まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

胡錦濤・馬英九、゛内なる賊゛への憂鬱と共感

2010-01-30 14:53:34 | Weblog
双方の絶妙なバランスは座標視点の異なりで様々な評価を生み出している
一方は蒋介石の国民党一党独裁から民主化の看板を掲げて民進党が勢力拮抗するまで躍進した。前総統は民進党の陳水扁である。対する中華人民共和国は一党独裁の共産党ではあるが、ここでも拮抗した勢力はある。以前はソ連留学派が混じる第一世代だったが、いまは台湾同様、経済でいえば米国留学組の成長志向と政権党の面目を守護しようとする層が夫々の後ろ盾をもって独裁利得を競っている。それは実質的内部構造転換期におけるドサクサといっても過言ではないときに表れる人間のダイナミックな躍動とも解釈できる。

ともあれ華人のこのようなときのエネルギーは欲望の本性がほとばしり、まさに、゛目覚しい゛という表現が当てはまる成長を遂げるが、山と谷の高低差に谷底など見向きもしない、つまり我国の「山を見て谷を見ず」の喩えがあるが、それが大群となって昇る光景は唖然とする光景でもある。「昇官発財」にあるように、それをコントロールする官吏まで昇官のために賄賂まみれになる発財の狡智は、人民の為の解放を謳った現体制の屋台骨を揺るがしている。

ただ、妙に感心するのは、経済利得を得んがためにグランドを共通化することによって起きる弊害、つまり固有の陋規にある狭い範囲の掟習慣によって維持されてきた人の係わりや、法の統治には馴染まないが国家の運営に欠くことのできない部分構成された「郷村」なり、あるいは党と民衆をつなぐ「力」が変化しつつも継続しているということだ。

すなわち善悪は問わず力のあるものが「正」であるという観念が、民衆の資産の増大もしくは彼の国の倣いである個別自由の担保としての財利の確保が整うようになると、民の繁栄そのものが共産党の「力」と「量」の占める割合を少なくしていることである。つまり徐々に変容していく巧みさがそこにはみえる。





            
            

                              以下 一部ウキペデァより






これは民衆の共産党に対する見方の変化であり、此れに対応する共産党の政策にみる規制と解放のバランスがとりづらくなっていることだ。その一端がグーグルにみる「情報の力」に対する政策だろう。そこには各部組織の末端にみる立場の不安感なりが、その立場における利得確保のスピード化を煽り多くの腐敗事例が発生している。

立身出世も高官への付け届けもしくは便宜供与などの量と質に影響するものだが、そのまた上もある終わりのない徒労感は、゛今のうちに゛といった緊張感を生んでいる。あの剛直な中央政治局常務委員の朱鎔基が腐敗官吏を「殺せ!」といっても無くならない。まさに賄賂は人情であり潤いなのである。いっそ世の中の渡りは「面の皮が厚く腹黒く」と説いた「厚黒学」があるなら、「真正賄賂学」でも作ったらいいだろう。孫子の兵法より普遍的かもしれない。

その利得の留保先として以前は米国、日本、香港だったが、今ではオーストラリア、アフリカ、カナダなどに分散して縁者を留学なり永住権の確保なり勤しむようになってきた。
いま、外国人参政権の問題があるが、一方の見方として逃避先への資産移動の兆候もある。
彼等にとっては国の民ではなく、天地の間に棲む民なのである。財が貯まれば郷を棄てられる、つまり、繁栄の行き着くところを歴史の英知?として担保しているのである。
伸びるのも早いが、縮小することも早いことを彼等は知っているのである。








                      





台湾の民進党は「独立派」とみなされ、国民党は「親中派」とみなされているが「和中派」のほうが適当だろう。民進党政権発足2年目に友人と訪台して「中華民国愛国者」、つまり異民族に普遍な人物を捜し求めたが、とある土産物屋で「赤も青も同じだよ」との呟きを聴き、世俗の下座観から国家俯瞰をしたとき、先ずは真の台湾統一を願ったものだ。
゛憂鬱゛とは誰が総統になってもついてまわる、ここでは大声で旗幟鮮明にいえない悲哀に似た立場である。じつは此処にも日本が関係している。

その訪台だが、ある有力者と懇談したとき「親台派といって台湾の協力する議員の人たちにお土産を渡したが、彼等は台湾のエピソードや貿易斡旋については詳しいが、台湾の歴史や現状をまったく知らない。ただ昔の縁を頼ってきただけでは日本の人々の親愛な理解は生まれなかった。それが共産党反対では商売人の話だ・・・」

「政権は利権名義人の取替えではない。台湾は苦悩の中でバランスをとっている。もちろん中国、アメリカもそうだ。日本には特別な気持ちで理解して欲しいと願っている。それには黙ってみてくれることも必要だ。協力者だとか応援するとか言ってきて特別なお土産を渡してもそれっきりだ。私達は先輩から日本人のことを伺ってきた。その意味ではそのような議員等に委ねるアジア政策は日本人にとっても良いことではない。そのことを日本の皆様に理解していただきたい・・」






                  


                     桂林





以前、佐藤慎一郎氏の述懐があった。
「私も叔父(国民党顧問山田純三郎)の関係もあって文化交流に参加した。たしか外務省の後援もあった訪問団だ。交通費も宿泊も食事も出してくれた。私も貧乏していたので助かったが、その後台湾側からお土産(便宜、金?)が出た。私は断った。仮にも日本人だ。その日本人が台湾との交流、ひいてはアジアの平和のために知識人を集めて異国に来たのに、最後にお土産を貰って帰るなど知識人としても日本人として恥だ。叔父はそんな覚悟で孫文に協力したのではない。いわんやそんな卑しい気持ちでいたら蒋介石も叔父を顧問にしない。蒋介石は叔父に、『いつでも来て、いつまでも滞在してください』と家まで用意してくれた・・・」

「たしかに、゛貰えば仲間だ ゛という心の倣いはある民族だが、断るからこそ真の信頼がある。孫文もお金にはきれいだった。協力した頭山さんも無頓着だった。それが日本人の貪らないという生き方の命題だ。それが縁を産み、他を活かすことになる。先ずはそれが「本(もと)」だ。「本立って道生ず」それがなければ学問も財も無意味だ」
ちなみに孫文の側近は山田純三郎、溥儀は工藤鉄三郎、フビライの側近は色目人(異民族)耶律楚材、ここに彼の民族の柔軟さと人を観る眸がある。

以前、日本国内では親ソ、親米と争っていたが、こと華人の問題においては親台、親中と夫々に応援団はいる。しかし台湾政府が毎年日本でも主催する双十国慶祝宴において経済界、政界、知識人と称する群勢が集うが、誰一人として双十の意味する孫文の辛亥革命十月十日の意義を語るものはいない。貪りのない明治の日本人がアジアの安寧の魁とした中国革命に挺身し、敢闘した日中先覚者の感謝哀悼の心は皆無である。
表層国力の経済数値や台湾新幹線や有力者と面会した、そのぐらいのハナシしか話題のない小者に成り下がっている。
親中も多かれ少なかれ同様の患いもある。






                  







誠に厄介なことだが白人社会の強いものが第三者にいると民族自決などは、未だ遠いことだと思うと同時に、今となってはいなければ包み込まれてしまう危惧も一歩足を踏み出せない理由でもある。しかし、そこで止まってしまっている。雑駁な知識情報を身の衣から剥ぎ取り、覚悟と胆力すらなくなってきている。
「国滅んで山河在り」いや、山河在って人心微か也の様相だ。

国内バランスとでもいおうか、それとももっと根源的にみると近代に起こった民主と自由の恣意的昂揚が誘引した大衆の欲望ボーダレス化が、政権の信頼性、有効性を功利的のみに置き、終には連帯の要に必要な俯瞰した調和の姿を衰えさせ、地域固有の「長(おさ)」でもある主席、総統、総理大臣という権力を、単なる有利的位置にしか眺められなくなった人心の揺れに戸惑っているのが政策にも容象にも歴然と表れていると観る。

大陸の強国の隣りなり衛星国家といわれる国の指導者は曲がりなりにも舵取りに翻弄されている。そこに資源なりが在ろうものなら第三国の干渉が入り込み、ひどいところは無政府状態の緩衝地帯にされてしまう。アジアの歴史は香辛料、陶磁器、アヘンから石油、天然ガス、希少金属とその食指影響は変化したが、今は曲がりなりにも繁栄国家の面子なり第三国に対する影響力確保の陣取り合戦に入ってきた。

その道具は通常兵器から核爆弾、そしてロケット、衛星兵器に及び止め処もない地域内競争を繰り広げている。

台湾にすればそこに独立である。従来、蒋介石率いる国民党は台湾においても中華民国を継承し共産党打倒の大陸進行を国是として、議会でも大陸各省の代表(外省人)を議員として任命していた。つまり台湾は一時の避難場所でるという考え方が、民主化とともに民進党の政権になると大陸侵攻ではなく、異なる政体の国家として分離するための「独立」が謳われた。

金門島での砲撃があるころは米軍の後ろ盾があった。日本も国交は中華民国だった。
もちろん相手が名目共産党ということもあった。
その共産党も北方のロシアと国境を接し、歴史的にみても清、元と常に北方侵略にあった民族の知恵なのか、似て非なるマルクス・レーニン主義を盾と屏風にして表面兄弟のようにソ連の圧力を弱め、同志を演じてきた。

ただ、砂のようにまとまりのない民族の集約として専制が歴史の統治方法を倣って行なわれたように、突き詰めればマルクスさん,レーニンさんのハナシなのである。皇帝における宮廷政治や袁世凱、孫文ですら砂民に憂いたのである。もちろん毛沢東もそれを選択し、共産主義で表層を飾った








                  

                   第一世代




毛沢東の死後、鬱なる頚木が抜けて民族の巧みの技であるストレートな欲望と、外部に対しては孔孟を看板とした味付けを、これまた近代化、市場経済化のレールの上でトコロテンのように押し出してきた。
それには軍も、政官も熱狂した。ただ、ここでも鬱なのは12億が利に狂乱したら民族は在っても国家は破裂する。つまり共産党独裁もなくなる。つぎは混沌(カオス)でしかない。
また、その状況を繰り返しの必然として慣れ、権力には二律背反、逢場作戯(時と場合に応じて柔らかく馴染み戯れる)が、挫けることのない柔軟さを自得してきた。
無常観や諦観もその姿だろう。

だだ、どうしても他国と混じる繁栄は「知(情報とも)」を必要とする。そこには自然と思索と観照が行なわれる。一部の沿岸の繁栄は大多数の農工人の供給と循環、そしてそれらがダイナミックに擦り合わせることで熱狂を生み、「知」の広がりは定位置におかれていた農業従事者の離郷を生じ流民激動として社会を変容させている。つまり根が融解しかかっているのである。




                

                                ヤマウチ タツオ




小人の学、利にすすむ
小人、利に集い、利、薄ければ散ず
上下交々、利を獲れば国危うし
小人、利に殉ず

指導者の憂いはとてつもなく大きく、かつ難解なことだ。
できることは民族の歴史の統括に倣うとしたら、軍(武力)を味方につけ利を与えながら少しずつ看板を架け替えることであるが問題もある。武を恃むことは各軍区が競いだして営利事業を行ない、貿易、エネルギー、そして軍区の力を誇示する為に単独に経済外交や威力行動を起すことである。その舵取りは共産党主席である。

たとえれば、冠婚葬祭で義理ごとを行なう親爺と、それを経済や行動威力で支える子供の立場がきわどいバランスのようになっている危うさがある。よくあることだが政治勢力の一方が軍と結託したり、政策の中でも経済に分散、集中があり、第三国、あるいは歴史的な企てを進めるものと組むものが現われるとその相関関係はほぐすことができない状態になる。

それを慎重に解きほぐし、看板を色変えしつつ、外部においては面子を保つことは容易ではない。







                





こんな企てが世界を覆い、国々は姿なき流れに同様な憂いを抱いている。しかも、その浸透は自由、平等、人権の恣意的プロパガンダを携えて功利を扇動し蔓延している。

「神と精霊の思想を奪い、商業(利)に向かわせる・・・」
「自由と民主が社会を瓦解させる為に商業を投機的基盤に置かなければならない・・」
「金を偶像視した民衆は高邁な政治や宗教に興味が持てなくなり・・・」
「人々は上流階級への嫉妬に駆られ吾等に付き従い、吾等の対抗者に反抗するだろう・・」

宗教や政治、あるいは隣国との軋轢に囚われているうちに、国家や民族の長(おさ)では制御不能な状態に誘引されていることに気がつかなければならない。
台湾も大陸もいずれ訪れるであろう「鬱」に対して共闘しなければならないだろう。それは日本にもいえることだ。困難な泥沼を行軍するようなものだが、堅固な大地は人心の支えによって到来する。

水は大海となり舟を浮かべる。しかし一旦海が暴れたら舟はたちどころに転覆する。
あの老子の「上善水の如し」にある、水にたとえた民衆と舟(為政者)の姿だ。

国家の長(おさ)は政治政策のみならず、より政策の実現を容易にすることと、自身の政治姿勢を善なるものとして周知させる為に道徳運動を繰り広げることがある。
国民党の蒋介石は「新生活運動」共産党主席胡錦濤は国民に向けて「和楷社会」を提唱した。新生活運動は国のセンターラインである国維を正そうという提唱で、国民のみならず当時弛緩した国民党と官吏にも道徳運動として行なっている。
和偕社会は富の分配の公正と社会の方向性を唱えたものだが、これも国民のみならず腐敗した共産党にも向けられたものである。
つまり、「外の賊を破ることは易し、内なる賊を破ることは難し」である。

いつの世でも天邪鬼はいる。「名利を貪らず公に生きる」いまはそんな長(おさ)をいうのだろうが、いずれ歴史の必然として甦える。「力」の効用を知り尽くしている民族だからこそ、勇気があればできることだ。









                

              国父に問う 内なる賊とは・・




それとも、日本人だといえば斬首されなかったものを「ワタシハ、シナジンダ」と言い張り、中国近代化の魁となった辛亥革命途上、恵洲三田で殉難した山田良政のような中国を愛し、アジア民族の安寧を願った異邦人を必要とするのか。




               

                山田良政



鎮まりを以って考慮して欲しい鬱の要因である「内なる賊」の解き放ちは、彼等の共感する愛すれど哀しき民族の命題でもあろう。
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