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まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

平成14年を再読する  あのときの産経抄は・・もし陸羯南なら

2007-09-21 13:03:42 | Weblog
 
         陸羯南(クガ カツナン)の生地 津軽弘前の秋




わが国の出版界、新聞界、私学教育の各社各機関には隠然とした元老院的支配の類が存在しているが、近頃とみに顕在化して本来の使命を忘却し、怠惰にも自らの素餐の糧にしているような状態がある。
 
 それは出版、私学校のもつ既得権の世襲に似た同族支配や、新聞を代表とするマスコミの一部に蔓延する錯覚した知的ステータス、あるいは大衆の中央思考や自己表現のための露出願望の対象としての視覚露出羨望の意識が、その世界を増長させている観がある。

 既得権といっても第四権力と揶揄されるような、物書きの中央権力志向や私学助成という公的資金の確保など、官側の天下り体質との相互補完による利益保護という、ある意味では教育、文化のかかわる精神にあるまじき既得権でもある。

 隣国では「走狗」といって、一過性の流行ごとに、高邁な論調で大衆を誘導する言論、売文の輩がもてはやされるように、知識人の堕落は国家の栄枯盛衰の端に現れる先導役のようなものである。

 経済、政治、国際問題、はたまた医事などに登場する「説家」というべきものにも、それぞれの一派や閥が存在し、似非元老院のごとく滞留し垢まみれの濾過装置を経て、珍奇、高邁とみられる言辞が吐き出される。
 
〔説家〕
《隣国の歴史に登場する交渉役のようなもので、外交口舌によって自国を有利にしたり、戦時交渉などで活躍する。 「戦わずして勝つ」といつた状態を作り出していたのも彼らであり、お抱え説家が高官に召抱えられることもあった》
 

それは肉体的衝撃の回避や、釜の蓋の開き加減(食い扶持)を按配した装置であり、官製学歴という人格、知力とはなんら関係ない付属性価値のマニュアルに、唯一の知識ステータスをみる幼児性の抜け切らない我が国知識人の姿でもある。
 
その姿は、権力迎合や地位の保全の意を巧妙にも覆い隠す「大義の論」が横行し、いとも救世予言(予想)の如く鎮まりのない一時のシノギ論に現れる。
政治家の「大義を騙って利を貪る」類でもないが、国民のため、子供のため、と語りつつも浮俗の風向きには敏感なのも、その特徴である。
 
敗戦の影響か、深層の国力というべき地域環境に育まれた固有の情緒についても、端というべき神仏崇拝についての他国の干渉がおこなわれ、しかも見当違いの論調が紙上を賑わしている。
 
あるコラムだが、『中韓両国は例の如く反発してきたが、静かに聞き流したらよろしい・・・・ 教科書、歴史認識、靖国は対日圧力の三大カードだからである』
 また、これを、告げ口しているのは左翼、進歩派、市民運動家であり、火元は日本なのだと人の言葉を借りて記している。
 なかなか元老院的サロン論調だが、論のような「話」のようなもので、老齢にありがちな「まあ、まあ」調の行司論に他ならない。
 「分からず屋だが、相手も立場もあるし、煽り立てるほうも悪い」
そんな気分のようだが、言論人の真摯な意思が見えない。
其の体で中国行脚の私感想を紙上拝借するとしたら・・

 その後、しばらくして件の論説委員は欄を後輩に委ねたというが、一過性だろうか、その後の乱調は幾人もの記者が前任者のお気に入りに勤しむような邪気が感じられた。
 執筆者は一人の人間ではないと筆者は推測した。
 そうだとしたら、この方法は尋常ではない。
 滋味の乏しい風情、妙に肩を怒らした迎筆、人物観が観人則の座標が定まらないまま紙面を埋め込んでいる状態が冷静に収まるのは時を要すことだろう。
 つまり名利に恬淡、貪らざるを以って宝と為す気風は、官制学歴のみでは香るものではないが、せめて無名な下座観を心して欲しい。
 
 事象の観察は下座、俯瞰の繰り返しと、座標軸の確定を明確に表す勇気ある意思だが、この表明する己自身の「徳」を明確にするという明々徳こそ、「大学」という学問を納めたものの役割である。

もし、不特定多数に貢献する役分を不明確にして、それによって地位、名誉、財を思い図っているとするなら、隣国にいつごろかある『小富在勤 大富在天』を観て、茫洋とした天の理(ことわり)を純粋な心で悟る「小学」を再度、習慣学習として学んだら宜しい。
 
 今では昔話だが、荒木万寿夫文部大臣が、ある民族運動家がビルを建てた際に祝辞を依頼されたときのこと、こんな挨拶をしたという。
『ちかごろの反共を掲げている運動家は、内では反共を謳いながら隣国から資金提供を受けているものがいる』と。
 
 また付け加えるように新聞記者について、こう述べている。
『招待外交というものが盛んだが、先般、新聞各社の訪中は、香港までは社費、そこを経由で列車で北京という旅程だった。 香港からは厚遇を受け最終日には人民大会堂で会食。その際、周総理から風呂敷包みが届けられた。中身は隣国の人情というものだった。

 もちろん中身は熟知している。
一応、我が国の知識人といわれる新聞記者諸君は、かたどおりの話し合いをした。
もちろん、貰うか断るかだ。 思案することのない問題だが、毎日のタチバナという記者が「受け取らず」と、断固言い放ったという。』
 
 また、日本と台湾の学術交流の際、帰国時に「お土産」と称するものがあった。
 ある中国問題研究家は
『旅費まで支給され、最後に「お土産」とは、いくら貧乏な自分でも日本人の研究者としてそれだけは受け取れないといったら、それ以来、呼ばれることはなかった』という。

 巷間、台湾派、大陸派と色分けされる言論人も、いつの間にか御招待ということで風光明媚な観光や特有の応接を受けて、いつのまにか同化され、漢文講釈の言うに言われぬおおらかさに、国家の風義さえ錯覚してしまうようだ。
 そういえば、隣国では賄賂を渡すことを、「人情を贈る」と言う。
 まさに「小人の学は利にすすむ」「利は智を昏からしむ」である。

 なかには、顎足付きの接待に妙なステータスをくすぐられるのか、簡略で切れがなくてはならないコラム文までユル褌表現になってしまう。
 疲れたからと、また大陸奇行?では、黄昏の拾得和尚のようなものであろう。

 近頃では浮俗なパーティーで陳腐な時評を長広舌するのも、政治家を除いて言論人であることは多くの参会者の知るところであり、新聞界の元老院族に堕している人々の姿である。

以下次号
 
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福田と麻生にみる座右の奇縁

2007-09-18 14:12:23 | Weblog
 


 安岡正篤氏は時折自らの学風に集う人々を集めて講演を行っていた。エピソードが一人歩きするほどに、深窓において興味を抱かせる氏の実像と肉声を求めて人は集う。

 ときにその学風は中村天風の宇宙観、安岡正篤の古典活学と政経人のマスコット的バイブルとしてもてはやされ、謦咳に接したとか、はたまた揮毫を戴いたと金屏風にする輩も多く排出している。

 それもこれもお題目は、牧野伸顕と吉田茂 以下佐藤栄作など門下生、歴代総理のご意見番、終戦の詔勅の朱筆、平成元号起草者、双葉山と木鶏など枚挙あるが、昨今の耳目は細木数子との縁も世俗の井戸端会議の種になっている。
 
 最近では総理候補と模されている福田康夫氏の父、元総理の福田赳夫氏も終生師と仰ぎ様々な岐路には教えを仰いでいる。
 一方の対抗馬として名の挙がっている麻生太郎氏の父は、戦前武蔵嵐山の菅谷の荘跡に農士学校(現在 郷学研修所、安岡正篤記念館)の創設資金を拠出している。(現在の価値で約6億円)
 
 牧野伸顕、吉田茂、麻生太賀吉の縁戚の系譜と、安岡氏の婿入り先である土佐も吉田氏との縁もあり、くしくも福田、麻生両氏の縁はその政治意識と座右に現れている。

 麻生氏は孫文が好んだ「天下為公」(天下は私するものでなく公にある) 意であり、福田氏は父が座右としていた「任怨分謗」(怨みは吾身で受け、謗りは他に転嫁しない)を同じく座右としている。
 政策はともかく、その安岡氏の遺志は両立した候補者の政治信条として権力を執り行う人間同士の奇縁を取り持っている。

【以下参照拙文】 

     宰相に観る「六錯」と「任怨分謗」(にんえんぶんぼう)

 国や社会がその連帯や復元力を衰えさせると権力行使に大きな支障を生ずることがある。
 とくに徴税や軍役といった国家成立の基礎的要件まで崩れると、他国の侵入や異なる思想勢力の影響を受けやすくなることは、歴史の栄枯盛衰を説くまでもない。
 賢者は「税と警察の運用と執行姿勢で民情が変ると」述べているほど、民は身近な公権力の姿を唯一の政治観察として見ている。
 その多くは公平、正義、民主といった求心的なアピールと、為政者やそれを取り巻く人間の発する問題とが多くの齟齬を起こしたときに、その政策全般の無謬性に疑問をみるからだ。

 その無謬性の崩れる最たるものとして、衰亡末期の表層に現れる責任回避や、新規政権に擦り寄るための情報漏洩、あるいは最後の一仕事とばかり蓄財に励む汚職や便宜供与など、風向きを察知した人間の行為は古今東西それほど変りはない。

 あの正義と民主を掲げて世界の軍事経済を牛耳っているかにみえる米国も例外ではない。
 よく「アメリカの正義は健在」と、事あるごとにその威信の回復力と、慈愛に満ちたメッセージが大国の魅力として、またシステムとして多くの国々の羨望を集めている。

 その動きは近年、世界の軍事警察を謳い、自由と民主を掲げ消費資本管理主義の領域拡大に勤しんでいる。しかし余りにも強大な軍事力は、処刑方法を楽しむ権力者のごとく、圧倒的な力によって、゛負ける喧嘩はなし゛の様相と、それを安逸として繁栄を貪る社会の弛緩は、まず権力とその周辺に現れてくる。

 ≪2004/10に米国下院倫理委員会は共和党のトム・ディレイト院内総務を7日譴責処分にしている。疑惑はエネルギー関連会社から2万5000ドルの献金を受け、直後にゴルフなどの接待を受け、審議中の関連法案に便宜を与えたという。選挙区割りについても政府機関に不当な圧力をかけた疑惑もある≫

 ≪ブッシュ大統領が太平洋司令官に指名し、直後撤回したマーチン空軍大将も空中給油機リース契約に絡んで、女性職員を総額320億ドルの契約先であるボーイング社の副社長に就任させ、家族もその恩恵に与っているという≫

 ≪国防総省政策担当のライス次官の中東担当直属部下は、機密扱いだった対イラン政策の文章をワシントンの親イスラエル団体に渡していた疑惑。アジア問題では国務省元次官補代理が国交のない台湾を無断で訪問して女性工作員と接触して関係文書の提供をしている≫

 浜の真砂ではないが、先進国、世界の警察といわれる米国をしてこの有様だが、我が国のテクノクラートと称される人間にとっては語るも意味のない内政問題でもあろう。 とくに官吏はこの手の話を嫌うものだ。栄枯盛衰から人間を観察するという学問に不慣れなために、官制学校歴マニュアルの思考を、ごく平準で科学的ロジックとして吾身を覆うようになっているからだ。そこには民情と公権力を自己制御や修正の有無を観察する座標もない。

 
 政治家福田赳夫はその孤高の決断における自らの範として、漢学者安岡正篤氏を挙げ、自らを弟子と称して指導を仰いでいる。福田が総理として心したものは安岡氏から伝えられた任怨分謗(ニンエン ブンボウ)という文字である。
任怨とは人の恨みを素直に受け入れる、分謗は人からの謗りを他に転嫁しない。その揮毫は家宝のように大切にしているという。権力闘争の真っ只中で風雅を漂わせているような福田の清涼さに、我国の輔弼たる宰相にふさわしい矜持をみることがあった。

 翻ってみるに前記の米国の内政における人物の放埓や、我が国の政治に観られる径行は、両国の指導者に類似するスィンク・アクションの間に必要な礼としての調和が、直情性格によって混迷しているようだ。

「直にして礼なくば、即ち絞なり」とは隣国の故事例にある章だが、正しいという思い込みは反論を退け、まるで遮眼帯をつけた馬のごとく猛進する。その成否はともかく自らの選択肢や政治政策を締め付けてしまう恐れがあると説く。
怠惰な民情と新鮮さを亡くした公権力は等しく国民の認めるところだが、一方ではその根本に立ち向かう有能な遂行者を自滅させてしまう危険性がある。

 よく「六錯」といって、錯覚に囚われる弊害を説いているが、「暴を以って勇となす」「詐をもって智となす」「怯をもって守となす」「奢をもって福となす」「怒りをもって威ありとなす」「争をもって気ありとなす」、まさに錯覚だが、政治指導者の根本教養として、また観人則として必須の修学ではある。

 宰相におきかえて、この暴、詐、怯、奢、怒、争、が大義の美名に置き換えられたとしたら、勇、智、守、福、威、気、の備わった名宰相になってしまう。この間には戦禍復興の迷走や走狗に入る知識人の登用など既成事実の後追いもあるが、これは座標の迷走を変化に対応する「決断」として評価する錯覚した見方でもある。

 もし、鎮まりの精神に「任怨分謗」という陰の覚悟があるのなら、表層の騒がしさはない。しかもマスコミの到着を待って参拝するパフォーマンスは鎮護の国の輔弼とは到底思えない。不特定多数の浮俗の欲望に追従するかのような現世利益に基づく政策争論もその任の範疇だが、六錯のいう観人則の錯覚による人間力の劣化は、総ての前提を意味のないものにしてしまう危険性があるだろう。
 
 偶成

【以上は重複するが、宰相の観人則と心構えではある】

果たして土壇場に耐え得るだろうか。

「智は大偽を生ず」
(知識は己を護るのみに存在し、より其の智によって大きな偽りをつくる)

そして哲人は呟く「政治家は国民を騙して雄弁家という」




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ヒラリー・クリントンに比べて

2007-09-08 10:52:47 | Weblog
 

             人間として  タゴール


 毎年一月はスイスの保養地であるダボスにおいて通称ダボス会議、すなわち世界経済会議が行われる。各国の大物、あるいは大物然としている小者までが各民族、国家から参集する。選ばれる為か選民意識のものが多い。

表は顔合わせのように見えるが、裏では現在行われている世界の動きや風潮についての問題や、その対処について討議される。大物同士の談合とも見られているものだが、その影響力の結果を見たとき経済の分野に限れば、国連以上の動向が示されることがある。

1998年の会議ではグローバル経済の行き過ぎについて討議された。
消費優先、物質至上が人間の本質を退化させ、文明崩壊の危惧が討議の結果、認められたのである。

さもあらん、消費資本のプロパガンダを垂れ流すアメリカの巨大メディアはダボス会議では排除されていた。

日本のメディアや政界、財界、或いは庶民にいたるまで民主、自由、消費資本主義の世界に生まれ、そして死んでゆくと想定している。つまり宿命的境地に順々として従い、宿命に同衾している怠惰のぬるま湯の中でしか問題とその解決、あるいは予測を立てられないでいる。

自由、民主、消費資本主義に世界に疑問すら抱かず、そこから起きるさまざまな問題を仕組みやシステム、組織の問題を論ずる繕いに成果を求めている。

ヒラリーはその退行した考えに問題の一撃を下している。
『・・・しかしながら、私は長い間。アメリカ文化のメッセージについてのみならず、それらを伝える方法を心配してきた。

 今も心配し続けているし、この心配事は大きくなってゆくばかりである・・

 資本主義と民主主義の両方を害して価値観を促進する消費中心の文化が、ますます幅を利かせるようになっている・・・

 歴史的に資本主義とかかわっている商業道徳とか、喜びを後回しにして勤労に励むとかいった考え方は、消費資本主義によって激しく損なわれて来ているのではないだろうか。

 そして無常にも、刹那的に決断して多くの人々は消費資本主義に引きづられ、自己判断が狂わされてきているのである。

 人々はその国の国民であるとか、市民であるかということより、先ず消費者であり続けるようにと位置づけられている。

 このことで最も被害を受けているのは誰であろうか。
 
 はっきり言って、次の時代を担うであろう子供たちなのである。
今日の消費者中心主義の資本主義は、はたして私たちの未来を明るいものとしていると言えるであろうか・・・』

1998年 ダボスの中心課題は中国通貨である元の問題だった。
国際金融資本は通貨元を狙ってうごめいている。
走狗に入る経済学者の稼ぎ時であり、ピントの外れた政治家の御用学者として政治に参入するものもいる。

`あなた方、何を考えているの!`

と叱られているようだが、ヒラリーの問題識の淵にも届かないように、物質におぼれた女性、その結末すら案じられない政経人にはヒラリーの現世諫言は顧みられないようだ。

それでも野放図な自由と、やりたい放題権利の民主、嫉妬誘惑の消費に問題意識を持たないのであろうか。

やはり勝った国は人間まで違うのだろうか。



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1989年6月3日 北京天安門広場の若者たち  終章

2007-09-02 12:31:39 | Weblog
 


  北京学生運動のリーダー柴玲の録音
  翻訳 佐藤慎一郎氏

1989年6月 4日    血の粛清
    
    6月 8日    学生運動の総指揮、柴玲が録音する(午後4時録音)
    
    6月10日於   香港テレビ 放送(10時20分)

   《 柴玲の経歴》
      1987年   北京大学心理学部卒業、
              北京師範大学児童心理大学院に入学(23才)

  柴玲の録音全文訳 (重複する点は、省略した)


【以下本文】

 6月4日の昼、それは、私たち天安門広場から撤退して来た隊列が、北京大学に入った時です。………

 5月13日に開始した、天安門広場で、先頭を切って、デモ行進をし、断食をし、座りこみをし、それに引き続いて行った請願活動、平和な請願活動は、終りを告げました。
 あとで、私たちは、情報を知りました。
6月3日の晩10時、李鵬は三つの命令を出していたのです。
 第一に、軍隊は発砲してよろしい。
 第二に、軍用車は全速力で前進し、6月4日早朝までに、徹底的に広場を取り戻すこと。
 第三に、この度の運動の組織者、指導者は、打ち殺してもかまわないという命令でした。

 同胞の皆さん、これが現在依然として、部隊を移動させ、中国の上空を統治している、心ない気の狂った偽政府なのです。
 北京の大は、今まさにすすめられつつあります。そのうえさらに全国各地の大も、除々に開始されようとしています。
 しかし、同胞のみなさん。暗黒であればあるほど、黎明は近づいて来るのです。

 あれらのファシストたちが、心なくも気が狂ったように鎮圧しているその時こそ、本当の人民民主共和国が誕生する時なのです。
 民族存亡の最後の時は、もうすでにやって来ました。
 同胞の皆さん。一人一人の良心のある公民の方々、一人一人の中国人は、目覚めて下さい。
 最後の勝利は、必らず人民のものです。
 楊尚昆、李鵬、王震、 一派を主脳とする、偽の中央が滅亡する日は、遠くはありません。
   ファシストを打倒せよ!
   軍人統治を打倒せよ!
   人民必勝!
   共和国万才!

終章

その後3人の学生指導者のうち、紫玲はフランス、ウー・アール・カイシーは米国、王丹は軟禁の後アメリカへ渡っている。


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1989年6月3日 北京天安門広場の若者たち 其の三

2007-09-01 23:31:49 | Weblog

  北京学生運動のリーダー柴玲の録音
  翻訳 佐藤慎一郎氏

1989年6月 4日    血の粛清
    
    6月 8日    学生運動の総指揮、柴玲が録音する(午後4時録音)
    
    6月10日於   香港テレビ 放送(10時20分)

   《 柴玲の経歴》
      1987年   北京大学心理学部卒業、
              北京師範大学児童心理大学院に入学(23才)

  柴玲の録音全文訳 (重複する点は、省略した)


【以下本文】

 私たちのこの度の民主運動のシンボルだった自由の女神も、戦車のうなり声の中で、粉々に砕かれてしまいました。

 私たちは手に手をとりあって、毛主席記念堂を廻って、広場の南から、西側へ撤退しようとしていた時のことでした。私たちは記念堂の南側に、たぶん、万にものぼる黒い威圧するような鉄カブトをかぶった兵士を見ました。
 学生たちは、彼らに向って
 「犬!ファシスト」と叫びました。
 私たちが西に撤退していた時に、一隊一隊と、隊列を組んだ軍隊がかけ足で天安門広場の方へ集結するのを見ました。市民たちや、学生たちの喉はすでにかすれて声が出ません。
 彼らは、元気を出して
 「ファシスト、犬、畜生!」と叫びました。
 その兵士たちは、わき目もふらずに、急いで広場に向って走り去りました。
 
私たちが、六部口を通って、撤退していた時、指揮部の全員が、第一線に立っていたのです。六部口を過ぎた時、それは6月3日の午後のことでした。
 ここは、最初の血なまぐさい戦いの起きた所でした。煉瓦が到る所に転がり、焼き壊わされた物、敲き壊わされたごみ箱などが有りました。
 私たちは六部口から、まっすぐに長安街に走りました。
 一本の血路に沿うて走ったのです。 焼き壊わされた車。 地上には瓦礫、残りかすが見られただけでした。

 たった今しがた臭悪な戦いが終ったばかりなのだと云うことが、解りました。
 しかし一体の屍体すらありませんでした。
 私たちが、後で知った事だったのでしたが、このファシスト達は、彼らの前の方では、戦車を以て人を殺し、後続の兵士たちは、その屍体を、バスに積みこみ、三輪車に積みこむのです。
ある者はまだ死んではいませんでした。まだ呼吸は、絶えていなかったのです。
 しかし、みんな生きたまま、焼き殺されてしまったのです。(泣いて、続けて云う事ができない)
 このファシストたちは、彼らの罪悪を、白昼公然と影も形もないように、おおい隠してしまったのです(泣き声)
 私たちは、私たちの胸を張って、私たちの命を賭けて、デモ行進をして、もう一度、広場に戻る挙動をしなくてはなりません。

 この時、あらゆる市民たちは、私たちに忠告をし、阻止しました。彼らは
 「 子供たちよ、お前らは知っているのか。向うではまだ機関銃をかまえているんですよ。お前たちは、これ以上、犠牲となっては、いけない」と言うのです。
 私たちは、やむなく、西単から、北へ向い、西城区、高校区に行きました。
 路上で、一人の母親が大声をあげて、泣いていました。彼女の子供は、すでに死んでいたのです。
 路上で私たちは、軍警の四つの屍体を見ました。市民たちが彼らを敲き殺して、屍体を街頭にさらしていたのでした。
 北へ行けば行くほど、私たちの学校に近づいてきました。
 一人一人の市民たちの目には、涙が浮んでいました。ある市民は
 「 私たちが国債を買ったのは、まさか彼らが、それを銃弾に取り換えて、罪も無い人民を殺させようとするため、罪もない子供らを殺させようとするためではなかったはずなのに………」と言いました。

 私は絶えず、各方面の消息を集めていました。ある学生は……そしてある市民は、私に消息を知らせてくれました。
 この死刑執行人、彼らは本当の殺し屋なのです。
 彼らは、長安街の西側の人民たちの住宅地区に向けて、ロケット砲を発射したのです。子供や老人たちまで、みんな銃弾のもとで、死んでしまったのです。
 彼らに何の罪があるというのでしょう。彼らは、スローガンさえも、叫ばなかったのです。

 一人の友人が私に告げました。彼は早朝2時、長安街で戦車を阻止していたのです。 
彼は、彼の目の前で、一人のあまり背の高くはない女の子を見ました。この女の子は、右手を振り廻しながら、戦車の前に立っていました。戦車は、この女の子の身体の上を、そのまま通り抜けて行ったのです。彼女は肉餅のように引き殺されてしまったのですと、告げてくれました。

 またある学生が言うには、
 「 彼女が右手に引張っていた学生は、一発の銃弾で倒れ、左手で引張っていた学生もまた、一発の銃弾で倒れてしまいました。彼女は、私は命からがら逃げのび、命びろいをしたのです。」と言ったというのです。
 私たちが帰る道すがら、あるお母さんが自分の子供を探していました。彼女は“私の子供は……。”と言っていました。
“あの子は昨日はまだいたのに。今日もまだ居るかしら”と言うのです。
 妻は彼女の夫を探していました。先生は自分の学生を探していました……(泣く。言葉にならない)

そのような情況が起きていた。その近くの役所には、まだ
 「党中央の正確に決定した政策を擁護しよう」
という標語が、掲げられていました。
 学生たちは憤激して、これらの標語を破り、焼き棄ててしまいました。
 テレビからは
 「 軍隊が北京に進駐したのは、ひと握りの暴乱分子を制止するためであり、首都の秩序を維持しようとする為めである」と、わめきたてていました。


 私は、私が最も言う資格のある者だと思います。
 私たち学生たちは、動乱分子ではありません。
 一人一人の良心のある中国人は、あなた方の手を胸においてお考えになって下さい。 年若い子供たちが、手に手をとって、肩と肩とをならべながら、静かに記念碑の下に座っていたのです。
 学生たちは、目を見開いて、死刑執行人たちが、用の刃物を使う時を待っていたのです。彼らは果して暴乱分子なのでしょうか。
 彼らがもし暴乱分子ならば、彼らが、静かにあそこに座っていることが、できるのでしょうか。(泣き声で、途絶える)

 ファシストたちは、どのような程度に達したら、面の皮を厚くし、良心をあざむいて嘘をつき、天下をあざむく大嘘をつくことができるのでしょうか。
 もし、機関銃を持って、罪も無い市民を殺す兵士が野獣の畜生であるとするならば、これらのテレビの前に座り、カメラの前に座って嘘を言っている人、彼らは一体どのような人なのでしょうか。
 私たちが手に手をとって、広場から撤退して長安街に居た時、一台の戦車が追いかけて来て、学生たちに催涙ガスをぶっ放し、戦車は、学生たちの身体の上を押し漬して過ぎ去って行ったのです。(激しく泣く)
 学生たちのももを、頭を、圧し漬してしまったのです。
 二十数名の学生たちは、二度とその完全な屍体を探すことはできませんでした。                                 (泣く)
 一体、誰が暴乱分子なのでしょう。
 こんな状態ではありましたが、前列の学生たちはやはり、もとのままの歩調で歩き続けたのです。
私たちは、マスクをかけました。ガスが私たちの喉をカラカラに刺激したからです、 すでに犠牲となった学生たちは、どうすれば、彼らの生命を取り戻すことができるのでしょうか。
 彼らは永遠に、永遠に長安街に留まっているのです。
 私たちのこの天安門広場から撤退させられた学生たちの隊列は、ゆっくりと北京大学の校庭に、たどりつきました。………

 しかし私たちは、とても耐え難い思いでした。私たちは生きている者たちです。
 しかし、もっと多くの人々は広場に残っているのです。長安街上に残っているのです。彼らは永遠に帰って来ることは、できないのです。(泣く)………
 彼らの中のある者は、たいへん幼い幼い子供たちでした。
 彼らは永遠に帰っては来ないのです(泣く)

以下次号
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