まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

佐藤慎一郎氏との酔譚 抜粋の二   「情報について」

2008-09-14 12:42:14 | Weblog

(総理側近がスパイだったことについて)

・・・・・・

T : 日本は検挙しないのですよ、此処が〃和〃ですね。 独裁国家だったら直ぐにでも逮捕ですよ。 其の亡命したソ連の人間 (ラストボロフ) が何処まで日本の協力者に即いて喋ったのか、協力者が相当数在るでしょうね。 満州国から帰って来た人で、流言が起っている人も ――――。(軍僚から財界大物に転出した総理側近)

S : 大同学院の教官を執っていた時分、僕が何も頼ま無いのに政府の方で勝手に僕を〃兼任調査官〃にして、お金を増やしてくれた。其うしたら中国人は僕の処に独りも来無く為った。 日本人の感覚、本当に大莫迦だよ。 肩書きで調査が出来ると思っている。 僕は満州国の政府に即いて、中国人が如何考えているのかを訊いて歩いていたのに、其の肩書きが附いてからは、何も喋ってくれ無く為った。

T : 〝官〟の銘が附いていれば、其れはそうでしょうね (苦笑)。

S : 其うしたら後で〃参事官〃にしてくれたけれども、僕は役所に行か無かった。(当時の上司は戦後熊本市長になった星子敏夫課長)

T : 何処へ行っても勝手だったのですか?

S : 何処を歩いていても。 上海に居る山田の長男と広東迄行った事もある。 但し居場所だけは知らせてくれ、と。

T : 其れ、スパイ工作ですとか特務と謂う事では無いですよね? 其れだけ、満州国の人事に余裕が有ったとも云えるし、其れだけ〝人心を掴めてい無かったのだ〟、とも云えますね。

S : 例えばね、中国では有力者本人が罪を犯しても身代わりが監獄に入る。 現金をやって、請け負いで行くのです。 日本人は其れを知ら無いで無実を死刑にして、裁判が間違っている。 僕は随分救けたのだけれども…… ―――。

T : 日本の方でも解ってはいるのでしょうけれども。 然し其れで、肅として死んで逝くのでしょう。

S : さっきの〃ラストボロフ事件〃でもね、柏村さんから質問されて初めて、確実な事が判った訳です。

T : 大平さんは大きなショックとして、頭に残っていたのでしょうね。 其れでも中国 へ行きましたね。

S : 大平には〝思想〟は無い。 〝今だけ〟と謂う感覚だよ。 田中が北京へ征く前、中共の日本代表の…………名は何だったかな?

T : 嗚呼、某 (横浜在住)!

S : そうそう、某から僕は 「田中が北京へ征ったら、周 恩来にやっつけられてしまいますよ」、と謂われた。(稲山経団連会長が呼ばれた、商売だ。そして次は田中総理だ。)

T : 何で中共の親玉が、佐藤先生に其う謂う咄をするのかな。 先生に〃国家観〃が有れば (田中訪中を) 阻止しますよね。

S : 大変な話を訊いたから自民党へ行ったのだ。 日本に送られて来ている (日本版の)『人民日報』を読んでも何も判ら無いけれども、向こうの (自国版の)『人民日報』を自分は読んでいるから、大体の彼の謂う事は解るのだ。
「今度、田中をやっつける」と謂う意味が。
其れで、外務省の外郭団体の理事長を兼任している大臣の ……
何と謂ったかな (苦笑)、其の人に謂われ自民党の本部の会合で僕は講演をした。 其の会に大臣連中も四・五人いた。

「僕が直接訊いた人は間違いの無い人だから、田中首相が北京へ征けば必ずやっつけられてしまうから注意して下さい」と、伝えた処、其の場で大臣が首相に電話をしていたけれども、予想通り、田中さんは 矢っ張り僕に会わないで訪中してしまった (笑)。

・・・・・・・

【結果は、人民大会堂での周恩来から渡されたある漢詩の意味を知った中国側参会者は喝采を挙げた】それは巧みな面子潰しだった

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祖国をおもう若者の熱情

2008-09-06 12:22:41 | Weblog

        ベンガルに知らせたい日本との交流100年


ベンガルの虎と呼ばれる青年の声は、日本人を揺り動かす。
彼は「もっと歴史を知るべきだ!」と喝破する。

世界は人間の「縁」を切る、あるいは希薄にすると同時に、ヒトを許し譲り、協調して目標を立て、運動体として行動することを無意味なものとして考えるように仕向けられているようだ。

為すべきことより、やりたいこと。云うべきことより、云いたいこと、そのような考えの趣も進捗を早めている要因である。それは恣意的にもみえる麗句文言に外面の自己を飾りつつ錯覚した安住、つまり個性が大事といいながら無責任な大衆にその位置を求めるような、゛衆を恃む゛意識が、近来は過剰になっている。

それは「マス」というコミニュケーションに安易に乗じるような流浪、浮遊と呼ぶような状態でもある。

もし、その社会現象を部分考察ではなく、人括りにして過去と未来にみる現在の歴史の現象として見た場合、ただ自然にそのようになったのか、あるいは人類の発生からの経過でエントロピーの法則を倣いとして観る、一過性の一現象としてその憂いに対するカウンターを案ずれば解決するものなのか・・・

それとも、その現象を人間の自然な欲望、劣化として仮説を考案し、スケジュールを立て、この場合その進捗を促す劇薬である恣意的な自由、民主、平等、など、欲望の前には空想のような大義を、流行ファッショの如く駆使できる狡知を有する勢力があるのだろうか・・・

それとて、゛何かおかしい゛からの推考だが、敷島の情緒から生ずる直感は、我国に棲む庶世の賢人達の意識を喚起させるには充分すぎる考題でもある。
それを促すものは、固有に持続する我国の歴史に登場する先覚者、あるいは善悪を論じられる人間達の思考、行動を範として、あるいは則として染み付いた賢人に潜在する洞察力であろう。

昨今、これに気が付く人物を多く見かけるようになった。まさに甦りというべきものだろう。その多くは眼前の事象を独立した意志で考察し、かつ善悪、正邪、あるいは歴史の定説となってしまったものまで、新たに更新した座標軸を以って有為なるなる意思を柔軟に観察している。

それは、唯一の勉強と称されてきた官制学校歴マニュアルで読み解けなかった、真の自由、人間の尊厳の在り様などを、時空を超越した俯瞰視や大局観で考えることであり、画餅に帰すかのような美辞麗句に惑わされた意識からの脱却でもある。

それは、゛おかしい゛゛気が付く゛ことから、突破力ある行動の完結という、固有な、゛生きざま゛の明確化を促すことにもなるだろう。自己を知る、それは異なる他の理解への端緒であり、許容の拡大でもある。

現世利益のみに意を置くものは、そのような人々を往々にして異端とするだろう。しかし時を得て、その行動が「虚利」から「真の実利」に転換するとき、歴史は動転し新たなスパイラルを描き、多面的、根本的、将来的な方向を自ずから示すはずだ。

ことさら扇動するつもりはない。だが、゛何かおかしい゛と気が付いたとき、今までの考察の方法や切り口を変え、縁を得て人々が集い、それが大海の小石であろうと、はたまたゴマメの歯軋りであろうと、その異なるものは自己にとっても、゛生きざま゛の発露であり、証であろうと考えるからだ。






以下はその端緒として、歴史の部分スポットを例に習学の糧としたい。


【読者からの提案を転載いたします】

《郷 学  秋季研修会の御案内》
共催 蜆の会 日本・ベンガル協会


《標題》 ベンガルがみた 東京裁判から六十年

人は争い離反し、援け集合する、其の繰り返しは東洋の循環を宗とする情緒のなかで、その恩讐は時を超え、薫譲された縁は善悪の則を換えて甦ることがある。
それは、ときとして異民族の客観性と冷静な歴史俯瞰によって新しい世界を提示してくれることでもある。ことさら、歴史を改めて更新を求めたり、それを証として再び競い、争う愚考は、その再複した縁を亡羊の嘆きに投棄することでもあろう。
それゆえ、この度のベンガルの賢者シャカー氏と東條由布子氏が語る、アジアの口述伝承というべき集積された言は、アジア連帯の意志を添えて遍く思索観照されるべきものである。 
                              
                               郷学人

                     記             

講 話      日本ベンガル協会理事 
          プロビュール・ビカシュ・シャカー

客員講話     東條由布子 

日 時     9 月21 日  午後1:00~

参加費     3,000円  内茶菓500 残余はベンガルの子供たちへ

会 場     GREEN DOOR 定員35名
東武東上線上板橋南口下車 ドトールわき50m左

 出欠は世話人とりまとめ、もしくは返信メールにてお願いいたします
連絡先  shimura-ya@ag.wakwak.com   (銀座郷学) 志村卓哉

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