おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

すでに と いまだ

2024-05-21 09:00:54 | 映画・ドラマ・本
「罪洗われ、待ち望む」~Washed and Waiting~
ウェスレー・ヒル著 岡谷和作訳 (いのちのことば社)

クリスチャンゲイとして生きるウエスレー・ヒルが書いた著書です。発売と同時に買って読みました。詳しい内容については、3月12日の『クリスチャン新聞』(いのちのことば社)(←リンク貼れなかった(・・?)で、西原智彦先生が丁寧に扱っていますので、そちらを読んでください。以下は私たちの教会の「牧会コラム」で私が書いたものです。

 最近読んで、いろいろと教えられ、考えさせられた本ですが、私はこのタイトルが好きです。私たちはすでに罪ゆるされ、主によって洗われている者です。そして、同時に完成される日を待ち望む者でもあります。
 今日は洗礼式でしたが、洗礼式はまさに、「罪の洗い」を象徴しています。私たちが、自分の罪を認め、悔い改め、イエスさまの十字架による罪の贖いを信じ、イエスさまの復活によって、新しいいのちをいただいたことの聖霊の証印です。「罪の洗い」は、すでに私たちに起こったことです!
 ところが、私たちは未だ、古い性質、罪の性質が残っていて、新しく生まれた私たちに日々戦いを挑んできます。そして、この罪の戦いにおいて、私たちは連戦連敗しているかもしれません。自分の力で戦うならそうでしょう。
 けれども、救われて神のものとなった私たちには、聖霊が与えられています。ペンテコステ以降、イエスさまを信じるすべての人に聖霊が注がれました。そして私たちが聖霊により頼むときに、私たちは日常の罪との戦いに、日々小さな勝利を経験して行くことになります。そして聖霊は、ますます私たちに、「神の聖さ」へのあこがれを育て、やがて御国で完全な聖さに与かる日を待ち望む者としてくださるのです!

 私はこの本を読みながら、なんだ、みんな同じじゃないかと思ったのです。私たちは、すでに救われていることへの揺るがない確信も持っています。けれども罪の性質が残っているので、今も善を行う能力はなく、私の心は絶えず悪へと傾きます。クリスチャンは皆、「すでに」と「いまだ」の狭間に生きているのです。
 だからこそ、ヒルが言うように、地上の教会(クリスチャンコミュニティ)は大きな意味を持ちます。同じ狭間を生きる私たちは、共に励まし合いながら、またみことばの説教で養われ、日々福音に立ち返る必要があります。ですから、ある人々を交わりから追い出したり、裁いたり、差別したりしてはいけないのです。彼らこそ性関係をともなわない友情が必要だからです。
 そしてその上で、終末への期待、あこがれが非常に重要な意味を持ちます。罪との戦いはやがて終わります。私たちは罪から、肉(古い性質)から完全に解放され、栄光のからだに変えられるのです。天の御国では娶ることも嫁ぐこともない世界です。彼らは、そこで本当の自由を得るのでしょう。それはストレートと言われる私たちも同じなのです。むしろ、私たちは彼らほどに、御国で完成されることを待ち望んでいるでしょうか?

 まだ、読んでいない人は読んでみたください。北海道で牧会している息子が、「この本は神学書だ」と言いました。しかもプロテスタント教会ではあまり深められていない、「独身」とか「教会の交わり」について、多くの示唆が与えられています。確かに、現代社会(教会も)には、独身者がたくさんいます。既婚者の私たちも、かつては独身だったし、伴侶にに先立たれれば独身になるのです。だからこそ、教会のコミュニティの持つ意味は、以前に増して大きくなっているのです。

長くなりました。覚書として。感謝主! 
コメント
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