まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

「宮内庁ごとき」と吠える、モノ書きの浮俗事情 08 7/30 あの頃

2021-05-31 13:18:47 | Weblog

           東京市長 後藤新平に尋ねたい

 

旧稿ですが再考のため掲載します

 

やはりあの時の判断は明察だった。

浮俗の祀り(まつり)ならぬ、地球のドサ回り祭りの呼び屋の助っ人につかわれることに、斬然として拒っついる。まさに都政のゴタゴタを見事に推考している。また、その元にある利得権の争乱を逆睹した英明な判断でもあろう。

逆     睹………将来起きることを想定して事前に手をうつ                      

 


ある時は靖国神社参拝を請い、今度はオリンピック興行の誘致運動に国の結び目としての皇室にその助力を請う。しかし「ご遠慮」の意が宮内庁職員から伝わると、先の放言が発せられた。

それぞれ遠まわしにも、伝わるように要請しているが、正式に「ハレ」の場面においては要請してはいない。つまり「ケ」から「ハレ」の分別もなくモノを言い、「ハレ」も「ケ」を忖度配慮して「ご遠慮」しているものを「ごとき・・」とは、釈然としないものがある。

「ハレ」の威もあれば、譲り合う「ケ」の美徳もあるだろう。その調和を掌る礼には、その域内の陋規として「ハレ」に晴着を用いて、辞するときは「なおらい」が礼としてあることをこの国の人々なら、教えずとも倣い継いでいる。

それとも、万能な権力者として、あるいは秘奥なる威厳をコケオドシの用とし、かつ国家の繁栄を大義としてお出まし願おうとしたのだろうか・・・

ことさら皇室を補佐する宮内庁に愛着のようなものがある訳ではないが、モノ書きの物言いは同胞として理解に苦しむものであり、慎むべき精神が欲しい。

反対に「都知事ごときが・・・・」と、発言したら、民主主義を大上段に振り上げて天皇の君奸などと言いかねない軽さがある。カジノに尖閣に五輪、まことに騒がしい。


戦前の木戸内大臣のような振る舞いを見るようで、一方では政治が皇室を利用するという危惧があるが、それこそ、「政治家ごとき」と言われようと、凛として反駁するような人物も見当たらないのが今時の選良の姿だろう。

 

          



ことは「皇太子なり、天皇なりにその威をオリンピックに助力を・・」ということだろうが、以前にもモノ書きは商業ミスコミの元老院と期を同じくして天皇のお出ましを哀願している。今回はモノ書きの不埒な放言だが、「宮内庁ごとき・・」の言にあるものは、まさに「其の心底見たり」である。

就任時の都庁カジノから始まって森伊蔵の空箱に親子それぞれ一千万のお土産など高慢な行動がマスコミを騒がしたが、゛これぐらいは有るだろう゛と、モノ書きの珍しくも寡黙な姿にそれを忖度し、庶民は三文舞台の台詞回しを見るようで、其れはソレデ楽しめたものだ。

ともあれ威勢のいい時と、調子の合わないときの機嫌悪さといったら、このところ弱気な日本男子には頼れる男気とでも理解したのだろうが、明治人の気概から観たら、鹿鳴館の似合わん仮装までして先進国サロンに入りたがったのが、戦争に負けた後は、跳ねたり、駆けたり、水に潜ったりする西洋の運動興行を大枚かけて招いているように映るだろう。

だが、あの当時の勢いは日本人に異なるものを与えたようだ。
いまも「景気効用と日本人に元気を興す」ことがスローガンだが、モノ書きの情緒、いや情緒性を涵養する環境、風土について、いかに成功価値の変質と、其れに伴う諸般の煩雑な出来事について「政治家」としてのステーツが欠けているように思えるのだが・・・

前記の、なぜ不埒と観たか、「心底見たり」と関係することだが、靖国参拝問題についてモノ書きの章に、陛下の参拝を願い漂っている問題の風を変えようとする、願目だったと記憶する。時を変えた同紙のコラムでも論説元老院の長老がそのような意味を記していた。
「埒(らつ)」とは柵の意で、不埒は柵がない、つまりこの場合は「自制の範のあること」を示さず「勝って言い放題」の放埓状態である。

靖国問題だけに矮小化すると見過ごしがちだが、其のとき陛下は前立腺がんの切除で入院中であったが、平癒を祈る章も無く陛下の靖国参拝を切望していた。
立場はともかく一端の大人の礼とはいえないと、筆者も章を割いたことがあった。
何はともあれ、其れが一番の解決方法であり、人を平伏させることが出来る、と考えているのだろうか。

          

         

 

モノ書きは守るべきものの護り方を錯覚している。
もし、モノ書きの風情で筆者が願うとすれば、「政治家、官吏、教育者、公諸般に就く者は公明正大に業を執り行い、国民の信頼を得るため、誠心誠意に精励するように希望する」と、勅命を請うだろう。

想像するがいい、政治がどうの、憲法がどうの、と騒がしくなるが、日本人としての天皇が其の意志においてインタビューという法をとって語ることは歴史の則を超えることではないし、調和と連帯が欠け、民族固有の長(おさ)の在り様を俯瞰するとき、それは思いもよらない効果を発揮するだろう。

余談だが、赤尾敏氏は演説の最後に、天皇陛下万歳と唱えている。筆者がその理由を尋ねると、「ことさら天皇の健康や財産を護持するものではない。かといって日本国万歳といってもロクデモナない政治家どもに賛意を示すようなので、天皇が一番善いのでそう唱和している」また赤尾氏は「神社参りではあるまいし、世俗事情の解決を天皇に願うのは知恵の無いことだ」、とも語っている。

モノ書きの何を期待したのか・・
はたして「政治なるもの」を見せているのだろうか。
それとも「軍は竜眼のそでに隠れて・・」といったモノノフに似つかわしくない狡猾さで竜眼を押し立て、天皇の下、威を壟断するような維新の一派の残滓同様に、民を苦しの淵に落とすのか、それはモノ書きの空想する、゛格好の良さ゛とは似ても似つかない、゛みっともない姿゛を歴史に記すことは疑い無いことだ。

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都政とオリンピック興業 あの頃

2021-05-30 04:54:31 | Weblog

2019  1/15 掲載に関連して

一部の賢人には恐縮だが、どうも腐りきった商業マスコミの、忖度ばやりの隠し屏風によって慎重に思索し、将来を逆賭するような意見は遮られるようだ。

別に掲載して欲しいとは思わないが、自由を担保する表現まで邪魔しないでくれと感ずる世俗になった。

「忖度」も流行りだが、「逆賭」もそのうち流行るだろう。流行りだから廃れるもする。「将来を推考していま手を打つ」それは善悪を問わず、今どきの人にはオセッカイでもあろうが、「今言うべきことを言う、聞くか聞かないかは問わない、しかし、いま言わなければならない。」と喝破した幕末の横井小楠を想像すればよい。

 

 

お犬さんでも後始末

 

以下は、たしか数年前の拙章ですが、前回の関連備忘として・・

ことさら反対や、白けて無関心だからと考えるものではない。だだ、政府なり自治体為政者は、鎮まりを以て歴史を俯瞰し、将来を逆賭したような施政を都民はみたいと願っているのではないだろうか、あるいはそんな面倒なことを考えないと一瞥さえしない人たちにも、民癖のようになった好奇心、迎合心など、そのまま投影したような政治メッセージは、いずれどのような状態を導くのかを政策意志を通じて魅せてほしいと思うのである。

 

以前、あの石原新太郎さんがIOC(国際オリンピック委員会)総会に皇太子殿下の出席を依頼したことがある。学習院の運動会でムービーカメラを抱える殿下ならひと肌ぬいでいただけるだろうとの気分だったに違いないが、そこは宮内庁の職員が踏ん張った。

そこで「宮内庁ごときの役人が・・」と殿様気取りの荒事を平然と行ったことは記憶に新しい。

 

こんどは「ミカドの肖像」と題して小文を書いた著述業の都知事がオリンピックに血道をあげている。その招致経費は数百億、晴れて開催が決まれば元が取れるとの算段だが、相手は名うての慇懃姑息な集団である。ロス・オリンピックからとみに商業化したというが、大人が飛んだり跳ねたり潜ったりする興行はなぜか熱狂を生み、たとえ転籍した国でもその看板が付けば居住国籍のヒーローにもなるし、社会は高揚する。

 

一方では慎太郎氏だが、ころから税の徴収はことのほか厳しくなった。職員ですらノルマと成果報告を課せられ汲々としていた。「上の都合でこちらも大変です」といいながらの強硬な徴収は普遍性の名のもとに多くの延滞に差し押さえが強行された。とくに近郊農家だった地主は有効活用もままならず資産税の滞納が続き、売れば別の税で捕捉される状態だ。

そこにきて新銀行東京の乱脈破綻、息子の事業への便宜供与と職員の優遇、オリンピック招致の失敗など、マスコミ情報の谷間となっている都政状況にこぼれる情報に怨嗟の念が巻き起こった。

そして、第二次招致だ。いくら選挙公約だといっても余程のことがない限り都政の実態に興味をもたない都民は、民主党の国政失態を、゛気分変え゛と考えた単なる選択だった。

 

もともと大都市をかかえる自治体の選挙はその様な結果をたどるようだ。安井、東の振れは左翼とおもわれる政党の推薦で美濃部という学者を選択した。後は官僚の鈴木、また振れてタレント青島、そして小説家元代議士の石原になった。大阪も漫才のノックから官僚の大田女史、そしてタレント弁護士だった橋下になった。ことさら選挙民が面白がっているわけでもないだろうが、その候補者のキャラクターばかりが印象となり、また人気投票のような選挙を敢えて意図する戦術がとられる、まさに都市型衆遇の誘導選挙でもあった。

 

こんどは相続選挙のようで、゛どうなるか、何ができるか゛とあまり期待観のない知事のようだが、威勢のよさそうにみえるのも似合わない元気さだが、それを維持し、その位に留まってくれればいいと思うのは都民ならず官吏の切なる願いだろう。

その花火がオリンピックとは、イベント会社やマスコミに垂れ流す資金でネガティブな都政情報をスル―されると思えばホドよい宣伝費だろうが、旧来型便宜供与には変わりはない。

 

      

        台北

 

標題のオリンピックだが、随時帰化のようなことも起きる。教育機関の優先特待生のようにその学校を有名にして経営を安定化させる手法は、落ち着けばその特待制度はなくなる。オリンピックを国家高揚、商業利得にするには帰化が当然のようになっている。五輪の各色は人種を表しているというが、愛と人権と自由を謳いあげただけあって混血がすすみ、欧米のメダリストはアフリカ系の選手が多い。あの芸人ネコさんがカンボジアに帰化して出場を試みる例もあるが、陸上競技にはそのメダルが多くなっている。

 

そのメダルも年金、勲章、国民栄誉賞、プロ転向と名誉だけでなく、金を生む。それに群がる競技関係者もおこぼれに与かるが、熱中のあまりの指導が近ごろでは体罰やしごきとして社会問題にもなっている。

 

不思議に思うのは水泳競技にアフリカ系が少ない、いや、まだ見ることはない。アフリカ系米国人のプロスケーターはいるが、あの浅田真央さんの競技では見ることもない。

南洋諸島の氷上ソリ競技の出場に耳目が集まったが、稀なことだ。ともあれそれが世紀の祭典というものだ。巧い具合に4年にごとという目標があるせいか国を挙げての狂乱は飽きることなく、待ち望むにはちょうど良い間隔があいている。

 

その興行招致に政財界が打ち揃って昂揚しているが、国民の期待度はわずかしかないのが実情だ。経済効果や国威の伸張を謳っているが、国民は煽られて買い求めた高性能テレビジョンか有料テレビでこと足りると思っているのか、さほど騒がない。ただイベント補助,招致資金に群がる関係自治体は旗を立て、バッチを付けて迎合しているが、その先はかいもく不明だが、如何にせん御上の為さることと、おんぶにだっこの様相だ。

 

あの麻生太郎さんなら「さもしい騒ぎ」と内心呟いているだろう。だだ、忸怩たる気分にさせることは、今どきの選挙の一部の狂乱と無関心に似て人の動態が捕えづらくなっていることへの危惧が、どでかいイベント花火を打ち上げることで、どうにか経国の流れがつくられると思っている為政者の出現だろう。

 

 

 

都民は何故そんな金を使って騒いでいるのかと、つかみどころのない心配がおこっている。しかも総理や殿下までオリンピック興行の談合の場に晒すことに疑問視しないアンチョコ為政者の軽薄な心根に嫌気がさしている。

また、視察と称して飯を喰わせ、酒を飲ませ、観光まで案内する。もしかしたら、また総理や殿下に暇をつくらせるのかと国民は心配している。

 

鐘や太鼓で民を躍らせ、だからと言って楽にならない民の「いずれ虚しくなる」という賢こい思いをしりめに多くの時と労力と税を湯水のように遣う官製イベント興行だが、カスリはサラマンチ王朝の寺銭になる。しかもそれを承知で卑屈にも阿諛迎合する選良に嘆かわしいと諦める国民の声は届かない。

 

不思議なことに、テレビ・新聞を代表する商業マスコミもファッショのようなオリンピック礼賛に異を唱えるものはいない。あれほど支持率という数値で政権まで倒す力がありながら、都民の意識の「分」、つまり読者の吐息は届かない。都市開催がうたわれ世界の小都市までが名乗りを上げているが、冬期はロシアの黒海沿岸のソチだ。莫大な資金を使って大工事をおこなっているが、一方では政権勢力の浮揚にもオリンピックは効用があるようだ。ただ、二代つづけて二番煎じのお祭り施策をされると、「本当かな・・」と賢い国民のアンテナが敏感になっている。

 

東京は前回と2期つづけての立候補だ。意地もあるのか官民総揚げで国内外をあおっているが、あの伏魔殿のようなIOCに弄ばれ、喰われてしまうのではないかと心配になる。もっとも国民の大多数はその様な気分になってきた。IOC委員の不祥事、国内競技の指導問題など、意気消沈しないか、あるいは意地とメンツで突っ走るか、そしてなりふり構わず芸者目当てのように置き屋の女将に金を握らせるのか、たかがオリンピックと揶揄することなく、為政者の能力と質をみるには適当な状況でもある。

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煩雑多岐にわたる法に煩悶する現場運用官  終章 再

2021-05-25 05:17:44 | Weblog

2016   3   再   あの頃

 

安保法の一連の経過の中で、学者が違憲だ、いやそうではないと、与野党の思惑をまるでなぞったように元気よく? 発言している。

そもそも反対する側は、自衛隊が違憲だとしつつも、課題が安保法だと、安保法案の条文に討議参加するけなげさもある。それは戦前の翼賛政治につづく国会機能の喪失、つまり海外の事件なり事変の現状追認に陥った姿に似て、良くも悪くも「軍備を持たない」という憲法の条文を、小理屈を労した既成事実として、いつの間にか与野党とも認知を前提とした現況をもとに課題が提供されている不思議さがある。

 

世界の事情や隣国との軋轢を視て見ぬふりをして、一国平和をかたくなに守ることも智慧のないことだが、かといってここまで来たのだから、憲法を書き換えろというのも泥縄的で、憲法の意義、否、成立の過程すらも胸を張って歴史に記されるものではない。

どうも、後先も考えずに、抑えるべきところも抑えずに、反省するべき歴史の事実さえも隠蔽して将来に進むかのような政治環境とその構成員に一抹の不安を覚えるのだ。

整理すれば、国民の不安はこのような所にもあるのではないだろうか。

 

いわんや、すっきりしない状況は、その現場作業に不適合な法という代物によって我が身を縛り、危険にさらされる自衛官ですら、目的のために援用すら戸惑いを感ずるだろう。

いくら資材と命は指揮官の運用次第だとしても、予算がない、適法がないと動きが取れないと、次第に、戸惑いや怨嗟は、宿命論に陥り、しまいには怠惰な組織に変質してしまうことにもなりかねない。

 

課題が問題なのに,魚が目の前の餌を旨いか不味いか思案するようなもので、そもそも釣堀に棲む魚が旨い不味いは可笑しなもので、ほんらいの生息地である湖沼に居ないことを不思議がったほうが思案の方向かとおもう。

 

 

琉球緋桜

しかも釣堀の中の決まりごとでは、現地で人を撃ったら傷害罪、もしくは殺人罪でお縄になる。政治家は人をダマして雄弁家という戯言があるが、戦闘において物を壊し、人を殺したら英雄は昔のことでもないらしい。ただ、阿諛迎合、曲学阿世が世を牛耳り、好奇心、依頼心が倣いのようになっている大衆が存在しているとしたら、ことは問題が別の切り口で深いものがある

 

法の積層は、現業といわれる警察官、消防官、自衛官等は、瞬時の面前対応に法律の援用ならぬ、整合性云々を合法如何、あるいは適法如何として思索をめぐらすことになってくる。

総ての適法を暗誦して、行動を習慣化するために練磨を重ねても、ときに現われる修羅場においては、共同責任論や回避論など、平時の行政的習性となっている慣性が、逆説的に、゛他と異なることを恐れない゛ことが厚顔の類として映り、他の共同行動をとる組織と違和感さえ抱かせるかもしれない。肉体的衝撃を伴う職務に志願して奉職する隊員にとっては、己の生死を明確に自己完結したいとの願いを抱くのは当然だ。

 

しかも、海外での法に準拠する場合と国内では大きく異なる。自動車の輸出入ですら方向指示機や車両の寸法や重量などは相手国の規制法に合わせるが、国内では戦闘車両でも特車ではあるが、運輸省、公安委員会の規制範疇にある。海外の行動は別の規定を用いなくてはならない。

国内法で、警察官と自衛官が帯同しているなら、自衛隊車両の運行における道路交通法も目的に適う運用がなされるが、戦闘員に成文法の、しかも薄い紙片なりタブレットを検索しつつ面前対応する姿があるとすれば、どこかうら悲しい姿が映る。

 

多岐にわたる条件の中で、すべての現象が法に依って好転するかのような考え方も嘆かわしい。あくまで法という前提条件ではあるが、運用官の資質(目的は把握力)によって自ずと結果は異なることは、先の大戦でも様々な禍福を生じている。゛あの頃は生死が懸っていた゛゛平時は別だ゛ではない。専守防衛こそ「常在戦場」の意志が必須なのだ。

 

                                                東御苑

 

いまでも想定できることだが、行政組織である以上、その力関係で責任の負荷は変化し、かつ外部の受益者、あるいは商業広報の辛辣な意見にも晒されるが、それらは肉体的衝撃を伴う運用の妙や機微についての理解はあろうはずのない位置にいる。

その妙や機微だが、法の普遍性をいかに目的・時・場所に対して有効に用いるかは、ひとえに指揮運用官の機略にかかっている。

有機な人間が立法した無機質な成文法を、目的のために有機的に行使具現する、それが運用の妙なのだ。

 

その前提として、国内外の赴任地にも縁あって棲み分けられた人々がいる。海外ならなおさらだ。

先ずは、普遍的価値観を知り、浸透させ、行動にすることだ。

明治の躍動は柔軟な思索を支えている。秋山、児玉両氏に代表される、゛日本人゛が通じる普遍的価値観と教養が涵養されていた。

勤勉、正直、礼儀、忍耐、はどこでも普遍だ。また学びを伝え、現地の不特定多数の方々の利他に貢献した。敗軍の将の名誉までは毀損しなかった。

 

今の自衛官諸士は戸惑いながらも、取り組むことには躊躇はない。

その情緒を毀損されることの危惧を戦いの誇りともしている。

 

幸せは、受ける幸せは50%、差し上げる幸せ50%、という。とくに人の評価を気にする邦人の海外における援助行動においては、゛有るふり゛する成金の土産を提供するようだが、これが武装集団の人的提供ともなると、流れや風に左右されないとも限らない。

だから自縛のような法の囲いを自国の諸士にするのだろうが、その裏側はどこか信頼に値しない、いや為政者そのものが自身さえも信頼できないようにも映るのだ

 

解き放ったときに起きることを危惧するのは、旧軍の轍をどこか憂慮していることもあるだろう。当時は陸海軍閥、財閥、あるいは東西陣営にそれぞれ組みするものもあった。それらの多くは、既得権益を企図するあまり各職掌や分野をコントロールすることもできず、逆に肉体的衝撃を恐れるあまり手先ともなり、言論さえ封印して国会の機能を失った

 

つまり為政者の法の積層は、将来を描けないために自身の責任回避の具となり、法治ならぬ法縛の状態に陥る危険性がある。それは議員立法ならぬ官吏便法として、その行政機構の一部である現業の隊士を戸惑わせる事にもなっている

 

  江戸城天守跡

 

ものは考えようたが、禍福はエントロピーの法則に似て福が大きくなれば、裏面では禍も増大する。経済が発展し財が増すが、人心は荒(すさ)び遊惰になり、女子や児童に多くの影響を与えるようなことだ。それは、贅沢は幸せ、詐は智と考えるような短絡的な錯覚価値だ。

また、人の観かたも変わってくる。

 

一方、その姿は躍動と向上とも思えるが、それは「ほど」と「間(ま)」が臨界点をささえることを忘れてはならない。言い換えれば「分別」「極み」ともいう。

煩雑に積層された法でも、政治の権能が崩壊した土壇場では、そこに収斂される人間に表れる生への愚直さだろう。

ならば、土壇場に行き着く過程を振り返って、その「ほど」「間(ま)」「分別」「極み」を眼前の現象に当てはめれば、いたずらに煩悶したり、怨嗟宿命感に晒されることはなくなるのではないだろうか。

 

せっかくの智慧は、生きている間に使うべきだと思うのだが・・・

終章

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選挙の季節  人の口を借りる狡猾さ 14 2 再

2021-05-12 10:11:47 | Weblog




選挙の応援演説など可愛いもの、芸人やスポーツ選手、はたまた永田町の芸達者が出来もしない嘘話をマイク片手にがなりたてる騒乱は、おかしな主義の風物詩のようになった。

候補者も有名人だが、これは人格を代表しない有名だが無力の徒だ。
中にはあて馬や咬ませ犬もいるが、これは結構役に立つ。

ある23区のなかで福祉には易しい(優しいではない)行政区がある。昔の官選区長は上部機関の事務取扱支所のような扱いだったが、公選という住民の選挙で事務責任者を選任するシステムになると主義も主張もなにもない、区長は神輿、区議は食い扶持担保の安定職の選抜選挙のようになった。

主義も主張もなにもない」というのには訳がある。
いままでは庁内持ちあがりのトコロ天区長だったところ、それに対抗する候補者が出たときだ。一応は与党の自民党、すり寄りの公明党、共産党を除いてあとは寄り付きだ。
新たな候補者はそれらのどこに属すこともなかったが、政策は的を得ていた。

箱モノ倒れと人件費の経常支出増大。弱者に易しいという売り物のためか、人口流入が多い。しかも扶養費受給の易しさが目的だ。しかも職員の妙な手当て、それを監視する議員のお手盛り。当時区議会議員の視察?は海外、党派を超えて北欧の福祉施設見学は一人170万かけた大名旅行だった。

会派別では自民党がタイへ行った。旅行者がこぼすには彼のチェンマイに行くという。個別の部屋を用意するのが条件だ。今でもチェンマイのその店には「○○区自民党の○▼長」の名刺が額に飾られているという。

あまりひどかったのでバンコックの友好関係の施設を筆者が紹介したが、見学もせずに玄関で居眠りをしていた議員が幾人もいたと添乗員は嘆いていた。そんなものの選挙には党総裁や都議のポスター、応援者には地元生まれの落語家や歌い手が選挙民をたぶらかしている。

もともと党は旧字で「黒」を「賞」する意があるが、白と黒といえば警察でも黒は悪党だ。それを賞する仲間内だが,字の通りのようだ。





通勤電車の化粧や飯食いが問題らしいが、ホームで売っているので・・・




区長選挙に戻るが、新候補者は数々の政策を唱えた。経常経費削減するために無駄の根絶、議員定数の削減、行政の効率化、区長退職金の返上と給与の削減。
これら対して現区長は高揚したのか「俺も退職金は要らない」とつづいた。よりによって区内の町会を周って箱モノの誘致、道路の補修、公園の整備など、経常経費のかさ上げに奔走した。
いままでも起債をたてたが、この金額は生活保護費の増加金額と符合する額だ。

党派を超えた議員たちが選挙応援に労があった元気な若者の生活再建ならず、生保受給手続きを強引に押しこんだ結果だ、なにも野党の専売特許ではない偽りの弱者救済の実態だ。
そして、弱者は当たり前のように選挙に協力を惜しまない。

それだけではない、中小企業信用保証で区独自の事業をおこなったが、40億以上の欠損、つまり取りっぱぐれだが、職員は追跡もしない。これを押しこんだのも議員、しかも借りてからすぐに区から転出するものが続出した。つまり腐敗と堕落と弛緩の三拍子だ。

それでも新候補者が怖いのか区長はいつもながらの禁じ手を打った。
それは区職員で組織する自治労との暗黙の盟約だ。他の区との比較でも給与はそこそこだが、お手盛り手当ての維持だ。選挙の手当ては日給一人約6万と聞く。アルバイトはスズメの涙、今回のように雪があれば手当はかさむ。しかも日曜出勤で8時までの超過手当て。
大阪の出直し選挙で6億というが、大部分は職員の人件費だろう。

もうひとつ禁じ手があった。多くの区民は首をかしげた。
あと出しで共産党の候補が出てきた。あとの結果だが、新人は現区長とは僅差だった。あの公明党と自民党が束になっても冷や汗をかいた。もし共産党が出てこなかったら当選もうかがえた。だだ、綱紀粛正、行政効率化は多くの組合職員にとっても難問だった。

当時は子育て、環境、学校統廃合、高齢者施設の拡充、など今とは変わりないが、やはり綱紀粛正や行政効率化は今もって候補者からは聞かれない。語るは金の使いみちだけた。







これも資本家と労働者というのか




今回もそうだが、共産党が負けを承知で候補を立てなければ、都民は選挙のもつ本来の意味を理解しただろう。

なにも共産党の主義を毀損するつもりはないし応援者を軽んじるものではない。ならば実利のあり処を見るべきだろう。
共産党のある区議は津軽地方から出てきて苦労した青年だったが、定年近くなっての回顧に「俺たち高卒では党の中央にはいけない。指示を待つだけだ。区長選もそうだ。党中央には東大法学部しかいけない。自由と民主、人権の獲得に戦うというが、自分たちはあくまで駒だ」と、嘆いていたが、安定職の俸給は有り難かったという。

また、あの政党は良機を逃した。
筆者の祖父も言っていた。「あの戦後のどさくさに、すがり付きたいと思っていたのは思想も主義も分からなかったが共産党の唱えに理解があった。しかし、天皇打倒と言った途端、潮の引くように離れたのが目に見える様に判った」

己を客観視できないことは単なる我儘か偏屈な自己愛だ。仲間さえ査問にかけて除名する。まさに法の及ばない掟や習慣だが、稼業社会の破門に似ている

口の悪いものは体のいい権力のガス抜きで、同床異夢ならぬ深い契の同衾にも思えるという。議論という空中戦にはホドよいが、互いにスコップを以て他人の雪かきなどは双方に合わない類だ。雪のかき方、褒美の出し方を争っていたのでは雪も溶けてしまう。
ただ、似ているのは弱者救済に名を借りて勢力を伸ばそうという、卑しくもさもしい魂胆だけだ。

「民主」のお陰で食い扶持を得ている輩が多いが、そもそも主義で飯を食えることなど野卑だと親父も言っていたが、頭はそっちの方がいい。

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現代原発考  最晩年、安岡正篤は「これからは熊楠だ」と呟いた 12. 9/25再

2021-05-06 02:19:21 | Weblog



思いがけない会話だった

辿り着いたもの、いや学問の必然的方向性なのだろうか安岡氏は「これからは熊楠だ」と語っていた、と御長男の妻が聴き取っている。

過日、茶道の稽古をいただいている先生に一年の感謝を込めて良ならぬ雄の子の弟子が相伴にあずかった席のこと、話題が熊楠を和歌山に訪ねた天皇との会話から、熊楠が護ろうとした産土神や鎮守の杜などに及んだとき、
「最晩年、父はこれからは熊楠だと謂っていた。これは誰も知らない父の言葉です」
一瞬の間が空いた。驚きと感動が走った。

じつは、゛南方熊楠と田中正造の人格に学べば後は付録のようなもの゛と、至るところで言い切りよく語っていた筆者だが、安岡氏との交誼において南方熊楠の話題はなかったと同時に、日本及び日本人を考える場合にこれほど体現している人物はないと思っていたからである。

熊楠については鶴見祐輔、つまり義父は後藤新平、その娘和子は熊楠研究の第一人者として多くの著書を残し、祐輔は孫文との交流があり、孫文は英国で熊楠と邂逅している。
ともに東洋と西洋との融合を学問や思想で試みている。また後藤は台湾民政長官のとき孫文の革命を援助し、孫文から真の日本人として讃えられている。
 絡み巡った縁だが、誘引されるかのような交流は将来の歴史を普遍な意志で汲み取るような不思議な共通点がある。また世間離れした視点と思いもかけない着地点を頑なに言い切る明治人の気骨を観るのである。

それは先見性といよりか「逆賭」というべき洞察でもある。つまり歴史を鏡に現在を読み解き、将来を確信して現世の人間に問いかける、真の知識人の忠恕な心でもある。




             







片や今でも通用する官制学校の帝大だが授業には興味もわかず図書館に籠り、一方も官制学校在籍したものの同様だった。今どきの単位はともかく無授業の偏屈者である。いや学歴ではなく、゛学校歴 ゛に意味を持たなかった碩学でもある。

当時は人をみる目があった。とくに明治人熊楠は驚くほど西洋の文化に卑屈な軟弱さを持っていなかった。大英図書館に「熊楠の椅子」と称するスペースがあるように、西洋のエリートからも尊敬を集め訪英中の孫文もしばしば熊楠を訪ねている。そのところは文明開化の西洋かぶれとは違っていた。

冒頭の安岡氏の言だが、家族、いわんや弟子と称するものや研究者、あるいは安岡氏の学風を知るものでも「これからは熊楠」という言はおもいもつかないことである。聴いている者もいない。

共通点は複雑な要因で構成されている国家というものの国維(センターライン・座標)というべき立場に存在する天皇に特別な感情があったということだ。ことさら天皇を声高に叫ぶわけでもないが道理の対象として尊していた。人間の尊厳を護持する座標の鏡として、経国に当たっては調和と連帯の結び目として鎮まりの中にその精神の糧として護持していた。

ことさら宗教的拘りではないが安岡氏は金鶏神社を酒井邸から分祀して東洋の学聖を奉り、熊楠氏は全国津々浦々に存在する産土神を祀る祠や小社を護持し、学問の前提にある己の精神の鎮まりと、そこに沈潜するであろう真理の探究に努めている。

後日の稽古日の応答で
「安岡先生の熊楠についてのお気持ちは合点がいきます。加えて自分が考えていた人物の観方と学問の方向性、そして現代人が気がつかない真の有効性ある学びと倣いに信を得ました。また私に「無名かつ有力」を訓導されたことの具体性は、衆(大勢)を恃まず、人(類、格)を別(拘らない観点)にしないことを改めて自得させていただきました」

「父(義父安岡正篤)は人の附属性価値では観ませんでした。私は玄関番のようなもので数多の人が訪ねてきました。政財界もそうですが、侠客や右翼の方、あるいは無名な学生でも自然に受け入れていました。高位な政治家や大企業の社長さんでも人物が成っていなければ厳しい父でした・・」

「そういえば・・・熊楠のことを話したとき、゛エコ、゛と、言っていました」

それは今どきのエコではない。
自然に向かう人間の問題として危惧していたのはいうまでもない、やはり両碩学の指向は共通していた。また単なる学説や論を俟つことなく、自ずと浸透して潜在する力に働きかける学びの風儀があった。

まさに学ぶべき座標はその一点であろう。



           敬称略

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語ること、伝えること、共に学んだことの随想    2011 11 再

2021-05-04 13:10:22 | Weblog

中華民国 台北 中山記念小学校



たしか数年前の9月23日だった
準備中だったliveハウスの開店前日、つくば学園都市にある三菱グループの研修所において中国の金銭哲学についの講題でおこなった。

その後は、当時問題となっていた外国人犯罪の増加に伴い警視庁の捜査員70名に、アジアの普遍な人情について語ったことと、登校拒否学生のための専門学校で父兄のための講座があった。

筑波では対象は三菱グループの中堅幹部だったが、官制学歴の権威のようなものを背景に職掌を得て、食分を約束されている若者ではあったが、はじめて聴く珍奇な学論に明け方まで論じた記憶がある。

警視庁は当時頻発した警察官の不祥事、とくに下町のある所轄では覚醒剤を罪も無い人の車に忍び込ませ、逮捕した事件が起きた直後であり、またキャリア組と称される上級職の汚職まがいの行動に、誠実な若い警察官の怨嗟が鬱積した時期でもあった。
担当幹部からたっての懇嘱があったのだか、遠慮のない直言を語る小生を選択した意図を忖度すれば惰性に陥った組織の覚醒を願ったともいえる依頼であった。

父兄には戦後婦女子の教育の有様と、少年教育の実体験をまじえて語った。
また、母親の春を思う期(思春期)について、子供と母親の本能的衝突を、自分探しを例に、『ほんとうに我が子が好きですか』と冒頭に呼びかけた特異な講義だった。

何度か茅ヶ崎の松下政経塾でも拙話をした。特殊な学処だった。

台湾の縁で、愛知淑徳大学の美麗な生徒と、生まれた初めてのコンパを共同の伴支局長と参加したが、ただの飲み会だった。某大学の依頼で留学生に語った。語ろうとおもった教授案も、場面を観察して急遽内容を変更した。

内容は文部省の官制学カリキュラムには皆無な「人間考学」だ。
6.3.3.4が在籍学校歴なら「学歴」はそこから始まる。しかも数値評価は無い。

だから・・・、『学校は落第してもいい、人生は落第しないように・・』と。

その後、教職課程の生徒に語る機会が度々あった









『生徒を好きでたまらない,そんな教師になってほしい』

孔子も「好きで楽しくならなければ覚えない」という。

『念願かなって好きな異性とデートに行く前の晩のことを考えたらいい、寝られなくなるほど頭が動くが逆は動かない』

『頭がいいということは部分の探求や情報の集積ではない、それを活かす直感と行動への突破力だ。止めているのは己の我欲だ』


それは自らを語ることだった。 噺(ハナシ)ではなかった。
教えることではなかった。思い出して欲しい、一緒に考えよう、そんな場面だった。
その内容は先哲、先覚者の言葉繋ぎだった。

そして生徒たちは真剣に聴いてくれた。部外教授も聴講してペンを走らせていた。
いま思うに自分自身がリセットされたと実感している。
そして、新しい息吹をスイッチオンされたようだ。

それは、20年前にアジアを跳梁した当時の自分を蘇えさせることでもあった。
いや、そうでもなければ生徒の輝きは得られなかったろう。







終了後、キャンパスの小道を追いかけてきたマレーシアの学生がいた。かれは一番前で真剣に聞いてくれた留学生だった。

『先生、お話された無財の力はすばらしい言葉ですね』

正直、小生は彼の真剣な瞳に自らの感涙を抑えて、こう応えた。

『アジアには無財の力が溢れている。軍事や経済ではない。君たちの国の自然にも、お父さんやお母さんにも、一生、同じところに留まって働く人たちにも、微笑と優しさと、思いやる勇気がある。これは地位やお金は要らない本当の力なんだよ』

それは自らに自問する言葉であり、アジアの座標とすべき普遍な人情でもあった。
教えられたのは自分だったようだ。

そして清々しい無償の行への更なる促しだった

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