【成長に沿った学問】
先生でも経師と人師がいます 経はお経のケイです 人師は人の師です
人間の成長を追うと、幼児期から思春期に移ると肉体も変化しますね すると精神的にも社会とリンクし始めます たとえば宗教だって小さな集団のときは目的のために修行をしたり教義の勉強をしますが、大きくなると社会に認知してもらいたくなって教えを人に進めたり、しまいには大きくなった組織を維持するためにお金儲けしたり、政治にコミットしたりして、これと同じで分かってもらいたい欲望が生まれ、互いに衝突さえ起こします まさに人間でいえば思春期の姿です いつまでもその躍動は維持できませんが、ともかく問題意識が発生します 異性やお金に興味を持つのもこの頃です
あのエロ本やアダルトも幼児期には興味ありませんが、思春期に異性に興味を持つ頃ですね これは自然の姿ですが、いまは人為的に過激になっています
そんなときお父さんに相談できますか、 自分の欲望を話せますか 昔は16歳の元服のときに被る烏帽子にちなんで、烏帽子親といって親以外の相談人がいました
さしずめ今では先輩やアルバイト先の上司がそうですが、親では解決不可能な問題の解決ができるし、社会を知ることができますね 親は何にも分からない、うちの親は興味がない、当たり前です 成長とはそういうことを言うんです 夢精もあれば生理もある、あの人とセックスをしたい、親が答えを出せるわけがない お爺さんなら、子供ができないように注意しなとか、友達なら合ったアドバイスがあるはずです
つまり親から離れる、巣立つ年代なのです パラサイトではありません
そのうち世代を超え、環境を変えたりしながら自分の特徴が判ってきますね、また目標を持ちます 昔だったら政治家、電車の運転手 看護婦さんなどありましたが、職業の選択は別として外国に行きたい、旅行をしたいなど自分の特技、能力に応じた目標を選択します そのとき必要な語学などの知識やカーレーサーになりたければ技術、人のためになると決心したら弁護士や医者、あるいは教師もあります そのために必要な勉強をするために大学を選択するわけです
ただ大学いけば就職して、いい給料もらって車買って、という人もいますが、お金や地位ではない人生の夢や目標、あるいは覚悟のために、自分はこうゆう人間です、と表現する、明らかにするのが大学の意味であり、大学校の本当の姿なんです
【宿命の怠惰から、立命へ】
いまは多くの疑問を持ってください 他に持つことも大切ですが、自分にも持ってください 肉体的、家族 これはある意味で宿命ですが、ある意味で宿命は怠惰です
金がないから、コネがないから、車がないから彼女ができない、この怠惰から脱却するのが立命といいます 知恵と工夫と縁を信じる、集まるような自分を創る、あるいは変化させる 眠ければ顔を洗うようなものです このときに冒頭に言いました大学が無機質ではダメ、有機的でなくてはなりません 先生ができなければ自分が有機的に動くことです だめなら大卒に拘らずに辞めればいい 大学という学問は大学校だけにあるものではありません
国だってそうです 日本は狭いから、借金があるから、それなら逃げようか キリストや明治の志士たちは大学に入っていません 大学という学問をしたんです アレだけの偉業を成し遂げた人でさえ、あのころは大学校はなかった 環境や時代が違うといったって同じ人間の行為なんです あのころは人の先生、人師が大勢いた また総ての人や現象を師として学んできた もちろん反面教師といわれるものもあったでしょう ひとの感謝や怒りも受けたでしょう ただ文章を説明する経師もいましたが、感動感激をつうじて魂を伝える人の師がたくさんいました
【古典を尋ねる】
ではどんな勉強をしていたか、古典を引用しますが、孟子の教えに四端という言葉があります 四つの端です 一つは陰ながら人を優しくおもう心、惻隠の情、仁の端なり
二つ目は 邪なことを正す勇気、羞悪の情、義の端なり 三つ目は 人に譲る心
、辞譲の情 礼の端なり 四つ目は 区別、分別する知恵 是非の情、智の端なり
これを四端といいますが、この心は誰にも教わらなくても生まれながらもっていると言っています 優しさ、勇気、分ける、本能的智慧は考えずに瞬時に出るときがあります たとえば目の前でホームから幼児が落ちそうになったら、悪人善人問わず瞬時に手が出ます、
しかしこのような人間の資質も競争の中での地位、名誉、学校歴、財力を追い求めると微かになります 優しい心がなくなり、花を見ても感じなくなり、悪いことを見ても、いいんじゃない、となります その誰でも元々有ったすばらしい心を欲望のために心が放たれてします、放心といいますが、これを素のように取り戻すために学問が必要だといっています つまり幼児のような無垢に良心を持続することが学問であり、放たれたものを取り戻すことが大切なことだと説いています ある歳とった有名な画家が子供のように描いた花を見たとき、画商は到達したと説明しました でも私は循環したんだと考えました よく年取って子供のようになるといいますが、これは自然の循環です
ですから単位をとれば、時間を経過すれば、という学校でも自分なりに工夫したり、古典の知恵を借りたりしながら有機的なものにできるのではないかな、そんな気がします
【ある企ての警告】
それではいまの時代はどうかな、どうなっているのかな、もっと大きく自分たちの環境と仕組みを見たらどうかな、ということを考えてみます
じつは私が10年以上前の正月の挨拶代わりに書いたものです これはあくまで独り言と称して送りました もしこれが皆さんの生活の枠組みに当てはまっているかなぁと思ったら、次の時代が予見できます これはプロトコールといってある人たちが何百年前に書かれたもので、計画書でもあります これは偽物、本物と色々言われますが、私はどちらにも組しません ただ内容がいまの日本の現状に合っていると考えました 人の心の動きだなぁと考えました 政治も経済もこのようになっています 智慧として参考にしてください
【戊 寅 の 独 り 言】 参考資料 戌寅年の新年に送付
いつだったか青い目の悪戯っ子が耳元で囁いた。
「われわれはすべての信仰を破壊し、民衆の心から神と聖霊の思想を奪い、代わりに数字的打算と物質的欲望を与える。
思索と観照の暇を与えないためには民衆の関心を商工業に引き付ける。
そのようにしてすべての人々は自分の利益のみに没頭して共同の敵を見逃してしまう。
自由と民主主義が社会を瓦解させてしまうためには商工業を投機的基盤におかなければならない。
そして商工業が大地から取り出した富は民衆の手から投機家を通じてすべて我々の金庫に収まる。
経済的生活で優越を得るための激しい闘争と市場での絶えざる投機は人情薄弱な社会を作り出すだろう。
そして、高尚な政治や宗教に対して嫌気がさし金儲けに対する執念だけが唯一の生き甲斐になるだろう。
民衆は金で得られる物質的快楽を求め、金を偶像視するようになるだろう。
そこで彼ら民衆の貧乏人どもは高邁な目的のため自ら財を蓄えるためでもなく、ただ錯覚した上流社会への嫉妬にかられ、われらに付き従
い、われわれの競争者である特権的立場のものに反逆するだろう」
そういえば古事記に
国稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)のごとくして、くらげなす漂えるとき、葦牙(あしかび)のごと萌えあがる物によりて成れる … と、ある。
古典や故事を引用するぐらいの知恵者にあやかるまえに、大地の表層に浮かぶ脂やクラゲのように浮遊し、葦の芽ぐらいだった原祖を思い浮かべ、 青い目の悪戯っ子の囁きに、黒い目を白黒することのない心の鎮まりを見つけたいものです。
尊台の御健勝とご家族の招福を御祈念もうしあげます。
戊 寅 睦 月 吉 日
いま世界を見回すとこのようになっていますね 気がつくこともあります、問題意識を持つかは別として考えなくてはいけないし、行動しなければなりませんね それは私たちは地球人であり、アジア人であり、日本人であり、いま亜細亜の学生です それを逆に考えてもいいですが多面的、根本的、将来的に考えなくてはなりません
卒業証書をもって就職できる、教員の免許も取れるだろう、安定した生活もあるだろう、これも一つの生き方かもしれませんが、小学から大学にわたる教育の中で、ほんとうに問題意識をもって君たちを教えていたか疑問です 君たちはそうでないかもしれませんが、大部分がその状況におかれている、いやそれさえも分かっていないかもしれない
3時限の最後にスピーチしてくれたインドのサキール・カーンさんの観察ですが、ここの雰囲気は日本のようではなかったと述べていました自由を違った形で見ているね、アジア人はそんな形は無かったねと、感想があった たいへんウザッタイ話かもしれない、でもこの独り言にある人たちの思うような世の中になっていることも注意しなければならないね
10年前にこうなる、と考えたら、そのようになった、いまは事実として私たちの生活に影響している 大きなタライ中でうごめいている私たちだが、タライには地位や学歴やお金、名誉を取り合う人間がいます そのタライをある方向に流す力があることを認識しなければならない それは私たちの欲望がそうさせていることもあれば、その人間の欲望の行き着くところを観察している人もいるということです
観察ですが、大きな観かたとして地球は東西南北天地で六つの座標がありますね これが調和すると○、円になるわけです ですから一面的か多面的か、枝葉末節か根本的か、現実価値か将来価値か、同じものでも結論が逆になってしまいます たとえば将来を観察する場合そのスパンと同じ長さの過去の歴史を考察すればバランスが取れます
また、よく歴史は鏡といいまして現在と将来を映しています だからよく総理大臣のことを首相といいますが、首は一番大事な人 相は高い木の上に目をのせて遠くを見通せる人のことを言うのです 同時に過去の歴史も俯瞰できるような人のことを言うのです 宣伝カーの上で大声で訴えているのが首相ではないのです
以下次号