マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

鄙にも稀なり、夫婦天丼

2011-01-29 13:10:38 | Weblog



どうだい、この羽を広げた孔雀が油の中に落っこって、バリッと揚がったような姿は。

目くらましのように、エノキの扇が立ちはだかっているが、この向こうには天ぷらがいろいろと
乗っかっている。

海老2本、舞茸、サツマイモ、しし唐2本。丼は正しい錦手。丼はこうでなくちゃ。
一つ注文させてもらうと、天ぷらの下のもみ海苔は必要ないかもしれん。ならば、海苔の天ぷらを一枚つければいいのでは。





赤だしと香のもの、小鉢。小さな猪口に丼つゆが付いてきて、
「お好みでおかけください」という。 基本は塩味の天ぷらにしてあるようだ。
私などは丼つゆ足らないぐらい。言えば追加もくれるだろうが、そこはしない。
サクサク…サラダ油か白締油かわからんが、実に軽く快適に食べ進む。


ただね、私は東京下町の天丼が好きなんですよ。


濃い丼つゆがかかって、丼に口つけてワシャワシャ食えるヤツが。
天ぷらもごま油を効かせたヤツね。土手の伊勢屋とかあんなの。
あとで油のゲップが出ようが、喉が渇こうが、天丼はめしが食えるのが一番というのが私見。
関西風の天ぷらはどっちかというと、酒を飲むための天ぷらという発展の仕方をしてきた。

ということでいうと、天丼のイメージはくい違うのであるが、
まれにみる優れた天丼屋なのは間違いない。



天丼 ¥850


もちろん完食。あっという間でお別れせにゃならんのはつらい。
ご飯の量は少なめ。男なら大盛りにすべきだろう(+100円で)。
次回は玉子が乗る天とじ丼にしなくてはならんだろう。


天ぷらを揚げる主人。ベストのタイミングでご飯や味噌椀を注ぐ奥さん。
夫婦二人が黙々と働く姿は見ていて清々しい。
こういう店を応援しないではいられない。


若いころ極道したし、お前にもさんざん苦労をかけた…老後は二人で、
誰も知らない町で小さな天丼屋でもやろうぢゃねぇか…と、言ったか言わなんだか。
私よりもうんと年下なので、それはないか。
しかし、なんでここ?というほど、人里離れた場所。





高槻だが、駅くんだりからとっても歩ける話ではござんせん。
昼営業のみ。夜行ったら、寂しいよきっと。


         天丼屋 平右衛門       高槻市道鵜町2丁目



電化マンドリン

2011-01-24 13:58:19 | 音楽

日頃、めしばっか食い散らかしているが、実はめし食い人間である前に、偏向音楽愛好家なのである。

現在、バンドでフィドルを担当しているがその以前から、マンドリンというものを触っていた。
現在はエレクトリック・マンドリンを弾くことが多い。これがなかなかに難しいので悔しい。

ご覧頂きたい。 これがBob Wills & The Texas Playboysのほぼ1950年の陣営である。



まん中に立つのが、バンドリーダーのBob Wills。 最下手はギターのEldon Shamblin。
オクラホマ州の名ギタリストで、チャーリー・クリスチャンとはぶいぶいいわした間柄。
ウエスタンスイングのあのリズムは、エルドンのパッシングギターが生み出したと言ってもいい。
といっても、誰も知らんか?

最上手にHerb Remington。スチールギターの名手である。Bobには「ハービー!」と呼ばれていた。
この時代にはペダルスチールなんてのがなく、左手で握ったバーをたて横に駆使しなくてはならず、かなりテクニックが必要とみる。でもこのノンペダルだから、雰囲気が出るのだ。
左から2番3番で抱えるのがエレクトリックマンドリンである。下手側がTiny Moore、上手がJohnnie Gimble。スイング史に大きな足跡を残したプレイヤーである。

それ以前は、ツインギターがハーモニーでリックを演奏することが多かったが、徐々にコンパクトなバンドが必要とされてきたのか知らないが、タイニーとジョニーはそのままフィドルに持ち替えて、ボブとトリプルフィドルに変わることができる。

さて、今日はそんなタイニームーアだ。 な?メシのことばかりぢゃなかろう。



1917年、テキサス州ハミルトン郡生まれ。
でっかい身体の「栄養ちゃん」だったことから、Tiny(小っちゃい)と逆説的なあだ名がついた。

1946年にBob WillsのTexas Playboysへ。 
専属歌手だったマッキンニーシスターズのどっちかを妻にして、3人の子供に恵まれた。

ツアー中、前座バンドを務めたジョニーギンブルに声をかけたのはタイニーだった。
それをきっかけにツインマンドリンが誕生した。

その後、ボブの弟 Billy Jack Wills, Moon Mulligan などスイング界で活躍。
1956~62年 TV番組「レンジャー・ロイ&アンナ・バナナショー」のホストに。子供番組かな。

Merle Haggard のバンドに13年間在籍。
その後、カリフォルニア州サクラメントで「Tiny Moore Music」という楽器屋さんを始めた。




5弦エレクトリックマンドリンを開発。
1980年台にその卓越したテクニックと、スインギ―なソロを再発見され、
Jethro Burnsや、Johnnie Gimble, David Grismanなどと共演。
ジェスロやレイブラウン、シュリーマン、エルドンシャンブリンらと「Back To Back」などをリリース。


大学教育にカントリーミュージックを持ち込んだ先駆者で、ワークショップやコンサートを次々に開催。
サウスプレーンズ大学には“タイニームーア・ウエスタンスイング・メモリアル・スカラシップ”という
奨学制度(?)を創設した。いかなる名人上手も一代限り。最後は後輩作りを考えていたということだろう。


バークリー音大かどこかの録音を聴いたが、才人Matt Glaserとのジョイントで、
息子ほどの連中を向こうにバリバリにスイングを奏でていた。マネのできない人物である。
1987年、ネバダ州ジャックポットで演奏中、心臓発作で急逝。まだ67歳の若さだった。


彼が盟友Robertsと開発した、エレキマンドリンがうちにも一本生き残っている。
ホントは上のミッキーマウスの耳タイプが欲しかったが、もうRobertsの元に上のモデルは
残っていなかった。




ときどきネットで驚くほどの値で出ることはあるらしい。
Tinyモデルを持つ東京のアシュラさんが羨ましい。一度弾かせてもらったが、すんごく弾きにくかった。

ボクにはこっちの方がお似合いかもしれん。
2月4日(金)のライブでも、もちろん弾きます。聴きにおいで下さい。




粉と金時豆の関係性

2011-01-24 11:35:06 | 

甘いもの好きで知られる阿波人。 今回は極め付きを。

あちこちでやっているので、知ってる人は知っているが、
お好み焼きに「金時豆」が入るのはご存じだろうか。


そう、甘く煮た、あの金時豆。 弁当の端っこに5粒ほど入ってたりする、あの甘い金時豆。

徳島に「名麺堂」あり。讃岐風の手打ちうどんで知られた店の新展開。
泉さんは神戸長田のお好み焼きにインスパイヤーされて、近所に出店。
でも、神戸にゃこの豆のお好み焼きはないよ。

天かすが乗り、さらに生地を重ねて。




キャベツと天かす、豆、他にはなんにも入らぬいさぎよさ。


考えりゃ、うどんもお好みも粉つながり。 
店主は元々「名盤堂」という中古レコード店を徳島で最初に始めた人物。
そこから、うどん造りに転じて「名麺堂」。ここは鉄板だから「名板堂」、というわけ。

煮豆の砂糖部分がちょっと焦げたりするのも、香ばしくなって、また一興。


長田のばらソース、どろソースなどを揃えるところも気合が入ってる。
瀬戸内海はさんで対岸なんだから。神戸流のお好み焼きをぜひ徳島ではやらせて下さい。

青のりも細かくて品がある。モワモワした花ガツオを使わない。



徳島に行けばぜひ一度、豆焼き(550円) お試しを。 単純に美味いよっ。

 

      お好み焼き工房「名板堂」    徳島市中常三島1


        


トマトに砂糖の真実

2011-01-22 02:11:08 | 



トマトに砂糖 ―

これ、徳島では普通なんだという。さすがは和三盆の名産地。
阿波人、想像を超えた甘党なのようである。

勧められて食べると・・・ふむふむ・・・思ったほどには悪くない。 
昔ながらのトマトならば、甘さで青臭いクセが紛れたのかもしれない。

工夫があって、一切れは砂糖だけ、もう一切れは軽く塩してから砂糖をかけたもの。
後者の方が甘さが際立つ感じがした。 参考までに出してくれたのは、こちら・・・・・・





過日行った、徳島籠屋アーケード内の「に志もと」。 文久二年という、おっそろしく古い居酒屋さん。
ここはいい。昼間っから飲めて、言葉から文化から、徳島のいろんなことを教わった。




どうっすか、景色がよござんしょうが・・・・・・。 6代目の隠れファンは多い。

もっと知りたきゃあ、「あまから手帖」12月号をご覧になって下さい。



いかのごろ和え

これが甘口ではあるが、たまらなく酒をよぶ。



そば米汁

10種類ほどの具が入った吸い物。どの家庭でも食べるらしく、すまし汁替わりに食卓に上がる。
あっさりして、ひなびた郷土の味がした。 けんちん汁風、これ一椀で栄養バランスよさそう。
もちろん、決め手はそばの実がそのまんま茹でられて入る。徳島でなぜそば?と思うだろうか。
徳島の山間部の祖谷(いや)などでは祖谷そばが知られるように、そばが元々身近にあった。




鰯のぬた  ぬた、漢字では沼田と書く。 味噌は地元ではなく、京都の白味噌を使うという。

ぼうぜの塩焼き、たちうおの押し寿司などもいただき・・・シメは・・・




ぜんざい。 宴会の最後のぜんざいが喜ばれるというのだけど。 

美味いのは美味いが、死ぬほど甘い。


           海鮮割烹 「に志もと」    徳島市籠屋町1



徳島でカツといえば

2011-01-16 02:21:33 | Weblog




これなのよ、フィッシュカツ。

その正体は小魚の練り物を揚げてあるのだが、
そこにカレーパウダーをまぶしてあり、このピリ辛具合が各店によってちがう。

大阪で出会った阿波人のタクシーの運転手は、徳島ラーメンのことはよく言わなかったが、
フィッシュカツのことは自慢のように滔々と自慢しだした。

俺たちはただカツというと、これだった…と、鳴門の某料亭のK山氏。

火どってウスターをびちゃびちゃにかけて食うのも旨いが、
カレーそばなんぞに浮かべてもイケる。
徳島ではカツの入ったお好み焼きってのもある。






横でこういうのも売っていたが、わかるね?海老がかすかに入ってるような天ぷら。
見るからにサクサクしてて、カレーどん兵衛の天ぷらみたい。
これも徳島県人はよく食べるっつってた。 確かに大阪ではこれ売ってても買って帰らん。




「に志もと」という古い居酒屋の近所。

徳島から少し南へ下がった小松島がフィッシュカツの本場。
元祖といわれる「津久司」のも、



「谷かまぼこ店」のも食べてみたが、



ボクにはこの杉山のがおいしく感じた。腹減ってたのかな。
こういうのは、分厚くてもだめ、余り上品になってもダメなんだろう。
今どきのB級グルメでも測れない、ゲテ味こそが極めて重要なのだと確信する。