まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

「台湾は誇りだ」と中華街の声

2011-04-15 13:20:09 | Weblog
           台北中山記念小学校 生徒会長 植樹 



数十年も通い慣れた横浜中華街だが、これほど清々しく彼等の笑顔を見たことは無かった。それは台湾系だけでなく大陸系の華僑にも伝播した。
古老が亡くなれば誰からともなく知らせが届き、葬儀に参列したりして多くの縁があったつもりだが、この歓喜に近い故国への賛辞は懐かしくもうらやましい姿だ。

ことは災害に際しての台湾の援助のスピードと量についての驚きだった。
『聴いて、きいて・・すごいね台湾は。私は日本で生まれて此処の小学校を出て、ずっと中華街で暮らしているがこんな嬉しいことはないね』

普段は感情表現も少ない初老の女性店主である。生き字引のように人で、ある意味日本人のような視点で華人を見ているが、近頃の新華僑といわれる華南系との軋轢が目立ってきた旧華僑になる女性だが、日頃の鬱憤が一挙に吐き出されたようだ。

『国民党も民進党もないよ。今回の台湾のやり方はすごい。私は、政治は嫌いだが今の総統は偉い。善いことには人の顔色を見たら何もできない。困ったらお互い様だょ』

「本当に嬉しそうだね。今回のことは本当にありがたい。でもお詫びしなければならないのは、中国に遠慮して政府の対応が、始めはっきりしなくて迷惑をかけてしまった。日本人として恥ずかしい。先日も代表にお詫びを申し上げた」

『分かってるよ・・・』



            
          
       台北駐日経済文化代表処  馮寄台代表       


あの時日本政府は台湾と断交した。嬉々として日中友好に躍った。
台湾は日本を仁と義の国として歴史を積み重ねてきた。
今回、台湾は仁と義を日本に教え、行動した。また、名目と実情の曖昧さの中で両国は交流してきた。親中や和中と様々な繕いがあるが、親しくなってから和することは至極当然だ。日本の妙な危惧は、あの断交後の台湾の苦渋を未だに理解していない証左だろう。

日本人は米国以外に、しばらく頭を上げられない人々がいることを理解するだろう。
「ありがとう」しばし日本人が失くした言葉だ。
゛幾ら援助したのに礼もない‘、近頃よく聴く日本人の言葉だが、今度は利権キックバックもない仁と義の浄財だ。台湾国民の汗だ。

夫婦喧嘩でも都合のいい方に付くと、仲直りしたとき嘲られるのは人の常だ。
一過性の富財が無くなり、人心も怠惰薄情になったとき、国家も侮られる。

彼女は日本の政府対応は非難しなかった。彼女は筆者の難渋を理解していた。それが華人の生き方であり情なのだ。日本に帰化して故国の非難を悪しざまに書き連ね、それが軽薄な日本人の歓心をかうことを計算する文筆家もいるが、彼女には父の母国を非難する心はない。
政治は解らないというが、台湾のおかれている事情も熟知している。大陸との間を測る姿は、日本における華人の生き方に似て芯を包むような柔軟さがある。また笑顔に包まれた意味を知っている。

いま、震災の影響で横浜中華街は閑散としている。理由は中国人調理人やスタッフが帰国して店が運営できないこともある。それは都内のコンビニのアルバイトや東京で生活を営むファミリーも一斉に帰国したため、アパートマンションを引き払い不動産状況も激変したことも同様な影響を与えている。
理由は地震に仰天したこともあるが、福島原発の放射能に瞬間反応したことでの一斉帰国だ。

振り返ってみると外国人の流入が顕著になったのはイラン、パキスタン、バングラデッシュなどの若者達だった。景気が悪くなるとその流れは中東に向かった。次は韓国と中国、そしてインドになった。またフィリッピンの女性もホステス、ダンサーとして訪れた。彼等は技術知識を習得して母国に戻るもの、あるいは日本人と姻戚関係をもって永住している方々も多い。

異なるところは、彼女は台湾での当時の日本人を知っている。それは語り伝えられて生活に浸透している。中国の力を恐れて浮き足だして海外に逃避する台湾人も知っているが、祖国を捨てない人々がいることも知っている。

当時の日本人の愛顧は、今でも彼女の生活姿勢となって日本人と暮す中華街が好きだ。
だだ、商売になると近隣の挨拶など付き合いを大切にするあまり、新華僑の姿に苦情が出る。゛どうして、そうなんだ゛という煩いである。

彼女は、変わりない生活を続けている。景気が落ち込もうが、災難があっても、淡々と生活を営んでいる。そこに久々、祖国の感動を添えた行動が厳然と行なわれた。
『すごいね、台湾は』
何度となく繰り返された言葉だ。

≪すごいね、日本は≫
ついぞ、聴かれなくなった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間がおるじゃないか

2011-04-02 15:25:31 | Weblog
東北の西郷と謳われた菊池九郎

冷害と維新の疲弊で苦しむ人々に『人間がおるじゃないか・・』と激励
その志操は辛亥革命に挺身した縁者の山田良政、純三郎兄弟に継がれ、山田の甥佐藤慎一郎氏も「九郎爺さんに育てられた」と述懐している。
陸羯南、珍田捨巳、後藤新平も薫陶を受けている



管くん、視察などもってのほか、見(賢)学が先だ


視て察する、これは相当熟達した教養がなければ難しい。
文部省の官製学校歴を幾ら積もうと、いや、積めばつむほど判らなくなる。
ただ察するのではない。「明察」に達しなければ単なる暗愚のそぞろ歩きである。

菅くんが災害被災地に視察に行った。遅いも早いも問題にする方もおかしい。
察することができるなら音声や映像視覚でも用が足りることだ。現地の実態視察によって用が足りるのは別の意味からだろう。

事件の証拠集めではないが現場を見なければならないことも多々ある。
臭い、感触、感動、など言葉や文章で説明しきれないものがある。たしかに高給取りが持ってくる多種多様な情報が錯綜し、四角四面な成文法に縛られていては用が足りないことも斟酌できるが、先ずは管くんがすることは「見学」が適当である。

目で見て学び、その後、推察、洞察することである。
なにか文字にすると軽薄に感ずるような「見学」だが、いい加減に言葉の意味を解釈すると解釈がスキップして妙なところに着地することになる。やたら、゛文句付け゛を食い扶持の種にしている輩に気をとられていると沈着冷静な判断ができなくなる。
もともと荷が重いことも知らずに背負った立場だが、せめて松戸市の「すぐやる課」なみのフットワークで現場を見学して欲しい。

もともと元気ある行動に「士気」がいわれる。
菅くんの政治経歴もそうだが、政権内外には、゛いまさら゛という気分が立ちこめている。
内には自衛隊違憲、大企業の横暴、米軍への感情的嫌悪を党是としていた群れがあり、一種の逡巡と衒いがある。
外には卑小な阿諛迎合と現世利益を当て込んでいた民情の流れがあった。その圏外には儘っ子扱いされた自衛隊や現業職員が被災地の前線で辛労している。その解けない気分の方が辛い。

民情の流れの中には真摯に可能性を探り、自活自生と自制を心がけるものがいる。陛下のお暮らしとメッセージはそれを後押しした。一方鬼気せまる形相で買占めに走る、多くは戦後生まれの婦女子の大群がいる。落ち着いたが、それも反省ではなく飽きたのである。

まともな人間はそれを見学した。愚かさの反面教師である。そして彼女達は社会熱となった義捐募金に乗り遅れまいと参加し溜飲を下げて、その貢献の多少を語り合っている。
今こそ己の内と外を学ぶ良機だ。その点、家庭も学ぶべき場だろう。先ずは童に傾聴することだ。学校は何を学び、社会は何を教えてくれたのか。そして言志をなくした雄の子はどう学び、覚醒するのか。

そして「察する」こと、つまり他の忖度から忠恕に高めることが促がされるだろう。
文献や考証学、はたまた他に説明できるものに意味をおく知学の土壇場の無力を、人の倣いとして察することだ。それは潜在する能力や情緒の確認であり、己の再発見となるだろう。

徒な批判、右往左往する行動、それは先ず「見学」、そして「観察」が大切なことだ。
「目で視る」から「観る」、そして察する。この順序が狂うと結論が逆になる。

「陛下、今年は涼しくて何よりで・・・」
『東北は冷害で大変だろう』
「陛下、雑草を刈り取りました・・」
『名もない草木でもそこで生きている。やたら刈り取らないように』

察する、思いを寄せる、倣うべきは学び舎の数値ではなく人物から倣う。
ここに棲み分けられ、日本人として呼称されている人々の情緒は、その倣いを許容し理解する器量が矜持だったはずだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする