怨嗟と嫉妬と反目の社会に今更といった内容だが、幾許の叛意を浴びることを思いながら敢えて記してみたい。
このところ蟹工船が流行っている。
流行りモノといっては恐縮だが、公害問題が騒がれていたときは、栃木県足尾の古河鉱山と下流の遊水地渡良瀬遊水地を舞台にした田中正造翁の義挙が映像化され各地で上映された。
ともに資本家と大衆の問題だが、金持ちの長(おさ)が富国強兵にともなう近代工業化によって経営者となり、隣国の近代化にもある先富方針の倣いにもなった金融、諸税などの優遇政策により資本集中から多くの財閥が形成され、曲がりなりにも西洋近代化の産業構造模倣が出来上がりつつあった。
この方法はなにも経済理論にともなう政策という代物ではなく、偏向的便宜供与もしくは国家資材の騙取のようなもので、販路開拓などそのための理屈立てに国威伸張を掲げ、かつ明治期に誕生した高学歴立身出世主義という、゛主義゛にもならない曲学阿世の学徒が論理という後付を弄し、かくも合理的発展と謳い上げたのである。
もちろん逆を唱えるものの出現もあるが、双方とも怪しい主義を掲げ政治的陣取りの利得に勤しんでいる様でもあった。
ことのほか乱暴な物言いだが、いまだかって良化することのない日本人の成功価値と繁栄の後に顕在する、゛人゛の有り様が、頭上に吠える如き左右主義者に阿諛迎合する姿と、その一派を構成する一群に、嘆息の域を超えて慙愧の念さえ起きるのである。
つまり果実を以てそれらの経過を良しとする成功価値が人々の観念に植え付けられたかのようになり、それに反して日本人の「人成り」が変化せざるを得ない状況があった。
近頃ではカニも正造翁も一方のプロパガンダに用いられるフシもあるが、筆者は現実の例題として以下を記してみたい。
それは名も無くも深層の国力というべき情緒を育む人々を観るに、第四権力に成り下がったマスコミの売文には馴染まないことゆえ、敢えてお知らせしたい。
社会が疲弊すると都市部から遠く離れた列島の外周がまず劣化し、徐々に都市部を取り囲むように状況は切迫してくる。とくに内外圧が直接影響されるエネルギーはイギリスの産業革命から炭化鉱物およびその油脂に変化し、それを以って先進工業国同志の軋轢を生んだ経過を見ても、人間の生活の節目に新たなハードルを構成するようになってきた。
昨今のエネルギー事情の狂変をみても、対価となる通貨単位(ドル等)の変動や、それに変わるべく単位(ユーロー、円、ルーブル等)の普遍性と信頼性の基となる実績経過と国家の確定した力がグローバルという、ある意味では統一管理に移行する経過での多様的流動性、単一国家の人と繋ぎの融解など、金融危機という部分的問題を越えて、通貨そのものの必然性まで問われる時代となってきている。
今までは国威に象徴される軍事力や、利便文化の浸透力によって自国の通貨単位の決済有効範囲の拡張が行なわれてきたが、それとて妙な金融工学とかいう「学」を背景とした過度な金利経済が制御不能な状態を起こし、通貨があるべき基礎的要因さえオボロゲになってきた。
日本もバブル崩壊後には制御(収拾)不能になり、あの昭和史に記された戦争における戦費の総量と同量の資金が一滴の血も流さず消滅した。まさに金融戦争だが、影響は倒産、自殺、政治混乱と大きいものがある。
ところが、今回は数百兆円を超える消滅である。
これとて、地球史では一過性の出来事ではあろうが、ハルマゲドンやマヤ暦の終焉、はたまたフォトンベルト(電磁波)の接近、温暖化などがそれらと並行するように人心を惑わしているが、心と実態生活の分別は、表裏の本音、建前を問うまでもなく、複合崩壊しつつあるような雰囲気になってきた。
恐れ、不安、孤独は自由と民主、そして平等の美句に誘引され取り付く島も無くさまよっている。もちろん政治、経済もだ。
2000年、暦の平準化は完成した。これからは制御管理、危機回避を名目に交換価値である単位の平準化が謳われるようになるだろう。まさに「時」と「金」の統一化が進むだろう。そしてその条件に沿える人間種のみが生存を許されるようになるだろう。
力のある者はそのように考えるのが一連の流れから観た自然の姿である。
蟹工船に戻るが、多喜二は成文化された出版物を遺した。しかしその当時の世相は、事あることも知られず多くの国民が辛苦の淵にあった。それは政治問題、文明観、あるいは民族の性癖など多岐にわたる要因が内外の経済事情や端境期にあった国内の社会構造が絡み合って、今の格差と呼ばれる状況が内包されている事情は異なるが、とくに地域間、業種別に顕著な姿で表れていた。
分野別に部分分析をしても接ぎはぎだらけの小論で終始するのも、全体像、つまり社会なり国家の眺めるような観点はみられない。
それは経国の座標ともなる理念、目標の立て方にもよるが、何よりも為政者の言行に関する「覚悟」の問題が横たわっている。
どうも那人の矜持に照れ、引っ込みにある遠慮が有るからだろうか、食い扶持俸給についての批判は、小ざかしい嫉妬心のようでナカナカ声が出にくい。
ただ、それさえも気が付かない人々の群行は、よりその既得権を強固にさせ、気がついた時には諦めにも似た状況に追い込まれるのは必然でもある。
それは各々の成功価値のみに言を指すものではないが、国家の富の偏在が眼前に現れないままに社会の底流として構成され、つい百年前に歴史の「維」を更新しなければならなかった状況と同様に誘引される危機感さえ想起させてしまう
それは武士道を矜持とした権力階級とそれを構成するサムライ官吏の怠惰にみる、゛切れの悪い゛武家御家人の世襲一群だった。
そこで起こったのは、矜持が気風や大義として謳われたサムライの、貰い扶持、食い扶持に堕した結果に起きた反目無頼とも揶揄された維新の一つの側面でもあろう。
下級武士問題解決能力の欠如や大局観の無い政策など、官位に甘んじ自己保身に汲々として士農工商の職分別や立場の矜持を無にした、゛官族゛が社会の根幹をバチルスのように侵食したために起きた「維」の更新だった。
今どきの意志の見えない四角四面のヒラメ官吏、官警の点数と罰金の道路利権、たしかに「国維」(国のセンターライン、中心的骨格)が歪んでいる。それを「内なる賊」と感知して歪みを正す(糺す)事ができなければ、社会は自ら滅ぶのは必然だろう。
その更新があの維新だとしたら、西郷が呟いた「こんな国にするつもりではなかった」を如何に聞くか・・・
今、懐かしくも想うと、当時の人達に比するにその経年劣化は、職責を踏まえた意欲と自制について放埓に近い状態に置かれているようで、当時の伴食サムライと何ら変わらない姿に見えてくるのは、彼等の止め処も無くスパイラルに上昇する俸給や奇妙な貰い扶持手当てが、庶民から陰湿に隠された特権の如く映るからだろう。
知人から聴く語るに落ちた話だが、自治体の課長給与の二人分が総理の俸給とは何とも情けない。イラクの俸給別の現地手当てが一日三万円、二年で二千万、そのほか退職金の億単位がゴロゴロしている。ある都税の徴収官は「貧乏人が多い地域は徴収事務が忙しくて・・」と慇懃にもホザク。
法の多くは彼らの不作為に苦情を訴る民への盾、つまりやらなくても良い理由だ。
禁止(規制)法は手数料、罰金を受け取る証、しかも取り締まり法運用官(警察官)の恣意的行為も中にはあり、国民の怨嗟の的になっている。
彼らの模範?になっているのは、税で賄った国立という学び舎で高位を得た人間の所業である。卑しい犯罪のみならず、隠蔽、改ざん、廃棄、にみならず、昔から横行している補助金詐欺、収賄など役得などがある。始末が悪いのは、それを摘発、裁判する職掌もタックスイーターなのだ。彼らは傷を舐め合い境遇を察する妙な同類意識がある。
今ほど怨嗟と嫉妬が渦巻く時代は無かった。夫々が職責の分を弁え、官民が調和していた頃と違い、いつの間にか肥大した官域は国家の行く末まで茫洋とさせている。
http://blog.goo.ne.jp/admin.php?fid=editentry&eid=4b53ff45dd58d4b6e9773d59468ae7e4
【当コラム 2007,11,20 昇官発財】
これを以て以前のコラムに記した「四患」の氾濫である。
「上下こもごも利を獲れば、国危うし」
まさに官域による、偽、私、放、奢、の増進である。
困った人達である・・・