まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

ぬるま湯に入る知識人の珍説    13 1/10 再

2018-04-23 06:24:49 | Weblog


安岡氏は筆者に説く。宿命感は怠惰につながる、ゆえに立命しなくてはならないと。
京都には立命館という大学校がある。いまどきだから「大学」は説かず、大学校の在籍確認を提供するようだが、商業的大学校の生徒は、゛お客さん゛だ。

その受益者なる生徒はせっせと経営者や教授に俸給を運んで、似て非なる華人の歴史を、゛知った゛゛覚えた゛類の知識を提供されている。知識と言っても知の道理を構成する「識」も曖昧で、なかには済世や己の裁制をともなう利を虚しくさせ、逆な意もふくむ「利は智を昏からしむ」「小人の学、利にすすむ」状態に陥っている。

それを助長し看過しているのは、己の学説を周知すべく売文の徒や言論貴族に堕す教師に成らぬ、学校教職員のようだ。それは人間の師「人師」ならぬ、教科書に記された事績を説明する「経師」の存在であり、安定食い扶持を学び舎に求める学恩なき人間たちである。

なかには隣国の昔話を矩のように説き、「信なくば立たず」と広言する教員がいる。
現在の商業的大学校は知ることに対価が掛かる。つまり授業料を払わなければ教えてくれない。加えて教員が知ったことを自己体験して活用した成果もなく、云いつくされた感のある隣国の昔話を用いて、邦家の情感と似て非なる栄枯盛衰の事績を教材応答の種としている。

それによって歴史には記述されることの少ない農民や処世の民がどのような情感を育て、現在にどのような関係性を生んでいるのか聴くことは少ない。隣国では聖賢であっても、あるいは近代において蘭学をはじめとした西洋合理主義をそれぞれ唐学(漢学)、洋学と分類しても、それが混在する日本社会において「日本的」に馴染みやすい、あるいはス―っと入ることは現在の古典学習すらアカデミックに論調に整理され、かつ数値評価にさらされるようでは古典教員の意味すらない。そこには国学の本居の苦渋した唐学大好き人間の姿であり堕落でもある。

はたして大陸に棲み分けられた諸民族の興亡を記した昔話(古典)を人々はどのように読み、実利の具としているのか。それは我が国の教養の一端として、かつ名利衣冠の背景に飾られる名目としてのみならず、異民族の歴史の昔話に登場する英雄豪傑や文人思想家の文言に自己陶酔の如く記誦する知識人の多いことか、そこには身体浸透して魅せる人物の稀なるをみて、さらに異民族の情感の表れとして映る。

なぜなら、借り物の教養となる似つかわない学問は、とくに明治以降の啓蒙思想に因をみる官制学校のカリキュラムとなり、アカデミックな分類、考証でには馴染まない土着的な人物往来、応答辞令、俯瞰した推考などとは異なる、肉体的衝撃を回避するための狡知でしかない

それは官制学校制度という枠組みのなかで特殊な身分を構成すると思われている教職員の多くに表れる、世俗、いや浮俗と乖離することによって特殊な権能があると想像する社会の見方が其の界や域を保全しているようだ。

政治家は人を騙して雄弁家と言う」と市井では語られる。それでも一昔前は教員,お巡りさん、医者と並んで政治家は結婚式に招かれるように尊敬の対象だった。
しかし、昨今の守秘義務と説明責任と矛盾するような理屈にさらされ、表裏の公開が義務化された観がある。それゆえ尊敬の対象であった彼らは非難と怨嗟、そして嫉妬の対象となっている。その意味で庶民は隣国同様、嘲りの対象として彼らの姿を共有している。
つまり、阿諛迎合と好奇心が民癖といわれる日本人にとって、隣国の庶民がみる彼らの姿と同様な観察眼を抱くことは彼らの変質を推考して当然なことであった。

それは、我が国の人物観、職業観、彼らからすれば職業意識と使命感、矜持が隣国の知識人や医師に視る如く衰えたとみるべきだ。













よく、事象や考証の起点に座標軸や幹といわれる本綱が大切たせという。それによって切り口も決まれば結論に導く経過も浮かぶ。ならば尊敬の対象であった知識人(隣国では読書人)、いまでは諸師、教員が何を「本(モト)」に説(せつ)を発しているのか。

その尊敬の対象として、あるときは有名人として地位を有し、学び舎に所属することによって生活を営む彼らの「本」はどのような在り様だったのだろうか。
それは、「利他」の増進への使命感と感動を発揮する所行だった。利他とは「下座観」とその安寧を阻む人間や組織への論理的抵抗だった。またそのような師や知識人が津々浦々に無名に座して存在して、人々には時に起こる無闇な争論を諭して人々に教化をすすめた。
中央に座して高邁な講釈などは論外だった。たとえ貧しくとも縁あるところに座して処士に徹した。

そこには欲望もあった。偉くなって有名な学び舎に素餐を求め、御上に言を呈上して名利を謀る「偉そうな知識人」も数多の愚論を競っている。「善い知識人」もいた。
前例に執着せず、良知を以て利他のために「善例の創造」に異なることを恐れず率先垂範する知識人だ。彼らは昔話(古典)を活用して登場する先覚者にその範をもとめ倣った。












古典の多くは説であり、他に対しては語りだ。拡声器をとおした聖賢の説など舌の上下でまかなう「話」でしかない。吾を言う「語り」、舌が言う「話」とは古典教員も知らないらしい。おなじ説でも「語り」は吾を知った上で伝えることだ。安岡氏の主宰した金鶏学院の掲額は「我、何人(ワレ ナニビト)」と記されている。つまり学者は学問途上の意であり、完成到達者ではないのだ。

くわえ、清末の読書人(桂林出身)梁巨川は
読書人(知識人)は聖賢の書を読むものをいう。そして聖賢の書を読んだのち行動をする。それらを読書人という」
つまり前記した、知って教えず、学んで行わず、これは知識人ではないのだ。
しかも、時運に乗った知識人は切り取り知識を添加して世の中を魑魅魍魎な世界に誘導するのが常だ。聴くものが無知だとか、外的要因をあげて講釈するが、「説」が名利に堕すとロクなことがない。

だから庶民は「九儒」と蔑み、毛沢東も「臭九老」と称して十段階の下から二番目の位置に彼等をおいた。くわえれば宦官官吏に取り入り、いくばくの俸給のために曲学阿世に陥るのもこの人たちだ。だだ言い繕いが巧い彼らは「説家」として三百代言のような使い方をされている都合のいい連中でもあった。

そんな連中が大手をふるったのも理由がある。
それは真宋皇帝の「勧学文」に書かれている、「書中、自ずから黄金あり」「書中、自ずから女あり」と、学問すれば仕官が叶い,官位が昇るたびに黄金が手に入る。女も思うままになる、という学問の勧めだ。
おかげで、我が国の大学で四角四面に説いて食い扶持に与る教員も潤っているが、その意図を以て珍論,奇論、を編み出した当時の知識人の心底の多くは金と女と名誉である。
だが、元の攻略には何の助力にもならず、国は滅亡した。

つまり、政治を弄んだ昇官発財の徒である官吏と同衾してこそ「説」の意味があったのだ。キリストや日蓮のように不特定多数の安寧のための靖献ではなく、「説」を届けたのは官吏であり、皇帝への歓心と諫言を天秤に様に謀る狡知でしかない。

だから庶民からすれば「あれはハナシ(話)」と蔑んだ。近代でも共産党のスローガンに四つの近代化「四化」が公布された。おなじ発音て゛「化」は「話」、だから、できもしない四つのハナシと理解していた。同様にト・ショウヘイの小平は「小瓶」と置き換え、壁にガラス瓶を投げつけていた。

隣国では、党員、官吏は身分である。だから賄賂が発生する。日本と違うところは、その身分に保証がない。縁者、出自になる出生地、派閥、革命以後の成分(労働者,富農)、留学地、世代など、それらは昔からある班のような群れを構成している。
だから昇官は群れは、長のさじ加減で決まる。

その賄賂は成文法にある日本の贈収賄とおなじように便宜供与と群れの参加料のようなものだが、あくまで仲間内では「潤い」なのだ。たから賄賂は「人情を贈る」という。
それは色、食、財に明け透けな欲望にも表れる。女とグルメと金の欲望にはよほどのことがない限り抗せない。古老は「偽満州は良かった。だが一つ困ったことは日本人の官吏が賄賂を受け取らない。たから下に流れてこない。あれには困った」と。












グルメだが食卓にのる山海の珍味はどこの贅沢にもある趣向だが、人間種を喰う慣習は少ない。あの孔子の弟子,子路も戦争に負けて喰われている。病気の親孝行は自身の太ももを切り取って食べさせた記録もある。子供を食べたければ子供を交換して喰う。「本草綱目」には多くの食人記録が記されている。

その意味での金であり、女であり、喰い物なのだ。だから聖賢逸話が必要だったのだろう。その孔子も孟子も宦官、纏足は否定していない。宦官の登用試験は前提に陰茎を切り取ることと、孔子、孟子を題とした科挙試験だからだ。

日本の大学でも先任教授の論を否定すると教授にも推薦されない。しかも先任教授の雑ぱくな論書を生徒に買わせて単位修得の前提とする食い扶持走狗の教員もいるが、分派ならず分裂した学派のボスとなって学科統合活用できる教養人の輩出を妨げている

隣国ではその孔孟を鑑として修得した宦官が専権と賄賂を弄んでいるが、これでは民衆は孔孟を敬して近寄らない。宦官とて名目学習だ。その意図は総て「財」であり、昇進して財あれば「一官、九族に繁える」だ。官吏が一人でも一族からでれば親類縁者が繁栄するのだ。
それは日本の官僚制度の身分にも表れた。

江戸のころは諸侯の合議だった。それは支配層として人の上に立つ心構えと郷(邦、藩)の習慣と矜持を継承した。決して食い扶持保全に堕してはいなかった。官吏である武士を制する矩や成文はあったが、庶民を統治するための成文法はなく、郷の掟や習慣(陋規)で充分だった。

民主党の綱領云々も話題になったが、当時は憲法すらなかった。だだ、和人の民癖を深慮した聖徳太子の十七条には、いつの世も変わらない官吏の慣習堕落を逆賭して今でも当世官吏に通用する律をのこしている。
それは、いずれ権力を構成し人々の尊厳を毀損するであろうことへの危惧だ。その対象は政治家、官吏、宗教家、知識人(教員)、今どきは金融資本家も入るだろう。
それは、学び舎もなかった当時の豪族武人と官吏という部類に向けられたものだが、いまでも十分通用する簡潔明瞭な内容だ。

ちなみに権力の暴走を制御するのが憲法だ。民法、刑法はそれに準ずるというが、「法の傍をうろうろする奴はろくでもない」といわれたつい先頃の社会では弁護士も少なく、警察官も市中では目立たなかった。たが、法に対する庶民の無意識はいたるところで罰金を徴収され、官吏の人事待遇では政治家が異論をさしはさめないように堅固なものになっている。もちろん教員の人事待遇もだ。


十七条

一 仲良くして競い争わない。

ニ 精霊と法理を守る。

三 長(おさ)の定めたことに謹んで随う。

四 官吏は礼(譲る心)をもって仕事に当りなさい。

五 官吏は貪りの心を慎み、法を賄賂で曲げずつねに貧しいものたちのために心を砕きなさい。小さな善行でも隠すことなく、悪を正す。媚びへつらうものは上には下の過ちを云い付け、下には上の過ちを非難する。これらは国家に忠義なく人々には仁徳も持っていない。それは国家大乱のもとだ。

六 官吏は職務を忠実に実行して権限を乱用してはならない。人材は大小にかかわらず適人をもとめ、人を得ることによって世は豊かになる。決して人のために官職を設けない。

七 官吏は怠惰な勤めをおこなわず早朝から出仕して、夜遅くなって退出しなさい。公務はうかうかできないものだ。

ハ 信は義のもとだ。ことごとく信を維持せよ。善悪成敗は信にあり。信なくば滅ぶ。

九 官吏は真心をもてば必ず達成できる。なければ必ず失敗する。

十 心に憤りをなくし、表情に出さず、人の心を思いやって行動しなさい。

十一 官吏たちの功積、過失をみて適宜賞罰をおこなう。近ごろの賞罰は効積によるものでは必ずしもなく、懲罰は罪によらない。官吏は賞罰を適性におかなくてはならない。

十二 官吏は公の意識を堅持して税を徴収する
官吏は勝手に税をとってはならない。あくまで国の民であり私的(恣意的)に税をとってはならない。

十三 官吏はお互いの前任者の仕事を倣い職掌を知れ。前のことなどは関知せずと公務を停滞してはならない。

十四 官吏は嫉妬の気持ちをもってはいけない。それでは幾年たっても賢人や聖人は望めない。またそのような人物があってはじめて国が治まるものだ。

十五 官吏は私心を捨てて公務に精励せよ。視診は恨みと不和をまねき、私心で公務が滞り、制度や法律を破るものが出てくる。だから上下仲よくすべきと第一条でも記している

十六 官吏は民を使役、徴税するには時をみなくてはならない。民が農耕しなければ何を食べ,養蚕しなければ何を着たらいいのか。

十七 物事はひとりで判断してはいけない。みんなで議論しなさい。みんなで検討すれば道理に合う結論が得られる。














どうだろう、現在騒がしい憲法九条問題だが、これを問答したらどうだろう。
≪官吏は真心をもてば必ず達成できる。なければ必ず失敗する≫
これなら人員をやたら補充しなくてもいいし予算も効果的に使えるだろう。
時運の現象である防衛や、もっとも重要な銃後の援けは国力として甦るはずだ。

さて、いろいろ官吏の皮肉を交えて記したが、今度の憲法は十七条を肉づけするだけで充分おさまる。
ただ、付記は≪よってその成果如何は国民の良心に任せる≫と記せばいい

なかには早々と「新政権に授けたい官僚の活用術」と題して加持という教員が書いているが、それぞれ目的使命感を以て職掌につき、民の汗と油の果実を徴収し数倍もの優遇を受けている官吏に迎合する当世知識人の鑑だが、民からすればあくまで前提は太子の十七条の厳守ではどうだろうか。ときに欲望の民草や権力者が草案したものではないだけに、大綱を嗣ぐ陛下の心情と覚悟と拝すことが十七条の読み方だろう。
また、そう考えるべきことが邦家に棲み分けられた人々の結縁の証だとおもう。

なにも我が国の情感と似つかわぬ、いや本居でさえ鎮考した我が国の情緒のありようを、穂が国の古典にこそ求めたらどうだろう。だだ、十七条ですら隣国の倣い出典だと講釈が飛んできそうだが、確かにある「夫婦 相和し 拒まざるを以て旨とする」という房中(寝室)の秘めごとの規だが、ここには権力者も官吏もいない安逸がある。

知識人の堕落は生活の安逸にあると安岡氏は呟く。これからは熊楠だとも言った。
オッチョコチョイな側近が揮毫の御用を無恥な政財の徒に依頼されると、墨をすりながら長考して、「霞を喰っては腹が膨らまないが」と言うやいなや、書くのは経世の警言である。政局は語らず、官吏には「天子論と官吏論」を説いた。
活用は人を得てからのこと・・・」と、政治家の官吏活用などなどは問題外だった。

おなじ昔話(古典)でも下座観のある人物の学問は天地の開きがある。

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チーズからブロッコリー、お飾りはPiece 11 5/8再

2018-04-16 07:16:06 | Weblog

昔は写真は影が取られると正視しない人もいた。映りをデザインしたものではないが、どこか格好イイ           (日露戦争出陣記念)

前列左から   小村、△、松方、山縣、児玉、大山



昨今の政治家はカイワレを頬張ったり、イチゴやほうれん草を食べたり、まるでモルモットのようだが、てんと恥じることはない。しかも衆人環視のなか、レンズの前で演技している。

普通の人は成りたくないが,彼等はそれを平気でやれる図太い神経がある。その再就職に似た選挙は、笑ってお辞儀して、大声で同じことを繰り返す。

ここでは、その話ではない。
もちろんチーズや野菜の食べ物のことではないが、写真を撮るときに歯を出して笑うために唱える呪(まじない)のようなものである。

「ハィ~ チーズ」が、今流行りは「ブロッコリ~」だという。
口の形状は横に押しひろげ歯を出す姿だが、歯の治療のときくらいで普段の生活には無いような何の意味もない形状のようだ。

よく目は口ほどにものを言い、というが、口の格好もけっこう心根を見せるときがある。
口を尖がらせれば不満顔、下唇をかめば失敗、反省、口角を少し上げれば薄ら笑い、これは目と連動しているが目は鋭い。固く閉じれば拒絶か我慢。大口を開ければアクビや笑い。唇を閉じてアゴを出して目を閉じれば恋人のオネダリ。逆に半開きの淫靡な形もあるが、それぞれ形状に合わせた音がでることが解る。

拙章だが改めて並べられると形を模してみたいと思うのも面白い。いわゆる目も口もコントロールが効きやすい自在筋である。オデコも鼻もそうだが耳だけは特殊な訓練が必要だ。

そのチーズからブロッコリーだが、口角の筋と目じりは連動しても、不思議と眼(眸)は連動しない。よく初対面の人のどこを見るか、と問われるが、総じて眼を見ると応えるようだ。
だが、たとえ怒っていても、気分がすぐれなければ口角を上げて筋を弛緩(しかん、ゆるめる)と笑っているように見える。



               

        伊藤博文家家族   神奈川県金沢区野島 別邸記念館より




記念集合写真は、全員がそのようにすることを求めている。天邪鬼でいっているのではない。昔は不思議な写真をたくさん見ている。もちろん歯も出さなければ普通の顔をして横を向いている人もいる、そんな写真だ。

いつから笑うようになったのか、いい歳した男女でも、みなチーズになった。あのカンボジアPKO派遣隊もバスの窓から乗り出すようにVサインしている。若者はこれをPiece(平和)といってプリクラや観光地でも倣いとなっている。詳しいことは解らないがVサインがPieceとは古臭い人間には解らない。直前まで戦闘地だったカンボジアで大国の付き合い派遣で肉体的衝撃もなくVサインは馴染まない。
日本でも進駐軍がジープに乗って嬌声を上げVサインをしていた。そこえ上陸戦闘もなかった中国兵が歯を出してVサインしたらどう映るだろうか。






                

       義理と人情やせ我慢 男は安目を売らない



VサインやPieceと形はつくっても貧困と地雷にさらされているアジアの同胞は、日本の来た道を知っている。呆然と立ち尽くし固まるのが、来た道を知っている日本人の防人(さきもり)の所作だろうとおもう。先ごろまで植民地だった現地から、事情ともあれ西洋人を追いたて、歓喜に迎えられた親や兄がいたことは忘れてしまったのだろうか。

来た道を戻ろうとすることではない。ふりかえる価値と余裕がほしいだけだ。
子供は笑っても、大人は嗤っている社会は、音声は速く高まり、行動は落ち着かなくなり、眸は定まらない。統合失調症という病があるというが、社会の連帯と調和をなくした社会は統合失調社会でもある。整理や整頓ができず、外に飾ることを好む。政治家とて選挙ポスターはタレントのように総じて笑っている。しかし眸に目力がない。つまり心と口が裏腹になる。そうでなければ統合失調社会では当選しない。

統合する心が無いと上っ面な「国家」とか「平和」を謳い上げるようになる。政治家が「平和」を言い出したら戦争が近いと昔は言った。

「国敗れて山河あり、されど人物亡し」
偏屈で難しいことを考えてはいない。ただ大変なときに笑える、困っているときに嗤える、そこにはVもPieceもやってこない。

唯々、リーダーらしい者の調子に合わせて、ハィ・チーズ、おっと今はブロッコリーのようだ。

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弘前、葛西市政の一利と一害 14 4/12 あの頃

2018-04-12 22:07:14 | Weblog

 

       

        津軽ヨシ人形  木村ヨシ作

 

三選を目指した葛西弘前市長だが30・4/9の開票で落選した。 

多くの縁ある方から筆者に連絡があった。

新市長は元職員、葛西さんも元県職員、つまり役人世襲だが、そのくらい経営的能力を求められているといっても良い地方自治の首長でもある。

また、津軽は「津軽選挙」といわれる有名な地域だ。応援した候補が落選すれば業者はその期間は冷や飯を食い、御用の充て職もなくなり名誉すら毀損される。言い換えれば博打のような選挙だ。また「南部の握り」「津軽の足引っぱり」とも言われる民情だ。調子に乗ってきた、威張っている、庁舎も金かけて建て替えた、役人の給料がいい、議員は何やっている、そんなことも市長のせいになりかねない。そこで三選目だ。

よく「飽きてきた頃が人間が試される」という。ボランティアも一時の熱気が過ぎたころ、被災地や相談人が個別に尋ねてくると、気が重くなる人がいる。集団ならいいが個別に訪ねて来られると、あの頃の義侠心は失せて問題を人に振ったり、役所任せになることがあるようだ。

あるとき葛西さんに役所の顔は窓口。雪道、吹雪、訪れてくる市民を迎える職員は温い職場。明るく親切な対応が必要とお節介を焼いたが、いまは見違えるようになった。それと観光を推進しているがトイレは和便器が多いが、外国人や高齢者は難儀でしょう、とも提案した。

先ずは意識だと、何度か市議会を傍聴した。当初は雛壇の部長クラスでも居眠りをしている者もいた。答弁が切れるのは市長と農林部長、教育長だった。その感想も伝えた。紙面から目を離さず棒読みの職員もいた。人事は一長一短にはいかない職域ゆえ難しいことだが、それも面従腹背を恐れず、新設職掌を含めて効率的行政が徐々であるが整ってきた。

いままでは各種団体が「俺のところで押さなければなれなかった」と利益供与を求めていたが、当初は夜半に宴席に呼び出して「俺が招待したのに欠席とは・・」と万座で言う田舎ボスもいたが、それも落ち着いてきた。だだ、任期が長くなると本人の意志ではないところ、あるいは脇が甘くなるのか、下座観が薄くなり、足元にも茶坊主のような職員が高飛車な態度を部下に現すようになる。役人の性癖なのか忍従するが職員同士の通底する怨嗟は滞留し、市民の口にも載る。知らぬは本人になる。

また、目新しいイベントも舞い込み、他の市町村と比較され、その評価が高まると元々景気の良くない地域の市民の怨嗟は、外部評価と反比例して堆積する。それは行政手腕にいう,市の財政や施策ではなく、もともとの原資の所以への疑問だ。それが昂じると職員や議員の給料や待遇への批判が起こってくる。市民には口をつぐんでいるが多くの職員は、高給担保と生活の安定保全については市民生活とかけ離れていることを十分承知している。つまり既得権だ。ここに目を向けられたり、問題視されることが一番痛いのだ。とくに地方のデーターはその格差を如実に示している。

その意味では、後任の新市長もそこには触れない行政をするだろう。ゆえにそれを条件に庁内を統御せざるを得ないトラウマがある

 

 

         

          山田    孫文

 

真の改革をするために自らを律し、身内に贅沢をさせず切り込んだ、山田方谷や松代藩の恩田杢、名君上杉鷹山ならずとも、東北の西郷と謳われた初代弘前市長であり東奥日報を起業し、学都弘前を提唱した菊池九朗の事績の為した精神の根源を再度探り、倣う姿勢が今後の期待でもある。

古臭い、今どき、と市民も職員もいるではあろうが、俸給の種であるリンゴの海外輸出の大部分を補っている台湾輸出の端緒は、菊池の縁戚で中華民族の国父と謳われた孫文の側近山田純三郎、その生誕地を拠り所にリンゴを売り込んだ事からだと忘れてはならない。

新市長には歴史からの援軍もある。また、運用体としての庁内経営はすべて市民の扶養に存在している。

論理や理屈には「情理」をもって応じる智慧が必要である。また耳障りの良い非生産的といわれる世代や分野も、過不足や軽重の議論にさらされることではあるが、一風正論に見える論拠でも、論で応じることではなく、庁内職員と自らの「信」を内観、内照して応じなければ、具体的な経常経費は上がること必然となろう。

脚下照顧、櫂より始めよ、まずは鎮考すべきことだ。

 

 以下は14年の市長選挙の頃の私感備忘録です。 

読み返してみると、今回と同じような意味のことを書いていた。



           

      桜はどこでもみることができる  可憐なリンゴの花



前記本文

今青森県弘前市では市長選挙が行われている
現職と共産党の一騎打ちだか、どちらが勝つということより投票率が気にかかるという。
東京ともそうだったが、総じて関心が薄い選挙だ。

中国古代の堯の時代のように、わずらいを感じさせない政治をしてくれるのなら、それで結構ということなのだろうか。
当時は、税も納める、多少の無理も聞く、文句も言わない、だけど自分たちの生活は自由にやりたい、だから邪魔だけはしないでくれ、と皇帝を船に例え、庶民を水もしくは、大勢集まれば海になぞらえて船を浮かべていた。

いまどきは酒の名前になっているが,上善如水(一番善い生き方は水のように生きること)が彼らの生き方だ。
一滴が集まって渓谷の流れとなり、中流では万物に潤いを与え、動植物の生育を援け,丸い器や四角の容器にも納まり、泥水は清水を受け入れ、清水も泥水を受容する。永年そこに留まることも厭わず,大河となって海にそそぎ、船を浮かべ、怒り荒れれば船を転覆させる。陽光によって大気となり雨となって降り注ぎ、また同様に循環する。
それは人生と同じで、そのような生き方が最良な生き方だと達観もしくは諦観をいだいている。

だから、彼らは政治を語らない。虐政も善政も天恵のように受け入れている。政治権力が転換しても、封建から国民党、そして共産党に代わっても、意に介すことはない。頭(首領)が代わるだけで、お天道様(太陽)は輝き,干天には天恵の雨の潤いがある。
だだ、天が怒れば凶作となり、大気に随う人々の気は激動する。為政者の祷りが乏しく、つまり天意に逆らった政治をしたからだと民衆は群れになって怒り、猛動して政権を転覆させる。いまは選挙による政権交代だろう。

だが、扶養や補助を通じた援助は、さもしく依頼心を増幅させ、自律(立)性を阻害することがある。
公務員の普遍的給与基準はあっても、市民の所得環境は宿命的といえるほど疲弊している。
政策の真の折り合いと成否は、もの言わぬその部分に在る。
しかし,多くの議員も、公位にあるものも、その食い扶持部分には触れない。

むかしは手本とした改革者は先ず身を削った。それは家族の妻や子供にも質素を強いた。いや当然として行った。
昭和天皇は雨漏りする御所の建て替えをすすめる侍従に「国民はそのような状態ではない」と叱責した。
それが高位高官の鑑とする倣いだった。


つまりすべての前提にある「信」と「忠恕」の在り様であり、公務に就く者の矜持でもあった。

たとえ貧しくとも庶民には人情がある。深く熱い人情は国の法律より上位にある。
為政者が贅沢をしようと、法を盾に強権を振ろうと、文句は言わない。たとえ税が厳しくても、民衆の自由な躍動を邪魔しなければ、異なる世界の住人の為せる行為として、自然の災害に対するように強靭で柔軟に諦めがある。

そこには民主だとか選挙だとかは彼らにとっては煩いでしかない姿がある。
だだ、旗が代わる(易織)だけだと思っている。
色でいうなら国民党も共産党も旗色が代わっても、民衆の生活は変わらないと考えている。




津軽の冬





秋季

問題は面前権力の姿だ。現代は警察と税務署だが、信号機の信頼と誤った時の罰則は為政者の意向であり、無謬性を察する庶民の依頼性でもある。中華民族は柔和な従順さの陰に対策がある。大人しくしていては実利がない。実利の成果は罰金では意味がないと考える。四角四面の法制度は社会参加の最低限の前提として遵法を約束するものだが、自由と依頼の関係は異なる民族の自立性の違いとなって国情を明確にさせ、天地の間に生きる中華民族は特異な天下思想を以て地球の表皮に拡大している。

つまり我が国の個性化と国際化の結果は、社会の公徳心、国家への帰属意識も希薄になり財の欲望と狭い範囲の私的人情となって社会の連帯を放埓した状態に解き放った。
それは、隣国との同化現象ともみてとれる。

公務員は「四患」が顕著になり、公徳心を背景とした遵法意識が強い地方の民衆は、̥怨嗟を秘め、潜在する情緒の善性を拠り所に日々生活の糧を求めている。
四患とは「偽り、私、放埓、贅沢」の病である。しかし、みんなで渡れば怖くない情況だ。
漢の荀悦は皇帝から宰相の委任を受けたとき、官吏に四患があると、いくら善政でも民衆に届かない。
財は途中で吸収され、政策は捻じ曲げられ、国富は欠乏し、民衆は苦しむ。
この四患を払うことができなければ、だれが宰相を受けても民衆の苦しみを援けることができないと荀悦はいう。



弘前市長葛西憲之氏は経営型市政を掲げている。
多くの施策とそれに見合う組織を新設し、人材を転配して四年間の任期を問うている。
任期中に起きた放射能風評被害でストップしたリンゴ輸出には自ら台湾に乗り込み市場調査、交換貿易としてのマンゴー購入、台湾自治体との提携から子供交流と、独自の地方自治外交を積極的に行っている。
前記した面前権力ではないが、役所の窓口対応を改良し、今までは忘れがちになっていた市民目線の市場経営的施策を行い、職員の新たな教育的環境を作り出している。


以前はネガティブな状況が市政を覆っていた。
地方にありがちな地元土建業者との関係、選挙応援への便宜供与、職員の職務弛緩は安定職高級待遇として市民の怨嗟を招き、安易な補助金行政は市製不動産屋となり、市政に負荷をかけた。また教育委員会は習慣的惰性となり、困窮から非行に子供たちを向かわせることも少なからずあった。議会は通称もの言わぬ議会と揶揄され、なかには許認可に絡む事業を議員任期中に起業しようとする議員も現れた。
つまり、四患の類が表れていた。






弘前子ども議会



市長は市政の信は人の資質にありと、人事抜擢、配置転換、作業を通じての育成と多岐にわたる政策を提起した。前市政からの停滞した諸問題にも取り組んだ。
それらの改革は外部の既得権を有する者だけでなく、内部の職員からも潜在する批判を受けた。しかし、本会議場を使った子ども議会における生徒の議論と意志は、大人社会の忘却していた郷愛心と使命感を想起させ、市政を俯瞰した将来ビジョンは次世に継続できることを示してくれた。
整地して多くの種を撒き、芽が出たところを育てる、今までの葛西市政は多くの種を提供した。そして次期は選別集中に入るだろう。また利を積み重ねる前提は害(無駄)となるものの摘み取りだ。つまり四患になるような部分の是正が要となる。


元の宰相、耶律楚材は「一利を興すは、一害を除くにしかず」と説く。
つまり、新たなことを興す前に、一害を除けば、利が生じたと同じことだといっている。害は利を相殺するということだ。



滞留し、ときに習慣化した害は怠惰と腐敗を招く。
それは、弛緩と共に無意識に慣習化されることだ。

葛西氏は登覧する位置で、使命感と実行への胆力が必要になってくる。大切なことは地位にこだわらず(恬淡)として、将来に期して成果を遺すことだ。
つまり教育行政への正鵠を得た側面援助と職員への公徳心の喚起だ。いまどきの説明責任もいらず、市民は安心して委任するだろう。
いや、敢えて市政を巷間でも語ることもなく自由な躍動が起きるはずだ。

孔子は「まちつくり」の要諦は、「外の人来る、内の人 説(よろこ)ぶ」と説く。

独立郷津軽弘前の気概を以て、異なることを恐れない市政を遂行してもらいたいと願うのは、弘前市民だけではない、訪れるものの願いでもあろう

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佐藤慎一郎氏との酔譚  番外偏  酔うにまかせて・・・・

2018-04-03 09:14:57 | Weblog

荻窪団地の3階は時折要人らしき人が数多来訪した。

もし、 鄧小平が亡くなったら私はどうなるのでしょうか・・
国務院の幹部が佐藤さんに尋ねた。

アナタは地位はどの辺ですが?

「○番目です」

天が落ちるときはねぇ はじめに一番高いところに当たるんですよ。アナタは当たらない、心配ない

招待外交の立役者で、中日友好協会の翏承志氏は来日すると、何はさておき佐藤の叔父(山田純三郎)のところに行く。孫文の側近であった山田は蒋介石、翏仲凱のよき相談相手であり先輩でもあった。リョウが子供のとき、いつも山田の腕の中であやされていた関係でもある。

蒋介石の子供には経国、緯国がいる。国家歴史の経緯、つまり縦軸横軸の関係である。この緯国氏は蒋介石の先輩戴天仇と日本人の間に生まれた子である。山田は蒋介石に「革命の先輩の子だ、養子にしたらいい」と蒋介石の養子にしている。

緯国氏は来日すると佐藤さんに連絡をよこし、父母や山田との思い出を何度も尋ねている。孫文の遺言のことも佐藤さんは詳しく伝えている。



             



その筋の要人から佐藤氏は打ち明けられた。自然に話しはじめた中にあった



昭和10年   北京排日運動 1,2,9事件 (盧溝橋の2年前) 当時 北京全学連委員長 
後の統一戦線工作部 中央本部副組長

中央の指令で香港に単身来ていた。

中央は奥さんをよこした。

通常任務は妻帯はさせないことになっているが本人は本部の心遣い に感謝していた。

同じ共産党の妻は逐一、夫の動向を報告していたが、いたたまれず 夫に告白

「自分はあなたを監視するために送られて来ました」

夫は愕然する。

香港から沖縄へ(米国施政)CIAが逃がす

東京ではCIA、公安調査庁が身柄保護 後米国へ行った

公安の依頼で面接する。

本人から自発的に話し出す。

北京無血解放、工作部組織図、特務養成所、その中で盧溝橋事件の 話があった。

特務養成所では盧溝橋事件の成功が謀略として一番効果的であったと教えられる。

自身は北京全学連委員長として忙しい毎日であったが事件のあったことは知っていた。

1,2,9排日運動のときは各地に共産党青年活動家を送り込み行動を起こさせた。

指導者は後の国家主席、劉少奇である。

☆ 夜陰に紛れ両軍が対峙している真ん中から両軍に向かって発砲。
日本軍参謀は「偶発的事件…」と発表

単なる事件としてとらえてはならない。

国民党、共産党、日本軍だけが事件構成者ではない。

イキリス情報部(パイル中佐)の後ろ盾を得た国民党軍事委員会、“国際問題研究所”ゾルゲの謀略機関
所長 王 大禎

中国の情勢を作為的に変化させて(謀略)日本国内の決定を誘導して、いち早く情報として収集する(情報)

(目的) 北進を南進に転化するために、どうしても中国国内に誘導し国民党と戦わせ英米の反感を誘い、包囲網によって禁輸戦略をとり真珠湾、東南アジアに日本の戦端を暴発させたのである。

ソ満国境は重要でなくなり、安心して独ソ戦(スターリングラード)に軍備を転進させられたのである。 (ゾルゲの任務)

西安事件もそれら一連の戦略内にあり、戦後の中華人民共和国成立まで一貫した謀略戦があった。

日本と支那が戦ってどちらが勝ってもアジアの安定はなく、西洋列 強のアジア侵略に手を貸すのみだ

と言った孫文の意志を守っていた蒋介石も、謀略に軽々として乗ずる日本と、列強の影響力を利して巧妙な謀略を図る共産党の構図の、どうしても抗すことのできない謀略によって作られた事実に負けたのです。

ゾルゲ事件を日本国内の問題として取り上げても情報伝達や一面の意図しか描くことはできない。

歴史からみた将来の国家戦略を考えた場合、大きな誤算を招くこと必至である。

日本の奢り、国民党の腐敗堕落、中共のソ連と連携した国際謀略

なるべくして成った現在の国家構成である。


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