マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

 三国から庄内へと歩く

2006-08-30 16:17:32 | 

阪急宝塚線ネタを探しに歩いてきた。
駅の地図で見たら意外に近そうなので、三国の駅に戻らず、三国橋を越えて歩いてみることにする。川っぺりに飲み屋街が固まってあり、小林旭がドンパチ暴れそうなたたずまい。
神崎川を越えたのであるが、オレらガキの頃はこの川の水が真っ黒のコールタール色で、ひどい悪臭がした。神崎川が近づくと阪急電車に乗ってるオレら一斉に窓を閉めたものだ。それほど高度成長期、公害への取り組みは後回しにされたのをオレは忘れない。
 

川を越えると、なんだか懐かしい街が残っていた。時代を忘れたような古本屋がぽつんとあったり、どことなく色街があったような風情の、古くてモダンを秘めたしもた屋が残っていたりする。色街ぢゃなかったらすんません。 その中に「あっ!ここかぁ」という一軒の銭湯に出くわした。長いこと行ってみたいと思ってた、双葉温泉という店だ。
    

だが94年に店じまいし取り壊し作業を待つばかりになっている。
左が銭湯のサイトから頂いたありし日。右が現在だ。
破風の屋根の上には力士の鬼瓦が睥睨し、化粧回しには双葉山と
書かれてある。そうか、戦前戦中に69連勝した当時の名横綱の名前をそのまま頂いた温泉だったわけだ。
         
そこから庄内まで、まぁずいぶんと歩いた。一駅だが意外なほど遠かった。汗みずくとなって庄内へとたどり着いたら、尚更ここでひとっ風呂浴びたくなった。


朝は水上、ひる温泉、よる銀座

2006-08-28 17:54:51 | 音楽

         
群馬県水上町の山中に「工房澄み処(すみか)」を立ち上げ、伝統的な町家建築の技法を踏襲する大工、山口修嗣という友人がいる。彼が主宰する「澄み処の風コンサート」が20回目を迎えた。ボクは2回目の19年前に初めて行った。グラスアルファで演奏するのは10年以上のご無沙汰。ハーモニカの松田幸一、バンジョーの坂本健、ギター奥沢明雄、ベース河合徹三。知る人ぞ知るラストショーの面々。かぐや姫、泉谷、アリス、イルカ、中島みゆき、高田渡、高石ともやらとセッションをしてきた連中である。安定感がちがう。こっちが少々ボロボロでも何だったら弾かなくてもかまやしねぇ。たしかに画像を見てもオレだけ肌合いがちがうわ。
  
水上界隈は有名な温泉地。ひなびたかけ流しの「諏訪ノ湯」という温泉に3百円払って入った。石鹸がモロモロになるほどのお湯だ。空気は旨いし、野菜はそこらじゅうで新鮮なのができる。チーズも家畜のヤギのモッツァレラチーズ…これが健康でいられるかというと、棟梁山口くんのように腸不調というヤツもいて、ま、早い話、飲みすぎなのであるが。
  

上毛高原まで送ってもらい別れ、上越で一路東京へ。ここはゆっくり飲み食いするために帰りを夜行バスにしたのだ。目指すは銀座。一挙に田舎から都心、聖から俗へ。

  
銀座コア裏あずま通りにある「新富寿司」。ここを訪れるのも久々である。丁度、小肌の新子のシーズンだ。この小さなヤツを江戸っ子はひときわ好んだ。握り寿司の原型がこの小肌の寿司なのだ。出始めの新子なら2匹、3匹づけで握る。ありゃあちょっと可哀相なもんだが。非常に上品だ。スミイカの新子、新イカも出ていて、これがまた小さくて、赤ん坊の頬っぺたを齧るような柔らかさなのだ。すずきの昆布〆も夏だなぁ。嗚呼やっぱりようがすな。酒は冷やから始めて、人肌切り替えた。    

  

さらに俗にまみれるため、新宿へ河岸を変えて、バーで仕上げ。サントリーバー「イーグル」。足が遠のいて20年以上。昭和42年から続く新宿では老舗だ。ちょっと気取った風もまたよくてベテランのバーテンの対応、居心地の良さは変わらない。角ハイボール・ダブルを2杯。ここはフードも美味くて、野菜スティック胡麻味噌添え、かに味噌バター。
  
このカウンターにいると新宿の変貌ぶりも全く気にならなくなってくる。山手線の線路をくぐって西口の方に行くと、小便横丁の風情がかすかに残っていて、新宿の俗っ気がなかなか好ましく思えてきた。


強いばかりが男ぢゃないと、いつか教えてくれた人

2006-08-23 17:06:24 | 音楽

役者関敬六が亡くなった、78歳。
彼が役者の道を志したのは、シミキンが歌ったこの歌。

不良時代のサトウハチローが徘徊し、エノケンと知り合い、
意気投合して、カジノフォーリーで頭角を現していった街、浅草。
そんな先達の幻影を求めて、浅草の町中をほっつき歩いたものだ。
芸人が大勢住んでいたという田島町から、浅草田圃、猿之助横丁…

神谷バーでは「俺ぁ若い時分、エノケンの劇団の帽子作ってたんだ」
なんていう職人に隣り合ったり。昔の電気ブランはもっとキツくって、
3杯呷って出て行く車夫たちは、必ず吾妻橋のところでひっくり返った
もんだ・・・なんて話を聴いたものだ。
ビールの大ジョッキに、電気ブランのアサガオ型グラスを5つほど
並べて、煮込みなどをアテに飲んだ。アサヒビールがドライで当てて、吾妻橋工場を黄金色のウンコビル(地元ではそうおチョクられている)
に建て替える前の話だ。

シミキンの全盛時代は短く、川島雄三監督が「オオ!市民諸君」、
「シミキンのスポーツ王」など撮っているが佳作とは言いがたい。
関敬六の死を聞いて一層、浅草は遠くなりにけり…という心持になった。

強いばかりが…をタイトルに、小沢昭一は「浅草キヨシ物語」という
芝居を作っている。その昔、キヨシという乞食がいて、「この人売れる!」と言うと、本当にメキメキ売れ出したという。

 

   浅草の唄 
  (サトウハチロー作詞 万城目正作曲 藤山一郎唄)

   強いばかりが男じゃないと  いつか教えてくれた人
   どこのどなたか知らないけれど 鳩といっしょに歌ってた
   ああ浅草の その唄を

   可愛いあの子とシネマを出れば 肩にささやく こぬか雨
   かたい約束 かわして通る 田原町から雷門
     ああ浅草の こぬか雨


  デザートに、そばめしを

2006-08-20 18:31:31 | 

  
「川島しょう店」を後に、ちょっと角を曲がった所にある「青森」へ。ここは銭湯の目の前にあり、湯上りの客が小腹を満たすために寄るお好み焼き屋だ。こんな店が長田にはいっぱいあった。

此処の自家製ところてん、いちいち突いて出す。おっちゃんは「京都では断然黒蜜」、ロッケンさんは「神戸は絶対酢醤油!」と言い合っている。武倒派揃いが口角泡を飛ばしての熱い議論。掴みあいになる一歩手前で、ここはロッケンさんの顔を立てようとなり、酢醤油に辛子、粉かつをで食べる。あたしゃ青海苔の方がいいな。これで一杯飲むのもおつなもんだ。
               

それに折角「青森」まで来たのだから、元祖「そばめし」を食わない訳には行かない。「すじそばめし」¥700。これが基本。スジ肉を細かく挽き、煮込んである。これを飯やそばと一緒に炒める。
  

大きなすじだとゴロゴロして飯やそばと合わないことから、先代が細かくするのを発案した。激辛のどろソースを落としてコテで食べる。ロコ気分。長田のシメにはまことに相応しい。


長田  川島飲むべし、女っ気なし

2006-08-20 17:03:13 | 

さて長田に現れたおっさん4人。マイミク角山さんと、ちょいと前飲みしてきたカメラの達人ロッケンさんとおっちゃんのお二人。我等4人で200歳越え、体重は優に300㌔を越える。

おっさん4人の小宴はシャンパン・ロゼから始まった。ここ『川島しょう店』はロッケンさんの行きつけ。家族が一丸になって美味い物を拵えている姿がいい。写真は手前から親父・息子・妻。料理はお任せに…

 

「ピータン香菜バルサミコ酢」はピータンの硫黄くささが良く冷えたシャンパンに合う。北海道産「本マグロ腹身の炙り」は霜降りに炙り、胡椒をきかせてある。


皮付きの「ポテトフライ我が家風」。マヨネーズにアンチョビを加えてソースを作り、ポテトをからめて、仕上げにレモンを絞る。これがなんぢゃこりゃの美味

「すじ豆腐」上質のすじを使ってあり、だしの美味いこと。うどん入れたら千日前千とせもぶっ飛ぶだろう。「牛肉のタタキ」ニンニク、おろしワサビ。その他「地鶏のサラダ」「マグロの腹身の皮目炙り」が出た。

オーダーごとに生地を川島さんが伸ばす「白いピザ」。ゴルゴンゾーラチーズ。薄焼きでパリパリと心地いいこと。「これはこれで美味いね~」と角山さん。
「フィッシュカツ」はロッケンさんの手土産。徳島の地元食料品店で売られている魚肉のカツで、ハムカツ好きにはこのチープ感たまらない。ちょっと火どって地ソース(さすが長田はお好み焼き処!)かけて食うと美味い。締めの「カレー煮麺」に乗せて食べるとまたイケた。フィッシュカツカレーにゅうめん。長いわ!
  ~続く、デザートは次の間に。