マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

平岡町はお好みソースの香り

2020-08-30 14:30:19 | 大阪 堺&以南
またも平岡町のおうわさを。

亡父が好きだったのが、「美佳味」のお好み焼きだった。
兄も好きで、帰阪することがあれば必ずのように行ってた。

あたしはそこまでのコアな美佳味ファンでもないのだが、
ハイヒールモモコと喋ってて、唯一この店だけ話が合ったことがある。

実家が無くなりゃ行かなくなる。ほぼお別れなので、行ってきた。




  焼きそばを前菜に。豚玉をメインに。
  ちょっと焼きそばの方がスパイシーなソース。
  太目のちゃんぽん麺にソースがよくからむ。

     

 
 やっぱり、我々町っ子はソースだわね。
 うちにゃ、いただきものだが4~5種類のソースを常備している。

 

     

 
 安かった豚玉も、今やこれぐらいの価格に。





 さて、ここからは別日。
 この時は亡父の誕生日なので、豚玉を持ち帰り、遺影の前に捧げた。
 親爺は不自由になってからも、美佳味に行こうやとアタシらを誘った。
 車いすで行きにくいので、そうは行けなかったが。
 生きてりゃ94歳。 
 この日、ちょっと高揚して豚チーズモダンなんぞ注文してしまった。



     

 
  やはり…旨いのはただの豚玉である。

  ここのうちのお家騒動に直面したことがある。
  久々に行くと、駐車場にいたお兄さんが腕でバツを作っている。
  「やってないの?」と聞くと、従業員全員解雇になったという。
  それは尋常ではない。突然、閉店すると言い渡されたのだそうで、
  明日からどうしようかまだ決まってない…と途方に暮れていた。

  その頃の勢いのある厨房が好きだった。
  若い衆が次から次へと焼いているこのグルーブ感が良かった。
  お母さんがときどき叱咤激励の声を飛ばしていた。
  あのおっかさんは、精肉卸やまたけの娘なので、だからいい肉が
  入るのだとダレかに聞かされたことがある。

  今は息子と数人でやっている。膨らんだ人件費を圧縮するために
  一旦やめたのかな。数か月後に復活してると聞いて驚いた。

   数年前の写真~


     

 
 豚玉 300円台だった。これはお得感あった。
 空気を含ませてふんわりと焼き上げた感じ。
 青のりも、すじ青のりを使ってるように見える。
 経費節約のために、材料に手を付けてはいけませんよ。しらんけど。
 

     


 うちの兄は変わってからも、旨い旨いと喰ってるから、
 それはそれで幸せなことかもしれないけど。
 親爺が元気だった頃は、ガラガラ手押し車積んで、車で来た。



     


 人も街も変わって行くが、どうかいつまでも、旨いお好み焼きを
 お願いしたい。


     

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わが家のスタジアムともお別れだい

2020-08-26 15:02:20 | 大阪 堺&以南
長年あったこのボードゲームともお別れした。

中年以降の元少年にはおなじみだろう。
エポック社野球盤 通称を「B型オールスター野球盤」。

ボードゲームの名作中の名作だ。


発売は1967年。
わが家では長年、現役だった。何百回遊んだだろう。

今だに使える。ただしピッチング部位は錆びてギコギコ言う。


とんねるず石橋貴明がたまに特番でするリアル野球盤の元。
左様、み~んな、やっていたのだ…。
ちなみに今だって絵柄を変えて販売している。

丁寧なイラストを見てよ。1967年のセパ・オールスター戦なのだ。
フツウに巨人ファンだった少年にはパの選手なんて地味過ぎて
誰が誰やら見当がつかなかった。

ピッチャー堀内。バッターは伝説の安打製造機、榎本喜八。
シブイなぁ~。当時のハナタレガキにはまったく気づけなかった。
    
パチンコ球をこのゴム仕掛けの鉛のバットでひっぱたくのであるが、
大体は酷使に耐えられず、バットのゴムが伸びたり切れたりして、
その寿命を終えるのがパターン。

うちはエポック社に掛け合ったら、スペアのバットが送られてきた。
長年の使用に感謝し、無料でサービスしてくれたような記憶。
いい会社だと思った。

守るセはスターぞろい。そっちを描いた方が売れるという判断は正しい。
サード長嶋、ショート“牛若丸”吉田、セカンド高木守、ファースト王。


コーチャーズボックスに立つ、鶴岡親分の姿も見える。
控えで肩を作るのは阪神の村山だ。

    

スコアボードの選手名に注目してみよう。
消してあるのはアタシのいたずらである。
セのクリーンナップは長嶋・王・江藤。
破壊力バツグンであった。




対するは、榎本・張本・野村。
毎年とんでもないハイアベレージの打率争いしていたのはこのメンバー。
人気のセ・実力のパといわれた所以。


広瀬・柴田はどっちが足が速い…とかね。よく言い合ったもんです。
ブルース…毒島なんて知ってる人はツウですよ、ツウ。



スコアボードの裏はこんな感じ。
左のバーで、打球の下にある磁石を動かすのだけど、
こんなものにも微妙な駆け引きがあり、相手のタイミングをずらして
ズバッと直球を投げたり、いろんなことをやった。

親切だったエポック社に経緯を説明し、もし必要ならば資料として提供する
旨を知らせた。丁寧に足りているので結構という趣旨の返信があった。


もうこれにて、思い残すことはない。
長年、相手をしてくれて感謝しかない。


でも自分では捨てられないので、そのまま最後の日を迎えた。
整理業者がゴミとは別に分けていたから、

もしかしたら、どこかで生き残っている可能性もある。
アジアのどこかで第二の人生を歩めたら、それはそれで痛快である。


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平岡町 残像

2020-08-23 23:57:15 | 大阪 堺&以南

昨年親爺を亡くした。94歳だからまずまずの大往生。
誤嚥性肺炎だったから、生きていてもこのコロナ禍、
はたして生き残れたかどうか怪しいものだったと思う。

この親爺が平岡町という大阪堺の田舎の新興住宅地に家を建てたのは、
昭和38年。引っ越してきたのは昭和39年。
誰かの田畑だったのだろうが知る由もない。平岡町という地名も後づけかも
知れない。平らなだけでこれといった名もなき土地だったかもしれん。


    

 このおぼっちゃま(ランドセルを取ると、背中丸出しのびんぼっちゃま)
 が小1のアタシ。まだ世の中の辛酸ペロペロ舐めて屈折していない頃。

    
 
 手提げ袋のマークに注目していただきたい。

      

  それが…こちら。

     

 東京五輪ワッペン ¥100。
 世の中、東京五輪で沸き返っておった。
 私たちも熱狂した。世の中、ワッペンがやたらと流行った。
 ワッペンはドイツ語、英語ならエンブレムとなるはずだが、
 猫も杓子も阿呆みたいな顔してワッペンワッペン言うておったわ。

 平岡の家は東京五輪に始まり、今度の東京五輪で終わる予定だったが、
 ものの見事に五輪は飛び、この夏、解体だけされることとなった。


     

 親爺をおくって一年。残念ながら息子らに空家を遊ばせておくだけの
 甲斐性なく、更地にして売り払うこととなった。

 こっちはとうの昔に親元離れており、ときに介護に通うだけだったが、
 両親にゃ悪いが、実は親の思い出というより、子供時代の思い出が
 いっぱい詰まっていたので、なかなかに名残り惜しかった。

 いつまで引っ張っとんねんという話だが、折に触れ、そんなものも
 紹介して行きたい。

 今回は、コレクションしてたおもちゃの一部を。

   
   

 大阪ではベッタン。関東ではメンコ。
 絵柄に古さが出るが、中途半端な古さゆえ値打ちなど無し。

 丸く抜いた紙製のこれはなんというのだろう。
 オレらは、とばしん…と呼んでいた。
 島根県の親戚宅でもらい、失くしてずっと引っかかっていた。
 これは随分後で松屋町のおもちゃ問屋で見つけたもの。

 

 この絵柄が一目見た時から好きで、今もFacebookの表紙にするほど。
 ディズニー関係からは確実に訴えられるだろうが、
 このキッチュさ、おおらかさ。

 次なるは百貨店のおもちゃ売り場の常連だった、動物ミニチュア。
 行くたびに、一体また一体と買い足していった。  

      
 一方こっちは兄が集めていた、マッチボックスのミニカー。
 忘れもしない、一台¥150 Made in 大英帝国だった。
 車も動物たちも。

  


動物は家内の方の姪の子供に。
車は兄の方の姪の子供に、それぞれ貰われて行った


物置にビー玉の入った缶があったように思ったが、
ついぞ出てこなかった。    


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私的に焼肉風焼鳥の元祖。

2018-09-05 14:19:48 | 大阪 堺&以南


 幸か不幸か、私を育ててくれた町、大阪堺。

 実家に居る頃はバイトぐらいしかしていない訳で、ろくに銭持っていないので

 ま、ろくなものを喰っていない。 そんな中、ここは思い出深い一軒。


 近所のホールでバレエを見た帰り、バレエの余韻のまま焼鳥ってのもどうかと思うけど、

 折角近くに居るので、行ってみた。

 ここには35年ほど前、音楽関係の先輩N氏に連れてきてもらった。



     

 

 

 宮園団地の前にある、「焼鳥 石樽」。

 店構えは小ぎれいになっている。

 昔はなかば倉庫みたいなところで、平生でもシャッターを半分閉めたまま営業していた。




 




 メニューはあまりにシンプル。

 昔はカウンターの中の親爺に、「固いのと軟らかいのがある。どっちにする?」と聞かれ、

 「柔らかいの!」と答えると、とたんに機嫌が悪くなった。

 嫌なら固いのだけ置けばいいのに、歯が合わない人もいるという配慮なのかな。

 かしわは卵を産まなくなったバアサン鶏で、固いが噛みしめるとうま味があった。




     


 
 大和地鶏といってたかな。 これはごまかしの効かない素材勝負!

 その新鮮さ! 胸肉、モモ肉の盛合せに、ずり、皮、せせり。 


 
     

 

  こちらは、ぼんぢり、肝、ハツ。 これらをただガス台で自分のタイミングで焼くだけ。


  ああコレコレ、このタレだ! あまから酸っぱいにゴマが入ったシンプルであり、クセになるタレ。
 
 

   



  親爺が編み出したタレが抜群に美味かった。

  この味に、35年間がヒュ~ッと逆回転しそうだ。



     



  石川県出身の親爺に勧められて、「萬歳楽」という地酒もここで覚えた。

  機嫌がいいとそういう隠し酒を出してくれるが、わけのわからん客は

  すぐに追い出していた、稀に見るへんくつ親爺だった。 



     




  二代目に聞くと、親爺さんがこだわってた固いの…は、今のお客さんには求められず、

  今や、ほぼ軟らかいのばかりになっているという。 

  無くなってみれば、あの暴力的なほど、やたら固いのが懐かしい。 

  客も時と共に、固いのが歯に合わなくなって行く。 

  親爺も亡くなって十何年…こっちもあの頃の親爺ぐらいの年かさだろう。

 

 

        




  二代目に帰り際に言われて気付いたが、目の前の宮園団地が姿を消していた。

  それでか…どうも、ふわふわとした浮遊感あり、街がしっくり来なかった。

  一種の浦島状態であった。


  

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堺“ちゃん族”の飛び切り肉

2017-10-29 01:19:44 | 大阪 堺&以南

堺津久野の「おさむちゃん」の時に書いたが、近所で育ったというのに、

この存在はつい最近になって知った。 当り前やそんな古い店やあるかい。

堺の「~ちゃん」族系焼き肉がスゴイのだ。







たいがい、「~ちゃん」といえば、おかあちゃんが焼いているお好み焼きに多いのだが。

屋号に凝りに凝ってCIしました、みたいな店より、そんなことより中身やないですか…

みたいに言われてる気がして、好感が持てる。







おさむちゃんの盟友であり、後輩になるのかな。 此処もスゴイ人気。

でも、向こうのように半年以上先でないと予約が取れない…みたいなことはない。

時間通りに行ったが、店前で待つ。なに、それ位で目くじらを立てる我々では無い。







4人でこのチムチが2皿。







続くタン、すげぇな厚切り。  塩ワサビで。







つけダレがまたヤバイ。 ポン酢におろし、青ネギ、卵黄。

そこに適宜、白ネギのみじん、玉ネギスライス、ニンニクチップのアリシン御三家。



 

 宮崎牛スーパーヘレ メスの未経産牛、A5、12点

 最後の12点、いまいち判ってません。

 A5にしても業界内での評価を、素人の客が口にし過ぎるのは憂うべきこと。

 高評価な肉質は知りたいにしても、歩留まりなんか関係あらへんやん。 

 





  宮崎牛スーパーヘレの中のシャトーブリアン。

    とにかく貴重な部位というのだけ知っている。






 
 熊本牛 極上厚切りハラミ

 大層でもあるが、つねちゃん、命名がなかなか上手。






 
 焼きしゃぶ  上赤身のモモロース(カメノコ)

 さっと炙って、ニンニクチップやネギ巻き込んで、卵黄ポン酢で食べれば

 何をかいわんや!







 アカセン、テッチャン、ミノ…内臓が続く。

 蕩けるようなサシの入った正肉も結構だが、飽いて来る。

 そういう時は迷わず、ホルモン。食感の楽しさ。脂の乗り。

 肉食のもう一つの世界。







 私が住んでた頃には、焼肉の噂なんてついぞ聞かなかったが、

 まぁたのもしい若手の料理人が、出て来てくれたもんである。

 焼肉はどう食べさせるかも重要だが、どれだけいい素材を引っ張って来れるか、

 ここも重要なポイントなのは間違いない。







   つねちゃん、頑張っとくれ! また来る!

    

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