マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

06.4.20  20年ぶりに、歌と対面!

2006-04-20 01:56:16 | 音楽
昼間TVから流れて来たのは、吉永小百合の歌声。それは20年以上前に偶然TVで見てメモを取ったっきり、でもハッキリと脳裏に残っていて、ふと鼻歌で甦ってくる歌だった。おおっ、それが目の前で流れているではナイカイナ!古い恋人と再会したような。慌ててそこいらのチラシに歌詞をメモる。こうなりゃ仕事も何もあきらめ、鑑賞モードに入る。終わってみると『青春のお通り』という変わった外題で、1965年日活作品。森永健次郎監督は記憶にある。中身は全く忘れていたので新鮮。冒頭の空撮は、数年前に完成した千里ニュータウンだそうだ。

    うれしさも哀しさも みんな二人のもの
    それだけで それだけで 何もいらない
    愛の雨 降れ、降れ、降れ
    君の心に 私の胸に
    青春の幸をのせて ああ
    今日も生きようよ

陳腐な青春歌謡と笑わば笑え、これを吉永小百合に歌われたら「ああ、そうや、よ~し頑張って生きよう」という気になるのである。こんな歌手いるかぇ?作曲は山本直純。「男はつらいよ」の、そして吉永小百合とは後年「ねむの木の子守唄(美智子皇后作詞)」で組む。小澤征爾も岩城弘之も同音異句に若き日、彼の才気には敵わなかったという。

この映画、なんと小百合は大阪弁。チャッカリスカヤと呼ばれる桜子(吉永小百合)は千里の友人宅に居候。濡れ手で粟をねらい、芦屋の豪邸に住む放送作家、藤村有弘(花登筺あたりがモデルか)宅のお手伝いに入る。女優の妻は吉村真理。ラストには稼ぎの少ない、頼りないと思っていた浜田光夫と結ばれる。千里の市場で桜子は、麦酒のアテに一瓶¥300のこのわた(安ッ!)を浜田に買わせる。ラストにまたこれが重要な役で出てくるのであるが…。

なかなか繋ぎも早くテンポがある。主題曲がアレンジを変えながら、何度も劇中リフレインされるから、自然とメロが体に入ってくる。スローなアコーディオンだったり。まさしく「男はつらいよ」での音の使い方を、既にここでやっていたのである。
「男は…」では是非、クライマックスで流れる「さくらのセレナーデ」に耳を傾けてほしい。これがあのシーンで使われるから泣けるのである。情感あふれ、シンプルでよく歌うメロディ、さすがは直純センセ。一万人の第九に関わりながら一度もご本人と会えず仕舞いだった。
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06.4.16  この春打ち止めは、又兵衛桜

2006-04-16 23:28:42 | Weblog
ああ、今年の桜も終わりだなぁ…と思うと、無性にある桜を見たくなった。そう思ったら矢も盾もたまらず、昼近くだというのに車を飛ばしてきた。
そこいらの行政の手で植えられたりした柔なヤツではなく、風の中に立つ一本桜。そこにデンと何百年と植わっている、いわばヌシみたいな桜の樹、こいつが見てみたかった。
2時間余りとちと遠かったが、奈良県の大宇陀(旧大宇陀町)本郷地区へ。本郷の瀧桜としても知られる「又兵衛桜」。樹齢ざっと300年っていうから元禄の頃。しだれ桜なので盛りにはこんもりと白く水しぶきをあげる瀧のように見えるのだ。桜の足元には桃の花が咲いて、可憐なピンクのベールである。ロゼワインなんぞを抜いたらさぞや楽しかろう。周囲は小川も流れる田園風景といいたいところだが、カメラマニアが多かった。

しかし、じっと対峙すると周囲の煩わしいものは忘れられる。ものすごい存在感、見事なり。見ているこちらが見られているような…。美しいには違いないが、ただただ諸手を挙げて愛でる気持ちにはなれぬ。超越した生命力というか、不気味な力を感じた。あれだけの花を咲かせるためには土の中からさぞや養分を何百年も吸い上げ続けて来たのだろう。そんな蓄積された気のようなものがあった。

京都円山公園の一本桜もそうだ。樹のすぐ側に見世物小屋がかかり、それが不気味な乱調の調和をみせていた。帰ってTVをつけると日本最古の樹齢1800年だかの桜の老木を救った人のドキュメントをやっていた。努力はかうが、もうお釈迦にしてやった方がいいんぢゃないのかな。樹木にも程のよさがあるんぢゃないか。樹の幹は醜く歪み、妖怪のようなおぞましさだった。そこ行くってぇと梅なんてのはぐっと淡白で姿がよくって香りがあって、まだ寒いから人も少なくて。
昔の日本人は梅の方を尊んだって言うぢゃないか。さすがッ、菅原道真公、目の付けどころがちがう!菅ダンナ!しかし…桜を見に行って梅のよさを知るなんて言ってたら、夢に又兵衛の樹の精みたいなのが出てきて、食い殺されそうである。
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06.4.15  続編! 怖いよ、スペードおじさん!

2006-04-15 17:45:03 | カントリー
曲目で言うと、「Cowbell Polka」「Yodeling Polka」「Topeka Polka」など、特にフィドルが主旋律を取るポルカが冴えてるなぁ。それに「Cowboy Waltz」などの女性ボーカルが耳ざわりもよく、昔の映画っぽくていい。低音の魅力テックス・ウィリアムス(後年、代表作「Smoke!Smoke!Smoke that Cigallete」をヒットさせる)も実にポップである。
映画のワンシーンでクーリーは「Boiled Cabbege Down」を弾いていたが、悪漢の肩に自分のフィドルのヘッドを乗せて、笑みを浮かべながらひたすら弾き続けるクーリーの有様に不気味なものを感じた。なんだろう、この鬼気迫るしつこさは…。だが、その計り知れない気色の悪さは、直感的に当たっていたといえるのだ。

Ella Mae Evansは彼のバンドのクラリネット吹きだった。45年、バンドリーダーとして絶頂だった時代、エラはクーリーの2番目のワイフの座に納まる。
50年代になるとプレスリーの登場で、ミュージックシーンは一挙にロカビリーへと流動し出す。Western Swingも安泰ではなく、興行的にロカビリー的要素を加味しなくてはいけなくなった。柔軟にこなせるバンドもあった反面、キングと名のつく老舗バンドはそう易々と宗旨替えできるもんぢゃない。
◆「冗談ぢゃねぇや、べらぼうめ!あんなコテコテの髪の毛して、腰振りやがってよ!え?メンフィスのエルビスだぁ?エビオスみてぇな顔しやがって!そんな真似なんてできるかってんだ。おい、かかぁ、酒だ、酒買うて来い!」ってな具合で、行く手の閉塞感もあってのことか、クーリーはHard drinkingへと突き進み、過度のアルコールは彼の心臓を蝕んでいった。

63年、Ella Maeとクーリーは結婚生活の破綻を迎えていた。二人の子供MelodyDonnellは夫が引き取っていた。ある日、和解を求めていた夫人と酔ったクーリーは口論となり、激昂したクーリーは「じゃかっしゃい!」と、Ella Maeに殴る蹴るの蛮行に出た。夫人は昏倒。しかもそこへ14歳の娘Melodyを呼び寄せ、死体を汚い言葉で罵るという奇行に及んだといふ。夫婦の間で何がそこまでさせたのか…?

すぐさまタブロイド紙は『恐ろしい殺人者・スペードクーリー』と、一斉に書き立てた。名声は一瞬にして吹っ飛び、クーリーはブタ箱の人となってしまった。彼は日々写経をし(ウソ)、獄中でバイオリンを作り、囚人に音楽を教え、バンドを組んだという。「これが監獄ロックだ」と言うたかどうか…。そして模範囚として、8年の刑期をつとめ、異例の速さでシャバに出た。

長いブランクを経て、クーリーはオークランドの舞台に立っていた。3000人の観客の前で演奏をこなし、起立拍手をもらった彼はインタビューに答えた。「今日は、我が人生の休息の初日みたいな気がするんだ…」ステージを降りるや、突然彼を心臓発作が襲った。地に堕ちた巨星スペード・クーリー死す。ひとの人生ってなぁ分らないもんである。その時、ボブ・ウィルスはKing Of Western Swingの名前を取り戻したのだった。
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06.4.15  もう一人のキング・Spade Cooley!

2006-04-15 16:14:01 | カントリー

オクラホマ生まれのSpade・Cooley(1910~1969)本名Donnell Clyde Cooley、通称トランプのスペード。いなせで鉄火肌な仇名のおアニイさんである。体躯も小ぶりで東洋人っぽい顔立ち。どことなく歌うカウボーイ、ロイ・ロジャースによく似ている。想像するにルーツにチェロキー・インディアンか、はたまた中国系肉体労働者がいるのだろう。苦力(クーリー)というではないか。眉唾。

クラシックの訓練を受けているのでフィドルの技術的には確かだ。映像を見ると弓さばきもきれいで、ポルカなどを弾かせるとBob Willsより遥かに練達の腕を見せる。ダンスバンドとして長らく活躍したので、カラッと明るいダンサブルなチューンが多く、3本のフィドルとアコーディオンを多様し、曲によればアルパ・ハープが入る。

Swinging The Devil’sDreamなど革新的なアレンジと、スゴ腕ミュージシャンたち(スチールギター史にその名を残す、ノエル・ボッグス、ジョアキン・マーフィーの両氏、スモーキー・ロジャース、カクタス・ソルディ、ペドロ・デパウル、デュース・スプリッギンなど)による派手なリックが特徴の、スタイリッシュでエンターテインする音楽。それがスペード・クーリーのウェスタンスイングだった。

44年にはボーカルのテックス・ウィリアムスが歌った最大のヒット曲「Shame On You」をぶっ飛ばした。かつてボブウイルスが冠したKing of Western-Swingの称号はいまや、クーリーのものであった。
しかし、たとえポーカーの目は揃っても、現実の人生が幸せとは限らない。クーリーの後半生に、まさかあのような悲劇的な出来事が待っていようとは!
(ここでCMってか…)

1930年代、スタインベックの「怒りの葡萄」やウディガスリーの歌にも登場するようにオクラホマ州には深刻な砂嵐(ダストボール)が吹き荒れ、農地は一夜にして砂漠と化した、その難民数は30万とも40万ともいわれる。彼らの多くは、命からがらオクラホマから暖かなカリフォルニアに移動した。(ジョンフォード作品「怒りの葡萄」を見ればよく分かる)

まさにクーリー家もその中にいた。オーキーの多くは産業労働者や修理工などの職を得た。40年になるとカリフォルニアにもカントリーミュージックシーンが発展し、大型のダンスホールも次々に建造された。クーリーはそんな中、ヴェニス・ピア・ボウルルームでデビュー。またたくまに西海岸の人気者となり、ロイ・ロジャースの映画に出演したり、50年代には自分のTVバラエティショウを持つに至った。
やるぜ、クーリー!(つづく)

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06.4.14  東京を揺るがす江戸前鮨あり

2006-04-15 01:04:42 | 

今回はちょっと贅沢に鮨屋のカウンターに陣取ってみた。鮨屋では酒ではなくお茶を所望すべしという輩もいるが、宝の山に入って飲まぬ手はないぞよ。程のいい酒は鮨の味も引き立てるのだ。
さてここ鮨原正は注目の店。店前には何処からか甘いアップルパイの香りが流れていた。何故ぢゃ。カウンター8席、主人石川氏はキリリと男前である。麦酒を頼みゆるゆると始める。

まずは、気前よくブツッと切って出てきた煮アワビにガブリ寄り。タコも心地よい歯ごたえ。硬く身がしまってしまわない方法を聞くと、塩を使わず40分揉み解すのだという。とても真似できぬ。一塩した鯛は持ち味が引き出され、柔らかい。この辺で酒に。酒は奥播磨、磯自慢、松の司の3種。順に連れと往復以上いってしまう。〆鯖は松前昆布を重ねて切る。大トロは山葵で。まだ呑むと見るや、バチコをサッと炙って出して来た。ナマコの卵巣を何度も重ねては干し、丁度三味線のバチのようになるのでこの名がある。珍重なる酒肴なので姿のまま食するのは初めて、確かに酒を呼ぶわい。でもこれでじっくりと燗酒を、と悠長こいてる暇なく、テンポでむしゃむしゃと食ってしまった。ヨ~ッベンベン!殿様気分やぁ。

鮨の部に突入。春子、小肌(九州産)、づけ、車海老、煮蛤、細魚、煮穴子、玉子焼、かんぺう巻を所望。どれも軽やかで魚は飛び切り、酢飯は甘くなく、手で崩れず口の中でパラリとほどける理想型。銀座あたりで食しているのとまったく遜色のない、ハイレベルな鮨であった。いや、東京の職人の方が威張ったりするからなぁ。小笹の穴子の雉焼きの話をしてると、「それやりたいと思ってます」と店主。隣あった鮨通も「ここまで来たか…」と感慨深げ、本当に20年前では考えられぬ。今や東京も大阪もないことを強く感じた。お代はこれを東京でやるととんでもない額になるだろう。真っ当な額といえる。すこぶる気持ちのいい店だった。

ぽいっと店を出ると、よよ、そこら一帯はホテル街。こちら食欲、あちら色欲。そそくさとミナミに、仕上げのワインを飲みに消えることにした。

   「鮨 原正」  大阪市天王寺区上汐3-8-9

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