代の日本人を見た。だが中国の慣習では金を贈ることは「人情を贈る」ことだ。断れば仲間ではなく非礼なのだ。タチバナ氏はそれを承知で断った。ほかの同行者は貰うかどうか要らぬ相談までした。周は新聞人たちの卑小さを知った。
かれらは脅しに弱い、金にもぐらつく、と。



巷間さわがれている朝日新聞もそうだが、生業は商業新聞だ。仕事に文句はつけても商売の邪魔はしなように昔からできている。
だから関連テレビ局や新聞社が不動産紛いの商売をしても、互いに舐めあうように関係機関にもすり寄っている。
とくにサンケイグループは大手町に豪華ビルを建て、お台場には横文字の博打場の設置をもくろんでいる。江戸時代の職分でいえば瓦版屋と金貸し、博打打ちの胴元と将軍が結託して洋物の博打場を作ることと同じこと、ここには職分の分別と極みがない。

これが、民主主義の成立要員は国民が等しく情報を共有することであり、新聞は社会の公器として言論や表現の自由を担保するなど勇ましく唱えるが、こと食い扶持が絡むとからっきしだらしがない。しかもコラムには自社の主張に沿う売文の輩や言論貴族を配して高邁にも木鐸を気取っているが、瓦版屋の太鼓持ちだと賢い庶民は見ている。


なぜなら人格とは何ら関係のない単なる附属性価値である、地位や肩書をもつ有名人の言を掲載して体裁をとり、読者を錯覚した価値に追い込み、久しく言われてきた販売店への部数二割増しの押し紙(押し売り)は広告主への永年の詐欺慣行として社員の食い扶持を購っていた。木鐸を気取るが誰一人問題意識を喚起する者はいなかった。もともとそれが我が国のオピニオンリーダーの姿だった。
そんな連中だから与太記事、嘘記事、捏造など朝飯前だった。だれも朝日を嗤えない。
逆に、明日は我が身と慰め合う同世界の仲間なのだ。



それらが韓国を批判している。
朝鮮戦争停戦中の韓国において、果たして民主や自由を他の類似国と同様に嗤えるのだろうか。もちろん北朝鮮も停戦中の当事国である。国情や民癖は過去からの経過によって培われる。昨今、嫌韓、呆韓などと嘲る風潮がある。明治のころには脱亜があった。
どんな事情にせよ、軋轢のある大国に追いやることはすべきではない。「勝手に・・・」「事大主義・・・」「ひがみ妬み・・」「もともとあの民族は・・」と、色々と物書きが騒がしいが、忠恕と寛容と許容は文明人の証だっのではないか









そこへきて、女性の独身大統領が7時間も行先が分からず・・、と相乗り記事を書き、漢字の意味とりが異なるとはいえどんな理屈をつけても居酒屋話ならまだしも、産経の有力記者が書く筆とは思えない。少数完結主義をとる週刊新潮なら、おなじ題材でも地を這う取材をしただろう。どこか瓦版屋は体裁をとり得てして各社横並びの記事を書く。
その矜持である独自の取材方法を他にして、地元紙のコピペに色合いを加えた記事は、大上段に民主主義や表現自由を盾にすり替え批判は、記者の真意をオボロゲニしてしまい、掲載を捨て石に世論を喚起した、あるいは起こるべき騒ぎによって表現の使命は達したと、まさか格好良く逃げ切るつもりはないだろう。

支局長は有能と聴くが、周りはその慣性がある。言や文を操るものが陥る己自身への大偽であり、そのための知恵は充分ある。朝日もそれが出た。

ことは、停戦状態にある国家に派遣された日本の瓦版屋の記者である。
ここでは、「大統領は公職者。我が国は・・」などと云うが、韓国は異国なのだ。新聞記者は自由と民主の国に行けばそれも通用するだろうが。中国でそのような際どい琴線に触れることを書けるだろうか。地元の記事や噂をコピペして体裁よく紙面を埋めるだろう。
昔は書けたが、今は書けない、その逆もあるだろう。駐在閉鎖になれば書くこともできない。再開した後の記事はどこか腰の引けたものになるのも常だ。

臨戦国には戦時法もある。平和国家は韓流ドラマや焼き肉グルメで騒いでいるが、底流では政治家や官吏の醜態や異形の犯罪でそれどころではない現状だ。
いわんや、ただならぬ仲となった韓国おいて敢えて筆を起こす問題でもあるまい。
まして、公職、公人、危機管理に民主と自由を添えれば、喰うには困らない記事も、探さずとも飛び込んでくる。
女性大統領の隠された時間となれば、韓国ならずとも我が国でもよからぬ事を想起する浮俗はある。とくに我が国に送れば、飛んで火に入る売文や言論貴族がごまんといる。
この手のネタの土俵は夕刊フジではなかったのか。

産経たるもの、なぜそんなところに目を付けるのか。
いくら深層を探求するといっても、大義を盾に大むこうの援軍を恃む気質は、ペンは剣よりもつよし、といった美句の使命感は薄い。
明治の頃、薄給の教師が女給の尻を触ったことを、教育の荒廃と書いた記者がいた。
明治の言論人、新聞日本を主宰した陸羯南は、その様な視点で公に良からぬものと書きなぐる記者を叱責した。薄給にあえぐ教師とはいえ一人の人間、それが教育の荒廃とは飛躍しすぎだと。つまり、そのぐらいのことはお前も分からないか、ということだ。



どうも物書きはネタがなくなると突飛なことを書く。朝日でないが江戸の仇は長崎で討つような騒ぎだが、たしか明治の頃かたき討ちは廃止と瓦版には書いてあった。
なにも仇討は命を取るだけではない。恥をかかされたり、食い扶持を無くすこともある。

このところ討つことに懸命なあの世界のこと、こちらもこの辺で筆をおくこととする。
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手を汚し、媚びへつらう者の謂う国益   H10 10加筆再

2015-06-06 08:54:01 | Weblog
                津軽岩木の祷り



日本の西には日本海、中国の東には南シナ海がある。そのシナ海が荒れている。
前総理は「友愛の海」といったと国内は騒ぎたて、まるでエンターテイメント「朝までテレビ」の売文の徒、言論貴族、貰い扶持議員の狂態の愚に倣うように庶民は呆然としている。

器量や度量を測ったのか互いに「なめられている」と思い、また思われ古女房との力関係を試すかのように稚拙な抗論が交差して妙に間合いが取れなくなっている。近すぎず、遠からずが似て非なる民族との交誼ではあるが、そもそも同族、家族(国家)を忘却した小商人を虎の子として彼の地に誘引された親としては歯がゆい対応しかできないのは欲と人情の常である。

しかし、それは飽くまで庶民の感覚である。分別極みのない気弱なオヤジの姿である。

それは安岡流に言えば「芯の無い」人物のありきたりの醜態ではあるが、左派、右派を問わず、多くの選良が招待外交の餌食となり、群流として国民を欺いてきた。

あの河野洋平氏が台北空港で駐機した際に一歩も機外に出なかったことを北京の高官にわざわざ伝えたが、清廉といわれた縁戚の議員T氏も選挙になると東京の華僑総会に屯っていた。それは、゛人情゛が出るまで待つという卑しい姿だった。これが一部の親中派である。
当時は大豆が小遣いの糧だった。


人情という小遣いの提供は華人圏の倣いだが、問題は、手を出す、あるいは慇懃に懐を開いて落ちるのを待つ受け手もいる。政治家だけではない。ここのところ元気のいい売文の輩や言論貴族も親台派と称している徒が多い。利権は政治家だけではない。交流会、研究会を催してちゃっかり小遣いをせしめる堕落知識人もいる。
元通信社の友人の体験だが、外国語を専門とする有名大学の教授は机の引き出しを開けて、これ見よがしに見せていたという。もちろん台湾からの小遣いだ。いまでも何かというと中国を非難しているN氏だ。いまは就職率の高い新設大学にいるという。

佐藤慎一郎氏も山田純三郎(孫文側近、国民党顧問)の関係で学術交流に参加したことがある。日本側責任者は有名な親台派の教授だが、帰りに小遣いを提供された。佐藤氏は他国から金を貰って何が友好か・・・と独り拒否。それ以来、その会からは招聘されることは無かった。あくまで貰ったら仲間なのだ。

数年前にThink アジアで訪台した。李総統の後援者で経済界の実力者であり、後の交流関係の責任者にもなった方と面会した。印象的な言葉は『親台派といわれる議員や学者に色々と便宜を図ったが意味のないことだった』とあきれたような雰囲気で語った。便宜とは貿易利権や学者に渡した小遣いだ。もちろん接待供応も過大なものだ。

知らぬは日本国民と台湾の人々だが、食を減らし、貯金を取り崩してまで震災に援助した人々の心を踏みにじる偽の親台は日本及び日本人の恥として先覚者に懺悔するべきだろう。あの後藤新平(台湾民政長官)が先ず行ったことは、台湾にシロアリのように巣をつくった不良日本人官吏の追放(更迭)だった。そして新進の技術者や官吏を登用した。その中には八田与一もをはじめとして、今でも偉人として顕彰されている人物もいた。
国内では変人扱いだった後藤の人物を見抜き登用した児玉源太郎も畏敬されていた。その証は藤沢市江の島に建立した児玉神社にある。資金不足を案じた台湾の有志は建立費用の70%を拠出、台湾ヒノキの社殿、狛犬、鳥居などその刻名にその義援をみることができる。



外交利権は歴史の負の大義を謳いつつも多くの隠れた盗賊を育てた。古くは賠償利権、資源利権、ODA土木利権があるようだが、これは政権派閥の手中にあった。左派は教科書、歴史認識を手駒として便宜的思想を背景に媚び諂い、国内の反体制運動に分別のつかない青年を煽って闘争を繰り広げた。もちろん資金援助もあろう。

なかには党の会館建設資金まで無心した国賊的政党もある。






改革、施策 より、整理整頓のすすめ






筆者も感じたことだか、北京で高官と会食があったとき始めは決まりきった「日中友好を祝して・・」と唱和して乾杯がある。もとより政治家でもなければ商人でもない筆者は

「お待ちください、ユウコウは、゛友の好き゛と書きますが、文字遊びをすれば、゛誘い降ろし゛(誘降)ともいえます。友は実利が無くては貴国の倣いになりません。実利は技術と資金ですが、その意味からして私は意味の無い訪問です。これからは乾杯は日中の意を共にして「アジア万歳」ではどうだろう」
通訳は戸惑いながら其の高官に伝えた。場は沈黙してしらけた。しかし其の高官は意を得たかのように言葉を発した。

「其の通り」来客は驚いていた。そして「今日の席はそれで行きましょう」
すると接客係りに命じてニンニクを山盛りにした器を目の前に置いた。他の相伴する客は机一杯に並べられた山海の珍味に箸をつけているが、其の高官は京酒(度の高い高粱酒)とニンニク(辛くない)をかじりつつで通訳を交えて歓談した。

もちろんごく普通にこんな話もあった。
「中国国内の会館の優先的使用を認めますので宝塚歌劇団の公演をしてみませんか」
自然な言葉だった。手前勝手だが、彼等の信頼する客は自宅でごく普通に食べている奥さんの手料理を振舞う。利に添うものは食べきれない豪華な料理で歓待する。

其の言葉にこう応じた。
「それは日本では利権といいます。そのような付き合いは利交、熱交といって長続きしません。拙者は小商人や政治家ではありません。わざわざ北京に来たのはその理由ではありません」「あなたらしい」
もちろん京酒が数本、山のようなニンニクも無くなったことは言うまでもない。

しかし、不思議と酩酊しなかった。
【それは天安門の騒乱から6年目の訪中機会に、再びあの青年達と同じ空気を吸った場所に早朝行ってみたいという予定があったからだ】




              

          芽は小さく思いがけず




彼等は邪まな気持ちで言うのではない。便宜は人情だからだ。ただ、金の関係はあくまで他人である。そして「力」を勘案したら別の「力」に移行することを自然なことと考えている。

それゆえ日本の政治権力の在り処を注意深く観察している。また「力」によって多くを獲得しても、もっと多くの利があれば乗り移ることは自然の行為としている。
そこに日本風に「義」や「人情」を添えたところで、意味の無いことと考えている。

そして狭い範囲の利交は互いに利で潤うことで仲間意識が生まれる。賄賂でも貰わなければ仲間ではないという考えだ。日本では貰わない人間が貰った人間を責め、付き合いの悪い人間として排除されるが、彼等は貰うものが意味あるモノなのかが重要な判別だ。

ある意味では欲に素直なのである。
彼の国は「財、意の如く」「招財」と年賀状にあるが、我国は「謹んで貝を加える年」と「貝(貨幣の代物)」を謹んで加える「賀」と表して我欲を隠すような表現をする。

今時で言えば、゛ぶっちゃける゛゛本音を云えば゛゛どうせ゛にある腹を覗くことだが、敢えてたとえれば関西風と東北風の違いがある。
ただ、関西風の「あけっぴろげ」だけではなく、直感的に異民族との間合いを勘案する習慣的智慧があり、しかも透き通った人情も秘めている。

クリーンハンドの法則というものがあると聞いたことがある。アカデミックではないが
一度汚れた手は記憶が続くまで洗っても綺麗にならない、という法則だ。
はたして親中、親台といわれる知識人、政治家にクリーンハンドはどれくらいいるのか。
つまり「公」を表す立場に「公私の間」の分別はあるのだろうか。
あるいは官房機密費に群がり、手を出して選別を貰い、あるいは饗応を受けた政治記者、政治視察団の心中にクリーンハンドの法則は無いのだろうか。

もし他国の意図的な提供に吾が身は汚さなくても縁者、商社を介在してキックバックを得るものは、相手国からすれば、゛お小遣い゛゛便宜的お仕事゛を与えて人情を引き出し便宜供与を受ける仲間として認知される。
特に力関係と外交環境が変化すれば、その特異なる清潔性を求める我国の国民の信託に耐えられなくなり、外交交渉すら当事者の力関係を軽んじられることにもなる。





                 


             もみじの裏模様



つまり、彼の国の習慣と我国の習慣は当然異なることを知らなくてはならない。
また「力」の応用と獲得の手立ても違う、其の点、我国の政治家は脇が甘く稚拙と言わざるを得ない。

文部省カリキュラムにはスポイルされたカリキュラムがある。それは中央集権体制という権限集中とそこに蠢く官吏の既得権を容易にする「羊群」とは異なる、人物養成の人間学ともいう学問だ。困ったことに数値評価も適わないし、土壇場でしかその涵養を観ることができないものだ。

標記にある「手を汚す・・」も其の場面の所作の問題だが、それが正しいかどうかは、「公私の間」の見方だ。

政治の「政」は「一」に「止まる」つまり正しいということだ。其の止まる一線に止まれるか、止まれないか、とくに他人の目が無いところでの行動である。
また、「これだけはしてはいけない」「これだけは為さなければならない」という一線として、誇り、矜持に当てはめるが、簡単には欲望のコントロールと使命感、義務感、あるいはヒューマニティーや松陰の「士規七則」の冒頭に記されている「禽獣と異なる人間」の問題であろう。

食い扶持、貰い扶持の源泉となる官製学校歴にはないカリキュラムだが、手を汚し民族をも辱める彼等は何を学んできたのだろうか。それとも禽獣なのか。

人の世の世界はホドも潤いも人情も有る。
しかしそれらは自然界の森羅万象に照らしてみる些細な人間界の倣いだ。
環境も騒がれているが、自然環境より人間の精神環境の劣化が及ぼす欲望のコントロールの欠如は些細な人間界さえ消滅させる負の「力」がある。
いまその抑えられていた「力」がバーバリズムを加えて増大している。

それは国を屏風としているが国の問題ではない。

すべからず人間の問題なのである。


                     写真は平林禅寺
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視察などもってのほか、見学が先だ

2015-06-04 18:38:09 | Weblog


ゴマメの言いがかりだが、今どきは見に行って学ぶ(見学)こともない。

視て察する、これは相当熟達した教養がなければ難しい。
文部省の官製学校歴を幾ら積もうと、いや、積めばつむほど判らなくなる。
ただ察するのではない。「明察」に達しなければ単なる暗愚のそぞろ歩きである。


あのとき菅総理が災害被災地に視察に行った。遅いも早いも問題にする方もおかしいが、察することができるなら音声や映像視覚でも用が足りることだ。現地の実態視察によって用が足りるのは別の意味からだろう。流行りのパフォーマンスもあろう。

ちなみに菅総理が行ったときヤジや罵声が飛んだ。あくまで国民の感覚的印象の一声が飛んだが、仮にも選挙で選んだ総理である。逆に小泉議員が行くと黄色い嬌声が巻き起こるが、これとて政治なるものでない。

両者の好き嫌いはともあれ、陛下が膝を折ると鎮まりの中でその忠恕心に涙する。権力はともかく威力がある。それはとてつもなく大きい。
しかも過不足を哀願したり、批判することはないが、被災者のあてどころもなくも、やりきれない心に慰めとともに自省や自立心を抱かせる威力だ。

つまり政治とは、金や資材の提供だけではなく、自立心と努力に相応した成果なり価値観をつくるための自由を担保・護持するものだという心の喚起を援け、それによって人々は「分」を得心する作用なのだろう。

事件の証拠集めではないが現場を見なければならないことも多々ある。
匂い、感触、感動、など言葉や文章で説明しきれないものがある。たしかに高給取りが持ってくる多種多様な情報が錯綜し、四角四面な成文法に縛られていては用が足りないことも斟酌できるが、先ずは総理がしたことは「見学」が適当である。

目で見て学び、その後、推察、洞察することである。
なにか文字にすると軽薄に感ずるような「見学」だが、いい加減に言葉の意味を解釈すると解釈がスキップして妙なところに着地することになる。やたら、゛文句付け゛を食い扶持の種にしている輩に気をとられていると沈着冷静な判断ができなくなる。
もともと荷が重いことも知らずに背負った立場だが、せめて松戸市の「すぐやる課」なみのフットワークで現場を見学して欲しい。

もともと元気ある行動に「士気」がいわれる。
総理の政治経歴もそうだが、政権内外には、゛いまさら゛という気分が立ちこめている。
内には自衛隊違憲、大企業の横暴、米軍への感情的嫌悪を党是としていた群れがあり、一種の逡巡と衒いがある。
外には卑小な阿諛迎合と現世利益を当て込んでいた民情の流れがあった。その圏外には儘っ子扱いされた自衛隊や現業職員が被災地の前線で辛労している。その解けない気分の方が辛い。

民情の流れの中には真摯に可能性を探りながら自活と自制を心がけるものがいる。陛下のお暮らしとメッセージはそれを後押しした。一方、鬼気せまる形相で買占めに走る、多くは戦後生まれの婦女子の大群がいる。落ち着いたが、それも反省ではなく飽きたのである。

まともな人間はそれを見学した。愚かさの反面教師である。そして彼女達は社会熱となった義捐募金に乗り遅れまいと参加し溜飲を下げて、その貢献の多少を語り合っている。
今こそ己の内と外を学ぶ良機だ。その点、家庭も学ぶべき場だろう。先ずは童に傾聴することだ。学校は何を学び、社会は何を教えてくれたのか。そして言志をなくした雄の子はどう学び、覚醒するのか。

そして「察する」こと、つまり他の忖度から忠恕に高めることが促がされるだろう。
文献や考証学、はたまた他に説明できるものに意味をおく知学の土壇場の無力を、人の倣いとして察することだ。それは潜在する能力や情緒の確認であり、己の再発見となるだろう。

徒な批判、右往左往する行動、それは先ず「見学」、そして「観察」が大切なことだ。
「目で視る」から「観る」、そして察する。この順序が狂うと結論が逆になる。

「陛下、今年は涼しくて何よりで・・・」
『東北は冷害で大変だろう』
「陛下、雑草を刈り取りました・・」
『名もない草木でもそこで生きている。やたら刈り取らないように』

察する、思いを寄せる、倣うべきは学び舎の数値ではなく人物から倣う。
ここに棲み分けられ、日本人として呼称されている人々の情緒は、その倣いを許容し理解する器量が矜持だったはずだ。



イメージは関係サイトより転載
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人心が微かになった政府

2015-06-02 09:33:52 | Weblog
野島からの遠望



現在はまさに現状追認政府といったところだろう。
あの頃満州事変、日中戦の泥沼化に対して政府にチェック機能を有す国会の機能が現地の戦況報告に対して現状追認に陥った様子に似てきた。>

ただあの頃はまだマシだった。軍や議員の本人なり家族縁者に肉体的衝撃なり惨禍を体験した人物がいたことだ。いまの構成員は戦後70年経った今、その体験も、また生存者から聴くことも少ない世代となった。それらが貿易なり国防なりの海外案件を政府要員が勝手な約束事を相手国と行い、しかも議会にもかけられていない状態で海外舞台(場面)において気勢をあげる姿は、再三コラムに書く「五寒」にある「内外」に符合する亡国の兆候だ



内外とは内政が思わしくなく、よって海外、とくに近隣諸国から弱体化したと見透かされ圧力を掛けられると、深い深慮もなく表面的争論や、軍事力などの数値の多寡を争うようになる。つまり.そのことが政治に国民の信頼を背景とした自信と耐力が乏しくなった証左であり、それは為政者としては恐れ気質の単純反応なのだ。

「外の人来たる、内の人よろこぶ」とは孔子の云う郷づくりの要諦だが、逆に、外に遣いに出る邦びとのことも言っている。
あの田中総理が日中交流の調印式のときに周総理から色紙を頂戴した。
「言、信を必す 行、果を必す」言うことに信用がおけ、行うことに結果が出る,という意だが、これも孔子でその後に「硜硜然として小人なるかな」と章は続く。つまり信用ができて潔いだけでは小者だと・・・・
ならば一等の人間は、君主の遣いで四方の国に行って、君主を辱めることのない義のある人物だといっている
ついでではないが毛主席から屈原の楚辞をもらっている。世をはかなんでベキラの淵に入水自殺した人物だ。
それぞれの国には様々な格言とともに、面白い対人遊戯があるものだ。

その夜の万歳は、日本は友好万歳、彼の国は万歳は、万に砕く「万砕」と同音だ。出席者は周恩来の色紙の意味を会場中の参加者が知った。
「さすが周総理だ!」と万砕を大声で唱えた。
田中総理も傑物、それでも国交の端緒は出来たと日本人の許容として振る舞った

あの石松も次郎長の元を離れたらあの状態だった。ちなみに税金の使途であるODA
は、支出したら外国政府の内政となり、たとえ繋ぎを取った議員にキックバックや便宜供与があっても関与できない、まして昨年の汚職摘発0件の内政専門の捜査2課である。
一時の農協の海外旅行は爆買だった。品物もイロモノも買った。成金の大風呂敷だが、大方は先祖の田畑を売った土地成金だ。それらが選んだ地方、国を問わず議員も大風呂敷を広げて、やたら約束事をしてくる。貰う方は座布団を重ねての接待だ。なかには空手形もある。しかも約束してから議会に諮るという。

これでは国際連盟の会議おいて国家のメンツにおいて気に沿わないと、堂々?
と退席して日露不可侵、日独伊三国同盟を牽引した松岡外相や満州事変の首謀者石原参謀の現地状況に追認したことと同じだ。

混沌とした欧州情勢を読めず、「まことに不可思議・・」と、辞めた首相もいた。
ならば、もし外交によくあることだが、敵の敵は味方風に北朝鮮と米国の軍事産業が裏談合して日本海にミサイルを飛ばせば、日本はミサイルディフェンスシステムを莫大な費用で買うだろう。資金の足の速さでは似ている中国と米国が煮えきらない外交を続ければ、日本は米国の庇護を期待して、より寄り添うだろう。ヨーロッパでもドイツがロシアと関係を深くすれば、米国でさえ付け入るスキはない。ウクライナの状況だ。

日本の外交はいつも背伸びをして、広言して金を配っている。ことのほか景気のよいそぶりをして並ぼうとする。細事だが家庭や人付き合いで親父がそんなことをしたら破産するか家族にも相手にされない。とくに三代目が危ないという。
伊達男も見栄えを気にして中身が伴わない。人の噂を気にするあまり八方美人になり、風評を飛ばす人たちを飲み食いで懐柔する。政治ならマスコミ懐柔だ。


内では忍耐強くも呆れ気分が混じる、おとなし気な人に囲まれているが、くれぐれも外に出て国民のお遣いには慎重になるべきだ。ましてや帰国したら陛下にご奏上(報告)されるはずだ。その輔弼として大御心を具現できないお遣いなら行かない方がいいだろう。
天皇親政ではないが、諸事総覧すれば大御心の何たるかを掴めるだろう。
民主(国民)が頼り無いから有司(官僚)経国といわれるが、これも近ごろは弛緩している。しかもそれを頼りにしている議員は有司の理屈に戸惑うばかりだ。
なかには意見もなく、喋らされ、引責辞任役になる議員もいる。



まさに「人心は微かなり」の状況に加えて、智が衰え、狡知はびこる状態になってきた。


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