郷学研修会にて
縁あって高名な父のもとに生まれ、あるいは家系に偉業の残像を積み重ねた生活環境に育くまれると、何かと人知れぬ苦労もするが、突破する、いや此処では超然といった境に至ると、俗人には思いもつかない洒脱な言辞を発することがある。
訊く側の思惑や妙なステータス意識を差し引いても、重厚さの背景にある
人懐っこさは、時折、童心に導いてくれるような魅力がある。
孟子の「四端」にある誰にも教えられなくても備わった本性、惻隠、辞譲、羞悪、是非、を想起させ、人間の無垢で生まれながらの意識に引きずり込まれてしまう「安心」の境地がそこにある。
そこには独律の厳しさと児戯に似た残酷な意図も隠されているが、単なるニヒリズムとは異なる芳醇な情の香りが、かえって訊くものの魂に新たな蘇りを覚えさせてくれることがある。
「父は教育者 。政財界の黒幕とか御意見番とかいわれたが、人格とは何ら関わりの無い附属性呼称ですね」
或る日の弊会(郷学研修会)で「青雲の志」と題して安岡正明先生に講話を依頼したときのことがある。それ以来講頭として、御尊父の提唱督励によって発足した郷学研修会を支えて戴きました。当時は大蔵省を退官、長野銀行の会長をされていた。
「学者の家に生まれて、小学校、中学校の当時は幼心に描いた青雲の志に謂う青空の向こうに夢あるとばかり、当時人気のあった冒険ダン吉を夢中になって読んだが、ある日、母親が庭で漫画を焼いてしまった。 まさに目の前の焚書であった・・・
その後、何時でも東洋の古典に接する機会があろうかと、始めはドイツ哲学を読み漁った。それはどう生きるかという命題の探求だった・・・」
東洋の古典に囲まれつつも、当時流行ったマルキシズムや西洋的教養に触れ、そして古典を回顧するといった経過の中、一方、大蔵省では税務査察という大衆にとっては疎ましい側から世俗を観察するリアリズムが、洒脱という他に直線的でない表現に顕れている。
皇太后御用掛 卜部侍従講話の後に・・・
「あるとき税源について議論している若い税務職員が泥棒と売春婦から徴収したらどうか」と面白い設問があった。
いわゆる所得に対する必要経費の問題だが、泥棒の凶器や売春婦の布団は必要経費かと議論になった。
徴収する税収財源について妙案を出すのが職員の習いのようなものだが、
『それは違法収入なので罰金』と、議論を終えたことがあった・・・
・・・本来、税は徴収されるものと考えているが、同じ地域に住む人々の参加費と考えるべきだろう」
酒は召し上がらないということになっているが、熱海での一泊研修の折、女子会員の酌に幾度となく杯を傾けて、その都度面白い語りがほとばしる。
語り口は独り言のような小声だが、言わんとする単語になると妙にハイトーンになる。
「父が四柱推命で私を観たことがある。四十過ぎから運勢が善くなるが女難の相があると観た。 普通、女難とは女性に難をかけられるようだが、自分の場合は女性に難を掛ける相のようだ」
何事かと聞き耳をたてて周りに集まった連中も、深刻な口調に笑っていいものやら、ただ頷くだけだったが、ニヤニヤと杯を差し出す風情に次はどんな話かと興味は募るばかり・・・
「東北の税務署長で赴任したとき、よく居酒屋で独り酒を飲むことがあったが、あるとき衝立の向こうで頻りに言い訳している声がした。 聞き耳をたててみると、 どうも愛妾に毎月の手当てを値切っている様子だったが、その言い訳の口上の中に『近ごろ税金の取立てが厳しくて・・・・』と聴こえた。何も税金のせいにしなくてもいいのに・・・・」
卜部皇太后御用係 小会にて
御尊父を慕う政財界の弟子と称される人たちについて母のエピソードを語っている
「あるとき母が父に問うていることがあった。あなたのお弟子さんと称する立派な人は多いけれど、どうして下半身に問題がある方が多いのですか・・・そんな母の問いに父は苦笑いで頷いて答えなかった」
時として潜在的剛毅がこぼれるときがある。
「税(公平)と警察(正義)の姿勢によって国家は変質する」
郷学について
「田舎の学校と考えればいいと思います」それは田舎を単なる立ち遅れている野暮な場面としてではなく、清純かつ素朴であり感度が鋭いということであろう。
筆者も郷学作興の際、御尊父から『無名有力』を銘として諭されたことを想起します。
そして老若男女、内外職域を問わない小会の趣に
「難しいと思われる内容を難しく聴かせることは簡単ですが、楽しく好きになり、知って教え、行うことが容易になることが大事です。父の描いた郷学作興、無名有力はそんな意味があります。いろいろな見方や呼称はありますが、父は教育者です。父の実像を知ればそのことが分るし、このような集いが父の描いた地域郷学です」
また世俗の患いを憂うる若者に
「日本の各地域にこのような方々が集って語り合い、研鑽している。是があるから国は維持できている」とも述べています。
熱海講話 中央 正明氏
佐藤慎一郎先生 講話の後の酔譚を愉しむ
宿の就寝に天井を眺めながら止まらない会話が起床のもどかしさとなり、海風が心地よい早朝の茶話につい『安岡ブランドで喰っている連中が多い』と呟いた小生の一声に応えられた真摯な姿は、初対面にもかかわらず無名浅学な拙者に長時間に亘り対座された御尊父の威風がそのままの姿で蘇りました。
朝食の呼びかけにも関らず学問の本義を語り続ける姿は、政府高官からの電話に『来客中!』と、取り合わず、ピースと羊羹を肴に、明治人特有な実直さで時折カン高い音調を取り混ぜた御尊父の熱中談話を彷彿とさせます。
是は面白いよ・・・と持参された本は、カメラマンの宮嶋茂樹氏が著したカンボジアPKOに派遣された自衛隊の随行記でした。
内容は『不肖、宮嶋は・・』から始まる緊張とコミカルが混在したものでした。手渡されたとき、楽しそうに語られる姿は庭先で母に焼かれた、焚書『冒険ダン吉』に描いた青雲の想いが蘇るようでした。
奥様から、男だけの御茶の稽古
青雲が暗雲に移る時運の悪戯を、母の手によって焼かれていく青雲の夢と同様に眺めていた感のある人生のなかで、洒脱という幼子に似た照れ隠しが、折々に観える剛毅を包んでいました。
青雲の志を語るとき、常に自由な家風に育くまれた環境を感謝しています。
「何れは南洋のどこかの総督になりたいと思っていたのは、本当に当時の若者の夢だったのです。青い雲の向こうには大きな希望があり、それは男子の野望といったものでもありました」
佐藤慎一郎先生は郷学巻頭を楽しみにしていた。
そして、いつもこう述べています。
「正明さんの文章は生きている。学問は生きていて活かすものだ。中国の古典は天地自然の循環の理(ことわり)の中で変化に対応している。つねに生きていなければ意味がない。真理があって事象だ。正明さんの文章は楽しく学べる深くて厚いものだ」