まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

゛やりたいこと゛とはいうが・・・ 09 6/14 あの頃

2016-10-16 13:31:38 | Weblog

    
              北京、戒厳令下の小学校





(感想余話)

構内は緊張感があり、PCデスクトップはまちまちの色(中古品)だが完璧に清掃して、使用しないときは白い布をかぶせていた。休み時間は机の上を整理整頓して騒ぎ立てる子供は少ない。教師は合間をみて図書館で教授案の作成、校庭の体育では
整列しした子供達が印象的だった。
帰国後この状況を伝えると「共産主義だから・・」との声。
天安門の騒擾、大学生活の怠惰、それとは異なる小学校の姿があった。
問題があれば欧米に視察に出かける教官吏、文教族政治家がいるが足元を知らないようだ。何を見るか・・知識技術のレベルではない。どう人間を育てるかだ。



本論


゛するべきこと゛ではなく、゛ヤリタイこと゛の世界である。
ことさら文字の意味を解釈すべきとは思わないが、筆者の周りにはその、゛ヤリタイことをやりたい゛という音が多くなった。

内容は「思い通りに好き勝手に出来れば・・・」という空想に似た願望である。
よく人間を容量や秤に譬えたりして、゛器量がある゛とか、゛重みがある゛と評するが、そのヤリタイこともその容量によって大きく変化する。また容量が多いもの、例えば地位や権限とした場合はノーブレス・オブリュージュ(地位、役割に応じた行い)などという自意識や客観的観念で「枠」がつくられ、その「・好き勝手・・」が叶わない。

また、それらは「するべきこと」の客観的要求に晒され、余計にヤリタイことへの欲望に誘惑される。それゆえの四角四面の知識の鎧とまとっている御仁もいるが、そのせいか隠れた「陰徳」変じて巨悪に転化する者もいるようだ。

それらは人の表裏、あるいは立場においては現役のフォーマル、インフォーマルの部類だが、昨今は若者を含め定年を迎えた団塊と揶揄された世代にもその、゛ヤリタイこと゛がよく聴こえる。




                


             満州 新京にて



ある教員だが、この手の職業には多い夫婦ともども教員である。あの田中総理の肝いりで地方公務員の俸給に特別待遇を設けた彼等の立場に、数年前さらに土曜休校と研究日を加えて、国民からすればうらやましいとも嫉妬される教官吏の姿である。国大のせいか一ヶ月に五時間で75万とカラオケの間奏でマイクに漏れて話していたが、これも彼等のヤリタイ職業だったのだろう。意外と慇懃でかつ行儀が悪いという特殊な態度をするのもこの手の似非日本人である。

『定年だから好きなことをするぞ』と吼えていたが、
『カカアはまだ教員なのでオレは留守番と猫の世話でのんびり暮らす』これから・・・

よほど嫌な職業だったのか、相当鬱積している。
「好きだ愉しくなければ、覚えない」とは孔子の意だが、嫌でつまらない職業は高給取りの好待遇でも我慢ならないらしい。走狗に入る知識人の心底はことのほかすさんでいた。



            
          
    丸くなった積み木の整理整頓(節約)の身体習慣   弘前養生幼稚園




小学校の教頭で定年を迎えた教官吏だが、これも夫婦教員である。
くだんの、゛ヤリタイ゛ことだが、問答したことがある。
「ヤリタイことは厭きませんか? まだ60だし、健康であればアト20年以上ですよ」
『いままでヤリタイことはたくさんあったが、時間もなく・・』
「ところで、やるべきことは・・・」
『・・・・・』




              

  今でも使用している木製遊具  驚くべき管理保全の習慣性



               







実はこの問答にも伏線があった。
筆者が教職課程の学生に拙い講義の感想を所望したとき、一番多かったのは「ヤリタイことよりやるべき事を探すこと・・・」が印象的だったと、特に女性からの感想が多かった。

それは、昨今の教師を取り巻く職場の環境に管理者と教員との関係、モンスターペアレントといわれる親との関係、落ち着かない子供との関係、またそれを解消する為に生ずる自身の苦悩、一部ではそこからすすむ遊興、サラ金、と教師の実態など、教官吏であるがゆえの妙な、゛縛り゛の自意識と立場への要求を伝えた現実の姿としての講話であったためだろう。

ある千葉の小学校の教師がサラ金問題で訪ねてきたことがある。
当時でも三件の裁判を抱えていた。一つは耳元で注意したら耳に障害が出たとの裁判だ。
アメリカでもピカチャウという映像漫画で視覚、脳障害が出たと問題になったが、テレビにしがみ付くように近寄って大音量と映像変化をみたらおかしくなるが、ここの学校では裁判になり教育委員会、学校、教師は敗け慰謝料を払うことになった。




           

    野にして粗にして卑ならず  清潔簡素  津軽弘前



その判決のとき傍聴していた母親から
『これならウチも貰える・』とのヒソヒソ声があった。
軽鬱になった教師はパチンコと同じ教職にある女房の浪費もあってサラ金に手を出した。公務員、特に地方公務員はサラ金の上客である。高給であり収入は間違いない。しかも低金利での融資も審査も甘く受けられる彼等の職域制度もある。つまり過剰貸し込みが出来る相手である。たしか8社で500万以上という。

またこの組織は隠蔽を常とする。それは管理職で校長の管理度の査定もあるようだが、同僚とのつながりも希薄で、問題解決能力と自己意思決定が弛緩しているのが原因である。
つまり、それを補うべき当たり前の人間関係にある「人情」の欠落であろう。係数を追いかけ、相互不干渉、恣意的な寡黙、上司の隠蔽、上部組織の無責任、自らもその思考に染まり、都合よい安住に暮らすことを生活の守りと錯覚する教官吏がことのほか多い。

しかも、健全育成、子供の成長と安全という美名に飾られ、まさに堕落の坂を錯覚した知識人像を掲げて国家の先頭に立ち転げ落ちているようだ。
もちろん『ウチも貰える・・』とほざく戦後婦女子の道義的な教養も、たとえ消費市場の競争と収穫、あるいは比較生活の慣性を、゛幸せ゛と馴らされてきたとしても、その風潮に問題意識を起こす思索や観照もなくなった姿が後押ししているといって過言ではない。




              

          バングラデッシュ  子供新聞発刊式




数十年前のことただが、ある私立高校では公私格差是正の恩典?なのか、憲法にも明記されている私組織にたいする公金拠出(私学助成をふくむ)や文教族議員との関係か、または箱物学校や流行カルチャー課程を売り物にした学校が多くなった頃、門前には教師のマイカーが競うように並べられるようになった。

もちろん時間の空いているときは車磨きであるが、いまどきのパソコン遊びと同様な状態であった。私教組のガンバリで待遇は改善されたが修学旅行を委託された旅行者から下見旅行の招待や、教科書会社から教科書に掲載されている書家や画家の小作品を販促として頂戴したり、運動具屋からは試供と称して当時流行ったブランと衣料をせしめる教員も増えてきた。

この頃の流行は地方の景勝地に研修所、宿泊施設など建てる学校が多くなり、物販、建設には地元選出の文教族が蠢いて、もちろん入試に下駄を履かせることも日常のこととなった。



                




『生徒はお客さんですので、あまり厳しいことは・・』
筆者が講義を依頼されたある有名大学でのことである。
理科系や文科系の修度の国別比較が官制学の競争範囲ではあるが、現在の教育制度は現世の繁栄と成長の基礎的条件といわれながら、裏側にあっては表層の成果を侵食し、かつ未来に残置され忌まわしい状態がある。

今年、北京や台北、タイの小学校の体験や、畏友のバングラデッシュの小学校の実態を聴いて再度、隣国桂林の施設を訪問する。
きっと、あの弘前の養生幼稚園を想い見るに違いない。

訪問の目的は、現在の収穫の基準となった官制学校歴の部分範囲の学問ではなく、永きにわたる人間の連続性(栄枯盛衰の歴史とも)に培われた生き方に観るような、人の成長に遵ったな方法や人物の配置活用について現世価値の座標から離れて、切り口の異なる観察をもう一度してみたいと思うからである。




               

   後段三行は今の時節には男子にとって必須の心根であろう




倣う、教える、遵う、を精神的、身体的にも成長過程の必須な問題を、人に習う前提として自然的尊敬もなしに、習わせる、教示する、従うといった捉え方は応答修得の関係に齟齬をきたすだろう。いくら労働者、食い扶持、教官吏と都合よくレッテルを変えても、あくまで人間としての長幼に置かれた場合は、人の師で在るべきだろう。対するに「経師」があるが、教科書を説明するだけの人である。
「教育とは魂の継承である」と師は繰り返していた。
遵う・・・(道理にしたがう)

縁ある生徒に説く「ヤリタイことより、やるべき事」の探求は、自らに課せられた命題でもあるようだ。

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バラック・オバマさんの眸   2008 11/6稿  あの頃

2016-10-10 08:04:38 | Weblog

2008 11/6に拙い章を本ブログで掲載した

昨日の連載ブログ「時節は儒を除けて墨を得る」は隔日として当稿を再掲載する

昨日のは、表現力の稚拙なためか文体整理もおぼつかなく意を連ねた。

拙い意としては、どの様な思想、宗教でも人物如何でその後が決まり、利用する者の栄枯盛衰もそこに帰すと思うからだ

一方、(学術的)に、とくに西洋合理主義を借用した我が国の官制学校制度とその修度(学校歴)価値は、それを学だとして求めるものの目的習性となり、ときに時節に対応できず、その形式修度を隠し屏風のように援用した政治。経済、宗教、教育等の分野に共通した問題を滞留させている。それは人間(人物)の問題である。
たかだか西欧近代化の模倣とした前記の数値選別価値は、その人間の分野にある意志や矜持と云った部分を体系化、分析、検証に基づくアカデミックな理解に落とし込むことで、より浸透するような理解から遠ざけているようだ。

ここで再掲載する「バラック・オバマさんの眸」は、分析した説明ではなく、かつ現代の通例としているアカデミックな考察価値を離れ、それらの人々からの納得性から忌避されるであろう、体験的感性と一過性の熱狂や偏見から離れた見方である。

ことさら氏の就任時に観察した拙い稿を再び掲載することで、現在のオバマシ氏の煩悶にみえる状況を予想したとの野暮な提示ではない。適うなら「時節は儒を除けて墨を得る」に関する拙い表現の補いとして参照していただければ、当時の備忘録が活きてくると考えることであり、過去の事象を有効的に積層する歴史の学びになるであろうと、ここに再掲載するものです。
 



以下、2008 11/6稿

゛目は口ほどにモノを言い゛昔の人は良く言い当てている。
なるほど、喜怒哀楽に表わす歓喜、怒り、悲しみ、あるいは悠々とした心は表情、とくに目と音声に表れる。

どうも目と音声は連動しているようで、「口角、泡を飛ばし眼は吊り上り・・」「声はわななき涙がほとばしる」「眸は中空を舞い、言葉はか細く・・・」など、多様な表現があるが、とくに昨今の政治家に必須?なパフォーマンス、つまり演ずる戯れのなかにも音声と目は単に顔面の部位の効果に留まらず、まるで意志表現の如く姿をみせつけている。

以前、気配り宰相とあだ名の付いた御仁は確かに目をキョロキョロして落ち着きが無かった。言語も明瞭、意味不明といわれていた。

ことに眼力に見る透明感は、己の秘奥から対象裏面の遠方まで見抜くかのような透徹した意志を含ませている。類似する眼として孫文、南方熊楠、児玉源太郎、東郷平八郎に見るマナコは世俗の欲心と離れた、ある意味では大欲を感じさせる。また共通していることは精神の鎮まりが、沈着冷静、義挙突破力、独自の智恵、あるいは洒脱な頓智に至る許容力と、責を我に受け止める許容があった。



           
               南方熊楠


                  

               孫文

            
               児玉源太郎

大欲から生ずる大業への使命感は彼等の墨跡にも表れている。
例えば大身のどんぐりマナコだった山岡鉄舟

「私することを忍び、以て大業を行なう」と揮毫している。

大西郷
もそうだ。彼は「敬天愛人」(天を敬い、人を愛す)と、自らの小欲を打ち払うことを行動を通じて精励している。

孫文は「天下為公」、熊楠は東西文化の融合を意図して曼荼羅世界を求めている。
かれらは民族国家に囚われない普遍的な基軸を様々な方法で表現した。革命、研究、戦火、義挙、あるいは維新を体現して、人々に、゛人とは゛゛国家とは゛を問い、行動を喚起している。

『イエス・ウイ・キャン』そして『チェンジ』とオバマ候補は絶叫した。

天邪鬼だが気になることがある。
眼と口の調和が取れていないことだ。

とくに冒頭に記したが、眼の動き、つまり意志と言葉の齟齬が観える。

それは権力と能力との関係に大きな因子となる、「時」のスピードとその刻み方、もしくはうつろいと戸惑いに表れる先見、それと同時に将来と現在を調和させ効あるものとする逆賭の考察が鎮まりの中の決断として可能かどうかの不安である。

口が発する夢や政策は熱狂が過ぎ去った後に人々の心に問えば、異なる観照に晒されるだろう。また我国の陣笠代議士が経年総理となって始めて感ずる宰相の責と孤独、それは閑居に感ずる孤独と重圧であろう。

余談だが、佐藤栄作総理はしばしば皇居に参内している。
普段は猟官、利権に囲まれて一心の安らぎすらない権力の任において、いっときの参内は心落ち着くものであり、顔相すら変化したという。佐藤総理は世俗宗教や走狗に入る知識人の言には到底及ばぬ境地に安心をみたのだろう。

翻って、米国でも宗教団体が支持勢力として彼を取り巻き、何れ我国同様に政策を狭めるだろう。それらの説く神の一面には、現世利益が大義というフレーズを整えて押し寄せるだろう。はたまた、あのセオドア・ルーズベルトでさえひれ伏したJPモルガンのような金融資本家が国家の懐を枯渇させるかもしれない。
これからは内なる戦いが待っているだろう

だが多くの為政者は内なる戦いを隠蔽して、外部の敵を模索し、宗教、資源、環境をフレーズに多くの戦いを自由競争の名の下に繰り広げてきた。
先ずは「内」に留まれるか。つぎはウイ・キャン忍耐と人の覚醒と新たな成功価値の創造だろう。

ムービーヒーローならぬ、テレビヒーローのような米国の大統領選挙は、スポーツ競技に熱中する国民の贔屓に似て、票や資金の数字確保が目の前のボードに映し出されることに一喜一憂する国民の正負ならぬ勝負意識を喚起して、よりその熱狂の度合いを高め、候補者は耳障りの良いフレーズと音量の変化でそのライブを盛り上げている。

音声は知性を表すと古人は説く。
また「知は大偽を生ず」(知識は往々にして自らを偽り、他に同ぜしむ)と、云う。
そして「小人は利に集い、利薄ければ散ず」と同調者の移ろいを読む。



いまどき隣国の古典を引き、駄論を理屈づけ、高邁にも米国大統領を語ろうと、それは引かれものの無名の凡人の洒落にもならない。むしろ野暮だろう。

ただ、兜の緒を締めるつもりで諫意を呈上したい。

【直にして礼無くば、則ち絞なり】

それは我国をはじめとする万国の権力負託者にも共通していることだ。








2014 10/4 追加章

直にして礼無くば、則ち絞なり

いくら時節に良いと思う政策でも、他(他民族、他国)との礼(礼とは他に譲る心 調和心)が無くては、いずれ己の身(自身、自国)の自由行動を絞めるようになる。とくに力のあるもの、威を恃む者が陥りやすい自ずから(否応なしに誘引する)の摂理だろう。
ここに、意地やメンツがからむと戦争になる。多くは臨機に起きる人間の問題でもある。


ときには豪雨のように降り注ぐ数多の情報を除けて、上記のような切り口で時の政権を見ることも必要です。

我が国に置き換えれば
予想屋的予見ではなく、安倍氏の責に堪えない状況が招来し、ときに転げ落ちるように事態は急変する。それは数多の大衆の欲望の因ではなく、自身に内在する感覚慣性によるものだ。循環性に遵った(道理)考察によるものだが、援けるのは深層の国力を支える部分に鎮まりを以て臨む「下座観」と、大内山の威を存在なさしめる「忠恕」の心の涵養が望まれる。

何よりも情報対応だけでなく、それを援ける人間の「観人則」が基となる

よって内外は信を基とした安定を取り戻すであろう、


イメージは関係サイトより転載

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付和雷同 09 8/26 あの頃

2016-10-02 09:21:13 | Weblog

  阿波、郡上と並ぶ流し踊り  青森県黒石市「よされまつり」




今どきのことだからと政局や流行に付和雷同しているとの考察ではない。

いつからか慣れ親しんだモノの中で、言葉も好いし,反駁するスベも無い「自由」と「民主」は、一時の自分探しではないが、分けのわからなくなった自分自身、つまり、そんなはずではないと思いつつも往く末の見えないままに、いまどきは欲望と放埓に入り込んだ自由と民主の主人公は、己そのものが分からないまま「己」そのものに付和雷同していると視るのである。

自己責任なとどという言葉にいちばん反発するのはそのためだろう。


以前、民主の「民」は目に矢が刺さって昏(くら)くなっている姿を表している文字だと記した。
それらが一人々の自由権利を唱え主なる人(主人)として民主主義体制を構成している。

以前、民主と自由を与える側のことも記した。
大衆に自由と民主を謳い、解放という自由を与える。つまり、゛群れ゛への恣意的提供だが、その後、大きな力を持つものは国家という権力をも壟断する。それは経済学者に国富による幸福価値をさも高邁な思想論理として宣伝させて国家に事業を強いて借金を背負わせる。

民が主人である以上、国家の借金は国民の借金である。
また、いつの間にか月賦借金がローンとなり、元手もなしに担保をとって家や車を買い、金利のサジ加減で破綻する。まだ国の場合は自給率よく借金は国民に買わせている。もしも外国に買われたら担保に関税権や租借地を要求され植民地当時に還ってしまう。
そこまでいかなくとも闘いたくなくて傭兵を雇えばサボタージュをほのめかされて、思いやり賃上げや毎年の待遇要求(対日年次要望書)を突きつけられる。
これも似合わぬ成功価値に踊る結果である。

江戸っ子からすれば野暮な格好付けの成り上がりと嘲笑われるだろう。




                  

            名山の元に名士いずると詠われた 岩木山





日本も明治の頃に国家とか国民という呼称が生まれた。そして他国から守るために皆徴兵が布かれた。伝聞だが、戊辰の戦いにおいて会津若松の市街の戦闘は激烈だった。そのときの会津側は戦闘集団であった武士のみならず老若男女が参戦した。

その惨禍を身に沁みて察したのは薩、長、土などで構成されていた官軍である。そのなかでペテンの利く先導者は国民皆兵でなければならないと、その前段で自由民権を声高に謳って、゛みんなの国゛゛みんなが兵隊になって国を守る゛と国民皆兵を先導した。

なかには、おんぶに抱っこの依頼心のある大衆の中で、官兵、つまり軍人を食い扶持として選択するものが出てきた。この食い扶持軍費も主人である国民持ちである。

当時の投資は西洋の植民地勢力が習い事のようにしていたように力による強奪が基礎的な前提だった。国力が増大してくれば販路の拡大や軍備の増強、そして国債という借金の増大がある。また偏った事業育成が顕著になる。それは国家の統制があってこそ成せることでもあるが、人と設備の増加はひとたび内外の変化があると余り溢れて外部に流れ出す。つまり国威伸張と呼ぶ海外進出である。また進出しやすいように他国の制度に圧力を加え強制転換させたりもする。

いまも何ら変わりが無いのである。先に記した毎年強圧される対日年次要望書なる日本改革提案もその類だ。







                

                 青森県 木村ヨシ作




きかない子供ではないが、小遣いが減らされれば不満を言うように、民は自らが主人たる身体を食いつくように、いや他人の身体と同化すべき共体を互いに痛みを感ずることなく食い尽くしている。

また、国家が民に応じられることが年々狭められている。金融投機とか作為的な戦闘による夫々の地域の資源なり産物の一過性の欠乏などによって、叶えられない国家への不満はより内向的な対応に追われ、諸外国の連携なり交渉のスタートラインにも立てなくなっている。

自由も民主もそうだが、欲望の増大と制御の不足は社会の調和や連帯を衰えさせ、国粋を超えた架空な連帯意識を平和、人権というスローガンを添えて盛んになってきた。

だが、それとて集約する前提は資金であり、人の多少、国家の力加減が左右する脆弱なものであり、あるものは悔悟や美意識の充足になっている場合もある。









                 




加えて民主と自由は人権平和の掛け声の下、騒々しくなっている。誰でも唱える権利があるという。近頃は環境という掛け声が多くなり利に転換して勤しむものも増えてきた。
この状態を俯瞰すると「右往左往」という文字が思い浮かぶ。人間や社会、いや世界中が騒々しい。

IT革命の一面の利便ではあるが゛易きに流れる゛とか、秘めたる欲望の喚起が密室というべき場面で踊っているようだが、匿名性にみる罵詈雑言やスキャンダルの暴露は芸能のみならず政治家や良質な知識人まで自身の範疇に落としこみ、ボーダレスな凡人に仕立て上げ、しかも一過性の如く忘れ去られている。

これらはあくまで世俗の世界である。一人ひとりが金なり地位なりで覇を追求し、珍奇な個性と呼ぶ異なりをひけらかしている現状である。また、或る者はそれらの嫉妬に駆られ徒な競争と虚飾に勤しんでいる。





                 





そこには神々や精霊の思想も無く、鎮まりの中での沈思や鎮考、あるいは観照もなく、単なる流行価値を成功価値と錯覚した付和雷同組が世に蔓延っている。一方、歎いたり、憂いたりするものも人々の連帯効果もなく、固陋な唯我独尊に陥り、爽やかな目標設定も無く悶々としているのが現状のようだ。

よく、行動突破力は色、食、財の三欲といわれる何れかを除くことにあるという。有るを知らずという境地になることもあれば、目標に愚直になり競馬の遮眼帯のようにわき目も振らずという状態に追い込むことが肝要だという。高杉晋作も維新回天の一鞭を入れたときの振り切りを、゛女房は敵と思え゛と喝破している。財利に目もくれず女性に優しい晋作も余程の覚悟であったに違いない。なにしろ町民や農民の寄せ集め兵を率いたことに勝てるとは思っていなかった傍観者には到底、出来無い覚悟だったのだろう。

「敵と思え」の心中を理解して察するのは「異なることを恐れない自己を養う学問の目的」を身を以って訓示した師である松陰の遺志だったのだろう。

その後の勝ち組に乗るような付和雷同組の維新政治の体たらくは西郷をして「こんな国を創るつもりではなかった・・」とも言わしめている。西洋近代化を模倣した、似て非なるアジアの近代国家の姿は、単に模倣、小手先の更新、あるいは立身出世のシステムに問題意識無く迎合した官吏、軍人の姿に顕著に現れ、それが食い扶持既得権として昭和20年8月15日を迎え、かつ戦後統制経済のなか残滓は再び芽を出し現在に至っている。





                




物珍しさ、好奇心、付和雷同、これに恣意的支配の美用句となった自由、民主、人権、平等を添加すると、無い物ねだり、おんぶに抱っこの世情になる。

政治の世界は変わるだろうが、易きに流れる人の世界は変わらない。

だが、これは嘆息の世界ではない。人の縁(よすが)の淵として考えたいと思うのである。

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佐藤慎一郎氏との酔譚  「満州崩壊と土壇場の日本人」 再20.9.15稿

2016-10-01 12:37:42 | Weblog

          佐藤慎一郎氏の叔父 山田良政(辛亥革命で殉死)

<寳田時雄氏とのある日の対談>
・・・・・・・

S : 僕の家を県人会本部 (会長・松野氏) にして、青森県人だけでもご飯を喰べさせようと思った。 高粱飯と豚汁で。 狭いから皆立って喰う。 便所に行くと、トイレット・ペーパーも電球も盗まれている。 靴も (苦笑)。 そして然し翌日、再び喰いに来る。 コレ (奥方)、二人も産婆役で取り揚げたよ。 或る時、桜田って奴が来て (自分の親戚を見付けて)

「あっ、オバさん!」、と謂うから

「君、我家にはこの通り家族や避難民だらけで満杯だから、オバさんを引き取ってくれないか? そうすれば、新しい人を一人入れられるから。 頼むよ」と云ったら

「家の女房が体弱いので駄目だ」って言い訳するものだから、僕、怒ってね
「犬畜生、返れ!」、と。
四~五日したら謝りに来て連れて帰った。

T : 満州にソ連が侵った後ですね。 悲惨な状況下で、其の様な生活も在った訳ですか。

S : 政府の連中は高い米を売っていたのだ。 其れに僕は憤慨したから、次男坊に 「其 奴(政府の手先) の店前で安い米を売ってやれ」、と云ってやった。

T : 北進論と謂う大政策の中で開拓団が満州へ征った訳ですが、〃王道楽土〃と謂う 国策の下で其う云う輩が在たのでは、崩壊するべくして崩壊したと云う事ですか。

国策以前の【人間】の問題ですね。 学者は 〝If〈 もしも ~ならば、 〉〟 を
遣って 「嗚呼だ、此うだ」、と曰くけれども。

S : 土壇場では国策も糞も無い、人間の問題だよ。 糞喰らえだよ、東大を卒た奴は皆駄目だ! (笑)。

 T : 満州の高級官僚、高級軍人が須く体たらくでしょう。


S : 勅任官が留置場で僕に
「ターバンの時計をやるから救けろ」、と。
全く情け無いよ。

T : この間、『教育勅語』の起草に関与した元田 永孚の『聖諭記』を読んでいたら、「東大は、知識・技術の学問は有るけれども、身を修める学問が無いでは無いか。 江 戸時代以来の藩校や塾を卒た重臣が在るから今は未だ良いけれども、果たして、東大卒つまり官制の学歴が国家指導者の任に堪え得るで或ろうか……」
と書いて有りましたが、 其の危惧が満州崩壊時に露呈してしまった訳ですね。

S : 〝記誦の学は学に非ず〟 だ。

 

           

  「聖諭記」明治天皇が視察の後、教育のいく末を憂慮して側近の元田に諭した記録


T : 矢っ張り志と云うか、何か一つの絶対的価値を持つと云う事でしょうね。 時節で価値が換わるのは善く無いですね。 全体の中の部分、【自分】を識る事ですか。 教師が注入すると云っても、其れを次世代に教えるには手段・方法では無く、〝感動・感激〟 が大切ですね。

S : 不言の教えだ。 言葉も大事だが、体で教える。 困難を乗り越えて人間が出来て創めて、歓びが有る。 先生が其れを実行しているから、昔は先生を尊敬していたのだ。 或る時、中学校で 「孔子は女房を放ったらかしにしてオカマばかりほって」、と悪口を云ったら、漢文の菊池 ペロー先生が

「お前何ンぞ死んでしまえ、去ってしまえ」、
と叱られた。 是う謂われたら本当に退学なのです 。 退学したく無いから

「卒業したら、孔子様のお墓の前でお詫びをしますから、赦して下さい」、
と云ったら赦してくれた。 今考えると、能くも巧い事云ったものだと思うのだけれども (苦笑)。 其れで北京留学の頃、本当にお詫びに行った。 孔子廟も何も判ら無いので、本当に難儀をしたよ (笑)。

T : 其処にいくまでの機会・試行錯誤・体験、其れが大事なのでしょうね。 僕も中国や台湾へ初めて行った時、言葉も何も解ら無いので不安でしたが、乗ってしまえばこっち占めたもので、感動・感激の体験でした。 此れが大切ですね。

S : 僕は人生の目標が無かった。 只、中国人が何を考えているのかだけを勉強した。

T : 人に接するのが好きだったのでは無いのですか?

S : 小学校五年生五十三人に何を教えても、直ぐ
「はい、解りました」
と答えるから一生懸命教えたのだけれども、試験前に何を訊いても誰も解ら無い訳、如何にも為らん (苦笑)。

T : 矢っ張り先生に注目されようと思うのじゃあ無いのでしょうか。

S : 其れで、中国の事は中国人に訊か無ければ解ら無いと思う様に成った。 学問の方向では無く、現実に引っ張られてコソコソと勉強した。 目標も体系も無い。 もう少し早く、人生の目標を持てば良かった。

T : でも目標に窮してくると、閉塞状態に陥ると云う事も有るでしょう。 僕が思うに、多寡が人間のやる事だ、と。


                                        

          王荊山の遺児と

          

 

S : 終戦後、中国人は皆、親切にしてくれた。 然も留置場だからね、極限の世界でしょう。 是の時初めて、中国人が解った。


T : 先生の様に、中国人社会に順っていても解ら無かったでのすか。

S : 迷惑が掛かるから本名は云え無いのだけれども、戦犯を管理する外事課長さんが僕を庇ってくれた。 僕は生徒と遊ぶのが好きで、子供が直ぐに僕に懐く。 其れを観ていた同じ小学校の先生が、其の外事課長さんです。

T : 俗世的で無い人の評価って有りますよね。 日本人は肩書き等、俗世的なもので人を観て、其れ以外は何も察得ない (察無い)。 中国人は観え無いものを察る能力が有りますね。 個人で人の価値観を察ると、〝好きか・嫌いか、善か・悪か〟 どち等で判断しますかね?

S : どち等かなあ……。 難しいが、命を救けてくれた中国人、この日本では (同じ種 類の人間は) 考えられ無いよ。

T : 協会の○さんはご存知ですか? この前、大連から来たお客さんと三人で食事をしたのです。 先方が立場上カチンと来るのを覚悟の上で、敢えて云ったのです。
「之う云う席では、〝東北三省〟と云う言葉を遣ってくれと謂いましたが、戦後生まれの僕は満州と云う教わった言葉しか遣えません」

云々と自分の考えを率直に陳べたら、大連から来たお客さんその場で怒っていたが、新宿から池袋のホテルに送っていく途中、あなたは嘘が無いと、
「今度大連に来たら、二人で良い商売をしましょう」
と迄謂ってくれました。共産党の幹部です。

S : 中国人の本性は其うなのだ。 皆向こうが救けてくれた。 逮捕されて却って良かった。 僕のリュックだけ差し入れで一杯。 看守は初め、威張っていたが、後に優しく為った。

T : 自然の三欲 〝食・艶・財〟 で表現されることが、自然の流れで正しいのでしょうね。 人間も自然で在るべきだ。 斯と云って、禽獣とは違うのだけれども。

S : だから中国では、天下・国家は所謂 〝お噺し〟 に為る。

T : 現在の改革開放路線で〃拝金主義〃に成り、其う謂う善い部分が消えて悪い部分だけが残ると云う恐れが。

S : 政治が良く無いからだ。 中国人は公の席で政治は語ら無い。 政治は不文律で、の席は公文書だからだ。



             


T : 六月三日の天安門事件で彼等学生は、日本人が考えて在る以上に命を懸けて在たと謂う事ですね。

S : 如何解釈したら良いのか、難しいな。 例えば紅衛兵のやった事でも、人を殺して喰っているし。 実態をレポートした本が此処に、未だ目次しか読んでい無いのだけれども。

T : 此う云う本、中共でも出せる様に? 嗚呼、台湾で。

S : 記録を持って、夫婦でアメリカに逃げたのだって。 其処で英文に成り、其れが日本語に成った。

T : 人を喰べる文化は中国だけでは無いのですよね?

S : 世界中至る処に、其の歴史は在る。

T : 変な話ですが、人って美味しいのですかね (笑) ?

S : 簡単な論理。 (自分の) 肝臓が悪ければ (健康な人の) 肝臓を喰えば、体には善いと謂う。 (話が変わって) この前、カジ園さんが来た。

T : 十二月十九日の或の件を訊きましたか、王 荊山さんの?

S : 少し訊いた。 高梁を百トン運び、塩・油を無償でくれたらしい。 総指揮者は劉 ショウケイ(?)が執って、其の物資を平山 (副知事) が受け取って横流しをした。

T : 平山が横流しを!?

S : 平山は留置場に唯の一回も、差し入れをした事が無い。 関東軍のやった事を僕は知っているから逮捕されても不平不満は無いが、奴等は見舞いも何も無い。 其れで栄養失調で皆死んでしまった。 終戦後、ソ連が侵って来て避難民が新京に集まって来た。 処が関東軍の奴等は 「露スケが来た!」、と聴いただけで、弾の一つも長春 (新京) に落ちて来ない内に、皆逃げてしまった。 僕らが長春に着くと、関東軍の宿舎には、誰独りも居無かった。

T : 高級将校がですか?

S : 兎に角、独りも居無いのだ。 其れで

「如何したのだ?」
と訊いたら

「ソ連が来ると謂うので、関東軍は皆逃げてしまった」
と訊いてやっと解った。 僕が憤慨して総務長官の処へ行って初めて

「関東軍の命令で電話線も三ヶ所切断した」
と謂う事も判った。 兎に角、酷い事をやったのだ、関東軍は。 ソ連が侵って来て、略奪と強姦で日本人は右往左往した。 憤慨して、総参謀長の処へ相談しに行ったら

「日本の女も悪いよ、ケバケバしいから捕まるのだ」、と。
もうお話になど、到底為らない (苦笑)。 公使は

「私は昨日迄は公使でしたが、今は唯の避難民です」、とほざいた。 僕の傍らに、カジ園さんが連れて来た横山さんが在て
「この野郎、殴り殺してやる!!」
物凄い剣幕だった。

・・・・・・

コメント
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