まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

「赤も青も同じ」という下座観と俯瞰された政治の処し方  09 10 4 再

2015-03-24 12:52:13 | Weblog
政権交代を揶揄するものではない。



数年前のこと、筆者と「萬晩報」を主宰する共同通信の伴さん、そして当時は総務省のCIO補佐官の大塚寿昭の三人で台湾に、゛人探し゛にいった。組織や経済、法律で社会が成り立っているというが、もとは携る人物如何でどうにでもなる。

よく「一人によって国は興き、一人によって国滅ぶ」にあるが、ことさら英雄と悪党の問題ではなく、夫々の一人の独立した「独り」が狭い範囲の特定ではなく、不特定多数の社会や国、あるいは世界の一部分として自覚した行動をとることが大切だとの認識だった。ここでは台湾と日本との関係、そして大陸を含めたアジアの経綸の存在如何を人物に探る訪問だった。




          




それは、東京の大使館にあたる台北中日経済文化代表処の文化組陳組長の兄である外交部長(外務大臣のあたる)との面会のための訪問だった。
以前、陳組長の言葉からだった。
兄は米国留学を終えて郷里の台南県の知事になったとき、李総統から政府に入るように促されたが、まだ郷里の人たちのために働きたい・・」との言葉が耳についていた。
そして政権が代わり外交部長になった。




             

      ゛人物を探しに参りました゛と・・・




今回は諜報事件の処理で急遽渡米したため外交部次長との面会になった。

中正国際空港に降りたときから外語大出身の伴さんが頼りである。その伴さんが耳寄りな話を聴かせてくれた。土産物屋の店員の語った内容だが、まさに人を得ることの意味を実感させる。
「どうせ赤も青も同じだよ」
国民党も民進党も同じだということだ。







             
 
       一番先に訪れたのは「六士先生の墓」です
                        大塚寿昭氏




国民党の赤の保守、利権、民進党の青の進取 汚職浪費撲滅が印象だが、後だしジャンケン宜しく、それこそ社会構造や民情を変化させた後の政策遂行ゆえ民進党も難儀である。
しかもポケットは双方にある。ポケットとは利権の時とともに昂進する汚職の誘いである。
何処でも当初の歓心は不満に転化するのが常だ。男がだらしないからと女に天下を委ねると混乱すると歴史が示すが逆もある。男と女の対比ではあるが経年劣化は水の流れのようでもある。

細かいことを非難しても、゛ならばお前が変わってやってみな゛といわれて大向うからも無責任な後押しされても、国民等しく食い荒らした片付けは大変だろうし、次の飯も用意しなければならない。まずは掃除をする習慣と喰うときの行儀を直さなければならないが、流動的な政治に次の飯の定番メニューを読み上げられてはたまったものではない。
「お前、言ったじゃないか・・」と、大人の、゛ほじくり゛゛いいわけ゛児戯が毎度のこと再演される。



             

     国立の研究所で唯一人の日本研究者と
                    右   伴 武澄氏




日本の政権交代も落城と入城、入れるものは決まっているし兵糧もない。検地と刀狩、年貢も弛緩している。ならば開拓したり、他所の領地に行くも、糖尿病と生活習慣病、働かない自由と平和愛好家では手も足も出ない。

あの時、国民党の領袖であった蒋介石は国民運動をしている。国民党が大陸を追われたのは国の維(国維)が弛緩したために腐敗堕落して民衆から遊離したためだ、と「新生活運動」という道徳清風運動を提唱している。先ずは綱紀粛正と政治の信頼回復だ。
金を配るだけでは国民が怠惰になり貪る心が助長する。そのための国家を挙げての道徳運動の提唱だった。一時は反目していた息子経国も意をともにして協力している。

だが、効果はあったが、「権力者の飾りつけ」と揶揄する国民を連帯させることは難しかった。蒋介石に連なるものにとって権力は美味しいものなのである。総統の死後、米国に渡った妻は時折チャーター便で帰国し、故宮博物院の財を物色したとの噂も立った。

その後の民進党も総統の縁者の収賄容疑で裁判にかけられている。





                 

        辛亥革命の戦闘地恵洲 山田良政はこの戦闘で殉死している







二大政党制も聞こえは好いが、携る人物の名利にたいする向心性は何らかわりなく、言い訳も五十歩百歩だ。韓国などは大統領が代わるたびに前大統領を糾弾する。とくに本人ならず身内への情を超えた名利の誘いは引きもきらず、まるで我が国の交通違反のごとき微罪でも金が動くように、いたるところ政、官、軍を蝕んでいる。

人の心の筋を考えると、統制的な経済下における二大政党へのおもいと、゛食い扶持゛、゛やりたいこと゛、の放埓民主主義下の政権交代は欲望の交差が複雑になり、いずれカオス(混沌)のような国情になることは必然である。

あの元羽田総理が若かりし頃、腕まくりして小選挙区制に邁進していたころは熱病といわれようと、その結果として成るだろう二大政党制による政権交代への緊張感があった。
当時は「矛盾を感じとり現況を正す」と、直感したときは有効性があったが、浮俗が糜爛したり、外交、とくに曲がりなりにも世界の長(おさ)の存在が茫洋としている昨今である。

それは、人の欲望のコントロールが環境や核という問題として顕在化し、政治の及ぼす範囲が少なくなりながら、欲望の交差点への依頼心が増加するといったような、゛わがまま民主゛が巡り廻って民の怨嗟や不満として滞留してしまう現象がある。
欲望と不満と怨嗟と依頼のスパイラル的循環は止め処もなく、何れの部分も矮小化された検証ゆえに俯瞰した解決方法が見出せないでいる。




                






「小人の学は利にすすむ」「上下交々利をとれば国危うし」
欲望が我利に向かうと、その利の動きによって裁かれる
「利は裁制」ともいう。

また往々にして
「小人、利に集い、利、薄ければ散ず」、そこに゛寄らば大樹゛のような群れる行動が国家観をオボロゲニさせ、信仰のようになった財貨への志向が唯一の生きがいのようになっている。

人間の動向やたどり着く道を推考して添加物なり触媒を与えると現在のようになる。
いつごろからか、誠に聴き易い世界的スローガンが刷り込まれた。だれも反対しない、いやできない麗句を散りばめ民族を超えて浸透する。
とくに、経済的欲求の亢進によって思索と観照、あるいは精霊の在り様を感じ取れなくなった人々は面白いようにそれを謳い賛美する。

また、それを人々の仮の連帯と錯覚し身近な存在である家族、縁者も功利的な関係にしてグローバルかつ架空な連帯を模索し始めた。

とくに愛と平和に順化しやすい西洋とは異なり、人の情と縁、自然などの抗することの出来ないもの力には諦観という心の順化、そして平和とは争いの隙間であり安寧こそ万世の願いと考える東洋的な感受には合理的に分断や排除が具現される政治の争論には一歩退いたり、生活とは分別する知恵が備わっている。

それゆえ、東洋のいう「力」の考え方を対比したとき、異質ともおもわれる議会制民主主義という選別排除を是とする形態に違和感を覚えるのである。それは、現実を否定するものではないし、かといって合理性、実証性からいえば、オボロゲな判別しか出来ないと思われている人間の「人物」とか「人格」とかいう人の倣いの範をみるとき、この劣化は人の織り成す歴史を俯瞰してみるまでもなく、あらゆる場面で影を落としている

合理的と喧伝されている言動やシステムが人間の「情」や「徳心」を無用なものとして遊離させ、欲望のコントロールを官警に依存し、分配は税に依存する人の在り様は、特定の環境に依存し生活するための知恵である掟、習慣を衰亡させ、社会の基礎的な力である人びとの調和や連帯を微かなものとしている。

人物の涵養とか学問を修めるということではないが、自民党の谷垣氏は「みんなでやろうぜ」、戻れば麻生氏は「さもしい」、福田氏は「あなた方とは違う(立場が)」陣笠とは違う立場が作る長(おさ)の登覧した観かただろう。






                  





しかし、国民は「個人」とか「個性」を謳い上げていることとは逆に群行群止するようになった。人は失いそうなもの、あるいは無いものがあるとき衆を恃んで謳い上げる。

反核、人権、平和、平等、個の確立、環境、みな反古になったり、亡くなりそうなものだ。
おかしなことにこの様なことを唱えても、崇高?な議会制民主主義という掴みどころのないスローガンを維持する票にはならない。

人々はそんな状況は百も承知だが、他人の貰い扶持、食い扶持への嫉妬と怨嗟と、綺麗なもの見たさを混在させたりして、自と分の峻別がオボロゲになっている。

「どうせ赤も青も同じだよ」
税金も払うし、投票も行く、どうでもいいが、干渉しないでくれ。そんな思いが感じられる。

やはり彼の民族の「人情、国法より重し」を実感するところでもあるが、「重し」はアカデミックな考察から排除される、いや無理解に過ごされるようだ。
だか、これを以って創めて、民族や国や法があるという、まさに到達した科学である。

元の宰相、耶律楚材は「一利を興すは一害を除くに如かず」と、経国の要諦を説く。
「害」は有用に比した無用なものではない。また「利」は害を生むことかある。

真の害は心中の賊を発見して自らが覚醒することにある。
それは外の賊が寄り付かないことでもある。

その意味では似て非なる権力ではあるが、赤も青も同じだということがよく解る。
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革命余話    孫文と約束した桜の宴  09  3  31再

2015-03-18 11:52:35 | Weblog
 


孫文は革命のさなか、日本滞在を懐かしむように四季がおりなす風情と、それに感応する日本人の人情について山田と語らっている。
 潜伏先の海妻邸から眺める頭山邸の桜や、車窓から見た富士山、山々のみどりや渓流のせせらぎや澄み切った清流が、確信はしているが時折気弱にもなる亡命生活を余儀なくされていた孫文にとって、日本朝野の有志の純情とあいまって忘れることができない情景でもあった。




晩年の山田



 亡命も含め、革命遅滞の遠因ともなった一部の功利的日本人や、終始孫文を侮り続けた日本政府の姿ではあるが、アジア諸民族から光明とおもわれたあのときの真の日本人への回顧と、その精神を培った四季の風情に思いをおこし山田に再三語りかけている。
         
 山田兄弟の育った津軽の環境や、年老いた両親のこと、良政の妻敏子の生活についても孫文は尋ねている。兄を亡くした純三郎の心情を思いはかった孫文らしい優しさではあるが、自分と同様なおもいで日本を憂慮し、それでも日本および日本人に賭けたアジアの将来計画が捨て切れなかった山田との共感する吐息でもあった。



               
     
              恵州で殉難した山田の兄 良政



 山田は郷里弘前の雪と桜を話題によく話している。 とくに岩木山から眺める県境の山々、弘前城の桜の宴、友と明かしたねぷた祭りのことなど、孫文は満開の桜の宴から眺める岩木山の冠雪は津軽の誇る絶景だということを知っている。

 革命成就の暁には、城内や山田家の菩提寺貞昌寺の桜の巨木に包まれ、兄良政を懐かしんでの酒宴を思いを馳せた孫文と純三郎であった。弘前訪問は叶わぬ旅ではあったが孫文は山田の父、浩蔵翁に「若我父」(我が父の若し)との心情を込めて呈上している。浩蔵翁はつねにその額の下で毅然と端座していた。



              



 アジアの憂慮と隣国の危機を我がことのように挺身した精神は、陸羯南が喝破した名山の純白な雪と桜花に育まれた弘前で培われアジアに開花した。
 そして、あの毛沢東、蒋介石会談の直前挫折の際に佐藤に言を含めた
 


             

           中華人民共和国、台湾の国父 孫文 天安門にて



孫さんは、革命は九十九回失敗しても最後に成功すればいいと言っている。民族の融和とアジアの将来を賭けた大事業は、いずれ志を継いだ人間の意志に任せるしかない。そのうち孫さんのように国家民族に囚われないアジアの大経綸を唱える人間が現れるはずだ。慎ちゃん(佐藤)それは日本人かもしれない。いや明治維新を成し遂げたとき西欧列強の価値観に蹂躙されていた全アジア民族の光明であったあの日本人の姿が 再度、よみがえるならその資格はある。孫さんがいつも言っていた。日本人が真の日本人に立ち戻ってアジア民族のために協力するならアジア民族はこぞって歓迎する。慎ちゃん僕はもう年だ。世界に通用する立派な日本人を育ててくれ」               
               谷中 全生庵




             
      
               直筆の草稿


 佐藤は伯父山田の意志と孫文が「その志、東方に嗣ぐものあらんことを」と良政の頌徳碑(左=孫文直筆の頌徳文)に結んだ言葉を、今、アジアに歓迎される日本人像として継ごうとしている。孫文の意志が継承され、日本と支那が提携しアジア民族の安寧と世界の平和を希求したとき、覇道を抱く勢力ですら妨害を許さない地域民族の連帯が興っただろう。

 いや、アジア全体がその革命意志を保全の心として侵入を許さないだろう。
 佐藤は今でも思い描いていることがある。それは桜の下、再来孫文を囲んで若者達とアジアの将来を語り合うような桜花舞うアジアの春の招来である。
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人間考学   応答反応からみる「おそれ」の気質 14 6/24 再

2015-03-13 10:00:48 | Weblog
中国近代化の魁であった辛亥革命で唯一日本人として戦闘で亡くなった山田良政
外国人なら殺されなかったが、あえて「中国人だ」と云って恵州で亡くなっている
弟純三郎は孫文の側近として、妻慶玲と二人で臨終の場に立ち会っている




山田と孫文





この時の稿から9か月経った現在、よりその姿が顕著になった

後はしがみ付くか、恬淡として途に入るか、それによって真の人物が量れる

いや、量ったからこそ、あの時そう考えたのだ

いくら大衆の変化が早くなったといっても、マックやソニー・任天堂とは政治は違うが、似てきた。

共通することは戦後体制(レジーム)を基に大衆の遊惰な情をチョイスしたような商いだが、それも政治と似ている。

戦後レジームは憲法や経済が大国に順化することで護られた。

小心な恐れっ子が大男の脇の下から顔をのぞかせて吠えている、そんな姿だ。

人を許す度量と外の視野より内心の視野を広げれば、信頼も広がるのだが・・・・・

やはり、辞めたら悔やむのもこの種の人だ。

「就任したら、辞める時のことを考える」とは、某氏に説いた安岡氏の言だ。




以下 14 6/24 再


標題は人物の好悪ではない。また宰相位を貶めるものではない

この兆候が人的、時流の環境によってバランスを失い、特質がより明確に浮かび上がるからである



人の実像が薄くなった情報化(虚偽交えた)の世界でも、人物を観ることは政経問わず事業の盛衰に大きく関わっている。吉川英治が武蔵に語らせた「目で見るな,観でみろ」は、小説中の主人公のイメージをトレースした安岡正篤氏の言である。
吉川英治は挿絵作家の新井洞源、安岡正篤とときおり酔譚を悦んでいる。牡丹の枯枝を囲炉裏で焚いて「牡丹焚き」などと洒落ているが、語るは安岡、後の二人は酒の相伴だ。
とくに剣道に一家言があり、四条畷中学では剣豪でならしている安岡の体験浸透された一言は聴くものを魅了する。それが「剣も人物も人間の視覚器官だけでなく、多面的、根本的にみることが肝要」という氏の人間学の妙味ある解説にもなっている。
宰相に当てはめれば、要は出自、地位、名誉、学校歴、財力のみの錯覚価値で量ることは、国家に危機を招来する人物観だと云っている。






安岡正篤氏




古典(昔ハナシ)や現代の格言、あるいは江戸庶民の川柳でも「人物の観方」を則として表している。リズムをとるような「清く、正しく、美しく」の三連もあるが、こと政治任用には「観人則」が引用される。それは前に書いた出自や学校歴、財などは人格、とくに土壇場の覚悟など、人格識見を何ら代表せず、有るに越したことはないくらいの附属性価値に翻ろうされ易い世情の覚醒を促したものだろう。

地位が上がったらどんな部下を登用するか
財(予算)を持ったら、どのような使い方をするか
友達はどのような人物を選ぶのか


浮俗では、
儲けたらどんな使い方をするか
どんな女性を好むのか
酒を飲んだらどのように変わるのか


女性については女房を見てもその男の器量は量れない、どんな女を好み遊興の連れにしているかでわかると洒落者は説く。

等々、観人は、三則、五則、十則と、成文化された法を超えて人を判別するそれぞれの基準になっている。もちろん異民族との交誼になれば感覚が違う。賄賂は「人情を贈る」とし、贈り、貰うで仲間となり、納めなければ仲間ではなく、大人(たいじん)でなく、小人(しょうじん)と嘲られたりする。土壇場においても四角四面の日本人とは大きく異なる資質がある。

その小人だが、これは異民族とて普遍的感情がある。
沈着冷静(堂々としてる)で腰(思考の座標)が落ち着いている大人、小人はその逆だ。
思考は柔軟性がない、有るとしても朝令暮改で回りを混乱させる。困ると一人固まって原因を他に求める。敵味方の峻別ではなく、現世の都合で区別をするために歴史に耐えず、その小局的部分観察で政治経綸さえ求められない。






石原莞爾直筆 「戦争史大観」弘前養生会蔵




その結果はよくこのコラムで書く「五寒」に説く、
政外・・・(政策のピントがずれる)、内外・・・(内が騒然として治まらないので外に目を向ける)、謀弛・・・(ボウチ 政策が官吏の本綱がゆるむ)。敬重・・・(敬いの心がなくなり社会は調和を無くす)、女(ジョライ 女性が烈しくなる)

それらが社会を覆い、暗雲となって亡国に導かれる。好悪は別にして戦前の国風は似たようなものだった、加えて現在もそのようになっている。
そのような時の宰相は過度な恐れを抱かない人物を必要とする。
恐れは、畏怖を抱くような人物を忘却した時に発生し、それは自身そのものを知らぬためにおきる心の欠陥のようなものだ。自由行き着くところ孤独の恐れだ。権力の行きつくところ忘却されることへの恐れだ。だから権力者は目立つ政策(パフォーマンス)や大衆迎合を恥としないのだ。逆に無名有力は恐れを感じない。孤独を悦び、阿諛迎合しない。
あの頃は、なんて妙な事だと思っていたが、「無名有力」を耳たこのように筆者に繰り返した安岡氏の言が今更ながら実感する。


宰相の怖がり気質は過大に軍備を整え、軍官吏の増殖を生じ、その昂揚は沸点を低下させ、許容量の狭さは忍耐の器を超えて溢れだし、武威を誇らずにはいられなくなる。肉体的衝撃を恐れる宰相は軍官吏を統合制御できなくなり、為政のコントロールを失う。
宰相の涵養すべきことは政策の説明技巧ではなく、剛毅の背景にある独立した鎮考と覚悟の姿である。

中国も韓国も日本も宰相は革命第二世代、つまり、第一世代の為政判断の根底にある戦禍や、それら伴う肉体的衝撃の体感はない。共通することは現実の問題に翻弄され将来を逆賭する余裕がないことだ。「逆賭」は、将来起こることを想定して事前に対処することだが、先見力とは似て非なる為政者の俯瞰力と実行力がその要となる。しかもその将来は、つねに自国のみならず近隣との友誼と安寧を考えるものでなければ、権力護持などの我欲だけが先行してしまう危険がある。

宰相には単なる知力や情報力だけでなく、深い情緒と教養が必要になってくる。
もともと天子を輔弼する人物は、それを具現、体現し政治の要諦である「教」を以て国民を教化することである。教養の「教」は行為によって学びとなり、「養」は自身に浸透させることと、人々を養うことでもある。政治に当てはめれば、「教」は我が身を以て示し、「養」は税の効率的運用によって社会を潤すことだろう。
教養のある人物とはそのような人格を磨いだ人間であり、単に知った、覚えた類の数値比較では人物を量ることはできるはずもない。







弘前子ども議会の真剣な討議


ただ、近ごろの議会制民主主義は、知った、覚えた、あるいは暗誦によって数値を得た人間の氾濫によってその姿を成していないようだ。しかも法の下僕になり、これまた法官吏に弄ばれている選良が多い。硬直化、四角四面と揶揄される政治風土は、まさに法官吏の下僕の証でもあろう。討論が、証拠、論拠に拘泥するために停滞するのはそれが因だが、要は人を信じられないために起きる人災のようなものだ。
言論は軽薄になり、騒然となり、法は簡潔明瞭さを失い、まるで国民からすれば明治の「ブンブ、ブンブ(文武)・・・」と揶揄された、頭の上で飛び交うハエのような状況である。よって政権はそれがストレスとなり柔軟性を無くし、機を見て間隙をつくように猪突猛進する。しかも恐れ気質がそれを後押しする。


よく、ことを突き詰めると己の首を絞めつけかねない、というが、隣国の古典を借りれば、「直にして礼なくば、すなわち絞なり」、つまり、想定する煩悶が中国なら、現在我が国の政府が突き進んでいる集団的自衛権もそれに当てはまるだろう。
しかも、中国や韓国が連携して突き付ける諸問題も、いずれ自らを絞める(選択肢の自由を失う)ことになるはずだ。
選択肢が狭まり、いつの間にか戦争になった例は数多あるが、遮眼帯をはめた競走馬がわき目も振らず直進する姿は、周囲(国民の意識)すら目に入らないだろう。



際限のない欲望は様々だが、収斂すれば食料と異性に対する欲情、財貨、 (食、色、財)だが、近ごろの日本人に聴くと、「これが自由に叶うなら勉強も仕事もしない」という。
だだ、そこには自制心は乏しさもあるが、総ての欲を競争するだけでなく、無くなった時のことまで心配して、有る時に、有るがままに蓄積する姿は単なる欲望だけでなく、「おそれ」がある。それは貧困欠乏からの切迫感だけではなく、もともと恐れや不安の病的心理が災いしているのではないだろうか











たとえば、10人倒すために100人を用意する陣構えがある。また完膚なきまでに切り刻み、終いには皆で食べてしまう抹殺もある。これを虐殺というが、もとは「恐れ」だ。
あの孔子の弟子の子路も喰われている。

その大勢の軍と、暴虐な意味族の性癖を恐れるようなら、宰相は務まらない。
つまり、内を忘れて外を恐れる愚は、国は衰亡する。もし政策進言があるのなら総理の観人の座標がぶれている。
数年前の若者アンケートでは、「求めるものは金」、「戦争が起きたら逃げる」この割合が一番多かったのは諸国と比較して日本が断トツだった。
つまり、政治のピントがずれ、外に威を唱える、許容、多面性に似たタコ足対策なのだ。


先ずは己を知り、国民を信じて恐れことではない。知るということは、この場合、土壇場の肉体的衝撃を想定することだ
畏敬の存在の忠恕を学び、軍事経済など、数値評価の表層国力ではなく、深層の国力というべき情緒を見るでなく、観ることだ。下世話の言だが、バイキングで食い残すことではなく、一汁一菜の節度を悦ぶべきだ。それには前例に執着せず,善例の創造を部下に指示したらいいだろう

宰相の観人則とはそのようなものだ。
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詭弁の「乗数効果」、そして後藤は人を活かして「超数的能率」 2011 11再

2015-03-10 17:26:39 | Weblog
弘前 山田良政 霊墓




いっとき管君がこれでやられた。

かといって、知らなくても別段問題はない。かれらも黒板に書かれた表層をたどって丸暗記したものだからだ。なぜなら正の乗数効果と、負のそれが解らない。かれらは負の乗数効果を妥当と錯覚して追い求めている。つまり国民に妙な成功価値、幸せ価値を植え付け、馴らしているからだ。


ただ管君はアカデミックな言葉は知らなかっただけだが、政治家の離合集散における乗数効果はお手のものであった。

敗戦国の憂き目を味あう外交交渉は対日年次要望書という強圧によって、経済の基礎的条件(ファンダメンタル)まで変えさせられ、巧妙に資財は流れ出る仕組みになった。

またその憂き目は公務員まで独立自尊の精神を失くし、遠大な目標すら描けず、外来の教科書経済論に随って乗数の基礎となる数値までが外来の基準を標準化した。

それを以て、知っているか否かを上司たる総理に問う愚かさは、亡国のエリートが政治を壟断する古今の歴史を垣間見るようで恐ろしい限りだ。国民とて官吏が総理を辱める姿を面白おかしく眺めている始末だ。

とどのつまり、食い散らかした後かたずけとカラになった財布は、小遣い銭をねだるような始末に負えない官徒によって政治家は鼻面をひかれ増税の水を飲まされ、国民は、゛仕方がない゛と、呆然と眺めるだけになった。


「小人、利に集い、利薄ければ散ず」
小者は利の臭いに目ざとく、利(力)が衰えれば離れる、

考えれば選挙制度なども政権側の継続的維持のために図った仕組みだが、浮気性の国民はその仕組みさえ別の要因でひっくり返す。年金とスキャンダルだ。
突き詰めれば大きな勢力による専制、つまり同じ党でも思惑がバラバラで纏まりがつかなくなり外交や税制すら決められなく、終には候補者の選任を党が行うという、国民にとっては衰退の選択すらなくなった小選挙区制による議員の生存与奪権の党一極集中化にもなった。

向かうところは憲法改正ではあろうが、仕組みは宜しくとも人間が成っていなければ食い扶持や便宜供与ですぐにひっくり返る代物だ。それくらい卑しくもなっている。

官吏とて、゛今のままがいい゛と、無理もせず傍観している。これもしたたかだ。

怠惰や堕落の兆候も世上に表れたとたんに「乗数効果」のように、100が500効果となって、ここでは蔓延効果がはびこっている。天下りによる組織権益の増殖などは、まさに乗数効果である。

彼らのその位置をまんまと占めた結果、法によるガードは国民に向かっている。同じ理屈の土俵に乗った議員などは情報の栓を閉められればギブアップである。







岩木山神社  2011 12 16





あの大阪の橋下君は維新を唱える
いまの法の在り様を是正して新法をつくり対抗しようとしている。あのレーニンも、「その行動は法に違反する・・」と忠告されたとき、「革命は現在の法を無とする、つまり無法が革命だ・・」と既存の法体系にこだわりない行動を推進した。

翻って維新は「維」を新たにすることだ。「維」は国家の縦軸の様なもので、現在観の横線はスパイラルのように縦軸に絡みついている。この連綿と続いている縦軸を折ったり、入れ替えることが革命である。橋下君の維新は、縦軸に絡みついた人の模様、つまり怠惰堕落に陥った既得権をはぎ取り、すっきりした「維」を明確に表して、新たな縦軸に寄り添い、守り,護られる覆いを作ろうとする新風運動でもある。

台湾でも蒋介石、維国総統が「新生活運動」を行っている。公務員の綱紀粛正、国民の道徳喚起を柱とした整風運動だ。「風」は趣、装い、香、などだが、異郷に我が身を浸してみると社会の情勢、人の姿、落ち着きなど異なりを以て感じたり察したりすることがある。単に雰囲気としての印象はあっても、それを支える表層の経済や政治の姿とは別に、往々にしてそれを司る官吏の意識で国情は変化するものだ。

たとえば官吏の賄賂だ。高官や政治家が汚職を働けば国民はそれら倣い、また国家に怨嗟の気持ちをもち愛国心などはお題目になるが、官吏の汚職は社会の喧騒を招き、公徳心すら毀損する。しかも人々が信じられない世界が表れるようになる。

汚職といっても大金ではない。せいぜい税関や郵便局、役所、それと警察官だ。
それらの国は、国民も分かっている。その点「人情を贈る」ぐらいの気持ちだろう。
物でなければ、「風」を忌まわしくさせるのは怠惰である。手続きの遅延や滞貨である。



我が国はどうだろう。賄賂はないが罰金の種別の多さと法の煩雑さは諸外国でもずば抜けている。街には制服警察官が溢れ各々交通切符を抱えている。昔は家族駐在があったが、こんなことをしたら防犯や非行防止の協力さえ得られない。街での精励勤務の姿の現示はいいが、罰金徴収の勤務評定はいかがなものだろうか。

狡猾な官吏は坂道に隠れてスピード違反の切符を切っている。これでは坂道を作ったり、車が増えれば罰金の乗数効果があるということだ。筆者の懇意なある警視庁高幹部も捕捉され「こんなところで・・」と嘆息していた。そもそも坂道で捕捉するのは日本だけではあるが数値は上がる。まず欧米ではアンフエアーな行為だ。

なにも交通安全、法令順守に掉さすつもりはないが、面前権力の姿として一番目立つその立場からすれば「風」の乱れを考慮すべきことだ。

税にもいえる。財政健全と首長が騒げば、我が身を切らず、サラ金の取りたてのように税官吏が法の平等を屏風にして恫喝する。御上の財布は膨らみ市井はしぼむ、税も上がらず、当然のスパイラルだ。
事情は忖度することなく「差し押さえするよ」、しかもその金利は延滞税と称して14%で、経費にもならない。
これも税収や罰金徴収が順調なら上司からも数値を責められず、だが国民は複雑だ。
それも、政策が善くて、経済にまともな乗数効果が発揮できればのことだが・・・

この二大面前権力は「江戸の仇は長崎で・・」のようで、国民は逆らうことができない。
これが、我が国の「風」だ。おとなしく、押し黙り、我慢をする、そんな印象は当然だ。







後藤新平





さて元気な時もあった。

後藤新平は『一に人、二に人、三に人、その人が金を効果的に使えば「超数的能率」は必ず上がる。つまり国運は上がり人心は安定する』と言った。
金が人を駆使するものでなく、人が金を産み、活かし、それが数字を超えた能率を高める、と言っている。
「乗数効果」と「超数的能率」、前は数値計算、後の方は人の資質如何で増大する。


つまり、官吏の能力によって数値の効果は観測を超えることができるということだ。

明治はことのほかリーダーは人物眼を要求された。それは地位、名誉、財力、学校歴という人格となんら関係性の無い附属性価値を避け、目的を共有し、使命、責任を全うできる人物の登用をまず国政の要にしたのだ。
もちろん経済界、教育界もそれら倣う。
しかし、人品骨柄を問わざるを得ない環境に堕した、それは人間の質といってもいい。

これは物資量や国力を補う精神論に置き換える時代状況だと愚者は狭い抗論をするが、もともと官制学カリキュラムには人間そのものを知る、つまり己の座標を確かめ自らを明らかにする(明徳)という「大学」(官制学歴に有る大学校ではない)の就学目標が、「食い扶持安定目標」に堕したために無知錯覚した徒には理解の淵にも届かない状態になってしまった。それは「人間考学」から生ずる英知の欠落でもあった。

そもそも「人間考学」は、教える者もいなければ、学んでも金にも安定担保にもならないと考えられているが、ブロイラーはつよく善い卵は必要ない。ただ大量に見栄えのいい卵が必要なだけだ。

認知しているかどうかわからないが、名古屋の河村市長も橋下君も国家の下座観から推考している。余談だが公務員上級試験に「空間推理」「数的推理」「判断推理」がある。
だが、狭い度量、目的意識の欠如、はたまた偏執、変態の類は計ることなく数値評価のみが支配する。もちろん公徳心や愛郷心などはかえつて邪魔で無意味な感情だろう。

とくに、経国に必須な「先見」や「逆賭」、あるいは「地球俯瞰」、「歴史事象の賢察」など、ゼネラリストとしての養成が欠落している。ただ海外研修や官官交流、渡り職でお茶を濁しているだけだ。

だが、安定職と食い扶持のタックス・イ―タ―任官試験ゆえに通過したら忘れる類だが、後藤の言う、「一に人、二に人・・・」の類は微塵もない。
公徳心や使命感、責任感の乗数効果も、相乗効果すらない。

どの社会もそうだが、部分分担に調和と連結が無ければ総和は図れない。
天に唾する拙い考察だが、ここでは後藤新平の慧眼と逆賭に今を観るようだ。

人物如何で超数的能率の効果は国家の盛衰を示す。

だれでも分かっていることだが・・・・
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安岡正篤の鎮考する撰文   12  5/12 再

2015-03-09 12:12:52 | Weblog


戦後70年の談話を出すという。どうも時間を掛けすぎるせいか四方八方から、いずれ浮俗に没するような売文の輩や言論貴族、はたまた卑屈な迎合議員が種々の意見を発している。
親和や連帯の心根などなく、だだ言い放しに当事者である安倍さんも模様眺めをしている風を見せているが、官吏のブロックを重ねたような作文に、御用教授や弁護士が添削をするのが近ごろの政治用文のようだ。
「談話」は舌が上下、つまり言う「話(ハナシ)」だが、吾を言う「語り」ではない。そもそも談話はある事柄について自由にものを言うことだ。もし相手の心象を思い測ったなら、あくまで自身の考えだと断ればいいことだ。

他人がああだこうだと時間を弄すれば相手衆から不審がられ、終いには自身の自由を失くしドツボにはまる。
宰相なら独りで鎮考し意見を発することだ。慎みもなく、ときに高邁になった為政者は独り静かに考えることを無くすようだが、談話が成文化されると瑕疵や矛盾を突っつく徒のことを心配するなら、出さなければ良いことだ。




【本文】

また、撰文で騒いでいる
いつも浮俗の俎上にのせて様子見眺めをするが,まとまったためしがない。

ことは憲法前文のことである
理由は敗戦時に忸怩たる思いで受け入れたという憲法の改正についてである。
近ごろでは張本人の米国識者も、日本の憲法は時節の変わった今、これでは米国の良き協力者にはならない。憲法を改正したほうが好いというが、これを米国からの援軍とおもうか、恰好だけでも独立自尊を考慮してお節介とみるか、どうもあの当時と変化はない。

変えるべきははっきりしない民癖と騒がしい世情を操る「自由観」「民主観」「平等観」の「観」だろう

改正はもちろんその通りだが、どうも胡散臭い。
何年か前に色々な前文案が出た。中曽根試案というものもあったが、「我々は・・」と団塊の学生運動の臭いがする新聞記者が書いた説明調もあったが、市民革命の熱気がくすぶるような文だった。

憲法は邦のすすむべき理念となるものだ

また憲法九条が争論となっているが、もともと軍閥や硬直した官吏が暗雲として時代を支配していたことが、頸木を除く意味で多くの人々が納得した条文である。当時、国民ははその構造転換を憲法に望んでいた。自衛権だの交戦などはさらさら念頭にはなく、これさえ認めれば鬼(GHQ)の歓心を受けるという阿諛迎合の徒もいたが、この種の人間は往々にして弱きものには四角四面の薄情な態度で応ずる官吏や知識人が多いが、その系列を踏むものが時流や大国に再び迎合している。

マッカーサーのせいではない、日本人が弱かったのだ。翻ってドイツはあらゆる押しつけにNOと言っている。とくに教育問題についてだ。唯々諾々と受け入れた日本に教育はどうだっただろう。

これもマッカーサーのせいか。あの離任の折、歓呼で送った人々は隣国のように、こすく、したたかだったのか。撰文などは御用学者が頭を揃えてもできるわけもない。法律のごとく狡知で骨抜きやあいまい解釈を企てるだけだ。

それらには憲法前文などは、端からつくれない。撰文する情緒もないはずだ。だだ、いたずらに時と知労を稼ぐだけだろう。

乱暴だが、前文の撰文は和歌詠みのごとく数刻、瞬時につくるものだ。時と金はそのように使うものではない。









安岡正篤氏は時節の岐路に多くの撰文や監修を遺している。
古人は「文は経国の大業にして、不朽の盛事なり」と遺した。
もちろん天皇の御詠みになる和歌もそうだろう。

よく偽装弟子と称するものの屏風に安岡氏のエピソードが飾られる。

終戦の詔勅に朱(添削)を入れた
元号「平成」の起草者
中華民国(台湾)断交に際して蒋介石に親書撰文した
色々あるが、その理由の一つに依頼する側の訳がある。それは「安岡先生なら・・・」という安心と保全だ。

大久保利通の縁戚で内務大臣だった牧野伸顕にあてた多くの建策。そのなかで「天子論、官吏論」が賢読され多くの重臣に紹介された。その縁で宮中派であった近衛首相、そして海軍、大東亜省との関係を築き、終戦工作にもかかわり、牧野の縁戚吉田茂から「老師」と敬重され、その吉田の系列である保守本流の代議士から、゛頼り゛にされ多くの撰文や添削監修を依頼されている。

ここに頼めば安全で保全にもなるという安岡ブランドに対する、ある種安直な考えがあったようだ。

だだ、安岡氏は筆者に「代議士は人物二流でしか成れない」「いまは、デモクラシ―変じて、デモ・クレージーだ」と言い聞かせるように呟いたことがあった。

あるとき靖国神社出版の「世紀の自決」を案内されたことがあった。
その巻頭は本人が撰文したものだが、戦前戦後の経過を知る当人が数日を要して鎮考した文は何度読んでも新たな感慨が甦る。
「恩讐を超えて復(ふたた)縁が甦るとき・・」
まさに、終戦の詔勅に「万世のために太平をひらかんと欲す・・」と挿入した継続した意志が読み取れる撰文である。








薄学を顧みず縁者の頌徳文をお見せしたことがある。
そのときは安岡氏のことを良く知らなかった。だだ、近所の古老に連れられてきただけだった。「その頌徳文をもってきなさい」と言われただけだった。

三回読みなおしていた。十分くらい静寂だった。
「直して宜しいですか」
声も出さず頷くだけだったが、傍らの赤鉛筆を手に添削していた。またそれを二回ほど読みなおして頷いた。そして面前の小生を凝視して発した。
「文書は巧い下手ではない。君の至誠が何十年経て、人物によって目にしたとき、その至誠が伝わり、それによって意志が継続され世の中も覚醒する。文とはそのようなもので時節の知識に迎合したりするものは文でもなければ遺すことはできない」

虎やの羊羹をつまみながらの応答を取りまとめた内容だが、あの読み直す緊張感と集中力は、些細な対象でも真摯に向き合う厳しさと、初対面に係わらずいとも容易に応ずる優しさは、後日検索した巷間騒がれる氏の印象ではなかった。

そして「郷学を興しなさい」、それには「無名でいなさい、何よりも有力です」
嫡男の正明氏が講頭となり「郷学研修会」を発足した。

「父が描いたものはこの様なたおやかな集いです。目的をつくり、使命感を養い、そこからけわしい真剣な学問が自発的に始まるのです」

「父は単なる教育者であり、自身は求道者です、ですから教場の掲額には「我何人(われ、なにびとぞ)」と、自身を探究することを目的としたもので、ステータスや名利を獲得する道具にしてはいけません」

「いわんや、父の説や訓を寸借したり、我利に応用したりする方もおりますが、
それこそ学問の堕落だと云うでしょう。父は時局を観照して古典の栄枯盛衰を鑑としましたが、政局は語ることはありませんでした。あくまで人物の姿を見たのです」

「時流に迎合するな」「歴史を俯瞰して内省し、将来を逆賭する」

※ 「逆賭」将来を想定し、今打つべき策を講ずる

憲法前文はそのようなものだろう。なによりも陛下が声を発せられて御読みになってもおかしくない撰文であってほしい。

心を共にするとはそのような深慮が人々にとっても必要なのだ。

コメント (2)
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