まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

数値の繁栄は人の劣化を測れず その一   11 1/16 再

2016-06-10 11:52:02 | Weblog

    人災・・・

 

   知って教えず 師あって学ばず  学んで行なわず

                           岡本義雄氏

 

 

 

ちかごろ余り騒がれないが問題に、体罰、しごき、がある。それらは教師とか先輩の倣いとして伝えられた訓導に伴う行為、または生理学的にも覚醒の意味が含まれている行為であった。受けるほうも一時的には恨む者がいたが、かえって其れゆえの交感ストーリーとして想い出に刻まれることでもあった。総てではないが、その含みは、゛愛の鞭゛つまり「御鞭撻をいただいた」という理解だからだろう。体育会系では「無理ヘンにゲンコツ」とも称して代々後輩に引き継がれていた。

 

文部省官制下における私学校も時が代わって各々特有の建学の精神も忘れ、偏差値と経営こそが教育の下支えというべき考えのもとに就職を想定した就学歴(学校歴)の条件となり、最近の少子化事情では、゛学生はお客様゛に成り下がってしまった。それも憲法にわざわざ附記されている、私業ではあるが御上の制約下を条件に私学補助金を貰い、建学の魂を売り渡す食い扶持経営を由縁としている。

加えて、教育とは魂の継承であり、それは感動と感激を通じた人格の涵養などという考えは、野暮で古臭いものとして切り捨てられた。

 

つまり管轄下、保護なりを名目とした法人化であり、税制優遇を糧とした学校経営が教育という美名に隠れて治外法権の様相をきたしている。それは官域と教育機関が巧妙に囲った屏風のようなもので、官の天下りは大学のチョイの間の床の間教授が近頃の指定席のようになっていることでも解かる。

 

 

                           江戸城

           

 

 

ちなみに江戸の藩校や塾には武士そのものが講頭となり、その中でも藩主の援助で江戸や長崎に遊学し、かつ他藩の預かりとして藩政補佐役の活躍をする者もいたが,明治以降の中央集権国家での専門知識人、あるいは出身母体の官域からの転出は知識技術の切り売りが横行して食い扶持教授の乱造となった。また補助金拠出と引き換えに財務省を始めとした官吏再雇用のアテガイ場所として、より教育そのものを形骸化させている。

 

省庁管轄の専門学校、自治体管轄、またマス化した大型大学の専門分化による大学増設など、箱モノ建設などを含めた地域活性化の美名のもと、集積情緒である卒業生、地域住民などから構成される門前町ならぬ教育環境域が、一過性のしかも偏差値,就職率という数値基準の過度な価値観によって顧客である生徒の流行り価値にさらされ、なかには郊外のゴースト要塞のようになった施設も散見するようになった。

駅近、コンビニ、施設充実、安易な単位取得など、まるでカルチャー講座のチョイスのような大学が法人化され補助金をせしめている。

 

人物を作らない学び舎、つまり偏差値をベースに固定化された生徒の生産施設として、なんらマンモス塾と変わらない形態が問題意識を抱えつつも、親も生徒も「仕方がない」と続くのである。

 

 

 

 

                 

 

                                        上賀茂

 

 

 

 

 

あの時代はどうだったのか。

幕府の形式化した儒学、それに問題意識をもった地方の藩政は各所に藩校を創設し、細分化した地域には寺子屋や有志による塾という郷学が作興し、文化糜爛して政治も弛緩したような中央に対抗するようになった。いや雌伏しつつ共通意識の連帯を図った。

 

それは教育が中央に取り込まれなかったというより、隣国の毛沢東が臭九老と蔑んだ知識人と同様に、武士の世界でも知識人を公務である藩政に任用する際に、あくまで武士との分在(役分)を明確にしたことにより、かえって自由な行動と創造が可能だったからだろう。それは藩(当時の国)を超えた認識となり、外(植民地勢力、外国事情)の要因を敏感に汲み取り、中央政府(幕府)を国家として俯瞰することによって過去の律令なり王政を検証し、かつ「公」の概念を幕府の姿から、新しい形の国体(国の在り様)として思考形成し推し進められたのだった。

 

そこに将来への先見と行動のもととなる志操が志士といわれる人たちに涵養された。それは口先の思想ではなく肉体化された志への覚悟でもあり、彼らはそれを至誠の学問とよんで人物から倣った。人として、そのように成りたいと。

 

しかし時移って、その志操堅固であり、歴史を俯瞰視して民族の倣いとなる知識人なりうる教育者は、以前の幕府同様に中央集権の普遍性からすると、ある意味では疎ましい部類の人間たちである。今でこそ何処かの教授だの、横文字留学組が政治に参画しているが、あくまで臭九老なのである。そのため教育を立身出世のステータスとして食い扶持や、管轄下にある地位を授けて、その九番目の臭い地位に置かしめているのである。

 

なぜなら、「人がなんと言おうと、聴くまいと我は発するのみ」と維新の先駆となった横井小南のように、そもそも在るべき新たな「公」など喧伝されたら、今どきの既得権に汲々とした食い扶持組には恐れる存在となる。また松陰のように学問とは「他と異なることを恐れない自己をつくること」などと真の個の発揮を命懸けで行動されたら、中央集権の囲いに素餐を貪る官吏、既得権者はたまったものではない。

 

 

 以下次号

 

 http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t/d/20160207     二章  終章

 

 

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議会・政治家は有司(官僚)専制の隠し屏風か・・ 15 7/15 改 再

2016-06-03 11:28:28 | Weblog

 

舛添君もそうだが、中央政府が糜爛すると地方の清新な気風が都会に押し寄せる、そんな循環が我が国にはあった。そのための地方作興なのだろが、地方政治も上に倣って取り返しのつかないくらいに糜爛している。政治とは議員と官吏の弛緩(ゆるみ)であり、汚れなき犯罪に近い醜態だ。とくに官民格差は甚だしく、その狡猾さはその差を益々増長させている。

以下は東北地方の元県官吏の言だ。

三十ぐらいまではどうにかやる気と問題意識があった。しかしトコロテン式に地位が上がると有能な部下に気を付けるようになる。部下にもしたくないしなるべく遠ざける。それが入庁当時の気持ちと違うことは分るが、それが当然となる。そんな中でも何が面白いといえば、通達の紙一枚でみんな頭を下げてくる。余り意味のないものだが、それでも仕事だ。いまは関係民間組織に潜り込んだが、楽しくてしょうがない。』

「そんな楽しいなら給料半分でもいいでしょう」

『それとこれは別・・』

これは最近筆者が本人から聴いた事実の話だが、酔いも手伝ってか好好爺のような元県職員は、゛実直で善い人゛で通っている。よく、彼らも生活があるからと追及の手心を加えるが、地方の衰亡はこれを基とすることに意識をもつべきだろう。人の劣化し組織も社会も衰亡する。しかもそんなところの首長は役人管理もできず、大名旅行とイベント的対策、産品セールスマンとして狡猾な役人の掌に乗っている。とくに地方は甚だしい。その意味では東京都も地方だ。まして議会は議論もなく形骸化して党派親分の繰り人形になっている。ご褒美は視察旅行と日当という日雇い議会だが、旅行社に費用を浮かせて小遣いまでねだる有様だ。これは与野党問わず食い扶持議員の姿だ。

しかもマスコミは都内版、地方版としてイベントなど地方政府の宣伝媒体として成り下がっている。まして警察や自治の出来事は追っても、内部の実態は追いかけない。だから舛添君のようなタレントを担ぎ、いい気分にさせてゆさぶり、手なずける。

江戸の知事は、丸の内から内藤新宿に移転してから特におかしくなった。皇居から離れるほど政治も治安警察も少なからずおかしくなる。なにも自治体といわず、国の直轄にしたらどうだろうか。それくらい善悪醜態もめだつ永田町に隠れて、三面記事扱いで、それに隠れてとんでもないことになっている。石原も舛添もその問題意識と下座観が乏しい。

地方から食い扶持目当てに上ってきても、しばらくすると生まれ故郷を遅れた田舎と呼ぶが、江戸っ子はケチで意気地のないものを成りあがりと蔑んでいた。また、義理も人情もなく、やせ我慢もできない者は「野暮すけ」と嘲け笑っていた。

           

                

                祈りの憂慮は日本人に問いかけている

 

当選を重ねれば誰でも大臣にはなれる、

それこそ企業の社長のように、秘書、事務所、宿舎、海外視察、おびただしい優遇と便宜。

警察官が情報監視なのか、護衛なのか分別はないが張り付く。

政策は官僚のコピーペーパー、答弁は腹話術

幾つもある財布の中身を見せてはくれないが、足りない財布を見せて膨らませてくれと頼まれる

そんな狡猾な群れに囲まれて、彼らの過失は代わりに謝ってくれる。しかも台本通りに・・・・

それもこれもお役人様のお陰だ。

ときおり地元に橋を架けたり、似つかわしくないホールを建てたりしてくれる

餌は税金の分捕りと生涯賃金の確保だ。

内外が物騒な近ごろは、制服を着た人達が幅を効かすようになった。

それらにも便法を与えて動きやすく、罰金も取りやすくなった

議会や政治家もうかうかしていたら、言うことを聞かなくなる。

しかも、現場追認や行きがかりが議会人の習性ゆえ、土壇場にならなければ生気は戻らないだろう。





碩学の庵



ともあれ官僚が首を縦に振らなければ政策も動かない。
国・地方問わず気遣いの多い人たちだ。
議会の答弁は官僚の書き物を読むだけの腹話術。官域に不祥事があれば大臣は、訳も分からず追及され、謝る。しかも知ったふりもしなくてはならない。
「俺のせいではない」と,云いたいところだが辞任して官僚には責任が及ばない。
とくにキャリアと呼ばれる高官なり予備軍は、余程のことがない限り大きな責任を負わされることはない。


明治初頭、まだ議会制度が整っていない頃は大久保利通の先導で官僚による政治、つまり有司専制が行われていた。その後、形式的には議会なるものが成立したが、これとて乱暴・短絡な書き方だが、官僚や軍人で括られる軍官僚によって国会は牛耳られた。
つまり、お飾りのような類で、意見や意志とは趣の違う個々の「話」の吸い取り機能はあっても、政策立案とはかけ離れた今の地方議会の様相に近いものだった。

言いたいこと、抗弁すること、国民に広言すること、などは国会とて同じようなもので、まともに考えれば傾聴に値するものすら少なくなっている。その有司(官僚)からすれば、頭を下げれば上を通り過ぎる親父の小言のようにもので、手の掌行政には都合のよい政治家の状況のようだ。
政党といっても、当初は元列侯の華族や郷の主だったものの集合、いわば官選に近いようなもので、もともと烏合の衆のような集まりゆえ銃剣や、はたまた名利獲得に便宜供与されれば容易に機能不全に陥ることは当然な姿だった。

しかも、天皇の統帥権を盾に議会を超越した権限を保持し、軍の企図する行動にはなすすべもなく追認した。満州事変や日中事変の泥沼化も聖戦や皇軍を旗印にすれば忍従しつつも看過せざるを得なかった。財閥や軍に媚びる議員も多く、その機能すら果たすことはできなかった。









政策が届かない理由

それは安倍総理が掲げる「戦後レジューム(体制)」の一方の負である人やその組織の弛緩である。そのことは明治以降の仮借したような教育や風潮から生まれた成功価値であり、そこから養成された政治行政体制に寄生する群れの「偽 私 放 奢」である。
それは法制度は整えて、予算規模が拡大しても土台を食い荒らすような、表層は装い繕っても中はスカスカと言った有様で、偽り(虚言),エゴ、責任分散、驕りが国の病巣として「四患」に表れるのだ。

そこで当ブログでは、戦後レジュームなるものは敗戦後に唯々諾々と迎合したGHQ政策ではなく、維新以前に堆積された民族の情緒なり慣れ親しんだ環境順化し錬成された仕組みが、以後の体制と齟齬をきたした結果であると記した。体制とは有司による実質的専制である。

とくに歴史に記される政治や行政の権力機構に職掌を得る人間たちの「偽 私 放 奢」によって政治は混沌として為政者の政策ですら「間引き」「不作為」「偽装」されて当初の政策意志とはかけ離れた状態でしか国民に伝わらなくなっている。
それが官吏らの行動基準である法を便法として増産し、より複雑怪奇なる行政構造を作り出し、彼らの専門である部分職掌に頼らなくはならないようななくなっている。

ならばこの国の支配構造は誰が握っているのか。
よく財政をにぎるのは各省の予算を職掌としている財務省主計官だという。あらかた出来上がった予算を折衝と称して交渉しているが、それも毎年の恒例となっているようだが、風呂敷やバックに抱えていったところでノレンに腕押しだ。そこで議員という役者が前座の省官吏の打ち合わせ通り大臣折衝という舞台に登場する。つまり復活折衝だ。

税官吏のトレーニング調査のお土産同様、顔を立てるが、これも隠し財布を持ち出すなり、子供に小遣いを渡すときに親がいう条件のように、些少の削減で双方顔を立てる。
それを大本営発表のごとく騒ぎ立てるのは財務所記者クラブのポチ記者だ。シナリオ演技をこなした議員は同族(賊)議員なり選挙区で手柄話をするが、財務省を含めた各省官吏の結論の決まった談合に「言いたいことを言わせる」「聞き流す」という、一種のカウンセリングには手も足も出ないのが実情だ。
「あの課長がダメだという」議員同士でよく聞く話だ。










板橋区にある教育大の跡地の有効活用なりを考えた払下げの問題があった。地元のお年寄りのゲートボールや子供の遊び場など公園機能の提案だった。
地元の区議、都議、国会議員が署名を集めたが埒があかない。聞くと議員も党派の人気取りや上下関係があるのか、いっこうに調整が効かない。
国会議員が官僚に席を設けた宴会では畏まって上座の官吏に酒を注ぐこともあった。
それでも話は進まない。

もともと不特定多数の利福のために「公」があるとの考えで上下職域に頓着しない筆者は、一昔前に愛知揆一元蔵相の秘書官が、いまは銀行局長をしていると聞いたことがあった。
知らないとは恐ろしいもの、饅頭を抱えてアポイントもなしに当時の大蔵省の門をくぐった。行先は銀行局、対応に出たのは総務課長だった。
払下げは職掌違い、つまりお門違いの要件だが、局長につないでもらうように依頼した。
課長が電話機を取ると局長は所要だった。目の前の終始のことゆえ嘘ではなかった。
課長は要件を詳しく聞き取ると所管の国有財産統括課長に継いでもらった。

暫く茶飲みしていると挨拶に訪れるものがいた。二組だったが挨拶なので予約は入っていないのだろう。慇懃に腰を追って在客を気にしたのだろう直ぐ退出した。
尋ねると二組とも大手都市銀の頭取だった。陣笠代議士が正座して酒を注ぐことも理解した。統括課長は丁寧な応対だった。係長が同席したが、この係長が問題だった。板橋区の台頭が何度も訪れているが、茶も出さずに横柄な応答だと聞いていた。

事情は掴んでいた。「払下げを決定する審議会は年に二回あります。そこで決定承認するので時間はかかりますが、次回は議案に乗せます」話は早かった。
ところで、全国各地の自治体で豪華な箱物を建てていますが、いずれ経常経費が足りなくなり国庫なり起債なりするようになります。今回の板橋区内の筑波大学跡地について条件を出してください。それはいずれ起きるだろう防災意識からの避難場所なり、街中緑地としての機能を提案して箱物は建てないような指導をしていただければありがたい。」

いや、その状況が広がり問題になっています、国家の政策の問題です。その将来を加味して提案するのが国有地という国民財産を管理する私たちの仕事でもあります

同席の係長をみて
「ところでこの案件に対する事務交渉も増えると思いますが、板橋区民からすれば板橋区の職員は私たちにとって大切な職員です。公の意識には職掌の違いはあっても上下はありません。わざわざ訪ねてくるのでお茶でも入れて可愛がってください」
係長は「いゃ、」と恐縮の態だった。
課長は笑って聞いていたが、その後は全国の国有財産地の状況と今後の社会整備と整合した活用についてコアとなる思索を聴いた。
ところで、国民も胡散臭いと思っている議員の干渉は政策に影響しませんか」

「私の管轄においては○○さんの意識と同じです。国民の大切な財産の管理を任されている自負はあります。声を聴くということと瑕疵のない運用は慎重にならざるをえません」

「予約もなく突然な往訪に驚いたでしょうが、無私の欲として納めてください。なにも手心を加えるとか便宜を求めてはいません。届かない声を届けたまでです」
 「あとは係長の▽▽が対応しますのでよろしくお願いします」

後日談だが、係長から連絡があり「職員を板橋でお願いできますか」と。
気がすすまなかったが板橋に伝えた。すると中央官庁の、しかも大蔵関係の天下り風な話には板橋には荷が重かった様子。そこで「便宜供与はないが職員の意識改革も必要となる、受ける気があるなら▽▽さんと会って詳しいことを聴いてみるが・・」
暫くして板橋区の幹部から、「なにぶん対応の難しいことなので・・」と態のよい断りが入った。

たしかに以前は二重帳簿を作り,町のボスが庁内廊下を闊歩していたところである。しかも百億円庁舎建設では関係者が新聞記者に追いかけられ病院に遁走後、亡くなっている。また有能で清廉な幹部職員も心労で亡くなっている。
それは議員が支配する建設会社が落札したことによる事件だ。
工事能力もなければ資金力もないが合弁工事だが、工事はしないが利益の分け前を受け取り関係者に配る談合方法だが、辞めた警察官を採用し議会の裁可を取り仕切り、関係者は皆口をつぐんでいる。しかも区の幹部もおこぼれ頂戴の仲間だ。建設委員会も傍聴者を排除しての採決だった。









都議といえば予算書も解読できず、一方は川越街道の親分、一方は都議会宴会部長といわれる議員を出している地域である。
川越街道の共同溝工事では配下の議員に署名を集めさせ、それを工事会社の現場責任者に届け、八百万円の供託金を預かっている。工事の振動で被害があった場合の供託だ。
ところが被害もなく工事担当者が返金を申し出たら、議員本人の口座に入っており、なかなか返金に応じない。そこで困った担当者が筆者に話した。
担当者は「まだこの地域には都の関連工事もあるので騒ぎたくないが、書名を記した沿線住民に済まないと思うのだが、なぜ返さないのだろう」と。
「だから親分といわれているのだろう。困った人だ。そのうち落選しますね」
案の定、若手の候補者に追い立てられている。

払下げだが・・・
ことは最短で進み箱物も建たず、平和公園として地域の憩いの場所として桜の季には大いに賑わっている。

ところが、板橋にも慇懃狡猾な官吏がいる。暫くするとすぐ近所の公園を整地して科学館という箱物を造った。このあとの館長も緑の課の係長の時に、お任せ課長の公印を使い公園池の掃除を馴染の文房具屋に発注している。もちろん半分くらいは架空発注だ。その係りの別の職員が相談に来た。それを指摘したら一年間仕事を干されたという。机についても仕事もなく針の筵だったという。それが課長以下に居る古株軍曹といわれる人たちだ。しかも労組がそれを守っている。それが栄転館長に任命された。

こんな行政区だから中央官庁の提案には簡単に受け入れる器量はない。いや、来られたら困るのだ。
中央においても地方においても能力や公意識の差異は有っても、この民選議員の状況ではとうてい議員は敵わない。










畢竟、細部の現象を敢えて明け透けに書いたが、大久保の考えのなかに有司専制でなければ経国が適わないと思ったのかもしれない。
ただ、それは情理と法の条理に沿った忠恕有徳な天皇の輔弼としての使命感ある有司(官僚)の存在によって成しうるものだ。実質的権力の運用は有司にあり、まさに専制というべきものだ。
また、専制でなくては数多の意を含有する民をまとめ国家として成さしめることはできない。隣国の封建制や清朝崩壊後の袁世凱の帝政回帰、孫文や毛沢東ですら専制でなければ砂民といわれる多民族は纏められないと考えたに違いない。

いまは民主至上であり、それを収斂する議会もあるが、これとて成立後何十年経ってもこの有様だ。本人たちは命懸けだとか、真剣だとかいうが、ますます酷くなっているといってよい。
それは制度や法律を変更することでは到底解決するはずもなく、みな理解はしているが方策すら考え付くわけでもなく、そもそも己を覚醒変革することさえできない。

だから明治初頭は武士道精神の残影のある使命感と責任感、醸成され畏敬の対象になった天皇の大御心を政治具現し輔弼の任を徹底する官吏道があったのだろう。
藩閥政治の汚職腐敗はあったが制度は頑なになったが持ちこたえた。国内戦争、対外戦争はあったが、運用の要としてその存在は戦後も存続した。

そこまではいいが、いまは弛緩し、法的犯罪はないが、公意にたいする汚れなき罪を犯している。民情に添うことは少なくなり四角四面な運用によって責任を回避し、扶持米同様に高給を担保して生涯賃金を企図する官吏といわれる小役人が国民の目には映り、しかも諦観となっている。
数値選別は隣国の科挙と宦官に似て、自己の安逸と家族の繁栄に勤しんむ輩が増えてきている。









の国は大久保の推考した民族観や集団的性癖は民選議員で構成された国会ではなく、有司専制によってしか国家なるものの経営は難しいと考えたに違わない。しかも形式的には民の意志を収斂した国会であっても、陰に隠れた有司(官僚)行政組織による実質経国を企図することを考えた巧妙かつ有実的な考えであった。

よくいわれる国家観、国家意識、国家目標などは頭で考えるだけでなく、浸透された具体的政策に具現されるべき事柄だ。それには先に書いた大蔵官僚の国有財産管理の意志に表れている。
当時はそうだった。いまも精励する官吏は存在する。
しかし、そうでないことの方が多くなり、とめどもない暗雲として覆っている。

有司による政策の具体的運用は多とすべきことだが、国民がその運用官としての官吏の劣化を感じ取れるようになったらこの暗雲は晴れない。
いや、祓う手段すら無い組織だからだ。

しかも、人々が狂騒する浮俗の成功価値すら操作できる始末に困る集団なのだ。
その意味では、聖徳太子の先見は当たっている。
人間の尊厳を毀損する汚れなき犯罪は律令の昔から督励や監視の対象だった。
それを、多くの現代母親が子供に目指す将来像として設定し、尻をはたいている。
これでは近隣国もギリシャさえも嘲け笑ってはいられない。

おもうに憲法は9条より、99条の方が重要なことのようだ。

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