天安門 転用
下(げ)座とは、下(しも)座に着くとか底辺に棲むことではない。
また、妙に謙遜(謙る、遜り)したり、上目遣いの動作を指すものではない。
多面的に縦横無尽に、あるいは俯瞰の対極として世俗を考察する上に必須の置き所として下座の観点が重要視されなくてはならない。
昔、釜焚きは、゛さんすけ゛さんの仕事だった。女湯も自由に出入り可能で、花街の女性の背中を流したり、ときには良からぬトコロを洗わされて駄賃を貰う輩もいて、職業的には下賤に見られたりするが、さんすけの意としてはこれは大間違い。たしかに筆者のところに遊びに来る、゛最後のさんすけ゛の弁には、その手の体験講釈に溢れているが、来歴までは解らないらしい。
昔、銭湯もなかった頃、名は失念したがある皇后が病弱の為に湯治に訪れた際に、それぞれ身の回りを世話した各「輔」の三職を「三輔」として褒め称えたことから由来している。したり話のようだが、筆者もさもあらんと納得した。
゛さんすけ゛は身分高貴にものの勤めのようである。
その釜焚きだが、焚きの按配も背流しのうまい人気さんすけは引っ張りだこだった。近頃では廃材から重油に転換し、かつ風呂付の文化住宅が多くなったせいか、俗にいう、゛渡りさんすけ゛はいなくなった。
「ふろや」も、湯や、銭湯、浴場、スパと呼び名を変え、秋田から上京した職人さんが仕事帰りに話していた「どさ」「ゆさ」(どこへ行くんだ、湯やへ行くんだ)という声も聞けなくなった。
前置きが長くなったが、その三ちゃん(父ちゃん、母ちゃん,アンちゃん)で切り盛りする浴場でのこと、その銭湯は息子が番台、父親が釜場を死守?する他とは持ち場が逆な銭湯だった。
ときおり建築廃材を届けにいくが、代価は風呂代ロハで裏から入るようになっている。釜にくべる廃材を眺めながらいつも独り言を言っている。
『こんな世の中続くわけがねぇ・・』
若かったせいか、゛難しいことを言っている゛、と気にかけなかったが、或るとき面と向かってその言葉がでた。
旦那はすぐに目線をそらして傍らの廃材をくべ始めたが、『おかしくなったなぁ』と呟きが続く。そして『世の中、転げるよ』と。
いま考えるとアノ小泉ばりのワンフレーズだが、当時の世情とその後の流れを観ると、確かに間違いはない。今どきは亡失した自己を振り返ることもなく、情報アサリが流行りだが、朝から晩まで廃材を切り、湯を沸かす釜焚きの旦那の呟きは、見えぬ客の程よい湯温を按配する、つまり今どきの言葉でいう銭湯のファンダメンタルの要として、浮かれた世俗を俯瞰できる素朴な座標が作られたに違いない。
それからは、洒落着を脱ぎ、作業着をはおった現場仕事の昼食で、日当たりのよい道路の縁石に座り、コンビに弁当を食べながら職方と世間話に興ずるのが価値ある座談になった。
その変化なのか、縁ある先哲、碩学も面白がって裃を脱いで吾が意を聴いてくれた。それは釜焚きの旦那と同じ香りがするものだった。
そして同様な先見、逆賭がいくらか可能になった感のするものだった。
今どきの釜たきはさんは、世上に模せば江戸の瓦版屋から抜け切れないマスコミ、政府宣伝の煽りだろう。また沈着冷静さの乏しい彼らを揺らす、世の表層の浮欲でもあろう。
大衆は釜中の民となり、釜焚きの案配で、馴らされたヌル湯が熱湯に変化し、熱狂に我を亡くすようになる。
心なしかマキを釜に投げこむ手が速くなった。
「温度を上げなければ、菌が繁殖する」
そんなことは、客は知らない。
世の中も似たような(煮たような?)ものだ。いつの間にか熱くなり、釜中の魚のように息途絶えるのだろう。