マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

エンコでモーニングから天丼へ

2016-09-13 01:27:17 | 東京 浅草



飲み過ぎた朝はどんより。 

シアトル系ではない、しっかりしたコーヒーがいただきたい。

伝法院の近くにある「喫茶ローヤル」へ。 
 

 

 
 

トースト・ミニサラダ・オレンジジュースがついて¥500だったかな。
 
 

 


 さてと、朝昼のブランチ前にちょいとブラリ・・・

 

 

芸人用なのかな、これ、まともな人は買いません。

買ってもどこで着ればいいのか。

 

 


伝法院通りの古本屋をひやかし、店を出ると、浅草やきなる焼き餅の屋台。

炎天下、ごくろうさんッ!

 

 


さて浅草といえば昔っから、寿司・牛なべ・天ぷらということになる。

あまりにもベタ過ぎて入ったことが無かった「大黒家」へ入ってみた。

先代林家三平の女将さんが、毎月の浅草詣での際に、姑がここの天丼を半分残して

持ち帰ってくれた。 天丼とはそれほどのものだった…とどこかに書いていた。


 
 

 

鉢は正しい錦手の絵柄。

上からのアングルはこの感じ。







蓋を取ると、堂々たる存在感。  この見事なきつね色。


海老2本、かき揚げ1 ¥1750  高いと見るか、安いと見るか。


ぷんと食欲をそそる胡麻油の匂いだ。

 

 

 
海老を一口食っては、めし。 めしを食ってはかきあげ…と一心不乱。

濃そうに見えるだろうが、意外なほどあっさりしている。

たまり醤油のようなどんつゆ。 ちょっとご飯を持て余す感じ。

天ぷらはフカッ…とした感じで、もう少しバリッとクリスピーな方が好みだがね。




 


小さい漬け物が付いて来る。 

こういうオールドファッションな天丼をときどき喰いたくなるのだ。



昼前だというのに次から次へと入ってくる。

いつの間にか、飲み過ぎたことを忘れてしまっていた。
 

 


観音裏にある愉悦

2016-08-22 23:31:56 | 東京 浅草

浅草の人混みに疲れたら、浅草寺を裏に抜けて言問通りを北へ。

何にもなさそうな、向こう側に渡ることをお勧めしたい。

柳並木があったりして、ちょっと雰囲気。 豆かんの「梅むら」なんぞもこっちの方にある。







地図を漫然と眺めていて、屋号でびびっと来た「酒や・ぬる燗」。

燗好きの私としてはこれ素通りするわけにはまいりません。

私よりだいぶ若い店主が一人。

この豆腐汁の椀がお通し代わりらしい。 飲み助には汁ものが有難い。

なかなかいい滑り出しだね。




 


すっきりした東京風で、店主は一家言ありそうだが、お勧めの酒聞いても返って来なかった気がする。

帰ってネットを見ると「愛想がない…」と書いてたが、その通り愛想はない。

だが、この年になると無愛想の愛想というのがあるのも判る。

客の自由に放っておいてくれるが、決して無視してるのではなく、常連だけ厚遇する訳ではない。

数多くの酒と、酒を呼ぶ酒肴を揃えていて、注文にはきちんと応えてくれる。






ボケボケになってしまったが、カツオの刺身のつけ醤油。

旨い。これは日本酒でないといけない。


 


秋田の銘酒「まんさくの花」を燗で所望すると、ピタリのつけ具合で出てきた。

 

 


そして、お、ほやの造りがあるぢゃないか…。


こいつばかりは、関西の人間は扱い方を知らないと見え、まともに食えたためしが無い。

これもまた、酒のために生まれてきたような気がする。まずメシには合わんだろう。

最初喰った時は鉄棒舐めてるのか…と思ったが、だんだん好きになった。






藤ジュン、イイ男である。 ぼんぼん育ちだから妙に屈折していないところがいい。

彼がバークリーに留学中、ものわかりのいい親は留守宅でどんちゃん騒ぎの宴会催し、

何度もお邪魔した。 そんな親たちも年々傷んでくる。 介護なんぞの話も飛び出す。

順番とはいうものの、現実はなかなか厳しいものだ。






 
浅草まで行ってるのに、飲み慣れた能勢の銘酒「秋鹿」。

これも燗に申し分ない。

いい店だが、ニイチャンちょいと気取りが激しいなぁ~。

若い頃ならカチンと来てたが、今は微笑ましく、にやにやしてしまった。

まだ肩の辺りに力が入ってる感じがして、それを感じさせるようではまだまだ。

そこの力が抜けりゃ、一段上の素晴らしい居酒屋になるだろう。



 



締めはたのんだのか、自動的に出てきたのか。

しじみ汁、豆腐入り。 双方とも肝臓には有難い。

気持ちよく店を出た頃には、とっぷりと暮れて、もはや午前さま。



 



こういう小ざっぱりした玄関まわりの店が、なかなか関西にはない。





 

浅草寺、深夜。


いい夜だった。






 
でも、浅草に泊まらなけりゃ、こんな景色見られなかったよ。

もっとも酔って、安宿のベンチに、座ったまんま朝方まで寝てしまった。


 


浅草は路地

2016-08-22 22:05:53 | 東京 浅草

浅草飲みあるきに旧友を誘った。

中野のジャズ・サックスプレーヤー藤田絢三、遠路浅草まで出て来てくれた。

先ほどの神谷バーで待ち合わせして、さて、もう一軒。

こっちは一足先に路地から路地を歩き、行きたい店のロケハンを済ませている。

永井荷風もきっと歩き回ったであろう仲見世界隈の路地。


ってことで、オーセンティックバーの「浅草サンボア」へ。




 


 
なにも関西系のバーへ行かなくてもいいぢゃないか…とも思うが、

いやいや、一度は行っておかねばなるまい。

サンボアは大正年間、神戸で創業したバー。

ここは北新地のサンボアが母体で、マスターの松林さんは銀座で修業したとのこと。

一度は大阪へ行きたいと思ってるんですけどね…という。



 



サンボアのハイボールには氷が入らない。

ドライでまことに結構。 

バーテンダー泣かせのジョッキで出すサントリーはどうかしてるんぢゃないか。

自社のウイスキーの収益のために、酒文化をないがしろにしてやしないだろうか。



 


粋も野暮もない、浅草の田舎臭さが好き

2016-08-22 19:14:35 | 東京 浅草

20年、いや30年ぶりかもしれない浅草1-1-1、日本最古のバー「神谷バー」。 

初めて訪れた頃には、客席に灰色のジイサンバアサンが多かった。

最初に食品サンプルの棚を眺め、食券を買うスタイルも以前のまま。





今みたいな観光用の車引きではなく、人力が主流だった時代、この右側に位置する吾妻橋には

人力車がたむろし、神谷バーで数杯のデンキブランを飲んだ車夫たちは、フラフラになり、吾妻橋行くまでに

何度も転んだという。それを神谷バーの窓から眺めてたという客のジイサンに聞いた。








中ジョッキと冷えたデンキブラン。 

デンキブランはここのオリジナル・リキュール。 

ジイサンたちは大ジョッキをチェイサーに、デンキブランのグラスを3つほど並べ、

ビールをグビリ、デンキをチビリ…とやっていた。 

若いのはそういう飲み方を見て学習する。


「俺はエノケン劇団の帽子作ってたんだ」と職人風のジイサンが言うと、

とたんに俺たち芝居屋崩れには、尊敬の眼差しに変わった。

そんな今と昔が交錯する街でもある。










以前、仕事で一緒になったイベントプロデューサーの立川直樹さんは浅草っ子で、

初めてココで大ジョッキを頼もうとして、隣り合った年寄に

「大ジョッキたのむより、ここは中ジョッキにして何杯もお代わりするもんだ」

と諭されたという。 偉そうにするでもない、そういう年寄にならねばならない。



カニクリームコロッケ。洋食メニューもちゃんとしてる。

黒蝶ネクタイのホール係が、片手に銀盆持ちながら、

器用に片手で食券の半分をちぎって行く。

何処かで見たと思ったら、子供の頃の百貨店の大食堂だ。 



 

 

気取った洋食メニューの間に挟まって、煮込みなんかがあるところに、いかにも浅草を

感じたものである。 やっぱり頼まざるを得ない。


いつしかジイサンたちは飲めなくなって、もはやこの世には居ちゃいまい。 

客も代替わりして、なんだかホワイトカラーが目立ち、ニューミュンヘンの客みたいだ。

浅草も変わったかと思ったら、隣の隣りに何処で買ったのかというような派手なシャツを着た

ブルーカラーのオッサンがいて、若いのを捕まえて説教しながら飲んでて、ニンマリしてしまった。


さすが、浅草健在!

 


浅草…噫、インチキ歌劇にアチャラカに

2016-08-14 21:33:57 | 東京 浅草

新橋演舞場に小しごとあり、その帰りに20年ぶりぐらいかな、浅草へ。
もちろん、こんな景色もなかったわけで。

近いのは判っていたが、こんなにスカイツリー、近いとは思わなんだ。
それにしても、タワーのデザインが北朝鮮っぽい…。







さて、さかのぼるは大正年間。ローシーというお雇い外国人を帝国劇場招き、
日本にも歌劇を根付かせようとした。
だが費用がかさむ一方で、帝劇歌劇は解散。その残党が赤坂ローヤル館を経て、
興行街のある浅草へと流れ着いた。
それが浅草オペラである。口の悪い奴らは「インチキ歌劇」と呼んだ。


清水金太郎、田谷力三、エノケンの師匠柳田貞一などを輩出。
ペラゴロとよばれた熱狂的オペラファンを生み、蕎麦屋の出前持ちまでが
「ベアトリね~ちゃん、まだねんねか~い♪」と口ずさんでいたという。


だが、そんな浅草オペラの人気も短く、大正12年関東大震災で灰塵と果てた。 

その後、浅草オペラで冷や飯を食わされていた連中が軽演劇を始めるのもここ浅草。
ご存じ、榎本健一・エノケンさんがその始祖とされる。

そんな物語がある浅草が好き。 



 


軽演劇の小屋よろしく、かき割り一枚ペロリと剥がせば、チープな本来の街の姿を現す。
そんな味わいがあるのが、私の浅草でもある。
あんまり立派になっちゃいけない。どこかウソ臭さ、騙されてなんぼ…みたいなとこがないと面白くない。





 

伝法院の脇にゃ、昔、煮込みの大鍋がグツグツと湯気を上げ、そこらでオダをあげていたのは
傷んだジイサンやら、馬券をすったオッサン、昔劇場街と関わりを持ってたようなオッサンら。

それがいつの間にかホッピー通りといわれ、明るいうちから若い連中が一杯やってやんの。
生き残ってやがるなぁ、しぶとい。



 


あの屈託顔のジイサン達ゃ、どこへ行ったんだろう。
大方、酒で体を壊して何処かへ消えてしまったんだろう。





浅草地下街。いやぁ~吹き溜まってますなぁ、素晴らしい。

こんなところに芸人が飲んでたりして…とちらっと覗くと、青空球児・好児の好児さんの姿が。

だからといって、ズカズカと無粋に入って行かない。 いいな、睨んだ通りの浅草がある。

右側の師匠ね。ゲロゲ~ロぢゃない方。







浅草は路地を歩くに限る。 この「金寿司」にもよく来た。

池波正太郎の本で見たが、おばちゃんというか女性職人が握る。

高級店も行くが、こういうざっかけない大衆店も守備範囲なのが下町の人間だね。




 


奥におばあさんがいて、 「私の娘じゃないのよ、この人は使用人よ」と言い放っていたのを記憶。
とっくに生きちゃいまい。 寿司で腹膨らませたくないので、今回は眺めるのみ。 







仲見世通りのちかく。酒屋が店先をいじって飲ませるようになっていた。
立ち呑み感覚のカウンター座り飲み。







まずは軽くジャブ。軽井沢ビールだったかな、よく冷えて旨かった。 
じゃこ冷奴に唐辛子の醤油漬けが散らしてあり、いい仕事をする。ヒ~ハ~。




 

寄席へ寄ってるほどの時間の余裕はない。

あたしゃ、ナイツ好きなんだがな。 東京ボーイズとかの音曲も。 
ナイツがちょくちょくネタに使う、古い寄席芸人の世界が愉快。