吉川英治氏が著書「宮本武蔵」の現世モデルに安岡正篤氏を模想したのは理由がある。
安岡氏は剣道を好み、事実、技能も優れていた。それは正眼で、「目でみるな、観の眼でみる」との記述でもわかる。それと同様なことを吉川氏は書中で武蔵に云わせている。
互いに酒談を好んだが、安岡氏の「童心残筆」に牡丹焚きの情景が記されている。
筆者も真似して牡丹の枯枝を燃やしたが、煙くて様にならなかった。ついぞ焚き方を伺う機会もあったが、諸事清話に紛れて聴くことはできなかった。
その場面では、挿絵画家の新井洞厳氏と吉川、安岡両氏の三方だが、実は新井氏の子息は住友生命の名誉会長の新井正明氏、その道縁で新宿の住友ビルに伺った折に聴いてみたが、酒席の牡丹焚きまで相伝はなかった。
香りまでは聴いてみなかったが、若木ならなおさらいぶい。枯枝でも同じだった。
ちなみにご長男で小会の講頭をしていた正明氏に尋ねたが、その種の会話は親子ならなおさらなかったという。自宅二階の書斎での会話では饒舌だった。真に迫ると小生の紅心に中(あたる)ことばはキツカッタが、家族とは食事中でも懇ろな会話はなかったという。
なにしろ、テレビを見ながら食事する、゛ながら飯゛だったようで、会話どころではない。
奥さんが突然テレビの電源を切ることもあった。
父から直接学んだことはない、ただ背中の学だったと正明氏はいう。
ある試験に落ちたとき「試験は落ちるものか」と皮肉を言われたが、きつい話だ。
倫理御進講草案 杉浦重剛
縁者のことで母が「あの子は計算が立つ、心配もある」と。父は黙って頷いていた。
今どきの生き馬の目を抜くような世俗では、かえって計算もできる方が何かと楽だが、ただ計算も、゛計算高い゛となると、欲張りと陰口を叩かれたりするものだ。
安岡氏も「人生に五計あり」と語っているが、身計、生計から死計まで見通しながら現在を活かすことだと、その特徴を伸ばし活かす学びを促している。
あの位に名を立てると揮毫の依頼が多い。それも懇意なふりして御用聞きに走る輩もいる。
墨を摺り乍ら「霞を食べていると思っているのか・・・」と呻吟めいたことを吐くことがあった。これはと察した人物とか、清話酔譚に興がのると好んで揮毫したが、「あの社長が・・」「あの政治家が・・・」と秘書が云ってくると、誰でもそうだがうんざりすることもある。
鉄舟ばりに善意の浄財のために弟子が紙を差し替えるのが忙しいほど,日に数百も書くことは別格として、意を練る刻の墨すりが、そう万たびでは嘆きも増すはずだ。
そもそも売るものでなければ、歓心や迎合のために書くものではない。しかも無償だ。
ところが、近ごろでは売れるようだ。あの昭和の碩学、終戦の詔勅に朱を入れ、平成元号の起草者、歴代総理の指南番、などと謳い文句が飛び交うと、愚か者はみな欲しがる。
これを学問の堕落と忠告していた。
このブログでもよく記すが、師から弟子などといわれる御仁はいない、みな自称だ。
没後の著作物とて、著者の了解も得ずに陳腐なマニュアル本に仕上げているが、存命なら「本質を弁えない書き物」だと了とはしなかったはずだ。
なぜなら、たとえ縁者でも学問に一子相伝はないと云っていた氏のこと、ヤスオカというブランドが金になると,その性名をもて囃す商業出版や、いかがわしいセミナーと称する勉強会を催すような、世の寂しがり屋や,氏を金屏風に高説を垂れ流す忘恩の徒は決して同縁の学徒とは呼べない輩だ。しかも雨後の筍のように群れとなっている。
佐藤慎一郎氏 小会にて

ある意味では氏は形をとらざるを得ない処に置かれていた。
だから、反知半解の学徒は、飲み屋で知り合った聴きかじりの口耳四寸の女に、これまた興味の古典の話題を悦ぶ氏の脇の甘さを絶好の噂話として楽しむのだ。
「賢人にも欲情あり」とは,氏も畏敬する佐藤慎一郎氏だが、゛男でよかった゛と喜んでいる。
息抜きは筆者のような無名な薄学な小僧や、世俗から遊離した人間との応答だった。
その人間たちは氏の依って立つグランドにはなかなか乗らなかった。難字は読めず、アカデミックに分析をすることなく、高邁な論理を立て無闇に随うことも無く、遵わせる道理がなくとも、氏の潜在する紅心に感応する無邪気な童心があった。
農士学校 現 郷学研修所
氏は、それをよく好み、戯れた。
日光の田母沢で催す全国師友会の夕は氏を囲んだ酔譚となる。
氏の言葉に聞き耳を立てる参加者だが、招請された佐藤慎一郎氏がシナの猥談を語ると、本場の古典が生活の利学、活學として驚愕の実態を伝える。猥談と云えば笑話だが、氏の話題は古典の発生した民族の欲望や万象に抗したり、歓喜したりする真の人間学がみえてくる。
学は学び舎や書中にあるものではなく、路傍にも認める許容や辛辣な体験を通じてこそ、自身を知り、その特徴を生かし、伸ばす、生命を謳歌するものでなくてはならない。
その場は佐藤氏の独壇場となり、安岡氏も聞き耳を立てている。
その古典だが、過去に起きたこと、考えたことの記述だが、いわゆる昔話だ。
後生はいろいろ脚色して金看板にもなるが、いくら引用しても、どう解釈しても、今どきの著作権はない。だが、これを応用し、様々な切り口を加えて商業出版にした途端、著作権となり金が発生する。子孫はこれを相続として相伝する。まさに金の面では一子相伝だ。
そうなると、縁者は群がり、他人はブランドを使い、一面だが堕落する。
茶道宗家の箱書きではないが、ブランド姓のサインでも入れば寳ものとなる。
安岡氏は「貪らざるを以て寶となす」と。また、「伝えるのは自分で学ぶ者はあなた」と添える。小生の容像体を見抜いて「無名は有力ですよ」「郷学を興しなさい」「政治家は人物二流でなければ大成しない」「大学へ行くのかね」と、当時は戸惑った言葉だったが、確かに「頭のよいということは、直観力が優れているかどうかだ」と加えられれば、小生の将来に起こりうる禍福を観透していたのだろう。
講頭 安岡正明氏 中央
小会にて
その意識と目の前の人物に倣おうとしていた学びだった。
また、いかに世俗の評価のいかがわしさも見えてきた。
修学の夜は枕を並べて漆黒の闇に首をめぐらせた会話が弾んだ。
「津々浦々の無名の方々の学びが国を支えているんですね」
「有力とは、何に添える力でしょうか」
「父は世俗の評価ではなく、単なる教育学者だったのですが・・・」
目の前の朝茶で乾杯しそうになった正明氏の回顧だ。
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