マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

サブさん。 ケンゾーさん。

2019-12-25 19:16:51 | 神戸
この秋以降、何人もの友人が旅立っていった。
そんなに続かなくてもいいのに。
こっちがそういう年齢になったということか。
まずはこの友達。

  

写真家 北畠健三さん。 今年1月のお姿。
彼の地元である神戸新開地で。
震災を期に始めた写真展「神戸HEARTS」はこの時、10年目で
終わりを告げた。

仕事もさせていただいたが、何度も酒席も共にした。
僕は酒が好きなのではなく酒場が好きと言ってらした。
友部正人のおでん屋のおやじの顔のクローズアップは、
彼の出世作だ。

さらに、もう一人。

  

そして、ブルーグラス・バンジョーの第一人者で
ブルーグラスの日本を代表するオーガナイザーであった
渡辺(井上)三郎さん。

  

神戸元町「ロストシティ」というコーヒーハウスから1967年、
産声をあげたブルーグラス45で、71年米国ツアーを果たした。
私が野外フェスを旅して回った76年当時、
「お前はブルーグラス45を知ってるか?」と何度聞かれたことか。
その都度、「友達だ」と答えた。 ずっと先輩だから当時はあり得なかった。

  

結成50周年を記念して、全米ツアーを敢行。
ただのオッサンに非ず、現役バリバリですぞ。

  

我々が憧れた時代は、ニューサウス・リバイバルというバンドで
スクラッグス・スタイルのバンジョーを弾いていたサブさん。
ちょっと遊んではミスして、ニコッと笑ってごまかすのが芸だった。

  


最愛の家族に看取られて逝ったのがよかったね。


  

そうして、今頃は・・・

  
  
憧れのアール・スクラッグスとジャムセッションでも楽しんでいるに
ちがいない。 R.I.P.


新開地、モナムール

2019-02-10 14:42:34 | 神戸


 
 茫日、新開地へ

 

        



  目的はアートビレッジでの写真展

  
KOBE HEARTSは今年で10回目



    


  
  これない年もあったが、初回から来ている

  今年でピリオドを打つ

  最終回は新開地がテーマ

    

   

 


  会場を出て、前の瓦せんべいの店へ寄る  

  久しぶりに、ここの野球カステラを買ってみたくなった


            
     



   すると、もうずいぶん前に野球カステラは止めたのだという

  無いとなると、たまらなく口にしたくなる (写真は10年前のもの)

  ひなびた味わいがあったのにな

  湊川市場の方に行けば一軒やってるらしいんだけどね

  

  



  写真展を出たところで、パトカーが来てなんだか騒がしい

  酔った?オバハンが警官に咬み付いていた、まだこういうの健在なんだ

  ボートピアという場外舟券場があるからなぁ 
 

 

             

   
  少し行ったところで知人にばったり

  KOBE HEARTSの主宰者の一人、ケンゾー氏


  魚が美味いらしいよと立ち飲みを教えてくれた
 

           

              

 

  ということで「ふみ」

  店前もごちゃごちゃ

  店内もごちゃごちゃ、冷蔵庫の品書きがスゴイ

  
 

             

 

  ナマコの酢の物をもらって 日本酒だい 

  

              

 
  張り紙を見て、カンパチ・ヒラメ・シマアジを少しずつ

  冷蔵庫から半身を取り出してびっくり、造りいいなぁ
 



             


  店先の発泡スチロールの生け簀で伊勢エビやアワビを活かす

  小ぶりだけどナガレコぢゃないよ・・・とアワビを発注 

  

             


  
  煮アワビもいいけども、たまにはこのコリコリ感


             

 

   赤かぶの酢漬け 

  酒のみは口が甘くなるので、こうした酢の物が最適ってワケ

 

             


 

  いいよ、「ふみ」。 まだまだ掘り甲斐のある街だな、新開地って



 


続~個人的に神戸の豚まんを見直す!

2018-10-12 23:37:44 | 神戸


 元町駅前の「四興楼」は、南京町育ちのLさんのお気に入り。

 三宮町の「三宮一貫楼」はカメラマンのKさんのお気に入りと来る。

 

    

 

  兵庫の荒田町にあった和洋中の食堂から始まったという「三宮一貫楼」。

  華僑系の経営者が多い中、ここは少数派の日本人経営者。 

 

    

 

  あなたは何をつける? よく見たら相田みつをのパロディになっている。

  ここは店先の立ち食いが出来るのがうれしい。 

 

    

 
  ハンバーガー並にケチャップ・辛子のように3種の調味料。

  途中の味変だって可能に。
 


    


 
 ここのはひと際大きめ。 551蓬莱に影響されたというが、

 蓬莱よりも玉ネギを効かせて、甘口になっている。 たしかにお菓子っぽい。
 


    



 具がぎっしり、生地の部分が薄い。

 これはもう、腹ペコにはたまらない…

 

    

 

  が、こちとら、腹パンパン。

  しかし、1個すっと食べられた。

 三者三様のサミット御三家。

 豚まんで神戸を元気にし続けてもらいたいと、ただ祈るばかりなりけり。 

 


個人的に神戸の豚まんを見直す!

2018-10-12 22:11:27 | 神戸

 

大阪は「蓬莱」「二見」なんのかんの申しても、やっぱり「551蓬莱」の独り勝ち否めません。

あそこまで利用しやすくて、あらためてよく出来ています。

では、関西の中華の本場神戸の豚まんはどんなものなのでしょう。

先に新開地「春陽軒」は登場いたしました。

南京町界隈を探ってみることにしました。





 

 神戸の人間に聞くと、自分のひいきの豚まんがあるのに驚きます。

 中でも途切れることのない行列店、ご存知、元町「老祥記」。

 創業大正4年(1915)。南京町市場と言ってた時代から、陽の当らない雑然とした路地で

 営業していた中華まんじゅう。初代曹松琪さんが天津包子を豚饅頭と名付けて売り出した。



     

 

  店は立派になり、この正面には別館である「曹家包子館」があり、

  ここでも豚まんは買えるのだが、人が人を呼ぶのか本店ばかりが行列。

 

      

 
 
 持ち帰りもいいけど、やっぱりここで蒸し立ての豚まんにパクつくのが一番。

 予約は受けてない。一度2000個のオーダーあり。後ろのお客さんを待たせて

 取りかかったがエライ目にあったので、それからは内規で1000個までとなった。

 それでも40分ほどはかかるそう。


     
      



 狭い厨房の中、全員で包みに取りかかっている。

 全員野球、全員豚まん。



      



 日本の豚まんは戦後、飢えた国民に腹いっぱい喰わせたいということで巨大化したが、

 元の包子はこれぐらいの大きさ。 



     



 どんな食べ方も自由だが、店的にはまず、そのまま食べてもらいたいという。

 しっかりあんまで醤油で味付けがされている。 

 その後は酢醤油でいったり、辛子とソースでいったり。

 皮に染み出すほどジューシー。

 

      


     
 南京町を出て、元町の南駅前に面した「四興楼」。

 地元にはここのファンも多い。

 若干、薄汚れた…多少くたびれた外見だが、ピカピカよりは期待が持てるというもの。



     

 

 ここは豚まん専門店ではなく、いろいろ取り揃えている。

 洋食まであるのがうれしい。飾らない浮かしながらの大衆食堂のノリ。



   

 

     
 11月11日は豚まんの日。 豚の鼻の見たてなのか。

 南京町では毎年、豚まんサミットが行われる。

 四興楼、老祥記、それに三宮一貫楼が一度に会する。


 

     


 来たよ、豚まん。 オーダーは2個からなので2個としたが、

 なかなか大き目である。 喉が渇いてビールなどたのんだのが敗因。


     



  あんが少しミディアムレアっぽいので、一番肉々しい感じ。   

      

     



 ちゃんと、へぎでできた座布団がくっついているのがいいでしょう? 

       


神戸豚まんの一脈、新開地にあり!

2018-08-02 22:31:46 | 神戸

天津包子を豚饅頭と名付けて売り出した元祖、「老祥記」を頭目とする神戸の豚まん。

いやいや「三宮一貫楼」だ。「四興楼」だ「太平楼」だ…と集まれば意見が分かれる。

自分のひいきの豚まんがあるのが神戸たるゆえん。

大阪なんてほぼ、「551蓬莱」の一人勝ち。「二見」ファンもいるにはいるんだがね。 

神戸豚まん西の雄!老祥記の次に古い歴史のあるのが新開地の「春陽軒」。

      

       

 

 聚楽館(現ラウンドワン)を上がって商店街を北上。 落語席「喜楽亭」のまだ先。

 こんなゲートがあるけども、明石焼きのたちばなはとっくに三宮に引っ越している。


 

      


  
 元祖和風中華料理店の金文字がいいでしょう。

 目の前の駐車場も全部春陽軒の店だったらしく、初代は日本人だし、日本人に合う中華料理を

 やっていたようだ。火鍋が名物だったらしい。



      



 だんだん人の流れが東へ移り、県庁が三宮に移り、映画も斜陽となるにつれ、

 新開地は荒れて、昼間っから仕事にあぶれたオッサンが車座で酔っ払ってるような町へ。

 春陽軒も一度は店を畳んだが、客にせがまれて豚まんだけを商っている。


      


 
 豚まん、何で食べる?っていうのが巷のヒマねたになる。

 私なら連続2個食べて、1個の半分はそのまま。半分は芥子を溶いた酢と醤油。

 もう1個は芥子とウスターといきたい。

 春陽軒の面白いのは、9割の客がウスターソースと味噌を混ぜるという。



              


  
 豚まんは老祥記同様、小型。 なので6個7個と昼飯に食べる人がいるという。


              



 いろいろ味噌の分量を試してみてください。と小皿を複数持ってきてくれた。



              


 
 あんに味噌が使われている。

 しっかり味が付いてるので、まずはそのまま食べてほしいが、

 真似したソース+辛味噌は、味変にはもってこい。

 常ならビールを頼んでしまうが、そうすると、皮がお腹の中で膨らむ。

 そうするとツライので、お茶をガブガブが正しい姿。



              

 

 
 食べっぷりがよかったのか…、持ち帰り専用で最近復活させたという焼売を

 こちらも試してみて、と蒸し立てを出して頂いた。こちらは芥子とソースで。

 どこの馬の骨かわからぬ者に親切に接していただくのは、ほんとに有難い。

  

 

             

 
 ジューシーで結構な具合だった。 

 
 神戸の中華料理は、居留地の外側にあった在日華僑に向けた南京町市場周辺から広がった。

 南京町にはすでに10年前の大正4年「老祥記」が天津包子を翻案した「豚まんじゅう」を売り出していた。

 春陽軒初代は、老祥記で豚饅頭と出会い、これを新開地の客層、ベタベタな日本人庶民に向くようにと、

 変えて行ったのではないだろうか。


 

       

 

 

 大正14年というと、うちの親爺と同い年だ。 途方もない昔のようだが、まだ生きながらえてる親爺を見ると、

 ついこないだという気もしてくる。

 昔の新開地を辿るよすがとして、これからも長く続けて行ってもらいたい一軒である。