マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

さらに、おでん行脚はつづく・・・

2017-11-30 15:30:02 | 静岡


  しぞ~かおでんの全体像を把握するために、(そんなええもんか!)

  もとい、口卑しいためにもう一軒。 浅間通りの「おがわ」へ。


   

  


  ここは駄菓子屋系だが、明るいうちから一杯やれるのが嬉しい。



    
   



  店内に入ると、いい具合におでん鍋が湯気を挙げていた。

  こうしていちいち串に刺さっているのも、静岡おでんの特徴。

 
   
   



  推測だが、そもそも子供の駄菓子だったものを大人が取り上げた格好のもの。

  お好み焼きやもんじゃだって、元はそういったものだろう。

  イワシが揚がる焼津辺りには、タダのようなイワシ粉と青海苔があったのだろう。



   



 牛すじ、しらやき、ちくわ、黒はんぺんってとこ。 三角形のしらやきは、タラのすり身という。ふわふわ。 



   


 
  しぞ~か割り。 麦焼酎の緑茶割り。 ぐいぐい飲んでも悪酔いなどなさそう。


  夜になるってぇと、青葉おでん街みたいなペーソスただようおでん屋の集合体が開く。


  こいつは前回来た時のもの。




   



  浅間通りで人気の和菓子屋、「河内屋」で、どら焼きと団子巻きを買う。

  餡の入った団子を、薄いどら焼き生地で巻いたもの。

  こういう田舎臭さ(失礼)がたまらなく好み。

  すぐにパクつきたいも、この後のメシが大事なので、持ち帰りでガマン。


   
   



        

 


しぞ~かおでん、駄菓子の魅力

2017-11-15 23:57:12 | 静岡

茫日、静岡へ。 

今年、大政奉還150周年、神戸開港も、龍馬暗殺も、堺事件も、なにもかも関わってくる中で、

幕末のごちゃごちゃしたのが嫌いだったが、必要にかられていろいろと知ることになった。








江戸最後の将軍、十五代徳川慶喜が大政を奉還し、江戸無血開城に応じ、最後に土地を与えられ

住んだのが静岡。明治新政府もそれなりに厚遇したと見え、でかい敷地である。

現在はデラックスな結婚式場になっている。

ただ、新政府軍とまともに戦うことなく、大阪城を一夜にして捨てて脱出、米国艦船に庇護を求め、

江戸に帰ったりする不可解な動き。 

駿府で自転車乗りまわし、絵画に狩猟に釣りにと自分一人が

悠々自適を謳歌した点など、好きになれない人物である。







静岡にはいわずとしれた「しぞ~かおでん」がある。

中でも居酒屋系、駄菓子屋系など発展の仕方はちがうが、

ここ「水野商店」は典型的な駄菓子屋おでんの元祖。

駄菓子屋といっても、本通りという銀行が立ち並ぶメインストリートに面してある。



 



お母さん、84歳でお元気。 昔はおでん小町といわれて…知らんけど、そんな片鱗を感じさせる。

店は大正4年(1915)~ 102年という堂々とした歴史を持つ。







ちょっと種は少なくなっていたが、黒はんぺん・鳥皮・大根・こんにゃくをもらう。

この鍋の下は練炭になっている。







ここへイワシの粉と青海苔をかけるのが決まり。

ビールが飲みたいが、そこが駄菓子屋系たるゆえん。

妙に長っ尻になり、トラブルの元でもある酒類はおかない…そこはキッパリしている。

黒はんぺんこそは、他の地域では見られない焼津名物。







もう一つの名物が、ところてん。 辛子酢醤油が心地よく覚醒させてくれる。







娘さんかな、おっかさんとアタシを置いて、用足しに出かけて行った。

ま、ひとを見る目があるというか、なんというか・・・。











 ほんとに、いつまでもここにあってほしい店だ。